ひかりメッセージ

このコーナーでは、生きていくためのヒントや自分の活かし方に関する、ARIのオリジナルエッセイを掲載しております。(執筆者:浅野光
 
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どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。

 自分の有り様を客観視することで効率よく成長していくことができます。しかし、これには痛みも伴います。「現実はこうだったのか・・・」といったように、理想と現実の隔たりに最初はうんざりします。
 
 身近な例ですと、試験のテスト結果があります。自分では100点満点がとれる実力があると思っていたけれども、実際は70点だった。これはショックですよね。30点も差があったのですから。ですが、これを受け止めることによって75点、80点、85点と少しずつ上がっていくのです。時には点数が下がるときもあるでしょう。けれどもそれも受け入れて進む。こういった向き合い方をしている人は、気づいたらものすごく成長を遂げているのです。
 
 また、録画をした自分の姿を見直すことも非常に効果的です。毎月、私は講演会をさせていただいておりますが、それを見返すと改善点がいろいろと見えてくるのです。まだ始めたばかりの頃は、「自分はこんな感じで話をしているんだ!」という驚きと抵抗感がありました。冒頭でお伝えした理想と現実の隔たりがまさにこれです。それでも自分の姿を見続けていくうちに、段々と自分の客観的な姿がわかってきて受け入れられるようになってきました。これは現実を見ることで一歩ずつ前進できた結果なのです。
 
 よく「自分の声を聞くと気持ち悪く感じる」と言う人がいます。これも先ほどと同様に、自分の思っていた声や話し方と現実のズレがこのような想いを引き起こしているのです。繰り返し自分の話している音声を聞いたり、映像を見たりすることで「ここはこのような抑揚で話そう」とか、「ここはこういった口調にしよう」とか、そういったことが見えてくるようになります。そうなってくれば気持ち悪いとは感じなくなりますよ。

〈了〉

 今回は長寿社会を生きるための心得をお伝えいたします。結論から申し上げますと、「自分にとってやり甲斐がある目標をずっと持ち続ける」ことです。定年退職を迎えると解放された気持ちにはなりますが、これまでの多忙な生活との差異に身体がビックリして、やり甲斐を感じられなくなってしまう人が多いのが事実です。そして、そのまま気力が低下していき、弱っていってしまうケースも少なくありません。
 
 また、退職したことによって家にいる時間が増え、それにより家族とのいさかいが生じ、家庭がギスギスしてしまうこともあります。親しき仲といっても、いつも一緒だと辟易してしまうものです。これではせっかくの長寿社会の恩恵を享受することができません。
 
 これらの対策として、今まで勤めていた会社に週2回は勤務させていただくよう頼んだり、習い事を習い、そこで目標を立ててその達成を目指したりするとよいでしょう。今の時代、探せばいくらでも目標を持って取り組める物事があります。本来、人は「やり甲斐をもって生きていきたい」という想いを持って生まれてくるのです。
 
 40、50代で経済的に自由になり、早期退職をする(FIRE)というのが一時トレンドになりました。しかし、結局こういった人は時間を持て余してまた働き出すケースが多いようです。特に40代ですとまだまだ元気ですから「やり甲斐を持って生きていきたい!!」と思うのは尚更です。
 
 なんとなく老後の自分の生活をイメージしてみてください。ちなみに私はすでに決まっています。死ぬ直前までARIの活動と水泳をすること、です。せっかくいただいた今世の機会、1秒も無駄にせず取り組んでいきたいという想いが自分にはあります。

〈了〉

 豊かに活き活きと生きていきたいのならば人とのご縁を大切にすることが肝要です。人は一人では生きていけません。一見すると自分だけの力で生きているような人でも、誰かが作った食べ物を摂取したり、誰かが整備してくれたインフラを基盤に生活したりしているものです。誰かが自分の見えないところで支えてくれているからこそ生きていけるのです。
 
 目先の利益や損得だけに目をやるのではなく、人とのご縁を大切にして、本当に人様を大切に日々生きてみてください。そうすれば、人間関係は相互作用で成り立っておりますから、結果として生活も成り立たせていただけるのです。
 
 ここで注意していただきたいのは、人を大切にするけれども適切な距離感は保ち続ける、ということです。これは矛盾しているかのように聞こえるかもしれませんが、重要なポイントなのです。
 
 自分の価値基準で期待し、相手に接近しすぎると、そうでなかったときに「なんでこれしかやってくれないの」とか「もっと手伝ってほしかった」といったような不満が出てくるものです。相手としたら相手なりの基準でやってくれたはずなのです。ですが、こちら側が物足りなさそうにしているとそれを言葉に出さずとも、「なんか不満そうにしているな」と察知されるものです。
 
 これは真面目でストイックな人ほど他の人にも同様の努力を求めたり、頑張ることを強要したりすることで陥っていく傾向といえます。
自分は自分、他者は他者です。そこは分けて考えましょう。自分の価値観ですべて成り立つほど世の中甘くありませんから。
 
 「適切な距離感を見極めた上で人様を心から大切にする」。これが生きていくための秘訣の一つです。

〈了〉

 自分に自信がない人ほど他者と比べて自身を評価する傾向にあります。いじめをしてしまう人は、他人を傷つけることによってしか自分の存在価値を感じられない哀れな人間といえます。その意味で、まだまだ未熟で成長していく必要のある段階といえるでしょう。そして、すべては因果応報です。必ずなにかしらの形で自分に返ってきて清算しなければならないときがきます。
 
 自分に自信がついてくると、人と比較せずとも自分の価値が感じられるようになってきます。ここでいう自信というのは、とってつけたような自信ではなく、謙虚でありながらもブレない信念を持ち合わせている状態です。この状態を言葉で表現するのは難しいのですが、あえて表現するならば、「静かな確信が自分に生じている」といった感じです。
 
 いじめが生じる原因の一つとして、ある集団が自分たちのグループを保つために必要悪を作ることがあげられます。はっきりいってこのような集団は脆(もろ)いです。建物の土台自体がぐらついているのに外面だけその場しのぎの補修をして、問題を先送りにしているかのようです。本当に強固な結束力のある集団ならば悪者がいなくてもブレませんよ。
 
 誰でも生きていく上で複数の集団に所属して生活しています。家庭、職場、学生時代の同級生や習い事の友人と関わるコミュニティなど多岐にわたります。その際、共通の敵を作らずとも団結している組織、グループと関わりを持つことをおすすめします。
 
 自分自身が代表を務めている集団ならば、そのグループに適した肯定的な目標を掲げてみてください。そうすればメンバーも一丸となって付いてきてくれます。このメッセージを購読してくださっている皆さんには是非このようなリーダーになってほしい想いがあります。

〈了〉

 今回はコンプレックスを乗り越える方法を2点お伝えいたします。
 
 1点目は、自分の気持ちを告白することです。こうすることによって一種のカタルシス効果が生まれます。浄化作用です。要するに、恥ずかしい過去の経験や失敗、積極的に他者には話せない自分の事情などを他の人に打ち明けることで、自分の中だけで抱え込むよりも楽になり、自分自身が回復するのです。
 
 2点目は、学んだ教えを人様にお伝えすることです。人間は油断するとどんどん忘れていってしまう生き物です。ですが、自分自身が伝える立場となってアウトプットすると、自分の身体を越えた魂に記憶が刻み込まれ、忘れてしまうことがなくなります。例えば、「自分を認めて大切にしましょう」というのをただ聞いて学んでいるだけだと、大きな試練が訪れたときに臨界点を越えて、「自分の過去の失敗が原因でうまくいかないんだ!」といったように取り乱して、自暴自棄に陥ってしまうことがあります、受動的に学んでいるだけだと。
 
 ですが、自分が日々教えを発信し、お伝えしている立場ですと、試練が訪れてくじけそうになったときに「待てよ、これはこういう出来事メッセージか」とか「法則のもと意味があって起きているのだから、自分の過去の経験すべてを活かしてこれに向き合おう」とか、ギリギリ間一髪のところで気づけるようになります。
 
 また、教える立場というのは、いい意味でプレッシャーが自分にかかっているものです。窮地に陥ってネガティブになりかけたときに、「自分がいつも皆さんに発信していることではないか、自分で自分を傷つけてどうする。冷静になってこの状況を見つめて対処しよう」と思えるようになるのです。
 
 私はこのようにして自分の過去を認めて受容できるようになりました。ぜひ参考にしてみてください。

〈了〉

 最近の学校教育では、根性論は否定され、多様な学び方に注目が集まりだしています。家族の持ち時間や経済力を考慮したうえで別の方法で学んでいける環境が整い出しているのは好ましいことです。
 
 ただ、懸念点があるとすれば、こういった学びの多様化を子どもが口実にしてずる休みをしたり、勉強をサボったりしてしまうことです。子どもは大人に比べると理性ではなく本能に忠実です。目の前に楽しいことがあったらやりたくてしょうがなくなります。
 
 学校の勉強は一部の少数の児童を除いて大半が「義務的でつまらない」と感じるものです。大人は「将来のためになるから」といくら言ってもやりたがらないのは当然のリアクションです。スマホやタブレットを操作するほうが宿題よりよっぽど楽しいと思ってやるでしょう。そういったものを夜遅くまでしていて「眠いから学校に行きたくない」と言ったことに対して、「学び方はそれぞれだからまあいっか」と考えるのはよろしくありません。ただただ甘やかしているだけです。
 
 古き良き教育というものも必要なのです。温故知新の姿勢が大事です。一昔前にあった言うことを聞かない子を殴ったり叩いたりするような体罰による教育は改めて、それでいて緩みすぎずに、好ましくない行動をしたら真剣な眼差しでズバッと短い文言で注意をする。だらだら説教しない。大人が自分のストレスを叱るついでに発散してはなりません。感情的になり、逆効果です。信頼関係も結ばれません。
 
 本当に相手を愛していれば、叱るときとそうでないときのメリハリを持って関わることができるので、相手からも肯定的反応が返ってきます。
このような根本的な教育方針を踏まえたうえで新しい学び方を導入していくことが望ましいです。

〈了〉

 アニメやマンガでは、目標達成に向けて死ぬ気で努力をしている描写が多々見られます。そのほうが私たち見る側がスムーズにその世界に共感できるからです。
 
 しかし実際は、「血反吐を吐くような努力をしている」と自分で実感しながら日々死ぬ気で生活していても、それは長くは続かないものです。
「こなしていく当たり前のタスクの量を底上げしていく」。これが実際に成功している人たちが心がけていることです。

 このような日々の取り組みを外から見ると、めちゃくちゃ頑張って毎日努力をしているように見えるのです。それで周囲の人は、「あの人はとてつもない根性がある」とか「極限状態の中、死ぬ気で取り組んでいる」と言うのです。
 
 ですがその当人からすると、もちろん努力はしている自覚はあるでしょうが、限界を越えるギリギリのストレスを抱えたまま365日過ごしているわけではありません。今の自分では越えられない壁が立ち塞がったとき、それを越えるために新しいルーティンを取り入れる、それが上手くいかなかったらまた違う方法を取り入れる、この繰り返しをすることで気付いたら長時間努力をしているように周りから見えるのです。
 
 また、人生が上手くいっている人は楽しんで物事を行う才能を持っています。つまらないと思って続けている事の力量は、高が知れていますよ。楽しんでやり甲斐を持って行っている人に比べると、話にならないくらい違いが生じています。

 「日々こなすべき課題の量を少しずつ調整しながら増やしていき、それを義務的、受動的に行うのではなく、楽しんで向き合う」。これがより良く生きていくための秘訣です。

〈了〉

 自律神経では、交感神経と副交感神経がお互いに綱引きをしており、その時その時で力が強いほうの神経が活性化します。例えば、健康的な人が夜安静になって眠ろうとしているときは副交感神経が優位になります。逆に日中、汗をかいて労働しているときは交感神経が優位となります。
 
 そして、不眠症や動悸、食欲不振や便秘などに悩んでいる人の多くは、交感神経が過剰に働いたままで、副交感神経へのスイッチ切り替えが上手くいっていない場合が多いです。確かに交感神経優位の状態ならば、咄嗟に体内へエネルギーを行き渡らせ、機敏に行動することができます。心拍数が増加し、血圧も高くなっているからです。生きていくうえで必要な機能です。
 
 しかし、この状態がずっと続くとどうなるでしょうか。まず、夜就寝しようとしても心臓がドキドキして十分に寝ることができなくなります。夜に熟睡できないと、当然昼には元気がわいてきません。その状態で脈拍数が上がったままですので、自分の気にくわないことや、嫌なことがあったりすると衝動的な感情が出てきて、二次的な被害が周りに及んでしまう可能性も高まります。
 
 また、食欲もわいてこなくなります。もともと、交感神経はピンチに直面したときにそれを乗り越え、生き残るために備わっている機能です。動物的本能として危機が迫っているときに「食べたい」と思う余裕なんてありません。排泄についても同様です。
 
 自律神経のバランスを整える方法の一つとして深呼吸があげられます。楽な姿勢でゆっくり行ってみてください。少しずつ心拍数が下がっていき、身体の力(りき)みがだんだん抜けていきますよ。

〈了〉