ひかりメッセージ
このコーナーでは、生きていくためのヒントや自分の活かし方に関する、ARIのオリジナルエッセイを掲載しております。(執筆者:浅野光)
タイトルをタップまたはクリックすると、内容をお読みいただけます。
どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。
電車や街中で周りを見渡すと、いろいろな表情をした人がいることに気づかされます。精神面が整っていない人というのは、その人の状態を見れば大体わかります。スーツなどの正装を着ていても、隠しきれません。眉間にシワが寄りっぱなしだったり、怒ったような顔つきだったりする人を見ると、当然周りは避けていきます。
そして「自分は避けられている」というのに気づくと、次第に焦燥感や孤独感に苛(さいな)まれていきます。心の中でこういった状態が続くと、次は身体に症状が出始めます。そして、結果的に心身全体が不健康になっていってしまうのです。
「このような状況になってしまっているのは自分の身体(外見)が悪いんだ」と思い、その状況を打破しようとして病院や美容外科に通う人が世の中多いようです。しかし、根本の内面に問題があることを理解していないので、結局外見を整えてもあまり改善はされないのです。
逆に、服装が質素でも内面が整っている人は、表情や仕草が生き生きしており、とても魅力的に見えるのです。前回もお伝えしたように、魂そのものが整っている人は、自ずと外見も清らかで綺麗な人になるのです。
自分の精神面を整えていけば、表情や雰囲気、自らを包む波動がキラキラしてきて、まずは自分自身が活性化します。
そして、さらに次のレベルになると、自分が放つオーラによって周りをも輝かせることができるようになっていきます。癒し手になれるのです。そうなると、自分と関わりのある人たちが喜んでエネルギーを受け取ってくれるので、自分自身もそれが励みとなり、さらに活力が湧いてきます。
このような良い循環を作っていってください。そうすれば気づいたら肉体的にも健康になっていますよ。
健康で生きるためにまず必要なことは、リズムの良い睡眠です。連休は夜寝ないで過ごしたり、夕方まで寝ていたりする人がいますが、これは身体にものすごいダメージがかかっています。意識上では「問題ない」と思っていても、無意識の中では「異常あり」と合図を出しています。
人間は身体も心も、急激な変化を拒みます。そして、「急激」とまではいかなくても小さな変化ですらストレスになるのです。睡眠時間は人それぞれですが、大体同じくらいの時間に就寝して、大体同じくらいの時間に起床するというのが、身体に負担が少ないです。
そして、食事も言わずもがな健康的に過ごすための大切な要素です。当然ですが内臓も生きていますから、毎日の食べる量が著しく異なっていると身体への負担になります。多少は人付き合いなどで食べる分量のリズムが崩れても構いません。
ですが、そういった外的要因ではなく、自分自身の原因による摂取量のばらつきは注意が必要です。空腹はフラストレーションを生み、満腹を越えて食べ物を摂ることは、消化不良を引き起こします。
最後に忘れてはならないのは、精神や心といった目で見ることのできない部分を大切にすることです。
心の中が整っていると、身体も生き生きとして清潔感も出てきます。内面が混沌としていると、身体を健康的で美しく見せようとしても限界があります。魂そのものが整っている人は活力に満ちており、自ずと外見も清らかで綺麗な人になるのです。
人間は学習し、それを身につけ、次に活かすことができる存在です。その中でも、頭でまず理解することが、自分の状態をよくするための助けとなってくれます。
学習できるがゆえに、学び続けなければならない辛さも確かにあります。ですが、これに関しては「ほどほどに吸収しよう」と心がけて過ごしていれば、学び取ることがあまり負担にならずに、自分の状態も制御できるようになってきます。
ただ、頭で理解し、それを実践で活かせるようになることは口で言うほど容易(たやす)くはありません。自己制御や感情のコントロールなどは頭でわかっていても難しいものです。そういう途中経過を経る中で行き詰まったときでも、心を込めて礼拝や瞑想を行うことは誰もができるはずです。
「もし御心でしたら、私の身体の状態が自然に、上手く調整されていきますようお計らいください」。このような内容のお祈りが効果的です。
しかし、「礼拝」と聞くと、抵抗感を持ってしまう方もいることでしょう。そういう方は、「瞑想」で自分と向き合ってみてください。頭を白紙にして、静かに深呼吸を繰り返しながら次のように瞑想をしてみてください。「自分の身体が不安定な状態が続いています。上手く自分自身が調整されていきますように・・・」。
以上のように礼拝と瞑想でのお唱え方には多少の差異があり、当人の状況によってどちらが向いていて、合っているかどうかの違いはあります。
ただ、いずれにしても心の安定につながる手段なのは間違いありません。
社会で認められている概念、というのが時にマイナス面を引き起こしてしまうことがあります。精神疾患の診断名というのが、その一つの例です。もともと、重症度を分類することで、そういった人たちを援助するために行われた名称付けです。これはやむを得ないことだったと思いますし、確かに今の世の中には必要だと感じます。
ですが、こういった名称があるために、当人が少し行き詰まって上手くいかなかっただけで「自分はアスペだから上手くいかないんだ」とか「自分は発達障害だと思う。だから周りと仲良くできないんだ」といったような事実と異なる過大な解釈をしてしまうケースが生じるのです。
もともと、そういった自分の傾向というのは個性ですから、上手く発揮されれば心強い味方になるのです。少し上手くいかなかっただけで自分のことを○○障害とか○○病だと決めつけるのは、自分に対して失礼ですね。
もちろん、日常生活に支障を来してしまうくらい個性が強い場合は診断してもらい、手当は受けるべきでしょう。ただ、その時も「自分は周りよりも劣っているから手当をもらっている」とは決して思わないでください。
また、皆さんがその当事者ではなくても、周りでそのように言っているお友達がいたら、「そうではないんだよ」と、それとなくお伝えしてあげてください。
周りの人たちが経験できないことを味わってきた体験は、必ずや自分の糧となり、遅かれ早かれ人生に活かされていくものです。自分の個性を認め、自信を持って日々過ごしていきましょう。
皆さんは「デジタルタトゥー」という言葉を聞いたことがありますか?これは「データとして一度アップロードされたものは、削除されてもずっと残るもの」という意味を持つ用語です。これには「悪いことをしたら、一生残りますよ」という抑止力の役割がありますが、どうもそれだけではなく、人類全体の生命力さえも抑制してしまっているように私は感じるのです。
誰しも人生のある期間において、後先を考えずに死ぬ気で努力をして日々過ごす時期があるものです。「後先考えない」という一見するとマイナスのように見える面がプラスに働くからこそ、ある事柄を最後までやり通すことができるものです。無我夢中で頑張って得られたものの代償として、タトゥーのようなものが身体や心に刻まれるのは、必然だと私は感じております。
例えば、私の顔には昔できた傷の跡が残ってしまっておりますが、これは十代の頃、スポーツや学業、人間関係で無理をした結果できてしまったタトゥーのようなものです。一生残るものです。心の中にも当時のトラウマのようなものが少なからず残っています。
ですが、これらのタトゥーと引き換えに余りあるほどの経験値を得ることができました。もちろん、わざと取り返しのつかないことはしないほうがいいです。しかし、あまりに後先を考えすぎて「将来、支障をきたしたらどうしよう」と思うことは、エネルギー出力量の低下につながります。
「可愛い子どもや後輩のために、将来のリスクをすべて取り除いてあげたい」と思うのは、逆に本人のためになっていないことがあります。時には「かわいい子には旅をさせよ」という心がけも必要なのです。
人生においては、いかに「気づき」を得られるか、というのが大切です。
例えば、ある事柄において解決の糸口が見つからない日々が続いていたにもかかわらず、ある日、突然「ああ、これだ」と直観でわかった瞬間です。この瞬間はとても大事で、一気に成長することができます。今回は、この「気づきの瞬間」が出てきやすいタイミングをご紹介していきます。
1つ目は、自分にとって重大な危機が訪れたときです。身内や友達、お世話になった人が亡くなったときや生活環境が大きく変わるときです。このとき、「ああ、自分がしっかりして、やっていく時が来たのだ」という強烈な気づきが得られることがあります。人が窮地に陥ったときの底力はすごいのです。
2つ目は、夜の夢を見たときです。夢では、しばしば強烈な体験を味わうことができます。普段はなかなか起きないようなこと、自分がしないようなことも夢では経験することがあります。ですが、これは現実で起きた危機ではないので、「単なる夢か」で済ましてしまう人もいます。「意味があってこのような夢を見させられた、そして夢で大変な目に遭った」。これは自分にとってのかけがえのない体験です。これを単なる思い過ごしとしてスルーするのは、気づきが得られるチャンスを一つ潰していることになります。
3つ目は、日々の日課をこなしているときです。「インスピレーション」という響きを聞くと、何か普段行わない特別な瞬間のみに現れる、と思いがちですが、必ずしもそうではありません。日々、継続している地味なことをこなしているその瞬間に現れることも多いのです。毎日の積み重ねを大切にすれば、直観が働くチャンスが訪れますよ。
今回、皆さんにお伝えしたいと思い浮かんだメッセージは「人間の持つ温かさは、かけがえのないもの」というテーマの内容です。
以前から「AIに大半の仕事を奪われる時代が来る」とか「AIが人間の力を越えたときに大変なことが起こる」とか世間では言われておりますが、今のところ完全にそうはなっていません。
なぜかというと、人間そのものが持つ、取って変えられないかけがえのないものがあるからです。毎年、皆さんが送ってくださる年賀状に書かれた手書きのメッセージを拝見すると、私は「温かい」気持ちになり、とても心癒やされるのです。
AIの爆発的な普及があったとしても、人間がこれまで手動で行っていたことのすべてに価値がなくなる、というのはあり得ないことです。人間の持つ温かさとか、教え導く力とか、周りを楽しませる力とか、そういったものは未来永劫、ずっと世の中で需要があるでしょう。人は合理的な理性だけで動く単純な存在ではなく、感情を持っているからです。
ですから、裏を返すとこれからの時代、「温かさを持って周りを楽しませることができる人になろう」と心がけて生きていけばいいのです。これまでもこのような生き方をしていた人は、AIに仕事を奪われる心配は全くありません。
逆に、無機的・機械的な姿勢だけで日々仕事をして、周りに対して冷たい対応をしているような人は、なにかしらの工夫が必要となる時代になっていくかもしれません。
今回の「ひかりメッセージ」は以上になります。次回もどうぞお楽しみに・・・。
人には無意識で行っている癖があります。例えば、スポーツをしていると、その人特有の癖があり、それを直そうと試みてもなかなか直りません。これはなぜかというと、無意識に体が「現状でやれているから変えたくない」と言って拒んでいるのです。顕在的な意識で変えたいと思っても、潜在的には反発があるのです。
「新しいことを習慣にして日常生活に取り入れたい」と思っても、最初の数週間は「継続するのは大変だ」といった不快感が出てくるものです。これも、現状で成り立っているルーティンが変わってしまうことに対して無意識の力が反対しているのです。意識上では、「日課にしていきたい」と思っても、「変化を拒む性質」によって最初の数週間は悪戦苦闘することになるのです。
ですが、決して無意識は敵ではありません。「変化を拒み、最初の数週間は不快感がある」というのは裏を返すと、その数週間を抜ければ、その「行い始めたことをやめるのが変化」ということになります。ここまで到達すれば、今度はその習慣となった行動を中断するのを無意識が止(と)めてくれます。
私が地道なことをコツコツと続けられているのは、無意識と程よい関係を築けているからです。意識上では「できない」と思った日でも、勝手に動き出してできてしまうのです。ですが、過去を振り返ると最初の数週間はなかなか続けるのに苦労した記憶が確かにあります。
無意識の力は非常に大きいですので、仲良くやっていきましょう。無意識は自分の一部です。自分を大切にすれば無意識も自ずと喜び、味方してくれますよ。
現代は、大半の人が自由意志を使って自分自身で選択し、行動をしていく時代です。これをいかにも「大変なことを自力で行いなさい」といったようにハードルを上げて厳しく伝えてくる人もいます。
確かに厳しさが必要なときもありますが、それが過剰になると、かえって迷っている本人はやりづらくなってしまいます。何かに挑戦する人に対して後ろ向きのアドバイスをするのは、私はあまり賛成できません。目の前の一秒一秒に大切に向き合い、今できる精一杯で行えば、なるようになっていくものです。
上手くいった日も、そうでなかった日も神さまに礼拝し、繋がらせていただきましょう。そうすれば必要以上に思い悩むことはなくなります。
神さまは嬉しいことと同時に、試練も与えてこられます。ですがその試練も、自分が現時点で出すことのできる努力の範囲内で、やるべきことを一つずつこなしていれば、気がつくと通過できているものです。そして、それを通過した後は、精神的にもこの世的にも自分は一段上に成長できているのです。
1.神さまが試練を与えてこられる。
2.自分は神さまに身を委ねたうえで目の前のことだけに精一杯の努力をして行う。
3.その結果自分は成長でき、時には嬉しい出来事メッセージとして神さまからプレゼントを与えられる。
4.そしてまた試練を与えてこられる。
このような循環サイクルが形成されていることを理解しておけば、もう怖いものなしです。
自分の中で「私は変わりたいんです」という思いを抱くのでしたら、できる範囲で自分の付き合う人々や環境の中で変えられるところを調整していきましょう。このような言い方をすると「自分の力だけでは変われないのですか」と言われてしまうかもしれません。
「自分だけの力で自分を奮い立たせてあげて、なりたい自分になれるよう努力する」これは確かに素晴らしいことですし、成長のプロセスにおいて必要なことです。
ですが、このように頑張っている自分に対して周りの人がネガティブな発言、反応を日々返してきたとしたらどうでしょう。このような環境で果たしてどこまで努力を続けられるでしょうか。
一週間とか一か月、半年くらいなら気持ちを強く持って続けられるかもしれません。ですが、五年、十年、数十年と頑張り続けるのは限りなく不可能に近いです。そして、一週間とか一か月だけの努力では、厳しい言い方になるかもしれませんが、一時的な変化にしかなりません。やはり学びというのは数年、十数年、数十年続けることでジワジワと体、心、そして魂に染みこんでいき、自分の一部になっていくのです。
ですから、例えば勉強に重きを置いて生きていきたいのなら、日々勉強を当たり前のようにやっている人たちと交流して、お互いに励まし合える仲間を作り、そのコミュニティに所属しましょう。
自分の周りの仲間達から貰えるパワーというのは無意識に感じ取っているものですが、莫大な力があるのです。
今回の「ひかりメッセージ」は以上になります。次回もどうぞお楽しみに・・・。