ひかりメッセージ

このコーナーでは、生きていくためのヒントや自分の活かし方に関する、ARIのオリジナルエッセイを掲載しております。(執筆者:浅野光
 
タイトルをタップまたはクリックすると、内容をお読みいただけます。
  
どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。

 自分に自信がない人ほど他者と比べて自身を評価する傾向にあります。いじめをしてしまう人は、他人を傷つけることによってしか自分の存在価値を感じられない哀れな人間といえます。その意味で、まだまだ未熟で成長していく必要のある段階といえるでしょう。そして、すべては因果応報です。必ずなにかしらの形で自分に返ってきて清算しなければならないときがきます。
 
 自分に自信がついてくると、人と比較せずとも自分の価値が感じられるようになってきます。ここでいう自信というのは、とってつけたような自信ではなく、謙虚でありながらもブレない信念を持ち合わせている状態です。この状態を言葉で表現するのは難しいのですが、あえて表現するならば、「静かな確信が自分に生じている」といった感じです。
 
 いじめが生じる原因の一つとして、ある集団が自分たちのグループを保つために必要悪を作ることがあげられます。はっきりいってこのような集団は脆(もろ)いです。建物の土台自体がぐらついているのに外面だけその場しのぎの補修をして、問題を先送りにしているかのようです。本当に強固な結束力のある集団ならば悪者がいなくてもブレませんよ。
 
 誰でも生きていく上で複数の集団に所属して生活しています。家庭、職場、学生時代の同級生や習い事の友人と関わるコミュニティなど多岐にわたります。その際、共通の敵を作らずとも団結している組織、グループと関わりを持つことをおすすめします。
 
 自分自身が代表を務めている集団ならば、そのグループに適した肯定的な目標を掲げてみてください。そうすればメンバーも一丸となって付いてきてくれます。このメッセージを購読してくださっている皆さんには是非このようなリーダーになってほしい想いがあります。

〈了〉

 今回はコンプレックスを乗り越える方法を2点お伝えいたします。
 
 1点目は、自分の気持ちを告白することです。こうすることによって一種のカタルシス効果が生まれます。浄化作用です。要するに、恥ずかしい過去の経験や失敗、積極的に他者には話せない自分の事情などを他の人に打ち明けることで、自分の中だけで抱え込むよりも楽になり、自分自身が回復するのです。
 
 2点目は、学んだ教えを人様にお伝えすることです。人間は油断するとどんどん忘れていってしまう生き物です。ですが、自分自身が伝える立場となってアウトプットすると、自分の身体を越えた魂に記憶が刻み込まれ、忘れてしまうことがなくなります。例えば、「自分を認めて大切にしましょう」というのをただ聞いて学んでいるだけだと、大きな試練が訪れたときに臨界点を越えて、「自分の過去の失敗が原因でうまくいかないんだ!」といったように取り乱して、自暴自棄に陥ってしまうことがあります、受動的に学んでいるだけだと。
 
 ですが、自分が日々教えを発信し、お伝えしている立場ですと、試練が訪れてくじけそうになったときに「待てよ、これはこういう出来事メッセージか」とか「法則のもと意味があって起きているのだから、自分の過去の経験すべてを活かしてこれに向き合おう」とか、ギリギリ間一髪のところで気づけるようになります。
 
 また、教える立場というのは、いい意味でプレッシャーが自分にかかっているものです。窮地に陥ってネガティブになりかけたときに、「自分がいつも皆さんに発信していることではないか、自分で自分を傷つけてどうする。冷静になってこの状況を見つめて対処しよう」と思えるようになるのです。
 
 私はこのようにして自分の過去を認めて受容できるようになりました。ぜひ参考にしてみてください。

〈了〉

 最近の学校教育では、根性論は否定され、多様な学び方に注目が集まりだしています。家族の持ち時間や経済力を考慮したうえで別の方法で学んでいける環境が整い出しているのは好ましいことです。
 
 ただ、懸念点があるとすれば、こういった学びの多様化を子どもが口実にしてずる休みをしたり、勉強をサボったりしてしまうことです。子どもは大人に比べると理性ではなく本能に忠実です。目の前に楽しいことがあったらやりたくてしょうがなくなります。
 
 学校の勉強は一部の少数の児童を除いて大半が「義務的でつまらない」と感じるものです。大人は「将来のためになるから」といくら言ってもやりたがらないのは当然のリアクションです。スマホやタブレットを操作するほうが宿題よりよっぽど楽しいと思ってやるでしょう。そういったものを夜遅くまでしていて「眠いから学校に行きたくない」と言ったことに対して、「学び方はそれぞれだからまあいっか」と考えるのはよろしくありません。ただただ甘やかしているだけです。
 
 古き良き教育というものも必要なのです。温故知新の姿勢が大事です。一昔前にあった言うことを聞かない子を殴ったり叩いたりするような体罰による教育は改めて、それでいて緩みすぎずに、好ましくない行動をしたら真剣な眼差しでズバッと短い文言で注意をする。だらだら説教しない。大人が自分のストレスを叱るついでに発散してはなりません。感情的になり、逆効果です。信頼関係も結ばれません。
 
 本当に相手を愛していれば、叱るときとそうでないときのメリハリを持って関わることができるので、相手からも肯定的反応が返ってきます。
このような根本的な教育方針を踏まえたうえで新しい学び方を導入していくことが望ましいです。

〈了〉

 アニメやマンガでは、目標達成に向けて死ぬ気で努力をしている描写が多々見られます。そのほうが私たち見る側がスムーズにその世界に共感できるからです。
 
 しかし実際は、「血反吐を吐くような努力をしている」と自分で実感しながら日々死ぬ気で生活していても、それは長くは続かないものです。
「こなしていく当たり前のタスクの量を底上げしていく」。これが実際に成功している人たちが心がけていることです。

 このような日々の取り組みを外から見ると、めちゃくちゃ頑張って毎日努力をしているように見えるのです。それで周囲の人は、「あの人はとてつもない根性がある」とか「極限状態の中、死ぬ気で取り組んでいる」と言うのです。
 
 ですがその当人からすると、もちろん努力はしている自覚はあるでしょうが、限界を越えるギリギリのストレスを抱えたまま365日過ごしているわけではありません。今の自分では越えられない壁が立ち塞がったとき、それを越えるために新しいルーティンを取り入れる、それが上手くいかなかったらまた違う方法を取り入れる、この繰り返しをすることで気付いたら長時間努力をしているように周りから見えるのです。
 
 また、人生が上手くいっている人は楽しんで物事を行う才能を持っています。つまらないと思って続けている事の力量は、高が知れていますよ。楽しんでやり甲斐を持って行っている人に比べると、話にならないくらい違いが生じています。

 「日々こなすべき課題の量を少しずつ調整しながら増やしていき、それを義務的、受動的に行うのではなく、楽しんで向き合う」。これがより良く生きていくための秘訣です。

〈了〉

 自律神経では、交感神経と副交感神経がお互いに綱引きをしており、その時その時で力が強いほうの神経が活性化します。例えば、健康的な人が夜安静になって眠ろうとしているときは副交感神経が優位になります。逆に日中、汗をかいて労働しているときは交感神経が優位となります。
 
 そして、不眠症や動悸、食欲不振や便秘などに悩んでいる人の多くは、交感神経が過剰に働いたままで、副交感神経へのスイッチ切り替えが上手くいっていない場合が多いです。確かに交感神経優位の状態ならば、咄嗟に体内へエネルギーを行き渡らせ、機敏に行動することができます。心拍数が増加し、血圧も高くなっているからです。生きていくうえで必要な機能です。
 
 しかし、この状態がずっと続くとどうなるでしょうか。まず、夜就寝しようとしても心臓がドキドキして十分に寝ることができなくなります。夜に熟睡できないと、当然昼には元気がわいてきません。その状態で脈拍数が上がったままですので、自分の気にくわないことや、嫌なことがあったりすると衝動的な感情が出てきて、二次的な被害が周りに及んでしまう可能性も高まります。
 
 また、食欲もわいてこなくなります。もともと、交感神経はピンチに直面したときにそれを乗り越え、生き残るために備わっている機能です。動物的本能として危機が迫っているときに「食べたい」と思う余裕なんてありません。排泄についても同様です。
 
 自律神経のバランスを整える方法の一つとして深呼吸があげられます。楽な姿勢でゆっくり行ってみてください。少しずつ心拍数が下がっていき、身体の力(りき)みがだんだん抜けていきますよ。

〈了〉

 「スポーツの世界では心技体の三つが重要だ」というのをよく耳にします。私もこれには賛成です。ただ、この三つが重要なのはスポーツだけではない、と自分は強く感じております。
 
 例えば、仕事をするうえでも心技体はすべて求められます。心が整っていると突発的な情動に振り回されなくなり、冷静に物事への対処ができるようになります。また、「顧客を含め、人様全員を大切にすること」とか、「物を大事にすること」とか、こういった当たり前の心がけができるようになります。
 
 技は、仕事のスキルです。参考文献を読んだり、もっと最適な方法があるかどうかを頭で考えて試行錯誤したりすることでここを磨くことができます。体は、言わずもがな働くためになくてはならないものですね。
 
 そして、「心技体」この中で心の部分がどうしても見過ごしにされがちです。やはり、多くの人は目に見えるものを欲しがります。仕事のパフォーマンスを上げたいと思い立ったとき、まずは技の部分である資格勉強から始める人が多いです。
 
 また、体調が悪いと体のどこかが痛かったり、動かなかったりするので、体の部分は自然と気にかけるようになります。ですが、心の部分は目に見えなくてわかりにくいので後回しにされがちです。心が欠如していて、技体だけの人は、わかりやすく言うと、頭が良くて健康的だけど性格が悪い人です。こういった人だけで構成されている組織を想像してみてください。あまり関わりたい集団とは思えませんね。
 
 心技体の三つを完璧に均等に底上げするのは難しいです。得手不得手の個人差もあります。ただ、なるべく一様に高めていこうと心がけるだけでも随分変わってきますよ。

〈了〉

 学業や労働、スポーツのみならず、人間教育も反復することが大切です。何度も何度も繰り返すことで前進していきます。
 教育をする際、悪い事をしたら罰を与えるという方法をとる人がいますが、これは長い目で見るとあまり効果的ではありません。その問題行動は一時、収まるかもしれませんが、そこで溜まった鬱憤を他の形で出そうとします。
 
 また、罰を与える人がいないときは、そういった行動を結局してしまいます。やってしまった本人が心から「これは好ましくないことなんだ」という確信を得られることが本当の改善といえるでしょう。
 その気づきがいつ得られるかは、わかりません。個人差もあります。勘の鋭い人は一回で気付くでしょうし、なかなか周りにまで目が行き届かない人は、何回も繰り返してしまうかもしれません。
 
 ただ、だからといって教育者側が「早く改善してあげなきゃ」と焦って力でねじ伏せようとしても、必ず反作用が働くので解決しません。指導者は、冷静な眼差しでしっかりと注意する、これを繰り返すだけです。このとき、威嚇するように怒るのは一時凌ぎにしかならないので、あまり効果的ではありません。
 
 人それぞれ課題や弱点を持っており、それは何回もアプローチすることによって徐々に克服されていくのです。
 この繰り返しをしても、表面上では成果が見られないことが、しばしばあります。ですが、しっかりと内面では吸収できているものです。それが目に見える結果として現れていないだけです。着実に前に進んでいますから焦る必要はありません。
 成長の過程は、こういったことの繰り返しなのです。

〈了〉

 電車や街中で周りを見渡すと、いろいろな表情をした人がいることに気づかされます。精神面が整っていない人というのは、その人の状態を見れば大体わかります。スーツなどの正装を着ていても、隠しきれません。眉間にシワが寄りっぱなしだったり、怒ったような顔つきだったりする人を見ると、当然周りは避けていきます。
 
 そして「自分は避けられている」というのに気づくと、次第に焦燥感や孤独感に苛(さいな)まれていきます。心の中でこういった状態が続くと、次は身体に症状が出始めます。そして、結果的に心身全体が不健康になっていってしまうのです。
 
 「このような状況になってしまっているのは自分の身体(外見)が悪いんだ」と思い、その状況を打破しようとして病院や美容外科に通う人が世の中多いようです。しかし、根本の内面に問題があることを理解していないので、結局外見を整えてもあまり改善はされないのです。
 
 逆に、服装が質素でも内面が整っている人は、表情や仕草が生き生きしており、とても魅力的に見えるのです。前回もお伝えしたように、魂そのものが整っている人は、自ずと外見も清らかで綺麗な人になるのです。
自分の精神面を整えていけば、表情や雰囲気、自らを包む波動がキラキラしてきて、まずは自分自身が活性化します。
 
 そして、さらに次のレベルになると、自分が放つオーラによって周りをも輝かせることができるようになっていきます。癒し手になれるのです。そうなると、自分と関わりのある人たちが喜んでエネルギーを受け取ってくれるので、自分自身もそれが励みとなり、さらに活力が湧いてきます。
 
 このような良い循環を作っていってください。そうすれば気づいたら肉体的にも健康になっていますよ。

〈了〉

健康で生きるためにまず必要なことは、リズムの良い睡眠です。連休は夜寝ないで過ごしたり、夕方まで寝ていたりする人がいますが、これは身体にものすごいダメージがかかっています。意識上では「問題ない」と思っていても、無意識の中では「異常あり」と合図を出しています。
 
人間は身体も心も、急激な変化を拒みます。そして、「急激」とまではいかなくても小さな変化ですらストレスになるのです。睡眠時間は人それぞれですが、大体同じくらいの時間に就寝して、大体同じくらいの時間に起床するというのが、身体に負担が少ないです。
 
そして、食事も言わずもがな健康的に過ごすための大切な要素です。当然ですが内臓も生きていますから、毎日の食べる量が著しく異なっていると身体への負担になります。多少は人付き合いなどで食べる分量のリズムが崩れても構いません。
 
ですが、そういった外的要因ではなく、自分自身の原因による摂取量のばらつきは注意が必要です。空腹はフラストレーションを生み、満腹を越えて食べ物を摂ることは、消化不良を引き起こします。
 
最後に忘れてはならないのは、精神や心といった目で見ることのできない部分を大切にすることです。
 
 心の中が整っていると、身体も生き生きとして清潔感も出てきます。内面が混沌としていると、身体を健康的で美しく見せようとしても限界があります。魂そのものが整っている人は活力に満ちており、自ずと外見も清らかで綺麗な人になるのです。

〈了〉