メッセージリーディング
このコーナーでは、時事の問題や未来予測に関する、ARIのオリジナルリーディングを掲載しております。(リーダー:浅野信)
メッセージリーディングとは、個人の問題ではなく、社会的事象や歴史上の不明点、また未来に関すること、その他、政治、経済、科学、技術、宗教、哲学、医学、医療、教育、芸術、等々の分野での調査目的で行うリーディングです。
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ARIメッセージリーディングNo.329 ONEの信仰と生き方 2026.5.13
質問:祈りと信仰、生き方について、ONEの観点からご教示ください。
ソース: 人類の歴史と共に宗教も、長く行われてきています。その宗教の良い面と問題な面とが、いつの時代、どこにおいても、それぞれ見られました。
現代の日本においては、これまでの宗教の問題や弊害に、疑問を抱く人たちが多くなってきています。一般の人たちは、特にそうなってきています。また、霊的なことや目に見えない世界に関心を抱く人たちは、宗教に対する疑問を抱いて、「精神世界」「ニューエイジ」「スピリチュアル」などと呼ばれる、宗教には囚われない、自由な精神的霊的な学びと営みを、行うようになってきています。
そのため、精神世界やスピリチュアルでは、反宗教の動きが顕著で、神さまのことや祈りと信仰に対しても否定的になり、自分主体に「自分の癒し」や「目覚め」「自分を愛すること」などを主軸に、霊的精神的なことを行うようになってきています。
では、ONEの観点から見ると、どのようなものであり、どのように取り組んでいったらよいのでしょうか?
神への信仰と祈りは必要で、大事です。ただ、宗教との関わりでそのことを行う必要は、必ずしもありません。
特定の所にご縁や恩義があって、今世の目的にもそれがあり、自分の成長段階や思いとしても、特定の宗教宗派との関わりで、今のところ信仰や祈りをするのが必要で合っている人は、特定の宗教宗派との関わりで、信仰や祈りに取り組んでよいのです。その場合でも、根本信仰としてのONEの学びと祈りは、大いに助けになります。
一方、特定の宗教宗派に、特に強いご縁や恩義はなく、自分の成長段階としても、気持としても、特定の宗教宗派は必要ないと思える人は、直接、ONEの学びとONEの祈りだけを行っていけばよいのです。
それは自分で自分を見ながら、自分で決めればよいことです。本来、人は誰でも自由であり、平等です。周りに気兼ねはいりません。
いずれにしても、宗教宗派やそのグループや組織は、主体でも絶対的なものでもなく、方便であり、手段にすぎません。主体はむしろ、一人ひとりにあります。大事なのは一人ひとりであり、宗教的な組織や教団その他でもなく、形式的な儀礼などは方便や手段にすぎません。
もし、宗教の組織や建物や儀礼や方法などが主体になって、学ぶ人一人ひとりがそれに縛られ、その手段として利用されるようになったとしたら、本末転倒であり、本来のあり方から逸(そ)れてしまいます。実際そのような宗教の弊害が、昔からどの地域においても見られます。現代の日本にも、多く見られます。
そうであるからこそ、反宗教的な運動である、精神世界やニューエイジやスピリチュアルが、そのバランスを取り、必要な埋め合わせをするかのように、勃興してきているのです。
ただ、精神世界やスピリチュアルは、それが行き過ぎているところがあり、宗教を全面的に否定し、神さまを思わず祈りさえ行わず、一人ひとりが主体になりすぎて、神さまのことや祈りの実践、利他愛、周りとの協調性などがなさすぎます。感覚的で自分勝手になりがちです。
宗教はテーゼ、精神世界やスピリチュアルはアンチ・テーゼ、ONEがジン・テーゼです。ブッダの言う、「中道」と「八正道」です。
特定の宗教に関わろうと関わるまいと、神への信仰と祈りは、やはり必要で大事なのです。
ただ宗教が言うように、「宗教が絶対的」というものではなく、特定の宗教宗派に所属しなくても神さまと関われるし、救いに与(あずか)れます。また、特定の宗教に関わらなくても、お祈りや信仰はしたほうがよいのです。
最終的には、特定の宗教宗派は必要なくなります。人類はもともとそういうあり方から始まっているし、最終的にはそうなります。
宗教の成長段階としても、人間の宗教段階としても、宗教の組織や建物や儀礼などは、後からのものにすぎません。もともと、物的な形になっていないものを扱う領域です。
それゆえ、物や形は最初はなかったし、もともといらないものであり、あってもよいのですが、手段にすぎず、それが絶対化されては、本末転倒です。逆に妨げとなってしまいます。
神さま、仏さま、霊的存在方、本当の愛、命、心といった、本来、物になっていない、物の元になる、目に見えない存在と働きを扱う分野です。それゆえ、物や形式や建物などが幅を利かせすぎると、本末転倒です。
さらに、学ぼうとする一人ひとりが利用され、抑圧され、組織の手段となっては、完全に道から外れてしまいます。
本来、物ではない、目に見えない世界に関することを扱う分野なのですから、形や物から自由に、それそのものを大事にして働かせればよいのです。真心、生きた愛、善の実践こそが本質で、大事です。
できるだけ物や形は必要最小限に留め、シンプルに素直に正直に、本質そのものを大切にして、本質そのものを正直にそのまま行うように、心がけてください。物や形式は、必要最小限に留めるのです。内容と働きと心がけに注目です。
「心」「命」「本当の愛」「神さま、仏さま」、そういった生きた本質をこそ大切にし、それを真心から行うようにするのです。
日本でも古神道は、そういうありようから始まっています。そしていずれは、物の時代から本当の目に見えない世界を主軸に据えたあり方が、人々の成長と共に訪れます。それが「ONE」という本来の、理想的なあり方です。
このように、宗教から離れてもよいのですが、神への信仰と祈りは続けたほうがよいのです。
精神世界やスピリチュアルでは、「自分主体」「自分中心」になりすぎています。「利他愛」や「協調性」「自分を見て反省し、改善すること」などが、少なすぎます。「神への信仰と祈り」も、なさすぎます。
もともと精神世界やスピリチュアルは、宗教の弊害に気づき、宗教に対する疑問から始まっている運動です。そのため、反宗教の傾向が強いのです。それは必然でした。
しかしそこに留まることなく、そこを通って濾過され、浄化されること。そこで本来の、これから望まれる「ONE」というありようが、求められるようになります。それがARIでの、「ONEの学びと実践」です。
これまで宗教と、神さまに関すること、祈りや信仰が結びつきすぎていました。確かに宗教と神さまに関わることは、関連はしているのですが、全くイコールというほどではないのです。
それゆえ、宗教から離れても大丈夫です。宗教から離れてもいいけれども、神への信仰と祈りは続けるべきです。また、宗教から離れても、神への信仰と祈りは行えます。
ある場合には、特定の宗教の組織から離れたほうが、純粋に神さまと関われて、じかに神さまとの繋がりを頂けて、生きていけるようになれます。宗教が助けになることもありますが、逆に妨げになることもあるのです。
特に、ある成長段階に達したならば、もともと宗教の組織や方法は方便ですから、いらなくなるのです。自然に離脱するようになります。
宗教はある程度あってもいいけれども、あくまで手段ですので、強調しすぎないこと。これからの時代は一人ひとりが大事にされ、一人ひとりが主体になって、本来の自分に目覚め、根源神さまや天とじかに一人ひとりが直結し、関わらせていただいて、自由にのびのびと自分らしく生きていく時代になります。
ただその場合の「自由で自分らしい」というのは、自分本位ではなく、ただの自分勝手やわがままではありません。人のことも思いやり、大切にし、程よく自立しつつ周りとも協調し、共存するというバランスの取れた健全なあり方です。「自分勝手」では、まだ中途段階です。「神への祈りと信仰」「利他愛」「善の実践」、それらが大事です。
ONEの信仰と祈りは、根本信仰です。いろいろな宗教の元にある真理であり、いろいろな宗教を生かす普遍原理と真理です。
「ONE」においては、宇宙創造神さま、天の創造主をこそ重んじ、そこにこそ帰依し、自分の命を預けます。真の一神教です。
それによってあらゆる宗教や宗派、それぞれの神仏や霊的存在方や神社仏閣も、その下(もと)で初めて活かされるようになります。
このような認識と方向は、「空海のマンダラ観」として、すでに平安時代に提示されています。それが完成し、発展したあり方で、これからの時代に合わせて行われるようになるのが「ONE」です。
空海の教えの「大日如来」が、ONEの教えの中の「天の創造主、宇宙創造神」に相当します。「ONE」の下で全てが意味をなし、生かされるようになるのです。
その意味で「ONE」においては、いろいろな宗教の組織や宗派、儀礼や物、形式なども否定しません。「ONE」の下で全てが意味をなし、生かされる、と見ます。
ただ多くの場合、実情として、根源というより末端の所が重んじられ、それらに偏り、部分的になり、それにこだわり、部分を絶対化し、他を否定排除するようなあり方がほとんどです。他の部分と対立、拮抗します。
そういう問題があるからこそ、一般の人々は宗教離れをし、神さまへの祈りからも、離れてしまっているのです。そういう実情があるので、一般宗教への反動としての、精神世界やスピリチュアルが、出てくるようになったのです。その意味では、精神世界やスピリチュアルが出てきたのは必然であり、よかったのです。
ただそこで留まると、それはアンチ・テーゼですので、別の極端であり、宗教とは別の弊害が出てきています。
そこで、アンチ・テーゼを経て、そこに留まることなく、ジン・テーゼとしての「ONE」に向かっていくことが求められます。それで日本には、ARIが設けられたのです。それがARIの役割です。
もともと精神世界の中でも、エドガー・ケイシーの流れは、ただの精神世界やスピリチュアルというより、「ONE」に近いあり方です。本物なのです。
ただ、百年ほど前のものですし、アメリカの当時の教えですので、エドガー・ケイシーからポール・ソロモンを経て、日本にヨハネ・ペヌエルが現れ、「完成形態としてのONE」を実現させ、出しつつあります。いきなり最初から完成したものは、出せないものなのです。法則からして。
ただ精神世界の中では、エドガー・ケイシーから始まっているリーディングの本流は本物であり、「ONE」に近いあり方なのです。そうであるからこそ、その流れからヨハネ・ペヌエルが現れ、「ONE」を日本で出せるようになったのです。
反宗教になりすぎてはいけません。しかし、宗教が絶対的なものでないことは確かですので、あまりに宗教に囚われすぎないことです。本来、人は自由であり、平等ですので、恐れないでください。人を縛ってはいけないし、自分で自分を縛ってもいけません。
特定の宗教の組織に所属しなくても神さまと関われるし、救いに与(あずか)れます。安心してください。自由に学び、祈ってください。
ある成長段階までくると、こういうことがわかるし、わかるだけでなくて、そういうことが無理なく実現できるようになるものです。
今世のヨハネ自身も、必要なプロセスを経て、その時その時の成長段階に合う、宗教や神さまとの関わりを、イニシエーションとして通ってきているのです。
外界は内実の表れです。その時点の本人の内実を表す、現実の状況と動きと体験になります。この法則は、霊的な学びや神さまとの関わり方においても、当てはまる法則です。
宗教の組織は絶対的なものではなく、もともと方便です。人間一人ひとりが主体であり、大事です。気をしっかり持って安心して、自分主体に、今の自分に合う祈り方や、神さまとの関わり方にすることです。
いずれ人々が宗教を卒業し、自由に自分の意思で神さま、しかも根源の神さまとじかに関わり、交流させていただいて、生かされて生きていくようになります。
もし宗教もこのことに気づいて、それに合わせるかのように行っていくならば、そういう宗教は本物であり、これからも有用で、求められ、生き残ることができます。それが新しい形態の宗教です。
そうでない宗教は弊害があり、役に立たず、いずれ人離れし、衰退していきます。あるいは自ら問題を起こして、崩壊していきます。必ず、それ相応の結果を出します。外界は内実の表れであり、内実の通りの結果が出るからです。
宗教宗派以前に、神さまがおられるのです。宗教は後からのものであり、人間が設けたものにすぎません。それゆえ宗教に関わらなくても、神さまはおられ、神さまと関われて、神さまの恩恵を頂いて、救いにも与れます。
根源の神さまは天におられます。地上も造ったお方ですが、本来、天におられます。形や物や名前を超えて。それが宇宙創造神さまです。自分の魂の親です。
ONEの祈りでは、物的に何もない所で天にお祈りをお捧げします。
神社仏閣は、絶対的なものではありません。
教会も、絶対的なものではありません。
ニューエイジにしても、「反キリスト教」でしたが、「反キリスト」ではありませんでした。キリスト教とイエス・キリストを、分けて捉えるべきです。
キリスト教とイエス様には関連はありますが、イコールではありません。それゆえ、キリスト教に所属しなくても、イエス様と関われるし、イエス様と関わったほうがよいのです。
場合によったら、キリスト教に所属しないほうが、イエス様と直結でき、イエス様の恩恵に与れます。イエス様は本物であり、キリスト教という宗教や教会を超えた存在です。本物とは、そういうものです。
日本でも聖徳太子、空海、親鸞などは宗教宗派を超えて、多くの人たちに慕われています。それが「ONEのあり方」です。
本当の愛と、本当の愛の実践が大事なのです。宗教宗派やその教義、儀式は二の次です。根源の神さまを敬って自分の全てをお任せし、本当の愛に生きることが、最も大事です。
建物とか、特定の形式の祈り方とか儀礼とか、特殊な教えとかは、二の次です。宗教宗派を超えて、全ての人に通ずる愛の原理とその実践が、最も大事です。宗教宗派は、あまり関係ありません。
「どの宗教宗派や組織が本物か?」というよりも、宗教宗派を超えた「本当の愛」が大事なのです。
自分が置かれた所で、何もない所で、天におられる創造主を敬い、その時その時のことを正直に、素直に、自分の言葉でお祈りしてお任せする。
そういう中で、その時の現状に一つ一つ、本当の愛によって対応し、周りに良き影響を及ぼして、神さまに導かれて、生かされて生きていくこと。自由で大らかに、全ての人と命を思いやり、共存し、助け合い、自分を知って自分を活かしながら、周りに良いものをもたらして、幼子のように生きていくこと。それが「ONE」です。
自由に気楽に、ダイナミックに生き生きと、根源の神さまとの交わりで、形式や物に囚われず、神と共に生かされて生きていく。
周りの人たちや命たちとも共存し、助け合い補い合い、本当の愛を実践して生きていく。これが本来の理想的なあり方、天国的なあり方です。これが「ONE」です。どの道を通っても、いずれ人はそのようなありようになるし、なるのがよいのです。
特定の宗教や組織に、今のところご縁があって必要な人は、そことの関わりでこういう「ONE」を心得て、活かしてやっていってください。
一方、特定の所にご縁がなかったり必要性を感じなくなってきた人は、自由に本来の「ONE」そのもので、神さまとの生きた交わりの中、現状に一つ一つ応じて、自由に、本来の生き生きした生き方をしていってください。
何らかの形で「ONE」を知り、「ONE」に関わるようになった人たちは、自分の魂が求めたことであり、「神さまからその機会を与えられた」ということを表しています。
自分の気持ちにも正直に素直になって、自分で「こうだ」と思うところに従って、霊的な学びと実践にも励み、それを実際的なことにも適用し、役立てていきましょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉
ARIメッセージリーディングNo.328 運命に取り組む 2026.4.16
質問:運命はありますか。あるとしたら、どのようなものですか。運命の開拓法はどのようなものですか。ONEの観点からご教示ください。
ソース: 運命はあります。全てが「偶然である」とか、「でたらめである」とか、「変えられない」とか、ということではありません。「将来のことは何も決まっていない」ということはありません。ある程度は決まっています。
しかし、「何もかも決まってる」というほどではありません。ある程度は決まっているし、自由になる部分、まだ決まっていない部分もあります。
また、ある程度決まっている部分でも、変えられる部分もあります。あるいは、変えられない部分であっても、「なぜそうなるのか」を理解して、現状を受け入れ、変えられない部分を肯定的に捉えて、それと折り合いながらやっていくことは可能ですし、それが望まれていることです。
「運命」というと、一般には「占い」が思い浮かばれます。もちろん「占い」にも、根拠や効用はあります。ただ、「運命」=「占い」と同一視して、「占い」を絶対化し、「占い」に頼りすぎ振り回されると、本質を見失ってしまいます。
「運命だから」とか、「こういう星がある」とか、「運命を開拓するのは、占いに付随する秘法である」とか、そのようなほうについ走りがちです。
実際、「運命」に関しては、そのようになってしまっている現状があります。
「占い」もそれなりに当たるし、その効用もあります。しかし、占いは手段であり、参考程度にするべきです。
たとえ星が割り出されても、星自体には何の力もありません。「こういう星があるから」というけれども、吉星であっても、凶星であっても、星自体には魔力は備わっていないし、絶対的なものではないのです。「運命」の正体は、星とは別の所にあるのです。
それゆえ、星に焦点を当てすぎて、「こういう生まれだから」とか、「こういう星があるから」とか、「今年はこういう運勢の年だから」とか、そのように見ると、「運命」の本質からぶれてしまいます。でも、そのように陥っている人が多いのです。
星よりも、前世からの経過の中で、本人が経験を通してどのように形成されたのかを見たほうが真相を捉えられます。その上で、これからの心がけ、留意点、役目、可能性を見ていき、神との関わりで、現状に取り組むこと。
ONEの観点から、改めて「そもそも運命はあるのか」「あるとしたらどのようなものなのか」そして、「ONEの観点から見ての、運命の開拓法とはどのようなものなのか」。それを改めて問い直し、これからはその方向で運命を見ていき、運命の開拓に取り組むのがよいのです。
「こういう星があるからこうなる」というよりも、「そういう星で割り出されるものがある」。それは星の影響というよりも、もともとそういうものが本人の内実にあるので、それが徴として星にも割り出されて目安となる、という位置関係です。
外界は内実の表れ、です。内実にあるものがあれば、それが外界にも投影して徴が出ます。それが「星」ということで、割り出されるのです。それゆえ、内実そのものをこそ見ていって、内実を知り、活かすべきは活かし、好ましくない部分は対応し、改善調整していく。神さまのお力添えの下で。
このように星は目安程度であり、星自体に力はありません。それよりも星が示す内面の真の原因を見ていって、その部分に手を加えたり、癒したりすればよいのです。運命の本質からぶれてはいけません。
外界は内実の表れ、です。その時点の本人の内実を表す、現実の状況と動きと雰囲気と体験になります。
神さまの下、因果の法則に基づいて、現実は忠実に動いていきます。およそ実現することほど、確かなことはありません。中にあるものが表れ出てきて、それ相応の展開をとっていきます。それが運命の法則です。
内実とは、本人が持っているものです。内面の実質です。それを一言でわかりやすく言うなら、「心」です。本人の心が運命を作ります。それゆえ、自分を知り、心の状態を良くすることで、その分、運が良くなります。心の状態や心がけが大事なのです。
また、人生には周期があります。ちょうど自然に毎年、春・夏・秋・冬が巡ってくるように、人生も世の中も周期で動いています。一種の生き物だからです。
それが「占い」でも示されているのです。それはある程度目安にはなりますが、絶対的なものでなく、もともと本人のその時のあり方が、外に出てくるだけです。
無いものは出てきません。周期が巡ってきても。良いものであっても、悪いものであっても。その時点のその人に見合う、現実の状況や動きや体験になるだけです。運期や厄年、空亡、天中殺を気にしないように。
「どのような人生を送ることになるのか?」。運命を規定する要因が、4つあります。
1つめは、「本人が前世から作り出してきているカルマ」です。そして、そのカルマの元に、本人の課題や弱点、可能性もあります。
「カルマ」と言っても、悪業ばかりでなく善業もあります。功徳や福徳です。幸運や幸せや健康や恵みの元が、善業です。不運の元は悪業です。
まず1点目は、前世から本人が作り出してきているカルマがあります。そのカルマとの関連で、カルマの元になっている本人の資質や器や程度、内面性、資質、願い、恐れ、悲しみ、トラウマ、才能、学ぶべきレッスン、クリアするべき課題。こういった内面性、すなわち内実。これが運命を形成する要因の1つめです。まさしく、本人の「内実」「持っているもの」です。
2つめは、生まれてくる時点で神さまから授かる、「人生目的と役割と使命」です。本人の願いも、関連しています。「どういう人生を送りたいか」という、本人の願いも考慮され、前世からの果たすべきカルマやクリアするべき課題、世の中の時代状況、そういったものから、「今回の人生でどのようなことを目的とし、どんな役割を果たしていくとよいのか」が決められ、それをあてがわれて生まれてきます。
3点目は、「本人の自由意思」です。そもそも自由意思が天から与えられているからこそ、カルマも作り、運命も開拓できるのです。将来のことが全て決まっていないのも、自由意思があるからです。
現在は過去の結果であり、将来は現在を原因とする、それに対する結果です。因果の法則が一貫して、過去から現在、現在から未来にわたって、作用し続けています。
・宇宙も世の中も、公正です。
・やればやっただけのことがあります。
・全ては正当に報われます。
・全てのことは、日頃の積み重ねから出来ています。
・外界は内実の表れです。
・その時点の本人の内実を表す、現状と 体験と行動になります。
これからの「自由意思の使い方」が大事なのです。また、自己育成、改善、成長、善業。それこそ、「運命の開拓」になります。
4点目は、「神のご意志」です。神のご意志は、2点目の「本人の生まれてきた目的と果たすべき役割」とも関連しています。生まれてくる時点で、神さまからお役を授かって出てくるからです。そして、生まれてきてからも、その神のご意志が一人ひとりに及んでいます。
「運命」のいちばんの元は、神にあります。自分の状態にしても、周りの状況にしても、偶然そうなっているのではなく、直接には、本人が前世から今に至るまで、いろいろ思ったり、語ったり、行ったりしたカルマに対する、それ相応の結果となっています。
そして、「これからどうなっていくか」は、現状の中で自由意思を使って、どんな思いと言葉と行い、対応をするかで、「これからどうなっていくか」が、決まっていきます。新しいカルマです。人には自由意思があるからです。
このように、現在の本人の状態や周りの状況がこうであるのは、直接には本人のカルマ的な、正当な結果です。そして、「これからどうなっていくのか」は、これからの本人の新しいカルマに対する、それ相応の結果となっていきます。
同時に一方、現在の状態や周りの状況にしても、これからの状態や状況にしても、「どうなるか」のいちばんの元は、「神のご意志」によります。
直接には本人が作り出したものであり、いちばんの元では「神のご意志」の表れともなっている。どんな状態や状況においても、この二重の面が一つの事実に、矛盾なく同時に働いています。
直接には本人が自由意思を使って、カルマ的に自ら招いたものでありつつ、単なる自力では終わらず、そこに神が関与して計らい、それすら果たさせ、育て導いてくださるということで、「運命」のいちばんの元は、神にあるのです。
以上の4点の絡み具合で、「どういう運命になるか」が規定されます。この4点の混じり具合によって、「どんな人生模様になるか」が決まります。
時には、神のご意志が強く関与して動く事柄もあれば、時には本人の人間としての思惑や自力やカルマが表立って動いていく事象や体験もあります。種々さまざまです。
1点目の、「カルマ」の観点から説明するならば、「どんな人生になるか」は、カルマが果たされていくプロセス、なのです。
現実の動きや状況は、前世で作ったカルマが表れ出て果たされていくプロセス、そのものです。神さまが「カルマを解いてあげましょう」ということで内実が表れ出て、解消へと向かうのです。
そのことを知って、どんな現実でも、まずは認めて受け止めること。そして、良い心がけで、「ONEの教え」と自分の内なる導きを指針として、現実のいちばんの元であられる天の創造主のお力添えを頂いて、その現状にきちんきちんと、「中道」と「八正道」で対応し続けることです。
そうすると、カルマが表れ出て着々と解けていき、それに応じて現状も改善し、必要な願いは、相応しいあり方で叶えられていくのです。
2点目の、「人生目的と役割」の観点から「運命」を説明するならば、「どんな人生になるか」「どんな現実になるか」。それは、本人が生まれてきた目的と果たすべき役割が行えるように、備えられ、遂げられていく方向での、現実の動きなり、人生模様なりになるのです。
「どうして自分の人生は、こうなってきているのだろう?」
「これからはどうなるのだろう?」
1つの説明として、前世で作ったカルマが果たされていくプロセスだ、ということ。
2つめの説明として、生まれてきた目的と役割が遂げられていくような人生になる、ということ。
そして3点目として、自由意思をどのように行使していくかによって、「どんな人生になるか」が決まっていくということ。
これまで、このようになってきたのも偶然ではなく、人のせいでもなく、誰あろう自分自身が思いと言葉と態度と行いによって作り上げてきた、それ相応のカルマ的結果なのです。外界は内実の表れなので。
その意味で、自分に責任と目的があります。責任を取らせるべく、現状が目の前に現れ出るのです。神のお計らいで。
誰でも自分のものを背負って、それ相応の人生を送っています。その時点のその人を表す状況や立場に置かれ、自分の状態も自分が作り出してきたあり方です。肉体の状態も心の状態も、能力も。
そういう現状に立って、これからの新しいカルマとしての、思いと言葉と態度と行いをどのようにするかで、現状を踏まえ、自分の状態も周りの状況もそれ相応に変わっていきます。それは、自由意思があるからなのです。これからの自由意思の使い方に、鍵があるのです。運命を開拓する上での。
そして4点目は、神のご意志です。
現実は直接には、自分がカルマ的に招いたそれ相応のものであり、同時に現実のいちばんの元は、神のご意志の表れです。
そこで、現実の全ての元であられる天の創造主に注目し、「運命」のいちばんの元であられる天の創造主を敬い、その時その時のことをよくお祈りして、任せ切ること。
そういう中で、現状にきちんきちんと、神さまのお力添えとお導きを頂きながら、対処していくことです。他力の中で自力を尽くすのです。
「運命」のいちばんの元は神にあるので、創造主によくお祈りしてお任せし、神さまのお力添えとお導きを頂きながら、現状にきちんと、自由意思を上手に使って対処していくのです。
それにより、前世からのカルマも、今世の生まれてきた目的も、着々と遂げられていきます。これが「運命の開拓法」です。
「ONEの教え」を指針とし、また、自分の内なる導き、「こうすると良いと思う」そのような自分の心の思いをも指針として、神さまのお力添えを頂きながら、自由意思を上手に、適切に使っていくのです。それにより、過去のカルマも人生目的も着々と遂げられて、前に運ばれていきます。自分の状態も周りの状況も、着実に良くなっていきます。
ちょっとでも上手くいったら素直に喜び、感謝し、それを励みに、次に繋げていきましょう。
一方、すぐに良くならなかったり、上手くできなかったりしても、このことを疑わず、この方向での取り組みを諦めず、見直して原因を突き止め、体験から教訓を学んで改善し、自分や周りを調整し、また取り組むのです。
そうこうするうちに、この取り組みの中でコツが掴(つか)めて、調整がついてきて、上手くいくようになるし、状況も良くなってきます。問題は一つずつ解決して片づいていくし、願い事や目標は、必要でご縁があるなら、相応しいあり方で叶えられていきます。人生では、自分にご縁と目的のあることが叶うのです。
カルマが解消し、自分の状態が良くなれば、問題は解決します。きちんと必要なことをしていけば、ご縁と目的のあることは、相応しいありようで、叶えられていくものです。
誰でも、その人を表すような人生を送ります。外界は内実の表れ、だからです。極めて正当的です。本人の内実、人間性、器、程度、行いに応じた人生となります。
身の回りのちょっとしたことで喜び、ちょっとしたことを励みに、明るく健全に、慎ましく、置かれた所で工夫し、配慮して、生きていけばよいのです。
生命は永遠です。これからも生かされ、どんなことも無駄に終わらず、正当に報われて、次に繋がっていきます。本当の意味で、自分を大切にすることです。自由意思を適切に使い、その時のことに専心すること。
「ONEのお祈り」の、基本的なお言葉があります。その基本的なお祈りのお言葉に続けて、その時その時の気がかり事や願い事を、具体的に自分の言葉と表現で、創造主様にお伝えしてお任せし、その現状に向き合い、神さまのお力添えを頂きながら、取り組んで生きていくのです。
このように一生を長く生きていると、その時その時で、気がかり事や願い事が出てきますので、その事をこそ、ためらわずにお祈りしてお任せし、神さまのお力添えでその事に取り組んでいくのです。神と共に生きる、ということ。
祈りは生きた力であり、実際的な働きです。神と共に生きていく。神さまに、その時のことをためらわずにお祈りしてお任せし、神さまのお力添えでそのことに取り組んでいく。
こうして気がかり事はクリアされ、願い事は必要性があるなら、相応しいあり方で叶えられていく。
こうして神さまのご助力とお導きを、祈りを通して頂きつつ、自由意思を適切に使って、その時その時で生きていく。これがONEの、ダイナミックな生き方です。
こうすれば前世のカルマも、生まれてきた目的も、着々と遂げられて、人生を全うできます。そのように、最初から作られています。「いつも神さまと一緒」「神と共に生きる人生」。そのように生きるのです。
ONEにおいては、特定の手の込んだ儀式や作法は、いりません。神殿も物も不要です。手ぶらで気軽に自由に、どこでも神さまにお祈りし、自分の思いを切々とお祈りして委ね、後は安心して、置かれた所で自分らしく、健康的に生き生きと、生きていけばよいだけです。
本来、神さまとの関わりには、物とか形式とか、手の込んだ儀式はいりません。創造主は、自分の魂の親なのです。
本音で天の創造主に向き合わせていただき、何もない所で、如何に真心で、生きた交流と親睦を図っていくか。神さまとの繋がりと関わりで、自由にシンプルに、自分らしく、人を思いやって、自然とも調和して、自分の場でやっていけばよいのです。それが本来の、理想的なあり方です。天国的な生き方とあり方です。
本来、宗教の組織や手の込んだ儀式や儀礼、祈りの作法や道具は、いらないのです。あってもよいのですが、必要最小限でよく、大事なのは中身であり、真心です。元々、物や形ではない、命、愛、神、魂、心を扱っているのですから。
形式や物や道具に落ちては、ぶれてしまいます。形より精神です。真心と素直さが、命なのです。占いも一つのツールであり、参考程度に留めるべきです。
以上を知って安心して、自分が置かれた所で自分らしく、生きていってください。周りを配慮し、協調しながら。
自分を見直し、整えて生きていってください。その時の自分に見合う、現状と体験になるのですから。
希望をもって、身の回りのことを大切に生きていくのです。神さまのお計らいで、その時自分がするべきことをする上で必要なものは、全部与えられています。有形無形を問わず。
今するべきことや、すると良いと思えることを、きちんとするだけでよいのです。それによって、次に駒を進めることができます。そしたら、次するべきことができるような状況や条件になっています。
こうして神さまにお委ねし、育て導かれ、自由意思を上手に使って、神の子として、生き生きとこの世で人生を送ることでしょう。この世に生まれてこれたのは、「恵み」なのですから。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉
ARIメッセージリーディングNo.327 新時代の育児 2026.3.11
質問: 新時代の育児について、ONEの観点からご教示ください。
ソース: ARIにおいてONEを学ぶのは、「自分で自分のことを見てあげて、自分のことを育て直すこと」にあります。
ちょうど親として、わが子を見てあげて育てるように、自分で自分のことを見てあげて、セルフケアし、自分のことを長い目で見守って、忍耐強く工夫しながら育てていくこと。それが、ARIとの関わりでONEを学ぶ目的です。
神さまのお計らいで、今世においてわが子を授かり、育てていくことが必要な場合は、自(おの)ずとわが子を授かり、育てていくようになるものです。
その場合でも、自分の幼少期から子どもを授かる時までを辿(たど)り直すかのように、わが子を見てあげながら子どもに対応し、育てていくのです。子育てのプロセスを辿ることは、とりもなおさず自分自身の成長過程を辿り直すことになるからです。このようにわが子の育児以前に、自分で自分を見てあげて自分を育てる、ということが基本であり、人生目的になっています。
その際、わが子を授かって育てていくことが必要な場合は、子どもを授かって育てて見てあげることになる、という位置づけです。
植物や動物を育てるのと同様に、育児にも愛と理解が必要です。子どもは親が育てたように育ちます。因果の法則は正直です。親の価値観、人生観、人間観、愛が試されます。
本当の自分に気づいて、本当の自分を取り戻し、なるべき自分になること。それが人生目的です。誰においても。
前世を探るのも、そのことと別ではありません。今世の自分の基盤となっている奥深い自分を見ていき、奥深い自分を癒したり、清めたり、育成し、良い部分は気づいて育てつつ、発揮していくこと。その方向で前世は明らかになるし、前世は扱われます。
基本は、本当の自分を知り、本当の自分を取り戻して、なるべき自分になること。そして、良くなってきた自分を現状の中で発揮して、人々の助けとなり、役割を果たして、自分の運命を全うすることにあります。
ARIは生涯教育の場です。「人生百年時代」と言われるようになりました。その意味では、ARIは「百年塾」の場です。
主に、成人を対象とした生涯学習の場ではありますが、お子さんもARIで学ばれておられ、基本的には0歳から100歳までの全ての人が、ARIでのONEの学びの対象になっています。
人は輪廻転生しています。「前世から今世、今世から来世に至るまで、三世に至る生涯学習」、それが輪廻転生の目的です。
こうして本来の自分に気づき、本来の自分を取り戻し、なるべき自分になって、自分がおるべき所でするべきことを果たし、周りの助けになって社会を良くすること。それを遂げて、神さまの御許に返り咲くこと。これが、輪廻転生の究極の目標です。
神は人を愛し、育て導かれています。ARIも、その一環としてあります。それで、ARIは生涯学習の場になっているのです。
教育という場合、その漢字の上の「教」の部分と、下の「育」の部分とから成り立っています。下の「育」のほうが基本です。その上で、上の部分の「教」、教えることが成り立ち、実りをもたらします。
育てるほうは胎蔵界で、母性を基本とします。一方、上の部分の教えるほうは、金剛界の能動的男性的な働きかけになっています。
子どもが、お母さんとお父さんによって誕生し、育てられるように、母性的な「育」の面と、父性的な「教」の部分がともに、人間が育つ上で必要です。
「育」は愛、受容的、「教」は知恵、能動的です。陰陽相俟(ま)って、教育が滞りなく行われ、全うされます。
人間を育て教育していく上でも、まずは育て、見てあげ、ケアする。そのように「育」が欠かせません。それがある程度できてきたところで、「教える」という働きかけが必要になってきて、実りをもたらします。
人のコミュニケーションにおいても、自分が相手に話す場合と、相手の話に耳を傾けて聞く場合との、相互通行で成り立ちます。
神さまと自分とのコミュニケーションにおいても、自分が神さまに語りかける「祈り」の面と、神さまが自分に語りかけ、答えてくださり、エネルギーを送ってくださるという「瞑想」の側面。その相互通行がバランスよくかみ合いながら、スムーズに行われてこそ、神と自分とのコミュニケーションが、健全にバランスよく成り立ちます。
人は生涯、必ず「育の面」と「教の面」との両方が必要です。ただわかりやすく大まかに言うならば、「育」のほうが基礎であり、先立ちます。その上で「教」も必要とされ、役に立ちます。
「教」が先行しすぎたり、行われすぎたりすると、不具合を来します。学校教育にしても、塾などの学びでも、「教」が強調されがちです。一方的に教え込むという働きかけが。
しかし、人が本当に育つためには、「育」がベースであり、不可欠です。愛情に基づくケア、体の栄養、心の栄養などです。
どちらかというと、「育」は心に関連し、「教」は頭に関連しています。心をベースに頭が働くのですから、心のケアや育成が大切なのです。
知能などを重んじすぎて、また、知識を重視するあまり、技術や知識を先行すると、心や体が育たないまま、また癒されないまま、進んでいってしまいかねません。「全人教育」や「情操教育」などとも以前から言われています。「ONE」という命の全部をかけた真の教育が、求められます。
魂をベースとして、頭と心と肉体が調和しながら育成されていくこと。そして自分の中の魂が、天の創造主と繋がることです。
なぜなら「命の木」の、その幹は、天の創造主であり、自分の中の「魂」は命の木の枝に相当するからです。
枝は幹に繋がってこそ育ち、癒され、活き活きしていられます。そのようになってこそ、魂を通して頭も心も肉体も活性化し、発達していき、健全に自分の個性を発揮して、世のお役に立っていけます。
そうなれば人々から喜ばれ、求められ、自分の中にも喜びや感謝が湧き、恵まれ、生きていけます。
ちょうどわが子を親としてみて上げて、育てていくように、自分で自分のことを見てあげて育てていきましょう。これはわが子の子育てに限ったことではなく、誰においても必要なことです。
子どもを育てる場合、そのことが今世の目的にあって、成長過程で必要ならば、子どもを授かって育てることになるのです。
息子を授かって育てていくことで、自分の中の男性的面が育て直されます。娘を授かる場合は、自分の中の女性面を扱い、育てていくことが同時進行で行われます。
そのことに気づいて、そのことが必要な場合は、現実がそうなります。もし自分の中の女性面を十分育てる機会が今回の人生である人は、娘を2人、3人授かったりするのです。
起きる理由と必要性のある場合は、時期が来ると相応しい形で起きます。神さまのなさることに狂いはありません。
今世でわが子を授かって育てていく必要性がなければ、子どもを授かりません。そういう人はそのことに気づいて、基本である自分自身をわが子のように見てあげて、自分を育てていくことに取り組みましょう。
また、人によっては学校の先生になって、他の子どもたちを教育したり、あるいは仕事で部下や後輩を与えられて、部下や後輩を見てあげたり、世話してあげたりするというように、天から機会が与えられるものです。自分でもそのことを欲したり、それが必要だと思えます。
ちゃんと天の配剤で、現状や起きてくることが必要性や目的に合わせて、ぴったりになります。
そのことに気づいて安心し、いつでも現状に集中し、目の前のことにきちんきちんと当たっていけばよいのです。
また、そのことに気づいて、これまでの自分の人生の歩みを振り返るならば、今世の自分の目的や、神さまが自分に求めてこられていることが明らかになってきて、心置きなく現状で、やっていけるようになります。
子どもを授かって育てていくようになっている人は、輪廻転生のプロセスの中で、今世おいて「わが子を育てる」ということが、カルマを果たしたり、自分を育成したりする上で必要でためになっているから、そうなっているのです。また、それが可能なところまで自分が到達したので、子育ての機会を与えられているのです。
そのことに気づいて、子どもを授かって育児に当たっている人は、大いに自信を持って、安心して育児に対応することです。
今世において育児が必要で、しかも関連の魂の助けになれて、その取り組みの中で自分もカルマを果たしたり、自分も育っていったりできる。
そういう時期が来て、その必要性があり、しかもそのことが今の自分なら可能なところまで来ているので、ご縁のあるぴったりの魂を、わが子として授かったのです。
子どもは肉体のレベルでは、自分を通してこの世に出てきましたが、自分の所有物ではありません。神の子です。
そのことに気づいて、天から一時期子育ての役割を与えられて、「自分が育てていく授かりものだ」と気づいて、授かったわが子を心から愛して、自分の心で「こうすると良いと思う」という内なる導きに従い、自信を持って対応していけばよいのです。その中で学びがあり、授かった子どもとのカルマも解消し、子どもも親の自分によって助かるし、親である自分のほうも、子育てを通して子どもから教えられたり、癒されたり、大事なことに気づかされたり、ということが起きます。
子どもを育てているようでいて、実は子どもによって親が育てられている。子どもに教えているようでいて、同時に一方子どもから、親は教えられてもいる。必ず同時進行で、その両方が起きていることに気づいてください。
それにしても、親は自信を持って責任と役目を果たしていくこと。しかも楽しく、ありがたい機会を与えられたことに気づいて、素直に喜び、楽しみながら子育てをして、その機会を満喫してください。
子育ては天からの贈り物、プレゼントだからです。修行の面やカルマを果たす面もありますが、根本の所では、子どもを授かったことは、天からのプレゼントです。そのことを忘れてはいけません。
そのことに気づけば、自信と喜びが湧いてきて、その機会を無駄にせずに済むし、子育てが上手く行えます。そして、子育てに取り組むことに、素直に喜んで、神さまに心から素直に感謝も伝えられます。
育児に取り組む場合、天の創造主のお力添えとお導きを頂いて、行ってください。そして自分の、同じぐらいの年齢の時を思い出して、自分を癒し、自分を育て直すことも同時進行で、起きてくるようにしてください。
自分がそのぐらいの年齢の時「どう思い、どうしてほしかったのか」。そのことを思い出して、取り組んでください。子育てをしながら、自己育てを辿り直していくのです。子どもによって癒され、教えられ、親は救われていくのです。
そういうことが、子育てを通して同時進行で起きるので、わが子が前世では自分の親だったり、先生だったり、ということがあるのです。
例えば、族長ヤコブの12人の息子の中の、11番目の子のヨセフは、キリストの実体でした。父親のヤコブは、末のほうの息子のヨセフを通して癒され、教えられ、救われていきました。それでもヤコブは、ヨセフの親でした。
ちゃんと成長のプロセスにおいて、今世でぴったりの親子関係になります。自分と自分の両親の関係にしても、自分と息子や娘との関係にしても、お互いの成長過程の今の時期にぴったりで効果的な、親子関係になっています。神のなさることに狂いはありません。
その時その時に相応しい、子どもとの対応をしてください。プロセス自体に、目的と価値が宿っています。親として自信を持って、感覚を働かせながら落ち着いて、その時に見合うわが子との関わり方や育て方、対応の仕方にするのです。
ちゃんと根源神さまにお任せして子どもに向き合えば、勘が働き、その時にぴったりの、わが子への応じ方ができます。一緒に遊び、一緒に学び、子ども共々、親である自分も、元におられる神さまに、育て導かれていくようにすればよいのです。
また、自分と自分の配偶者との両親で、共に子育てに当たればよいのです。母親だけで頑張らなくてよいのです。
もし、母親だけ、自分だけで子どもを育てるような状況なら、それが必要で、そういう状況になっているということですから、そういう人はそういう中で、子育てに当たればよいのです。
もし、父親の自分だけで子どもを見てあげて育てるような状況なら、それにも理由や意味や目的があってそうなってますから、それでよいのです。現実を信じてください。現実のいちばんの元は、神にあるからです。
いつでも現状の中で、現状に合わせて、その時自分がするべきことを、きちんと行えばよいのです。そうすればちゃんと、カルマも人生目的も、着々と遂げられていきます。
子どもを見て育ててあげることと、自分自身を見てあげて育てていくことは、別ではなく関連し、同時進行で行われていきます。
子育てをしながら子どもと一緒に遊び、楽しみ、子育てに取り組みながら、教えたり教えられたりしながら、一緒に学び、体験し、根源の神さまに親子共々、育て導かれていくように仕向けましょう。
何か困ったことがあったり、疑問が湧いてきたりしたら、関連の人に聞いて教えてもらったり、神さまにお祈りして、導きとお力添えを請いましょう。
必ず今世に必要で、お互いのためになり、しかも子育てが可能な所まで来ているから、その状況が現実化しています。必ず、育てていけます。
素直に喜んで、自分のことも信じて、わが子のことも信じて、精一杯大切に育てて、世に送り出してあげましょう。それによって親子となった天の意図が、最も良い形で遂げられていき、その後も必要なことがぴったりに与えられて、根源の神さまに親子共々導かれていくように、命の流れが運ばれていくことでしょう。
自分は肉の親になって、その役柄を演じればよいのです。魂の親は神さまですので、自分も子どもも、魂の親であられる共通の親の、天の創造主にお任せして現状に取り組みましょう。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉
ARIメッセージリーディングNo.326 解脱法 2026.2.10
質問: 解脱とは何ですか。どのようにすれば解脱できるのですか。解脱の方法とは、どのようなものですか。ONEの観点からご教示ください。
ソース: 「解脱」は、インドの原語では「ヴィモークシャ」「ヴィムクティ」と言われています。インドの思想と宗教では、多く扱われている概念であり、仏教の開祖のブッダも、その概念を取り入れ、追究し、重んじました。解き放たれること。特に煩悩に縛られている状態から心が解放され、迷いの苦を脱することです。「解脱」には、人は、あの世とこの世とを生まれ変わり続ける、という「輪廻転生」が前提にあります。
人は、我執と無知によって、輪廻転生を続けてしまう。無明と愛欲によって、輪廻転生からなかなか免れることができない。そこで真理を悟り、無明が明知に変化し、愛欲や我執から解放される。こうして輪廻転生を終えられる。
このように、「カルマを解くことで、輪廻転生のサイクルから脱すること」。これが「解脱」です。解脱とは、「カルマから
の解脱」であり、「輪廻転生から解放されること」です。
この世の物の領域と自分の肉体から解放されて、本来の自由なあり方と安らぎの境地に回帰することです。仏教ではそれを「ニルヴァーナ(涅槃〉」と名づけています。
ブッダは特に、「苦(く)・集(じゆう)・滅(めつ)・道(どう)」の四聖諦(しようたい)を基本項目としました。
「生まれてくることも、人生を生きることも苦である。ではなぜ、苦しまなければならないのか」
「それは、苦しみの元となる原因を、自分が集積しているからである」
これが前半部分の「苦・集」に相当します。
「では、苦から脱するためにはどうしたよいのか」
「そのためには、苦の原因となるものを滅すればよい。そのためには八正道と中道の道を歩むことが、効果的である」。
これが後半部分の「滅・道」に相当します。
もう少しわかりやすく説明すると、「人生が苦しいのは、苦しみの元となるカルマを自分が作り、自分がカルマを集めているからである」。カルマの代わりに「因縁」と表現することもできます。
「では、どうしたらよいのか」
そのためには、苦しみの原因となっているカルマを解消し、カルマから解脱することである。そのためには方法や道として、八正道と中道が良い。八正道や中道の「中」とは、「適切で適度、理に適っていてぴったりで効果的である。本当の愛と真実に基づく思いと言葉と態度と行いである」というものです。
要するに、八正道と中道の中身は、「ONE」なのです。「天の摂理」「本当の基準」「ダルマ」です。
カルマがダルマと化することで、自分が正され、清められ、カルマが解消していきます。「成長する」と言っても良いし、「清められ、育成され、正される」とも言えます。癒され、本来の自分が回復することです。自我やエゴを脱して、大我や真我や神我が実現してくることです。
ブッダ自身はそのような積極的表現は使いませんでしたが、仏教の歴史は、そのような方向で発展していきました。「大きな我」「真実の我」「神なる我」。「魂」とも言えます。インドの思想では、「アートマン」です。
本当の自分に立ち返り、仮我(けが)、仮の我が洗い清められ、癒されていく道です。
「ダルマ」と「ONE」に自分を合わせていくこと。そこで一致してきて、自分が洗い清められ、正され、本来の自分の個性が輝きを放ち、なるべき自分になれます。それがブッダの生命状態です。完成した生命体のありようです。
「十二縁起」では、真理に対する無知である「無明」と、愛欲をもたらす「渇愛」、この2つが苦しみの生存を招き、輪廻転生を続けさせる、と解明しています。
ブッダは現象世界のあり方として、「諸行無常 諸法無我」を説いています。
「物事にも自分にも実体がない。いろいろなものの関わりで、仮に存在しているだけである」。それが「諸法無我」です。後に「空」と言われるようになりました。
「縁起によって生じ、縁がなくなれば滅するだけのものである。だから、囚われるほどのものではない。それぞれのものには、実体がない。だから変化し続ける」「諸行無常」です。だから、執着しないほうがよい、と。
これによって心が解放され、自由になり、囚われから脱することができます。それによって全てをそのままで認め活かすことができ、新たなカルマを作らなくていいようになります。これが「仏のありよう」です。
本当の愛や慈悲には、自由があるのです。何事にも囚われないから縛ることなく、エゴを介在させることもなく、恐れや不安や心配もありません。そのままを理解し、認め、そのままで活かすことができます。これが悟りの境地です。「空を自在に生きる」というありようです。インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』に、「超作」と表現されているありようです。
完成してくると、そのようなありようになるのです。自分の三業が自然の働きの一部のようになります。
全てがそのまま流れていき、活かされ、澱みや滞りや濁りをもたらしません。苦しみや悲しみを招きません。そのままを理解して、認めて活かすことができる、自由自在なありようです。それは八正道と中道の働きとなっています。
肉体の場合もそうなると、健康でいられるのです。そうでない場合はカルマを生じ、体が不調になり、そのうち病気になるのです。
それぞれの事柄において、思いも言葉も行いもONEとなる。ダルマと一致する。自分の魂とも一致する。そうすると自分も人も活かすことができ、困ることや苦しみや悲しみを招きません。これが八正道と中道の中身です。
「ONE」や「ダルマ」ではないあり方、八正道や中道ではない、偏って間違った思いや言葉や行い。それでカルマを生じ、困ったり苦しんだり悲しんだりの事態を招いている。これが人間、凡夫の実態です。それによって、苦しみの生存が生じています。
そのことに気づいて、これからはダルマとONEに基づく適切な、八正道と中道の思いや言葉や行いにするのです。そのようにして、自分のあらゆる生命の営みが本当の基準であるONEに合致してきます。人間完成するのです。その時、自分を抑えているのではないし、我慢して、ただ合わせているのではありません。
大いなる存在と、そのお働きであるONEに自分を帰依し、お捧げして、本来のあり方が立ち戻ることによって、そのようなありようになります。
その時、仮我や自我は解消し、洗い清められ、本来の自分である大我や真我や神我が開顕してきます。本来の個性の輝きが放たれ、魅力的な人になります。
自分の弱点や課題やカルマを克服解消して乗り越えた理想的なありようの人物は、自分を抑えたり、ただ自分がなくなってしまったり、という人たちではありません。
キリスト、モーセ、ブッダ、空海、親鸞、聖母マリアなどの人物を見ても明らかなとおり、自我を消滅した人、自分を乗り越えた人は、元気がないわけではないし、ただの自己否定の人ではなく、むしろ生命力が旺盛で、明るく元気でありのままで大らかな、魅力あふれる人物たちです。これが本当であり、これが模範です。
ですから、自我が消滅しても大丈夫であり、心配ないのです。自(おの)ずと、エゴや仮我は解消します。大我や真我や神我がそれに取って代わるのです。魂が開顕し、魂の元であられる創造主と自分が融合します。神人合一、即身成仏です。
その時自分の個性が、輝きを放ち、活かされ、周りからも喜ばれ、お役に立てるようになるのです。心から安心し、喜んで、生きていけるようになります。
それは、死を待つこともありません。今この世で、この身のまま、この世で生きているうちにそうなれます。これが、空海の言う「即身成仏」です。この身このままで仏となるのです。誰もがそれを目指すのです。それは可能なことです。
キリストも、そのようになりました。 人間イエスは、キリストとなられたのです。ゴータマがブッダとなったように。一人ひとりがそうなることが願われています。
そのためには、全ての元であられる天の創造主に注目し、天の創造主を心から敬い、自分に関する全てを任せ切ること。そういう中で自分のことも信じて、人のことも思いやって、落ち着いて置かれた状況で自分の感覚を働かせながら、「こうすると良いと思う」という内なる導きに従って、様子を見ながら行っていくこと。その中で学びがあり、カルマも役目も着々と果たされていきます。
ONEという真の基準である八正道や中道に自分を合わせながら、それぞれの場や人に応じて、「何がONEであり、八正道や中道なのか」を見ながら、ONEに自分を寄せていくのです。ONEに合わせていくということ。究極で最高の理想と真実であるONEに、コミットするのです。
こうしてONEに自らを捧げていくことで、次第に仮我(けが)や自我が洗い清められ、仮我が真我、仮の我が真実の我に転換します。そのプロセスを辿っていくことが、人生修行です。
もともと根源の神さまは、一人ひとりがそうなれるように関与してくださり、一人ひとりがそうなれる方向で、体験学習の機会を与えて、育て導いてくださっておいでです。それが人生で起きてくることや体験させられることの、説明になっているはずです。
起きる理由と必要性のあることが、時期が来ると相応しいあり方で起きます。真の意味で良くなるために。
神は愛と知恵をもって、一人ひとりを育て導いてくださっているのです。そのことに気づいてそのことに従いながら、安心して落ち着いて、自分のことも人のことも信じて、自分を自覚しながら、調整され、正されていく方向で、現状に対応しながら生きていきましょう。
これまでの人生の歩みを振り返って、点検・確認することで、自分のことを知ることができます。現状には、現時点の自分が正直に表れ出ています。そのことにも気づいて、現状の中で「こうすると良いと思う」という、自分の内なる導きをより所に、現状に応じていくのです。
ブッダは、「自灯明 法灯明」を説きました。「自らをより所とし、ダルマをより所とする」と。
このように「解脱」とは、「カルマから解脱し、輪廻転生のサイクルから脱して、本来の生命の自由なありように還ること」です。そこに向かうことを決めて、取り組んでいる者たちが、「菩薩」と呼ばれます。そのことが成就した者たちを、「ブッダ」と呼びます。
ケイシー・リーディングでは、2500件、ライフ・リーディングが行われました。同じ人が何件か受けていることもあって、実質1200人ほどの人たちが、ケイシーからライフ・リーディングを受けました。
それらのうち18名の人たちが、「今世で転生を完了するであろう」と言われました。1200人から1300人のうちの18名でしたので、70人に1人くらいが、「今世で転生を完了する」と、言われたことになります。恐らく一般の人たちまで含めれば、100人に1人くらい程度でしょう。
なぜなら、ケイシーのリーディングを受けることができるということで、すでにある程度のレベルに到達している人たちだったからです。一般の人たちまで含めれば、今世で終えられる人は、100人に1人もおられないことでしょう。
この、「転生を今世で完了できるであろう」ということが、「解脱」にほぼ相当します。
ただ厳密に見れば、ケイシー・リーディンで言われた「転生完了者」ということは、「解脱」までには至っていません。解脱にまで至っている人たちも含まれていたかもしれませんが、「転生完了」がそのまま「解脱」ということにはなっていません。「解脱」のほうが、もう少し高いレベルです。
なぜなら、転生が完了できても、まだ完全にはカルマから解脱していない場合があるからです。
転生受肉は、しなくて済むようになっている。カルマはまだ多少残されてはいるけれども、後は霊界で解消できる範囲になってきている。それが「転生完了」と言われた人たちのレベルとありようです。
ただ、ヨハネ・リーディングでは、次のようなことも言われます。「この世も本来、極楽浄土である」と。
神は、この世も極楽浄土として造ってくださった。そのことが自然の美しさにも表れている。それゆえ、この世に転生受肉してくることは、必ずしも、問題でも苦しみでもない。
むしろ「かわいい子には旅させよ」という諺(ことわざ)にあるような、魂の親であられる創造主が人間たちに、素晴らしいこの世に生まれてくることをプレゼントしてくださって、この世に旅に来ている。それが「転生受肉だ」ということ。
そのことがわかれば、必ずしも輪廻転生は問題でも苦でもなくなります。「できるだけ早くこの世を離脱しよう」とは、思わなくなります。あまりに執着しても困りますが、空(くう)を自在に生きるありようになれば、この世を清め、癒すことができます。それこそが菩薩です。この世は、本来の極楽浄土と化するのです。そのことも、この世に生まれてきた者たちの使命です。
「解脱」のための、いろいろな秘法や方法が、宗教では設けられ行われています。それはそれで意味と役目と効果はあります。
しかし本筋は、神直々に一人ひとりを愛して、正当に取り扱ってくださっておられるので、人生そのものが修行となっています。
そのことに気づいて、全ての元であられる天の創造主を敬い、自分の全てを任せ切ること。
そういう中で、思いやりの心を持って、内なる導きに従い、ONEを指針として、現状の中で「こうすると良いと思う」という自分の思いをより所として、現状に対応しながら学び、正され、育て導かれていくように、現状にて生きていくのです。そうすることで自(おの)ずと正され、清められ、癒され、そして育成されていきます。
自分に合う良い目標を持って、ONEにコミットしながら、その時その時を大切に、丁寧にきちんと真心から生きていってください。これが本道です。これがONEです。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉
ARIメッセージリーディングNo.325 2026年の展望 2026.1.22
質問:2026年の立春を迎えるに当たり、本年の日本と世界に関して、胎蔵界的、金剛界的両観点から予測し、展望してください。併せて、留意点、対処法もご教示ください。
ソース: まず世界においては、アメリカのトランプ政権の国家主義が、さらに加速します。それによってアメリカは、民主主義のヨーロッパ諸国や日本、韓国などと関係が難しくなります。
アメリカはむしろ、中国やロシアに気遣い、歩み寄るようになります。アメリカが民主主義国であることに変わりはないにしても、大国としての、中国やロシアのようなあり方になり、中国やロシアと歩み寄ります。
その余波を受けて、ウクライナはアメリカの理解や支援が得られにくくなり、厳しい事態に直面する可能性があります。
アメリカが上手くいって、栄えるということではありません。もがくようにいろいろな手を打って、局面を打開しようとします。
日本も、アメリカのそのような動きに気遣い、自分の国の歩む道を、模索せざるを得なくなります。日本にとっては、自立して、アメリカにさほど頼らず、より中立のしっかりした国となることが求められます。
日本としては、韓国や中国など、アジアの近隣諸国との関係の改善に努めるべきです。特に中国に対しては気遣い、言動に注意して、対応していく必要があります。
日米同盟の必要性と大切さに変わりはありません。日本は軍事力を強化する方向に向かい始めています。それが行き過ぎの感があります。
日本はもっと、日本本来の良さと役割に目覚め、教育と福祉に力を注入するのが良いのです。外界は内実の表れです。日本人の精神性や人間性が大事です。その元に、根源の神さまと日本の魂があられます。そのことに気づいて、そこに基軸を据えることが肝要です。
日本人の精神状態が良くなること。それが本当の守りと、保障になります。その上での適切な実際の対応や対策、ということになります。
2026年の日本は経済的に困窮し、一つの限界に直面するかもしれません。それがまた日本人の心配の種となり、日本として国民が憂うつになって、2026年は精神的に、低迷と混迷を深める懸念があります。日本としては、迷いと低迷が目立つ一年となるかもしれません。
地震に関しては、それほど大規模な地震が起きて、甚大な被害を受ける、ということは少なそうです。
一方、水害のほうは、多い懸念があります。予め、対策しておくことが必要です。
精神的肉体的病に苦しむ人々も、増えそうです。特に日本では、癒しを求める人が増えることでしょう。
日本への外国人観光客は、さらに増えることでしょう。
ARIに関して見るならば、今年は発展と飛躍の年となりそうです。特に、一般社会に知られ、注目され、普及する可能性があります。より一般化して、「ONEの教え」が理解され、求められ、普及するかもしれません。ARIとしては、勢いが出てくる年です。前進と飛躍と普及の年となりそうです。
なおそれだけに、謙虚さや素直さやバランス、他への配慮、適切な対応や落ち着きが求められます。他のグループや一般社会との、協調と折り合いが求められます。
日本の政治に関しては、何かと高市首相の言動が目立ち、混迷を招きそうです。自民党と野党との関連性で、動きがいろいろとありそうです。変化や新しい動きなど、です。駆け引きも多い年となりそうです。
経済面は先ほど述べられたように、日本はあまり上手く回らず、物価の高騰もあり、国民は経済面で心配し、また、精神的にも悩ましい面が増え、そのことが何かと、世間でも話題になりそうです。
そのような日本の情勢の中、本当の教えであり、肯定的で日本らしい大らかな面が、「ONEの教え」を潜在的に求めるようになります。
ARIのほうとしても、今の日本や世界に繋がるような、工夫や調整や配慮が必要です。それによって一般世間とARIが繋がれば、「ONE」が認知され、求められ、その結果普及し、日本はレベルアップし、ずっと良くなります。
今年は、そのように日本全体とARIの「ONE」が上手く繋がるかどうかが、鍵となってきます。そこが上手く繋がれば、ちょうど混迷の日本において、「ONE」が認識され、求められ、普及するようになります。それにより日本人の意識が明るくなり、レベルアップし、日本にも活気が出てくるようになります。
日本の歴史の中にあって、古墳時代のヤマトタケル、飛鳥時代の聖徳太子、奈良時代の聖武天皇、平安時代の空海、鎌倉時代の親鸞、そういった人物の登場によって、それ以降の日本人の意識の構造が変容し、日本人はレベルアップしてきました。それだけの影響力と役割が、ARIには授かっています。
それゆえ、今の時代においても、いずれ遅かれ早かれ、「ONE」が日本において認識され、受け入れられ、求められ、普及する。それによって日本人の意識の構造が変化し、レベルアップし、ONEが文化の重要な部分となって、日本はそれ以降変わっていきます。そのような特性と役割が、ARIにはあります。輪廻転生を見れば、明らかです。
「ONE」が日本に普及すれば、今後、日本人の意識構造や真理への理解が進展し、日本人は明るく元気になります。
今の日本は、一つの行き詰まりを見せています。今年は、その行き詰まりが目立つ年となりそうです。
そういう中にあって、上手く一般社会とARIの「ONEの教え」が繋がれば、人々の潜在的な求める気持ちが、ARIを認識させ、社会に知られるようになります。
今の日本は、少子高齢化が一つの問題となっています。韓国も同様ですが、日本は今後、生命の弱体化と国力の低下に対し、まず軍事力を増強することよりも、精神性とその元にある魂に力点が置かれるべきです。そこに、真の生命力があり、それは日本の安寧、さらには世界平和に資するものだからです。ONEによって、日本が本当に本来の良さに気づき、明るさと元気を取り戻せるのです。
そうなれば、軍事力に注入しなくても守られるし、世界に平和をもたらせます。まず日本の国内が安定し、落ち着けて、明るく元気になります。「ONE」には、それだけの潜在的な可能性と、役割が秘められています。
例えば、平安時代に空海が現れ、鎌倉時代に親鸞が現れたことで、明らかに日本人の意識構造は変わり、進化しました。それが、今日(こんにち)にまで及んでいるのです。
ARIの「ONEの教え」には、それだけのものが秘められています。その役割と目的も、与えられています。
天の世界に気づき、天をこそ敬い、尊ぶべきです。天と地上の人々との間での接ぎ木がなされることで、真に自分を取り戻し、明るく元気になります。そうなれば少子高齢化の問題も、解決へと向かいます。
科学技術や学問、スポーツや文化など、全てにおいて活性化し、日本は真の意味で繁栄するようになるのです。
「日本の元気さを取り戻すこと」、それが今年から求められることです。そこにARIの「ONEの教え」が繋がるかどうかが、一つの大きな鍵となっています。今年がその始まりとなることが、天の世界で切に願われているのです。
「ヨハネ・ペヌエルが世界に新秩序をもたらす。万物の新しい理法をもたらすことで、世界に新秩序が実現する」。その「万物の新しい理法」とは、「ONE」のことです。天の摂理であり、天の基準です。
その天の基準である「ONE」が、地上に反映してくることが、「黙示録」の最後に描写されている、「天から新しいエルサレムが地上に降りてくる」という、崇高なビジョンです。
その光景を2千年ほど前、使徒ヨハネは見せられました。その「黙示録の預言を成就するために、ヨハネ自ら転生してくる」。そのことをケイシーは、先駆者として予告したのです。
使徒ヨハネは、新しいエルサレム降下のビジョンを見せられましたが、その使徒ヨハネは、かつてソロモンであり、エルサレムの神殿を建てた者でもあります。
今の時代においては、物的な神殿というよりも、新しいエルサレムであるONEの内容が地上に普及し、天の世界と地上がアースすることで、ドッキングします。新天新地が訪れるのです。
その、「最初の大きなきっかけと、始まりとなるのが、今年である」。そのことが切に願われています。その意味で今年は、重要な年となります。
日本全体としては、低迷と混迷の年となりそうですが、それだけに本物の教えが求められる可能性があるのです。ヨハネは本命、真打ちです。
そのことを「ONE」を学ぶ人たちは、よく理解し、肝に銘じ、日本の一般の人々がARIの「ONEの教え」に気づき、求めてくることに、適切に応じられるよう心がけ、備えてください。
それによって、多くの一般の日本人が理解納得し、安心し、「ONE」を享受し、「ONE」の恩恵を受けられます。ちょうどあなた方が「ONE」によって救われ、気持ちが楽で穏やかになって、自分として自分の場でやっていけるようになったように、他の多くの日本人もそうなっていけることでしょう。
さらには日本から世界へも、日本ならではの「ONE」、かつて聖徳太子が「和」と表現した「和の心」と人間性が、世界にも及ぶことになるでしょう。
それによってテロや戦争、また温暖化、異常気象なども収束し、「黙示録」で予告されている「新天新地」が実現する方向に向かうことでしょう。
それは、まだ先のことではありますが、今年がその端緒となることが、天の世界で意図され、願われています。地上の人々も潜在的に、そのような本物の教えと人物を、求め出しています。次第に機が熟してきているのです。
改めてその観点で「ONEの教え」と向き合い、日々天への礼拝とお委ね、そして「ONE」の学びに励んでいってください。
さらに「ONE」を理解し、深め、実践していってください。日々の生活や人間関係に「ONE」を応用実践していくのです。それによって、苦境や低迷の中にあっても、悩ましさ、心や体の不調を克服解消でき、清められ、癒され、苦しむことによってカルマを果たし、成長でき、さらに一段と深まって良い状態になり、前へと進んでいけるようになることでしょう。そのようになりますように。
リーディングを終了します。
(ありがとうございました)
〈了〉
