メッセージリーディング

このコーナーでは、時事の問題や未来予測に関する、ARIのオリジナルリーディングを掲載しております。(リーディング実施者:浅野信
 
メッセージリーディングとは、個人の問題ではなく、社会的事象や歴史上の不明点、また未来に関すること、その他、政治、経済、科学、技術、宗教、哲学、医学、医療、教育、芸術、等々の分野での調査目的で行うリーディングです。
 
タイトルをタップまたはクリックすると、内容をお読みいただけます。
 
どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。
 
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リーディング No.17887

 
質問: 心の成長や霊的成長について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース:一般には「成長」というと、肉体の身体的な次元での成長や発達について言います。子どもが成長期に背が伸びて、体が形成されていくことに、顕著に見られる働きです。
 また一方、その比喩として「経済的成長」などと使われます。経済的な面での右肩上がりの、促進される有利な動きのことで、
一般には、世間的社会的な繁栄や促進が願われ、目指されています。その典型的な表れとして「経済的成長」は願われ、目指されているのです。GDPなどと言って、国内総生産が、一つの指標になっていることに、典型的に表れています。それだけこの世の物的な側面重視の、世の中の価値観と目指す方向になっているのです。
 しかし、本来は優先順位として、まず天の創造主、それから神々や天使のレベル。それから、地上界の人間の中での魂、そして心、頭、最後に肉体。そして肉体に対応する、物やお金、この順序です。
 それが、世間では物やお金が最優先され、それに対応するように、人間の中では肉体や頭が重んじられ、大切にされています。本末転倒です。これを正さねばなりません。
 
 お金にも意味や目的があるし、物や自然や人間の肉体も考慮し、大切にするべきではありますが、それ以前に、心、さらには魂が大事です。そしてその魂の元にある、天の創造神さまが最重要です。
 この、本来のあり方に戻すことが、「ONEの使命と目的」になっています。それで、心の成長や霊的成長、また魂の目覚めが勧められ、それを目指しているのです。
 人間には肉体ばかりでなく、心や魂もあるのですから、しかも、そちらのほうが重要なのですから、肉体の成長や発達以上に、心の成長や魂の目覚めが大事なのです。
 ところが、そういうことは一般には言われません。せいぜい「人間性の育成」とか「人格の練磨」や「自分を向上させること」が、一部で言われている程度です。「外見よりも性格のほうが大事」ということも、それに近い認識です。
 しかし現状は、頭の良さとか、肉体上の健康や外見的な見た目とか、世間的な肩書きとか、出世とか、お金とか、そういう世間的なことのほうが、実際は重んじられ、基準にされています。これは本来の、天国的なあり方ではありません。
 
 ケイシー・リーディングでは、「ヨハネ・ペヌエルが世界に新秩序をもたらす」と、予告されました。その「新秩序」とは、「本来の天国的なあり方ONE」のことです。本末転倒のあり方「大バビロン」が、「黙示録」の中では「最後の審判」として清算され、正される。そして、それに取って代わって、本来の天国的なあり方「新しいエルサレム」がもたらされる。それによって、「新天新地が訪れる」とあります。
 万物の新しい理法である「ONE」が、新秩序の元になる「本来のあり方」です。本来こうあるべきであるところのものに、価値観も実際のあり方も、向かっていかねばなりません。
 肉体の成長や発達も必要だし、経済的な成長もあってよいのですが、それは、目指されるべきものというよりも、もっと大事なことが出来てきた結果、経済的な面や身体的な面もそれ相応に伴う、ということなのです。
 人間には肉体だけでなく、心や魂があるのですから、心の成長や霊的成長もあるし、また、あらねばなりません。
 「成長」を「進化」とも、言うことができます。「進化」というのは、一般には生物学においてダーウィン以来、生物の世界で、「より優れた完成度の高いあり方に向かっていくこと」を言います。これもダーウィン以来、物的身体的次元だけでの進化を、主に指しています。
 それに対して、「ONE」においては「霊的進化」ということを言うのです。実質的な中身の生命進化です。
 仏教の世界において、一般の人たち、いわゆる凡夫が菩薩になることが「進化」です。さらに、菩薩が如来、仏になることが「進化」です。
 
 キリスト教のほうならば、一般の人たちが天使になることが、生命の進化です。さらに天使の段階から神々の段階、キリストの段階、そしてプルシャの段階から唯一神の段階へと、進化を遂げていきます。唯一神との「神人合一」です。
 空海も宇宙仏、大日如来と合一を遂げました。「即身成仏」です。
 イエスも父なる神と融合し、イエスがキリストとなられました。特に復活した後、完成されました。それによって多くの人たちに、多大な恩恵と助力を与えられるようになりました。
 肉体のレベルからエーテル体のレベル、そしてアストラルのレベルからカラーナのレベル、カラーナのレベルからプルシャのレベル、プルシャのレベルから唯一神のレベルへと、霊的な階層を成しています。
 エーテル体や気のレベルは、記憶や感覚のレベルです。アストラルは、感情を主とする心、精神のレベルです。想念です。カラーナは理知的な理性、英知のレベルです。
 プルシャは、もはやチャクラを超え、一個人の身体のあり方を超えた、神々の大きな器のレベルです。そして最後に、唯一神のレベルが最高段階です。
 世間では、頭の良さとか肉体の外見や美とか健康、そういったことが主な関心事となっています。
 身体が健康で、よく出来ていて、美しく、頭も良いのに越したことはありませんが、そういった所に重きが置かれている世間のありよう、それが現代の人類のレベルです。霊体は見過ごされています。
 
 その時点の、その人たちの内実を表す現実となります。それゆえ世相や、世の中の状況や動きが、現代の人類のレベルと程度を反映しています。
 もちろん、現代の良いところもいっぱいありますが、問題なところや苦しくて大変なことも、まだまだ数多くあります。日本でも世界においても。
 それはカルマの観点からも説明できますが、人類の成長レベルの観点から、最もよく説明できます。
 コロナの蔓(まん)延にしても、ロシアとウクライナの件にしても、イスラエルとパレスチナをはじめとする周辺諸国との戦争にしても、今の人類の内実のありよう、すなわち成長段階を、そのまま反映しています。「外界は内界の表れ」だからです。そのことを、「ヨハネの黙示録」は示しています。
 ヨハネ自身がまず、必要な霊的成長のプロセスをイニシエーションとして、一つ一つ通り抜けることを余儀なくされたことが赤裸々に記録されています。
 全ての波動の、成長段階を経ることなくして、完成に至ることはできません。キリスト自身も、必要な成長のプロセスを全て通り抜けたのです。
 ブッダも悟りを開かれた時、「全てのなすべき事をなし終えた。もはや生まれ変わる必要はない」との思いを、抱くことができました。
 心の成長段階については、宗教や精神世界でもある程度は知られ、考慮され、説かれてきています。
 
 例えば空海は、『十住心論』という主著の中で、生命の成長段階を十段階として、説き明かしていました。
 仏教の中では「十界」という十の成長段階が説かれています。
 霊界も九層から構成されていることが、浄土系の経典に記されています。
 また、インドのヨガの中には7つのチャクラが説かれ、生命の進化段階がチャクラとして7段階あることが、知られています。
 空海の説いた『十住心論』においては、人間のあり方が動物的で盲目的なあり方から始まって、少しずつ良心が目覚め、人間性が養われるようになっていき、悟りにまで至るプロセスが説かれています。
 道徳的な面がまず気づかれ、儒教の段階を迎えます。さらに道教的な、もう少し神秘的で生命の奥深くに関わることが考慮され、扱われるようになります。その後、仏教で説かれている段階が、それぞれの経典や仏教の宗――例えば華厳宗とか、法華に関わる宗とか――、そのように経典や宗派に当てはめて、空海は生命の進化段階を説いています。「それぞれに応じた心のあり方がある」と。
 それらの中で、上のほうになると華厳宗の段階、そして最終段階では真言密教の「秘密荘厳心」という、心のあり方を迎える。
 このように九段階が華厳宗、十段階が真言宗。このように空海は『十住心論』で説き明かしています。
 仏教の「十界(十の世界)」は、まず六道輪廻があります。六道輪廻は、輪廻転生をくり返しているレベルであり、下から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天。このような段階があります。このレベルのうちは輪廻転生が続き、苦しみと迷いの生命のあり方になっている。そこで仏教に出会い、このことに気づかされ、そこから脱するべく励むようになります。
 そうすると六道輪廻の段階から進み、声(しよう)聞(もん)・縁(えん)覚(がく)・菩薩などを経て、最後に如来、仏の段階に到達します。これが「十界」です。それに対応するかのように、あの世の霊界も九層を成しています。
 そもそも、この世とあの世との行き来の輪廻転生は、この世とあの世のほぼ同レベルの間で行き来しながら、人生経験を積むことで、徐々に段階を引き上げられるように、神さまのご助力とお計らいで、育て導かれています。人生経験や修行や学びを通して、この世でもあの世でも、より境涯の高い、良い領域に引き上げられていく仕組みです。
 霊界は九層を成しています。
 
 まず大きく、上・中・下の三区分になっています。上は天界あるいは天国、中は普通の霊界、下は地獄。さらにその三区分のそれぞれが、また上・中・下に分かれています。
 それで、下のほうから順に見ると、下の下・下の中・下の上、これが地獄の三段階。
 その上が、中の下・中の中・中の上、これが普通の霊界の三段階。
 それから天国の、上の下・上の中・上の上、この三段階です。
 人間性のあり方、生命の実質的な状態、それから「何をなしたか」というカルマ。こういった、生命の実質の状態とカルマの内容に応じて、どの段階の霊界に入るかが決まります。
 さらにこの九層、九つの層のそれぞれに、種類が無数にあります。例えば、中の下のレベルの中にも、同レベルでも種類や内容の方面によって、無数に分けられます。
 それで霊界は、段階と種類、この2つの軸によって無数の場が、霊界にはあるのです。
 喩えて言えば、デパートの6階のフロアに、いろいろな種類の店舗が入っていることに、喩えることができます。
 レベルは同じ6階なのですが、その中で種類に応じたいろいろな店舗が、6階のフロアにはある。それと同様に霊界もなっている。
 それぞれの霊界から、この世に人間となって転生受肉してきます。この世は物的には平面であり、1つのフロアしかありません。しかし実質を見ると、この世の地獄のような所があるし、この世の天国のような所もあります。
 「類は友を呼ぶ」の法則によって、この世は1つの平面であっても、状態や内容は、やはり霊界にいた時のものを反映するようになります。誰でも、その時点の自分の内実を表す状況に身を置いて生活しています。
 ただ誰でも、これからの心がけや方向づけや行い方如何によって、生命の状態と内容は変わっていきます。それに応じて、状況も変わります。
 
 大筋としては、神さまの関与と本人の努力によって少しずつ成長し、良い生命状態になりつつあるのですが、短期的局部的には退化し、状態が悪化し、苦しむような場合もあります。また、少しずつ進化するというよりも、大きく急成長する場合もあります。
 そういうことのためにさまざまな手立てが与えられ、修行とか学びが行われるのです。
 「ONEの学び」の機会やリーディングの機会も、そのようにして苦境を脱し、良い生命状態になる進化のための格好の手立てです。
 それにより、普通に人生経験だけで少しずつ進化し、状態が良くなるということを超えて、急成長を遂げられるのです。
 そうするとその分苦境を脱し、恵まれ、心も平安で穏やかに、幸せに生きられるようになります。偏(ひとえ)に神の愛によって、そのような有効な手立てが与えられているのです。人生は、直接には自分次第です。
 キリストやブッダやモーセをはじめ、高位の進化した存在方が、地上に転生受肉してくるのも、それぞれの生命体の状態を良くする狙いがあります。
 基本的に、自分の状態に見合う所に身を置いて人は生きていますが、困っている人たちのために合わせて、世話をしたり、面倒を見たり、助けたり、ということを率先して行っている人もいます。それが菩薩的存在です。下化衆生の面です。
 仏教で言われるように、「上求菩提 下化衆生」。この2つの方向が必要です。
 「上求菩提」とは、自分が成長し、理想の高みに至るように修行し、前向きに取り組む上昇の道。知恵の金剛界の道です。
 
 一方「下化衆生」は、自分の悟りや平安や救いを一時保留にして、まだ困っていて成長が不十分な生命体たちのために、あえて降りていって合わせて、見てあげる。時には自分も巻き込まれて、苦しんだりリスクを負う。それでも慈悲ゆえに、他の人たちに合わせて、いろいろ助けとなることを行う。これが慈悲の胎蔵界の、「下化衆生」です。
 それにより一段と、「上求菩提」の成長と進化と自分の救いと平安も、促進されます。そのためにも自分の成長や幸せや保障を断念して、降りていって人に合わせながら、救済に当たる。これが慈悲です。その意向で、転生してくる者もあります。
 自分はもはや、生まれ変わる必要がなくなっても、慈悲ゆえに、他の者たちのために人間として出てきて、困った人に合わせながら、いろいろ手を尽くす働きです。
 そういうこともありますので、「類は友を呼ぶ」という法則が鉄則でありつつも、上位のレベルの人が比較的下位のレベルの人たちの中に、混じっていることもあります。それで困っている人たちは恩恵を受け、助かっているのです。支えられ、引き上げられていきます。
 霊界に行くと、もっと厳密に、それぞれのレベルで区分けされています。その意味で、この世はチャンスなのです。
 「類は友を呼ぶ」の法則は働いてはいるものの、レベルの異なる者同士が、ある程度入り交じっているからです。それは家庭でも職場でも、グループの中でもそうです。 ある程度レベルや種類が多少異なっても入り交じっていて、それで学び合い、また奉仕の機会や助ける機会ともなっています。それで多くの困っている問題のある人も、助かっているのです。その意味でこの世はユニークな世界です。いろんな人と関われるからです。
 また、それによって高位のレベルに進化を遂げた者も、助ける機会が与えられ、自分の修行や試みにもなり、他を助け関与することでリスクはあり、大変ではありますが、一段と成長を遂げられるチャンスにもなっています。
 キリストやブッダは、その典型でした。あえて人間となって出てきて、リスクを背負いながら苦労をして、多くの人を導き育てたのです。これが愛であり、慈悲です。「下化衆生」です。
 生命状態がワンランク上がり、より良い状態になることが、生命の進化であり、成長です。愛も知恵も本物化していきます。
 また、器が大きくなることも「進化」です。「より高みに上がる」ということばかりでなく、「器が大きく広い心になり、そして偏りも正され、中身も清められ整ってくる」、これが進化の目安です。人間の程度が高まる。
 ・今まで認められなかったことが認めら
  れるようになり、今まで受け入れられ
  なかったことが受け入れられるように
  なる。
 ・今まで応じ切れなかったことに、応じ
  られるようになる。
 ・今まで理解できなかったことが、理解
  できるようになる。
 ・今までよりも、より良く行えるように
  なる。
 ・今までよりも、多種類の人と上手く関
  われて、より多くの人を助けられるよ
  うになる。
 こういったことが、成長や進化の目安です。
 人生経験を通して、また祈りや礼拝を通して、「ONEの学び」を通して、心や魂が成長し、清まり、進化していきます。成長し進化するため、またこの世を良くするため、この世に生まれてくるのです。
 この世に生まれてくることは大変ですが、やり甲斐はあるし、成長するチャンスですし、奉仕し、他の人たちを助けるチャンスにもなっている場です。
 
 ちゃんと神のお計らいによって、それぞれが良いようにお取り扱いを受けて、互いに助け合いながら学び合い、カルマを果たし合い、浄化され、癒され、育成されるように、現実が計らわれて動いています。
 その中で、人間としても各自、天から自由意思を与えられていて、自由意思を使えるようになっています。その自由意思の使い方如何によっても、新しいカルマはどういうものを作るかが決まってきて、それに応じて、今後の展開や運命も規定されていきます。
 神さまは人間を愛し、人間を考慮してくださって、自由意思を与えてくださっているのです。人間は奴隷ではなく、神の子であるということ。それが、自由意思を与えられていることに表れています。自由意思があるというのは何と素晴らしく、ありがたく、喜ばしいことでしょう。
 しかし、自由には責任が伴います。自由意思をどう使うかによって、これからの自分の状態と運命が、決まっていくからです。そのことを知って、自由意思を上手に適切に使っていきましょう。それが自分のためにも、関わる人たちのためにもなります。
 自由意思を誤用したことが悪業となり、それで今困っている、という状況に陥っているのです。そのことを知って、これからは自由意思を上手に適切に使うように、心がけましょう。
 それによって過去のカルマが果たされ、これからより良いカルマが作られていき、それに応じて恵まれ、喜ばしい命の歩みをしていけるようになります。周りのためにもなります。
 一般世間では、人間の幸せのため、政治的な政策が主になされています。それはもちろん必要なことですが、それ以前にまず一人ひとりの心の成長と育成が大事です。
 一般にも教育はなされていますが、表面的な知識や技術が主になっています。頭主体です。そこで本当の教育、すなわち魂の育成や浄化が必要になってきます。それが「ONEの学び」です。
 宗教教育や情操教育や芸術でも、ある程度は人間性の育成や向上は考慮され、行われてはいます。しかしそれをもっと、正面から重点的に取り組むのが、「ONEの学び」です。それによって心の成長、さらに魂と霊の成長が図られます。
 霊的成長のためには、天の創造主や天界との関わりが欠かせません。自力だけでは難しいのです。
 心の成長に関しては、自然に触れたり、芸術と関わったり、心を大切にした思いやりのあるコミュニケーションを図ったり、ペットと触れ合ったりなど、いくつかの心の成長の助けになる手立てがあります。
 良い趣味を持って心も育成し、癒し、発達させていきましょう。宗教と芸術も、古来、関連しながら取り組まれてきたゆえんです。
 
 アクナテンにしても、聖武天皇や空海にしても、ラファエルロにしても、宗教的な霊性と芸術を、関連の中で行ってきました。それによって、霊的成長と心の成長が推進されてきています。
 古代ギリシャでは「真・善・美」、この3点を正三角形として表現し、「真・善・美」が相俟(ま)って、人間という生命体が良い状態になり、バランスが取れてくることを知って、取り組んでいました。
 これからの教育や育成において、そのような視点を持って取り組んでいくことが、求められてきます。そうすればこの世も、住みやすい世界となります。「ONEの学び」はそのためにあります。
 各自置かれた状況で、自分に合うより良いものにつき、励んでいきましょう。そして、周りの人たちにも知らせ、それぞれの人も心の成長と霊的成長に取り組めるようにしてあげましょう。「上求菩提」と「下化衆生」を、バランス良く両方行っていきましょう。金剛界マンダラと胎蔵界マンダラがあるゆえんです。金胎不二のONEです。
 

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17860

 
質問: 新生について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース:「ヨハネによる福音書」の中には、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。このように、イエス様のお言葉が記されています。「新生」です。
 肉体的な誕生が「第一の誕生」。水と霊による霊的な誕生が「第二の誕生」であり、それが「新生」です。
 現代においては肉体しか考慮されていないため、赤ん坊としての肉体の誕生である「第一の誕生」しか、気づかれていません。
 
 しかし人間には霊体もあるので、霊的な誕生である「第二の誕生」、すなわち「新生」が求められています。それが大事であり、ありがたいのです。新生は死と再生のイニシエーションです。
 「ヨハネの黙示録」のテーマは、まさしく「新生」にあります。浄化と育成の必要なプロセスを一通り経て、新生を遂げることが「黙示録」には記され、そのことが実現することが明らかにされています。
 「創世記」において、神さまによって最初の人であるアダムとエバが創造されました。そしてエデンの楽園に置かれ、しばらくそこで恵まれて生活していました。
 ところが、エバがヘビの誘惑に遭って、「食べてはならない」と神さまから言われていた、「善悪を知る知識の木の実」を食べてしまいました。そして夫のアダムにも勧め、アダムも食べてしまいました。
 
 これにより、善悪を知る知識の対立二元論の、理性と分別が働くようになってしまいました。ONEの幼子のような認識と感覚が失われ、自我と恐れが生じました。いろいろな物事を判断し、分離し、区別する意識です。人間的には賢くなりましたが、堕落しました。
 これにより、エデンの楽園からアダムとエバは追放されました。転生受肉の始まりです。「エデンの楽園」とは、「天界」のことです。「エデンの楽園から追放された」とは、「地球の物の領域に、転生受肉が始まった」ということです。「地上的な知恵に目覚めること」が、「善悪を知る知識の実を食べたこと」です。
 アダムとエバは、その後30回ほど転生受肉して自らを備え、清めました。こうして備えがなって、最後にイエス・キリストと聖母マリアとして現れました。そして十字架刑を経て、原罪を贖(あがな)い、復活しました。見事に新生を遂げたのです。死を通り抜けることでカルマが清算され、新生を遂げました。
 パウロが書いているように、最初の人アダムが原罪を犯して霊的に死んだことによって、全ての人類に罪が及んだ。それに対し、最後のアダムであるイエス・キリストが十字架刑によって原罪を贖い、復活を遂げたことによって、全ての人の罪が贖われ、新生を遂げる道が開かれたのです。
 
 イエス・キリストとの関わりによって、イエス様の新生を遂げた復活の力に与(あずか)ることができ、他の人々もイエス様のように新生を遂げることができます。そのことが『聖書』の最後に置かれた「ヨハネの黙示録」のテーマとなっています。
 「ヨハネの黙示録」によって、他の人々も希望し、「黙示録」をテキストにして取り組めば、イエス様やマリア様のように原罪を贖い、新生を遂げられます。
 そのためにヨハネが選ばれ、一通り必要な体験をさせられ、そのことを書き留めた。それが「黙示録」です。「ヨハネの黙示録」に、一人ひとりが新生を遂げる方法と道行が記されているのです。新生を遂げるためのテキストが、「ヨハネの黙示録」です。
 そのため、「ヨハネの黙示録」にはエデンの園にあった「生命の木」が再び登場しています。『聖書』の最後の「黙示録」に至って初めて、「生命の木」が再登場するのです。失われたエデンが回復し、一人ひとりが天界へと復帰することが叶えられます。
 まず、ヨハネが選ばれ、その道を辿らせられ、成就しました。それで他の人々も、ヨハネの歩みを参考と指針にすることで、「第二の誕生」を果たし、「新生」を遂げることができます。それが「ヨハネの黙示録」です。
 「ヨハネの黙示録」の中に、長い間失われていた「生命の木」が再び登場していることが驚きであり、ありがたいことなのです。その秘伝の書が、「ヨハネの黙示録」です。
 そのことを実現させるため、ヨハネは時期が来て転生してきました。それが具体的には、ヨハネ・ペヌエルです。それがことのほか重要であったため、ケイシーは時期が来た時、そのことをリーディングの中で予告したのです。
 
 ケイシーは黙示録のリーディングを取ったり、ヨハネの到来を予告したりして、ヨハネが出てくる備えをしたのです。
 『聖書』の最初の書は、「創世記」です。最後の書は「ヨハネの黙示録」です。『聖書』のアルファでありオメガである。最初の書である「創世記」と、最後の書である「黙示録」。この両者は対応しています。
 「黙示録」の中には、「神はアルファであり、オメガである」と記されています。「始まりであり、終わりである」。つまり、「全てであり、永遠である」という意味です。「創世記」の中で失われた「命の木」が、最後に「黙示録」の中で、再び登場しているのです。
 人間は罪を犯して一度死に、堕落しました。天界から堕ちて、輪廻転生をくり返すことになったのです。普通の霊界や地獄と、この世との行き来の輪廻転生です。それが最終的に、神さまのふるさとである天界に返り咲くのです。輪廻転生の完了です。
 その頃には、地上界のほうも天界のようになっています。もともと地上界自体は、エデンの楽園の物的な表れとして設えられました。しかし、肝心の人間自体が堕落しているため、地上界も地獄のような場にしてしまっているのです。人間さえ浄化され良くなれば、地上界も天界です。
 「ヨハネの黙示録」には、このことも記されています。「天界にある霊的なエルサレムが、夫のための花嫁のように着飾って、静かにゆっくり天界から地上に降下してくる」と。天界が地上にも反映してくる。
 ダビデが地上に築き上げた物的なエルサレムが、天界から新しいエルサレムとして与えられ、地上に反映してくる。これは天界が地上にも投影し、地上も天界のようになること、です。「新天新地の実現」です。
 
 「新天」とは、「新しい霊界」のこと。「新地」とは、「新しい地上界」のこと。霊界も地上界も一新され、天界のようになること、です。「神の国の実現」です。
 内面的に「新天新地」を表現するならば、「新しい天」とは、「新しい精神」のことです。「新地」とは、「新しい肉体」のことです。霊体も肉体も一新されることです。これが「新生」の意味です。
 「外界は内界の表れ」です。一人ひとりが新天新地となり、霊体も肉体も一新され、新生を遂げることで、地上界にもそれが投影し、地上界も新しい霊界と新しい地上界が実現するのです。これが「ヨハネの黙示録」のテーマです。
 その基盤づくりをするのが、ヨハネとその周りの人たちの任務です。それが今の時代に行われるべきことです。西暦2037年頃までにそのことが完了します。それにより、その220年後辺りに新天新地が実現します。
 まずはその礎石づくりを、今の世代で行わねばなりません。そのためにヨハネとその周りの者たちが、天界から転生受肉してきています。その地上の、天界の基地がARIです。
 ほかの関連の、霊的成長を遂げたそれぞれの霊統の存在たちも転生して、補い合い助け合って、新天新地も実現していくことでしょう。
 第二の誕生である「新生」が、ありがたいのです。最初の人アダムが、イエス・キリストとして転生し、ONEの教えを説き、十字架刑で原罪を贖い、復活を遂げたことで、一人ひとりが新生を遂げる道が開かれました。
 「親亀こければ皆こける」――それがかつて、アダムとエバの時代に起きたことです。そして今から2千年ほど前に、イエス様と聖母マリアがそれを贖い、乗り越えたことで、親亀が復帰すれば、ほかの人々も天界に復帰でき、救われる道が開かれたのです。
 
 新天新地の内容とは、「ONE」です。天界のありようとは、「ONE」です。天界から降りてきて地上に与えられる新しいエルサレムの内容とは、「ONE」にほかなりません。「ヨハネが転生してきて、新しい万物の理法をもたらす。それによって世界に新秩序がもたらされる」と、約束されていることです。
 万物の新しい理法とは、「ONE」です。あらゆる分野において「ONE」が与えられていき、実現していくのです。
 理法とは、ダルマです。かつてブッダが説いたダルマが、宇宙の理法です。イスラエルではモーセが、十戒として与えました。それからブッダとモーセが与えた理法を、イエス・キリストがONEとして説き、実現し、成就したのです。その後、それが実現するまでには、2千年ほど必要でした。それでキリスト以降2千年ほど、今日(こんにち)まで経過してきているのです。
 こうして機が熟し、「ヨハネの黙示録」を書いたヨハネが転生してきて、黙示録の内容を元に指導し、ONEの教えを与え、それによって世界に新秩序がもたらされていきます。「神の国の実現」です。
 こうして、一人ひとりが地上界から天界のありように復帰し、救われ、本来のあり方を取り戻していきます。それが「新生」です。
 どのようにして、浄化と育成の必要なプロセスであるイニシエーションを通り抜けて新生を遂げるか。その秘訣と方法、そして内にある新生する回復の力を呼び覚まし発動する方法が、「黙示録」の中に込められています。
 
 そこで「黙示録」を朗読し、瞑想し、祈ることで、「新生」を遂げられます。
 特に「黙示録」の体験を、2千年ほど前に授かったヨハネ自らが転生してきて、「黙示録」の本当の意味をひも解き、「黙示録」をテキストに指導することで、一人ひとりの「新生」が実現していきます。それが必要な人や、それを切に求めていて備えができてきた人は、引き寄せられるようにヨハネの所に集まり始めています。
 キリストがかつて、使徒ヨハネに授けた「愛の秘儀」です。それが「ONE」の内容です。
 キリストの実体は、地上で30回ほど転生受肉して、世界中にONEの種を蒔(ま)かれました。キリストの実体が転生した所やキリストの感化が及んでいる所には、世界の歴史の中で、ONEの教えが見出せます。キリストの実体の説いてきた教えの内容が、「ONE」なのです。それが天界のありようです。
 
 どんなことに関しても、天界の摂理である「ONE」に照らすことで、「どういうことであり、どのように捉え応じれば良いのか」が、明らかになります。後はそれを実行するだけです。神さまのお力を頂いて。 ARIで行われている全ての活動と働きは、「ONE」です。全ては、ONEの応用問題なのです。
 天界は、すでにONEになっています。地上界は、まだまだONEからは程遠いです。ちょうどアダムとエバが、かつて神さまから「食べてはいけない」と言われた善悪を知る知識の木の実を今でも食べ続け、追い求めている。そういう残念なあり方です。ONEではなくTWOであり、Many(たくさん)なのです。分離と別々の法則、恐れの原理です。全てを疑いと恐れから始めているのです。
 恐れや憎しみからではなく、愛と信頼と尊重から始めましょう。「人に勝とう」とか「人を負かしてやろう」とかではなく、助け合い、思いやりましょう。菩薩の精神です。
 この世は対立二元論と競争原理と物志向、欲望とお金を愛するあり方になってしまっています。「黙示録」の中に出てくる竜と獣のありようです。獣(けだもの)のような欲望と感情が動いている、低次の生命体のあり方です。仏教で言う「六道輪廻」のあり方です。互いに傷つけ損ね合う地獄、餓鬼、畜生、修羅、そのレベルです。戦争、テロ、自然環境破壊、いじめ、虚偽、そういったことは獣のありようです。
 天界のありようである「ONE」を、それぞれの分野に適用し、問題を解決すること。一人ひとりがONEに目覚め、ONEに復帰し、天界のありようを取り戻し、神さまに創って頂いた本来のあり方に復帰すること。それが「第二の誕生」である「新生」です。「魂本位のあり方」です。
 
 「新しい天」「新天」とは、「いつでも超意識状態にあること」です。最初は祈りや瞑想、奉仕的な活動などの中で、限りなく超意識状態に近いあり方を自分で見出し、体験してください。それが次第に自分の中で感じられ、定着してきます。そして次第に優勢になってきます。そうすると、さほど意識したり気をつけたり努力したりしなくても、普通にしていてもかなり超意識状態になれます。
 超意識は魂の意識であり、良心、良き心が特徴です。「幼子のようになれば天国に行けます」と、イエス様が言われたありようです。無邪気で、従順で、正直で、素直で、人や自然の命を尊び、愛し、慈しむ。そのような本来の生命体のありようが、「ONE」です。
 本来の自分を取り戻す道が、「黙示録」の中に記されています。自分が新しい霊体と、新しい肉体になった新天新地状態は、「ONEの生命体のありよう」です。
 ヨハネ自身も、その試練の過酷なイニシエーションを、一通り通り抜けることで、カルマと目的が成就しました。それにより、新天新地が自分の中に実現し、いつでも超意識状態になりました。
 そういう生命体の、美しい整ったありようが、「黙示録」の最後の2章に美しく描かれています。ヨハネは遂に、「新生」を遂げたのです。こうしてヨハネから始まり、その周りの人たちもヨハネの感化によって、ヨハネと同様の「新天新地の生命状態」になっていきます。
 そのような人が「144000人」という数で象徴される、ある一定人数になると、「百匹目の猿現象」が起きます。ある割合に達すると、ほかの80億人にも波及し、大多数の人々がそのようなありようになってくるのです。それまでには、まだ後230年くらいかかりそうです。
 なぜ、230年もかかるのか。それは、現状の世界を見れば明らかです。この、物と肉体優位の世界において、問題が山積みになっていて、人々のありようもまだまだONEからは程遠いからです。
 それゆえ、今から手掛けて努力しても、世界中にONEが波及し、天界のありようになるには、まだ後230年ぐらいはかかる、ということです。
 
 でもまずは一人ひとり、気づいた人から、自分が「新生」を遂げることです。本来のあり方に復帰すれば良いのです。
 なるべき自分になることです。なるべき自分になるために、人生を生きていくのです。現状で取り組みながら、徐々に徐々になるべき自分になっていく。それが「人生を生きる」ということです。
 人生で後になるほど自分を取り戻し、理想的なありようになってきます。そうすると、「外界は内界の表れ」ですから、自分の周りの状況や動きも良くなっていくのです。そのうち、地球全体が浄土のようになります。
 「ヨハネの黙示録」も、自分のありようがまず良くなること。それに伴い、周りの状況と動きも良くなることを示しています。
 一見すると、「黙示録」は外の状況や社会のことを描写しているかのように読めます。しかし、「外界は内界の表れ」ですので、実際は人間の内面性のありようを記しているのです。
 特に、ヨハネ個人の内面のありようを記しています。そして、「類は友を呼ぶ」ということがあるので、ヨハネだけでなくその周りの人たちも、広くは世間の人たちも、ヨハネと同様の問題のある内面のありようだったことを、「黙示録」は示しています。
 人々の大多数がそういう問題のある内面性だと、社会全体も問題があることになります。自然界にもそれが波及します。そのことを「黙示録」は描写しているのです。
 見つめるべきは、内面性です。改めるべきは、自分の心や魂のありようです。それが肉体にも表れ出ます。病気などに、あるいは疫病とか。
 
 例えば、「黙示録」の中に地震が出てきますが、それはヨハネの肉体に震えが起きたことを象徴的に表現したものです。そして、ヨハネのように体に震えや痙攣が起きる、そういう人がある一定人数いれば、実際にも地殻変動や地震に見舞われるのです。「外界は内界の表れ」なので。
 「黙示録」はヨハネ自身の内面から始まって、それが他の人々にも及び、それが外界にも反映してくる。それが、問題のあるあり方から始まり、イニシエーションの浄化と育成のプロセスを一通り経ることで、カルマが遂げられ、さらにカルマが尽くされることで、本来のあり方が取り戻され、本来のありように復帰できる。その一連の必要なプロセスの試練を、経過を追って述べています。
 このようにして過酷な試練を完了し、しかる後、ONEという理想的な天界のありようが内面にも、それから世界にも、訪れます。今、そのプロセスを一人ひとりが辿っています。人類全体としても。
 全て、法則に基づいて動いています。「ヨハネの黙示録」は、法則について述べています。それゆえ、「ヨハネの黙示録」は直接には、紀元1世紀のローマ帝国の、ヨハネが生きた時代のことを記したものですが、法則はいつどこでも同様に作用するため、直接には紀元1世紀のローマ帝国について描いた「黙示録」が、いつの時代、どこでも当てはまり、役立つ書物となっているのです。
 結果として、今の時代にも「黙示録」は当てはまり、その預言は的中し、成就しつつあるのはそのためです。
 
 取り分け、黙示録的な預言が法則として作用する時に、ヨハネは転生してきています。特にヨハネが、「自分がヨハネだ」とわかった今の時代は、意味があります。その意味で、確かに今の時代に向けて、2千年前の「黙示録」が預言され当てはまる、ということが起きているのです。
 ヨハネ自身は、2千年後の未来のありようを意識して預言したのではありませんが、結果として、特に今の時代に当てはまり、役に立つ、というように結果としてなっているのです。
 以上のことを知って、「黙示録」を正しく読解し、適用しましょう。何より「修行の書物」として、特に「愛のキリスト秘伝の書物」として、「黙示録」は有用です。
 そのためにキリストはヨハネを選び、ヨハネに一通り必要なことを体験させ、しかも記録させました。ARIにおいて「黙示録」を手引きに、秘伝コースが行われているのは、そのためです。
 ヨハネはかつて、日本において空海でした。そのため今世でも、イスラエルではなく日本に転生してきているのです。
 誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。与えられた機会を十分に活用し、「新生」を遂げましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17829

 
質問:自分で自分の前世を思い出し、自分の前世とカルマを自覚することはできるのでしょうか。ONEの観点からご教示ください。
 
ソース:それは可能ですし、行うと良いことです。自分を深く知ることとなり、癒しが生じ、本当の自分を取り戻して、今世の目的をより良く遂げられるようになります。自分を十分に活かして人々のお役に立ち、世の中を良くする一助となれます。
 それによって、自分にも喜びと充実感があり、人様のお役に立つことで、自分や家族や会社も保障され、やっていけるようにしていただけます。
 「前世を扱う」とは、深い部分の自分に焦点を当て、自分をより深く知ることです。これまでの自分の魂の経過を振り返って、点検・確認することです。
 それによって現状の意味が悟られ、現状を改めて認めて受け止め、現状の中で自分を活かして、するべきことを適切に行って、
使命を遂行していけるようになります。周りのためにもなります。それによって、真の意味で自分のためにもなります。前世を知ることで、自分の反省と励みになります。
 自分を深く掘り下げていくと、特に求めずとも、自分の前世に関することがいろいろと出てきます。自分の奥深い部分に、前世の経験とカルマが宿されているからです。
 
 自分を深く知り、なるべき自分になって、その時おるべき所で、自分のするべきことを自分らしく適切に行うこと。それによって、周りの助けと喜びになり、社会の一助となること。それにより、自分や家族も恵まれ、幸せになれる。
 このような一環として、前世を扱うのです。前世探求は極めて実際的な取り組みなのです。自分の今の状態も、周りの状況も偶然ではなく、前世から今に至るまでの、自分の思いと行いに対する、それ相応のカルマ的結果です。
 なぜ、自分の状態や周りの状況、動きがこうなっているのか? それは偶然でも非合理でもなく、前世から今に至るまでの、自分の思いと行いに対する正当な結果です。
 過去を原因として、現在がその結果としてある。そして、現在の思いや行いが原因となって、未来の自分の状態や周りの状況、動きが、それ相応のものとして形成されつつある。それらのいちばんの元に、天の創造主がおられる。このような関係になっています。
 ・自分の傾向を知ること。
 ・自分のカルマを知って自覚すること。
 ・自分の良いところも問題なところも知
  ること。
 ・そして良いところは、さらに育成して
  発揮すること。
 ・課題や弱点は、癒したり調整したり、
  上手く良いほうに振り向けていくこと。
 このようにすることで自分の可能性が高まり、周りのお役に、なお一層立てます。それにより自分や家族も保障され、やっていけるようにしていただけます。
 
 いずれにしても生きていくなら、気持ち良く、より良く、生きていきたいものです。人様のためにもなれます。そのために前世を扱うのは、とても助けになります。
 ARIで学ばれている方々は、まず、前世を知る機会として、リーディングがあります。リーディングを受けることで、自分の前世とカルマを知ることができます。
 そして、ARIとご縁のある方たちは幸い、ARIの代表者のヨハネが、自分の前世を探究し、極め尽くしてきています。
 そのため、ヨハネとの関連で前世の自分がどのようであったかも、かなりな程度推察できる、という恵まれた状況にあります。
 実際これまで、ヨハネ・リーディングを受けたり、フォローアップセッションを受けたりして、その内容を元に、ヨハネやARIとの関連で自分の前世を追求してきて、かなりの前世が具体的に明らかになってきている人たちが、少なくとも10人以上おられます。
 ヨハネがある時代、このような人物であったのなら、現状と照らし合わせて、その時の自分はこういう所で、こういうことをしていた、こういう人物であったろう、と推察できるのです。
 生まれ変わりの中で、全く今世と同様に対応しているわけではないにしても、ある程度以上対応しています。
 そのため、ヨハネの転生が17個も具体的に明らかになっていることが、ARIにご縁のある方たちにしてみると、自分の前世を特定する上で、とても有益なのです。また、そのためにもヨハネの転生が明らかにされたのです。
 
 「ある時代ヨハネがこうであるなら、その時代自分はこうであったろう」と。そのように特定していけるのです。
 そしてそれを元に、当時の資料などに当たっていけば、さらに絞り込め、場合によっては具体的に、その時代の自分の前世が明らかになります。それをまた、ヨハネ・リーディングで尋ねたり、フォローアップセッションで尋ねたりして、ヨハネ自身に確認をとることができます。「その自分の推測は、正しいのか間違っているのか」を、ヨハネから教えられるからです。
 「前世は一遍に、全て明らかになる」というものではありません。自分の成長度合いやカルマの果たされ具合、周りの状況や動き、それらとの関連で自分の備えがなり、周りの動きもそれを表すものになった時点で、その都度明らかにされます。
 神さまの育て導く一環として、その都度タイムリーに、一つ一つ前世は明らかになっていくものです。
 神さまの育て導く一環として、前世とカルマが明らかにされて、自分を知り、状況の意味を悟り、その時の状況に適切に応じて、カルマも役割も果たしていける。その一環として、順々に時期や状況の動きや、本人の成長度合いに合わせて、効果的に前世が一つ一つ明らかになります。
 
 単なる興味本位や情報収集のための、「前世を知りたい」という動機だけでは、真相を知ることは困難です。
 楽しく取り組むこと自体はいけないことではありませんが、ただ知識重視の、頭だけの興味本位な前世探求では、本来の取り組み方ではありません。そのため上手くいかず、行き詰まります。
 よくお祈りして、全ての元であられる天の創造主さまにお任せし、何よりも現状を大切に、現状の中で良い心がけで、その時自分がするべきことを一つ一つ、きちんきちんと行っていく、ということが大事です。
 「自分を発揮して、周りのためにさらになりたい。そのために、自分を深く知って自分の状態を良くし、状況を活かして、なお一層、周りの助けになり、充実した人生を送りたい」。その動機と目的で、その一環として、前世とカルマを探求していくのです。
 周りの人からより良く見られたり、評価してもらうための、取り組みではありません。自分を本当に知って、より良い状態にして、なお一層、周りの助けになるためです。
 正直さと誠実さが必要です。そうすれば、一時思い違いや捉え違いがあっても、必ず修正が入り、いずれは本当の前世に行き着きます。
 「前世を知る」とは、深い自己認識のことです。それゆえ、セルフイメージや自己認識が違っていると、前世も違って捉えてしまいます。
 
 もし本当に、自分のことがわかっているのなら、正しく前世を捉えられます。なぜなら「前世認識」とは、「深いレベルの自己認識」だからです。本当の自分をわかっている人は、本当の自分の前世に行き着きます。本当の前世がわかります。
 世界史と日本史の教科書を用意しましょう。そして自分の輪廻転生の観点で、改めて世界史と日本史をおさらいしましょう。
 世界史とは、人類の輪廻転生の歴史です。日本史とは、日本民族の輪廻転生の歴史です。そういう世界史や日本史の一部を、自分もなしてきています。
 そこで、世界史と日本史の教科書を改めて見直し、それらの人間の歴史の中で、自分はどの時代どこに、どういう人間として生きていたのか、を見ていくことが参考になります。
 また、それ以前に、先ほども述べられたように、人は縁によってグループ転生する傾向があります。それで、ARIで学ばれている方たちの場合は、ARIのグループソウルのグループ転生を参考にすると、その中に自分をしばしば見出すことができます。
 いつもいつも団子状態で、全く同じ関係性や位置取りで輪廻転生する、というほど固定化はしていないものの、ある程度以上は同じような位置取りや関係で、グループで転生する傾向は、確かにあるのです。これは、ケイシー・リーディングにおいても、知られていたことです。
 「ARIのグループ転生の中での自分の転生」、その一方で「自分独自の輪廻転生」をそれぞれ探っていけばよいのです。その両方をバランス良く追求していくことです。
 
 また、ARIで学びながら、その一方で、他のグループとも関連してきている方もおられることでしょう。それは霊的グループとは限りません。自分の仕事とか趣味とか、地域社会との関連などです。
 ARIとのご縁が深い人ほど、ARIのグループ転生の中で生まれ変わってきています。
 ほかのグループとのご縁がある程度ある人は、そちらのグループ転生もある程度含まれています。
 ただ人は、過去的な存在だけではなく、今世で新たに、神さまの意図と自分の自由意思によって作られつつあるご縁もあります。それらは新しいご縁です。
 全てが、過去に起因しているのではありません。今作られつつある、新しいグループやご縁もあるのです。また、前世の時は問題があったけれども、今世ではより良くなりつつある人がいます。その一方では、前世は上手くいっていたけれども、今世は低迷気味の人もいます。前世の時と、全く同じになっているとは限りません。
 それと、人と較べたり、競り合ったりするための、前世探求ではありません。人は人、自分は自分。その上で、理解し、認め合い、それぞれが活かされるような関わり方が求められます。
 もともと菩薩とは、人に譲歩し、人のために自分を捧げていく、犠牲的な尊い生き方です。キリストは正(まさ)しく、そのような生き方を全うされました。「友のために自分の命を捨てること。これが愛である」と、「ヨハネ文書」には記されています。
 くれぐれも世俗的な競争社会の、比較し、競り合うような生き方で、霊的学びや前世探求をしてはなりません。「霊的成長」とは、「譲歩」と「人に尽くすこと」にあるからです。
 
 このように、前世で優れていても低下しつつある人もあれば、前世でそれほどでもなくても、今世ではより良くなって、他の助けになりつつある人もいます。
 また、表面的に見た社会的評価や知名度が、本当のその人の価値や評価を決めるものともなっていません。
 世界史と日本史を見てぴんと来る、あるいは、惹かれる時代や文化や人物を見ていき、その中で自分を見出していきましょう。
 また、自分の人生を振り返ってジャーナルを綴ることが、前世を知る助けになります。「自分史」と呼ばれる、自分の今回の人生の歴史を綴るのです。
 先ほど述べられたように、「今世は前世の結果」です。もちろんその一方で、今世新たに作りつつある部分もありますが、それでもその基盤は前世にあります。
 それゆえ、これまで生きてきた数十年を振り返って、主立った体験やその時の自分の思いを綴ることで、前世が見え隠れしてきます。今世の中に正直に、前世のものが表れ出てきているのです。外界は内界の表れなので。
 また、これまでの人生経験ばかりでなく、自分の内面の動きにも前世が表れ出ています。印象とかイメージとか記憶とかアイデア、自分の捉え方とか価値観、態度とかイメージ。そういったものにヒントがあります。実際の体験と、内面のイメージや思考、あるいは体質、病気、外見、能力など。
 
 前世の自分と今の自分は、因果関係で結ばれています。特に、気質、能力、仕事、興味、体質、境遇、運命などは、前世と今世で繋がりがあります。人間的な器や規模なども、釣り合っています。しかも、表面的にというより、実質で釣り合っています。
 人間関係や土地や仕事が、キーワードです。カルマもキーワードです。カルマは出来事や体験と、深く関連しています。このように自分のジャーナル、「自分史」を綴ることが助けになります。
 それは、前世を知ることに対してばかりでなく、自分を知って自分の過去をおさらいし、過去の自分に責任をとる人間になるためにも、助けになります。
 退行催眠、前世療法もあります。それらはセルフ・リーディング的です。過去を遡(さかのぼ)り、順に思い出していくこと。その際、音楽を聴くのも助けになります。
 「自分史」を綴っていく上で、内観をしていくことが必要です。さらに瞑想も、前世を知る上で助けになります。
 また、夜見る夢も、前世のヒントになります。特に霊感がある人は、夢から前世のヒントも多く得られます。
 ヨハネ自身の場合も、17回の転生のいくつかは、夢の中で明らかにされました。夢意識状態とリーディング意識状態は繋がりがあり、似通っています。夢は、セルフ・リーディングとも言えるのです。その意味では誰でも夜、セルフ・リーディングをしています。それが夢だからです。
 人は霊的になり、霊的に目覚めるほど、夢を見るようになります。その夢に入っていって夢を開拓し、夢を育成することで魂が目覚め、夢から多くの示唆を受けられるようになります。
 
 『聖書』の中では、数多くの夢の報告があります。日本の古典や著名人の日記の中でも、夢の報告があります。
 現代人は、外的唯物的になってきているため、夢をあまり見ず、夢の意味がわからなくなり、夢を大切にしなくなりました。
 夢に着目することで自分を知り、霊的に開発され、自分がどんな存在で、何をしたら良いのかがわかってきます。現状の意味も、悟られてきます。
 ジョーン・グラントという女流作家も、夢を追跡していくことで、 3つくらいの前世が明らかになりました。
 前世について知らされたら、資料に当たって自分で調べたり、それを瞑想したりすること。実際に関連の地を訪れたり、前世に関するお祈りやご供養をするのも助けになります。
 また、お互いのセッションなど、前世想起のワークショップなどに取り組み、互いに分かち合い、報告し合うことで、また指摘してもらうことで前世を確認し、掘り下げていくこともできます。ARIでも何度か、前世関連のセミナーやワークショップが行われてきています。
 自分が強く惹かれることや気になることや恐れること、感情の内的反応。それは、人物や時代に対しても、食べ物に対しても、衣服やライフスタイルに対しても、仕事に対してもあります。そういったところに、前世が見え隠れしています。自分の中にしばしば湧いてくる、イメージや実感や印象に、前世のものが表れ出てきています。そういったところから入っていくことで、前世が明らかになってきます。
 お祈りももちろん、前世やカルマを知る助けになります。自分を内省し、神さまにお任せしながら、祈り続けましょう。ヨハネが中心の前世を知ったのは、千日ご祈願によるものでした。そこでリーディングも開始されました。
 根源の神さまに自分をお任せし、置かれた状況で、自分がその時するべきことをきちんと果たしていくことが、大事です。その基本で、前世やカルマの探求に取り組むならば、神さまのお導きがあり、自分に正直で誠実であるならば、本当の前世が必要に応じて、また準備の出来具合に応じて、明らかになります。
 そういう前世は本当で、自分を知り、自分を役立てて他のためになる、真実であることでしょう。そしたら、知らされた前世を心に留め、現状でより良く生き、他のお役に立っていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17803

 
質問:蘇生力について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース:人間は誰でも、頭と心と肉体から出来ています。それらの頭、心、肉体の元に、魂があります。魂こそ、人間存在の本質であり、最も重要な核を成す部分です。
 それで、肉体が蘇生するためには、肉体の元にある魂が、まず蘇生しなければなりません。それには、魂が天に接ぎ木されることが肝要です。
 魂の中に、蘇生力や回復力が備わっています。その魂の機能がチャクラです。チャクラは、生命力の中枢になっています。魂の7つの働きが、7つのチャクラなのです。チャクラが活性化することで、肉体が蘇生していきます。
 このように、魂の中に蘇生力と回復力があるのですが、ただ、魂だけでは限界があります。
 魂は、天の創造主の分霊に相当します。天の創造主が命の親、魂はその子、なのです。
 
 命の木の「幹」に相当するのが「天の創造主」、命の木の「枝」に相当するのが「それぞれの人の魂」です。
 「ヨハネによる福音書」の中で、キリストは、次のように言われています。
 「神さまは、木の幹であり、一人ひとりの命はその木の枝に相当する。枝は幹に繋がってこそ、生き続けていける」と。
 この喩えのとおり、一人ひとりの魂だけでは限界がある。ちょうど水栽培や生け花、フラワー・アレンジメント、それに類するさまざまな営みに限界があるように、魂が長く存続し、元気でいられるためには、魂は命の根源であられる天の創造主に繋がっていなければなりません。
 そこで、一日を「天への礼拝」からスタートするのです。それによって魂が、天の創造主と天界に接ぎ木がなされます。
 
 それにより、天の創造主から魂に生命力が流入し、魂が元気になって回復力が生じ、肉体も蘇生していくのです。
 生命の本源であられる天の創造主に深く礼拝して敬意を表し、自分の全てを任せ切るのです。
 このような礼拝と祈り、それから瞑想、このような命の本源との霊的な交流によって接ぎ木がなされ、生命力が流入してきて、魂が活性化し、チャクラが活発化します。それによって、肉体も蘇生へと向かうのです。
 一方、次のようなことも助けになります。肉体が蘇生するためには、頭と心も大切です。頭と心と肉体は、互いに関連し合って、相互に影響を及ぼし合っています。
 肉体が蘇生するためには、頭でONEの真理を学び、理解すること。そのために、ONEの教えを学ぶのです。ONEの教えを学ぶのは、そのためだけではありませんが、肉体が蘇生するためにも、頭でONEを学ぶことは助けになります。
 
 頭でONEの真理を学び、理解することで、いろいろなことが納得でき、受け入れられ、気持ちが解放されて楽になります。心が良い状態になるのです。
 このように、頭でONEの真理を学び、理解すると、価値観が正され、正しい理解と認識に到達し、それが心に及び、気持ちが吹っ切れて、心が楽になり、心が安定し癒され、心が良い状態になります。このように、頭と心は関連しているのです。
 こうして、心が良い状態になると、今度はそれがチャクラを介在して肉体にも投影してきます。頭でONEを学んで理解してくると、心が解放され、楽になり、良い状態になります。
 そうなると、その良くなった心の状態が肉体に投影してきて、肉体も蘇生し、元気になっていくのです。
 
 先ほどの説明では、魂が命の本源であられる天の創造主と接ぎ木がなされ、祈りや礼拝や瞑想によって、霊的な交流を図ることで、魂が活性化し、魂の中の蘇生力が肉体に及んできて肉体が蘇生する、ということでした。
 もう一つ、今説明したのは、頭でONEの真理を学ぶことで真理を理解すると、「なるほど」と思えて、頭での理解が心に及び、気持ちが吹っ切れ、楽になり、浄化され、癒され、心が良い状態になります。心が安定して、充足してきます。
 そうなると、その良くなった心の状態がチャクラを通して肉体に投影し、肉体が蘇生して元気になっていく、という面もあるのです。
 このように、天への礼拝と祈り、瞑想をしつつ、ONEの教えを学ぶこと。この2点が肉体が蘇生していく上で、助けになります。
 また、使命や義務を通して、周りの助けになっていくこと。奉仕的な生き方をすること。仕事や義務、またご奉仕を通して、助けと喜び、安らぎ、理解、勇気などを、周りに及ぼしていくこと。
 このような徳積みによっても、自分のカルマが解消し、周りから喜びや感謝がやってきて、自分の肉体にもそれが及び、肉体が蘇生していくのです。
 
 このように肉体が蘇生していく助けになる3つめは、「ご奉仕」「徳積み」です。
 できるだけ悪を控え、良いことをどんどんしていくこと。周りに好ましくない影響を及ぼすことを極力控え、好ましい影響を、できるだけ周りに及ぼしていくのです。
 周りに及ぼしたことが、周りから自分に返ってくる。この作用反作用のバランスの法則が、カルマです。
 結局、生きていく中で、自分が体験させられることというのは、自分が意識的にせよ無意識にせよ、周りに及ぼした影響が周りを刺激し、その反応がそれ相応のものとして自分に返ってくるという、事柄を表しています。
 やればやっただけのことがあるのです。善も悪も、全ては正当に報われます。神の法則は、完璧です。公正です。安心してください。
 生き霊の影響にしても、亡くなった霊たちからの影響にしても、自分が周りに及ぼした影響が、周りを刺激し、その反応がそれ相応のものとして、自分の元に返ってきて、それを受けることになります。これでカルマが完結します。カルマが果たされる、ということです。
 人生で起きて体験していくことは、偶然ではないということです。それゆえ、心の健康のためにも、肉体の健康のためにも、日頃から、周りに良い影響を及ぼすように心がけることです。
 
 それにより周りから肯定的な良い反応が返ってきて、自分の心も肉体も良い影響を受けて、健康で元気でいられます。
 周りの人から感謝され、好ましく思われている人は、運が良く、恵まれた人生を生きることになります。病気にもほとんどならず、健康でいられます。
 ほかに、肉体が蘇生するために必要なことは、直接肉体に関することに、心がけることです。
 天の摂理の物質界での表れである自然の摂理に沿って、日々生活すること。太陽の動きに合わせ、早寝早起きの、明るく健康的な生活を送ること。食べる物も、腹7分目ぐらいにして、中道を心がけ、おいしく感謝して、しみじみと戴くこと。その時の自分に合う、バランスの取れた食事や飲み物を摂取すること。
 自分の肉体を悪いことのために使わず、良いことや必要なことのために、肉体を使うこと。肉体に感謝し、肉体を労り、肉体をメンテナンスして生きていくこと。
 
 肉体にも心が宿っています。それゆえ、肉体を慰めてあげたり、肉体に感謝したり、肉体を労ってあげましょう。そしてその時に自分に合った体操や体の動きをさせてあげること。ONEの教えでは、アドリブ体操があります。
 このように、肉体が蘇生するためには、肉体自体にも、直接、良い影響を及ぼすように心がけること、があります。体に良い食べ物や飲み物を、与えてあげるのです。そして、自分に合う呼吸法や、頭と心と肉体のバランスの取れた、明るく健全な生活を送ること。
 そして、先ほど述べられたように、肉体を罪のために使わず、良いことや必要なことのために、肉体を使うことです。
 そして、義務や使命や仕事のために、肉体がより良く使われるよう、日頃から自分の肉体を見直し、整えること。自分の心も見直し、整えること。人間関係も見直し、整えること。周りの状況や環境を見直し、整えること。部屋の換気を良くしたり、お掃除をすること。
 
 部屋の掃除や片づけ、トイレ掃除などは、心を磨き、心を清め、それによって肉体も清まり、カルマも解消へと向かいます。
 部屋の整理整頓をすると、頭の整理整頓にもなります。「外界は内界の表れ」であり、内界と外界は相互に関連しているからです。
 このように、部屋とか書棚とかを整理整頓する、あるいはファイリングする。いらない物を処分したり、片づける。一方、良いものは積極的に集める。そして活用する。そのようにすると頭も整理整頓され、すっきりします。物からの影響も人は受けるからです。
 部屋を掃除したり、換気を良くしたりする。そして、気持ち良く穏やかに呼吸して、生かされて生きていることをしみじみと実感させていただく。
 肉体が蘇生するためには、まず心が蘇生することが必要です。一般においても、また、医療においても、「肉体は心の影響を受ける」ということは、知られてきてはいます。
 しかし、一般に知られている以上に、肉体は心の影響を受けているのです。心の影響が肉体に及ぶ、それを介在する器官がチャクラなのです。肉体上では、自律神経と内分泌腺です。
 心の奥に、心の本体である魂があります。チャクラは魂の7つの働きです。チャクラは直接には、心の働きとして表れています。
 
 それゆえ心を清め、心を整え、心を良い状態にすることで、チャクラが清まり、活性化します。それにより、肉体も蘇生し、健康になり、回復していくのです。心の影響が肉体に及ぶ。それを介在するのがチャクラなのです。
 結局、心の状態を良くすることで、チャクラが清まり、活性化します。それにより、肉体が健康で元気になる、ということです。
 ケイシー・リーディングの中には、「あらゆる病は罪から生じる」とさえ、出てきます。「直接的な悪を犯す」ということばかりでなく、「天の摂理とその物質界の表れである自然の摂理に反することは罪だ」と言えます。自分の中に罪意識や恐れや悲しみを抱くこともまた、罪と言えます。
 
 自分を許さず、恐れや悲しみに囚われていることも、広い意味での「罪」です。そういった罪意識も含めて、自分の罪が病気の元です。それと、過労、エネルギーの消耗で病気になります。
 特に、ムラダーラ・チャクラのカルマが、病気を招いています。ムラダーラは、生命力の元であり、性的なことに関するチャクラです。性腺に相当するチャクラです。
 確かに、性的なことは、生命力の源泉です。それがクンダリニーと深く結びついているのです。
 性的なことは愛と深く関連しています。愛と生命は一つです。それが性腺です。正しく生命力が活用されることが、健康への道です。それで蘇生していきます。キリストもその方向で、復活を遂げられたのです。
 
 生命と愛が深く関連していて、生命の進化段階を上っていくほどに、愛が本物化していきます。それに応じてチャクラも清まり、発達していくのです。そのことと肉体が蘇生することは、無関係ではありません。
 そのためキリストは、人の病を癒すことができ、最後は自分自ら、死から復活を遂げられたのです。その秘密がチャクラにあります。
 生命力を否定せず、しかし野放しにせず、昇華させ善用していくこと。それが空海が日本にもたらした真言密教です。それがキリストがもたらした、愛と命の肯定的教えの、日本版です。
 全ての秘儀の中で最も大切なのは、その死からの復活の秘儀なのです。「ヨハネの黙示録」も新生がテーマになっています。その中で病気からも解放され、癒されていくのです。
 病気は、人生で起きる出来事の中でも、最大のテーマです。病気を通して教訓を学べて、癒され、清められ、成長を遂げていきます。その意味で病気は、貴重な学びと改善と成長の機会です。浄化もされます。
 生命を学ぶことほど、尊く大切なことはありません。「生命を学ぶ」とは、「愛を学ぶこと」です。
 
 自分の肉体の傾向と特徴を知り、カルマの特徴も知り、自分の肉体を教科書として、命と愛に関しての学びに取り組みましょう。それが上手くいった結果として、蘇生と健康がやってきます。
 そのことに、自分の体という教科書を読み、取り組んでいってください。それが「ONEの学び」です。ありありと健康である状態をイメージし、体感することも助けになります。
 できる所から始めましょう。ちょっとでも上手くいったら素直に喜び、感謝し、それを励みに、次に繋げましょう。
 たとえすぐに上手くいかなくても、そのことを疑わず、この取り組みを諦めず、何度でも見直し、また取り組みましょう。
 その取り組むプロセスが必要で、価値があるのです。それが「ONEの学び」です。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17763

 
質問:「ヨハネの黙示録」は何について記された書物なのでしょうか。ONEの観点からご教示ください。
 
ソース:「ヨハネの黙示録」は、ヨハネ自身の内観によって授かった霊体験の、一連の修行の報告記です。特にキリスト内臨の体験記です。
 使徒ヨハネは、当時の社会的権力者たちによって、パトモス島に流罪にされました。その試練の命の危機の只中で、ヨハネは自
分の中を見つめ、そのありようのプロセスを克明に記録していきました。
 記録自体も神によって促され、導かれるように書き留めていきました。自分自身の肉体と心と魂に、いろいろなことが起きてきました。
 「黙示録」に出てくる天変地異、戦争、病気、奇怪な生き物の登場、それらは全て、ヨハネ自身の肉体や心に現れ出てきた動きの象徴です。自分の心の中の葛藤や恐怖が、天変地異や戦争として描かれているので
す。
 
 こういった心の葛藤を自分の中で体験しながら、ヨハネは浄化と育成の一連のイニシエーションを辿っていったのです。新しく生まれる新生への、キリスト者の試練、死と再生のイニシエーションです。
 ヨハネ自身も、ヨハネの仲間たちやヨハネから指導を受けている人たちも、当時試練に見舞われていました。その厳しい状況の中で、ヨハネ自身もヨハネと繋がりのある人たちも、自分の内側にある、新生する回復力の発動する方法を必要とし、それを切に求めていました。
 そのような中で、ヨハネに神から啓示が与えられたのです。ヨハネ自身、神のお手入れを受けつつ、自分の内側を見つめ、完成に必要な浄化と育成のプロセスを一通り辿っていったのです。
 その途上で、自分の内部に繰り広げられた変化や激動を、克明に描いていきました。奥深い潜在意識での出来事は、夜の夢と同様に、象徴的な形をとって現れる。
 そのため「黙示録」の中には、ヨハネの中で起きた一大変化と激動が、象徴的な表現で描かれているのです。
 「黙示録」の大半は、暗くて重い、そして怖いような、否定的イメージがその多くを占めています。それは、ヨハネが自分自身と向き合い、自分を深く見つめ、掘り下げていったことを表しています。
 
 そういった一連のプロセスを経ることで、神からのテストに一つ一つ合格し、肉体も心も浄化され、育成され、整っていきました。イニシエーションです。
 そして、最後の2章を見れば明らかなとおり、ヨハネは自分を克服解消でき、人間完成を見ました。ちょうどブッダが悟りを開いた時のように、人間完成したのです。
 「黙示録」の最後に出てくる「新天新地」とは、「一新されたヨハネの意識と肉体」のことです。いずれは「一新された霊界と顕界」になります。自己完成から社会完成へ波及していきます。いずれ地球全体が新天新地になるのです。
 「天から静かに降りてくるエルサレム」とは、「神さまから賜る聖霊の命が、ヨハネ自身の中に注ぎ込まれ、新生を遂げた」ことの表現です。進化し、完成した意識が、「ニューエルサレム」です。進化した魂の状態です。
 
 完成して、美しく光輝くヨハネの魂と心と肉体が、立方体の光輝く神殿として、美事に描かれています。
 こうしてヨハネの生命は完成し、光輝いたということを表しています。キリストのような神人合一を達成し、意識は静まり、平安になり、命はみずみずしく活き活きとしました。
 ヨハネは神人合一し、いつでも超意識状態になりました。ブッダが悟り、平安になり、ダルマと合一し、救われた時と同様です。使徒ヨハネはブッダの転生者でした。
 「命の川」とは、ヨハネの体内を、神さまの生命エネルギーがスムーズに清らかに流れるようになった、ヨハネの天的な生命状態を表しています。
 命の川の両岸に生えている「命の木」は、ヨハネの生命体のそれぞれの部分が、命を蘇生したことを表しています。魂に内在する、命の供給と治癒と新生の働きです。
 「命の木に毎月実を結ぶこと」は、ヨハネとその仲間たちが神の理想を目的として、その活動と働きが絶えることなく続けられていることを表しています。
 
 現在のARIの活動に対応させるならば、毎月会報誌が作られ、発行され、学ぶ方々のお手元に届けられること。また、単行本が毎年発行され、定期的にいろいろなイベントが開催されていること。日々、リーディングが行われていること。それらに相当します。
 そういった、神の理想の目的とその働き・活動が、絶えることなく存続し、地上で行われ続けることが、「命の木に毎月実を結ぶこと」として、象徴的に描かれているのです。
 「キリストの再臨」とは、自分の魂の意識である超意識が目覚め、天の創造主が自分の中に入ってきてくださって、自分の中で創造主と自分の魂が融合したこと。そのことを、キリストが再臨することとして、約束されています。
 実際、ヨハネ自身、キリストの再臨によって、「黙示録」の体験をスタートしました。それからキリストという超意識に導かれ、自分の中にお手入れが加わり、キリストの型、パターン、その理想のキリストの基準に、ヨハネ自身が合致していくプロセスで、カルマの洗い出しが生じ、自分の中にも恐怖や抵抗を体験しながら、次第に理想の、キリストが作り上げた完成したパターンに、ヨハネ自身が合わさっていくプロセスで、いろいろなことがヨハネの中に、精神的にも肉体的にも起きてきたことを、表しています。
 
 古い自我と欲望に基づく、人間が造り上げた地上的な文明の型、パターン。それが「大いなるバビロンの都」として登場します。ヨハネ自身の、古い地上的で自分を表すいろんな価値観や考え方や生き方を表しています。
 大いなるバビロンの都と対比的に登場する、「新しいエルサレムの都」は、「天の創造主とその顕れである天界」です。具体的にはキリストの作り上げた、完成した基準とパターン。それを表しています。
 古い、人間が造り上げた好ましくないパターンに基づくエゴと我欲の文明は、滅び去っていく。それが「最後の審判」として、描かれています。カルマの大清算です。
 それに取って代わり、キリストが作り上げ、残していった理想の形、それがヨハネ自身の中で次第と優勢になり、遂には自分の全ての部分がそこに合わさって成立し、合致したことが、最後に起きたことを「黙示録」は記しています。ヨハネは自分の修行を成就し、達成したのです。神人合一です。
 「額に神の印を帯びた144000人」とは、ヨハネ自身の内部にキリストのパターン、ONEの基準が出来てきた細胞たちです。自分全体の、144000人に喩えられる割合の細胞たちが、清められ、古い価値観や生き方から、ONEという真の基準の形に移行したこと。それが「144000人の、額に神の印を押された者たち」で表されています。
 自分の中でどれだけ、古いパターンから新しいキリストの、天界のONEのパターンに置き換えられていったかということが、新生のプロセスです。
 「ヨハネによる福音書」の中に、キリストのお言葉として、「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と記されていることです。
 古いものが自分の中で通用しなくなって清算され、葬り去られていく。キリストの十字架刑による死に相当します。それが「最後の審判」です。
 それに取って代わって、新しい本当の天のパターンが出来てきた。ONEという天の摂理が。「ヨハネ・ペヌエルが転生してきて、世界に新秩序をもたらす」ということです。
 「万物の新しい理法」とは、「ONEの法則」のことであり、あらゆる事柄や分野において、古い型が滅び去って清算され、新しい本来の天界の基準であるONEが、万物の新しい理法として地上にも築き上げられていきます。新しいエルサレムの降下です。それはまず、人間一人ひとりからです。
 
 その最初がキリストであり、それからヨハネがそのことを求められ、通り抜けて完成しました。それがいずれ、全人類にも波及します。
 そのプロセスをヨハネは、書き留めました。それが、他の仲間たちの参考や指針となります。新生を遂げるその生命力を発動する方法と力が、「黙示録」には封じ込められています。それゆえ、各自が新生を遂げるキリストの秘伝の書物が、「黙示録」です。
 ヨハネは生前にも、キリストの側に身を置かせていただきました。キリストが昇天された後は、霊的にキリストが現れて、パトモス島でキリストが指導して、霊体が、キリストから新生を遂げるイニシエーションを授かった。そのことを記した書物が、「黙示録」です。
 「黙示録」の中に「7」という数が何度も出てくるのは、7つのチャクラが、肉体のレベル、アストラルのレベル、カラーナのレベル、そしてプルシャのレベルと、らせん構造上に幾重にも折り重なりながら、七重のイニシエーションを、4回経ていったことを表しています。
 ARIの会報誌も、虹の7色をチャクラに見立て、それを7年周期で、何度も辿っていくイニシエーションの道となっています。
 「外界は内界の表れ」。それゆえ、ヨハネ自身の内部に起きたことは、ヨハネの周りの状況や、実際の動きにも表れていました。そのヨハネ自身の周りの動きをも、「黙示録」は記しています。広くは世界の動きを。
 しかし直接には、ヨハネ自身の内部の肉体と心と魂に基づいて起きたことの霊体験を、基本的には記した書物です。それが「外界は内界の表れ」ゆえ、ヨハネの周りの状況や実際の動きにも反映し、そのことをも「黙示録」は記したことになります。
 さらには、グループソウルということで、ヨハネ派のグループの人たちの身辺に起きたことも記しています。当時のローマ帝国の、問題多き状況と動きを。
 「黙示録」はまず、ヨハネを始め、学ぶ人たちの内面に起きたことを記しています。そしてそれが、周りの状況や実際の動きにも反映してきたので、そのことをも記しています。
 
 例えば、「666」で表される存在は、当時キリスト者たちを迫害していたネロ帝を表しています。竜と獣はローマ皇帝たちを表しています。
 ローマ帝国から厳しい迫害を受けて、試練に見舞われていた、当時のヨハネ派の人たちや、広くはキリスト者たちの、生きづらい大変な状況を表しています。
 古い文明の型、パターンは、直接にはローマ帝国のあり方を示しています。「大いなるバビロン」とは、ローマ帝国のことです。
 「竜」は、自分の中のクンダリニーの生命力を表しています。それが自分が整っていないうちは、脅威としての存在になってしまっています。それゆえ、クンダリニーは自我をも表しています。
 「竜が従えている二匹の獣」とは、自分の肉体の欲望と心の感情を表しています。顕在意識と潜在意識を表しています。
 一方、ローマ帝国の権力によって殉教を遂げた「二人の預言者」とは、自分の中の潜在意識と超意識を表しています。その二人の預言者は神のお力によって再生させられる。それは潜在意識と超意識が浄化され一新することを示しています。外的には、ペトロとパウロが二人の預言者です。
 その自分の中の、より良い二つの意識が、古い価値観によって一度死んでしまう。しかし、神によって生かされ、甦ることを表しています。
 このように「黙示録」は、直接には、ヨハネ自身の内部に起きた闘争や葛藤が描かれています。古い型から新しいONEの型に移行していく自分の内でのせめぎ合い、を表しています。そしてそれが、周りの状況や動きにも現れてくるということをも、表しています。
 直接には、ヨハネたちが生きたローマ帝国の時代状況を表しています。そしていずれ将来、ローマ帝国が滅びることを、示してもいます。
 実際、ローマ帝国は滅び、キリスト者たちの精神的王国がローマ帝国を支配するようになりました。キリスト教は、ローマ帝国の国教となったのです。これが取りあえずの、物的な新しいエルサレムであり、新天新地でした。
 しかし、浄化と進化は何段階も経ていきます。その場合、法則に基づいて辿るパターンは、らせん状になるため、似たようなパターンを、法則からして歴史上辿ることになります。どの地域においても。
 そのため、別の地域、別の時代にも、「黙示録」の法則は当てはまります。これにより、いつどこにおいても、「黙示録」が参考と指針になり、「黙示録」の預言が成就したことと読めるのです。
 「黙示録」は直接には、ローマ帝国のヨハネたちが生きた時代を描いた書物です。その意味では社会批判の書物なのですが、その同じ法則は、別の地域・別の時代でも当てはまるので、別の地域・別の時代でも、「黙示録」の預言が成就したことになり、どこのどんな人が読んでも、「黙示録」は参考になるのです、普遍的なパターンを述べているので。
 
 それで例えば、20世紀から21世紀にかけての現代でも、「黙示録」は当てはまります。そして、参考にもなるのです。
 世紀末には「黙示録」が流行り、「黙示録のこの箇所は、1992年を述べたものであり、この箇所は99年を述べた箇所である」などといった、「黙示録」の解説書が世に出ました。
 それはある程度当たっていますが、完全には当たっていません、解説として。それほど「黙示録」は限定されていません。ヨハネが、2千年後の現代を見越して記した、ということではなかったのです。ただ結果として、法則から、「現代にも黙示録は当てはまる」ということはあります。
 もう一つ、こういうこともあります。それは、この現代は取り分け、2千年ほど前の「黙示録」に近い様相を呈してきている、ということ。その分、身に迫って「黙示録」が当てはまり、参考や指針となり得ます。
 そのような時代状況であるからこそ、ヨハネ自身も生まれ変わり、生きているのです。
 ヨハネはこの2千年の間、何遍も生まれ変わってきてはいましたが、ただ今回は、「ヨハネが自分の前世を思い出して、自覚して取り組んでいる」というところに、他の前世との違いがあります。
 それだけ今は、「黙示録」が顕在化し、その預言が大きく成就しつつある時代、ということはあります。
 「黙示録」の中で、ヨハネは、「再び預言しなければならない」と、告げられています。「イエス様が来られるまで、存続し続ける者がこの中にはいる」とも、キリストは言われました。
 状況が揃い、整い、必要性があり、切に願い求めれば、態勢が出来たところで、イエス様がふさわしい形で来られる、ということはあります。
 基本的に再臨は、内臨です。しかし「外界は内界の表れ」なので、外的にも外臨として、再臨が起こり得ます。
 タウラーは、キリストの内臨を強調し、大切にしました。そのタウラーは、ヨハネの転生者でした。
 「黙示録」の中には、一人ひとりが新生を遂げられる力と方法が、封じ込められています。その意味で「キリストの秘伝の書」であり、一人ひとりが浄化と完成へのキリスト者としての道を歩む、恰好の書物です。
 それが『聖書』の最後に「黙示録」が置かれたゆえんです。それで『聖書』全体の預言も成就します。「創世記」がアルファ、「黙示録」がオメガです。そのオメガを、ヨハネは引き受けました。
 
 今はある意味で、審判が起きつつある時代状況です。大きな審判が「最後の審判」です。因果応報の法則が、地上で作用しているのです。ブッダも説いたことです。
 「黙示録」の封印が解かれ、今、その動きが起き始めています。そうであるからこそ、「黙示録」を取り上げ、正しく解釈することで、正しく活用する道が開かれます。
 そのことをようやく、会報誌でもこのように公表できる時が来た、ということを表しています。そのことに取り組んでいきましょう。
 あなた方の目の前に、その機会が与えられています。
 「黙示録」は、より進化してヨハネ・リーディングを始めとする現在のARIの活動として行われています。ヨハネ自身もその周りの人たちも、黙示録のヨハネが転生することを知り、自覚し、その使命を間違いなく遂げられるよう、予めケイシー・リーディングの中でヨハネの転生が伝えられねばならなかったのです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉