ARIの教育理念

○霊的成長を目指して
 
社会と、家庭と、個人は、一つのつながりです。どこか一つでも壊れれば、全体にその影響が及んでしまいます。
異常気象、災害、新しい病気の蔓延、貧富の格差拡大、止まぬ紛争、家庭崩壊、教育荒廃、犯罪多発、差別、いじめ、自殺、等々。現代の諸問題もまたそれぞれが個別にあるのではなく、全体のつながりの中に位置しています。

だからこそ、原因が見えにくいし、解決も容易ならざるものがあるのです。
現代の混沌の要因は、その全体を秩序立ったものに貫く「理法」がないこと、これに尽きます。
いえ、本当はあるのですが、現代人は注目をしないし、また時の政治的指導者から知らされることもありません。

なぜでしょうか。
近代以降の人類の幸福感は、物質的な豊かさへの希求でした。これを実現すべく産業革命が起こり、工業社会と資本主義が発達し、我々人類は今日に至る物質的な豊かさを手に入れていくことができました。

しかし今や状況は大きく変化しました。付加価値の高い工業製品分野の製造に、新興国がこぞって参入するようになった結果、過当競争が起きるようになった一方、その地位を追われたかつての先進国はマネーそのものを動かす経済にシフトしていきました。これが世界経済を大きく変え、むしろ貧困層を増大させる結果となったのです。

世界経済が変わってしまったのに、「人間にとって、何が豊かさなのか」という価値観は変わらない。しかしそうして90年代半ば以降も「経済成長」を追い続けた結果が現在である、ということに政治経済の指導者層は、そろそろ気づくべきではないでしょうか。
もう「経済成長」は充分なのです。人類にとってこれから必要なのは、心の成長、魂の成長、霊的成長だと私たちは考えます。
 
 
○どんな人にも内在されている「神性」
 
「霊的成長」というと、<なんだ、それは?>と思われる方や、<霊魂の存在など自分は絶対に認めない>と仰る方もおられるでしょう。でも多くの人は、自然に対して畏敬の念を抱き、慰霊祭に参加したり、お墓参りに行ったり、神社に詣でたり、家族の無事を祈ったり、されているのではないでしょうか。これは私たちから見ると、当然のことなのです。

なぜなら、人にはみな「神性」(仏教では「仏性」という)が宿っているからです。人は、物資的な豊かさだけでは、決して満足できません。一時はそれで満足したように感じたとしても、本当の幸福感は、そこからは得られません。それでは、個人の奥底に眠る「神性」が癒されないからです。

親鸞は「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや。」(普通の善人だって極楽往生するのだから、ましてや自分が悪人であると気づいた人が往生しないわけがない)と言いました。これも、誰にでも「仏性」があるんだよ、という前提から説かれた言葉なのです。

しかし物質主義のコマーシャリズムでは、「物がなくても幸福になれるよ」とは、決して説きません。それでは物が売れませんから。
こうして私たちは、社会から一定の価値観を植えつけられ、それに染め上げられてしまっているのです。しかし繰り返しになりますが、それだけでは私たちに宿る「神性」は満足できません。そしていつか悲鳴を上げることになるのです。
 
○あの世とこの世を貫く真理「Law of ONE」
  
浅野総合研究所(Asano Research Institute/略称アーイARI)は、前提として「人は物質だけの存在ではなく、霊的存在でもある」との立場をとっています。
そしてさらに、「人は輪廻転生する」、それは「カルマによってである」とも説きます。
このことに違和感を持たれる方もいらっしゃるとは思いますが、ARIのアイデンティティを構成する前提ですので、あえて最初に申し述べました。

しかし、霊的な教育というものが、果たしてこれからの時代に合った形でいま行われているかといえば、冒頭に申し上げた現代社会の様々な病理を見ても、そうでないことは明らかです。不足しているだけでなく、歪められてさえいます。
既成の宗教の多くはセクショナリズムをなかなか捨てようとはせず、「我だけが正しい」と、むしろ宗教対立を深めているところがあります。また、一部にスピリチュアル・ブームも見られますが、興味本位なもの、表層だけしか捉えられていないものが見受けられます。

しかし、霊界の法則はそのようなものではありません。私たちがお伝えしたいのは、“全てがひとつ”という普遍的真理、つまり「全一の法則」(Law of ONE)です。
ここで、敢えて神様という言葉を使えば、神様は一つなのです。同時にすべてのものに神性が宿っている。この両者は、決して矛盾しません。八百万の神々、つまり究極の多神教は、同時に究極の一神教でもあったのです。

これが、あらゆるものに通ずる、全体を貫く「理法」なのです。
極めてシンプルです。でもとても奥深い。
ONEとはただ「同じ」ということではありません。「平均」ということでもありません。それぞれの違いや個性を認め合った上で、補い合う形でONEがあるのです。それぞれの根底に普遍的な「ONE」があることです。
つまりは総合です。その意味で、誰もが、かけがえのない存在なのです。

私たち人間は、まだ未熟です。
ですから、対立や、争いや、我欲が絶えません。
しかし、そうして悶え苦しみながらも、人はみな霊的成長の機会を与えられているのです。

ARIの教えだけが正しい、とは絶対に言いません。
どのようなアプローチをしようが、行き着くところは一つ。
それこそが、Law of ONE です。
誰に強制されるものでもありません。あなたは、あなたの場所で、あなたに生じた縁の中で、霊的成長を目指していけばよいのです。
それが、自分を、そして家庭を、ひいては社会を、しだいによいものに変えていくのです。

ARIは特定の宗教を信奉するものではありません。しいて言えば超宗教です。
また会員制ではありますが、一般的な組織形態をとっているわけでもありません。
ARIは、霊的学習と生き方を模索する、いわば生涯学習センターなのです。
この理想に共感し、ONEの真理を共に学びたい方は、どうぞ門を叩いてみてください。
いつでも歓迎いたします。