メッセージ・リーディング

メッセージリーディング

このコーナーでは、時事の問題や未来予測に関する、ARIのオリジナルリーディングを掲載しております。(リーダー:浅野信)
 
メッセージリーディングとは、個人の問題ではなく、社会的事象や歴史上の不明点、また未来に関すること、その他、政治、経済、科学、技術、宗教、哲学、医学、医療、教育、芸術、等々の分野での調査目的で行うリーディングです。
 
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どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。

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ARIメッセージリーディングNo.332 自分を知る 2026.8.14

質問:自分を知る意義と方法について、ONEの観点からご教示ください。

ソース:古代ギリシャのデルフォイの神殿には、「汝自身を知れ」との標語が掲げられていました。
 日本の空海も、「悟りとは、如実知自心である」と、表現していました。「実の如く、自らの心を知ることが、悟りの内容である」と。
 現代のスピリチュアルにおいても、「自分を知ること」が大切にされ、目標とされています。それだけ、伝統的な宗教や一般の人たちの生き方は、自分のことが看過されていることを表しています。
 「自分」が生きていくのですから、生きていく主体である己自身を知ることが、どんなにか大切なことでしょう。
 インドのブッダは、「法灯明 自灯明」の二本立てで、人々を啓蒙していました。
 「法灯明」とは、「大宇宙の理法であるダルマをともしびとして生きなさい」ということです。また、「仏の教え」をも、「法」は表しています。「仏の教えを拠り所として生きなさい」と。そしてもう一つ、「自灯明」ということで、「自らをともしびとして生きなさい」という、標語を掲げています。
 これは現代の「ONEの教え」と一致しています。「ONEの教えをともしびとして生きなさい。そして、自分をも拠り所として生きなさい」ということだからです。
 ここで自分が拠り所になるためには、自分を見直し整えること。自分が安定してより良いありようになることが条件です。それでこそ、自分の心が拠り所となります。そうなれば、自分のことが信じられて、自分に素直に正直に生きるとよいことになります。
 ケイシーのリーディングにおいても、ヨハネ・リーディングにおいても、「神の導きは自分の内部にやってくる」と言われています。
 神からのメッセージは、静かで細い、小さな声として、自分の内部に聞こえます。良心の声です。


 「この状況で自分は、こうするのが良いと感じる」
 「ぜひ、こうしたい」
 「こうするのがいいんじゃないかと思えてならない」
 これが内なる声です。ハイヤー・セルフ、キリスト意識、超意識、魂の声です。
 それが叶うためには、自分を見直し、自分を整え、規則正しい健全な生活をしていることが条件です。それで仏教でも、「戒(かい)・定(じよう)・慧(え)」の三学を勧めています。
 戒律を守ること。好ましいことを、思ったり行う。好ましくないことは、思ったり行ったりしない。このように健全で、神さまのお心に適う、自分の生き方やあり方にすること。そうすると心が安定充実し、神さまと自分が調和し、一致してきます。
 そうなると、「定」という瞑想ができて、その結果、「慧」すなわち知恵が働きます。それによって真理を洞察でき、知恵が湧き、物事を正しく洞察し、きちんと適切に現状に応じて生きていけます。それにより結果も良好で、健康で恵まれた良好な人生を送ることができます。


 「自分を知る方法」には、いくつかあります。
 1つめとして、夜見る夢です。
 2つめとして、リーディングを受けることです。
 3つめとして、ジャーナルを綴ることにに取り組むことです。
 4つめとして、内省、内観、あるいは瞑想を行うことです。
 5つめとして、自分の前世を知ることです。
 6つめとして、人との対話や分かち合いをすることで、自分が見えてくるということがあります。
 ほかにも、自分を知る手立てや方法はありますが、大きなところは以上の6つです。占いもあります。それらに取り組むことで、自分を知ることができます。
 1点目の、「夜見る夢」について見てみると、人間の意識は顕在意識、潜在意識、超意識からなっています。顕在意識は「建前」、潜在意識は「本音」、超意識は「良心」を特徴としています。
 普段、顕在意識の「建前」で生きています。それが眠りに入ると、潜在意識と超意識が活発に動き出します。それで夢がくり広げられます。
 主に雑夢は潜在意識を表し、正夢や霊的な夢は超意識を表します。
 普段の顕在意識の自分だけを見ても、不十分です。奥深くにある潜在意識の本音や魂の意識である超意識の良心を知ることでこそ、本当に自分を知ったり、感じたりすることができます。それが、夢に取り組むことでなされるのです。
 「夢に取り組む」ということは、自分の奥深くにある潜在意識や超意識に取り組むことです。それによって、自分の奥深いありようが明らかになってきます。また、知るだけでなく癒されたり、浄化されたり、調整されたり、目覚めたり、バランス化されたりもします。夢に取り組むことで。
 その時点の自分の、奥深い意識のありようと働きが、夢として表れているのです。それゆえ、自分のその時点の奥深い意識のありようを知りたいなら、夢に注目し、夢に取り組むことです。


 幸い、人は誰でも自動的に夜になると夢を見ます。その意味で、夢は「万人の恩恵」の機会です。本人さえその気になれば、ただで、意図せずに、夢に取り組めるわけですから。神さまがそのように、人間を作ってくださっているのです。
 本当に誰にでも必要不可欠で、為になるものは、神さまのお計らいで万人に対してただで与えられているのです。空気にしても水にしても同様です。それと同じく、夜夢を見るように、人は神さまにしていただいているのです。
 潜在意識の「本音」には、主に肯定的面と否定的面があります。肯定的面は、期待。否定的面は、恐れや心配です。期待や願いがあったり、恐れや心配、悲しみやトラウマがあったりすると、それによって真実から逸(そ)れます。
 「こうなってほしい」という期待があると、本当にはそうならないことでも、そうなるような夢を見ます。一方、本当は起きないことなのに、心配や悲しみやトラウマがあると、起きないことでも起きるような夢を見ます。
 それゆえ雑夢の場合、文字通りに解釈すると、真実から外れることが多いです。予言にしても、期待や心配や先入観があると、外れます。人間の予想が外れるのが多いのは、そのためです。
 そういうことも考慮して、夢に取り組むこと。それによって自分の中にある期待や願い、また恐れや悲しみやトラウマを知ることができます。それにより、普段の判断も狂わなくなってきます。自分が本当にわかってくることによります。
 多くの人はそういうことに取り組んでおらず、自分がわかっていないので、独断と偏見と主観で、物事や人を判断し、行動します。そのため、真実とずれるので上手くいきません。空海の言う「如実知自心」、「ありのままに自らの心を知る」ということが如何に生きていく上で大事かということです。


 2つめの「リーディングを受ける」ということは、「現代における取って置きの秘法」です。一般向けの秘法です。
 「自分を知る」という場合、自分の性質、傾向、能力や適性、体質、前世のカルマ、今世の留意点、自分の学ぶべきレッスン、今世の目的と役割。そういったことが「自分を知る」ということで、リーディングで尋ねれば、答えられます。
 どの程度答えられるかは、受ける人のその時点の態勢の出来具合や、受ける動機によります。いつでも人は、その時点の自分に応じたものを受け取ることになるからです。
 それゆえ、良い動機で自分の態勢が出来てきた人ほど、リーディングを通してもより有益な情報が得られます。
 人生は何でも、自分次第なのです。その時点の自分を表す、現状と体験になるからです。その意味でも自分を知って、自分をより良い状態に整えることが、恵みの人生をもたらします。他の人の為にもなります。
 「カルマの法則」にしても、「作用反作用の法則」あるいは「鏡の法則」と言われます。「ブーメランの法則」「バランスの法則」とも言われます。
 3つめの「ジャーナル」は、自分に取り組み、自分を知り、自分を感じ、自分を処理解消するために、書くことを導入することです。
 それによって、自分に取り組むことが着実に進展してきます。自分に取り組む場合も、「書く」という、手作業を導入するのです。デジタルのスマホやタブレットなどを、活用しても構いません。アナログの手書きと、デジタルの情報処理を、上手く併用しましょう。
 4点目は、「内省、内観」「瞑想あるいは観想」です。仏教で言う「禅定」です。座禅です。
 瞑想には、さまざまな瞑想の方法と内容があるのですが、自分を見つめ、自分を感じ、自分を知るためにも、瞑想は有用です。内省的になって、自分を受け止め感じ、知ること。そしてそれを、先ほどの書くという「ジャーナル」とも組み合わせて取り組むと、進展します。
 5点目は、「前世を知ること」です。前世は、2点目のリーディングでも尋ねれば、答えられます。やはり、その時点の自分の態勢の出来具合と知る動機、また知る必要性などに応じて、前世がどの程度明かされるかが、規定されます。


 リーディングを行うリーダーとの相性やご縁、リーダーの能力の精度なども、もちろん「どの程度明かされるか」を規定しますが、しかし、基本となるのは本人の内実です。本人次第で、現実は動いているからです。「引き寄せの法則」です。
 十分に準備して、良い動機で臨めば、良いリーダーに出会い、また、同じリーダーでもリーディングが取りやすくなり、より有益な情報が得られます。人生は全て、自分次第であり、その時の自分を表す、現状と体験になるからです。
 そういうこともONEを学んで、自分を知る作業に取り組んでいると、「本当にそうだ」とわかります。それによって気持ちも落ち着き、楽になります。
 人のせいでも、偶然でもないのです。でも、「自分次第」と言っても、自分を責めることが必要なのではありません。後悔することも、必要ありません。
 ただ、体験から教訓を学んで、成長改善し、体験から得られた教訓を、今後に反映させていくことだけが必要です。時には謝罪も必要ですが、基本的には体験から学んで、自己改善し、それ以降の人生に体験で得られた学びを、反映させていけばよいのです。
 それとの関連で、許しも必要です。許しと学び・改善がバランスよく行われるようにしましょう。
 「許し」には、「相手を許すこと」と「自らを許すこと」との、両方があります。
 内省的になると、自分の前世も明らかになってきます。結局、「前世に取り組む」ということは、内省的になる作業なのです。自分の前世は、奥深い意識に宿っているからです。
 「前世を知る」とは、内省の作業であり、「前世を知る」とは、奥深い自分を知ること、また、奥深い自分の中にあるものを処理解消すると共に、奥深い潜在能力を開花させ、今後に活かしていくことです。
 それゆえ、「自分を知る」ということの中には、前世も深く関連しているのです。現在の自分の基盤となっているのが、前世なのです。


 それゆえ、自分作りと、自分の立て直しや自己形成、さらには自己活用の上で、前世はキーワードになっています。そうであるからこそ、ONEの学びでも前世を扱っていて、重んじているのです。
 癒す場合でも、自分を知る場合でも、自分の可能性を高めて発揮するためにも、前世が有用なのです。
 ほかの手立てや方法では、わからなかったり叶わなかったりすることが、前世を導入すると、深くわかったり、癒されたり解消したり、願いが実現したり、可能性が高まったりすることがあるのです。
 そうであるからこそ、ピタゴラスも、ブッダも、ケイシーも、ヨハネ・ペヌエルも、前世を扱ってきているのです。
 前世を見る場合、カルマを扱うことが大事です。カルマは因果応報です。因果応報で、過去も現在も未来も動いています。そこに教訓を与える学びが、公正なシステムとしてあります。
 前世を知ることで、今世の自分にとっての心がけと留意点、それから、今世の目的と役割が見えてきます。それも大事です。それも、自分を知ることのうちです。
 こういった、かつて秘伝に属する奥深い部分と理法が、リーディングと「ONEの教え」によって、一般の人にも公開され、求める人には与えられる時代が訪れました。ケイシーはその先駆けであり、ヨハネ・ペヌエルは、その本命、真打ちです。


 リーディングは霊的なカウンセリングであり、癒しを含むと共に、自分を知って開花させ、今世の目的と役割に気づかせ、それを遂げる方向へと導きます。
 自己覚醒のセミナーや気づきのセミナーにおいても、「自分を知ること」が扱われてきています。それがさらに進むと、スピリチュアルな領域に入ります。そしてONEで完成を見ます。
 これまでの伝統宗教では、「自分を知る」ということに、蓋がされてきています。それでは不十分です。自立と協調性の両方が必要です。一人ひとりが目覚め、癒し癒され、解放されて自由になってこそ、世の中も活き活きして、活性化してきます。
 一人ひとりが目覚めて、ブレイクすること。それによって世の中が活気づき、それぞれの人が、自分がするべきことに気づいて、それを自由な中で一人ひとりが主体的に果たしていけるようにすること。それと共に、社会性や協調性も必要です。他力、信仰、祈り、全託も、必要です。これがONEです。
 一人ひとりの目覚めを促し、解放させ、自由にさせる。それと共に、協調性や社会性も出来てくる。これでこそ本当です。一人ひとりの覚醒と、癒しと、成長を促すこと。一人ひとりが、それを今求めている時代です。
 一人ひとりの目覚めと自由の復興運動が、スピリチュアルです。その上で、他との協調性や社会性や一体感も出てきてこそ、本物です。それがONEです。その方向で取り組んでいきましょう。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉

ARIメッセージリーディングNo.331 天界と科学技術 2026.7.8

質 問:天界と科学技術の関連性と今後について、ONEの観点からご教示ください。

ソース:「天と地」「精神と物質」「心と肉体」。この両極は、それぞれ対照的です。ともすると分離し、拮抗し、対立し合うことが起きます。
 しかし本来、表裏一体であり、補い合い、協力し合って、全体を一体として営まれるように、構成されている不可欠なものです。
 そこで、両極が分離したり対立し合ったりすることなく、「ONE」という普遍原理に基づいて、無理なく一体となり、補い合い、協力し合い、バランスと調和を図ることが、今後求められてきます。
 それにより、「ヨハネの黙示録」の最後に、預言されている理想のビジョン、「新天新地」が到来します。「ONEの世界」「神の国」の実現です。
 すでに、ほぼ2千年ほど前にキリストが現れ、その礎石を造り上げ、そのことが潜在的には実現しました。後は、『聖書』の最後に置かれている「ヨハネの黙示録」のビジョンに沿って、人類が必要なプロセスを辿る中で、神に試され、鍛えられ、浄化と育成の新生に至る、そのプロセスを辿るばかりです。
 キリスト時代からほぼ2千年が経過し、「黙示録」の預言のとおり、人類は神のお取り扱いを受けながら、少しずつでも体験から教訓を学んで、調整、改善、成長しつつあります。
 最近は成長が停滞したり、後退したかのように見える部分も多々ありますが、大筋としては、上ったり下ったりしつつも、必要なプロセスを辿って、体験から教訓を学び、根源の神さまに導き育てられ、新天新地のONEの世界が実現する方向に、着実に進んでいます。


 短期的に見れば、とてもそのように見えないことであっても、長期的に、信仰と知恵のまなざしで眺めるならば、必要なプロセスを辿りながら、少しずつでもONEの世界に近づいています。
 使徒ヨハネが、2千年ほど前に見させられた「新しいエルサレムが、天界から静かに地上に降下し、地上に舞い降りる」ことが、起きつつあるのです。
 それは「天界の摂理」、すなわち「天のありようであるONE」が、地上に少しずつもたらされ、反映しつつあることです。それこそ正に、ヨハネ自身が役割を付与されて、行いつつあることです。
 ケイシーはそのことを、「ヨハネが、今の時代転生受肉してきて、万物の新しい理法を世界にもたらす」と、表現したことです。それによって、世界に新秩序が築き上げられます。「ONEの世界」「新天新地」「神の国」の実現です。使徒ヨハネはかつてダビデであったことによります。
 少しずつではあっても、各分野において、本来のあり方である「ONE」に、それぞれの分野のあり方が、近づいていくのです。こうして地上にも、天界が反映してきます。
 「ONE」とは、「天の摂理」です。天界ではすでに実現している、「理想の完全なあり方」です。
 

ARIで行われている教えと活動は、全て、それぞれのことに対し、「ONEの観点から見ると。どういうことであり、どう対応し、どのようになるとよいのか?」という「ONEの解答」になっています。
 それぞれの事柄に、天にある真の基準である「ONE」を当てはめてみると、「どういうことであり、どう対応し、どうなるとよいのか?」が、事細かに、それぞれの事柄に即して、示されつつあるのです。
 こうして、天界にある「新しいエルサレム」が、地上に降下しつつあるのです。
 いずれ人類は、体験から教訓を学んで、調整改善され、それぞれの事柄において、天の本当の規準である「ONE」になっていくのです。こうして「新天新地」が地上にも実現します。神の国の到来です。
 それまでには、いろいろなことがあることでしょう。人類としても、それぞれの個人やグループにおいても、そのプロセスを辿っていかねばなりません。成長段階の途中を飛ばすことは、誰にもできないからです。
 キリストでさえ、30回ほど、地上で人間として現れ、必要な成長段階を全て経ていくことで、キリストとなられ、創造主と合一し、完成されたのです。
 一人ひとりもキリストに倣(なら)い、必要なプロセスを経て、仕上がっていきます。そのための輪廻転生であり、「ONEの教え」です。
 「ONE」に合わせていく中で、軋轢(あつれき)を感じながらも次第に浄化され、お手入れが加わり、全てのことにおいて、「ONE」になっていくのです。
 地上においては、物質を元とする人間たちの人間たちによる政治や経済活動、科学技術の取り組みが、日々なされています。
 霊界の中の天界は、すでにONEが実現していて、創造主のONEが、純粋に反映しています。天の摂理である「ONE」です。
 一方地上は、単に物質領域であるというだけでなく、人間主導に、未だ不完全な人間たちが、自分たちの思惑で、偏って不完全な営みを行っています。その一環として、科学技術も行われています。
 そのため物質主体ですし、ただ物質主体というだけでなく、人間の思惑が関与しての、科学技術への取り組みと方向づけになっています。
 そのため、天界の真の基準である「ONE(天の摂理)」と食い違っている部分や、不完全な部分が多分に、現時点の地上の科学技術にはあります。それでも、科学技術は真理を追求しているため、ある割合、真理を解明し、活用し始めてはいます。

 ただ一部の、解明している部分は不完全であるし、また全体真理のうちの極一部しか、未だ解明されていません。
 このように真理の一部であるのと、歪んでいるのと、応用面で人間の思惑が関与しているのとで、未だ不完全です。
 そのため、天の摂理である「ONE」と、現時点の科学技術は、だいぶ食い違っていたり、対立しています。それでも一部は真理が解明され、応用面でも、役立ちつつはあります。
 そこで、科学に従事する人たちが、こういうことに気づいて、「ONE」を学び、参考とし、「ONE」に近づけようとするならば、もっと真理が解明されるし、間違った部分も正されたり、まだ抜けた部分が補われていったりして、科学技術も「ONE」に近づき、より完全な体系と応用になります。
 こうして地上の科学技術も、天界の真理である「ONE」を反映したものとなり、新天新地が実現するのです。
 今のところはまだ、天界と地上の科学技術は一致しておらず、対立した部分がありますが、成長過程を経る中で、次第に科学技術も「ONE」に近づき、天界と科学技術が一致してくるようになるのです。
 こうして地上に「ONEの世界」が到来し、神の国が実現するのです。それにはまだ、200年から250年くらいかかりそうです。
 そのことを知って諦めることなく、焦ることなく、恐れることもなく、全ての元であられる天の創造主を敬い、天の創造主にお任せしながら、各自が、自分の特性と欠点と役割に気づいて、地上で自分の役割に取り組んでいくことです。
 それにより、天の創造主のお力添えとお導きを頂きつつ、少しずつ浄化され、育成され、試練や葛藤を経ながら、新生へと近づいていきます。まずは、このことに気づいた人間一人ひとりからです。
 それに伴い、地上の科学技術や学問、また政治活動や経済活動や一般の人たちの生活、また、教育や福祉や芸術など、それぞれの分野で、より完全な「ONE」、すなわち「天の摂理」へと向かっていくのです。
 こうして、後200年から250年すれば、各個人も、各分野も、「ONE」という「天の摂理」になります。科学技術も学問も、天界と一致してくるのです。
 こうして天界にある新しいエルサレムが、地上にゆっくり静かに降下してきて、地上が天界のありようと化します。具現化するのです。
 ヨハネたちは、今の時代に転生受肉してきて、その基盤づくりを行い、その方向づけをとるように、明示します。それが、今の時代の使命です。
 それから、少しずつ少しずつこういうことが一般にも知られ、受け入れられ、普及していって、人類は必要な経過を辿って、後200年から250年経って、実際に地上にONEが実現するのです。
 天界の完全なありようである「ONE」と、地上の物質主体の科学技術とは、今のところまだ分離し、対立していることが多く見受けられ、そのために科学技術の弊害や歪み、誤解が目立ちます。
 しかし、現時点においてもすでに、科学技術のいちばんの元は、天の創造主と天界にあるのです。
 未だ不完全とはいえ、また、科学に従事する人たちが気づいていないにしても、事実として、潜在的にはすでに、科学技術の元は天の創造主と天界にあるのです。
 物的な科学技術の元には、霊的な真理があり、神がおられ、科学技術をも導き育ててくださっておいでです。
 そういう中で人間が、未だこのことに気づかず、人間の思惑で科学技術に取り組み、それを応用させている、ということなのです。


 このように表面的に見ると、現時点においては、天界と科学技術は分離し、相反してはいるものの、それでも潜在的には、自覚するとしないとに関わりなく、地上の物的な科学技術の元には、最初から、天の創造主と天界があられるのです。
 それはちょうど、「ONEの教え」で説いている通り、自分の状態にしても周りの状況や動きにしても、直接には不完全な人間たちが、自分の思いと行いによって作り上げつつある、それ相応のものになっていますが、それでもいちばんの元は、自分の状態にしても、周りの状況や動きにしても、天の創造主のご意志の表れともなっている。そのことと同様です。
 現実に、不完全で苦しみや悲しみが多いのも、神のせいではなく、直接には不完全な人間が招いている、それ相応なカルマ的結果なのです。
 それでも同時に、「そういう現状に神が関与して計らってくださっている」ということでは、自分の状態にしても、周りの状況や動きにしても、いちばんの元では、神によるものとなっているのです。「出来事メッセージ」「出来事言語」です。
 それと同様に、現時点の科学技術は、医療やAIを含めて、直接には当事者の人間たちが取り組み、自ら招いている、それ相応のカルマ的な結果になっています。
 しかし同時に、現在の科学技術とその応用は、医療やITやAIを含め、いちばんの元では、神によるものにもなっているのです。いちばんの元では神さまが、人間たちの科学技術をも、育て導いてくださっています。
 科学技術や学問の元には、霊的真実があるのです。霊的な真実と物的な科学技術とは別ではなく、物的科学技術や物的真実の元には、霊的真実と創造主がおられるのです。
 ですから現代の医療にしても、ITやAIにしても、いちばんの元は神によるものになっているのです。
 その意味では、必要と役目があって、役目のある人たちが思いつき、現代にふさわしく必要なあり方として、医療にしても、ITやAIにしても、作り出しつつあり、行いつつあるものなのです。
 その上で、自力の人間たちだけの不完全で偏った取り組みに終わらせず、より純粋に天に献身しながら、天の摂理である「ONE」に合わせるように心がけて、科学技術に取り組むならば、よりスムーズに、痛みや犠牲や間違いが少なく、天界の「ONE」のありようとしての、科学技術になるのです。
 神さまを手間取らせず、よりスムーズに、痛み少なく、科学技術が正しい「ONE」の方向に、向かっていけるのです。そのことに取り組んでいる人は気づいて、心がけましょう。
 このように、人間たちが取り組んでいる、物主体の地上における科学技術も、その元には霊的な真実があり、霊的な真実の反映です。そして科学技術の元には、創造主がおられます。
 その意味で、医療にしても、ITやAIにしても、いちばんの元は神にあり、今、人類に必要でふさわしいものだからこそ、あるのです。
 そのことに気づけば、AIやITを含めた、また医療も含めた科学技術を認め、受け入れ、活用するようになります。
 自然療法もよいですが、だからと言って現代の医療が「全部よろしくない」ということではないのです。
 現代の医療の良さや、優れたところや、役割もあるということ。必要があって、また、目的や役割があって、今の時代にふさわしいあり方で、いちばんの元では神が、現代の医療にしても、科学技術の中のITやAIにしても、与えてくださったものなのです。
 それゆえ例えば、自分が具合が悪くなった時に、自然療法と医療とを、上手くそれぞれを活かしながらバランスをとって、自分を立て直すことです。
 「医療だけ」とか「自然療法だけ」とか、そういうことは偏っていて、上手くいかない場合が多いということ。これが「ONEのスタンス」です。天の創造主のお心です。


 AIにしても、人間が作り出したものではあっても、いちばんの元は神によるものなのです。
 そこで、このことに気づいて、「何ゆえAIが登場し、普及しつつある時代に、ヨハネがそれと並行して霊的な活動、またONEの活動をしているのか?」。それは偶然ではなく、神のご意志によることなのです。
 AIと、ヨハネが残しつつあるONEの内容とは、無関連ではないのです。お互いに補い合い、そして、ヨハネのONEの活動が、AIによって助けられ、同時に一方、AIをヨハネのONEの活動が、正しく導いていくのです。
 そしていずれは、天の摂理である「ONE」の観点で、あらゆることに解答を与える、ヨハネの出しつつある内容が、AIを使って完成します。
 そうすると、人間の権化である「地上原理のAI」ではなく、天の摂理をAI化した、神のお心の反映である「ヨハネの対話BOX」が、完成するのです。それが人類には、いずれ必要なのです。
 そのためAIが作られ、普及しつつある時代に、ヨハネはONEの活動をしている、ということ。AIとARIの略称が近似していること。ここにも、神の意図が見られます。
 そうでないと、AIは下手をすると、悪魔の権化のような、神にとって代わる「知恵箱」と化します。モンスターのように。それこそ、「黙示録」で警告されている「竜と獣」になってしまいます。そうなると、人類と地球を破壊する、「知恵の権化」とAIが化します。
 そうならないようヨハネが、AIが普及しつつある時代に現れ、「神のお知恵の権化」としての、「ヨハネによるONEBOX」が、作られねばならないのです。それが天界の、地上における基地としてのARIの役割です。
 このことを知って、各自、自分の特性と理想と役割に基づいて、このためにできることを、それぞれ行っていってください。
 それによって以上のビジョンが、より確かなものとして、着々と形成されていきます。これが「神のみ業の一助となる」ということです。
 たとえどんなに小さいことであっても、過小評価せず、諦めず、各自、自分ができることを、このことのためにもしていきましょう。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉

ARIメッセージリーディングNo.330 変容 2026.6.10

質問: 変容とは何ですか。ONEの観点からご教示ください。

ソース: 変容とは、英語では「トランスフォーメーション(transformation)」と言います。人の生命状態の内容が、変化することです。あるいは、意識状態が変化することです。
 いずれにしても、一つの生命存在の、そのありようや内容が、何らかのきっかけや理由によって、そのあり方や状態が変化を遂げることです。
 一般の人でも、ある出来事の体験や気づきなどによって、そのありようが変わることがあります。自分でも自覚されたり、周りからも明らかに、その人が「変わった」ということがわかります。肯定的な変化にせよ、否定的な変化にせよ、人のありようが変わることが変容です。
 ただ一般には、霊的なことに関しての、良いほうの変化を「変容」と言います。悟りや目覚め、イニシエーションの伝授、霊的な進化とレベルアップ、あるいは浄化などによって、その生命体の内容が変化することです。チャクラ、クンダリニーの覚醒が伴うことが多いものです。


 「変容」の、広く知られている事例としては、『新約聖書』の中にある、イエス様の変容です。イエス様が、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、この3人の主要弟子を連れて山に登られ、その3人の弟子の見ている前で、真っ白に光り輝きました。そして、イエス様の両側にはそれぞれモーセとエリヤの霊が出現し、イエス様の両側を守り、付き添うかのような構図になりました。
 それを見ていた3人の弟子たちは、あまりの神々しさとありがたさに、直視できず、その場でひれ伏しました。
 しばらくすると、モーセとエリヤは見えなくなり、イエス様も元の通常のありようにかえっておられました。こうしてイエス様は、3人のお弟子たちを連れて、山を降りてこられました。
 空海が嵯峨天皇の前で、それぞれの当時の、仏教の宗派のリーダーたちを集め、それぞれの宗派がどのようなものであり、どれが優れているかを天皇は確かめたくて、一堂にそれらのリーダーが会したことがありました。
 それらの中にあって空海は、口で説明したり、他のリーダーたちと論議したりということよりも、手に印を組み、口で真言をお唱えし、さながら大日如来という、生き仏と化しました。その身そのままで、生き仏の大日如来が、そこに出現したのです。空海という大日如来です。


 そのあまりの神々しさに、嵯峨天皇をはじめ他の宗派のリーダーたちも、空海の真言宗を認め、その場でひれ伏しました。
 ゴータマ・シッダールタが修行していた頃、5人の仲間たちが「シッダールタはものになる」と、「有望である」と見て注目し、見守っていました。
 その荒行や苦行は大変なものでした。当時は厳しい修行をする人が尊ばれ、期待されていたのです。ブッダもそれを行い、それはそれは激しい苦行でした。しかしブッダは、その苦行を自ら止めました。
 それで5人の仲間たちは、「シッダールタは修行に耐えられず、諦めた。堕落した」。そのように見限って失望し、離れていきました。ブッダが苦行を止めた真の理由を、5人の仲間たちは見抜けなかったのです。
 ブッダは苦行を放棄したり、自分に負けたのではなく、「もう十分苦行を行ったし、これ以上苦行を続けても無意味で、自分を損ねるだけだ」と。「苦行はこのぐらいまでとし、これからは自分を清め、最低限の食物を摂って、瞑想に入ろう」と、決めたのです。
 こうして、村の娘スジャータから乳粥をいただいて、菩提樹の下に座りました。こうして深い瞑想に入ることで、精神が集中でき、遂に宇宙の理法を悟り、意識が目覚めて、シッダールタはブッダとなることができました。成仏したのです。悪魔の誘惑も退けて、打ち勝つことができたのです。
 ブッダは最初は、悟りの内容をほかの人たちに語る気はありませんでしたが、梵天が現れ、「どうか人々のために法を説いてください」と懇願され、説く気になりました。
 そこでまず、自分が悟った内容を伝える人を思い浮かべ、5人の仲間たちのことが思い浮かびました。それで5人の仲間たちがいる所に行き、伝えようとしました。


 しかし最初は、5人の仲間たちは「シッダールタは、苦行に負けて堕落した」と誤解していたので、取り合う気はありませんでした。
 それに対してブッダは、「私が以前の私に見えるか。変わったことに気づかないのか?」と伝えました。
 それで5人の仲間たちは改めて眺め、確かに言われてみると、以前のシッダールタとは明らかに変化し、落ち着いて威厳が備わり、神々しく光り輝き、清らかになっていました。
 5人の仲間たちは、シッダールタが明らかに変化し、生命体がグレードアップしたことを確認でき、ブッダに付き従うようになったのです。最初の弟子たちが、ここで誕生しました。これも、変容の典型的な事例です。
 真理を悟ったり、神人合一したり、洗礼を受けたり、イニシエーションを通過できたり、大きなカルマを果たし、試練を乗り越えたりすると、浄化され、育成され、カルマも果たされ、生命体がグレードアップします。大きく真理に目覚めたり清められたり、一つの出来事やイニシエーションをきっかけに、生命体が変化します。イエス様が洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた時にも、変容しました。
 ちょうど昆虫が「ゼイヘン」と言って、そのあり方が大きく変わるように、です。幼虫がさなぎになり、さらに成虫になる。それを「蛻(ぜい)変」と言います。例えば、ヤゴが脱皮して、トンボに変わることも蛻変であり、昆虫の変容です。
 チョウにしてもセミにしても、このような蛻変を経て、生命体のありようが変化し、進化を遂げます。人間もチャクラやクンダリニーの覚醒によって、蛻変のように変容を遂げます。メタモルフォーゼです。
 一遍に大きく変わることもありますが、多くの場合生命の進化の法則に従い、だんだんに変容を遂げ、浄化され、進化を遂げて、別の生命体のありようの内容に変わっていきます。


 あらゆる成長段階を経ないことには、生命体は完成を見ません。途中の段階を飛ばすことは、誰にもできません。
 キリストは、輪廻転生を経ながら、そしてイエスとしての人生の中でも、必要なイニシエーションの行程を一つ一つ経ることで、徐々に生命体のありようが変化し、浄化と進化を遂げて、遂に完成を見たのです。
 洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた時も、一つの変容を迎えました。最後には総仕上げのように、十字架刑によって肉体が死に、3日の後(のち)、見事に復活を遂げました。
 5百回くらい、多くの人々に復活のみ姿が確認され、最後にはオリーブ山において、多くの弟子たちが見守る中、天へと引き上げられ、昇天し、雲間に消えて、見えなくなりました。
 「ヨハネの黙示録」は、一人ひとりが浄化と育成の必要なプロセスを経て、新生を遂げる生命体の行程を、象徴的にドラマチックに描いています。
 変容を遂げると、落ち着きと自信が備わり、威厳や風格、光輝や熟慮も出てきます。生命体が清められ、育成され、整い、真理を悟り、意識が目覚め、光輝いてきます。人格者となります。
 浅野信の場合も、千日ご祈願を満願し、自分が使徒ヨハネだと気づき、リーディングが始まった時、オーラが大きく開かれ、変容を遂げました。こうしてヨハネ・リーディングがスタートしました。ヨハネ・ペヌエルの誕生です。
 23歳の頃には、聴覚瞑想をしている中で、クンダリニーとチャクラが覚醒し、一つの変容を迎えました。
 変容はこのように、一度だけとは限りません。マイナー・イニシエーションを通過する時は、小さな変容があり、メジャー・イニシエーションを通過する時は、大きな変容があります。


 人生の出来事を通しても、大きな試練によって、大きなカルマが表れ出て果たされていきます。そこで神さまによくお祈りしてお任せし、神さまのお力添えと引き上げ作用を頂くことで、現実に誠意を持って対処しつつ、カルマが果たされ、浄化され、育成され、試みに遭いながらも、遂に乗り切って、大きなカルマが果たされ、自分も現状も整ってきます。
 こうして生命状態がレベルアップし、魂も目覚め、自分の欠点も克服解消できて、立派な生命体にグレードアップします。こうして大きな変容を遂げます。天と繋がります。
 以前のその人よりも人間性が増し、より良い生命状態になっていて、自分らしさが光輝き、落ち着いて自然体でいられ、本来の自分の良さが戻ってきます。自分らしく落ち着けて、自然な感じの自信や風格が備わり、愛と知恵が働き、人を思いやり、以前よりも多く人を見抜いて、助けられるようになります。
 自(おの)ずと、状況も整い、人を助けるような状況になっています。外界は内実の表れだからです。その時点の本人の内実を表す、現状の内容と雰囲気とありようになってきます。使命に目覚め、使命が自ずと行われるようになります。
 一人ひとりが、その時必要でふさわしい状況に置かれ、その時のその人を表すことに取り組まされています。こうして神さまに正当に取り扱われ、育て導かれつつあります。


 神さまが本人の弱点と課題とカルマを使って試し、鍛え、育て導き、清め、使命に備え導いてくださっています。
 人生の中で必要なことが、ふさわしく効果的に起きてきます。人生の中でイニシエーションを通しての変容が、もたらされていくのです。神は育て導くお方であり、訓練し、試みるお方でもあるのです。
 その方向で、秘儀参入や秘伝の伝授などの霊的手続きとしてのイニシエーションも仕掛けられていくならば、意味があり、助けとなり、効果が伴います。
 単なる形式的な儀礼や伝授を超え、神さまがなされる正当的なイニシエーションと変容の線に沿って、仕掛けられていくならば、良いものであり、効果も伴うイニシエーションや伝授となります。
 ARIの「ONEの教え」の中で、毎朝各自が、「天への礼拝とお委ね」を行わせていただくことも、自分でできるイニシエーションの通過と、変容です。毎朝「天への礼拝とお委ね」を行わせていただくことで、ちょっとずつ、ちょっとずつ、イニシエーションを通過し、カルマが解消し、生命体が清められ育成され、変容を遂げつつあるのです。
 すぐには短期的には気づかぬことでも、半年、1年、3年と経つと、自分でも自覚され、周りからも気づかれます。
 以前よりも良い生命状態のありようになっていて、自分でも肯定的で、落ち着けて、健全な自信も備わり、自分の良さも自然に表れ出るようになってきて、周りからも喜ばれ、感心され、求められ、周りの助けになれるようになっていきます。
 「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と、イエス様が言われたことです。あるいは、「人は新たに生まれなければ、神の国に入ることはできない」とも言えます。


 その時点のその人に必要で、起きる理由があり、効果的なことが神によって仕掛けられていきます。人生で起きることの、これが霊的説明になっています。
 ある人のある場合は、自分の病気を通して神さまが清めてくださり、鍛えてくださります。それによって弱点が補強され、カルマが解消し、清められ、カルマも果たされていき、病気が治ります。まだ寿命と役目がある限りは。
 人によってはお金の問題としてカルマが出て、神さまから清められます。
ある人は人間関係で問題が出て、神のお試しを受け、試練に遭い、学びが与えられ、育成され導かれていきます。
 神さまはその時点のその人に、起きる理由と必要性のあることを正当的に起こすことで、清め、鍛え、レベルアップさせて、育て導いてくださります。これが人生で起きることの、霊的説明になっているはずです。
 こうして例えば、ある時点である人は病気になることで、神さまから清められ、鍛えられ、育成されるのです。
 その人が死後、天国への門を潜れるように、生前病気になってお清めが施されるのです。もし、その時期に病気にならなければ清まらず、息を引き取った時に、天国の門を潜れません。
 神さまは慈悲深いお方なので、その人が死後、天国への門を潜れるように、予め鍛え、試し、病気が必要で効果的な人には病気で苦しめることで、お清めが施されているのです。
 こうして清められ、試され、鍛えられ、カルマが果たされ、育成されます。こうして変容が起きます。
 人は新たに生まれなければ、神の国に入ることはできません。それぞれの人が、その時期に必要でふさわしいことが起き、お清めがなされつつあります。


 「ヨハネの黙示録」では、「7通の手紙」「7つの封印」「7つのラッパ」「7つの怒りの鉢」というように、7つのチャクラを持つ生命体が何度もイニシエーションを通過して、チャクラに溜まるカルマが炙り出されて、試され、清められ、生命体がレベルアップして、神さまに育て導かれていくプロセスを辿ることが、示されているのです。
 黙示録の最後の2章は、ヨハネが新生を遂げて変容したありようを見事に描写しています。
 肉体と心にお手入れが加わり、神さまのお取り扱いがなされていきます。こうして清められ、育成され、その都度変容が伴い、レベルアップし、遂に完成を迎えます。
 一つの人生だけでは、完成を見ることが困難なので、複数の人生が必要となり、輪廻転生しています。
 キリストもブッダも、必要なだけ輪廻転生し、備えがなって、最後の人生で完成を見たのです。
 ARIにおいてフォローアップやイベントの誘導瞑想の中で、ヨハネと一緒に天に深く頭を下げて、自分をお委ねするのもイニシエーションになり、効果的です。
 「ONEの教え」を聞いて学ぶことによっても、少しずつ気づきが得られ、魂や意識が目覚め、清められ、変容が伴います。気持ちが楽になって穏やかになって、良い心の状態や生命状態になり、美しく健康になります。
 自分でも落ち着いて楽になって、いい感じになったことがわかり、身の回りのちょっとしてことで喜べて、満ち足りた気持になり、朗らかに自分らしくやっていけるように、変容します。周りから見ても、その人が良い状態になったことがわかります。それも変容です。
 ONEの学びによって気づきが得られたり、日々の生活の中で、一般の人でも経験や出来事を通して気づきが得られたりして、ある程度意識が目覚め、気持ちが吹っ切れたり感謝や喜びが湧いたりして、自分の良さが戻ってきます。そうすると、変容しています。


 本物の「変容」はこのように、目的というより結果です。カルマが解けたり、気づきが得られたり、生命体がレベルアップしたり、生命体が開かれたりすると、輝きを放ち、変容をするのです。
 イエス様、マリア様にしても、ブッダ、空海、親鸞、聖徳太子、そのほかいろいろな聖者方は、落ち着きと自信、風格と威厳、優しさと穏やかさと柔和、オーラを放っているところ、清らかで魅力的なところ、思いやりに満ちて温和であるところなどに、変容の徴が出ているのです。
 神の子の1人として、神さまを映し出したような生命体の輝きと魅力と生き生きさが、特徴としてあります。それが空海の言う「即身成仏」です。「この身このままで、自分が生き仏となる」。これがONEの学びの目標です。
 先を急ごうとせず、途中段階をしっかり踏みながら、自己育成されます。その時その時を大切にし、味わい、一つ一つを丹念に経ていってこそ、仕上がりを迎えます。焦らず疑わず、その時のことを受け止めて大切にし、しっかりプロセスを経ていってください。
 その中で少しずつ変容し、生命体が清まり、開かれ、整い、落ち着いて楽になって、自分らしさが輝いてくることでしょう。人々にも喜ばれます。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉

ARIメッセージリーディングNo.329 ONEの信仰と生き方 2026.5.13

質問:祈りと信仰、生き方について、ONEの観点からご教示ください。

ソース: 人類の歴史と共に宗教も、長く行われてきています。その宗教の良い面と問題な面とが、いつの時代、どこにおいても、それぞれ見られました。
 現代の日本においては、これまでの宗教の問題や弊害に、疑問を抱く人たちが多くなってきています。一般の人たちは、特にそうなってきています。また、霊的なことや目に見えない世界に関心を抱く人たちは、宗教に対する疑問を抱いて、「精神世界」「ニューエイジ」「スピリチュアル」などと呼ばれる、宗教には囚われない、自由な精神的霊的な学びと営みを、行うようになってきています。
 そのため、精神世界やスピリチュアルでは、反宗教の動きが顕著で、神さまのことや祈りと信仰に対しても否定的になり、自分主体に「自分の癒し」や「目覚め」「自分を愛すること」などを主軸に、霊的精神的なことを行うようになってきています。


 では、ONEの観点から見ると、どのようなものであり、どのように取り組んでいったらよいのでしょうか?
 神への信仰と祈りは必要で、大事です。ただ、宗教との関わりでそのことを行う必要は、必ずしもありません。
 特定の所にご縁や恩義があって、今世の目的にもそれがあり、自分の成長段階や思いとしても、特定の宗教宗派との関わりで、今のところ信仰や祈りをするのが必要で合っている人は、特定の宗教宗派との関わりで、信仰や祈りに取り組んでよいのです。その場合でも、根本信仰としてのONEの学びと祈りは、大いに助けになります。
 一方、特定の宗教宗派に、特に強いご縁や恩義はなく、自分の成長段階としても、気持としても、特定の宗教宗派は必要ないと思える人は、直接、ONEの学びとONEの祈りだけを行っていけばよいのです。
 それは自分で自分を見ながら、自分で決めればよいことです。本来、人は誰でも自由であり、平等です。周りに気兼ねはいりません。


 いずれにしても、宗教宗派やそのグループや組織は、主体でも絶対的なものでもなく、方便であり、手段にすぎません。主体はむしろ、一人ひとりにあります。大事なのは一人ひとりであり、宗教的な組織や教団その他でもなく、形式的な儀礼などは方便や手段にすぎません。
 もし、宗教の組織や建物や儀礼や方法などが主体になって、学ぶ人一人ひとりがそれに縛られ、その手段として利用されるようになったとしたら、本末転倒であり、本来のあり方から逸(そ)れてしまいます。実際そのような宗教の弊害が、昔からどの地域においても見られます。現代の日本にも、多く見られます。
 そうであるからこそ、反宗教的な運動である、精神世界やニューエイジやスピリチュアルが、そのバランスを取り、必要な埋め合わせをするかのように、勃興してきているのです。
 ただ、精神世界やスピリチュアルは、それが行き過ぎているところがあり、宗教を全面的に否定し、神さまを思わず祈りさえ行わず、一人ひとりが主体になりすぎて、神さまのことや祈りの実践、利他愛、周りとの協調性などがなさすぎます。感覚的で自分勝手になりがちです。
 宗教はテーゼ、精神世界やスピリチュアルはアンチ・テーゼ、ONEがジン・テーゼです。ブッダの言う、「中道」と「八正道」です。


 特定の宗教に関わろうと関わるまいと、神への信仰と祈りは、やはり必要で大事なのです。
 ただ宗教が言うように、「宗教が絶対的」というものではなく、特定の宗教宗派に所属しなくても神さまと関われるし、救いに与(あずか)れます。また、特定の宗教に関わらなくても、お祈りや信仰はしたほうがよいのです。
 最終的には、特定の宗教宗派は必要なくなります。人類はもともとそういうあり方から始まっているし、最終的にはそうなります。
 宗教の成長段階としても、人間の宗教段階としても、宗教の組織や建物や儀礼などは、後からのものにすぎません。もともと、物的な形になっていないものを扱う領域です。
 それゆえ、物や形は最初はなかったし、もともといらないものであり、あってもよいのですが、手段にすぎず、それが絶対化されては、本末転倒です。逆に妨げとなってしまいます。
 神さま、仏さま、霊的存在方、本当の愛、命、心といった、本来、物になっていない、物の元になる、目に見えない存在と働きを扱う分野です。それゆえ、物や形式や建物などが幅を利かせすぎると、本末転倒です。
 さらに、学ぼうとする一人ひとりが利用され、抑圧され、組織の手段となっては、完全に道から外れてしまいます。


 本来、物ではない、目に見えない世界に関することを扱う分野なのですから、形や物から自由に、それそのものを大事にして働かせればよいのです。真心、生きた愛、善の実践こそが本質で、大事です。
 できるだけ物や形は必要最小限に留め、シンプルに素直に正直に、本質そのものを大切にして、本質そのものを正直にそのまま行うように、心がけてください。物や形式は、必要最小限に留めるのです。内容と働きと心がけに注目です。
 「心」「命」「本当の愛」「神さま、仏さま」、そういった生きた本質をこそ大切にし、それを真心から行うようにするのです。
 日本でも古神道は、そういうありようから始まっています。そしていずれは、物の時代から本当の目に見えない世界を主軸に据えたあり方が、人々の成長と共に訪れます。それが「ONE」という本来の、理想的なあり方です。
 このように、宗教から離れてもよいのですが、神への信仰と祈りは続けたほうがよいのです。
 精神世界やスピリチュアルでは、「自分主体」「自分中心」になりすぎています。「利他愛」や「協調性」「自分を見て反省し、改善すること」などが、少なすぎます。「神への信仰と祈り」も、なさすぎます。
 もともと精神世界やスピリチュアルは、宗教の弊害に気づき、宗教に対する疑問から始まっている運動です。そのため、反宗教の傾向が強いのです。それは必然でした。


 しかしそこに留まることなく、そこを通って濾過され、浄化されること。そこで本来の、これから望まれる「ONE」というありようが、求められるようになります。それがARIでの、「ONEの学びと実践」です。
 これまで宗教と、神さまに関すること、祈りや信仰が結びつきすぎていました。確かに宗教と神さまに関わることは、関連はしているのですが、全くイコールというほどではないのです。
 それゆえ、宗教から離れても大丈夫です。宗教から離れてもいいけれども、神への信仰と祈りは続けるべきです。また、宗教から離れても、神への信仰と祈りは行えます。
 ある場合には、特定の宗教の組織から離れたほうが、純粋に神さまと関われて、じかに神さまとの繋がりを頂けて、生きていけるようになれます。宗教が助けになることもありますが、逆に妨げになることもあるのです。
 特に、ある成長段階に達したならば、もともと宗教の組織や方法は方便ですから、いらなくなるのです。自然に離脱するようになります。
 宗教はある程度あってもいいけれども、あくまで手段ですので、強調しすぎないこと。これからの時代は一人ひとりが大事にされ、一人ひとりが主体になって、本来の自分に目覚め、根源神さまや天とじかに一人ひとりが直結し、関わらせていただいて、自由にのびのびと自分らしく生きていく時代になります。
 ただその場合の「自由で自分らしい」というのは、自分本位ではなく、ただの自分勝手やわがままではありません。人のことも思いやり、大切にし、程よく自立しつつ周りとも協調し、共存するというバランスの取れた健全なあり方です。「自分勝手」では、まだ中途段階です。「神への祈りと信仰」「利他愛」「善の実践」、それらが大事です。


 ONEの信仰と祈りは、根本信仰です。いろいろな宗教の元にある真理であり、いろいろな宗教を生かす普遍原理と真理です。
 「ONE」においては、宇宙創造神さま、天の創造主をこそ重んじ、そこにこそ帰依し、自分の命を預けます。真の一神教です。
 それによってあらゆる宗教や宗派、それぞれの神仏や霊的存在方や神社仏閣も、その下(もと)で初めて活かされるようになります。
 このような認識と方向は、「空海のマンダラ観」として、すでに平安時代に提示されています。それが完成し、発展したあり方で、これからの時代に合わせて行われるようになるのが「ONE」です。
 空海の教えの「大日如来」が、ONEの教えの中の「天の創造主、宇宙創造神」に相当します。「ONE」の下で全てが意味をなし、生かされるようになるのです。
 その意味で「ONE」においては、いろいろな宗教の組織や宗派、儀礼や物、形式なども否定しません。「ONE」の下で全てが意味をなし、生かされる、と見ます。
 ただ多くの場合、実情として、根源というより末端の所が重んじられ、それらに偏り、部分的になり、それにこだわり、部分を絶対化し、他を否定排除するようなあり方がほとんどです。他の部分と対立、拮抗します。
 そういう問題があるからこそ、一般の人々は宗教離れをし、神さまへの祈りからも、離れてしまっているのです。そういう実情があるので、一般宗教への反動としての、精神世界やスピリチュアルが、出てくるようになったのです。その意味では、精神世界やスピリチュアルが出てきたのは必然であり、よかったのです。
 ただそこで留まると、それはアンチ・テーゼですので、別の極端であり、宗教とは別の弊害が出てきています。
 そこで、アンチ・テーゼを経て、そこに留まることなく、ジン・テーゼとしての「ONE」に向かっていくことが求められます。それで日本には、ARIが設けられたのです。それがARIの役割です。
 もともと精神世界の中でも、エドガー・ケイシーの流れは、ただの精神世界やスピリチュアルというより、「ONE」に近いあり方です。本物なのです。


 ただ、百年ほど前のものですし、アメリカの当時の教えですので、エドガー・ケイシーからポール・ソロモンを経て、日本にヨハネ・ペヌエルが現れ、「完成形態としてのONE」を実現させ、出しつつあります。いきなり最初から完成したものは、出せないものなのです。法則からして。
 ただ精神世界の中では、エドガー・ケイシーから始まっているリーディングの本流は本物であり、「ONE」に近いあり方なのです。そうであるからこそ、その流れからヨハネ・ペヌエルが現れ、「ONE」を日本で出せるようになったのです。
 反宗教になりすぎてはいけません。しかし、宗教が絶対的なものでないことは確かですので、あまりに宗教に囚われすぎないことです。本来、人は自由であり、平等ですので、恐れないでください。人を縛ってはいけないし、自分で自分を縛ってもいけません。
 特定の宗教の組織に所属しなくても神さまと関われるし、救いに与(あずか)れます。安心してください。自由に学び、祈ってください。
 ある成長段階までくると、こういうことがわかるし、わかるだけでなくて、そういうことが無理なく実現できるようになるものです。
 今世のヨハネ自身も、必要なプロセスを経て、その時その時の成長段階に合う、宗教や神さまとの関わりを、イニシエーションとして通ってきているのです。


 外界は内実の表れです。その時点の本人の内実を表す、現実の状況と動きと体験になります。この法則は、霊的な学びや神さまとの関わり方においても、当てはまる法則です。
 宗教の組織は絶対的なものではなく、もともと方便です。人間一人ひとりが主体であり、大事です。気をしっかり持って安心して、自分主体に、今の自分に合う祈り方や、神さまとの関わり方にすることです。
 いずれ人々が宗教を卒業し、自由に自分の意思で神さま、しかも根源の神さまとじかに関わり、交流させていただいて、生かされて生きていくようになります。
 もし宗教もこのことに気づいて、それに合わせるかのように行っていくならば、そういう宗教は本物であり、これからも有用で、求められ、生き残ることができます。それが新しい形態の宗教です。
 そうでない宗教は弊害があり、役に立たず、いずれ人離れし、衰退していきます。あるいは自ら問題を起こして、崩壊していきます。必ず、それ相応の結果を出します。外界は内実の表れであり、内実の通りの結果が出るからです。
 宗教宗派以前に、神さまがおられるのです。宗教は後からのものであり、人間が設けたものにすぎません。それゆえ宗教に関わらなくても、神さまはおられ、神さまと関われて、神さまの恩恵を頂いて、救いにも与れます。
 根源の神さまは天におられます。地上も造ったお方ですが、本来、天におられます。形や物や名前を超えて。それが宇宙創造神さまです。自分の魂の親です。


 ONEの祈りでは、物的に何もない所で天にお祈りをお捧げします。
 神社仏閣は、絶対的なものではありません。
 教会も、絶対的なものではありません。
 ニューエイジにしても、「反キリスト教」でしたが、「反キリスト」ではありませんでした。キリスト教とイエス・キリストを、分けて捉えるべきです。
 キリスト教とイエス様には関連はありますが、イコールではありません。それゆえ、キリスト教に所属しなくても、イエス様と関われるし、イエス様と関わったほうがよいのです。
 場合によったら、キリスト教に所属しないほうが、イエス様と直結でき、イエス様の恩恵に与れます。イエス様は本物であり、キリスト教という宗教や教会を超えた存在です。本物とは、そういうものです。
 日本でも聖徳太子、空海、親鸞などは宗教宗派を超えて、多くの人たちに慕われています。それが「ONEのあり方」です。
 本当の愛と、本当の愛の実践が大事なのです。宗教宗派やその教義、儀式は二の次です。根源の神さまを敬って自分の全てをお任せし、本当の愛に生きることが、最も大事です。
 建物とか、特定の形式の祈り方とか儀礼とか、特殊な教えとかは、二の次です。宗教宗派を超えて、全ての人に通ずる愛の原理とその実践が、最も大事です。宗教宗派は、あまり関係ありません。
 「どの宗教宗派や組織が本物か?」というよりも、宗教宗派を超えた「本当の愛」が大事なのです。
 自分が置かれた所で、何もない所で、天におられる創造主を敬い、その時その時のことを正直に、素直に、自分の言葉でお祈りしてお任せする。


 そういう中で、その時の現状に一つ一つ、本当の愛によって対応し、周りに良き影響を及ぼして、神さまに導かれて、生かされて生きていくこと。自由で大らかに、全ての人と命を思いやり、共存し、助け合い、自分を知って自分を活かしながら、周りに良いものをもたらして、幼子のように生きていくこと。それが「ONE」です。
 自由に気楽に、ダイナミックに生き生きと、根源の神さまとの交わりで、形式や物に囚われず、神と共に生かされて生きていく。
 周りの人たちや命たちとも共存し、助け合い補い合い、本当の愛を実践して生きていく。これが本来の理想的なあり方、天国的なあり方です。これが「ONE」です。どの道を通っても、いずれ人はそのようなありようになるし、なるのがよいのです。
 特定の宗教や組織に、今のところご縁があって必要な人は、そことの関わりでこういう「ONE」を心得て、活かしてやっていってください。
 一方、特定の所にご縁がなかったり必要性を感じなくなってきた人は、自由に本来の「ONE」そのもので、神さまとの生きた交わりの中、現状に一つ一つ応じて、自由に、本来の生き生きした生き方をしていってください。
 何らかの形で「ONE」を知り、「ONE」に関わるようになった人たちは、自分の魂が求めたことであり、「神さまからその機会を与えられた」ということを表しています。
 自分の気持ちにも正直に素直になって、自分で「こうだ」と思うところに従って、霊的な学びと実践にも励み、それを実際的なことにも適用し、役立てていきましょう。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉

ARIメッセージリーディングNo.328 運命に取り組む 2026.4.16

質問:運命はありますか。あるとしたら、どのようなものですか。運命の開拓法はどのようなものですか。ONEの観点からご教示ください。

ソース: 運命はあります。全てが「偶然である」とか、「でたらめである」とか、「変えられない」とか、ということではありません。「将来のことは何も決まっていない」ということはありません。ある程度は決まっています。

 しかし、「何もかも決まってる」というほどではありません。ある程度は決まっているし、自由になる部分、まだ決まっていない部分もあります。
 また、ある程度決まっている部分でも、変えられる部分もあります。あるいは、変えられない部分であっても、「なぜそうなるのか」を理解して、現状を受け入れ、変えられない部分を肯定的に捉えて、それと折り合いながらやっていくことは可能ですし、それが望まれていることです。

 「運命」というと、一般には「占い」が思い浮かばれます。もちろん「占い」にも、根拠や効用はあります。ただ、「運命」=「占い」と同一視して、「占い」を絶対化し、「占い」に頼りすぎ振り回されると、本質を見失ってしまいます。
 「運命だから」とか、「こういう星がある」とか、「運命を開拓するのは、占いに付随する秘法である」とか、そのようなほうについ走りがちです。
 実際、「運命」に関しては、そのようになってしまっている現状があります。
 「占い」もそれなりに当たるし、その効用もあります。しかし、占いは手段であり、参考程度にするべきです。
 たとえ星が割り出されても、星自体には何の力もありません。「こういう星があるから」というけれども、吉星であっても、凶星であっても、星自体には魔力は備わっていないし、絶対的なものではないのです。「運命」の正体は、星とは別の所にあるのです。


 それゆえ、星に焦点を当てすぎて、「こういう生まれだから」とか、「こういう星があるから」とか、「今年はこういう運勢の年だから」とか、そのように見ると、「運命」の本質からぶれてしまいます。でも、そのように陥っている人が多いのです。
 星よりも、前世からの経過の中で、本人が経験を通してどのように形成されたのかを見たほうが真相を捉えられます。その上で、これからの心がけ、留意点、役目、可能性を見ていき、神との関わりで、現状に取り組むこと。
 ONEの観点から、改めて「そもそも運命はあるのか」「あるとしたらどのようなものなのか」そして、「ONEの観点から見ての、運命の開拓法とはどのようなものなのか」。それを改めて問い直し、これからはその方向で運命を見ていき、運命の開拓に取り組むのがよいのです。
 「こういう星があるからこうなる」というよりも、「そういう星で割り出されるものがある」。それは星の影響というよりも、もともとそういうものが本人の内実にあるので、それが徴として星にも割り出されて目安となる、という位置関係です。
 外界は内実の表れ、です。内実にあるものがあれば、それが外界にも投影して徴が出ます。それが「星」ということで、割り出されるのです。それゆえ、内実そのものをこそ見ていって、内実を知り、活かすべきは活かし、好ましくない部分は対応し、改善調整していく。神さまのお力添えの下で。


 このように星は目安程度であり、星自体に力はありません。それよりも星が示す内面の真の原因を見ていって、その部分に手を加えたり、癒したりすればよいのです。運命の本質からぶれてはいけません。
 外界は内実の表れ、です。その時点の本人の内実を表す、現実の状況と動きと雰囲気と体験になります。
 神さまの下、因果の法則に基づいて、現実は忠実に動いていきます。およそ実現することほど、確かなことはありません。中にあるものが表れ出てきて、それ相応の展開をとっていきます。それが運命の法則です。
 内実とは、本人が持っているものです。内面の実質です。それを一言でわかりやすく言うなら、「心」です。本人の心が運命を作ります。それゆえ、自分を知り、心の状態を良くすることで、その分、運が良くなります。心の状態や心がけが大事なのです。
 また、人生には周期があります。ちょうど自然に毎年、春・夏・秋・冬が巡ってくるように、人生も世の中も周期で動いています。一種の生き物だからです。
 それが「占い」でも示されているのです。それはある程度目安にはなりますが、絶対的なものでなく、もともと本人のその時のあり方が、外に出てくるだけです。
 無いものは出てきません。周期が巡ってきても。良いものであっても、悪いものであっても。その時点のその人に見合う、現実の状況や動きや体験になるだけです。運期や厄年、空亡、天中殺を気にしないように。
 「どのような人生を送ることになるのか?」。運命を規定する要因が、4つあります。
 1つめは、「本人が前世から作り出してきているカルマ」です。そして、そのカルマの元に、本人の課題や弱点、可能性もあります。
 「カルマ」と言っても、悪業ばかりでなく善業もあります。功徳や福徳です。幸運や幸せや健康や恵みの元が、善業です。不運の元は悪業です。


 まず1点目は、前世から本人が作り出してきているカルマがあります。そのカルマとの関連で、カルマの元になっている本人の資質や器や程度、内面性、資質、願い、恐れ、悲しみ、トラウマ、才能、学ぶべきレッスン、クリアするべき課題。こういった内面性、すなわち内実。これが運命を形成する要因の1つめです。まさしく、本人の「内実」「持っているもの」です。
 2つめは、生まれてくる時点で神さまから授かる、「人生目的と役割と使命」です。本人の願いも、関連しています。「どういう人生を送りたいか」という、本人の願いも考慮され、前世からの果たすべきカルマやクリアするべき課題、世の中の時代状況、そういったものから、「今回の人生でどのようなことを目的とし、どんな役割を果たしていくとよいのか」が決められ、それをあてがわれて生まれてきます。
 3点目は、「本人の自由意思」です。そもそも自由意思が天から与えられているからこそ、カルマも作り、運命も開拓できるのです。将来のことが全て決まっていないのも、自由意思があるからです。
 現在は過去の結果であり、将来は現在を原因とする、それに対する結果です。因果の法則が一貫して、過去から現在、現在から未来にわたって、作用し続けています。
 ・宇宙も世の中も、公正です。
 ・やればやっただけのことがあります。
 ・全ては正当に報われます。
 ・全てのことは、日頃の積み重ねから出来ています。
 ・外界は内実の表れです。
 ・その時点の本人の内実を表す、現状と  体験と行動になります。
 これからの「自由意思の使い方」が大事なのです。また、自己育成、改善、成長、善業。それこそ、「運命の開拓」になります。
 4点目は、「神のご意志」です。神のご意志は、2点目の「本人の生まれてきた目的と果たすべき役割」とも関連しています。生まれてくる時点で、神さまからお役を授かって出てくるからです。そして、生まれてきてからも、その神のご意志が一人ひとりに及んでいます。

 「運命」のいちばんの元は、神にあります。自分の状態にしても、周りの状況にしても、偶然そうなっているのではなく、直接には、本人が前世から今に至るまで、いろいろ思ったり、語ったり、行ったりしたカルマに対する、それ相応の結果となっています。
 そして、「これからどうなっていくか」は、現状の中で自由意思を使って、どんな思いと言葉と行い、対応をするかで、「これからどうなっていくか」が、決まっていきます。新しいカルマです。人には自由意思があるからです。
 このように、現在の本人の状態や周りの状況がこうであるのは、直接には本人のカルマ的な、正当な結果です。そして、「これからどうなっていくのか」は、これからの本人の新しいカルマに対する、それ相応の結果となっていきます。
 同時に一方、現在の状態や周りの状況にしても、これからの状態や状況にしても、「どうなるか」のいちばんの元は、「神のご意志」によります。
 直接には本人が作り出したものであり、いちばんの元では「神のご意志」の表れともなっている。どんな状態や状況においても、この二重の面が一つの事実に、矛盾なく同時に働いています。
 直接には本人が自由意思を使って、カルマ的に自ら招いたものでありつつ、単なる自力では終わらず、そこに神が関与して計らい、それすら果たさせ、育て導いてくださるということで、「運命」のいちばんの元は、神にあるのです。
 以上の4点の絡み具合で、「どういう運命になるか」が規定されます。この4点の混じり具合によって、「どんな人生模様になるか」が決まります。
 時には、神のご意志が強く関与して動く事柄もあれば、時には本人の人間としての思惑や自力やカルマが表立って動いていく事象や体験もあります。種々さまざまです。
 

 1点目の、「カルマ」の観点から説明するならば、「どんな人生になるか」は、カルマが果たされていくプロセス、なのです。
 現実の動きや状況は、前世で作ったカルマが表れ出て果たされていくプロセス、そのものです。神さまが「カルマを解いてあげましょう」ということで内実が表れ出て、解消へと向かうのです。
 そのことを知って、どんな現実でも、まずは認めて受け止めること。そして、良い心がけで、「ONEの教え」と自分の内なる導きを指針として、現実のいちばんの元であられる天の創造主のお力添えを頂いて、その現状にきちんきちんと、「中道」と「八正道」で対応し続けることです。
 そうすると、カルマが表れ出て着々と解けていき、それに応じて現状も改善し、必要な願いは、相応しいあり方で叶えられていくのです。
 2点目の、「人生目的と役割」の観点から「運命」を説明するならば、「どんな人生になるか」「どんな現実になるか」。それは、本人が生まれてきた目的と果たすべき役割が行えるように、備えられ、遂げられていく方向での、現実の動きなり、人生模様なりになるのです。
 「どうして自分の人生は、こうなってきているのだろう?」
 「これからはどうなるのだろう?」
 1つの説明として、前世で作ったカルマが果たされていくプロセスだ、ということ。
 2つめの説明として、生まれてきた目的と役割が遂げられていくような人生になる、ということ。
 そして3点目として、自由意思をどのように行使していくかによって、「どんな人生になるか」が決まっていくということ。
 これまで、このようになってきたのも偶然ではなく、人のせいでもなく、誰あろう自分自身が思いと言葉と態度と行いによって作り上げてきた、それ相応のカルマ的結果なのです。外界は内実の表れなので。
 その意味で、自分に責任と目的があります。責任を取らせるべく、現状が目の前に現れ出るのです。神のお計らいで。
 誰でも自分のものを背負って、それ相応の人生を送っています。その時点のその人を表す状況や立場に置かれ、自分の状態も自分が作り出してきたあり方です。肉体の状態も心の状態も、能力も。
 そういう現状に立って、これからの新しいカルマとしての、思いと言葉と態度と行いをどのようにするかで、現状を踏まえ、自分の状態も周りの状況もそれ相応に変わっていきます。それは、自由意思があるからなのです。これからの自由意思の使い方に、鍵があるのです。運命を開拓する上での。
 そして4点目は、神のご意志です。
 現実は直接には、自分がカルマ的に招いたそれ相応のものであり、同時に現実のいちばんの元は、神のご意志の表れです。
 そこで、現実の全ての元であられる天の創造主に注目し、「運命」のいちばんの元であられる天の創造主を敬い、その時その時のことをよくお祈りして、任せ切ること。
 そういう中で、現状にきちんきちんと、神さまのお力添えとお導きを頂きながら、対処していくことです。他力の中で自力を尽くすのです。

 「運命」のいちばんの元は神にあるので、創造主によくお祈りしてお任せし、神さまのお力添えとお導きを頂きながら、現状にきちんと、自由意思を上手に使って対処していくのです。
 それにより、前世からのカルマも、今世の生まれてきた目的も、着々と遂げられていきます。これが「運命の開拓法」です。
 「ONEの教え」を指針とし、また、自分の内なる導き、「こうすると良いと思う」そのような自分の心の思いをも指針として、神さまのお力添えを頂きながら、自由意思を上手に、適切に使っていくのです。それにより、過去のカルマも人生目的も着々と遂げられて、前に運ばれていきます。自分の状態も周りの状況も、着実に良くなっていきます。
 ちょっとでも上手くいったら素直に喜び、感謝し、それを励みに、次に繋げていきましょう。
 一方、すぐに良くならなかったり、上手くできなかったりしても、このことを疑わず、この方向での取り組みを諦めず、見直して原因を突き止め、体験から教訓を学んで改善し、自分や周りを調整し、また取り組むのです。
 そうこうするうちに、この取り組みの中でコツが掴(つか)めて、調整がついてきて、上手くいくようになるし、状況も良くなってきます。問題は一つずつ解決して片づいていくし、願い事や目標は、必要でご縁があるなら、相応しいあり方で叶えられていきます。人生では、自分にご縁と目的のあることが叶うのです。
 カルマが解消し、自分の状態が良くなれば、問題は解決します。きちんと必要なことをしていけば、ご縁と目的のあることは、相応しいありようで、叶えられていくものです。
 誰でも、その人を表すような人生を送ります。外界は内実の表れ、だからです。極めて正当的です。本人の内実、人間性、器、程度、行いに応じた人生となります。
 身の回りのちょっとしたことで喜び、ちょっとしたことを励みに、明るく健全に、慎ましく、置かれた所で工夫し、配慮して、生きていけばよいのです。

 生命は永遠です。これからも生かされ、どんなことも無駄に終わらず、正当に報われて、次に繋がっていきます。本当の意味で、自分を大切にすることです。自由意思を適切に使い、その時のことに専心すること。
 「ONEのお祈り」の、基本的なお言葉があります。その基本的なお祈りのお言葉に続けて、その時その時の気がかり事や願い事を、具体的に自分の言葉と表現で、創造主様にお伝えしてお任せし、その現状に向き合い、神さまのお力添えを頂きながら、取り組んで生きていくのです。
 このように一生を長く生きていると、その時その時で、気がかり事や願い事が出てきますので、その事をこそ、ためらわずにお祈りしてお任せし、神さまのお力添えでその事に取り組んでいくのです。神と共に生きる、ということ。
 祈りは生きた力であり、実際的な働きです。神と共に生きていく。神さまに、その時のことをためらわずにお祈りしてお任せし、神さまのお力添えでそのことに取り組んでいく。
 こうして気がかり事はクリアされ、願い事は必要性があるなら、相応しいあり方で叶えられていく。
 こうして神さまのご助力とお導きを、祈りを通して頂きつつ、自由意思を適切に使って、その時その時で生きていく。これがONEの、ダイナミックな生き方です。
 こうすれば前世のカルマも、生まれてきた目的も、着々と遂げられて、人生を全うできます。そのように、最初から作られています。「いつも神さまと一緒」「神と共に生きる人生」。そのように生きるのです。
 ONEにおいては、特定の手の込んだ儀式や作法は、いりません。神殿も物も不要です。手ぶらで気軽に自由に、どこでも神さまにお祈りし、自分の思いを切々とお祈りして委ね、後は安心して、置かれた所で自分らしく、健康的に生き生きと、生きていけばよいだけです。
 本来、神さまとの関わりには、物とか形式とか、手の込んだ儀式はいりません。創造主は、自分の魂の親なのです。
 本音で天の創造主に向き合わせていただき、何もない所で、如何に真心で、生きた交流と親睦を図っていくか。神さまとの繋がりと関わりで、自由にシンプルに、自分らしく、人を思いやって、自然とも調和して、自分の場でやっていけばよいのです。それが本来の、理想的なあり方です。天国的な生き方とあり方です。
 本来、宗教の組織や手の込んだ儀式や儀礼、祈りの作法や道具は、いらないのです。あってもよいのですが、必要最小限でよく、大事なのは中身であり、真心です。元々、物や形ではない、命、愛、神、魂、心を扱っているのですから。

 形式や物や道具に落ちては、ぶれてしまいます。形より精神です。真心と素直さが、命なのです。占いも一つのツールであり、参考程度に留めるべきです。
 以上を知って安心して、自分が置かれた所で自分らしく、生きていってください。周りを配慮し、協調しながら。
 自分を見直し、整えて生きていってください。その時の自分に見合う、現状と体験になるのですから。
 希望をもって、身の回りのことを大切に生きていくのです。神さまのお計らいで、その時自分がするべきことをする上で必要なものは、全部与えられています。有形無形を問わず。
 今するべきことや、すると良いと思えることを、きちんとするだけでよいのです。それによって、次に駒を進めることができます。そしたら、次するべきことができるような状況や条件になっています。
 こうして神さまにお委ねし、育て導かれ、自由意思を上手に使って、神の子として、生き生きとこの世で人生を送ることでしょう。この世に生まれてこれたのは、「恵み」なのですから。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉

ARIメッセージリーディングNo.327 新時代の育児 2026.3.11

質問: 新時代の育児について、ONEの観点からご教示ください。

ソース: ARIにおいてONEを学ぶのは、「自分で自分のことを見てあげて、自分のことを育て直すこと」にあります。
 ちょうど親として、わが子を見てあげて育てるように、自分で自分のことを見てあげて、セルフケアし、自分のことを長い目で見守って、忍耐強く工夫しながら育てていくこと。それが、ARIとの関わりでONEを学ぶ目的です。
 神さまのお計らいで、今世においてわが子を授かり、育てていくことが必要な場合は、自(おの)ずとわが子を授かり、育てていくようになるものです。
 その場合でも、自分の幼少期から子どもを授かる時までを辿(たど)り直すかのように、わが子を見てあげながら子どもに対応し、育てていくのです。子育てのプロセスを辿ることは、とりもなおさず自分自身の成長過程を辿り直すことになるからです。このようにわが子の育児以前に、自分で自分を見てあげて自分を育てる、ということが基本であり、人生目的になっています。
 その際、わが子を授かって育てていくことが必要な場合は、子どもを授かって育てて見てあげることになる、という位置づけです。
 植物や動物を育てるのと同様に、育児にも愛と理解が必要です。子どもは親が育てたように育ちます。因果の法則は正直です。親の価値観、人生観、人間観、愛が試されます。
 本当の自分に気づいて、本当の自分を取り戻し、なるべき自分になること。それが人生目的です。誰においても。
 前世を探るのも、そのことと別ではありません。今世の自分の基盤となっている奥深い自分を見ていき、奥深い自分を癒したり、清めたり、育成し、良い部分は気づいて育てつつ、発揮していくこと。その方向で前世は明らかになるし、前世は扱われます。

 基本は、本当の自分を知り、本当の自分を取り戻して、なるべき自分になること。そして、良くなってきた自分を現状の中で発揮して、人々の助けとなり、役割を果たして、自分の運命を全うすることにあります。
 ARIは生涯教育の場です。「人生百年時代」と言われるようになりました。その意味では、ARIは「百年塾」の場です。
 主に、成人を対象とした生涯学習の場ではありますが、お子さんもARIで学ばれておられ、基本的には0歳から100歳までの全ての人が、ARIでのONEの学びの対象になっています。
 人は輪廻転生しています。「前世から今世、今世から来世に至るまで、三世に至る生涯学習」、それが輪廻転生の目的です。
 こうして本来の自分に気づき、本来の自分を取り戻し、なるべき自分になって、自分がおるべき所でするべきことを果たし、周りの助けになって社会を良くすること。それを遂げて、神さまの御許に返り咲くこと。これが、輪廻転生の究極の目標です。
 神は人を愛し、育て導かれています。ARIも、その一環としてあります。それで、ARIは生涯学習の場になっているのです。
 教育という場合、その漢字の上の「教」の部分と、下の「育」の部分とから成り立っています。下の「育」のほうが基本です。その上で、上の部分の「教」、教えることが成り立ち、実りをもたらします。
 育てるほうは胎蔵界で、母性を基本とします。一方、上の部分の教えるほうは、金剛界の能動的男性的な働きかけになっています。

 子どもが、お母さんとお父さんによって誕生し、育てられるように、母性的な「育」の面と、父性的な「教」の部分がともに、人間が育つ上で必要です。
 「育」は愛、受容的、「教」は知恵、能動的です。陰陽相俟(ま)って、教育が滞りなく行われ、全うされます。
 人間を育て教育していく上でも、まずは育て、見てあげ、ケアする。そのように「育」が欠かせません。それがある程度できてきたところで、「教える」という働きかけが必要になってきて、実りをもたらします。
 人のコミュニケーションにおいても、自分が相手に話す場合と、相手の話に耳を傾けて聞く場合との、相互通行で成り立ちます。
 神さまと自分とのコミュニケーションにおいても、自分が神さまに語りかける「祈り」の面と、神さまが自分に語りかけ、答えてくださり、エネルギーを送ってくださるという「瞑想」の側面。その相互通行がバランスよくかみ合いながら、スムーズに行われてこそ、神と自分とのコミュニケーションが、健全にバランスよく成り立ちます。
 人は生涯、必ず「育の面」と「教の面」との両方が必要です。ただわかりやすく大まかに言うならば、「育」のほうが基礎であり、先立ちます。その上で「教」も必要とされ、役に立ちます。
 「教」が先行しすぎたり、行われすぎたりすると、不具合を来します。学校教育にしても、塾などの学びでも、「教」が強調されがちです。一方的に教え込むという働きかけが。

 しかし、人が本当に育つためには、「育」がベースであり、不可欠です。愛情に基づくケア、体の栄養、心の栄養などです。
 どちらかというと、「育」は心に関連し、「教」は頭に関連しています。心をベースに頭が働くのですから、心のケアや育成が大切なのです。
 知能などを重んじすぎて、また、知識を重視するあまり、技術や知識を先行すると、心や体が育たないまま、また癒されないまま、進んでいってしまいかねません。「全人教育」や「情操教育」などとも以前から言われています。「ONE」という命の全部をかけた真の教育が、求められます。
 魂をベースとして、頭と心と肉体が調和しながら育成されていくこと。そして自分の中の魂が、天の創造主と繋がることです。
 なぜなら「命の木」の、その幹は、天の創造主であり、自分の中の「魂」は命の木の枝に相当するからです。
 枝は幹に繋がってこそ育ち、癒され、活き活きしていられます。そのようになってこそ、魂を通して頭も心も肉体も活性化し、発達していき、健全に自分の個性を発揮して、世のお役に立っていけます。
 そうなれば人々から喜ばれ、求められ、自分の中にも喜びや感謝が湧き、恵まれ、生きていけます。
 ちょうどわが子を親としてみて上げて、育てていくように、自分で自分のことを見てあげて育てていきましょう。これはわが子の子育てに限ったことではなく、誰においても必要なことです。
 子どもを育てる場合、そのことが今世の目的にあって、成長過程で必要ならば、子どもを授かって育てることになるのです。
 息子を授かって育てていくことで、自分の中の男性的面が育て直されます。娘を授かる場合は、自分の中の女性面を扱い、育てていくことが同時進行で行われます。

 そのことに気づいて、そのことが必要な場合は、現実がそうなります。もし自分の中の女性面を十分育てる機会が今回の人生である人は、娘を2人、3人授かったりするのです。
 起きる理由と必要性のある場合は、時期が来ると相応しい形で起きます。神さまのなさることに狂いはありません。
 今世でわが子を授かって育てていく必要性がなければ、子どもを授かりません。そういう人はそのことに気づいて、基本である自分自身をわが子のように見てあげて、自分を育てていくことに取り組みましょう。
 また、人によっては学校の先生になって、他の子どもたちを教育したり、あるいは仕事で部下や後輩を与えられて、部下や後輩を見てあげたり、世話してあげたりするというように、天から機会が与えられるものです。自分でもそのことを欲したり、それが必要だと思えます。
 ちゃんと天の配剤で、現状や起きてくることが必要性や目的に合わせて、ぴったりになります。
 そのことに気づいて安心し、いつでも現状に集中し、目の前のことにきちんきちんと当たっていけばよいのです。
 また、そのことに気づいて、これまでの自分の人生の歩みを振り返るならば、今世の自分の目的や、神さまが自分に求めてこられていることが明らかになってきて、心置きなく現状で、やっていけるようになります。
 子どもを授かって育てていくようになっている人は、輪廻転生のプロセスの中で、今世おいて「わが子を育てる」ということが、カルマを果たしたり、自分を育成したりする上で必要でためになっているから、そうなっているのです。また、それが可能なところまで自分が到達したので、子育ての機会を与えられているのです。

 そのことに気づいて、子どもを授かって育児に当たっている人は、大いに自信を持って、安心して育児に対応することです。
 今世において育児が必要で、しかも関連の魂の助けになれて、その取り組みの中で自分もカルマを果たしたり、自分も育っていったりできる。
 そういう時期が来て、その必要性があり、しかもそのことが今の自分なら可能なところまで来ているので、ご縁のあるぴったりの魂を、わが子として授かったのです。
 子どもは肉体のレベルでは、自分を通してこの世に出てきましたが、自分の所有物ではありません。神の子です。
 そのことに気づいて、天から一時期子育ての役割を与えられて、「自分が育てていく授かりものだ」と気づいて、授かったわが子を心から愛して、自分の心で「こうすると良いと思う」という内なる導きに従い、自信を持って対応していけばよいのです。その中で学びがあり、授かった子どもとのカルマも解消し、子どもも親の自分によって助かるし、親である自分のほうも、子育てを通して子どもから教えられたり、癒されたり、大事なことに気づかされたり、ということが起きます。
 子どもを育てているようでいて、実は子どもによって親が育てられている。子どもに教えているようでいて、同時に一方子どもから、親は教えられてもいる。必ず同時進行で、その両方が起きていることに気づいてください。
 それにしても、親は自信を持って責任と役目を果たしていくこと。しかも楽しく、ありがたい機会を与えられたことに気づいて、素直に喜び、楽しみながら子育てをして、その機会を満喫してください。
 子育ては天からの贈り物、プレゼントだからです。修行の面やカルマを果たす面もありますが、根本の所では、子どもを授かったことは、天からのプレゼントです。そのことを忘れてはいけません。
 そのことに気づけば、自信と喜びが湧いてきて、その機会を無駄にせずに済むし、子育てが上手く行えます。そして、子育てに取り組むことに、素直に喜んで、神さまに心から素直に感謝も伝えられます。
 育児に取り組む場合、天の創造主のお力添えとお導きを頂いて、行ってください。そして自分の、同じぐらいの年齢の時を思い出して、自分を癒し、自分を育て直すことも同時進行で、起きてくるようにしてください。
 自分がそのぐらいの年齢の時「どう思い、どうしてほしかったのか」。そのことを思い出して、取り組んでください。子育てをしながら、自己育てを辿り直していくのです。子どもによって癒され、教えられ、親は救われていくのです。
 そういうことが、子育てを通して同時進行で起きるので、わが子が前世では自分の親だったり、先生だったり、ということがあるのです。
 例えば、族長ヤコブの12人の息子の中の、11番目の子のヨセフは、キリストの実体でした。父親のヤコブは、末のほうの息子のヨセフを通して癒され、教えられ、救われていきました。それでもヤコブは、ヨセフの親でした。
 ちゃんと成長のプロセスにおいて、今世でぴったりの親子関係になります。自分と自分の両親の関係にしても、自分と息子や娘との関係にしても、お互いの成長過程の今の時期にぴったりで効果的な、親子関係になっています。神のなさることに狂いはありません。
 その時その時に相応しい、子どもとの対応をしてください。プロセス自体に、目的と価値が宿っています。親として自信を持って、感覚を働かせながら落ち着いて、その時に見合うわが子との関わり方や育て方、対応の仕方にするのです。
 ちゃんと根源神さまにお任せして子どもに向き合えば、勘が働き、その時にぴったりの、わが子への応じ方ができます。一緒に遊び、一緒に学び、子ども共々、親である自分も、元におられる神さまに、育て導かれていくようにすればよいのです。

 また、自分と自分の配偶者との両親で、共に子育てに当たればよいのです。母親だけで頑張らなくてよいのです。
 もし、母親だけ、自分だけで子どもを育てるような状況なら、それが必要で、そういう状況になっているということですから、そういう人はそういう中で、子育てに当たればよいのです。
 もし、父親の自分だけで子どもを見てあげて育てるような状況なら、それにも理由や意味や目的があってそうなってますから、それでよいのです。現実を信じてください。現実のいちばんの元は、神にあるからです。
 いつでも現状の中で、現状に合わせて、その時自分がするべきことを、きちんと行えばよいのです。そうすればちゃんと、カルマも人生目的も、着々と遂げられていきます。
 子どもを見て育ててあげることと、自分自身を見てあげて育てていくことは、別ではなく関連し、同時進行で行われていきます。
 子育てをしながら子どもと一緒に遊び、楽しみ、子育てに取り組みながら、教えたり教えられたりしながら、一緒に学び、体験し、根源の神さまに親子共々、育て導かれていくように仕向けましょう。
 何か困ったことがあったり、疑問が湧いてきたりしたら、関連の人に聞いて教えてもらったり、神さまにお祈りして、導きとお力添えを請いましょう。
 必ず今世に必要で、お互いのためになり、しかも子育てが可能な所まで来ているから、その状況が現実化しています。必ず、育てていけます。
 素直に喜んで、自分のことも信じて、わが子のことも信じて、精一杯大切に育てて、世に送り出してあげましょう。それによって親子となった天の意図が、最も良い形で遂げられていき、その後も必要なことがぴったりに与えられて、根源の神さまに親子共々導かれていくように、命の流れが運ばれていくことでしょう。
 自分は肉の親になって、その役柄を演じればよいのです。魂の親は神さまですので、自分も子どもも、魂の親であられる共通の親の、天の創造主にお任せして現状に取り組みましょう。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉

ARIメッセージリーディングNo.326 解脱法 2026.2.10

質問: 解脱とは何ですか。どのようにすれば解脱できるのですか。解脱の方法とは、どのようなものですか。ONEの観点からご教示ください。

ソース: 「解脱」は、インドの原語では「ヴィモークシャ」「ヴィムクティ」と言われています。インドの思想と宗教では、多く扱われている概念であり、仏教の開祖のブッダも、その概念を取り入れ、追究し、重んじました。解き放たれること。特に煩悩に縛られている状態から心が解放され、迷いの苦を脱することです。「解脱」には、人は、あの世とこの世とを生まれ変わり続ける、という「輪廻転生」が前提にあります。
 人は、我執と無知によって、輪廻転生を続けてしまう。無明と愛欲によって、輪廻転生からなかなか免れることができない。そこで真理を悟り、無明が明知に変化し、愛欲や我執から解放される。こうして輪廻転生を終えられる。

 このように、「カルマを解くことで、輪廻転生のサイクルから脱すること」。これが「解脱」です。解脱とは、「カルマから
の解脱」であり、「輪廻転生から解放されること」です。
 この世の物の領域と自分の肉体から解放されて、本来の自由なあり方と安らぎの境地に回帰することです。仏教ではそれを「ニルヴァーナ(涅槃〉」と名づけています。
 ブッダは特に、「苦(く)・集(じゆう)・滅(めつ)・道(どう)」の四聖諦(しようたい)を基本項目としました。
 「生まれてくることも、人生を生きることも苦である。ではなぜ、苦しまなければならないのか」
 「それは、苦しみの元となる原因を、自分が集積しているからである」
 これが前半部分の「苦・集」に相当します。
 「では、苦から脱するためにはどうしたよいのか」
 「そのためには、苦の原因となるものを滅すればよい。そのためには八正道と中道の道を歩むことが、効果的である」。
 これが後半部分の「滅・道」に相当します。
 もう少しわかりやすく説明すると、「人生が苦しいのは、苦しみの元となるカルマを自分が作り、自分がカルマを集めているからである」。カルマの代わりに「因縁」と表現することもできます。


 「では、どうしたらよいのか」
 そのためには、苦しみの原因となっているカルマを解消し、カルマから解脱することである。そのためには方法や道として、八正道と中道が良い。八正道や中道の「中」とは、「適切で適度、理に適っていてぴったりで効果的である。本当の愛と真実に基づく思いと言葉と態度と行いである」というものです。
 要するに、八正道と中道の中身は、「ONE」なのです。「天の摂理」「本当の基準」「ダルマ」です。
 カルマがダルマと化することで、自分が正され、清められ、カルマが解消していきます。「成長する」と言っても良いし、「清められ、育成され、正される」とも言えます。癒され、本来の自分が回復することです。自我やエゴを脱して、大我や真我や神我が実現してくることです。


 ブッダ自身はそのような積極的表現は使いませんでしたが、仏教の歴史は、そのような方向で発展していきました。「大きな我」「真実の我」「神なる我」。「魂」とも言えます。インドの思想では、「アートマン」です。
 本当の自分に立ち返り、仮我(けが)、仮の我が洗い清められ、癒されていく道です。
 「ダルマ」と「ONE」に自分を合わせていくこと。そこで一致してきて、自分が洗い清められ、正され、本来の自分の個性が輝きを放ち、なるべき自分になれます。それがブッダの生命状態です。完成した生命体のありようです。
 「十二縁起」では、真理に対する無知である「無明」と、愛欲をもたらす「渇愛」、この2つが苦しみの生存を招き、輪廻転生を続けさせる、と解明しています。
 ブッダは現象世界のあり方として、「諸行無常 諸法無我」を説いています。
 「物事にも自分にも実体がない。いろいろなものの関わりで、仮に存在しているだけである」。それが「諸法無我」です。後に「空」と言われるようになりました。

 「縁起によって生じ、縁がなくなれば滅するだけのものである。だから、囚われるほどのものではない。それぞれのものには、実体がない。だから変化し続ける」「諸行無常」です。だから、執着しないほうがよい、と。
 これによって心が解放され、自由になり、囚われから脱することができます。それによって全てをそのままで認め活かすことができ、新たなカルマを作らなくていいようになります。これが「仏のありよう」です。
 本当の愛や慈悲には、自由があるのです。何事にも囚われないから縛ることなく、エゴを介在させることもなく、恐れや不安や心配もありません。そのままを理解し、認め、そのままで活かすことができます。これが悟りの境地です。「空を自在に生きる」というありようです。インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』に、「超作」と表現されているありようです。
 完成してくると、そのようなありようになるのです。自分の三業が自然の働きの一部のようになります。
 全てがそのまま流れていき、活かされ、澱みや滞りや濁りをもたらしません。苦しみや悲しみを招きません。そのままを理解して、認めて活かすことができる、自由自在なありようです。それは八正道と中道の働きとなっています。

 肉体の場合もそうなると、健康でいられるのです。そうでない場合はカルマを生じ、体が不調になり、そのうち病気になるのです。
 それぞれの事柄において、思いも言葉も行いもONEとなる。ダルマと一致する。自分の魂とも一致する。そうすると自分も人も活かすことができ、困ることや苦しみや悲しみを招きません。これが八正道と中道の中身です。
 「ONE」や「ダルマ」ではないあり方、八正道や中道ではない、偏って間違った思いや言葉や行い。それでカルマを生じ、困ったり苦しんだり悲しんだりの事態を招いている。これが人間、凡夫の実態です。それによって、苦しみの生存が生じています。
 そのことに気づいて、これからはダルマとONEに基づく適切な、八正道と中道の思いや言葉や行いにするのです。そのようにして、自分のあらゆる生命の営みが本当の基準であるONEに合致してきます。人間完成するのです。その時、自分を抑えているのではないし、我慢して、ただ合わせているのではありません。
 大いなる存在と、そのお働きであるONEに自分を帰依し、お捧げして、本来のあり方が立ち戻ることによって、そのようなありようになります。

 その時、仮我や自我は解消し、洗い清められ、本来の自分である大我や真我や神我が開顕してきます。本来の個性の輝きが放たれ、魅力的な人になります。
 自分の弱点や課題やカルマを克服解消して乗り越えた理想的なありようの人物は、自分を抑えたり、ただ自分がなくなってしまったり、という人たちではありません。
 キリスト、モーセ、ブッダ、空海、親鸞、聖母マリアなどの人物を見ても明らかなとおり、自我を消滅した人、自分を乗り越えた人は、元気がないわけではないし、ただの自己否定の人ではなく、むしろ生命力が旺盛で、明るく元気でありのままで大らかな、魅力あふれる人物たちです。これが本当であり、これが模範です。
 ですから、自我が消滅しても大丈夫であり、心配ないのです。自(おの)ずと、エゴや仮我は解消します。大我や真我や神我がそれに取って代わるのです。魂が開顕し、魂の元であられる創造主と自分が融合します。神人合一、即身成仏です。
 その時自分の個性が、輝きを放ち、活かされ、周りからも喜ばれ、お役に立てるようになるのです。心から安心し、喜んで、生きていけるようになります。
 それは、死を待つこともありません。今この世で、この身のまま、この世で生きているうちにそうなれます。これが、空海の言う「即身成仏」です。この身このままで仏となるのです。誰もがそれを目指すのです。それは可能なことです。
 キリストも、そのようになりました。 人間イエスは、キリストとなられたのです。ゴータマがブッダとなったように。一人ひとりがそうなることが願われています。
 そのためには、全ての元であられる天の創造主に注目し、天の創造主を心から敬い、自分に関する全てを任せ切ること。そういう中で自分のことも信じて、人のことも思いやって、落ち着いて置かれた状況で自分の感覚を働かせながら、「こうすると良いと思う」という内なる導きに従って、様子を見ながら行っていくこと。その中で学びがあり、カルマも役目も着々と果たされていきます。

 ONEという真の基準である八正道や中道に自分を合わせながら、それぞれの場や人に応じて、「何がONEであり、八正道や中道なのか」を見ながら、ONEに自分を寄せていくのです。ONEに合わせていくということ。究極で最高の理想と真実であるONEに、コミットするのです。
 こうしてONEに自らを捧げていくことで、次第に仮我(けが)や自我が洗い清められ、仮我が真我、仮の我が真実の我に転換します。そのプロセスを辿っていくことが、人生修行です。
 もともと根源の神さまは、一人ひとりがそうなれるように関与してくださり、一人ひとりがそうなれる方向で、体験学習の機会を与えて、育て導いてくださっておいでです。それが人生で起きてくることや体験させられることの、説明になっているはずです。
 起きる理由と必要性のあることが、時期が来ると相応しいあり方で起きます。真の意味で良くなるために。
 神は愛と知恵をもって、一人ひとりを育て導いてくださっているのです。そのことに気づいてそのことに従いながら、安心して落ち着いて、自分のことも人のことも信じて、自分を自覚しながら、調整され、正されていく方向で、現状に対応しながら生きていきましょう。

 これまでの人生の歩みを振り返って、点検・確認することで、自分のことを知ることができます。現状には、現時点の自分が正直に表れ出ています。そのことにも気づいて、現状の中で「こうすると良いと思う」という、自分の内なる導きをより所に、現状に応じていくのです。
 ブッダは、「自灯明 法灯明」を説きました。「自らをより所とし、ダルマをより所とする」と。
 このように「解脱」とは、「カルマから解脱し、輪廻転生のサイクルから脱して、本来の生命の自由なありように還ること」です。そこに向かうことを決めて、取り組んでいる者たちが、「菩薩」と呼ばれます。そのことが成就した者たちを、「ブッダ」と呼びます。
 ケイシー・リーディングでは、2500件、ライフ・リーディングが行われました。同じ人が何件か受けていることもあって、実質1200人ほどの人たちが、ケイシーからライフ・リーディングを受けました。
 それらのうち18名の人たちが、「今世で転生を完了するであろう」と言われました。1200人から1300人のうちの18名でしたので、70人に1人くらいが、「今世で転生を完了する」と、言われたことになります。恐らく一般の人たちまで含めれば、100人に1人くらい程度でしょう。
 なぜなら、ケイシーのリーディングを受けることができるということで、すでにある程度のレベルに到達している人たちだったからです。一般の人たちまで含めれば、今世で終えられる人は、100人に1人もおられないことでしょう。
 この、「転生を今世で完了できるであろう」ということが、「解脱」にほぼ相当します。
 ただ厳密に見れば、ケイシー・リーディンで言われた「転生完了者」ということは、「解脱」までには至っていません。解脱にまで至っている人たちも含まれていたかもしれませんが、「転生完了」がそのまま「解脱」ということにはなっていません。「解脱」のほうが、もう少し高いレベルです。

 なぜなら、転生が完了できても、まだ完全にはカルマから解脱していない場合があるからです。
 転生受肉は、しなくて済むようになっている。カルマはまだ多少残されてはいるけれども、後は霊界で解消できる範囲になってきている。それが「転生完了」と言われた人たちのレベルとありようです。
 ただ、ヨハネ・リーディングでは、次のようなことも言われます。「この世も本来、極楽浄土である」と。
 神は、この世も極楽浄土として造ってくださった。そのことが自然の美しさにも表れている。それゆえ、この世に転生受肉してくることは、必ずしも、問題でも苦しみでもない。
 むしろ「かわいい子には旅させよ」という諺(ことわざ)にあるような、魂の親であられる創造主が人間たちに、素晴らしいこの世に生まれてくることをプレゼントしてくださって、この世に旅に来ている。それが「転生受肉だ」ということ。
 そのことがわかれば、必ずしも輪廻転生は問題でも苦でもなくなります。「できるだけ早くこの世を離脱しよう」とは、思わなくなります。あまりに執着しても困りますが、空(くう)を自在に生きるありようになれば、この世を清め、癒すことができます。それこそが菩薩です。この世は、本来の極楽浄土と化するのです。そのことも、この世に生まれてきた者たちの使命です。
 「解脱」のための、いろいろな秘法や方法が、宗教では設けられ行われています。それはそれで意味と役目と効果はあります。

 しかし本筋は、神直々に一人ひとりを愛して、正当に取り扱ってくださっておられるので、人生そのものが修行となっています。
 そのことに気づいて、全ての元であられる天の創造主を敬い、自分の全てを任せ切ること。
 そういう中で、思いやりの心を持って、内なる導きに従い、ONEを指針として、現状の中で「こうすると良いと思う」という自分の思いをより所として、現状に対応しながら学び、正され、育て導かれていくように、現状にて生きていくのです。そうすることで自(おの)ずと正され、清められ、癒され、そして育成されていきます。
 自分に合う良い目標を持って、ONEにコミットしながら、その時その時を大切に、丁寧にきちんと真心から生きていってください。これが本道です。これがONEです。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉

ARIメッセージリーディングNo.325 2026年の展望 2026.1.22

質問:2026年の立春を迎えるに当たり、本年の日本と世界に関して、胎蔵界的、金剛界的両観点から予測し、展望してください。併せて、留意点、対処法もご教示ください。

ソース: まず世界においては、アメリカのトランプ政権の国家主義が、さらに加速します。それによってアメリカは、民主主義のヨーロッパ諸国や日本、韓国などと関係が難しくなります。

 アメリカはむしろ、中国やロシアに気遣い、歩み寄るようになります。アメリカが民主主義国であることに変わりはないにしても、大国としての、中国やロシアのようなあり方になり、中国やロシアと歩み寄ります。
 その余波を受けて、ウクライナはアメリカの理解や支援が得られにくくなり、厳しい事態に直面する可能性があります。
 アメリカが上手くいって、栄えるということではありません。もがくようにいろいろな手を打って、局面を打開しようとします。

 日本も、アメリカのそのような動きに気遣い、自分の国の歩む道を、模索せざるを得なくなります。日本にとっては、自立して、アメリカにさほど頼らず、より中立のしっかりした国となることが求められます。
 日本としては、韓国や中国など、アジアの近隣諸国との関係の改善に努めるべきです。特に中国に対しては気遣い、言動に注意して、対応していく必要があります。
 日米同盟の必要性と大切さに変わりはありません。日本は軍事力を強化する方向に向かい始めています。それが行き過ぎの感があります。

 日本はもっと、日本本来の良さと役割に目覚め、教育と福祉に力を注入するのが良いのです。外界は内実の表れです。日本人の精神性や人間性が大事です。その元に、根源の神さまと日本の魂があられます。そのことに気づいて、そこに基軸を据えることが肝要です。
 日本人の精神状態が良くなること。それが本当の守りと、保障になります。その上での適切な実際の対応や対策、ということになります。
 2026年の日本は経済的に困窮し、一つの限界に直面するかもしれません。それがまた日本人の心配の種となり、日本として国民が憂うつになって、2026年は精神的に、低迷と混迷を深める懸念があります。日本としては、迷いと低迷が目立つ一年となるかもしれません。
 地震に関しては、それほど大規模な地震が起きて、甚大な被害を受ける、ということは少なそうです。
 一方、水害のほうは、多い懸念があります。予め、対策しておくことが必要です。
 精神的肉体的病に苦しむ人々も、増えそうです。特に日本では、癒しを求める人が増えることでしょう。
 日本への外国人観光客は、さらに増えることでしょう。
 ARIに関して見るならば、今年は発展と飛躍の年となりそうです。特に、一般社会に知られ、注目され、普及する可能性があります。より一般化して、「ONEの教え」が理解され、求められ、普及するかもしれません。ARIとしては、勢いが出てくる年です。前進と飛躍と普及の年となりそうです。
 なおそれだけに、謙虚さや素直さやバランス、他への配慮、適切な対応や落ち着きが求められます。他のグループや一般社会との、協調と折り合いが求められます。
 日本の政治に関しては、何かと高市首相の言動が目立ち、混迷を招きそうです。自民党と野党との関連性で、動きがいろいろとありそうです。変化や新しい動きなど、です。駆け引きも多い年となりそうです。
 経済面は先ほど述べられたように、日本はあまり上手く回らず、物価の高騰もあり、国民は経済面で心配し、また、精神的にも悩ましい面が増え、そのことが何かと、世間でも話題になりそうです。
 そのような日本の情勢の中、本当の教えであり、肯定的で日本らしい大らかな面が、「ONEの教え」を潜在的に求めるようになります。

 ARIのほうとしても、今の日本や世界に繋がるような、工夫や調整や配慮が必要です。それによって一般世間とARIが繋がれば、「ONE」が認知され、求められ、その結果普及し、日本はレベルアップし、ずっと良くなります。
 今年は、そのように日本全体とARIの「ONE」が上手く繋がるかどうかが、鍵となってきます。そこが上手く繋がれば、ちょうど混迷の日本において、「ONE」が認識され、求められ、普及するようになります。それにより日本人の意識が明るくなり、レベルアップし、日本にも活気が出てくるようになります。
 日本の歴史の中にあって、古墳時代のヤマトタケル、飛鳥時代の聖徳太子、奈良時代の聖武天皇、平安時代の空海、鎌倉時代の親鸞、そういった人物の登場によって、それ以降の日本人の意識の構造が変容し、日本人はレベルアップしてきました。それだけの影響力と役割が、ARIには授かっています。
 それゆえ、今の時代においても、いずれ遅かれ早かれ、「ONE」が日本において認識され、受け入れられ、求められ、普及する。それによって日本人の意識の構造が変化し、レベルアップし、ONEが文化の重要な部分となって、日本はそれ以降変わっていきます。そのような特性と役割が、ARIにはあります。輪廻転生を見れば、明らかです。
 「ONE」が日本に普及すれば、今後、日本人の意識構造や真理への理解が進展し、日本人は明るく元気になります。
 今の日本は、一つの行き詰まりを見せています。今年は、その行き詰まりが目立つ年となりそうです。
 そういう中にあって、上手く一般社会とARIの「ONEの教え」が繋がれば、人々の潜在的な求める気持ちが、ARIを認識させ、社会に知られるようになります。
 今の日本は、少子高齢化が一つの問題となっています。韓国も同様ですが、日本は今後、生命の弱体化と国力の低下に対し、まず軍事力を増強することよりも、精神性とその元にある魂に力点が置かれるべきです。そこに、真の生命力があり、それは日本の安寧、さらには世界平和に資するものだからです。ONEによって、日本が本当に本来の良さに気づき、明るさと元気を取り戻せるのです。

 そうなれば、軍事力に注入しなくても守られるし、世界に平和をもたらせます。まず日本の国内が安定し、落ち着けて、明るく元気になります。「ONE」には、それだけの潜在的な可能性と、役割が秘められています。
 例えば、平安時代に空海が現れ、鎌倉時代に親鸞が現れたことで、明らかに日本人の意識構造は変わり、進化しました。それが、今日(こんにち)にまで及んでいるのです。
 ARIの「ONEの教え」には、それだけのものが秘められています。その役割と目的も、与えられています。
 天の世界に気づき、天をこそ敬い、尊ぶべきです。天と地上の人々との間での接ぎ木がなされることで、真に自分を取り戻し、明るく元気になります。そうなれば少子高齢化の問題も、解決へと向かいます。
 科学技術や学問、スポーツや文化など、全てにおいて活性化し、日本は真の意味で繁栄するようになるのです。
 「日本の元気さを取り戻すこと」、それが今年から求められることです。そこにARIの「ONEの教え」が繋がるかどうかが、一つの大きな鍵となっています。今年がその始まりとなることが、天の世界で切に願われているのです。
 「ヨハネ・ペヌエルが世界に新秩序をもたらす。万物の新しい理法をもたらすことで、世界に新秩序が実現する」。その「万物の新しい理法」とは、「ONE」のことです。天の摂理であり、天の基準です。
 その天の基準である「ONE」が、地上に反映してくることが、「黙示録」の最後に描写されている、「天から新しいエルサレムが地上に降りてくる」という、崇高なビジョンです。
 その光景を2千年ほど前、使徒ヨハネは見せられました。その「黙示録の預言を成就するために、ヨハネ自ら転生してくる」。そのことをケイシーは、先駆者として予告したのです。

 使徒ヨハネは、新しいエルサレム降下のビジョンを見せられましたが、その使徒ヨハネは、かつてソロモンであり、エルサレムの神殿を建てた者でもあります。
 今の時代においては、物的な神殿というよりも、新しいエルサレムであるONEの内容が地上に普及し、天の世界と地上がアースすることで、ドッキングします。新天新地が訪れるのです。
 その、「最初の大きなきっかけと、始まりとなるのが、今年である」。そのことが切に願われています。その意味で今年は、重要な年となります。
 日本全体としては、低迷と混迷の年となりそうですが、それだけに本物の教えが求められる可能性があるのです。ヨハネは本命、真打ちです。
 そのことを「ONE」を学ぶ人たちは、よく理解し、肝に銘じ、日本の一般の人々がARIの「ONEの教え」に気づき、求めてくることに、適切に応じられるよう心がけ、備えてください。
 それによって、多くの一般の日本人が理解納得し、安心し、「ONE」を享受し、「ONE」の恩恵を受けられます。ちょうどあなた方が「ONE」によって救われ、気持ちが楽で穏やかになって、自分として自分の場でやっていけるようになったように、他の多くの日本人もそうなっていけることでしょう。
 さらには日本から世界へも、日本ならではの「ONE」、かつて聖徳太子が「和」と表現した「和の心」と人間性が、世界にも及ぶことになるでしょう。
 それによってテロや戦争、また温暖化、異常気象なども収束し、「黙示録」で予告されている「新天新地」が実現する方向に向かうことでしょう。
 それは、まだ先のことではありますが、今年がその端緒となることが、天の世界で意図され、願われています。地上の人々も潜在的に、そのような本物の教えと人物を、求め出しています。次第に機が熟してきているのです。
 改めてその観点で「ONEの教え」と向き合い、日々天への礼拝とお委ね、そして「ONE」の学びに励んでいってください。
 さらに「ONE」を理解し、深め、実践していってください。日々の生活や人間関係に「ONE」を応用実践していくのです。それによって、苦境や低迷の中にあっても、悩ましさ、心や体の不調を克服解消でき、清められ、癒され、苦しむことによってカルマを果たし、成長でき、さらに一段と深まって良い状態になり、前へと進んでいけるようになることでしょう。そのようになりますように。

リーディングを終了します。


(ありがとうございました)


〈了〉