メッセージリーディング

このコーナーでは、時事の問題や未来予測に関する、ARIのオリジナルリーディングを掲載しております。(リーディング実施者:浅野信
 
メッセージリーディングとは、個人の問題ではなく、社会的事象や歴史上の不明点、また未来に関すること、その他、政治、経済、科学、技術、宗教、哲学、医学、医療、教育、芸術、等々の分野での調査目的で行うリーディングです。
 
タイトルをタップまたはクリックすると、内容をお読みいただけます。
 
どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。

リーディング No.17515

 
質問: 神秘的な体験は本当にあるのですか。あるとしたら、それはどのようなもので、そこにはどんな意味があるのですか。
ONEの観点からご教示ください。
 
ソース: 神秘的な体験は確かにあります。あるばかりでなく、それはとても重要です。
 神秘的な体験は、古来、世界中の至る所で起きてきています。『旧約聖書』や『新約聖書』にも、数多くの神秘体験が紹介されています。『新約聖書』の中では、「ヨハネ
の黙示録」に顕著に見られます。それは、聖書の時代以降も続いています。神は生きておられ、働かれ続けているからです。
 人間の側も、それ相応に成長し、神さまに取り扱われ、それが必要で条件が揃った所では、その状況とその人に見合う神秘体験が起きてきています。そしてこれからも、置き続けることでしょう。
 
 神秘体験は、宗教を中心に起きてきていますが、宗旨宗派に限定されないところに、特徴と良さがあります。真実自体は普遍的
であり、法則も満遍なく一貫して働いているため、教義や信条や宗旨宗派に限定されていません。さらには、信仰がない人にも条件が揃えば、起きます。
 ただ、思い込みや思い過ごし、あるいは主観的なイマジネーションなども混在し、本当のものと、空想や幻想などと、それぞれあります。使徒ヨハネも十字架のヨハネも、その時代の好ましくない神秘主義を戒めていました。
 ただ単純に、本当か、主観的なものか、はっきり二分できないものでもあり、人間が体験することである以上、本当のものでも主観や象徴的な部分が、ある程度入り交じっています。
 
 一方、空想や思い込みの場合でも、全く荒唐無稽で根拠も意味もないということも少なく、よく見ていくと、なにがしかの根拠や理由や意味や目的があったりするものです。それは、夜見る夢と同様です。単純に、本当のものか、そうでないものかを、二分できない事柄なのです。
 神秘体験の良さは、「宗旨宗派に限定されないところにある」と言いました。さらに神秘体験は、あらゆる宗教や霊的世界の核となるものであり、神秘主義はそのため、宗教の本質と生命になっています。
 ユダヤ教には「カバラ」があり、イスラム教には「スーフィー」があります。仏教には「密教」があり、キリスト教にも「キリスト教神秘主義」があります。
 このように、神秘主義の元となる神秘体験は、あらゆる宗教の奥深くにある本質を成す、大事なものとなっているのです。
 浅い宗教ほど神秘体験が少なく、奥深くて真実であるものほど、神秘体験が多くあるようになっています。神秘主義は、顕教以上に体験と実践と会得を重んじます。
 しかし、神秘体験は目的とするものではありません。自らを誇るためや好奇心で求めるものではありません。神秘体験は、願い求める目的というよりもむしろ、真実を探求していく中で自(おの)ずと与えられる結果であり、副産物にすぎません。
 また、神秘体験は、奇妙で特殊なものと思われがちですが、もっと普遍的で特別で大事なものです。
 「ONEの教え」でいつも説かれているように、いちばんの神秘は、「宇宙があり、生命が存在していること」です。自分が存在し、生かされていて、目が見える、手足が動く、歩ける。箸を使って食べることができ、食べると消化して、エネルギー源になる。これが最も神秘であり、奇跡であり、ありがたいことです。
 これが本当の神秘体験です。「奇妙で特殊で面白いことが神秘だ」ということではないのです。
 
 例えば、スプーンを曲げるとか、体が宙に浮くとか、念力で人を動かすとか、願望を実現させるとか、人を打ち負かすとか。そういったことは、低劣な神秘主義です。
 さらには人を貶(おとし)めたり、騙(だま)したり、自分に有利になるように神秘的な力を使うのは、黒魔術です。好ましくありません。
 神秘体験には、ピンからキリまであります。レベルとしてピンからキリまであるばかりでなく、種類や方面もさまざまなのです。玉石混交です。
 目に見えない世界を扱っているため、誤解や騙しや問題があることが横行しやすい領域です。そのため人々は、「オカルトだ」とか「占いだ」とか、「フリーメイソンだ」とか、好ましくないものと見なし、昔から物笑いの種にされたり、敬遠されたりしがちです。例えば、本物の神秘家のサン・ジェルマン伯爵も、そのように言われていました。主イエス様でさえも。
 確かにそのように、一般の人たちから見られてもおかしくないようなことを、神秘的な領域では行ってきています。
 しかし、だからといって全てがでたらめとか問題があるとか、神秘体験などはないとか、それは行きすぎです。玉石混交の領域であることは確かです。困ったものや嘘や騙しも危険な部分も孕(はら)みつつも、本当のものや価値のあるものも、含まれている領域なのです。
 ただ、「本当であり、価値がある程度ある」というどころではありません。あらゆる日常の事柄の、いちばんの元になる、どんなことよりも、本質的で重要で尊く大切なもの。それが、神秘的な領域には含まれているのです。
 それゆえ、一般の人が「よくわからない」とか「危険だ」とか、「嘘っぱちだ」とか、「関わらないほうがいい」とか「おかしい人たちがしていることだ」とか、そのように断定し、全部を避けていることは好ましくなく、本当でもなく、残念でもったいないことなのです。
 
 危険で危うく本当でないものが、確かに含まれがちな領域ではありますが、その一方で、地上のどんなことよりも価値があり、奥深い、尊く大切なものもまた、同じ神秘的な領域にはあるのです。
 一般の人はよくわからなかったり、見分けられなかったりで、つい避けがちですが、それは申し訳なくもったいないことなのです。ある意味で、地上のどんな分野のどんなことよりも、本当で尊く、やり甲斐のある領域なのです。
 それで昔から、どの地域においても本当に賢く、勘が働き、洞察力のある人や、奥深い真実を求めて止まない人たちは、最後は神秘主義に行き着くのです。そのぐらい最もやり甲斐があり、奥深い真実と価値が存在するのが、神秘的な領域です。
 科学者でも、本当に賢く鋭く勘が働く人たちは、神秘的な領域のあることに気づき、それを認め、大切にしてきています。
 一方、中途半端に頭の良い、科学かぶれの人たちが、唯物論的な視点で、神秘的なことを嘲笑し、避けてきているのです。
 火中、すなわち火の中から栗を探して拾い上げるようなリスクもありますが、それだけの価値があるものなのです。
 神さまがおられ、霊的世界もあって、人の本質も魂である以上、人類の歴史が始まってから今日(こんにち)に至るまで、そしてこれからも、神秘体験はあり続けます。
 神秘体験は、先ほど述べられたように、興味本位のものではなく、ひけらかすものでもなく、目的とするよりもむしろ、本当のものを探求していく中で自ずと授かり与えられる、副産物であり結果です。
 神秘体験は、求めるものではないのですが、しかし一方、神秘体験が伴わないような宗教やスピリチュアルでは、浅いものなのです。実際的にも、あまり役立ちません。道徳や教養程度です。
 求めるものではないし、ひけらかすものでもないのですが、それが伴わないようなものは浅いものと言わざるを得ません。
 
 真実であり、奥深い価値のあるものならば、それを表す徴として、神秘体験が伴うものなのです。神秘体験は、体内ではクンダリニーとチャクラの働きです。
 人類の歴史の中で、霊的な高みに到達した人物として、イエス・キリストとゴータマ・ブッダがよく知られています。
 それで見てみると、多少の誇張や象徴的な表現が含まれるようになったとは言え、キリストに関して、そしてブッダに関しても、奇跡や神秘体験が人一倍豊富で、奥深いものであったことが伝えられているのです。
 それだけ高みに到達し、本当の真実を会得し、創造主と一つになったことを、それらの奇跡や神秘体験は表しているのです。
 日本の仏教の中では、密教を創始した空海にも、さまざまな奇跡や神秘体験や伝説が伝えられているのも、そのためです。
 インドの仏教では、パドマサンヴァバが、そのような人物として知られています。
 『旧約聖書』や『新約聖書』の中に、数多くの神秘体験が紹介されていることは、先ほど述べられました。そして大事なことは、新約時代以降も、キリスト教の神秘主義の中で神秘体験が続き、ある程度それが記録にも、また言い伝えにも残されていることです。
 キリスト教神秘主義の中で、それをまとめて記録に残した人物として、ゾイゼが知られています。また、アッシジのフランチェスコにも、手のひらにキリストの釘痕の聖痕が残ったなどということも、伝えられています。奥深い真実に到達すると、その結果、神秘体験が与えられるのです。
 
 神秘体験が起きる場は、さまざまです。祈りの中で、瞑想の中で、あるいはリラックスしている時。あるいはご奉仕をしたり、ジョギングをしたり、山歩きをしている中で。また、もちろんリーディングの最中、それから夜の眠りの中で夢として。また、人との会話の中で。読書している時にも。また師匠との対話や指導の中で。宗教儀礼や祭の中で。日常、何かに夢中に没頭している時にも。仮死状態で。
 このように、神秘体験が起きる場は、いろいろあります。条件が揃ったところで起きます。何よりも、必要な時に与えられます。自分も本当の愛と真実を真摯に求めている、そして必要があれば、ふさわしい形で起きます。
 起きるような自分の状態や、方向づけやレベルに到達した時、その証として、それ相応に起きます。神の、育て導く一環として起きることです。
 「その時点のその人の内実を表すような、現実の状況と動きと体験と雰囲気になる」――これが法則です。
 神秘体験が与えられる時も、この法則に基づいて起きます。必要があり、本人が求めていて、神秘体験が起きるような状態や状況やレベルである時、起きます。
 その人の体質や傾向によって、ある人は瞑想の中で起きやすく、ある人は夜の夢の中で起きやすく、ある人は祈りの中で、またある人はリラックスして寛いで自然体の時に起きやすいなどと、人によって特徴が見られます。
 『聖書』の中にも、夢の中で神秘体験が与えられることが、多く出てきます。仏教の歴史の中でも、日本でも空海、親鸞、白隠など、それぞれ夢で神秘体験やお告げを授かっています。
 本当に必要で求めていて、状態ができてくると、その結果神秘体験が訪れるのです。神の導きの一環として。それが励みや確信になって、次に向かっていけます。
 
 本当に切迫している時、一方リラックスして自分の肉体が感じられないような時などに、起きやすいものです。命の危機に瀕した時などにも、また生死の境において、神秘体験がやってきたりします。臨死体験も、その一つです。
 エドガー・ケイシーをはじめとするリーディングの流れの中で、またスウェーデンボルグも仮死状態において、それが行われてきています。これらは良質の神秘体験です。
 それは、ギザの大ピラミッドの秘伝のルーツであり、その中でキリストの復活も生じました。神秘体験の最高のものは、キリストの死からの復活です。
 モーセも、数多くの奇跡を賜りました。預言者エリヤやエリシャにもありました。そのほか枚挙に暇がありません。
 神秘体験には、意味と目的があります。起きるだけの理由と根拠があり、起きる必要がある時、その人自身とその周りの人たちのため、授けられる神の賜物なのです。
 それゆえ授かった神秘体験は大切にし、その意味や理由や目的を探り、よくお祈りして神さまに献身してください。
 たまたま与えられるものではないし、興味を満たすためのお遊びでもありません。まして、それで人を貶めるとか、自分を高めるためのものであってはなりません。尊く清らかな神の賜物であり、必要があって授けられる尊いものです。
 神秘体験を目的としたというものではないにしても、真摯に取り組んでいって、必要があって条件を満たせば、それを表すような神秘体験が自ずと伴う、ということです。
 
 神秘体験を否定したり軽んじたり拒否するような宗教や精神世界は、浅い顕教です。一方そういったことを認め、重んじるのが、密教であり、神秘主義です。
 その中でも、レベルや種類があります。種類というのはルーツ、系統にも関連しています。一口に神秘体験や霊体験、霊能力と言っても、まちまちです。その全部が良いとも、その全部が悪いとも、言い切れません。
 自分を整え、より良い動機を持って、良い方向づけを取り、自分のご縁やルーツや目的も自覚して、自分の身の振りようで配慮してください。
 
 本当に探求して、真実を知り会得したい、そして人のためになりたい、充実した人生を送りたい。そのような思いを抱いて取り組むならば、必要な時、その時の自分にふさわしい神秘体験が与えられることでしょう。それによって神さまに、導き育てられていきます。
 本人と、本人に繋がりのある人たちの励みや確信、あるいは確認のため、神さまが育て導く一環として、授けてくださります。
 健全で本当の、神秘主義を目指しましょう。それがONEです。神秘体験は必ず理由と意味と目的があって、神さまからのご支援として与えられる、尊い贈り物です。
 そのことを知って、一旦神秘体験を授かったら、その理由と意味と目的を探り、その体験を正しく活かして、前に進んでいきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17494

 
質問:真言密教のマンダラをONEの観点からご解説してください。
 
ソース:マンダラは、霊的宇宙を図式化したものです。その図柄あるいは図絵、それを「マンダラ」と名づけています。
 真言密教には、そのマンダラが何種類かありますが、代表的なのは、「金剛界マンダラ」と「胎蔵界マンダラ」の2つです。
 しかも、その2つは別々ではなく、表裏一体を成し、セットになっています。「金胎不二の両部マンダラ」と、言われているとおりです。ONEの世界です。
 ではなぜ2つあるのか。それは、霊的な宇宙にしても、その物的現れである物的宇宙のほうにしても、陽と陰の両極で全体を成しているからです。
 金剛界マンダラと胎蔵界マンダラは、「陽と陰」「太陽と月」「男性原理と女性原理」「父性原理と母性原理」、これらをそれぞれ表しています。金剛界マンダラは金剛頂経、胎蔵界マンダラは大日経に基づいています。
 中国の「陰陽五行説」にしても、自然界を構成する5つの要素のそれぞれを陰と陽に分け、合計十種類で「十干」を表しています。
 人間世界も、男性と女性から構成されています。そして、男性と女性が認め合い、交わった時に、次の新しい生命が子どもとして誕生できます。こうして人類は、今日まで存続しています。男女が愛によって合一した徴として、両者の子が誕生するのです。
 世の中の営みや働きも、金剛界と胎蔵界の両面から構成されています。金剛界は会社や職場、広くは社会。胎蔵界は家族と家庭です。
 
 このように、家の外と内、両者相俟(ま)って全体が構成されています。どちらも不可欠です。そして両者は関連して、セットを成しています。
 社会のそれぞれの働きの分野にしても、金剛界の政治、経済、経営、ビジネス、科学技術。一方、胎蔵界の宗教、芸術、文学、福祉などがあります。
 両者の中間に位置するような分野もあります。医療、教育などです。どちらかというと医療は、科学技術として金剛界ですが、内容的には癒しですので胎蔵界です。教育は、家庭的な面の、育てるのは胎蔵界、社会に繋げる技術的な面は金剛界です。
 男性でも、自分の中に女性原理を持っています。その物的現れとして、女性的なホルモンも持っています。一方女性も、男性ホルモンを持っていて、男性的な働きも含まれています。男性エネルギーと女性エネルギー、能動と受容です。
 生命の本質である魂自体は、中性です。そのため、肉体面で男性に生まれてきたり、女性に生まれてきたり、が可能です。
 
 マンダラは、霊的な宇宙の全体を1枚の絵で表すことで、「全体は一つであること」を表しています。まさしくONEです。
 「外界は内界の現れ」ですので、霊的な宇宙を図式化したマンダラは、物的な宇宙をも表しています。
 特に霊的な宇宙の中でも、天の創造主とその顕れである天界を、マンダラは図式化しています。
 天の創造主に相当するのが、大日如来です。金剛界マンダラには金剛界の大日如来が、胎蔵界のマンダラには胎蔵界の大日如来が、中心に鎮座されておられます。
 それらを軸として霊的宇宙、取り分け天界の全体像が、1枚の絵に描かれているのです。それぞれの霊的存在方が、しかるべき所に配置され、描かれています。各自においても、自分の宇宙の中に占める位置、役割、ポジションがあります。
 こうして主立った霊的存在方が、それぞれの位置に就いておられて、天界全体が構成されています。多様性の中の一です。同時に一方、一の中の多様性です。
 
 ONEの教えのとおり、多神教の根底に真の一神教があります。真の一神教から全ての多神教が派生し、統括しています。マンダラにおいてONEの如く、一神教と多神教が矛盾なく一つになっているのです。これが本当です。真言密教のマンダラは、ONEの世界観を図式化してくれているのです。
 マンダラには、羯磨(かつま)マンダラなどのように、平面図の絵ではなく、立体的なマンダラもあります。空海は、高野山や京都の東寺の中に、立体マンダラを具現化されました。仏の活動を仏像で表現した立体マンダラです。
 例えば、高野山には根本大塔があります。そこに胎蔵界を、空海は込めました。一方、西塔(西の塔)には、金剛界マンダラを込めました。京都の東寺にも立体マンダラとして、一神教と多神教が一つになったONEの世界観が、立体的に具現化されています。
 
 このようにマンダラは、とりあえずわかりやすく、平面図に美しく描かれて表現されているのですが、本来は立体的になっています。宇宙自体が立体的だからです。
 天界はまさしく、立体的なマンダラになっています。もっと言えば、三次元というより四次元以上です。神の宇宙は霊的な世界だからです。それでもとりあえずわかりやすく、立体的に構造化しているのは、わかりやすいものです。
 マンダラには羯磨(かつま)マンダラのほかに、大マンダラ、三昧耶(さんまや)マンダラ、法マンダラがあります。大マンダラは、宇宙の全体像を仏の図像として表現したもの。三昧耶マンダラは、仏の持ち物で表現したもの。法マンダラは梵字で仏を表現したものです。
 こうして、本来の霊的宇宙を1枚の絵に示すことで、人間はそのような広大で豊かな一つの宇宙の中に置かれていることを、体感できます。
 そしてマンダラを通して、霊的宇宙の実相に誘われていきます。重要なのは、自分もそれとは別でなく、自分の男性面は金剛界マンダラに、自分の中の女性面は胎蔵界マンダラにしっかり結びついて、その一部になっていることです。
 
 こうして霊的世界と交流し、自分がその中に組み込まれ、一体化するのが「即身成仏」です。これも、ONEの瞑想や礼拝に通じるものです。
 「根源の神さまのただ中にあって、根源の神さまに礼拝し、そこに自分を捧げ、その中に融和・融合していきましょう」と。ONEの瞑想の中に、そのような表現が出てきます。
 大宇宙の中に自分が置かれ、その大宇宙に包み込まれ、その中に融合・融和し、自分が還帰していくのです。
 自分の中に宇宙が入ってきます。同時に一方、大宇宙の懐の中に、自分が入っていきます。「入我我入」です。「ヨハネによる福音書」にも、この相互の包摂の関係が、示されています。
 自分の中に神が、同時に、神の中に自分が入り込んで包み込まれ、一つに融和していきます。これが「即身成仏」です。
 自分が神の子であり、仏性が自分の中に宿っているから、このことが可能です。「仏性」とは、自分の中の「魂」のことです。
 このように、創造主と自分が一如であり、一つである。そうであるから神人合一できるし、それが人間の究極の理想であり、目標であることを、マンダラを通して実現させようとしています。
 ONEの礼拝でも、毎朝、天の創造主とその現れである天界に自分を向けて、深く頭を下げ、自分をお委ねします。こうして融合して、その日1日を過ごさせていただきます。
 
 その天の創造主と天界を、わかりやすく絵に表現したのがマンダラなのです。
 自分の中でも、「男性の側面と女性の側面」「男性のエネルギーと女性のエネルギー」「ポジティブとネガティブ」「能動性と受容性」が一体化してこそ完全になり、完成します。命の全体性の回復と実現です。
 金剛界マンダラの男性原理は智慧です。胎蔵界マンダラの女性原理は愛と慈悲です。創造主には、智慧と愛の両方があられます。その物的現れとしての太陽も、光と明るさが神の智慧を、温かさと熱が神の愛を表しています。
 確かに太陽を見ると、その明るさと温かさの両面があります。人間をはじめ全ての生き物には、「光と熱」「神の智慧と愛」、この両方が不可欠です。
 この両方を創造主はお持ちです。それをわかりやすく便宜上、太陽の光を金剛界として、太陽の熱を胎蔵界として、図式化したのです。
 自分が神人合一し、ONEとなるため、すなわち「即身成仏」するためには、自分の傾向を踏まえ、自分に足りない面を取り入れてこそ、完全な存在となります。
 
 金剛界マンダラに向き合い、男性の自分の側面を養っていただく。同時に一方、胎蔵界マンダラに向き合い、自分の中の女性原理を見ていく。そして養っていただく。
 ・自分には、金剛界の面はあるのか。
 ・自分には、胎蔵界の面はあるのか。
 ・自分の中の金剛界の面は、どういうようになっているのか。
 ・自分の中の胎蔵界の面は、どのようになっているのか。
 「能動性と受容性」「厳しさと優しさ」、それぞれが必要です。
 もともとの自分の個性や特徴はあってよいのですが、その上で、ブッダが言われた「中道」と「八正道」が自分の中にできてこそ、両性具有体の完全な生命体として、完成を見ます。
 ・仕事や職場で上手くいっているか。
 ・家庭や家族で上手くいっているか。
 ・自分にはいい意味での厳しさはあるか。
 ・自分には優しさはあるか。
 弓の弦にしても弦楽器の弦にしても、「寛厳よろしきを得て」用を足せます。正しく機能します。ブッダが言われた「中道」のとおりです。
 それぞれの状況や場や、相手に合わせて、ちょうど良いように自分が対応してこそ、上手くいきます。八正道です。
 そのためには、現状を見抜く知恵と、それを実際に適切に行う愛が必要です。神さまは、そのように完璧な智慧と愛の両方をお持ちです。
 自分の傾向に基づく癖(くせ)や課題を知ること。一方、自分の良さや可能性も知ること。こうして課題と可能性を自分の中で見ながら、金剛界マンダラと向き合い、胎蔵界マンダラとも向き合わせていただく。
 ・自分は家庭人間か、仕事人間か。
 ・仕事が好きで、上手くいっているか。
 ・家庭にいて居心地が良くて、家族と上手くいっていて、家庭で恵まれているか。
 
 自分のタイプや特徴を知る。それを踏まえ、自分の中で調整し、全体性を回復していくことを目指します。
 そのため、金剛界マンダラと胎蔵界マンダラが役立ちます。自分の中の、金剛界の面と胎蔵界の面をそれぞれ養っていただき、上手く統合します。
 真言密教も、ONEの教えも、「全体性の回復と実現」を特徴としています。
 後に出てきた鎌倉仏教は、坐禅だけにしたり、お念仏だけにしたり、お題目だけにしたりというように特化し、限定しました。
 それ以前の真言密教は、「総合」「全体」「統合」などを特徴としています。その意味でONEの教えは、真言密教と共通しています。ONEの教えにおいては、全体性の回復と実現を目指し、総合教育を行い、統合を目指しています。
 空海は、晩年に長年温めてきた理想の教育を、綜(しゆ)芸種智院として創設しました。その綜芸種智院では、「総合教育」をスローガンとしていました。
 
 現代の教育のさきがけとも言えますが、ただ、現代の教育は総合大学であっても、最初の教養課程でのみいろいろ扱うばかりで、その後それぞれを特化し、自分の専門を極めることを目指させます。
 現代の社会構造や職業構造も、縦割り形式になっています。横断する総合的で自在な智慧や応用力はありません。
 かつてのレオナルド・ダ・ビンチや空海やスウェーデンボルグ、あるいはサン・ジェルマン、ノヴァーリスのような、万能型の天才は、現代では登場しにくいあり方です。
 ARIのONEの教えは、「総合」に特徴があります。まさしく空海的です。ARIも「浅野総合研究所」と言って、「総合」が名称に入っています。
 
 その名の通り、ARIではあらゆる分野に関わり、あらゆる分野の真理を追究しつつあります。まさしく、総合研究所になっています。空海の綜芸種智院のように。
 しかも、「全ては一つ」ということで、整合性、一貫性があります。ただの万屋ではありません。それぞれが相関連し、一つになっています。これがONEです。
 空海はそのような人物としての、万能の天才でした。多様性でありながら一であり、一が多様性として展開し、豊かさを呈しています。
 そもそも、霊的宇宙がそのように構造化されています。それは宇宙創造神、大日如来がそのようであるからです。天界は豊かでバラエティーに富んでいます。それでいてバラバラではなく、一つの天界を構成しているのです。
 これからは人間も、空海のような「多様性の一」を持つ、本当の愛と智慧が求められてきます。
 全ては相関連し一つですので、元の智慧に目覚めれば、どんなことでも洞察でき、対応してやっていける人間ができます。まさしく、「全体性の回復と実現」です。
 自分の中の魂を軸とすることで、自分の中の頭も心も肉体も活性化され、頭と心と肉体が一つとなって協力し合い、全体として一つの人間が完成します。
 そうなるためには、自分の中の魂が、その元であられる、天の創造主と繋がらせていただくことです。
 「ヨハネによる福音書」にあるように、それぞれの枝は、木の幹に繋がっていなければなりません。木の幹に相当するのが、天の創造主と天界です。それぞれの枝は、自分の中の魂を表します。
 木の幹に枝を接ぎ木するのが、毎日の「天への礼拝」と「お任せ」です。こうしてその日1日も、天を敬い、天に従う心がけで過ごします。こうして人生も社会も成り立ち、上手く回っていきます。
 毎朝の天への礼拝で、「即身成仏」を体感しましょう。それを1日温めながら、その日を過ごしましょう。これが本来の人間のあり方、ONEです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17457

 
質問:2023年は、弘法大師空海の生誕1250年、真言宗開宗1200年の記念年です。この時に当たり、ONEの観点からメッセージをお伝えください。
 
ソース:ARIは、真言密教ともご縁があります。そのため、ONEの教えと真言密教にも、共通点が多く見受けられます。
 例えば、空海の「密教」に対応するのが、「ONE」です。「大日如来」に対応するのが、「天の創造主、宇宙創造神」です。「即身成仏」に対応するのが、ONEの教えの中では天の創造主に任せ切って「根源神と一つとなる」こと、融合することに相当します。
 真言密教の「儀式や儀礼」は、護摩行なども含め、ONEの教えの中では、「天への礼拝」に相当します。
 
 真言密教でも、ONEの教えでも、「総合」に特徴があります。多様性と一が一つに結ばれて、矛盾がなく、多様性の元に一があり、一によってさまざまなものが生かされ
る。このような捉え方になっています。全体を全て包み込む、包括的な捉え方になっています。「統合」でもあります。
 全体を無理なく一つに統合する。根源の一の下で全てが関連し、生かされているという、宇宙的な認識に立っています。
 異なったさまざまなものを糾(きゆう)合(ごう)し、止揚する。糾合というのは、縄を束ねること。止揚とは、アウフヘーベン。弁証法のジン・テーゼです。
 ONEの教えと同様、空海も極めて肯定的で柔軟で、優しく大らかで、楽天的でした。人に対しても、物事や出来事に対しても、宇宙空間や霊的存在方に対しても、全てに対して肯定的前向きで、それぞれを認めて、受け入れて、全てを浄化しながら生かし、昇華していく。エネルギーを純化して高め、全てを生かしてしまうという、前向きの方向性になっています。
 人間に対しても、社会の諸事象に対しても、他の宗教宗派にも、空海は肯定的で寬容でした。調和と総合をモットーにしていました。
 自分に対しても人に対しても、欲望や感情、煩悩なども理解し、認め、受け入れ、そこから始まって引き上げ、昇華していく。
 これは空海とONEの教えで共通した、素晴らしい特徴となっています。頭から否定したり、拒否したり、批判したり、戦ったりしないのです。
 
 和合によってONEの下、全てが生かされ、全体が一つとなります。空海の真言密教にも、このような認識があります。人の煩悩を否定せず、禁欲的ではないのです。
 もちろんだからといって、「ただ、欲望や感情のなすがままで、そのままでいい」ということではありません。
 現状がなぜそうであるのか、理解して受け入れて、現状を踏まえて、少しずつ良いほうに導き育てていくのです。これは実は、宇宙創造神さまの認識と対応となっています。
 真言密教は、根本仏である大日如来の教えです。ONEの教えも、宇宙創造神さまの教えです。宇宙創造神さまご自身がそのようなスタンスや特徴があられるので、真言密教も、ONEの教えも、それを表すようなものになっている、ということです。
 宇宙創造神さまや大日如来の教えなので、広い視野になっています。広大無辺で、多様性を理解して認めて受け入れ、それらを活かす方向で関わり、それぞれが関連のもとで一つになった、広大な世界があります。「全体が一つ」という認識に立っているのです。
 自分とは異質のものを理解し、認め、愛によって受け止める。こうして全体で一つとして成立し、やっていける。その中心軸に、密教と大日如来がある。ONEの教えでは、その全体の中心軸に、宇宙創造神さまとONEがある。
 
 空海の主著である『十住心論』では、心の成長の十段階が説かれています。その最後の十段階目がONE。真言密教の境地です。大日如来そのものである悟りの絶対的で完全な境地、秘密荘厳心です。
 ONEの教えでも最終段階は、宇宙創造神まと一体化した全体性の回復の、ONEの境地です。大日如来とONEが完成です。
 空海の『十住心論』でも、心の成長の十段階目の最終段階は、他の宗教宗派を超えた真言密教の境地を示しているのです。
 ARIの教えで「各自がキリストとなる」ということは、真言密教では「即身成仏」に相当します。
 真言密教でも、ONEの教えでも、「縦と横」「垂直と水平」、この両方軸でそれぞれを認め、活かしていくことがなされています。縦軸も横軸も理解し、考慮し、活かす方向です。
 「縦と横」「垂直と水平」は、「知恵と慈悲」に相当します。「上求菩提と下化衆生」に相当します。「金剛界と胎蔵界」に対応します。横である水平の実現した形が、「密厳国土」です。「理想社会の実現」のことです。
 
 ONEの教えでも「命の本源に還る」という縦軸、「理想社会を実現する」という横軸、この両者それぞれのために、人は輪廻転生しています。その両方向は矛盾ではなく、相互に助け合って、関連しながら、それぞれが実現していく方向です。
 真言密教でも、「金胎不二」の両部曼陀羅として認識していることです。
 ONEの教えの中では、まず朝起きたら、天に心を向けて、宇宙創造神さまとその表れである天界に深く頭を下げて敬意を表し、自分の全てを任せ切ります。
 後は、神さまを信じて安心し、落ち着いて、置かれた所で目の前のことに一つ一つ、順序立って適切に応じていく、という生き方をしていきます。
 天の創造主に自分を任せきるということは、「縦軸」。そこで授かった生命エネルギーを、その日1日、周りとの対応で活かして、周りの助けと喜びとなっていくのが、「横軸」。
 このように真言密教の捉え方とONEの教えの捉え方や実践は、対応しています。
 真言密教は、仏教の中の神秘主義ですが、ARIの教えも、キリストをはじめとする神秘主義になっています。いずれにおいても神秘主義と宇宙創造神が全ての軸であり、中心生命なのです。
 そこに基点を据えることで全てがわかり、全てを受け入れ活かし、全体が一つとして実現してくる、と見ています。
 空海は、若い修行の時期、求聞持法に取り組みました。虚空蔵菩薩のマントラを百万遍お唱えするという、過酷な修行です。それによって空海は、求聞持法を成就し、魂が覚醒しました。こうして記憶力が増強し、知恵が湧くようになりました。
 
 これが空海のベースにはあります。実はこの虚空蔵菩薩求聞持法は、リーディングだったのです。空海はリーダー(Reader)でした。
 虚空蔵菩薩は、サンスクリット語で、アーカーシャ・ガルバといいます。虚空の蔵です。虚空はアーカーシャであり、アカシック・リーディングのことです。
 このように、ARIの中心にあるリーディングが、空海の密教においても、求聞持法ということで、ベースに置かれていたのです。
 空海は、アカシック・レコードをリーディングすることから始まっているのです。それは後になっても空海を支え導き、活かしたことでしょう。
 空海は、当時の世界の最先端である外国の中国に渡り、中国で最新の秘法を伝授され、帰国し、それを日本に移植し、日本を次のレベルへと引き上げました。
 それと同様に、ヨハネはこの現代において、世界の精神世界の最先端であるアメリカに渡り、アメリカで最先端の秘法であるリーディングを伝授され、日本に帰国し、日本にそれを移植し、日本を啓蒙しています。空海当時の中国が、現代ではアメリカに相当するのです。
 空海は、中国から日本へ、ヨハネはアメリカから日本へ、その時代の最先端の秘法を伝授されて帰国し、それでもって日本を啓蒙しているのです。
 密教は、インド仏教の最後の段階として登場しました。インド仏教の歴史を見ると、明らかです。最後に密教が現れたのです。
 中国や日本の仏教史では、必ずしも密教が最後の段階にはなっていませんが、仏教の母国であるインドでは、ブッダの初期仏教、続いて部派仏教、それから法華経や勝鬘経や華厳経、維摩経、浄土三部経、般若経などのさまざまな大乗経典です。
 
 そういう中で、「空(くう)の摂理」を究明した中観(がん)派が現れました。それから、「全ては心の表れである」と、心を起点に据えた唯識思想が現れ、インド仏教の哲学を極めました。
 このように、「中観」と「唯識」によって、インドの仏教の理論的基盤ができました。
 それを踏まえ、最後に密教が登場したのです。この理論的なベースに立って、再び実践的な、人々に助けと悟りをもたらす、そういった強力な方法を、自国のヒンドゥ教から借りて、ヒンドゥ教の手法を仏教にも取り入れ、実際的な密教が作られました。
 インドの仏教は、最後に密教が出て、初期密教、中期密教、後期密教と進みました。中期密教で盛んとなり、後期密教では、少しずつ衰退していきました。
 それをチベットに渡った人たちが、インドの密教をさらに追求したのが、時輪タントラ。しかし、それは後期密教として、江戸の文化で言えば化政文化のような、やや退廃的なものになっています。
 密教の中では中期密教が、最も充実して健全で、良い内容となっています。その中期密教が中国に渡り、中国で結実しました。その最後の熟れた実を受け取ったのが、日本の空海です。それを伝授されて日本に帰国し、日本の国の中に合う形にして、日本の国で仏教は最終的に完成を見ました。それが空海が作り上げた真言密教です。
 ONEの教えも、現代の精神文化の最先端であるアメリカから始まっています。そのアメリカの精神的な潮流の中で最も良いものが「ONE」と呼ばれます。その最も良いものを、具体的にはポール・ソロモンを介在して伝授され、帰国したのがヨハネです。 
 欧米の最先端の精神潮流であるONEが、アメリカに渡ったヨハネが日本にもたらし日本の国でさらに仕上げ、完成させたものが、ARIのONEなのです。
 このように、ONEも宗教の最後の段階であり、仏教の中の真言密教とONEと、そのいずれも現実重視となっています。実際的な教えなのです。
 
 実際に起きたことが、神からのメッセージであり、真実である。神の働く場は、この世にある。
 確かに宇宙創造神さまは天におられる。神道で言う「天津神さま」ですけれども、「国津神」と言うよりも。しかしながら、その天の創造主の生きて働く場は、まさしくこの世である。およそ現実に起きることほど確かなものはない。
 それ以前の仏教では、インドでも日本でも、聖徳太子が捉え、また親鸞も捉えたように、「この世は虚(こ)仮(け)の世界であり、真実はない。不完全である。取るに足りない。ただ、仏と仏教だけが真実であり、信頼するに値する」。そのような現世否定的で厭世的なものでした。
 浄土の教えも、この世で本当のものが見出せないから、あの世に行って救われ、あの世に真実を求める、というものが多分にありました。
 浄土系の最後に出た親鸞は、そこに現世重視の「還相回向」を据え付けました。
 確かにこの世は、いろいろ不完全なことや問題が多く、苦しみや悲しみが多いカルマの世界ではあります。
 だからこそ神は、見捨てることなく、この世でこそ働かれ、この世でもちゃんとつじつまが合っていて、真実が働かれているのです。
 このように、仏教の中では密教が、母国のインドでは最後の段階として登場しました。ONEの教えも、宗教の最後の段階として登場しています。そしていずれも日本に、最終的に帰着して、日本で仕上げられつつあります。それが世界に向けて与えられる、日本の良きものとなっています。
 最後の段階に出た密教もONEも、いずれも現実重視となっている。極めて実際的で役立つ教えであるところに、特徴があります。
 根本仏の大日如来は、観念的・抽象的な存在ではなく、人に語り伝えてこられます。密教の前までは、根本仏というのは、あまり想定しませんでした。仮に想定したにしても、観念的・抽象的な存在に留まっていました。それが大日如来です。
 
 しかし密教の段階に入って、根本仏の大日如来は、ただの観念的・抽象的存在ではなくなり、人に語り伝えてこられる、生きた存在になられたのです。
 それと同様に、ONEの教えにおいても、他のほとんどの宗教は、派生された個別的・具体的な神仏に立脚していますが、ONEの教えは、宇宙創造神、天の創造主に向けられている根本信仰です。
 そして、ほとんどのこれまでの宗教が、天の創造主や宇宙創造神は、仮におられたにしても捉えきれないし、人間に直接関わって助けたり、語りかけたりはしてこられないと、ほとんどの宗教や精神世界は捉えています。
 しかし、ARIのONEの教えでは、宇宙創造神さまに軸を据えさせていただき、その宇宙創造神さま自ら人に語り伝えてこられ、人間を助け導いてくださっていると、見ています。
 このように、大日如来を中心とした空海の真言密教とARIのONEの教えは共通しています。途中段階で甘んぜず、妥協せず、根本信仰になっています。
 始まりであり終わりであられる根本の神仏に軸足を据えさせていただいている、根本信仰です。
 かと言って、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のような、排他的で排撃的な一神教には陥っていません。
 空海の真言密教も、ONEの教えも根本に据えながら、「根本から全てが発生しているのだから、全ては根本と関連している。そこで、根本に据えることで全てが生かされ、良くなっていき、全体が一つとして成立する」という壮大な宇宙観を持っています。
 
 これを図式化したのが曼陀羅的な宇宙観です。一人ひとりの占める位置と固有の役割がある。ONEの教えで説いていること、また、大切にしていることです。
 まさしく、この認識に立って、真言密教の曼陀羅が、図式化されています。
 宇宙のどこかに、その人の占めるポジションと、その人固有の役割が配属されている。その立体的な曼陀羅の中で、それぞれが関連し、協調し合って、全体を一つに営んでいる。
 根本仏の一部を引き受け、その一翼を担うように、各自が役目を果たしていく。全体の一助となっていく。このような曼陀羅的な認識は、真言密教とONEの教えとで共通しています。
 曼陀羅でよく知られているのが、胎蔵界曼陀羅と、金剛界曼陀羅です。いずれも世界や宇宙を表現した図柄です。マンダ(本質・円)・ラ(所有)の意味です。
 ONEの教えではそれを踏まえ、個人個人のかけがえのなさと悟りに向けて、個人曼陀羅としてのライフシールを、提示することがなされています。これがONEの教えのユニークさです。
 真言密教では、まだ全体を写し出す曼陀羅だけでした。「胎蔵界曼陀羅」「金剛界曼陀羅」のほかに、もう少し一部的な特殊曼陀羅もありますが、それらも社会的で、全体の一部としての、一般的な曼陀羅に変わりはありません。
 現代の潮流の中では、全体とともに個人が大切にされ、一人ひとりが活かされ、救われていくということが、なお一層求められている時代状況です。
 それに応えるかのように、ARIでは個人曼陀羅としてのライフシールが、提示されているのです。
 空海は胎蔵界の高野山と金剛界の東寺を場に、地上を密厳国土にするべく活動しました。ARIでは、一人ひとりが大切にされています。
 
 「一人ひとりに仏性が宿り、誰もが仏になれる」。真言密教では、このような肯定的・楽観的・前向きな捉え方がなされています。「即身成仏」です。
 ARIのONEの教えにおいても同様に、「一人ひとりに魂があり、一人ひとりがキリスト、ONEになれる」ことを説き、そのことを目指しています。
 真言密教も、ONEの教えも、神秘的で奥深い、命の本質を軸に据えている、深いものになっています。そのため、伝授や伝法が体験重視で行われています。
 ARIのONEの教えの中では、「エッセンスコース」「ULCコース」、それらに対する「フォローアップ・セッション」などとして、伝法や伝授が行われています。
 フォローアップ・セッションは、一対一の伝授です。カウンセリングの形ですが、それを超えた深いものになっています。
 また、ARIで行われている「洗礼」も、キリスト教の枠組みを超えたイニシエーションとなっています。洗礼も行われているのです。
 また、一部の地域では、「スピリチュアルスクール」が行われ、これもエッセンスやULCに準じた、内容と効果になっています。
 このように、真言密教もONEの教えも、伝授と伝法を行っているのが共通しています。また、真言密教でもONEの教えでも、現実重視でもあり、横の軸の慈悲の面、下化衆生を大切にしています。
 空海は「四恩」を四つの恩義として、「父母、衆生、国王、仏教の三宝」を掲げています。「両親をはじめ家族に対する恩」「一般衆生や生きとし生けるもの、社会に対する恩」「政治へのご恩」「仏教の仏法僧の三宝に対するご恩」。この「四恩」として横の軸を広げて、捉えていました。
 それに応えるかのような現世利益も、大切にされるようになりました。
 空海の真言密教でも、ARIのONEの教えでも、それぞれの方が今、悩み苦しみ、直面していることを軽んぜず、拒否せず、対応させていただいています。
 真言密教の現世利益の面が、ONEの教えにもあります。それがONEの教えでは、「代行ご祈願」「個人リーディング」などとして、行われています。「一言メッセージ」も、それに応ずる部分があります。
 
 高尚な縦軸の面とともに、下化衆生の慈悲の表れとしての利他行をなす。究極的な面は必ず、それを頂いたならば人々に還元し、人々を支え、助け、癒していく。そういった現(げん)世(ぜ)利(り)益(やく)の面は、軽んじたり拒否したりしてはなりません。
 究極的で高尚なものがあるなら、神秘的で奥深いものはなおのこと、それを得たならば、今困っている人に対して活用し、手を差し伸べるべきでしょう。
 親鸞のご生誕850年と空海の生誕1250年と、2023年は重なっています。これも偶然とは言えません。空海が誕生したちょうど400年後に、親鸞が誕生したのです。
 空海は時代状況に合わせて、真言密教を日本にもたらしました。続いて鎌倉時代初期に、平易な民間仏教が必要となり、やさしくて簡単な「南無阿弥陀仏」のお念仏の極みを、親鸞として出したのです。み言葉の系譜です。
 こうして根源の神さまは、時代状況や人々に合わせて、一人ひとりを育て導いてくださっています。
 現代は現代で、宇宙創造神さまの教えがONEということでこのように与えられつつあることを知り、それを学び役立てていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17432

 
質問:人は夜の眠りの中で、夢を見ます。この夢について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース: 人間は、肉体だけの存在ではありません。もっと奥深いものを宿している生命体です。そのため、人間の中で働く意識も、肉体に対応する意識ばかりではありません。
 肉体に対応する意識は「顕在意識」、心に対応する意識は「潜在意識」、魂に対応
する意識は「超意識」。このように、少なくとも三層にわたって、それぞれの意識が働いています。
 潜在意識と超意識を合わせて、「無意識」あるいは「深層意識」とも、表現することができます。
 
 普段は、起きていて活動する中で、肉体に対応する顕在意識が表立って動いています。この顕在意識の特徴は、「建て前」にあります。仮面を被って演じる、ペルソナです。
一方、潜在意識は「本音」です。心の奥にある本当の気持ち、願いや期待や恐れや不安などです。
 超意識の特徴は、「良心」。素直で無邪気な、幼子のありようです。それでイエス・キリストは、「魂本位の幼子のようなありようになることで、本来の自分を取り戻し、天国に迎え入れられる」と、人々に気づかせ、そこへと導かれました。
 普段起きている時は、社会的に人前で取り繕い、潜在意識の本音を抑えて、建て前で話をしたり、振る舞ったり、行動したりしています。しかしそれでは無理があり、次第につらくなり、そのうち不安定になってきます。
 「それではいけない」というので、この修復が行われます。夜眠りに入った時、肉体が停止するのに伴い、肉体の意識である顕在意識が働きを休止した時に。
 そこで、「待ってました!」とばかり、普段抑えられている潜在意識が前面に躍り出て、自分を表現し、解消しようとします。喩えて言えば、汚れた衣服を洗濯機に入れて回すような働きです。
 夜眠っている間に、潜在意識が十分動いて、抑え込まれたエネルギーを消化し、解消するのです。その動きが「夢」です。
 それゆえ十分に、夜、睡眠を取ることがまず必要です。また、そのことに気づいて、夜の夢を無視せず、拒否せず、軽んずることなく、「どういう夢を自分は見ているのか」を思い出し、考慮して、昼間生活することです。
 
 それによって自分の本当の気持ちや、願い、期待、恐れ、悲しみ、トラウマ、課題などに気づくことができます。夢から多くを学べるのです。それだけでも潜在意識は納得し、癒され、楽になります。そうすると、普段生活していても心が安定してきて、落ち着けるようになるのです。
 自分の潜在意識に蓋をしていては、無理があり、それが何かと、ちょっとした時に表れ出てきます。
 不安や焦り、魂の満たされない気持ち、ストレス、また、仕事や人との関わりでミスを犯したり、不手際があったりします。
 潜在意識には、否定的なものばかりでなく、直感が働いたり、過去の努力に基づく資質や知恵もあります。
 そこで、潜在意識が浄化され、整ってくることで、潜在意識の能力や直感的な働きが、表れ出てきやすくなります。
 夢は、潜在意識の抑えられている部分が表れ出てきて、表現され、解消するという働きばかりではありません。
 そのことを通して、顕在意識に大事なことに気づかせ、現実に対処したり行ったり、気をつけたりするように、メッセージを送ってきてくれます。
 
 そのことに気づいて夢を無視せず、朝起きた時に思い出し、その内容を心に留めておきましょう。
 ただ、世間において、「夢に注目し、夢を扱う」という場合、そのほとんどが夢解釈に終始しています。
 確かに夢には意味があり、象徴的に見る場合が多いので、夢解釈を学んで、朝起きたら夢を記録して、夢を解釈することは助けになります。
 しかし、世間で扱われる夢のほとんどが、夢解釈にばかり意識が向かっていることは、夢との関わりとして完全なものとは言えません。
 そこで「ONEの教え」においては、夢解釈以前に、まず夢に着目し、「どういう夢を自分が今見るか」に気づいて、それを受け止め、心に留めて、生活していくことです。
 まず何よりも、夢を大切に思い、十分睡眠をとって、昼間溜めているストレスを、夢を見ることで解消させてあげるようにすることです。
  それから、「どういう夢を見ているのか」に気づいて、どういう夢の場合でも、「必要性と、良くなるために見ていること」に気づいて、どういう夢でも理解し認めて、安心して受け入れ、どういう夢でも心配せず、十分味わい、消化することです。
 夢は解釈する以前に、十分夢を見させてあげて、奧に溜まっているものを解消し、消化することにあるのです。
 それから、「自分がどういう夢を見ているのか」に気づき、そのことを受け止めて、自分が見ている夢を心に留めて、生活していくことです。内省的に生きるのです。
 
 夢に振り回されすぎることなく、肯定的な夢も否定的な夢も、どちらも認めて、平らで広い心で受け止め、落ち着いて感じながら、そのエネルギーを解消し、消化させていくことが大事です。
 「あぁ、今の自分の潜在意識の内容は、こういうものであり、自分は今、こういう夢を見るんだ」と。
 平らな広い心で、そのように肯定的に夢を見て、どういう夢でも受け止め、その動きと内容を心に留めるのです。
 夢に入れ込みすぎることなく。自分を知り、自分を受け入れ、自分を感じ、自分を解消する機会です。
 このようにすることで、夢を通して自分の潜在意識を知り、自分の潜在意識を感じ、解消することができます。
 夢を通して自分の奥深い意識と対話し、和解し、コミュニケーションを図り、次第に意識が全体として一つに融和し、意識の全体性が回復し、実現する方向で、根気強く自分の奥深い意識を覗きながら、肯定的な気持ちでゆったりと、取り組み続けることです。
 自分の奥深い意識は、自分の子どものようです。抑えすぎず、無視せず、忍耐強く受け止めて、優しい肯定的な心で応じ続けることです。
 自分の奥深い意識と交流し、より良い関係を形成していくために、夢に気長に取り組むのです。
 昼間無理をしているため、夜夢を見ることで溜まっているストレスなどを、夢で表現することで解消し、消化しようとします。
 
 それがある程度なされていれば、朝起きた時に肉体ばかりでなく精神も回復して、爽やかに目が覚め、その日1日も元気に、働いたり学んだりして過ごせます。
 夜眠るのは、肉体を休めるだけでなく、精神も休める目的があるのです。しかし、このようなことがわからないと、睡眠不足だったり、夢を無視したり、夢に振り回されたりします。
 それだと、眠っている間に意識が十分回復できません。それが続くと、潜在意識がパンク状態になります。
 そうなると、どうなるかというと、肉体に逃げ場を見出そうとします。夜潜在意識が夢を見て解消しきれないと、肉体に及び、肉体が夢を見ざるを得なくなります。
 肉体次元で解放しようとし、肉体次元でメッセージを、顕在意識に送ろうとするしかありません。それが倦怠感だったり、体の違和感だったり、という症状です。
 それでも無視して生活し続けると、肉体に、その人のその時点を表すような、病状が発生するのです。
 肉体の病気とは、肉体次元で夢を見て、解消しようと躍起になっている、とてもつらいあり方です。
 潜在意識レベルでも、十分に解消しきれないと、心の病が発生します。それだけでは追っつかないと、本当に症状が重くなって、生きていくことに支障を来すようになるのです。
 潜在意識で、基本的に夢を見るわけですが、魂の意識である超意識がいちばんの元にあります。
 その部分が素直な心で、教えに基づいて生きていたり、魂が主体のお祈りや礼拝や瞑想や奉仕的な生き方で、魂の元であられる天の創造主と交流していると、魂が活性化して、働き出すようになります。
 そうなってくると、魂の働きが潜在意識にも伝わります。そうすると、意味のある夢を見たり、鮮明な夢を見たりするようになります。
 
 潜在意識の夢は、基本的に雑夢であり、象徴的にある程度意味のある内容とはなっています。
 それが、魂が入り込んで、潜在意識に影響を及ぼしてくると、夢がクリアになったり、意味のある夢を見たり、朝目が覚めた時に印象に残って覚えて起きれるようになります。
 さらに、魂主体の夢を見るようになります。そのためには、潜在意識がある程度以上整理され、清められ、整ってからですが。
 潜在意識がある程度以上清められ、整って落ち着いてくると、そして超意識も目覚め、発達してくると、霊的な夢を見るようになります。
 普段から、「自分の理想に基づく使命に生きる」「教えに基づいて生きる」、そのような心がけで生きていることも、助けになります。
 そういう自分のあり方になってくると、超意識の夢が増えてきます。そうなると、意味のある夢以上に、「神の啓示」や「お告げ」のような夢になります。
 すでに潜在意識の段階で、夢を見ている間霊界に行って、実際の霊体験をすることもあります。あるいは前世や未来のことを、霊的に体験することもあります。
 肉体の状態がどういうものかを、潜在意識は夢の中でキャッチし、顕在意識に知らせてきてくれるものです。
 また、亡くなって霊界にいる霊的存在たちと出会い、いろいろ伝えてきたり、コミュニケーションすることも、夢の中では起きます。
 そのようなあり方が進んでくると、超意識主体の夢になります。それは、リーディングの状態に、かなり近いものなのです。深いサマーディの瞑想状態です。
 
 そうすると心も体も癒され、浄化され、回復するような働きがあります。
 なぜなら、魂の意識である超意識には、命を蘇生し、回復させるような、自己治癒力があるからです。
 イエス・キリストも、墓場の中で魂主体の状態で、肉体を蘇生させ、立て直し、復活しました。これが大ピラミッドの、「死と復活の命の秘伝」です。
 瞑想の時のように夢の中で、霊界という以上に天界に赴き、天界の純粋な英気を授かって、地上に戻ってきます。自分の肉体に。そうすると蘇生し、進化段階が上がるのです。
 夜眠っている間に、このようなイニシエーションを授かり、通過することも起きることがあります。
 潜在意識の中で、超意識が働きかけてくる「意味のある夢」からさらに、「正夢」「霊夢」、それから日中の「白昼夢」、あるいは「白日夢」などのリアルな夢体験をするようになります。
 ここまで来ると瞑想やリーディングの状態に限りなく近づきます。自分で自分の肉体や心の状態がわかり、無理なく治められるようになって、自分がONEの全体性を回復した生命体のありようになってきます。
 そうなると、日頃生活していても、自分で自分の肉体や心を知って無理なく治め、自分の感情や欲望を無理なく治めて、生命エネルギーを昇華し、より良いほうに生命力を活かしていけるようになります。
 菩薩や天使は、そのような生命体のありようにまで進化した、生命体のありようです。
 夜の夢は誰でも見ますが、その夢をどう捉え、どう関わるかで違ってきます。せっかく誰でも見るのですから、放置せず、無視せず、それを良いきっかけとして、自分に取り組むようにしてください。
 
 古来、神秘主義の流れの中では、このようなことに気づかれ、取り組まれてきています。聖書の中にも、いろいろな夢のことが出てきます。日本の古典の中にも、出てきます。
 それが、唯物的な考え方が蔓(まん)延したことで、意味のない、馬鹿げたことのように、夜の夢が見なされるようになってしまいました。
 それにより人類は、大切なきっかけを失い、そのつけが回ってきています。焦りや不安、ストレス、イライラ、うつ、病気などです。
 普段から焦りや不安があり、過去のことも引きずって処理できていません。物的には進歩してきているけれども、内面的には生命体が退化してきているのです。
 そういう時代風潮だからこそ、太古の叡智に目を止め、これからの時代に合った形で復興させ、自分の生活に取り入れることが、助けになるのです。
 自分の生命体を回復させるきっかけとして、夜の夢を取り込み、夢と上手く付き合い、活用していってください。
 夢を無意味なものとせず、また悩ましいものともせず、どういう夢でも理由と意味と目的があって見るのですから。
 なぜなら、自分の中に起きていることである以上、必ず必要性があって、理由と意味と目的をもって、自分の中で動いている、生命に不可欠なメカニズムだからです。
 落ち着いて命の感覚を働かせ、自分を立て直すのです。そして、より良い人生とするため、夢を取り込んでいってください。
 夜、身を横たえて眠り、昼間起きて活動します。それは、霊界と顕界を行き来している輪廻転生の名残です。
 夜の間に人は、成長したり、発達したり、回復します。また、傷が癒されたり、修復されます。
 昼間、体を動かして学んで努力したものは、眠っている間に整理され、資質となります。
 
 「一晩眠ってよく考えなさい」と、昔から言い伝えられています。それは、眠っている間に疲れが取れるばかりでなく、頭が整理され、一つの結論に到達できるからです。
 リーディングも、「眠っている間によく考えなさい」ということを、一つのシステムにした、有用な方法です。
 眠っている間に天界に還り、朝起きたら英気を頂いて目が覚めるように。それが最良の眠り方です。瞑想と同様です。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17407

 
質問:人はなぜ生まれてきたのでしょうか。どのように生きたらよいのでしょうか。教えてください。
 
ソース: 人は誰でも、明確な目的を持って生まれてきます。自分も生まれてくることを願うとともに、それ以前に天のお計らいで、理由と必要性と目的があって、生まれさせていただきます。
 生まれてくる目的には、個人差がありますが、共通の部分もあります。
 
 原則として、次のような2つ、3つの理由と目的により、人間となって生まれてきます。
 1つめは、前世で自分が作ったカルマを果たすため、です。
 2つめは、いろいろ経験を積んで成長し、その自分を活かすことで周りのお役に立ち、社会の一助となるためです。理想社会を実現する一部となる、とも表現できます。
 3つめは、天からの贈り物として、です。人生の恵みや、楽しみの側面です。
 当人としても時期が来ると、あの世で態勢が整えられ、時代状況に合わせ、ご縁のある魂たちとの関連で相前後して、この世に人間となって出て来ます。
 先ほど列挙された、3つの理由と目的が主ですが、その内容には個人差が見られます。それで、一人ひとり異なった人生を送ることになるのです。カルマも、果たすべき役割も、楽しみや恵みも、人によってさまざまだからです。また、自由意思の使い方にもよります。
 これは、運命ということと関連してきます。
 運命は確かにあります。しかし、宿命ではありませんので、「何もかも予(あらかじ)め決まっていて変えられない」というほど、固定的絶対的なものではありません。
 大まかには決まっていますが、細かく具体的な部分は決まっておらず、自由意志によって作れます。また大筋の所も、場合によってはある程度変えられます。
 
 また、変えられない部分も認識し、受け入れ、教えによる気づきによって、より良く捉え、良い印象で受け止めて、上手く折り合って、心穏やかにやっていけるようになります。
 人間の心には、創造力が与えられています。そのため、自由意思の使い方で、自分のことも周りの状況も、いろいろに作っていけます。
 全く自分の思い通りに自由に作れるほどではありませんが、周りとの兼ね合いで、また自分の力量に応じて、そして神さまのご許可の下で、ある程度作っていけます。変えることも、ある程度可能です。
 人間の魂に創造力があるのは、人間の魂の親であられる神さまに、創造力があられることによります。子は親に似ているものだから、です。
 特に、親であられる創造主との関わりで、心の中の自由意思を使うと、より大きく発揮されるのと、正しく発揮されるのとが、特徴として表れます。
 一般の人たちはこういうことがわからないので、心の創造力をあまり使えていないし、たとえ使っていても、自分の癖が出て、新たなカルマを作り、周りを困らせ、自ら苦しむ事態を招いています。
 神さまとの関わりでこそ、自由意思は遺憾なく発揮され、また正しく運用されもします。運命が開拓できます。そのためにも、自分を毎朝、天の創造主にお任せするのです。
 過去にカルマが作られたのは、自分の自由意思の使い方によるものでした。
 
 もちろんカルマには善業もあるので、自由意思を上手に正しく使って、良いカルマも作り、それで今やれていたり、恵まれていたり、良い人になったりしているのです。
 カルマは、過去のものばかりではありません。現在も作りつつあります。そして将来も作ります。生きることが、カルマの営みだからです。
 そのことに気づいて、いつでもどこでも自分の態勢を整えて現状に臨み、現状の中で、今の自分として最善を尽くすよう心がけるのです。
 過去はすでに過ぎ去り、変えられません。未来はまだ来ていないので、今どのようにもできません。今この瞬間だけが、自由にできて可能性があります。
 そのことに気づいて、いつでもどこでも「今ここ」に専念することです。これが質問にある「どのように生きたらよいのですか」という、問いに対する答えです。
 どの瞬間も、最善を尽くすよう心がけて生きること。現時点の自分としてのベストを尽くすこと。人生は瞬間瞬間の集まりです。であるならば、いつでもその時の自分としての、最も良い心がけで、目の前のことに適切に、最善を尽くすことが大事です。いつでもそのことを心がけて生きるのです。
 
 これは、「無理をする」ということとは異なります。「徹底するけれども、いきすぎない。極端に陥らない。無理をしない」――これが超作です。中道と八正道です。自(じ)然(ねん)法(ほう)爾(に)です。
 これによって、自分の為の何かを当てにするのではなく、ただ純粋に、今のことに集中して果たすのです。これが超作です。神さまに自分をお任せし、自然体で目の前のことに徹すること。
 いつでもこのように心がけると、充実し、それによって、最良の結果が待ち受けています。
 いつでもそのように心がけると、後になるほど、自分の状態も周りの状況や動きも、着実に良くなっていきます。
 それによってちょっとでも良くなったら素直に喜び、それを励みに、次につなげていきましょう。
 一方、このように心がけても、自分の状態も周りの状況や動きも、たとえすぐに良くならなくても、このことを疑わず、諦めて止めず、焦らず、落ち着いて見直し、調整して、また取り組んでください。このような取組に価値があります。
 
 また、出てくる結果だけに囚われず、プロセスに着目してください。いつでもその時を大切に、その時その時を活かして、味わって過ごしてください。
 味わうけれどもその時に囚われず、自由でいてください。そうすると心が晴れやかで、のびのびして、天国的に暮らせます。それが「空(くう)を生きる」ということです。
 心が自由ならば、自分は自由です。それによって自分のことも、状況も、ほかの人のことも、そのまま活かすことになります。これが「愛と慈悲の生き方」です。
 自分の心に正直に、悔いのないように生きてください。この人生を大切にして、丁寧に生きるのです。一生を終える時、「良い人生だった。ありがたかった。やるだけやった。悔いはない。本望だ」。そのような充足感と、やりきった感があり、晴れ晴れとして、感謝と安堵感と充足感に包まれて、肉体から魂が離れられれば大往生であり、本当の意味で「上手くいった人生」と言えます。
 「自分の価値を証明する」とか「人から評価されるため」とか「人に勝つため」とかで、生きるのではありません。自分で納得できるよう、生きるのです。
 人を見たら、相手の人に勝とうとするよりも、相手の人を助けようとしてください。自分のことをわかってもらおうとするよりも、相手のことをわかって、相手のためになろうとしてください。
 
 まだ、自分が癒されていなかったり、態勢が整っていなかったり、余裕がなかったりしているうちは、人からわかってもらい、人に助けてもらうということを願っても構いません。
 しかし、そのような段階を経て、次第に自分の態勢が整い、余裕が出てきたならば、人をわかってあげて人の助けになるように生きるのです。
 自分を整え、自分を磨き、置かれた状況で自分を発揮し、周りに助けと喜びと平安と理解を与えていくのです。
 何でも「活かそう」としてください。自分のことも人のことも、状況も、出来事も。物や道具も。過去の体験や教訓も。何でも活かそうとするのです。それが「愛の生き方」です。
 全てに理由と意味と目的があります。そのことに気づいて安心し、どんなものでも人でも状況でも大切にし、感謝し、「活かそう」とするのです。そうすると、それぞれの目的が最上の形で遂げられていきます。そのようにすれば、結果はついてきます。
 一日を、天への礼拝からスタートしましょう。現実のあらゆることのいちばんの元は、天の創造主にあります。
 そこで真っ先に、天の創造主に向き合い、敬意を表し、自分の全てを任せ切るのです。
 「神さま、いつもありがとうございます。
 これからも全てにおいて、何とぞよろしくお願い申し上げます。全てが、神さまのお心の通りになってまいりますように」
 素直で無邪気な幼子の心で、そのように天の創造主さまにお伝えして、天に向けて深く頭を下げ、敬意を表し、自分に関する全てを任せ切ります。
 こうして一日をスタートするのです。日頃も、「天を敬い、天に従う」心がけで生きていきます。
 
 何か自分に合う、良い目標を持って生きてください。身の回りのささやかなことを、大切にしてください。身の回りのささやかなことで、喜んでください。身の回りのささやかなことに感謝し、喜び、大切にし、それらを活かして生きていく。無邪気でかわいらしい、幼子のようなあり方です。
 健全で良い目標を持ち、やり甲斐(がい)があると、活き活きと健康でいられ、天寿を全うできます。
 人をうらやましがる必要はありません。それぞれの人の良さと、独自性、固有の目的があるのです。自分は自分として、今自分にできることに専心してください。
 いつでもどこでも、その時自分のするべきことと、自分だからこそできることに集中すればよいのです。
 人と競り合ったり、人と自分を比較したりする必要はありません。誰かになろうとするよりも、むしろ自分になろうとしてください。もともとの自分の良さに気づき、もともとの自分の良さが自然に表れ出るようにするのです。
 
 神さまを信じ、そのもとで自分のことを信じてください。それだけで楽になり、安心し、明るくうれしく元気になってきます。
 本来の自分が回復してきて、自然に表れ出るように仕向けてください。そうすると、魂本位のあり方が出来てきて、余裕も生じ、自分の良さが活かされて、周りに対する思いやりが生じ、周りにより良い感化を与えられるようになります。
 自分の傾向を知って、自分の傾向がまずく出る代わりに、良く出るように調整し、振り向けていってください。
 周りに好ましくない影響を及ぼすことを極力控え、周りに好ましい影響が及ぶように、努力してください。
 自分の日頃の思いと言葉と態度と実際の行いが、より良いものになるように、好ましくないものにならないように、心がけてください。
 全ては日頃の小さな積み重ねです。小さなことの積み重ねで、自分も現実も作られています。
 
 どんな小さなことも、そのまま終わることはありません。全ては、日頃のことの積み重ねで出来ています。良きも悪しきも、全ては正当に報われていきます。
 安心してください。生命は永遠で、宇宙は公正です。神さまがおられ、そのようにしてくださっているお蔭です。
 この世もあの世も神の世界です。人は神に愛され、神に良くしていただいて、生かされて生きています。安心して自分が置かれた所で、自分らしく生きていってください。この世を天国にする一助となることで成長し、いずれは天国に帰還するため、転生しています。
 生命は永遠です。全ては正当に報われていきます。無駄に終わることは、何一つありません。苦労も努力も、必ず報われていきます。その時点のその人の内実を表すような、現実の状況と動きと体験になります。神の法則は完璧です。
 そのことを知って安心し、自分が置かれた所で自分らしく生きていけばよいのです。このようなことがわかると、とても楽になり、心も現状も安定してきます。
 
 時々過去を振り返って、点検・確認してください。過去の体験から得られたことを肝に銘じ、体験から得られた教訓や資質を、今後に反映させ、活かしていってください。
 自分のことも人のことも理解し、適切に許し、これからを大事に生きていけばよいのです。何も恐れることはありません。
 時々過去を振り返って、自分のことを認め、理解し、褒めてあげてください。それだけでも、心が楽になり、明るくうれしく元気になってきます。
 このようなことがわかってくると、心が楽になり、安定し、明るく肯定的・楽観的な人になります。これが本当です。天国的で健全なあり方です。
 人間は、肉体と頭と心とから出来ています。そしてそれらの元に、生命の本質の魂があります。天の神さまの分霊です。
 肉体は、先祖からの賜物です。
 心と頭は、自分の前世からの賜物です。
 自分の魂は、天の創造主からの賜物です。
 肉体は物質なので、いずれ朽ち果てます。肉体に魂がおれなくなった時が寿命であり、肉体にいることが我慢しきれなくなって肉体から離脱した時が死です。
 
 こうして魂と心は、霊界へと向かっていきます。肉体は、土に返っていきます。
 肉体は今世一代だけですが、肉体の元は魂です。霊体です。魂と心の反映としての肉体が作られ、そこに魂が宿っているからです。肉体は物であり、自然の摂理に従って生かされています。
 自然の摂理の中心は太陽です。それゆえ、自然の摂理の中心の太陽に沿って生きると、肉体は健康であり、病気にはなりません。
 自然の摂理の中心は太陽ですので、太陽のリズムに合わせて生きれば、肉体は健康で元気でいられます。
 太陽のリズムに合わせて生活してください。自然の摂理に沿って生活すれば、肉体は健康で、肉体で困ることは起きません。明るく健康的に、健全に、無理なく生きてください。消化器官は24時間のうち、12時間は休ませてあげること。
 肉体を良いことのために使ってください。いけないことのために肉体を使わないようにしてください。肉体を必要なことや良いことのために使うと、肉体が納得し、喜び、その結果肉体が健康でいられます。
 自然の摂理の元に天の摂理があります。天の摂理に従って、魂と頭と心を働かせることで、魂も頭も心も元気で、有用なことのために活かされていきます。
 そうすると頭も心も健康で健全で、活躍できます。良いことのためや必要なことのために、頭や心を程良く使ってください。そうすると、頭や心が発達し、さらに冴えてきます。良い人柄の人になります。本来の自分の個性が活かされます。
 
 カルマを果たし、カルマを超えるために生まれてきています。カルマから自由に生きられるのが解脱です。生まれてくる時点で、神さまからお役を授かり、お役を果たすために生かされて生きていきます。
 人生がどういうものになるかは、前世のカルマの内容と、生まれてきた目的と役割。これらを表すような人生になります。それと、自由意思の使い方によります。
 人生こそが修行であり、自分磨きの機会です。同時に、良くなってきた自分を活かして周りのお役に立ち、世の中を良くするためにも生きていきます。そして、見落としてならないのは、人生は天からの贈り物だということです。
 人生は修行であり、カルマを果たすためということですが、本来は天からの贈り物として、生まれさせていただいています。恵みの面です。そのことを忘れないでください。天のふるさとに還っていくプロセスが転生です。
 人生をしみじみ味わい、「ありがたいなぁ」「うれしいなぁ」と思えたら、恵みの面を感じていることになります。
 そこで、神さまに対しても「ありがたいなぁ」という、素直な心や安堵感や充足感が得られます。すると神さまのほうを向いて、感謝し、お委ねするようになります。
 
 単に、罪を犯してまだ不足だから生まれてきた、ということではないのです。「かわいい子には旅させよ」ということで、親であられる神さまが、この素晴らしい地上に生まれさせてくださったのです。
 そのことに気づいて、幼子のように神の子として、恵みの人生を送ってください。
 一見すると、恵みにはとても思えないような中に、いっぱい恵みが潜んでいます。そのことを見落とさないでください。
 全ては理由と必要性があって、神から来ます。理由と意味と目的が、全てにあります。因果の法則に基づいて現実は起きているのです。
 起きる理由と必要性と目的のあることが、真の意味で良くなるため、時期が来るとふさわしい形で起きます。
 安心してください。この世もあの世も神の世界であり、良くなる方向で、公正に起きています。全てが正当に報われます。生命は永遠です。何の恐れも心配もいりません。この世もあの世も神の世界なのですから。
 
 このリーディングで述べられたことが、「ブッダの悟り」の完成形態です。それぞれは進化し続けます。
 「ブッダの悟り」もキリスト時代を経て、本人も生まれ変わりながら、このような内容にまで、当時の悟りが発展し完成を見たのです。
 この「ONEの真理」を悟ることで、苦しみから解放され、心が平安と喜びに満ち溢(あふ)れ、現状の中で生きていけるようになります。これが進化形のニルヴァーナ、涅槃です。
 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ。悟りよ、幸いあれ!

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17375

 
質問:瞑想とは何ですか。宇宙意識とは何ですか。ONEの観点から、瞑想の内容と効用をご教示ください。
 
ソース: 瞑想は、何のために行うのでしょうか。瞑想は心の食事であり、心を養い、清めるためです。
 インドの宗教では、特に瞑想が主流となっています。日本にもヨガなどを通して、それが伝えられています。また、西洋でも神秘的な宗教や哲学では、瞑想あるいは瞑
想に通ずる手法が、何らかの形で行われています。
 一般には、「キリスト教は、祈りと信仰」「仏教は、瞑想と知恵」。このようにわかりやすく見なされています。
 大まかにはそれで正しいのですが、本当のものは総合的なので、必ずもう一方の側面も備えて行われています。
 多くの場合、瞑想そのものが目的となっています。しかし、ONEにおいては、瞑想は目的というより手段です。それは、仏
教とも一致しています。
 
 仏教がインドの他の諸宗教と異なっているのは、ほかの所では「瞑想そのものが目的」となっているのに対し、ブッダは、「真理を悟る手段」として、瞑想を位置づけたところにあります。「真理を悟ることが目的であり、瞑想はその手段である」と。ONEも、このブッダの捉え方と同じです。
 「真理を悟る」というのは、わかりやすく言うと「本当のことがわかる」ことです。本当のことがわかるよう、精神を集中し、瞑想するのです。
 瞑想の意識状態に入ることで、意識がクリアになり、智慧が働き、真理を悟ることができます。そのために瞑想します。
 リーディングの場合も、なぜ身を横たえて目を閉じてリラックスし、トランス状態に入るかというと、本当のところを把握できるためです。
 天に自らを供物として捧げ、天の媒体となり、できるだけ忠実に正確に、天のご意志を把握し、媒体として人々に伝えられるように、です。
 実際、リーディングの時は深い瞑想状態であるサマーディ、いわゆる三(さん)昧(まい)、神人合一の状態になっています。
 ブッダも悟りを開く際、ただ考えたり思索に耽(ふけ)ったりしているだけではらちがあかないことに気づきました。
 どんなに頭が優れている人でも、思索したり考えたり、勉強したり、人の話を聞いたりしているだけでは、本質のところまで摑(つか)めません。
 それで、瞑想に入るのです。瞑想に入ると、より天の状態に近くなります。魂が主導になり、天界の知恵が作動し始めます。
 通常の意識状態ですと、どんなに頭が良くても肉体主導で地上的であるため、地上の知恵が湧くだけです。
 
 そこで、リラックスして呼吸を楽にし、肉体と肉体につながっている顕在意識から遠ざかり、意識を沈潜させて、自分の奥に潜り込みます。
 顕在意識から潜在意識、さらに超意識という魂の意識にまで立ち戻ります。魂の意識が、天の創造主と天界に通ずるようにするのです。それにより、天界の知恵が開かれます。
 こうして、本当のことで大事なことを、把握できるようになるのです。それが「真理を悟る」ということ。
 それによって納得し、気持ちが解放されて楽になり、安らぎに到達します。生命状態が良くなり、救われるのです。
 「真理は人を自由にする」――このように「ヨハネによる福音書」の中で、イエス様がおっしゃっています。このイエス様のお言葉が、「ヨハネによる福音書」に書き留められたところに、意味があります。
 「ヨハネによる福音書」をまとめた使徒ヨハネは、ブッダの実体だからです。「真理が人を自由にする」、これはブッダ的です。
 エドガー・ケイシーは、「このヨハネが転生してきて、真理が人を自由にする、そのことを行う」。このように予告しています。
 これが実際に、現在ARIで行われていることです。嘗(かつ)て、インドにおいてブッダが行っていたことでもあります。智慧が目覚めて、真理を悟ることで、苦しみから解放され、安らぎが得られる。
 「真理が人を自由にする」ためには、ただ考えたり、学んだりするだけでは不十分です。地上的な知恵のレベルで留まりがちです。
 そこで、天界の知恵が自分の中で動くように、素直になって自分を魂に戻し、その魂を天に捧げることが必要です。それが「瞑想」という手段です。その時、本当に学んでいる「ONEの教え」が把握できます。
 頭でわかるだけでなく、本当にわかり、会得できるのです。「本当にそうなんだ」と、わかるのです。真理が自分の血肉になるのです。
 単なる情報や知識を超え、生きた英知として作用します。その時、本当に真理が人を自由にするのです。それが仏教で言う「ニルヴァーナの境地」です。カルマから解脱します。
 本当のことがわかることで、心が解放され、楽になる。こうして安らぎが得られる。良い状態になって救いに与(あずか)れる、ということです。
 
 ブッダから、ONEを学んだり訊(き)いたりすることも、もちろん役に立ちます。しかし、まだ情報や知識のレベルです。それだけですと、本当には効き目が出てきません。本当に、学んだONEの真理が自分のものになって、会得されることが必要です。
 そのためには、「人生経験を経ていくこと」と「瞑想すること」、この2点が助けになります。
 瞑想の中で、魂の意識によって天界の知恵が働き出すことで、そして天からの働きかけを頂くことで、本当に自分の奥深くでONEの真理を理解し、把握します。
 そうすると本当に気持ちが吹っ切れて解放され、楽になり、安らぎが得られるのです。人間的に本当に変われるのです。本来の自分が回復して、もともとの自分に立ち返り、戻ることができます。「瞑想」はそのための有効な手段です。
 仏教ではこのように、最初から瞑想を位置づけています。そこが、瞑想しているほかの所との、大きな違いです。
 ほかの所では、瞑想そのものが目的になって、瞑想を楽しんでいます。瞑想によって健康が得られたり、意識がはっきりしたり、また瞑想そのものの体験の楽しみがあったりということも、もちろんあって良いのです。
 しかし瞑想を楽しむだけでは、本当ではありません。そこに、ブッダは気づいたのです。
 それで、当時のインドの瞑想の達人の師匠2人から、それぞれ瞑想の奥義を伝授されて、それをたちまち習得したシッダールタは、2人の師匠に留められたけれどもそこに留まらず、立ち去ったのです。なぜならその2人の師匠は、瞑想そのものを目的としていたからです。
 ブッダの目的は、「苦からの脱却」です。苦しみから解放されて真の安らぎが得られることが、ブッダの目的でした。それで2人の瞑想の達人の所を、立ち去ったのです。
 その後、苦行をして浄化され、鍛錬されました。そして「むやみに苦行しすぎるのもよろしくない」ということを、痛感させられました。
 ブッダは嘗て王子として、王宮で快楽的な生活を送っていました。そのバランスを取るためにも、6年間の苦行は必要でした。それを終えた後で、中道に向かいました。
 
 真理を悟るために、菩提樹の下に座りました。そして深い瞑想に入りました。そこで本当のことを掴(つか)み、安らぎに到達しました。瞑想の中で。
 その把握した真理を、多くの人に伝えるようになっていきました。それが仏教となりました。現在のARIでも、時代状況に合わせ、それが行われています。
 ブッダが瞑想の中で把握した真理、それがほかの人たちにも苦しみから解放させ、安らぎを得させます。「真理は人を自由にする」のです。
 仏教では、「戒(かい)・定(じよう)・慧(え)」の三学というカリキュラムがあります。
 まず「戒」ということで、戒律を守る生活をすること。正しい考えや正しい生活をすること。これによって自分が整います。良い状態になります。
 それで初めて、2段階の「定」、すなわち禅(ぜん)定(じよう)、「瞑想」に入ることができます。戒律を守って自分が整って良い状態になってこそ、落ち着いて健全な瞑想に入って、精神集中ができます。2段階目が「瞑想」です。
 こうして、「瞑想」によって魂の意識が開かれ、天界の知恵が働き出して、真理を悟ります。知恵により、本当のことで大事なことがわかります。頭でわかるというより、魂でわかり、把握します。すると、本当に効き目が出ます。安らぎが得られます。これが3段階目の「慧」です。
 頭だけや知識だけの理解や情報だと、不十分です。完全には解放されなかったり、自分の欠点も直らないままだったり。そこで、瞑想して深い意識状態に沈潜します。そうすると本当に真理が把握できるのと、把握した真理の効き目が出てきて、生きた真理が作用するようになり、本当に心が悟って解放されます。ONEの教えが生きた真理として、確かに役に立ち、作用を起こし始めるのです。そのために瞑想します。
 これが3段階目の「慧」、すなわち知恵の段階です。天の知恵を得て真理を悟るのが3段階目、それが目的。それができるために2段階目の禅定、すなわち瞑想を行う。そして瞑想がきちんと行えるように、自分の考えや生活を整える戒律を守ることが、1段階目として必要です。
 これが「戒・定・慧」の三学、三つの学ぶべきこと、です。
 『般若心経』という、簡潔な真理を説いたエッセンス的な仏教の経典があります。その『般若心経』は、後になって作られた大乗仏教の経典ですが、仏教の特徴が良く出ています。
 真理を悟らせることで、心が解放され、解脱することを説いています。説いているだけでなくそれを起こすように、最後は祈りの言葉としてのマントラが付いています。
 
 「ONEの教え」を学ぶことで、本当のことがわかり、気持ちが吹っ切れて、拘(こだわ)りや恐れや悲しみから解放される。過去のことや現状のことがよくわかって受け入れられ、安心して、現状の中で自分らしくやっていけるようになる。自分のことも人のことも、今までよりよくわかり、適切に許して、寛大に関わってやっていけるようになる。これが「救われた」ということです。
 「真理を悟る」ことで苦しみから解放され、解脱するのです。安らぎが得られるのです。そのために「瞑想」が有効です。
 瞑想すると、顕在意識から潜在意識、さらに潜在意識がクリーンにされてきて、魂の意識である超意識にまで入っていきます。本当の自分です。それは天と通じています。
 そこまで来ると、地上の知恵というより天界の知恵が働き出します。それによって、この世のことがよくわかり、あまり囚(とら)われなくなります。そして正しく捉えて、それぞれを活かせるようになります。囚われず自由だから活かせるのです。これが空(くう)の境地です。 
 仏教で与える知恵は、天界の知恵です。天界の知恵が得られれば、その下で地上の知恵や技術も、正しく活かされるようになります。
 ほとんどの人は、「知恵」といえば「地上の知恵」しか知りません。「天界の知恵がある」ことなど、思いも寄りません。
 まずは、知恵には「地上の知恵」とともに「天界の知恵」があるということを知ること。そして、天界の知恵が本当の知恵であり、生きる上で助けになること。天界の知恵は愛と一致し、解脱と救いに導くこと。天界の知恵の下で、地上の知恵や技術も真に正しく活かされること、などがわかってきます。仏教で言う般若の智慧です。
 「キリストの知恵」も「ブッダの知恵」も、天界の知恵でした。「聖徳太子の知恵」も天界の知恵でした。
 天界の知恵がある人は、本当の愛も備えています。天界の知恵は、本当の愛と完璧に一致し、一つです。
 しかし地上の知恵は、必ずしも本当の愛と一つにはなっていません。苦しみや悲しみから解放も、してくれません。そこが問題です。にもかかわらず、地上の知恵が、知恵の全てであるかのように、ほとんどの人は捉えて過ごしています。
 地上の知恵も便利で役に立ちますが、それだけでは本当に人は幸せになれず、苦しみから逃れられず、本当に幸せにはなれません、地上の知恵だけでは。
 地上の知恵は、この世の便利さにつながっていくだけです。本当の幸せや救いには、つながっていません。
 
 こういう今の時代であるからこそ、本当の知恵である天界の知恵があることを知る必要があります。知るだけでなく、天界の知恵を得られるようにするべきです。
 それを授けるのが天界の瞑想です。本当の瞑想はそういうものです。そのような瞑想は、祈りとセットになっています。
 「祈り」は神への語りかけ、「瞑想」は神からの語りかけを聞き入り、受け止めさせていただくこと。神さまと自分とのコミュニケーションです。相互のやり取りが、祈りと瞑想に相当しています。霊的交わりです。
 先ほど、「キリスト教は祈り、仏教は瞑想と一般に捉えられている」と説明しました。そして「本当の宗教や哲学は、総合的なので、その両方が含まれている」とも言いました。
 本当のものは、「祈りと瞑想がセット」であることを知っています。祈りと瞑想相俟(あいま)って、神さまと相互交流が行われ、神さまの慈愛が注がれて、本当の知恵も授かり、苦しみから解放され、安らぎが得られ、救われていくのです。
 そのような魂の意識が開かれてくると、意識が広がります。なぜなら、天の創造主と自分が通ずるようになるので、意識が解放されるからです。それによって宇宙意識が開かれてきます。
 クンダリニーも覚醒します。体内の生命力の根源がクンダリニーです。クンダリニーが覚醒して上昇してくると、体外離脱が起き、飛翔し始めます。チャクラを開かせます。そして意識が拡張します。
 クンダリニーの覚醒によって、自分は天へと還っていくようになり、意識が宇宙大に拡張するのです。こうして、大いなる天の創造主と小さな自分が一つに融合していきます。人間はミクロコスモスなので、マクロコスモスに目覚められるのです。
 
 神さまのような大きな広がりのある意識が、宇宙意識です。これは瞑想によって授かります。そうすると愛が大きくなり、器が出来るのです。
 ただ自分が高まる、向上するだけでなく、自分が広がるのです。より多くの人のことがわかり、受け入れ、支え、成り立たせる、そういう度量や知恵が備わります。
 地球を覆うほどの広大な愛が、湧いてくるようになるのです。それが「キリスト意識」や「ブッダ意識」です。
 瞑想はこのように、自分が高まるだけでなく、意識が宇宙大に広がることが特徴です。それが、大いなる天の創造主と神人合一した証です。
 そうするといろいろなことがわかり、いろいろなことが必要ならば、できるようになるのです。それが本当の神人合一、すなわち三(さん)昧(まい)、「ONEの境地」です。神人のありようです。
 少しずつでもそうなるように、ここで述べられたことを指針にして、現状から取り組んでいきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17363

 
質問:教育についてONEの観点からご教示ください。
 
ソース: 仏教では、六道輪廻が説かれています。下から「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」、この6つです。この6つの道を、人は輪廻転生し続けると、説いています。
 そのような迷妄と苦悩の不毛な輪廻転生を脱することを願い、仏道に入って仏教の修行に取り組みます。それにより六道輪廻を脱し、その上の「声(しよう)聞(もん)、縁(えん)覚(がく)、菩薩、
如来」という高位の段階へと進むと、説いています。これらを合わせると「十界」です。十の世界のことです。
 
 これはONEの教えから見れば、生命状態の十段階のことです。生命が輪廻転生を重ねる中で、少しずつ経験を通して教訓を学んで成長し、生命の進化段階を上昇していくことです。
 6段階目まではまだ、輪廻転生をくり返さざるを得ませんが、仏教という真実に出会うことで、少しずつ脱却する方向に向か
います。
 それにより輪廻転生の6段階を脱し、その上の4段階を徐々に上がっていき、遂には「如来」という仏の最後の段階に至ります。
 「如来」は人間完成であり、生命の進化段階の最終的なあり方です。それが生命の完成したONEのあり方です。それが、仏教では「仏」です。
 釈迦牟尼世尊は、自らこの道を歩み、仏と成られました。成仏です。それによって道が開かれました。
 「私はこのようにして人間完成し、仏となることができました。それであなた方もなれるし、なると良いから、そのことに取り組むとよいです。それには、こうこうこういうふうにするとよいです」
 これが仏教です。一人ひとりが仏になる道。成仏すること。人間完成すること。それを説き勧めるのが仏教です。
 仏教ではまた、「下(げ)品(ほん)下(げ)生(しよう)」から「上(じよう)品(ほん)上(じよう)生(しよう)」までの、9つの領域を説いています。わかりやすく現代風に表現し直すと、「下品下生」は下の下、「上品上生」は上の上。下の下から上の上までの、生命の進化段階が9段階で説かれているのです。
 下の下から下の上までが、地獄。
 中の下から中の上までが、普通の霊界。
 上の下から上の上までが、天界、極楽浄土です。
 これは霊界ばかりでなく、この世のほうも内面的には、この9つの生命の進化段階があります。あの世ははっきりしてわかりやすいですが、この世でもよく見ると、一人ひとり、この9つの生命の進化段階のどこかに今、位置しています。いちいちそれを判別する必要はありませんが、実質としてそのようになっています。
 
 一方、西洋のキリスト教の中の「ヨハネの黙示録」では、7段階が説かれています。7つの生命の進化段階です。これはチャクラにも対応しています。この7段階を何度も上昇していくことが、「ヨハネの黙示録」のテーマになっています。
 「ヨハネの黙示録」では、この7段階が4周期、巡ってきていることが説かれています。「7つの手紙」「7つの封印」「7つのラッパ」「7つの怒りの鉢」。このように7段階が4周期巡ってきて、それを経て「新天新地」という、生命の完成を見たことが、ヨハネの修行体験の報告記として、残されているのです。
 「7つの教会」とは、7つのチャクラのことです。「それぞれの教会を司る天使」とは、「それぞれのチャクラを司る精神」のことです。このようにキリスト教のほうでも、生命の進化が説かれているのです。
 しかしそのことに、仏教でもキリスト教でも、ほとんど気づかれていません。
 ONEの教えではまた、簡略化して、3段階を説いています。「癒しと治療の段階」「育てる段階」「教える段階」、この3段階です。
 まず、正常なところまで底上げすることが、「癒しと治療の段階」です。
 こうして一人の人間として、正常にやっていけるようになったところで、「育てる」ということが施されます。
 こうしてある程度育ってきたところで、続いて、「教える」ということが行われます。
 「育てる」ことと「教える」ことをまとめて「教育」と名づけることができます。
 このように癒しの段階で底上げし、カルマを解消していただく。それから育てる育成の段階。これは主に愛と慈悲によります。こうして育ってきたところで、次は教えるということが施されます。
 「教える」ほうは金剛界であり、「育てる」胎蔵界に対して、「教える」ほうは知恵が主になってきます。
 仏教でも「胎蔵界曼陀羅」と「金剛界曼陀羅」があります。胎蔵界の「育てる」ほうは、主に家庭で行われます。一方、金剛界の知恵に基づく「教える」ほうは、学校とか職場とかで行われます。
 
 しかし、家庭や学校や職場以前に人生そのものが、誰にとっても、子どもでも大人でも、人生経験そのものこそが真の修行であり、学びの機会です。神がそのようにしてくださっていることによります。
 わかりやすく3段階に分けましたが、実際は同時進行で、「癒し」と「育てる」ことと「教える」こととが、織り成されていきます。
 それでもその時その時で、「癒し」が主になっているか、「育てる」ことが主になっているか、「教える」ことが主になっているかで、違いが見られます。
 さらに3段階目の「教える」ことだけを取ってみても、無数の段階があります。
 一般の学校や職場などでの、あるいは社会の研修や学びの場でも、技術面や知識面の「教える」ということが主になっています。
 しかし先ほどの、仏教やキリスト教の多くの進化段階から明らかなように、上には上があるのです。
 一般の知恵は、世間的な知恵です。一方、仏教やキリスト教で求めてくるのは、出世間的な知恵です。「地上の知恵」と「天界の知恵」。
 仏教では地上の知恵を「俗諦(ぞくたい)」、天界の知恵を「真諦(しんたい)」と表現しています。「タイ」というのは、「諦める」という漢字ですが、「真理」の意味です。
 ブッダの教えの基本である「四(し)聖(しよう)諦(たい)」。四つの聖なる真理、「苦(く)・集(じゆう)・滅(めつ)・道(どう)」の4つの聖なる真理を、「四聖諦」と表現しています。
 「四聖諦」というのは、「人生には苦しみがある」から始まります。「人生は苦しみそのものである」とさえ捉えます。そこが出発点です。それは人間が不完全であることによります。
 苦しみを招くような原因を持っている。それはカルマとか不完全さとかによります。そのように不完全さやカルマを集めている。そういう原因があるから、「苦しい」という結果をもたらしている。これは「診断」です。
 
 次はその解決策、「治療法」です。それが後半の「滅・道」です。診断と治療です。
 後半の「滅・道」は前半の診断を踏まえ、治療。それは「仏道を歩む」こと。それが原因となって苦が滅するという結果がもたらされる。こういう真理です。
 ブッダは、苦しみの原因を説明します。そして、苦しみの原因を滅する方法も、教えてくださります。カルマを知らせ、カルマを解消する道をも教えてくださります。
 これは、教育全般について当てはまることです。特に「癒し」の段階において。苦しみの原因を集めているから、苦しいという結果をもたらしている。
 そこで、「仏道を歩む」。具体的には「八正道」と「中道」。それが新たな原因となって、苦しみを滅するカルマを解消するという、喜ばしい結果がもたらされます。浄化と育成とも言えます。お清めと育成です。
 神は、育て導くお方です。人生経験そのものが、神のお計らいでそのように動いていきます。
 一人ひとりが作ったカルマを、神が上手に用いて、一人ひとりのカルマを通して育て導き、カルマを果たさせ、教訓を学ばせ、育て導いてくださっている。それが、現実の動きと人生経験の説明になっているはずです。
 一人生では足りないので輪廻転生し、複数の人生を通して、神直々の、一人ひとりに対する教育指導が実地に施されています。
 このことに気づいて、その方向で、自分を神さまにお任せしながら、ONEの教えを指針として、自分の個別的な特徴や課題にも気づいて、現状の中で「八正道」と「中道」という適切な捉え方と応じ方を重ねていくことで、徐々にカルマが解消し、清められ、癒され、さらには育成され、次第に真実に至ります。こうして成仏し、完成します。
 
 より大きな神さまと関われるようになり、チャクラも下から浄化され、整い、遂には人間完成を見ます。「新天新地」の実現です。
 「新天新地」とは、外面的には「新しい霊界と新しい顕界」のことです。しかし内面的に捉えるならば、「新しい霊体と新しい肉体」、それが新天新地です。外内は、「マクロコスモスとミクロコスモス」です。
 「ONEの真理」を、ONEの教えを通して学びながら、自分固有の特徴や癖も知って、全ての元であられる創造主に自分をお任せし、天の創造主のお力添えとお導きを頂きながら、現状の意味を悟り、自分の癖も知って、適切さという「中道」と「八正道」で、現状に対処し続けること。
 それによってカルマが解消し、自分も育て導かれ、徐々に徐々に進化段階が上がっていきます。多くの場合、5年や10年では浄化や育成は困難なため、少なくとも数十年を要します。さらには、数百年、数千年、数万年を。
 ブッダという完成者にしても、キリストという完成者にしても、「数十回にわたる輪廻転生によって、備えられた上で転生してきたので、最後の人生で完成を見た」と、説かれています。
 ブッダに『ジャータカ』という前世物語があるのは、そのことを伝えようとしているものです。
 イエス・キリストの場合も、「福音書」自体には家系図しか出ていませんが、家系的な縦の命の流ればかりでなく、本人の輪廻転生による命の横の流れも重要です。
 イエス・キリストご自身30回輪廻転生する中で、備え導かれ、進化段階を上げ生まれてきたので、イエス・キリストとしての人生で完成を見ることができたのです。いきなりというわけには参りません。
 仏教でも「頓(とん)悟(ご)」と「漸(ぜん)悟(ご)」が説かれています。
 「頓悟」というのは、「たちまち悟る」ということ。「漸悟」というのは、「しばらく時間をかけて、少しずつ成長し浄化されて悟る」ことを意味しています。
 基本的には、時の経過の中で徐々に徐々に浄化され、育成されていくという漸悟が本当です。
 ただ一方、こういうこともあるのです。
 イエス・キリストが「幼子のようになることで天国に行ける」と言われた。
 
 仏教では、「自力」でなく「他力」を重んじ、横様に超える道を重んじた。横超です。「分別知」よりも「無分別知」を重視した。
 ONEの教えにおいても、「本来自分の中に、神さまから完全なものを授かってスタートしている」と説きます。仏教で言う「如来蔵」や「仏性」が、ONEの教えにおける魂に相当します。
 それゆえ、本来の良きものに気づいて、元々の自分の良さを表し出すようにすることで、スムーズに完成へと向かいます。
 「何か自分には足りないから、ほかから学び取る」とか「誰か模範的な人を目標に励む」とかは、ONEの教えでは勧めません。
 「誰かになろう」とするよりも、むしろ「自分になること」。本来の自分の良さを思い出し、自己信頼をベースに自分の良さを取り戻すようにし、なるべき自分になること。その意味では、「頓悟」の面もあるのです。
 このことを、全ての元であられる天の創造主との関わりで、天の創造主に全てを任せ切って取り組むと、よりスムーズに間違いなく進んでいきます。
 そういうことを、置かれた状況で、自分がその時するべきことに、素直な心と感謝の心と思いやりの心で取り組むことで、着実に間違いなく浄化され、育成されていきます。
 自分を見直し、整え、自分を十分に発揮して、その時するべきことを通して、周りの助けと喜びになっていくのです。
 それによってカルマが解消し、役目も果たされていき、自分も恵まれ、やっていけるようになります。
 神さまが、ちゃんとそのようにお計らいをして、一人ひとりをその時ふさわしい所に置かれています。
 またお互いに、こういう志を持つ者同士が考慮し合い、尊び合い、助け合って、共に修行に取り組むことで、また社会貢献に取り組むことで、一人ひとり成長の道を歩めます。
 仏教では、「上(じよう)求(ぐ)菩(ぼ)提(だい) 下(げ)化(け)衆(しゆ)生(じよう)」と説かれます。「上求菩提」というのは、上を求める。「菩提」というのは、悟りのことです。向上と進化と悟りを目指す、進化の自力の道です。上昇志向です。
 
 一方、「下化衆生」というのは、天界からこの世に生まれてくること。慈悲の道。還相回向。
 「上求菩提」が知恵の自力の道であるのに対して、「下化衆生」は慈悲の、いい意味での下降の道です。他者救済に当たる。
 天界まで行っても地上に生まれてきて、多くの人の救済にあたっていくことです。
 親鸞は「還相回向」を説き、そのことを重んじました。仏教で言う「菩薩」です。
 自分の完成や幸せだけを求めずに、自ら下に降りていって、自分より困っている人や、まだ十分成長していない人に、躊躇(ためら)わずに関わっていって、手を差し伸べ、巻き込まれていくことです。
 それには危険も伴いますが、それによって多くの人の救済にあたります。そうすると、自分自身も一段と成長の段階が上がり、思わず天に引き上げられることが起きます。
 下手をすると、天界から落とされた天使のようになることも、絶対ないとは言えません。翼を折られた天使のようになったり、この世でぼろぼろになったりすることもあります。イエス・キリストの場合も、酷い目に遭いました。
 ブッダも前世において修行者だった時に、飢えたトラに自ら身を投げ出して食われました。それによって、飢えたトラの親子を助けました。
 そういった犠牲のもとで、多くの人や命たちが支えられ、自分のカルマも解いていただけます。そして思わず神さまによって、自分のレベルもいちだんと上げていただけます。他力の神風が吹き、思わず引き上げられていくのです。
 親鸞が「還相(げんそう)回向」と言うように、極楽浄土まで行ってもそこで甘んぜず、わざわざ娑婆世界に転生受肉してくることを重んじたのは、積極的肯定的な輪廻転生論です。
 単に自分のことだけを考えて、自分だけがあの世で救われていく上昇の道や成長の道だけを説いたのではないのです。いい意味での下降の道が、慈悲行です。大乗菩薩道です。
 これでこそ本当に、上まで引き上げられていきます。当てにしないという超作です。純粋な動機に基づく、愛の生き方です。これでこそ「上の中」、さらに「上の上」まで引き上げられます。「上の上」が、ONEの生命状態の完成です。根源神との一致、ONEです。
 現状の自分の進化段階を踏まえ、今できるところから、目の前のことに適切に中道で応じ、神さまにカルマを解いていただき、育て導かれていってください。
 
 そしてほかの人たちを考慮して、それぞれの人も成り立ち、助かり、やっていけるように関わっていってください。
 一人ひとりが天へと救われていくとともに、地上にも平安と平和が訪れることを目指し、そのことに関わっていくことが大事です。
 それでARIでも、『命の本源に還る』という本とともに、地上での理想社会の実現を目指すという側面の「下化衆生」も、本としてテーマにしているのです。『理想社会の実現』です。
 「上求菩提」と「下化衆生」相俟(ま)って、一人ひとりが天界へと救われていくとともに、地上にも理想社会が実現することでしょう。こういう中で「真の教育」、さらには「究極的な教育」がなされていきます。
 一般の学校教育や職場や社会での教育ということに対して、本質のところからのONEの観点での教育を、お伝えしました。
 これを踏まえ、現状の中での一般的な教育も見直し、できるだけONEという真の基準の教育に沿うように、行っていってください。
 それにより、一般の教育も神のみ業の一助となれることでしょう。それがその人自身のためにも、社会のためにもなっていきます。
 そうなりますように。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17340

 
質問:ビジネスと霊的世界、スピリチュアルの関連性について、ご教示ください。
 
ソース: ヨハネ・リーディングをはじめとするARIの役割は、天界を地上に反映させることで、地上に新秩序をもたらすことにあります。
 天界の特徴は、ONEです。それが地上に反映された時、万物の新しい理法をもたらしたことになります。それによって、地上にも天界のありようが実現し、世界に新秩序がもたらされます。
 これは、ヨハネの黙示録に出てくる「新しいエルサレムが、天から静かに降下してきて地上に降り立つこと」、また「新天新地の実現」に相当することです。その意味で、ARIの役割は「ヨハネの黙示録の成就」にあります。
 黙示録は、『聖書』の最後の巻です。それで、「ヨハネの黙示録が成就する」とは、「旧約・新約合わせた、『聖書』が成就すること」にもなります。
 旧体制から新体制へと移行します。好ましくないあり方から、本来の理想的なあり方へと移行します。それがあらゆる分野において起きてきます。
 「万物の新しい理法」と言われるように、全ての事柄、あらゆるジャンルにおいて、ONEではない好ましくないあり方から、ONEである本来の理想的なあり方へと、移行することが起きてきます。
 
 そのことを推進していく指南役が、ヨハネとARIです。
 ヨハネは、黙示録を、今の時代において実現させるために転生してこなければなりませんでした。
 それで例えば、ビジネスの分野においても、ONEではないあり方からONEという本来の理想的なあり方、すなわち天界のビジネス的な面が地上にもたらされる推進役をヨハネは務めます。
 ビジネスにONEを応用した場合、どうなるのか。
 まず、その内容が明らかにならねばなりません。明らかになれば、それが参考と指針となり、それにできるだけ近づけるよう、現状から出発して、ONEのビジネスモデルに各自が仕事の中で、少しずつでも近づくように、努力していけば良いのです。
 天の創造主とその顕れである天界に敬意を表し、そこに自分を捧げつつ、ONEのビジネスモデルを助けとして、自分の現状で、できるだけ仕事がONEのビジネスモデルに合致するように、各自がこれから務め励むのです。
 ONEとの食い違いができるだけなくなるよう、各自、置かれた状況と立場で、仕事に励んでいくのです。このONEのビジネスモデルが基準となります。
 
 では、どういう内容がONEのビジネスモデルなのでしょう。
 まず、人に勝とうとするよりも、人を助けようとすることです。これはもちろん、内部の人間に対してだけでなく、外部の人たちに対しても、です。関係のない人たちやライバル会社などに対しても、です。
 もちろん内部に対してはなおのこと、互いに理解し、認め、受け入れ合い、協調し、連係プレーで、一丸となって取り組むのです。それが天国的あり方です。本来の、ONEのありようです。
 それぞれが自分を自覚し、自分の持ち味を置かれた所で活かしながら、互いに認め合い、助け合って、連係プレーで公正にバランス良く、一丸となって取り組むのです。
 これまでの歴史上では、天界のあり方を地上に反映させようと挑んだ人物が、何人か登場しました。
 アクナテン、イエス・キリスト、聖徳太子、聖武天皇などは、その典型的人物です。
 ブッダももちろん教えの面で、それを実行し、地上的にも「サンガ」という仏教教団を、モデルとして造り上げました。そして共和制的な社会のあり方が、望ましいという方向性も、示唆しました。
 聖徳太子の「十七条憲法」では、天界のありようがどういうものかを、明らかにしています。
 ONEのあり方は、ただの個人主義でも、ただの全体主義でもありません。個人のために全体があり、全体のために個人がある。
 
 このように、個と全体とが相互の関連で、どちらが犠牲になることもなく、双方が上手くかみ合い、個が全体のためになり、全体が個々のためになる。個々をまってはじめて、全体が実現する。全体が活かされることで個々のためになり得る。このような相互の関係になっています。民主主義と社会主義が一体化したあり方です。
 政治的な社会体制はもちろんのこと、ビジネスや仕事、経営などにおいても、それぞれが活かされ、全体に寄与するようになります。
 ここで全体というのは、会社全体という以上に、社会全体です。それも自分の国のためばかりでなく、他の国々も含めた地球全体という「全体」のことです。
 さらに、人間のためだけでなく自然の命も考慮され、尊ばれるあり方です。
 会社中心というよりも、社会中心です。会社を通して社会に寄与し、社会の一助となっていくのです。
 その社会がどの程度の規模や範囲かで、その会社の実力や器が決まります。とりあえず地域社会に寄与する、ということでも良いのです。
 しかし精神的・霊的には、地球全体を覆うほどの愛をもって、地球全体を考慮して「地球全体の一助となる」ということを、仕事で目指すのです。天の創造主に、全ての仕事が地上で奉仕します。
 戦いや競争や儲けや会社発展ということよりも、協調し、助け合って、補い合い、社会全体が成り立つように行います。
 その時自分ができることで、自分のためにも人々のためにもなることを行えば良いのです。儲けや発展は目的というより結果です。
 「あぁ、これなら今の自分にもできそうだ」と。能力的にも、状況や立場的にも、今の自分にふさわしく自分にできることで、やりがいがあり、人々の助けにもなり得ることがよいのです。
 
 一般には、利潤追求が目的になっています。売上げの規模を上げることが、会社の目標になりがちです。
 しかし天国型においては、個々人が活かされることで、会社を通して社会のためになることが、目的です。それにより、役立った分だけ収益が上がり、それによって会社も存続を許され、必要な限り発展し、社員の人たちもその家族も生きていける、保障される、という関係です。
 金儲けのために働くのではありません。自分の価値を証明するために働くのでもありません。収益は目的というよりも、社会貢献したことに対する正当な結果として、自然に授かるものです。
 自分を磨き、自分を発揮することで、会社を通して社会のお役に立つ。それによって喜ばれ、その結果、それ相応の収益が上がる。それによって会社も、社員の人たちも生活が保障され、やっていける。これが本来のあり方――すなわち、天国型のONEの働き方とビジネスです。
 自分を犠牲にして無理して働くということも、天国型とは言えません。ちょうど勉強が、本来楽しく、ためになることであるように、働くことも本来楽しいもので、ためになることです。自分のためにも、周りのためにも。
 本来の勉強や教育が競争ではないように、本来の仕事も競争や勝負ではありません。このように教育の分野においても、現状は競争の場にしてしまっていますが、本来の教育は競争とは無関係です。格付けや序列なども、本来のあり方ではありません。
 教育と同様に、仕事やビジネスも競争ではなく、仕事に格付けするのも、本来のあり方ではありません。職種やポジションに上下、優劣、貴賤はありません。
 その時の自分を精一杯発揮することで、会社を通して社会にどれだけ役立つかだけを考えればよいのです。
 他と競り合ったり、勝つということを考える必要はありません。まして、自分の所が生き残るために、あるいは優(まさ)る(勝(まさ)る)ために、他の会社を意図的に陥れるようなことがあってはなりません。
 
 また、会社の内部においても、自分が業績を上げて有利になるよう、内部において画策し、他の社員を陥れるようなことをしてはなりません。
 しかし、得てして現状では、仕事の場が内部においても対外的にも、そのような面が付いてまわっているようです。
 そういったものが少しずつ整理され、態勢が整ってきて、天国型の本来の職場と働き方になることを目指し続けるのです。
 そうすればストレスも減じ、安心し、喜びの中、自分を十分に発揮して、会社を通して社会の役に立てます。働くことが喜びで、やりがいになります。
 そうなってくれば、人は健康になり、病気というより老衰という形で自然死を遂げ、十分にするべきことをして、天寿を全うして、帰るべき天界へと帰っていけます。明るく健全で、健康的な、無理のない生き方や働き方になります。
 国境というものも、今はそれらが絶対化してしまっていて、本当ではありません。現代の社会の、いちばんのネックは国境です。国家主義が強すぎるのが、今の時代の弊害です。「現在の人類のレベルは、その程度だ」ということなのです。
 外界は内界の表れです。その時点のその人たちの内実を表すような、現状の雰囲気と動きと出来事と体験になります。
 現在の人類のレベルは、コロナが蔓(まん)延したり、ロシアによるウクライナ侵攻からいろいろな歪(ひず)みをもたらしたり、ということに端的に表れています。
 国家主義が強まっていて、互いに牽制し合い、拮抗し合っている。そういった否定的なありようは、とても天国的とは言えません。「現代の人類はその程度だ」ということなのです。
 必ずその時点の自分の内実を表すような、現実の状況と動きと出来事と体験になっています。雰囲気や人間関係も、働き方も。たまたまそうはなりません。
 
 そこで、現実の全ての元であられる天の創造主と天界に敬意を表し、自分の全てを任せ切るということからスタートします。そして日頃も、天を敬い、天に従う心がけで、天意に沿うように、できるだけ仕事においても考え、意思決定し、現状に対処していくことです。
 ONEのビジネスモデルを理想のイメージとして、できるだけ現状の中で、その天国型の完全な理想型(けい)に、自分の所の仕事や職場を、少しずつでも近づけるように心がけて、日々取り組むのです。
 その中で、一人ひとりが成長し、浄化され、育成され、少しずつその完全な理想型(けい)に近づいていきます。
 ちょうどイエス・キリストが、完成した人間のあり方を具現化したことで、多くの人たちの完成した理想の人間のあり方の目標になっているように。また、東洋ではブッダがそうなっているように。
 一人ひとりが「ONEのビジネスモデル」という、天国型の働き方や職場を元にして、自分の職場や仕事を、少しずつでもそのモデルに近づくように、日々励むことです。
 それがたとえすぐに上手くいかなくても、疑わず、迷わず、諦めないこと。一方、ちょっとでも上手くいった時は素直に喜び、感謝し、評価すること。そして、そのちょっとを励みに、次につなげていくことです。このような取り組みが、貴重なのです。何でも、日頃の小さなことの積み重ねでできていきます。
 
 現状に失望しないこと。現状を拒否しないこと。現状には理由と意味と目的があります。完成に至る途中の、必要なプロセスです。
 それゆえまず、現状を理解し、認め、受け入れること。そして現状の中で、少しずつでも天国型のビジネスモデルに、自分の職場や仕事が1ミリずつでも近づくように、日々励むのです。互いに理解し、思いやり、協調して。
 その取り組みの中で一人ひとりが浄化され、育成されます。それによってその分、あなたの仕事を通しての、社会への助けが及ぶようになります。そしてその分、お金も回り、入ってくるようになります。それによって自分や家族も保障され、生きていけるようにしていただけます。
 人々の役に立った分、それがお金に換算され入ってくること。これが正当的で健全なお金の動きです。そういうお金は、喜びをもたらしてくれます。
 もともとお金は目的ではなく、役に立った分自分たちが生きていけるように、授かるものです。お金だけが一人歩きしてはいけません。
 どれだけお金が入るかではなく、どれだけ自分を活かして役に立つか、が大事です。
 自分をその方向で見直し、整え、まずは現状の仕事からきちんと一つひとつ真心で、ベストを尽くすのです。
 その時点で、これ以上自分にはできないというくらい、最上の出来映えになるよう、行うのです。そうするとその分、人々の助けになります。そして、その役立った分だけお金が入るようにすることです。日々慎ましく、素朴に暮らしましょう。
 天界の秩序と、その物質界の表れである自然の摂理に従い、明るく健康的に、生活してください。
 天国型の人は贅(ぜい)沢(たく)しません。何でも大切にし、感謝し、活用します。
 そのような風通しのよい、健全で無理のない、贅沢や華美を求めない純朴なあり方が、天国型です。
 
 物を大事にせず、感謝が足りず、威張り、贅沢を好む人は、すでに道から外れて堕落しています。そういう人は、低い霊界に行くしかありません。生きているうちの品格が、あまりよろしくないものです。それでは残念なあり方です。
 慎ましくかわいらしく、素朴に生きるのです。目に見えないものにこそ価値があるのです。物的な物やお金は、必要最小限でよいのです。
 しかし、わざわざみすぼらしくなる必要はありません。必要な物や良い物は、持っていて活用し、健全に楽しみましょう。
 自然と調和する中で、あまりエネルギーを使わず、無理なく健康的に喜ばしく、生きてください。そういう天国型の方向での仕事なら、なお望ましいことです。
 でもまずは、今自分が置かれた状況で、今の自分を活かして、今の自分ができることで、社会のお役に立てばよいのです。必ずその時点のその人にふさわしい仕事や職場になっています。
 同じ人でも長く生きている間には、仕事が変わっていくのはそのためです。その人自身が変わりつつあるから、それに見合う職場や働き方や給料の額になるのです。
 自分を改めて見直し、仕事の観点で自分を認識し、調整し、癒やし、整えてください。人格も技術も磨き、その時点のベストを尽くすのです。
 いつでもその時点のベストを尽くすことが、ポイントです。そうすれば仕事が充実し、お金は自(おの)ずと付いてきます。それが健全で本来のあり方です。少しずつ少しずつ天国型に向かっていくように、励んでください。
 ビジネスにおいても、このように霊的世界やスピリチュアルは深く関連しています。天界に根差した地上の仕事ならば、天界にしっかり根づいているので、順調に育成され、花を咲かせ、実を実らせ、次の種を宿します。
 
 一方、天界に根差していない人間たちが作っている仕事は、根無し草のようなものですので、不安定ですし、天界からの栄養も摂れず、長続きしません。苦しみや不安、悲しみやトラブルを招きやすいです。
 天界に根差したものとして天意に沿うように、地上で仕事を営んでいくよう心がけてください。
 まず、働く自分自身が日々、天に自分を捧げ、天との接ぎ木を行わせていただくのです。
 このようにまず、働く自分自身が天に接続させていただくこと。そうすれば自分の発想も、思いも、行動も、天に由来するものとなります。
 「天における如く、この地上においてもありますように」。その思いと共に、まずは現状から出発してください。
 今置かれた状況で、自分にできることを精一杯、より良い方向できちんと行わせていただくことです。それによって社会の一助となるように。
 誰においても、その時にふさわしい職業になっています。これまでの人生の歩みにおいても、その時の自分に必要で相応しい仕事になっていました。これからもそうなることでしょう。
 何でも自分次第なのです。そのことに気づいて自分を見直し、より良い自分を作り、その時与えられた状況で、その時のことをより良くきちんと精一杯行うことで、人々に喜びと助けと安らぎをもたらしましょう。
 それによって成長を遂げ、喜ばれ、次はもっと良い仕事や成果が、与えられることでしょう。こうして仕事を通しても神さまに育て導かれていくことが、働くことの使命です。
 『バガヴァッド・ギーター』には、「超作」が説かれています。「その時の仕事を、天から授かった仕事と捉え、義務に忠実に、自分だけの結果を求めず、全体のためになるよう、その時のことに徹すること」が超作です。
 一人ひとりがそのように、その時の仕事に忠実で純粋に徹すれば、社会も支えられ、一人ひとりをまってはじめて社会も営まれ、社会自体も良くなっていくことでしょう。天国の社会に。
 まずは、こういうことを学んでいるあなた方から、現状でこのことを心がけ、ちょっとを大切に積み重ねていきましょう。そうなりますように。 
 

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17318

 
 
質問:今年は親鸞聖人の生誕850年に当たります。それに伴い、その関連の催し物、刊行物が一般において盛んになる見込みです。ARIにおいても、親鸞とのご縁により、4月の復活祭は京都で開催される運びとなりました。それに合わせて、京都での親鸞展も見学させていただきます。
 メッセージをお授けください。
 
ソース: 今年2023年は、どういう年回りかというと、親鸞生誕850年の年です。
続く来年には、立教開宗800年の年を迎えます。
 仏教の中の浄土真宗としては、このように2つの記念すべき時期になっています。仏教の中の浄土真宗にとっては、とても重要で意義深い年になることでしょう。
 日本の仏教の宗教宗派の中では、親鸞の浄土真宗が最大規模です。影響力もその分、大きなものがあります。
 一時は、親鸞の本願寺王国が、日本全体を支配し、統治する可能性もありました。
歴史上知られている、織田信長との対決です。結局、織田信長の側が勝利し、浄土真宗は東本願寺と西本願寺に分離され、力を弱められました。
 大阪城のある土地は、本願寺が退きました。それでも豊臣秀吉と徳川家康によって、京都の一等地が東本願寺と西本願寺に、それぞれ与えられました。
 それ以来、京都の駅前の表舞台に、親鸞の東本願寺と西本願寺が一定の割合占めています。
 
 このような日本の中での浄土真宗の歴史は、キリスト教のペトロから始まるカトリック教会の歴史と相似通ったところがあります。
 ペトロから始まるカトリック教会は、ローマ帝国と対峙(じ)し、最終的にローマ帝国の国教となりました。しかし、東方正教会と西のローマカトリック教会に分離しました。それによって力が二分し、弱められました。そのまま今日に至っています。ローマ帝国自体も東西に分かれました。
 現代においては、基本的に政教分離の形をとっています。そのため、現世的な政治の体制と宗教の側が対立し、対決することはありません。
 古代においては、一体化していた場合が多かったため、両者の対立や折り合いで難しいことが、世界においても、日本国内でもあったのです。
 現代においても、例えば日本では、自民党ばかりでなく公明党も一つになって、与党を長い間続けていることがあります。
 公明党は、創価学会という日蓮正宗の系統と一応別とはされていますが、実際には深く関連し、一つです。
 このように政教分離とは言え、今でも宗教の力は現世の面にも強く及んでいます。
 自民党が過半数を占めている場合でも、公明党の力を頼っているのです。その両者で与党を構成しています。
 最近問題になった旧統一教会の場合も、自民党を始め、他の政党にも深く食い込んで現世の面でも影響を及ぼしていました。
 このように、現代の政教分離の時代においてもなお、世間的な権力の体制に対して、特定の宗教の影響は大きいのです。
 親鸞自身は、政治的なことには関心はなく、純粋に人間の心と生き方だけを扱いました。
 しかし、民衆に広まり民衆の力によって、問題のある地域の、政治の権力と対立したことがありました。それが高じて、戦国時代の一大勢力の織田信長や豊臣秀吉と拮抗するほどの、民衆の精神的力となっていたのです。
 親鸞の系統の浄土真宗が、キリスト教のカトリック教会の歴史と似通っているのは、偶然とは言えません。
 
 なぜなら親鸞自身、ユダヤ・キリスト教の系統を引く実体だからです。しかし、ただユダヤ・キリスト教だけの系統の実体ということでもありません。
 ちょうどキリストの実体が、世界中に転生してONEの種を蒔(ま)かれたように、親鸞の実体も、ユダヤ・キリスト教の系統を軸としつつも、仏教、ゾロアスター教など、世界の主要な宗教の元となってきた実体です。ギリシャの哲学者の時もありました。
 親鸞は、日本の仏教の中に、キリスト教の精神を入れ込みました。しかも、キリスト教の精神の本質である神髄を、仏教の中に植え込んだのです。
 親鸞の浄土真宗がキリスト教的であることは、知られています。しかしそれは形だけではないし、偶然でもなかったのです。
 親鸞自身、輪廻転生の中で、ユダヤ・キリスト教に深く関わってきているからです。しかも同時に、仏教の本流に属する実体でもあります。仏教の中で派生的な流れ、ということでもありません。
 一般に見られているほど、キリスト教と仏教とは無関連ではなく、対立した関係でもありません。姉妹宗教とさえ言えます。
 その意味で、親鸞の浄土真宗を通してすでに、日本にはキリスト教の精神が入り込み、しかも普及していたのです。
 形式的なキリスト教としては、日本での伝道は成果を上げないままです。日本の宗教人口の1%にさえ、キリスト教の人口は達していないからです。
 しかしそれは表向きのことであり、実は親鸞の浄土真宗を通して、日本にはキリスト教の精神が入り込み、普及していたのです。仏教を通して日本に合う形と内容で、それがなされました。
 親鸞の浄土真宗は、キリスト教化した仏教です。そのような形でうまく、日本の中にキリスト精神が入り込み、浸透しました。しかもそれが、日本の仏教の宗派の中で最大規模になっているのです。阿弥陀仏はキリストの実体です。
 「仏教がキリスト教化した」とも言えるし、「キリスト教が仏教化した」とも言えます。それが日本にキリスト精神が入り込むのにふさわしく、最も神仏のお心に適うあり方だったからです。これが、インターフェイス(interfaith)なキリスト教の普及です。
 
 現在のARIも、まさしくそのようなアプローチになっています。これからの時代に必要でふさわしいあり方で、キリストのONEの精神が、ARIを通して作られ、普及しつつあります。
 しかもこれからは、日本国内ばかりでなく、日本で基盤ができたら、日本から世界にONEが伝えられ、250年ぐらいすれば、世界全体がONEの世界になり、キリスト化するのです。真の意味において。ONEの理念と理想が、世界で実現する時が来ます。
 ちょうど親鸞が、礎(いしずえ)を思想的に築き上げてから、親鸞の八代目の子孫の蓮如に至って初めて、日本に普及し浸透したように、現代においてまず、「思想と教え」の面でヨハネがその礎を築き上げます。
 そしてこれから、100年、200年、250年かけて日本に、そして世界にも、ARIのこの「ONEの教えと思想」が普及します。それによって、地上に浄土が実現するのです。
 今年は、親鸞の生誕850年に当たります。来年は、立教開宗800年に当たります。ちょうど節目に当たる年です。
 昨年は、NHKの大河ドラマは鎌倉時代創建期の、鎌倉幕府が題材として取り上げられていました。
 親鸞は関東に20年間滞在し、鎌倉幕府から近からず遠からずの位置に庵を結びました。鎌倉幕府を明らかに意識してのことでした。
 ある程度鎌倉幕府とも関わりつつ、距離を置いて、独立性を保っていたのです。請われれば協力していました。
 親鸞自身のするべきことが残されているのと、鎌倉幕府の体制が変わってきたのと、日蓮宗が関東で台頭してきたのとで、親鸞は62歳の頃、ふるさとの京の都へと帰っていきました。
 昨年は、大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放映されたことで、鎌倉時代初期の、特に「鎌倉幕府に関わる源氏の鎮魂の儀礼」がなされたのです。「そのような時にまで至れた」ということを、その放映の実現は表していました。こうして鎌倉時代初期の、武家政権である鎌倉幕府のカルマが解消しました。
 鎌倉幕府は、それほど長くは続きませんでしたが、「日本の、庶民による現実的な社会体制の始まりとなった」ということに気づくべきです。現代の東京を中心とする社会体制の始まりが、鎌倉幕府にあったのです。
 
 その意味で、現代の東京を中心とする日本の社会体制の礎石が、鎌倉幕府、取り分け源氏三代の尽力にありました。その意味で現代からしても、無関係とは言えません。現代の、東京を中心とする社会体制の礎が、鎌倉の源氏体制だからです。
 そのため、源氏三代の鎌倉幕府最初期のカルマが解けさえすれば、現代の日本の、東京を中心とする社会体制も健全になり、良化します。それが昨年なされたことです。 こうして年が明け、2023年を迎えることができました。それにより今年は、同じ鎌倉時代初期に、精神的面で中心的役割を担った親鸞の生誕850年と立教開宗800年の年を、無事迎えられたのです。
 そのことを、親鸞とも鎌倉幕府とも深い関連のあるARIが、4月のキリスト教の復活祭の日に、京都にて復活祭を執り行うのです。
 先ほど述べられたとおり、親鸞の仏教は、キリスト精神を元としています。仏教化したキリスト教です。
 その意味で、復活祭を京都で親鸞生誕850年の年に、続く立教開宗800年の年の前に執り行わせていただくことは、道理に適っています。併せて、親鸞と深い直接ご縁のある、ARIの主立った方たちが、京都の国立博物館で開催される「親鸞展」を見学させていただくことは、ARIにとってばかりでなく、今後の日本、広くは世界に対して、重要不可欠なイニシエーションとなります。
 親鸞は、浄土系の仏教の僧侶でしたが、仏教の神髄の流れを引いています。同時に一方、ユダヤ・キリスト教の中心的な位置をも担っている実体です。
 それゆえにこそ、ケイシー・リーディングを通して、「ヨハネ・ペヌエルの登場」の予告がなされたのです。
 「人類が一つになれる普遍的な原理を打ち立てること」――それが親鸞の今世の役割です。
 まだARIは、物的には小さい規模ではあるけれども、世界が一つになれる、世界のための普遍的な原理を樹立する、重要な役目を担っている所です。
 
 親鸞の思想や教えに、また生き様に、すでにそれが見出せます。それがなされたのが、関東に鎌倉幕府が造られた時期と一致しているのです。しかも親鸞も多少、鎌倉幕府と交流がありました。
 それは偶然ではありません。それが現代の東京を中心とする社会体制にまで及んでいるのです。それで今でもARIは、東京都内に置かれているのです。親鸞は滞在する地域の国分寺を拠点としていました。
 浄土真宗の本拠地は京都ですが、このような経緯を見ると、ARIが東京にあることの理由が頷けます。
 しかしまずは、親鸞の生まれ故郷であり、終焉の地でもあり、現在の本拠地でもある京都にて、キリスト教の復活祭と親鸞展の見学を、ご縁のある方たちがヨハネの実体と共に巡らせていただくことが肝要です。これで一つの大きなイニシエーションを、通過することができます。
 「現(げん)生(しよう)正(しよう)定(じよう)聚(じゆ)」「平(へい)生(ぜい)業(ごう)成(じよう)」。親鸞の述べたキーワードです。「今を大切に生きること」を表しています。
 「自(じ)然(ねん)法(ほう)爾(に)」――あるべき状態にならせていただく。お計らいにより、自(おの)ずとあるべき状態になる。これが「自然法爾」です。
 「なるべき自分になり、自分がおるべき所で、自分がするべきことを、自分らしく行うことで、社会の助けと喜びとなること」――これが重要です。このことを親鸞は掴んでいました。それが浄土真宗の本質です。
 親鸞は仏教の中に、キリスト教の神髄である信仰を入れ込みました。他力の信仰です。これによって仏教の中にキリスト教の神髄が入りました。それが浄土真宗の実質です。素直で純朴な幼子のありようも。
 もともと、仏教とキリスト教は別ではないのです。親鸞が、両者の本質のところを掴んで、統合しました。これが鎌倉時代初期に、親鸞が行ったことです。
 親鸞は日本の仏教において、家庭仏教の始まりとなりました。往相回向と還相回向も重要です。神仏のお力で浄土に往生し、この世に還ってきて人々の救済の業(わざ)を行うパワフルな生き方です。
 ARIはこれからの時代に向けて、世界が一つになる思想的な基盤を、樹立します。すでにそれは「ONEの教え」として、この40年説かれています。その総仕上げに向かう節目となるのが、今年です。
 
 そのため、親鸞の記念年に親鸞の本拠地である京都の地で、親鸞展を巡らせていただきながら、復活祭を執り行わせていただきます。「親鸞たちがこれからの時代に向けて復活できるように」です。
 それによってこれからのヨハネの「ONEの教え」が完成し、成就する方向が定まり、保障されることでしょう。それをご縁のある、共通使命を担う方々と共に体験し、通過させていただきましょう。
 親鸞は、聖徳太子とご縁が深い人物でした。聖徳太子の記念の年、1400年遠忌も、2年ほど前に通過させていただいたのです。
 こうして親鸞の時期を、今年節目として迎えます。共に歩み、共通使命を協調の中、遂げましょう。そうなりますように。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17295

 
 
質問:2023年の立春を迎えるに当たり、本年の日本と世界に関して、胎蔵界的、金剛界的両観点から予測し、展望してください。併(あわ)せて、留意点、対処法もお示しください。
 
ソース: 昨年、2022年は、年頭リーディングで示されたとおり、激動の大変な一年となりました。コロナは収束せず、むしろ広がりを見せました。
 2月下旬には、ロシアがウクライナに侵
攻し、考えられないほどの破壊行為を重ね、むごいことを続けています。
 これが昨年一年いっぱい続き、年が明けた2023年に入っても、止むことがありません。その影響もあって、エネルギー資源をはじめ、物価が高騰し、食料品も影響を受け、人々の消費生活にも影を落としています。
 昨年を象徴する事件としては、安倍元首相が銃殺されたことです。西大寺の前で起きたことで、奈良時代のカルマが顕れ出て
成就した、霊的な面も多分にあった出来事でした。これを機に統一教会の問題が露呈し、改善に向けて国を挙げて取り組み始めることになりました。
 気候の変動もあり、大雪や酷暑の連続が人々を苦しめました。水の被害も多かった年でした。
 今年2023年は、昨年とは打って変わり、平穏無事な一年となることでしょう。もちろん細かく見れば課題は続き、悲しいことやつらいことも、それなりにあることはあります。
 
 それにしても全般的に見ると、だいぶ落ち着いて整い、心穏やかに、それぞれが過ごせる年となることでしょう。ニュースも良い内容が届けられそうです。気候の変動も、ある範囲の中で収まる一年となりそうです。
 ウクライナ情勢は、すぐには収束しないにしても、何とか世界の国々が折り合って対応しながら、治めていきそうです。昨年ほどの激しさや過酷さではなくなってくることでしょう。
 コロナも続くには続くにしても、コロナの正体を見抜いてコロナとの付きあい方を人類は覚え、コロナと折り合って、それぞれが働いたり楽しんだりするようになることでしょう。
 旅行なども国としても勧められ、人々もこれまで我慢していた分、人々の移動や旅行が増えそうです。いろいろな観光地やレジャー施設も盛んになり、人々はお金を使って楽しみ、心を癒し、心も回復していきそうです。
 昨年に較べると、だいぶ人々も立ち直り、働き方や楽しみ方を覚え、コロナと共存しながら、どのように働き、どのように楽しむかを身につけ、実践する年となることでしょう。
 昨年後半から今年初頭にかけて、物価が高騰し、人々の消費生活が逼(ひつ)迫(ぱく)するようになりました。
 今年はそれを受けて、政府や日銀が介入し、調整を図ろうとすることでしょう。各企業なども、給料をアップすることに取り組み、努力することでしょう。人々もお金の使い方などで学び、工夫し、それなりにやりくりしていくことでしょう。
 経済的な問題は完全に解決はしないにしても、人々は癒しのため、旅行や食事を始めとするレジャーが活発化する年になりそうです。
 これまで我慢してきた分、堰を切ったように人々は動き出し、心を癒し、満たすためにも、いろいろ行動を開始することでしょう。その意味ではお金が回る年になります。
 完全には物価高騰の問題は解決しないにしても、それなりに調整しながら人々も工夫し、企業も努力して、これまで我慢したり苦しんだりしてきた分、今年は日本でも世界的に見ても、人々は癒しと和みを求めて、少なくとも表面的には、穏やかで活発な、楽しむような一年になりそうです。
 コロナにしても、ウクライナ情勢にしても、完全には解決しないまでも、最低限は見通しが立って整い、落ち着く。それで人々の心も安らぐ。落ち着いて穏やかに過ごせるような一年になりそうです。
 
 このように、今年一年は大まかに見て、平穏無事な一年となることでしょう。順風満帆(ぱん)です。
 細かいところでは、気がかりや課題や問題があるにはあっても、昨年から較べるとずいぶん整い、落ち着き、安らぐ。そして人々も余暇を楽しみ、気持ちを和らげようと、いろいろな企画や行動に出ることでしょう。温和な、落ち着いて過ごせる年です。
 岸田政権では、欧米と歩調を合わせ、防衛費を増額して、日本の軍事力を増強する方向に歩み出しています。これが具体化し、着手されることでしょう。
 本当は、そういうことは必要ないのですが、時流であり、人類の歩みのプロセスとして、日本もまた、そのようなプロセスを通ることにはなりそうです。
 防衛費を増額し、軍事力を強化する――これはONEの観点から見ると逆戻りであり、ONEから一時、日本は遠のくことにはなります。それでも、半ば必然であり、必要なプロセスとは言えそうです。
 ONEの理想が地上で実現し、世界が一つになり、世界平和が訪れるには、まだまだ時間がかかり、その前にやらねばならないこと、体験し学ぶべきこと、果たすべきことが数多く待ち受けています。必要なプロセスが待ち受けているからです。
 そういうプロセスを経ることで学んだり、経験を通して教訓を汲み取り、カルマを果たし、そのプロセスを経て消化しながら次へと向かっていく。人類の育成の過程です。
 それで、ONEが世界中で求められ、理解され、実行され、実現するには、まだ230年ぐらいはかかる、ということなのです。
 今から40年後から50年後くらいには、核戦争の危機があるかもしれません。それは40年後、50年後とは限りません。早ければもう少し手前の時期にも、その危険性はあります。
 その意味で人類は、ONEの世界が訪れる遠い先の前に、まず、今のような国家主義が強まって、国家エゴ同士がぶつかり合い、自分の国のことしか思えないような状況が訪れます。それが高じたところで核戦争の危険があるのです。それが数十年後です。
 今現在でも、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナに対し、あるいはほかの国に対しても、核のボタンを押す危険性を孕んでいます。それで多くの人たちが、今すぐにでも、核兵器が使われることを危惧しています。
 確かにその可能性は、全くないとは言えません。現時点においても、すでに核兵器が使われる可能性は0(ゼロ)ではなく、20%くらいは感じられます。ただ実際は、その可能性は低いのです。
 仮に将来、核兵器が使われることがあったとしても、核戦争で人類が滅びるということは、起きそうにもないことです。
 楽観的すぎる人たちは、現状の厳しさを知りません。一方、悲観的・否定的すぎる人たちは、神の愛とご意志を知りません。
 神さまのことがわかり、現状の厳しさもわかって初めて、正しい予測ができ、人々のことも指導できるのです。それがONEのスタンスです。
 人類は、まずは国家主義で進んでいき、核が使われる懸念を孕みながら、これから数年、数十年は進んでいきそうです。
 そういう中で本当に人類は教訓を学んで、経験を通して成長を遂げます。そこから本当にONEの正しさや必要性に目覚め、ONEが受け入れられ、ONEが実施されるようになっていくのです。
 人口増加に基づく食糧不足は、深刻になります。長期的な展望のことです。今年のことではありません。
 すでに昨年の11月頃、世界人口は80億人に達しました。1960年の頃は、世界人口は30億人程度でした。まさしく人口爆発です。しばらく世界人口は増え続けることでしょう。
 干ばつやゲリラ豪雨などの異常気象のアンバランスが続く中、農作物などが採れにくくなっています。そこに持ってきて人口が増え続けていきます。また、ロシアによるウクライナ侵攻などの影響もあって、穀物がうまく分配されなくなってきたりもしています。
 こういうことが続いていくことで、食糧不足から戦争の危機が訪れるのです。異常気象と人口増加が、今後の深刻な人類の課題です。そこで自国を守るため、恐れから核兵器が使われる危険性が出てくるのです。
 
 一方、近未来に焦点を当てて見てみると、「西暦2037年に、ONEの基盤が地上に出来上がる」ということです。2037年と言えば、14年後です。今の世代です。この2037年がとりあえず、目標になります。
 「ONEの礎を地上に形成し、確立できる」。それが2037年です。「ONEの楔(くさび)を地上に打ち込むことができる」。それが2037年です。
 それから230年ぐらいかけて、徐々に徐々にそれが継承され、少しずつ世の中を啓蒙していくということになります。 
 日本の出生数が減ってきています。1947年~50年にかけての、第一次ベビーブームでは、年間270万人ほどの出生数がありました。それが今では、年間77万3千人ほどにまで落ち込んできているのです。日本の少子化です。
 日本は弱体化してきています。「日本の魂が復活すること」が求められているのです。
 ONEの教えは、世界を一つにできる普遍的な原理です。日本のためだけのものではありません。ONEというのは、英語の「一つ」の意味ですが、内容としては極めて日本的です。ブッダや聖徳太子が唱えた「和」に通ずる、東洋的な精神がONEです。欧米の受け売りではありません。
 そのことを知ってONEを正しく理解し、日本古来の魂に宿る良さに日本人が気づき、ONEに目覚めることが大事です。それによって日本を明るく元気にすることができます。
 日本人がコンプレックスを拭い、本当の自分に目覚め、天の創造主とつながらせていただくこと。それによって本来の自分を取り戻し、自分を発揮できて、世界に貢献できるようになることが必要です。こうして精神的に元気になってくると、少子化ということも解決します。
 岸田首相は、自分の中で取って置きの秘策があるように言い始めています。それはそれとして意味はありますが、本当に根源から目覚め、回復することが、少子化の真の解決策です。それがONEの中にはあります。
 日本は日本として、まず、奥深いところからの目覚めと立て直しが必要です。それがONEの啓蒙運動です。他と戦うようなあり方ではなく、区別や差別や対立二元論を超えて、それらを癒して、本当に和合し一つとなれるような、互いの違いを理解し、受け入れながら、柔らかな連帯ができるようなあり方です。
 
 まずは、ONEを学んでいるあなた方からです。
 「まず、自分を取り戻すこと」。本来の自分の良さに気づき、そこに自分を立ち戻らせることからです。そして「周りの人たちにも、ONEという普遍的な真実を知らせ、ONEの学びと活動を、模範的に行っていくこと」です。
 安倍元首相の銃殺から、ある新宗教が問題になりました。こういう時だからこそ、ONEを学ぶ所が、霊的な方面のお手本を示さないといけません。本来はこうあるべきである、と。
 その自覚と気概心を持って、前に進んでいきましょう。各自自分の所で、自分にできることを、自分らしくしていくのです。それを周りとの協調で行うことで、相乗効果が得られ、周りにもONEの平和が及んでいくようにしてください。
 今年は表面的には穏やかで、人々は癒しのため、楽しみに向かっていきます。そういう中にあって、本当のところを見抜いて、必要なことを着実に行っていくのです。
 楽しみ方一つとってみても、正しく天の摂理に沿って楽しむのです。余計に恐れることなく、全ては神のもとで起きることを知って、どういうことでも正しく捉え、適切に応じていってください。
 コロナにしても浄化作用です。全て理由と必要性があって、良くなるためのプロセスで起きることばかりです。
 これからもさらにONEを学び、ONEの方向で何でも捉え、対処していきましょう。ONEは天国的なあり方だからです。
 天にある如く、この地上においても平安がありますように。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17280

 
質問: 2022年に起きたさまざまな出来事と、その霊的意味、必要な学び、天の意図をお伝えください。ここで、2022年の日本と世界の総括をお願い致します。
 
ソース:2022年の年頭リーディングにおいて、「今年は大変な年になるであろう」と伝えられました。果たしてその通り、2022年は大変な年になりました。
 1月の関東南部を中心とした大雪、トン
ガ王国での火山の噴火に始まり、日本では夏には、東京を中心に連続猛暑の日が続きました。台風にも見舞われました。世界的にも、温暖化の傾向と異常気象は続いています。これらの大半は天災というより、人災です。
 社会の大きな事件としては、7月に日本の奈良で安倍元首相が銃殺されたことがありました。
 奈良の西大寺において、です。西大寺は聖武天皇が東大寺を建立したことに対して、
その娘の孝謙天皇が西大寺を建立したことから始まっています。
 ARIにおいてはすでに3年ほど前に、聖武天皇からその娘の孝謙天皇にかけての奈良時代の、グループ転生が明らかになりました。その前後に、奈良巡礼や国分寺巡礼がなされ、クリスマス会も奈良で開催されました。その翌年には、これらを経て仏教の原点に位置するインドのブッダ周辺のグループ転生も明らかになりました。
 
 こういった一連の仏教系の動きの中で、具体的な前世が明かされたことで、カルマが顕れ出て解消へと向かいました。
 これが、ARIというグループから日本の国の動きや皇室の動きにも次第に及び、カルマの洗い出しとして元首相の安倍氏が銃殺されるということで、成就しました。日本と皇室の立て直しのために。
 聖武天皇の娘の孝謙天皇は、即位前の名前は「阿倍」と言いました。「アベ」の漢字は異なっていますが、安倍元首相と同じ「アベ」の名前になっています。
 安倍元首相自身に、奈良時代の前世が直接あるかどうかはともかくとして、日本の現在の大きな国の動きと、ARIの奈良時代の前世との関連が窺(うかが)えます。西大寺で銃撃されたということで、西大寺を建立した聖武天皇の娘と、名前が一致しているのです。
 このように奈良時代のグループ転生がARIにおいて明らかにされたことで、まず、自分たちの周りから順々にカルマが顕れ出て、解消へと向かって周囲に波及していきました。
 そして最終的に、これが日本の国の動きとも関連し、最後に元首相が西大寺の前で銃殺されるということで、当時のカルマが成就しました。
 大河ドラマは、2022年は鎌倉時代初期の、鎌倉幕府の動きが取り扱われました。鎌倉時代初期の前世は、ARIにとって大きなグループ転生の一つです。
 鎌倉時代も仏教が大きく動いた時代で、それが奈良時代とも関連して動きました。
 ARIでも奈良クリスマス会に続き、京都クリスマス会が開催され、それから伊勢クリスマス会、今年の出雲クリスマス会へと進んできています。
 このように、個人の転生と家族の転生、そしてグループの転生、それらが日本の国の動きとも関連していることが、明らかになりました。
 また、安倍元首相が銃殺されたことをきっかけに、統一教会の問題が表面化しました。ずっと以前から問題のあった教団でしたが、それがここに来て再び表面化し、お手入れが加わり、カルマの清算がなされつつあります。
 新しい時代を迎えるに当たり、その手前のところで審判が下る。これが物事の順序です。
 新しい時代に先立ち、それまでのカルマが顕れ出て清算される。これが大きな規模で起きる時、「最後の審判」と言われます。全く時代が改まって、神の国が実現する手前で起きるのが、「最後の審判」です。
 今はまだ、そこまでの大きな時期ではありませんが、一つの節目には当たっています。
 日本も令和の時代を迎えて3年ほど経ちました。時代が改まると、その前後にいろいろなことが起きます。令和の元号も奈良時代の万葉集から採られています。
 人の輪廻転生においても、この世に生まれてくる時、この世から去っていく時、この誕生と死が輪廻転生の節目です。
 あの世からこの世への移行、この世からあの世への移行――こういった生命現象の転換期には、カルマが顕れ出て清算されることが伴います。それで初めて、次のあり方へ移行できます。地上における、集合単位においても、このようなことが起きやすいのです。
 2022年がそのような節目と転換期に相当することは、2のゾロ目であるのと、2022年の漢字として「戦」すなわち「戦う」という漢字が選ばれたことにも、象徴的に現れていました。
 
 長期化する新型コロナウイルスとの戦い、ロシアがウクライナに侵攻したこと、またスポーツにおいても北京においてオリンピックとパラリンピックが開催されたこと、サッカーのワールドカップが行われたこと――これらから、2022年は「戦い」という漢字で表されました。
 安倍元首相が銃殺されたのにも、正しく戦い的なイメージが出ています。大河ドラマの鎌倉初期にスポットを当てられた「鎌倉殿の13人」も、戦の連続でした。それでもなお、鎌倉幕府が関東に創建された意義は多大でした。
 それまでは、西日本に日本の中心が置かれていました。それに対して初めて、関東に拠点が設けられたこと。それが室町時代、戦国時代、江戸時代を経て武家政権の終わりの後、徳川幕府の江戸城と大名屋敷を基盤に、東京の街が造られました。
 天皇陛下でさえ、京都の御所から江戸城であった東京の皇居へと、移ってこられたのです。その始まりは鎌倉幕府にありました。
 武家政権にしても鎌倉幕府から始まっています。鎌倉幕府がもしなければ、室町幕府や徳川幕府もなかったのです。
 徳川幕府がなければ、現在の東京と日本の文明や科学技術や教育もなかった、とさえ言えます。
 もし鎌倉幕府が関東に創建されなければ、日本の中心は依然として関西にあったことでしょう。また鎌倉幕府が始まったことで、武家政権とは言え、庶民の文化が興され、それぞれの人が努力し励むことで、日本は鎌倉幕府から始まる武家政権により、一流の国になることができたのです。
 もし鎌倉幕府から始まる武家政権が興されていなければ、日本は二流の国になっていたことでしょう。その意味で鎌倉時代の最初の数多くの戦は、問題はあったものの、リスクを伴いながら試行錯誤を経て日本人が目覚め、日本の国を努力して皆で作り上げていく礎石を築いた、と言えます。
 その鎌倉幕府に関わった人たちの多くが、あなた方のグループ転生として現代に生まれ変わってきているのです。今度は日本の霊性を土台とした、平和な新しい日本づくりに取り組んでいかねばなりません。そういったことが前世から学べること、前世からのメッセージです。
 全ては日頃の積み重ねで出来ています。前世を知って受け入れ、カルマが解けることで、それらが今後の糧(かて)として活かされるのです。
 その意味で、「戦」という2022年の漢字の年に、ウクライナ侵攻があり、コロナウイルスとの戦いも続き、大河ドラマは鎌倉時代初期にスポットが当てられた。そのことは象徴的でした。とても偶然とは言えません。時代状況を表しています。
 
 また、そういった戦乱の不安定な世の中であったからこそ、人々は心の安らぎと心の糧(かて)を求め、次々に鎌倉新仏教が興されたのです。庶民の仏教、平易な仏教です。それぞれが単一化された仏教です。念仏に単一化したり、坐禅に単一化したり、法華経の題目に単一化したり、いずれも庶民のための平易で行いやすい仏教が、興されました。
 その意味では、戦乱の不安定な世の中であったからこそ、法然を始め親鸞も登場してきたのです。この現代においても、そのようなことが言えます。
 それで、このような戦いのご時世であるからこそ、これからの時代に合う本当のスピリチュアルや宗教が求められます。その前に統一教会が清算される必要がありました。
 ARIの「ONEの教え」は、最もお手本となる完成され洗練された、全体のための教えであり、根本信仰です。未来の雛型です。
 いずれ世界はこのONEに気づき、ONEを取り入れ、ONEになっていくことでしょう。このONEの教えによって世界平和が実現し、神の国が到来します。
 「それが、日本から興される意義は多大だ」と言えるでしょう。
 「ホワイトブラザーフッド」という天界の地上の基地が、まずアメリカ東海岸のバージニアビーチに設置されました。しかし西洋だけではアンバランスで片手落ちです。
 そこで、ケイシーを通して預言がなされました。「ケイシーの後にヨハネ・ペヌエルが出てきて、み業を完成する」と。
 そのヨハネ・ペヌエルは、東洋の日本に転生してきました。こうしてあなた方の国、日本に、ホワイトブラザーフッドの基地が設置されたのです。
 2022年の大きな出来事としては、2月下旬、ロシアがウクライナに侵攻したことです。これが長期化しています。民主主義対専制主義の相剋が鮮明になっています。
 
 第二次世界大戦以降は、アメリカ合衆国対ソビエト連邦、この2大国の冷戦状態がまずありました。
 その後、中近東が世界の火種となり、キリスト教対イスラム、この宗教の対立が鮮明でした。イスラエル人対アラブ人、このような対立の図式とも言えます。今でも、アラブのイスラムの諸国、中近東の国々は、問題を抱えています。アメリカの同時多発テロも、アフガニスタンのタリバンの人たちによる攻撃でした。
 アフガニスタン、イラク、イラン、パレスチナ、ヨルダン、こういった国々は今でも問題を抱えています。
 しかし、時代は徐々に移り変わっていきます。アメリカが弱ってきています。その一方で中国が台頭してきています。ロシアは自由主義化したものの、前のものを引きずっていて燻(くすぶ)っていました。そのロシアの燻っていたものが表面化してきたのが、ウクライナへの侵攻です。
 このように、中近東の問題を抱えていた時代から、今はロシア、中国、それから北朝鮮、こういった専制主義の国がアメリカ合衆国を始めとする民主主義の諸国と拮抗している。こういう図式が浮彫になっています。
 日本は民主主義の側の国です。また今は、国家主義がどの国においても強まってきているのが特徴です。
 これは表面的に見ると、ARIで説かれているONEに逆行しています。なぜならONEにおいては国際主義であり、国家主義ではないからです。ところが世界の今の動きは、むしろ国家主義が強まりつつあります。
 そのような中で日本も、軍事力を強化するという方向に向かい出しました。防衛費を大幅に増額することを、日本の政府は決めたのです。
 ウクライナへのロシアの侵攻の影響、また中国の脅威。北朝鮮も気になる動きをしている。そういった中で日本も、自国を守るために防衛費を大幅に増額することを決めました。
 これは世界の状況に歩調を合わせるものです。その意味では、時代の動きに合っているものなのですが、これは必ずしも好ましいとは言えません、
 それでなくてもコロナ対策で日本は、疲弊してきています。日本だけではありませんが、日本もコロナによって弱体化してきています。少子化によっても弱体化してきています。また物価の高騰もあり、円安の影響も来ています。
 こういった中で防衛費を増額するということは、好ましくありません。物質の科学の進歩ばかりを追求し、霊的成長が見られません。ここで日本は日本の特色と、それに基づく固有の役目を自覚し、果たしていかねばなりません。
 そもそも物的に防衛を強化したから安全になるとは限らないのです。霊的な法則からすると、霊的なところをまず押さえ、そして心がけと思い方を天的なものにしていく。生活も天的なものにしていく。それが本当の守りになる、実際的なレベルにおいても。
 
 こういった「天の摂理」を人々は知らなすぎます。この普遍原理をONEの教えで出していかねばなりません。
 ロシアがウクライナに侵攻したことで、ウクライナは大きな打撃を受けています。これはソビエト連邦が解体し、ロシアとして国が再スタートした。その時の禍根を残していたカルマが、今こういう形で好ましくなく顕れ出ているものです。
 ウクライナ情勢の影響は、いろいろと及んできています。小麦やトウモロコシなどの輸出が滞って、市場での国際的な相場も急騰しました。
 アメリカ産やカナダ産の不作の影響も手伝って、日本においても小麦粉を利用する麺類やパンなどの値上げが相次ぐようになっています。
 また、ロシアが収入源の柱としてきている天然ガス、石油、石炭などのエネルギー資源の輸出を断つ方策を打ち出したことで、エネルギーの需要と供給のバランスが大きく崩れて、それによってもエネルギー資源の価格が高騰しました。
 食品は、小麦やトウモロコシばかりでなく、それぞれの食品が値上がりするようになりました。
 アメリカは物価の上昇を抑えるため、金利を引き上げました。この影響もあって、ドルに対する日本円の価値が下がり始めています。
 円安がどんどん進んで、日本円の価値が下がってきているのです。これも日本の国の弱体化を表しています。特に、経済的な面における日本の弱体化を、円安は表しています。
 2022年は、沖縄が日本に復帰して50年を迎えた年でした。まだまだ沖縄には、戦時中からの米軍の施設が残されています。この解決は未(いま)だ見られていません。
 中国と日本との関係で、沖縄の尖閣諸島への中国からの圧迫が、以前にも増して増えています。
 日本はこのような中で、上手く舵取りをして、平和のお手本を世界に向けて出していかねばなりません。
 参議院議員選挙が7月にありました。これは一つの、日本の方向の指標となりました。
 日本人には保守的な人たちが多く、自民党の一強の体制のまま来ています。もう少し二極のバランスが取れると、理想的なのですが、自民党一強は日本の体質と日本人の好みを表しています。
 
 2月から3月にかけては、北京においてオリンピックとパラリンピックが開催されました。冬季の大会です。
 オリンピックとパラリンピックは、北京において2008年には夏季大会が、2022年には冬季大会が開催されたのです。それだけ中国には、勢いが出ていることを表しています。
 しかしそのような中国を束ねるのは、なかなか大変です。習近平氏が専制主義の象徴的な存在として君臨しています。しかし、ゼロコロナ対策を強行に決行した結果、民衆の暴動がありました。
 これは新しい中国への兆しとなるかもしれません。すでにリーディングにおいても講話においても、何度か伝えられてきています。「中国において、2回、3回と大きな暴動が起きる。それによって中国は大きく変わり、自由主義化する、また民主主義化する」と。その時期は明らかにされていませんが、このような政府による強圧的なやり方は時代に逆行するし、摂理からしても無理があります。
 中国は民衆の暴動を受けて、「ゼロコロナ対策」から「緩和策」へと転換しました。それ自体は世界の流れであり、必要なことではありました。
 ところが中国はいろいろまとまっていないことや整備されていないこともあって、今度は急激にコロナが蔓延し始めています。それに対する対策は、未(いま)だ見つかっていない状況で、医療が逼(ひつ)迫(ぱく)しています。
 日本においても緩和策が採られ、経済との両立を優先しているため、人々の動きが激増し、それに伴いコロナも第8波ということで、増え始めている現状です。
 ここで「ONEの教え」が必要になってきます。
 ・対症療法ではなく根治療法を。
 ・医療だけに頼るのではなくて、一人ひとりが自己責任で自分を見直し整える。
 ・天の摂理と、その物質界の顕れである自然の摂理に従った、健康的で無理のない生活を送る。
 ・自分を整え、活かすことで世のお役に立つ。
 ・そういったより良いあり方と生き方を各自が心がける。
 ・まず心の平安と、本当のお清め。そして天を尊び、天に従うあり方。
 こういったことの「本当のお清めと正しい方向づけ」、そして「本当に自分を大切にし、労る」。こういったことが相俟(ま)ってこそ、本当にコロナを克服できるのです。
 
 2023年以降、このようなことが求められてこなければなりません。そのためにARIの天的な本来のONEの捉え方と認識、実践が求められてこなければなりません。
 まずは、このことに気づいた一人ひとりからです。そして、周りの方たちにもこういったことに気づかせること。このような啓蒙運動が世を清め、救っていくことでしょう。そのことを認識し、改めて取り組みましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉