メッセージリーディング

このコーナーでは、時事の問題や未来予測に関する、ARIのオリジナルリーディングを掲載しております。(リーディング実施者:浅野信
 
メッセージリーディングとは、個人の問題ではなく、社会的事象や歴史上の不明点、また未来に関すること、その他、政治、経済、科学、技術、宗教、哲学、医学、医療、教育、芸術、等々の分野での調査目的で行うリーディングです。
 
タイトルをタップまたはクリックすると、内容をお読みいただけます。
 
どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。

リーディング No.17663

 
質問: 絵などの美術と霊性に関係はあるのでしょうか。ONEの観点から絵についてご教示ください。
 
ソース: 霊性と絵などの美術は、深く関連しています。内実として深く関連しているばかりでなく、人類の歴史を見ても、そのことが実際に現れてきています。
 宗教や霊性は、芸術的な表現をとって表に表れ出て、明らかになります。芸術的な表現が、伝達の有効な手段となっています。
 特に「伝達しよう」という意図がなくても、人間は宗教的霊的な体験をすると、「そのことを形に表し、表現したい」という思いに駆られます。それは、「愛」とも言えるでしょう。利他的な動きだからです。
 悟りや平安、愛などを体験する。神との一体感などの神秘体験を授かる。そうすると、それをほかの人のために役立てたくて、表現したく思うものです。神さまもその人にその役目を与え、後押しされたりします。
 
 宗教体験や神秘体験を形にし、表現するのは、体験自体が深いものであるため、なかなかそれをそのまま全て形にするのは難しいのですが、体験した者としては「表現したい」という思いに駆られます。
 それは、「自分がそうしたい」と思うばかりでなく、他者のためを思って、「伝えて助けてあげたい」という気持ちが動くのです。
 そもそもこの地上は、物的領域であり、表現の世界です。霊界も表出された世界ではありますが、それは内面的精神的なもので留まっています。
 一方、この地上は物的領域であるため、物の次元にまでその表現が及んでいるのが特徴です。「この世には、物的にまで表現する使命がある」とも言えます。また、形にすることで客観化され、他との関係性も持てるようになります。
 それで古来、人類はどの地域においても、宗教的霊的なことを形にし、表現してきています。それが「芸術」です。神殿建築や宗教儀礼も含まれています。
 「霊性は自(おの)ずと現実的表現をとる」ということです。もともと芸術自体にそのような使命や特徴があります。
 芸術には、いくつかの使命や特徴がありますが、「神さまや愛や命や美しさなどを表現する」というところに、最高の芸術的な使命と可能性があります。
 古代ギリシャの哲学では、「真・善・美」が追究されていました。真実にしても、善、良いことにしても、美、美しいということにしても、調和ということにしても、芸術的に表現されます。
 物的に完全に表現できるかというと、困難な部分があるのですが、人間はそのことを追求したがるし、そのことはとても尊く素晴らしい追求の営みです。
 「深遠な神秘体験を芸術的に表現することは困難である」と諦めて、言葉にも絵や音楽などにもしない、という霊的体験者たちが大勢います。
 
 しかしその一方で、「何とか尊く素晴らしい神さまや愛や命や神秘体験を、ぜひ形にしたい。自分もしたいし、ほかの人にもわからせたい」。そういう気持ちに駆られて、諦めずに挑んできた人たちもいます。それが素晴らしく尊い芸術として、続いてきているのです。
 例えば、14世紀のドイツの神秘家ゾイゼは、ほかの神秘家が芸術的に神秘体験を表現することを諦めている中にあって、そのことに挑みました。言葉や絵を通して。
 「外界は内界の表れ」。その時点のその人の内実を表す、現実や表現や雰囲気となります。
 それで例えば、モーツァルトの音楽が美しく尊く素晴らしいのは、偶然ではなく、少なくともその作品を編み出した時のモーツァルトの内面性が、美しく清らかで尊いものだったということの表れです。作者と作品とは、原因と結果の関係にあるからです。
 人は思うところを表現し、語り、形にもします。芸術に限らず、全ての人間の営みは、その時点のその人の内的な実質の表れとなっているのです。良くも悪くも。ないものは出てきません。中にあるものは自(おの)ずと顕在化してきます。霊界とは正しくそのような表象の世界です。
 
 その意味で芸術に限らず、この世のあらゆる物や存在や働きは、全て、それぞれの人間の内面性の表現です。
 肉体自体、霊体の表現であり、物質化です。雰囲気や行動や佇まい、仕草などにも、当人の内面性が、良くも悪くも表れ出てきます。
 取り繕(つくろ)うことには限界があります。誤魔化しは利きません。特に、霊界ではストレートに、そのように内面性が表れ出ています。
 この世の物の領域は、そこまでストレートではないにしても、最終的には表れ出て、帳尻が合います。どんな人生になるかはその人の内実の表れなのです。
 それで、宗教や霊性の人類の歴史を見ると、それぞれ宗教や霊性を、芸術的に表現してきたことがわかります。その芸術には、大きく分けて音楽、美術、文芸、この3つがあります。
 美術の中には、絵、彫刻、工芸などによる作品、などが含まれています。
 文芸には、詩や俳句や文学、その他いろいろな言葉による芸術表現が見られます。宗教の預言も、それと関連しているのです。
 日本では、天皇の語る言葉は特別なものと見なされ、「詔(みことのり)」と言われてきています。それで今でも天皇は、うたを作るのです。「言葉には特別の使命と力と働きがある」と、見られているからです。
 ダビデが多数の歌(詩)を作ったことは、よく知られています。『旧約聖書』の詩編の約半分が、ダビデの創作による歌(詩)です。
 一方、見た目の美術的な表現も、多く見受けられます。日本の神道にしても、仏教やキリスト教にしても、美術的な表現が多く見られます。
 ARIのグループ転生の特徴の一つに、宗教と芸術が一つになった使命を遂行してきている、ということがあります。
 
 ARIの場合、具体的には「大ピラミッドとスフィンクスを建造したこと」があります。続いて、アクナテンからツタンカーメンにかけての「アマルナ芸術」があります。また、ダビデからソロモンにかけての、イスラエル統一王国時代の芸術的表現もあります。「ソロモンの神殿」や「ダビデの詩編」は、特によく知られています。
 「ツタンカーメンの財宝」と「ソロモンの財宝」がすごかったのは偶然ではなく、その先代のアクナテンやダビデが芸術を愛好し、宗教体験も授かり、神さまから大いなるお力を現世的にも授かっていたことを表しています。
 それで、その息子の代になって、「ツタンカーメンの財宝」や「ソロモンの財宝」が残されたのです。如何にその先代の威力がすごかったか、を表しています。
 ブッダ時代には、初期仏典アーガマが編纂(さん)され、残されました。
 キリスト時代には、4つの福音書をはじめ、『新約聖書』が表現として残されました。使徒ヨハネも福音書と黙示録と手紙を残しました。これらは主に、言葉による文芸的な表現の作品です。
 
 飛鳥時代には、「飛鳥芸術」が残されています。法隆寺や四天王寺は、今でもそれを継承しています。例えば、法隆寺の釈迦三尊像は、聖徳太子とその周りの人たちの美術的な作品です。実際、釈尊に象(かたど)って聖徳太子像が造られました。聖徳太子は生前から、「ブッダだ」と見なされていたのです。シッダールタも聖徳太子も、太子でした。王の後継者の息子だったのです。
 奈良時代には、聖武天皇たちが「天平芸術」を残しました。東大寺、国分寺、正倉院宝物などとして。
 平安時代初期には、空海らが「弘仁(こうにん)芸術」を残しました。弘仁というのは、空海の最大のスポンサーであった嵯峨天皇の時代を、「弘仁時代」と言います。日本の今で言えば「令和時代」ということです。
 鎌倉時代にも親鸞は、仏像や阿弥陀像や自分の像を彫刻しました。また南無阿弥陀仏を文字で描き、一言メッセージも主な方に書いて手渡して差し上げていました。
 また、イタリアのルネサンスにおいて、ダ・ヴィンチやミケランジェロの後を継いで、ラファエルロが聖母子像をはじめ、多数の絵画を描き残しました。
 このようにARIのグループ転生は、「霊性を芸術的に表現する」ということに献身してきています。
 ノヴァーリスの場合は、文芸でした。
 タウラーも文章でしたが、音楽的な特徴が見られました。
 そしてこの現代におけるヨハネ・ペヌエルの表現も、ONEという最高の霊性の芸術的な作品と言えます。
 一つ一つのリーディングや講話やフォローアップセッションや語録、一言メッセージなど、全て芸術的な作品となっています。
 直前の前世の徳冨蘆花も、文豪であり、詩人でした。スケッチも描きました。宝物なども収集し、残しました。
 ラファエルロも徳冨蘆花も、自画像を描き残しています。
 ケイシーたちのグループ転生の場合なら、大ピラミッド建造期の芸術表現が、フランスのルイ王朝時代の芸術表現へと継承されているのが見られます。
 ARIの場合はもっと豊かで、何度も芸術的な霊性の表現に挑んできている経緯が確認できます。
 誰でも広い意味での芸術家であり、ARIのONEの教えでも、「一生を生きるということは、一つの大きな芸術作品を作ることに喩えることができる」と、再三伝えられています。
 
 本来の芸術家として生きることで、使命を全うできるのです。本当に良い作品ができるためには、自分の内面性が磨かれ、整わないと、とても良い作品ができるものではありません。
 手段としての芸術的な表現の技術を磨くばかりでなく、それ以前に、内面の霊性そのものを磨くことが必要です。内面性、プラス芸術的なテクニックです。それと人生経験も関係してきます。
 本当に内面性ができてきた人は、それが自(おの)ずと紡ぎ出され、それ相応の素晴らしい芸術的な表現が作られます。音楽においても、絵や彫刻や物的作品においても、また、文学や小説や詩においても。
 それで残された作品が宗教的な作品であると同時に、芸術的な作品でもあり、それに触れることで、その元にある作者の神秘体験や神さまの息づかいに触れることができ、触れた人たちもまた、その体験者の体験へと誘われていきます。
 例えば、ヨハネ・ペヌエルが自身の神秘体験を画文集として形にしています。それを呼び水として、縁のある方たちはヨハネと同様の神体験へと導かれる助けとなっているのです。
 もともと霊的な芸術作品には、そのような特徴と使命があります。例えば、ラファエルロの残した聖母子像に触れると、多くの人が癒され、満たされ、心が洗い清められます。
 
 シュタイナーは、深紅のバラを瞑想すると心が洗い清められ、アストラル体が聖杯に設えられることを説き、その瞑想を勧めました。
 自然の生きた題材である赤いバラを瞑想すると、人間の心に癒しと清めの効力があるというのです。
 自然は神の芸術作品です。それで神の子である人間たちも、芸術作品に挑むことで、まず作りながら自分が再形成され、洗い清められます。ちょうど祈りに自浄作用があるように。
 各自が作品作りに取り組むことを通して、芸術への取り組みで本人が清められ癒されます。また、表現したものによって自分に向き合い、自己調整が図られ、自己発見にも繋がります。これが、芸術の真の使命です。
 「なぜ人は芸術するのか」。それは、芸術に取り組むことで各自が自分に向き合い、自分が洗い清められる。ちょうど祈りや瞑想によって自分が誘われ、導かれ、清められ、癒されるように。
 絵を描いたり、作品を作ったり、楽曲を作ったりすることで、その取り組みを通して自らが洗い清められ、命が再調整され、カルマも解消へと向かうのです。
 このようにまず芸術的な取り組みによっても、人間は洗い清められ育成され、神に導き育てられます。
 ラファエルロもダビデもノヴァーリスも、そのようなプロセスを辿ったことでしょう。それが遂げられた時点で、死を迎えました。
 一方、素晴らしい芸術作品に触れることで、鑑賞する側の人もまた、名作からそして一流の作品から、良い感化やインスピレーションを得ることができます。
 例えば、ケイシー・リーディングやヨハネ・リーディングを聞くと、心身が洗い清められ、啓発されます。ケイシーやヨハネの元にある悟りや平安、生きた神体験がリーディングに表れているため、そのリーディングに触れると、リーディングを受けた側や読む側にも、良き影響が及ぶ。それでリーディングに触れることで、自分の中にもインスピレーションや生きる力や慰めが入ってくるのです。
 ラファエルロの聖母子像を見ると、見た側にも、ラファエルロの持つ霊性や穏やかさ清らかさが、聖母子像を通して、それに触れた人たちにも及びます。これが「絵画療法」です。
 
 このように作り手の側も、作品に触れる側にも、それぞれ効力があります。自ら絵を描くことで癒され、自分を取り戻していく。それと共に、そのようにして残された作品を見ることによって、見る人たちにも、作り手の効果が及んでいくようになる。
 このように「絵画療法」には、自ら取り組む人自身にも、それによって作られた作品を見る人たちの側にも、それ相応の影響が及び、恩恵がもたらされます。
 宗教的霊的な体験が本物であるほどに、そして作者の内面性が良いものであるほど、作品にそれが投影され、込められます。
 それにより、作る側の取り組みの中で、芸術によって成長し、カルマが解消するとともに、そうして残された作品に触れた人たちにもその恩恵が及んでいく、ということが起きてきています。ここに芸術の、真の使命があります。
 今回は特に「絵画療法」ということで、絵を通しての、もたらされる効力についてお伝えしました。
 ARIのグループ転生には、多分にこのような霊性と結びついた芸術的な使命があります。ARIの会報誌やライフシール画を見ても、そのことが形になって実現しているのです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17626

 
質問:超意識とは何ですか。超意識についてONEの観点からご教示ください。
 
ソース:超意識は、英語では「super consc-iousnes」と言います。一般の心理学では超意識は認めておらず、扱っていません。超心理学やトランスパーソナル心理学という、特殊な心理学の中でのみ認められ、扱われています。
 「何で一般の心理学では超意識を認めず、
扱っていないのか」というと、人間の中に魂があることを認めていないからです。
 人間は、頭と心と肉体から出来ています。そして、頭と心と肉体の元に魂があります。魂こそが、人間生命の本質です。
 また人間を、肉体と霊体の2つの体からなる生命存在と見ることもできます。その場合、肉体のほうに頭が帰属し、霊体のほうに魂が存在しています。心は、肉体と霊体の両方にわたっています。
 人間は肉体の死に伴い、魂が肉体におれ
なくなって、肉体から出ます。その時に死を迎えます。肉体上の死です。
 
 しかし、人間はもともと肉体だけの存在ではありません。霊体があります。むしろ霊体のほうこそ、自分そのものです。
 そこで肉体の死に伴い、肉体から霊体が出て、霊体が霊界のほうへと向かっていきます。
 その霊体の中には魂があり、また、魂の延長部分としての心もあります。そういう存在のあり方として、霊界でしばらく過ごすことになります。
 人間の中の「肉体」「心」「頭」、それから「魂」、それらにそれぞれ意識が備わり、意識が働いています。
 頭と肉体の中で働く意識が、顕在意識です。通常の意識です。それは、「建て前」を特徴としています。面子とかペルソナ的な、常識や論理や社会性に関わる意識です。常識とか人の手前とか、自分を取り繕うとかが、特徴となって働く意識です。理性が働く意識です。
 
 一方、心の中で働く意識は、潜在意識です。英語では「sub・consciousness」と言います。夜眠っている間に雑夢などで、よく動く意識です。潜在意識は、「本音」を表しています。その潜在意識は、「潜在意識A」と「潜在意識B」に分けて見ることができます。
 「潜在意識A」は、今世の肉体に結びつく、今世のこれまでの記憶と経験に基づく知恵や感情の動きと関連しています。
 一方「潜在意識B」は、前世の経験に基づく記憶と知恵とカルマを宿している、深い潜在意識です。
 仏教に当てはめるならば、潜在意識Aは、「末那(まな)識」、潜在意識Bが「阿頼耶(あーらや)識」に、ほぼ相当します。
 しかし人間は、頭と心と肉体だけの存在ではありません。魂があります。魂は神の分霊であり、人間生命の本質です。心の本体とも言えます。
 魂は神に由来するため、永遠不滅です。その魂の中で働く意識が超意識なのです。それは、「良心」を特徴としています。本当の愛と知恵が備わり、素直さや無邪気さなど、キリストが「幼子」と言われた、本来の心です。
 アダムとエバが、エデンの園で原罪を犯す以前の、本来の心が魂です。
 神秘家のタウラーの表現では、「魂の根底」、ドイツ語の「グラント(Grund)」に相当します。
 仏教では、「仏性」「如来蔵」に、ほぼ相当します。
 空海は人間の中に仏性を認め、「誰でも良いものが宿っていて、肉体のある今世のうちに悟りを開き、完成することができる」と、人間を肯定的に見ていました。仏性が誰の中にもあるがゆえに、「即身成仏」が可能なのです。
 「即身成仏」は、命の全体性の回復と実現、人間完成。すなわち、「ONEになること」です。
 このように、超意識は魂の意識であり、「良心」、それから「愛と知恵と創造」を備えています。
 落ち着いて素直になり、魂の元であられる天の創造主との関わりで、素直に現状の中で生きていくことで魂が目覚め、活性化します。
 
 魂の7つの機能がチャクラです。霊体に備わる7つの生命エネルギーの、生命装置です。クンダリニーという、自分の中の生命力の根源の目覚めとともに、7つのチャクラが稼働し始めます。
 「肉体」は両親をはじめ、先祖からの賜物です。自分の中の「頭と心」は、自分の前世たちからの賜物です。自分の中の「魂」は、創造主からの賜物です。
 従って、「肉体」は両親をはじめ、先祖に似ています。遺伝の法則によって。「頭と心」は、自分の前世たちに似ています。輪廻転生の因果の法則によって。自分の中の本質である「魂」は、創造主に似ています。創造主の分霊、分け御霊なので。
 大乗仏教になって、人間の中に「仏性」や「如来蔵」を認めるようになりました。しかし遡れば、ブッダの時から、ブッダの教えとして「宇宙の理法であるダルマに従いなさい。そして、自分をより所としなさい」と、説かれていました。
 ブッダの時すでに、一人ひとりが自分をより所として生きるよう、自分を大切にすることを、説き勧めていたのです。
 それがブッダの時からあったため、大乗仏教の時代に入って、「仏性」や「如来蔵」を認めるようになったのです。それを推し進めたのが、仏教の最後の段階で登場した「密教」です。
 特に日本の空海は、そのことをとても大切にし、強調しました。それが「即身成仏」の一言で表されています。これはONEの教えに通じます。一人ひとりが神の子であり、創造主と一体となることで完成を見ること。そのことに通じます。
 「ONEの教え」では、命の全体性の回復と実現、すなわち、「自分の中でのONE」を目指します。
 魂を主軸に据えることで、頭と心と肉体も収まり、それぞれが正当な位置を得て、魂の下で生かされるようになるあり方です。
 
 その場合、自分の中だけで完結することは困難です。キリストは「ヨハネによる福音書」の中で、次のように述べたことが伝えられています。
 「神さまは木の幹であり、あなた方一人ひとりは木の枝である。木の枝は、幹に繋がらなければ生きていけない」
 このキリストのお言葉は、「天の創造主が木の幹であり、一人ひとりの魂が木の枝である」ことを表しています。
 それゆえ自分の魂が、天の創造主という幹に接ぎ木されることが、どうしても必要になってきます。自己完結だけでは、ONEになれず、自己完成を見ません。
 そこで「ONEの教え」では、「1日を天への礼拝からスタートすること」を勧めているのです。そして「日頃も、天を敬い、天に従うこと」「天という真の基準に自分を合わせて生きるよう心がけること」を勧めます。
 そういう中でこそ初めて、自分の持ち味や個性も真に活かされ、役立ってくるし、カルマも解消し、今世の目的も遂げられます。
 神さまと一致するONEは、自分を押し殺したり否定することを意味しません。神さまに捧げられ、神さまと一致した時、初めて個性が活かされる。それが自分を大切にすることなのです。
 このように縦軸で、天の創造主に自分の魂が繋がらせていただくこと。それで魂が活かされ、チャクラも活性化して、霊体が活き活きしてきます。これが「キリストの復活」に相当します。キリストは、そのことをやってのけた存在です。
 
 そのことを「ヨハネによる福音書」の中では、「私イエスを通して、天の本源に還り着ける。私は道であり、真理であり、光であり、命である」。そう表現しておられます。
 縦の軸が据えつけられることで、自分が蘇生し、ONEが実現します。神人合一です。そうすると、本当に自分の中でも、ONEが実現してくるのです。そうなると、横のONEも実現してきます。
 『華厳経』には、「重重無尽縁起の法」が説かれています。
 「全ての命は、天の創造主の下で作られた同胞であり、兄弟姉妹です。全ての命は繋がり合い、一体です」
 これが大乗仏教の慈悲の精神の元にあります。お互いに天の創造主の同胞であり、兄弟姉妹である、と見るのです。
 本当に悟りが開かれれば、超意識が覚醒し、このことがわかり実感できます。そうすると、本当の慈悲に目覚めます。
 キリストとの関わりで超意識に取り組み、超意識が覚醒した時、超意識を「キリスト意識」と言います。「クライスト・コンシャスネス(Christ consciousness)」です。キリストの内臨です。
 または、超意識を「ハイアーセルフ」と表現する人たちもいます。より高い自己の意識です。「内なる神」と表現する人たちもいます。あるいは「シンガ」。シンガと言う場合に「神の我」「真実の我」、この2つの漢字を当てることができます。神我と真我です。あるいは「大我」、大いなる我。これらも魂と、魂の次元で働く超意識を表しています。
 「ヨハネによる福音書」の中でキリストは、「聖霊を送り届けてくださる」ことを言われています。その聖霊は「神性」、神の性質を表します。
 魂の次元で働く意識やさまざまな営みは、「霊」と呼ぶことができます。一般には「霊魂」などと、合わせて呼ばれます。魂は人間の本質です。その魂の働きが、「霊」と呼ばれるのです。
 また、霊の中には「神霊」と「心霊」の2種類があります。神の霊と心の霊です。「神霊」は、神さまや魂の次元で働く営み。心の霊の「心霊」は、心の次元で主に働く霊的な働きのことです。
 
 まだ悟っていない人間が霊になると、「心霊」です。一方、悟りを開いた存在や神々の霊が「神霊」、神の霊と呼ばれます。
 超意識が覚醒すると、チャクラも働きをなして助けてくれるようになります。
 ブッダとは、「目覚めた者」の意味です。悟りを開いて真実に目覚めた者です。
 「目覚める」というのは、「本当のことに気づいて自覚が生じた」ということ。無意識状態が自覚化され、意識化されたことが覚醒で、長い眠りから覚めて、働き出すようになる。自分を意識し、本当のことを自覚してくると、働きが活発化して助けてくれるようになります。いろいろなことに無自覚ではなく、意識し、気づくようになるのが「目覚め」、すなわち「覚醒」です。
 多くの人たちは未だ、超意識が眠っている状態です。それが目覚めてくると、活動を本格的に始めます。自分でもそのことを自覚できるようになります。カルマの因果や現実の動きが、意識できるようになります。長い眠りから覚めた者が、覚醒した者、ブッダです。
 ほとんどの人は起きているようでいて、眠ったままです。
 一方目覚めた者たちは、普通に見ると半分眠っているようなあり方ですが、本当には目覚めている者たちです。そのことを仏像では、「半眼」で表現しています。
 リーディングの時に眠りの状態で行うのも、常識的に見ると眠った状態が、本当に内側が目覚めた状態であることを表しています。
 大半の人たちは、表面の意識が目覚めて動いており、奥深い意識が眠って止まったままです。本当のことにまだ気づいていない、迷妄の状態です。
 一方、本当に目覚めた者「ブッダ」は、表面的には安らかで落ち着いていますが、奧深くが目覚め、活発に動いているあり方です。
 ほとんどの人は本末転倒の価値観であるため、物的に目覚めているのみです。浅い所が。そのため奥深くは眠りこけて、道理に昏(くら)いままです。そのため、不安や恐れや怒りや悲しみや欲望の虜になっています。
 
 一方、目覚めて完成したONEの人は、表面は穏やかで眠っているような、副交感神経型です。その分、奥深くが目覚め、活発に動いているあり方です。これが天界の存在のありようです。根源の神さまは、さらにそれが極まったあり方です。
 まず、価値観の見直しから始めましょう。本当の価値基準は、天の創造主と天界にあります。
 この世の常識も、それなりに意味がありますので受け入れましょう。しかし、この世の基準はほどほどにし、真の基準に自分を立脚させて生きていくのです。
 そうすると次第に、地上型から天上型に移行していきます。それが菩薩や天使のあり方です。さらにそれが極まると、神々とプルシャのレベル、さらには如来や神のレベルに到達します。
 空海は、生命段階を十段階に分けて説いています。『十住心論』という書物の中で。これが生命の進化と成長です。最後は、「密教の段階」「ONEの段階」です。
 超意識が覚醒した人は、「目覚めた人」「ブッダ」です。もはや人ではなくなり、菩薩や天使さえ超えて、神々のレベルです。
 天の創造主とは異なります。天の創造主は、ただお一人だからです。それでも中身は、天の創造主と同じになります。それが完成した型です。
 超意識が覚醒するためには、素直で幼子のようになることが助けになります。「ONEの教え」を学んで、それを指針とし、天の創造主への礼拝とお委ねを積み重ねていきましょう。
 
 置かれた状況で人々を思いやり、自分を活かして、周りの助けと喜びとなっていきましょう。
 そういう中で、自分の生命状態が次第にONE化してきます、自分の生命のあり方が。普段から自覚し、自分を意識していることで、奥深くが覚醒してきます。
 一般の夢は雑夢であり、潜在意識の働きです。それが次第に、意味のある夢を見るようになり、さらには「霊夢」「正夢」などを見るようになります。それが超意識の働きの夢です。こうなると、神体験や神秘体験が伴います。これが本当に目覚めた人です。
 ノヴァーリスは、「夢は現実となり、現実は夢となる」と表現しています。ビジョンが本当のものを現実に作り出すようになるのです。
 密教では、「密厳浄土」、あるいは「密厳国土」と言われます。
 自分を天に捧げながら、周りを思いやり、本来の自分を取り戻していきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17594

 
質問:2024年の立春を迎えるに当たり、本年の日本と世界に関して、胎蔵界的、金剛界的両観点から予測し、展望してください。併(あわ)せて、留意点、対処法もご教示ください。
 
ソース: 2024年は、石川の能登半島の地震から始まりました。また、その救援のため、羽田空港から海上保安隊の飛行機が離陸する際、ちょうど着陸してくる旅客機に激突し炎上する、という惨事にも見舞わ
れました。正月の頃には、他の地域でも火災が相次ぎました。
 2024年は、この事に象徴されるように、地震をはじめ、人々を驚かせるようなことが、何かと起きることでしょう。地震も、能登の地域の周辺で余震が続いています。
 そればかりでなく、他の地域や国々においても、今年は地震が起きやすい年となりそうです。
 また、ゲリラ豪雨や雷雨、竜巻や突風な
ども起きそうです。台風の被害も考えられます。
 関東大震災は9月1日、東日本大震災は3月11日、ニューヨーク同時多発テロは9月11日、能登地震は1月1日、阪神・淡路大震災は1月17日、そして今日は1月11日。全て1の付く日か月になっています。1は始まりの数だからです。
 今年は、それぞれの分野で、日本も世界も勢いを増し、活気づく年になりそうです。
 
 コロナもほぼ終焉を迎え、人々は「待ってました」とばかりに、動き出します。すでに、その動きは2023年から始まっていますが、年明けて2024年に入ると、なお一層勢いを増し、それぞれの分野で活気づきそうです。
 文化や国際交流、イベントなど、それぞれ活発に開催されそうです。
 人々も明るく元気になり、活気づき、勢いづいてきます。
 この数年温めてきた事を起こし始めそうです。何かと「事始め」のような、新しいことの始まりとなります。勢いづいて活気づく、明るさも増す。
 しかし、勢い込んで激しさも加わり、トラブルとか争いとか、驚くことが起きるなどが、伴いそうです。
 それぞれの人の、潜在的に持つ課題や欠点が増幅し顕わになります。それでいろいろ驚くことが起きたり、物事が決裂したり、争いになったりしそうです。
 ロシアによるウクライナ侵攻も激しさを増し、抜き差しならぬ事態に陥るかもしれません。  また、イスラエルとパレスチナの自治区・ガザを支配するハマスとの争いも終わらず、むしろ激しくなりそうです。さらに、周辺諸国の中近東も関わり、複雑で難しい様相を呈する可能性があります。
 ロシアがウクライナに対して、原爆を使用することはないにしても、何か大きな、爆弾のようなものを投下する危険性があります。あるいはそれが、精神的な打撃として襲うこともあります。
 問題な事にしても、うれしい事にしても、活気づいて勢いを増し、びっくりするようなことやショッキングな事が起きて、事態が急転することが何かと多く、激しくて騒々しい年になりそうです。
 政治や経済や外交の面においては、見直しと再調整が迫られます。日本国内においても、世界的にも。
 日本国内においては、自民党の裏金問題が発覚し、政界は動揺し、不安定です。それへの対応が行われるようになります。
 しかし、なかなか進展を見ず、手こずります。それでも、夏以降に次第に、政界は整理され、整ってくる可能性はあります。
 外交の面においては、日本と他の国々、また他の国々同士、難しい複雑な関係になってきていますが、それらに取り組みます。
 良い関係はますます良好となり、一方、潜在的に課題を抱えていた面は顕在化して、決裂したり、対立関係になったりします。
 
 2023年は夏ばかりでなく、1年を通して最も暑い年となりました。地球の温暖化が、顕著になりました。2024年も、それに近い気象状態になりそうです。温暖化の傾向は止みません。
 農業や漁業は異変が生じ、そのマイナス影響が出そうです。
 何かと、争いやけんかや対立などが生じ、問題が顕在化して、決裂したりすることが起きる、騒がしい年回りとなりそうです。それも全体として、コロナが明けて人々が動き出し、目覚めて、勢いづいてやりたかったことを始め、推し進めることによります。
 全体としては、活気づいたエネルギッシュで元気な年とはなります。それゆえ、態勢が整い、より良く準備して適切に行う人たちにとっては、収穫の多い、前進する年となります。また、長年温めてきたことを起こし、活発化して発展する、伸び盛りの年となります。
 しかし、課題を抱えてきた人や組織や国にとっては、問題が発覚して爆発するようなことや、ショッキングなことに見舞われそうな年です。
 今年は辰年で、辰は龍に通じます。龍には、火(か)龍と水(すい)龍とがおられます。火の勢いと災い、水の勢いと災い。これも、「吉と出るか、凶と出るか」は、それぞれの持っているものによります。潜在的にあるものが現れ出る年となります。外界は内界の表れです。
 その時点のその人たちの内実を表す、現実の状況と動きと、雰囲気と、体験になります。
 今年は特に顕在化して、結果が正直に、そのとおり出る年となります。このことを知って、各自自分の内面を見つめ、整える年としましょう。落ち着いて対応すること。
 
 そして上手に適切に、内面のものを表し出し、良い方向づけをとって取り組みましょう。そうするならば、今年は飛躍の年となり、発展が期待できます。
 活気づき勢いづいて、何かと騒々しく、いろいろなことが顕在化して起き、予想外のことも起きてびっくりして、対処を迫られ、事態が急転したりしそうです。龍の勢いが感じられます。
 今年はそのように、活気づいて激しさを増し、びっくりするような事が起きやすい、慌ただしい、しかし元気で、前進し、動きもある年になりそうです。
 そうであるからこそ、元旦早々、それを象徴するかのように、能登地震と羽田空港での事故が起きたのです。そして、余震も続いているのです。
 他の地域や国々でも、地震が起きる可能性が高いのです。そうならないとよいのですが、そうなりやすい勢いや激しさが、感じられます。
 そのことを知って、予め対策し、備えておきましょう。必要以上に恐れたり、警戒する必要はありません。
 全ての元であられる天の創造主によくお祈りし、お任せしましょう。後は、神さまを信じて落ち着いて、各自置かれた所で、自分のバランスを取って、エネルギーを適度に出しながら、上手に運用しましょう。
 とかく勢いづく年となりますので、その分自重し、落ち着いて、平静な心で物事に臨みましょう。
 控える必要まではありませんが、良い心がけを持って、勢いを活かして良い流れに乗り、自分の良さが出るように、一方、自分の欠点が出ないように、留意しましょう。全ては因果の法則で動いています。
 人生は全て自分次第です。自分次第でどうとでもなるのが人生です。その意味で、はやる気持ちを抑え、一度見直した上で調整を図って、慌てず、落ち着いて、物事を適切に、そして適度に行うように留意しましょう。
 今年は夏に、パリで五輪が開催されます。そのことも、今年を象徴するイベントとなりそうです。
 パリでの五輪ばかりでなく、世界的にも、日本国内でも、文化的なイベントや交流が、活発化しそうです。音楽のコンサートやスポーツのイベントの開催なども、活発化しそうです。
 事件とか事故とかトラブルも、何かと起きそうです。通信関係でも、思わぬトラブルや異変があるかもしれません。
 
 すでに世の中はネット社会で、フェイクニュースなども蔓(まん)延しています。そのようなことも人を惑わせ、ネットの世界でもごたごたがありそうです。
 芸能の方面でも、すでにジャニーズ問題がありました。そういったことでも、今年もその関連のことがいろいろ発覚し、取り沙汰されることでしょう。
 これまで潜在的に問題だったものが顕在化して発覚し、人々がびっくりしたり、ある物事が終わり、新しいことが始まったり、急展開する、慌ただしくて落ち着かない、勢いのある時期を迎えそうです。
 それが吉と出るように、自分個人としても組織やグループとしても、さらには国としても、こういう時こそ見直して落ち着き、勢いが良いほうに現れ出るように、留意しましょう。そうすれば前進し、発展できるチャンスとなりそうです。
 
 エネルギーが動き、これまで温めてきたものが一気に顕在化して動き出し、活発化する時期を迎えます。そのことに気づいて、その流れに上手に乗りましょう。
 いつでも八正道と中道が、王道です。いついかなる場合においても、八正道と中道が、天地の摂理に適った正道です。ONEの道です。
 こういう時こそ落ち着いてよく見直し、調整を図り、物事や事態を見極め、きちんと愛と知恵をもって、適切に応じていきましょう。素直で謙虚に、人を思いやって。
 そうすれば追い風を受けて前に運ばれ、発展し、喜びの実りがあることでしょう。そのように捉え、心がけ、応じていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17589

 
質問: 2023年に起きたさまざまな出来事と、その霊的意味、必要な学び、天の意図をお伝えください。
ここで、2023年の日本と世界の総括をお願い致します。
 
ソース:2023年には、主な出来事として以下のようなことがありました。
 地球規模の課題について意見を交換する主要7か国首脳会議「G7サミット」が、5月、日本の広島市で開催されました。
 ロシアによるウクライナ侵攻や核兵器を巡る問題など、さまざまなテーマについて、そこで話し合いがなされました。
 G7サミットが日本で開催されるのは、7回目でした。
 これまで日本国内では、東京サミット、九州・沖縄サミット、北海道洞爺(とうや)湖サミット、伊勢志摩サミットなどが開催されてきました。今回、日本での開催7回目は、広島となりました。
 奇しくもこのすぐ後、ARIにおいても7月上旬、広島でのリーディングと講話の会が再開されました。これがまた始まりとなり、2024年以降、広島市でもARIのリーディングと講話の会が、年2回ずつ開催されることが決められました。
 
 2023年の主な出来事として、地球の温暖化がさらに深刻さを増しました。その現れとして、日本では7、8月と、最も暑い夏となりました。さらに1年を通しても、暑い1年となりました。それだけ温暖化が深刻化してきていることを表しています。
 その理由は、世界人口が増えてきている上に、1人当たりのエネルギー消費量が大きくなってきていることにあります。
 ここで人間はこのことから教訓を学び、経済的成長などよりも霊的成長、また心の成長を目指すべきです。この2、3年のコロナの蔓(まん)延も、そのことと無関連ではありません。
 
 これから必要なのは、物的な科学技術の進歩や経済成長よりも、人間自体が成長し、それによって、それほどエネルギーを使わなくても済むようなあり方になることです。
 ただ我慢するということでなく、身の回りのことで満たされ、感謝し、充実すること。
 目に見えない世界があることを知って、それを大切にし、その表れとしての自然も愛し、自然に感謝し、自然と調和するあり方を取り戻すこと、です。
 それによって初めて、地球と人類が共存でき、これからも人類は、地球上で存続を許されることになります。
 2023年にはAIも話題になりました。AI自体には可能性と役目もあるのですが、人間が今のままだと、AIを開発し、そして使うようになっても、問題が出てくることは目に見えて明らかです。実際、そのようなことが起き始めています。
 
 AI自体は悪いものではないのですが、あまり過信しないこと。そして何よりも人間がもっと成長して、AIを良い方向で開発し、そして、良いことのために人間がAIを活用していくことが肝要です。
 2023年は、関東大震災が発生してから100年の年でした。神奈川県西部を震源とする巨大地震によって、多くの人命が失われた関東大震災。1923年9月1日に起きました。
 その後、日本では1995年に阪神・淡路大震災、2011年には、東日本大震災に見舞われました。
 特に、東日本大震災では、津波が引き起こされ、津波自体の被害とともに、津波によって福島第一原発が破損し、放射能汚染に見舞われました。
 処理水を海洋に放出することにおいても中国などが反発し、地元の漁業関係者の方々からは、風評被害などを心配するお声が上がっています。
 
 2023年には、物価の高騰がありました。これは2022年から始まり、2023年も続いています。
 日本は久しぶりに、デフレからインフレに転じました。ドル高・円安にも、見舞われています。円安と、コロナが5類に引き下げられたこととで、多くの観光客が海外から日本にやって来られるようになりました。
 それ自体は望ましいことですが、日本が円安であるということは、日本が経済的に弱体化していることを表しています。
 ロシアによるウクライナ侵攻が長期化しています。2022年2月下旬に始まり、2年近く経った現在もなお、戦況は変化しながら続いてしまっています。長期化の様相を呈しています。
 ウクライナ側に疲れが見え始めています。また、欧米からの支援が、消極的になってきています。
 
 2023年10月には、イスラエルに対しパレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラムの過激組織ハマスが、10月、大規模な攻撃を仕掛けてきました。その争いは激しさを増し、大勢の命が失われつつあります。
 イスラエルは、1948年に建国された新しい国です。人為的に、計画に基づいて建国され、その際、パレスチナのアラブ人は、自分たちの故郷を追われました。それ以来、両国の間での争いがくり返されてきています。
 イスラエルのパレスチナに対する報復攻撃は激しく、ハマスを根絶しようという勢いです。しかし、争いによって争いは、止むことはありません。怨みによって怨みを消すことはできません。ここでも、人間の心の成長と魂の進化が求められています。
 イスラエルの国は『旧約聖書』と『新約聖書』を生み出した、霊的に重要な国です。そのイスラエルの国と民族が、このようなことを行っているのは、残念なことです。
 
 このような時に当たり、日本がこれからの時代、物的な科学技術とともに、霊的な面を始めとする文化の面で、世界に貢献できるものがあります。
 2023年、世界一の人口は、中国からインドへと移行しました。この1つの理由は、中国の一人っ子政策の影響があります。一人っ子政策はすでになくなりましたが、その影響が出てきた現れです。世界人口は増え続け、80億人を突破しました。
 一方、ヨーロッパ諸国は横ばい状態であり、日本や韓国は減少傾向です。
 日本の人口が減少気味なのは、少子化によります、「これまでの人口は多すぎた」とも言えます。ただ、少子化が進みすぎているため、これからの20年、30年の日本の福祉は、また労働も、大変になります。
 
 さらに、人口が減少気味なこと自体はそれほど悪いことではないのですが、日本の国力が弱体化しつつあること、日本の元気がなくなってきていることの、一つの現れにはなっています。
 ここで日本が、日本古来の魂に立ち戻り、目に見えない世界を大切にして、建て直すことが、必要になってきています。
 2023年には、新型コロナウイルス感染症の法律上の位置づけが変わり、それによって「日常」が戻ってきました。
 一方、ウクライナ侵攻は未だに続き、パレスチナ自治区ガザでは戦火が広がり、大きな問題となりつつあります。
 芸能界では、性加害などの問題が明らかになりました。
 政界では政治と金を巡る問題で、日本は大きく揺れ動いています。
 
 スポーツ界では、特に、大リーグで活躍する大谷翔平選手が、日本選手として初めての本塁打王になりました。
 将棋界では藤井聡太八冠が誕生しました。
 2023年の1月には、まず、岸田首相がコロナを5類に引き下げる考えを表明しました。また、「異次元の少子化対策」と銘打って、日本の少子化対策に意欲的に取り組むことを主張しました。しかし、その中身は曖昧で、実効性に欠けるものでした。
 2月には、トルコの南部からシリアの北部にかけて、巨大地震が発生しました。
 
 日本国内では、マスク着用について、3月13日から、基本的には個人の判断に委ねることを決定しました。
 2022年に生まれた子どもの数が80万人を割ったことを、厚生労働省は公表しました。
 3月には、日本の岸田首相と韓国の尹(ゆん)大統領が会談しました。互いに関係を改善することで、一致を見ました。これは一歩前進であり、喜ばしいことです。まだまだ日本と韓国との間には溝がありますが、これは一つの、良くなる兆しと言えます。
 
 一方、日本と中国との関係は、この数年、あまり良い状態とは言えません。日本は近くの国々と関係を良くするために、努力を惜しむべきではありません。
 3月には、野球の第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本は3度目の優勝を果たしました。スポーツの世界において、日本の力が示されました。大谷選手を始め、皆が一丸となってそれぞれの選手が活躍したことの、良き現れでした。
 4月には、日本の総人口が1億2千4百94万7千人と、12年連続の減少であることが公表されました。
 4月27日に、5月8日から新型コロナを5類に引き下げることを、正式決定しました。
 5月には、ジャニーズ事務所創業者による性加害疑惑を巡り、藤島ジュリー景子社長が謝罪しました。ここからジャニーズ問題が始まりました。
 5月には電力7社の、家庭向け規制料金の値上げを政府が了承し、6月から引き上げがなされました。日本の物価高騰が、いろいろな面に表れ出しています。
 5月19日には、先ほど述べられたように、主要7か国首脳会議「G7サミット」が、広島で開幕しました。G7首脳は、原爆資料館を初めて揃って訪問しました。これは日本にとって、とても重要な出来事でした。 「外界は内界の現れ」です。そのような日本と世界の内実になってきたことの、象徴的現れの一つでした。
 6月には、健康保険証をマイナンバーカードと一体化させる改正法が、参院本会議で成立しました。しかしこれは上手くいかず、8月にはマイナ保健証で誤登録が8441件もに上りました。新たに1069件確認されたと、政府が公表しました。
 8月には、ガソリンの全国平均価格が1リットル、185・6円となり、15年ぶりに最高値を更新しました。
 9月には、バスケットボール男子W杯で、日本は順位決定リーグ最終戦で、カボベルデを破り、パリ五輪出場権を自力で獲得しました。これは48年ぶりの快挙でした。日本に元気をもたらしてくれました。
 10月には、大リーグのエンゼルスの大谷選手が、日本選手初の本塁打王を獲得しました。投手を務めながらの本塁打王は、1918年、19年の、ベーブ・ルース以来のことでした。大谷選手は「規格外の選手」と言われています。
 
 現在の日本には、大谷翔平や藤井聡太などを輩出する魂の力があることが、示されました。
 10月7日には、イスラムの過激派組織ハマスが、パレスチナ自治区ガザ地区からイスラエルに対し、大量のロケット弾を発射しました。それに対し、イスラエルは報復空爆を行いました。双方に多数の死傷者が出ました。
 これで終わらず、むしろこれが始まりとなり、エスカレートしているのは残念な限りです。それだけ根深いものが、その地域にはカルマ的に深く宿っていることの現れです。
 将棋の藤井聡太が、王座のタイトルを獲得し、史上初の八冠独占を達成しました。先天的な能力はさることながら、そのようなものを授かる役目を頂いて出てきた人物であることが、明らかです。熱意と努力と役目が、そのようなことを実現させます。先天的能力+経験値+役割です。
 11月には、旧統一教会の会長が記者会見し、献金問題を巡って、元信者らに「心からお詫びする」と表明しました。しかし、これは本当の解決とは言えず、まだ問題は残っていることでしょう。それが今後、どのように解消するかが、問われていきます。
 大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手が、ア・リーグ最優秀選手に選ばれました。投票した記者30人の全員が1位に入れました。2度目の満票は、史上初です。
 12月には、岸田文雄首相が、裏金疑惑のある松野官房長官を含む、安倍派の4閣僚ら、計12人を交代させました。
 自民党派閥の政治資金パーティーを巡る問題が明らかになり、東京地検特捜部が、安倍派と二階派の各事務所を家宅捜索することが行われました。
 政治の腐敗した面が、今の時期、明るみに出ました。それによってカルマが清算され、政治の世界も一新されることでしょう。また、一新されねばなりません。
 
 2024年には、パリ五輪が予定されています。台湾総統の選挙もあります。ロシア大統領の選挙、アメリカ大統領の選挙も控えています。
 このような中、ONEを学び、ONEの方向で全体のためによくお祈りし、根源の神さまにお任せしましょう。
 そして各自、自分の置かれた所で、できることを精一杯果たしていき、それによって世界の一助とならせていただきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17542

 
質問: 愛とは何ですか。ONEの観点から愛についてご教示ください。
 
ソース: 宇宙のあらゆる命たちの親であられる天の創造主には、2つの属性、働きがあられます。それは「愛」と「知恵」です。特に愛は、相手の成り立ちと幸せを心から願い、その助けになることです。
 霊的世界における創造主は、物質界にも反映してきています。それが物的な太陽です。それで、太陽を見れば天の創造主がわかります。太陽が創造主を知り、創造主に近づくヒントになります。
 もともと地上に人間として生まれてきた存在たちに、地上に来ても自分の魂の親であられる神さまを忘れないように、神さまが人間たちへの配慮として、太陽を物質領域にも置いてくださっているのです。
 
 天の創造主の特徴は、「愛と知恵」ということですので、物質界の太陽にも物的反映としての「愛と知恵」があるはずです。それが「温かさと明るさ」です。創造主の愛が、太陽においては温かさと熱、温度として表れています。一方、創造主の知恵は、太陽の明るさ、光、輝きとして表れています。
 創造主は、あらゆる命たちの親であり、命たちの元です。それを表すかのように、物質界における生き物たち、人間を含めたあらゆる生物の元に、確かに太陽はなっています。
 太陽の「熱と光」「温かさと明るさ」、その両方で人間を含めたあらゆる生き物たちが地上でも生きておられます。
 
 生き物たちには、温度と明るさが必要なのです。それは、植物などを観察することでもわかります。適度の温度と日照時間の長さによって、春になると植物や木々は芽吹いてきて、条件が揃ったところで花も咲き、実も実ります。人間も同様です。
 この太陽の温かさと明るさは、霊界の創造主の愛と知恵を表すものなのです。創造主の愛と知恵によって、人間をはじめ、あらゆる生き物たちは生きていられます。
 
 愛が欠けても、知恵が欠けても、人間をはじめとする生き物たちは成長せず、生きてはいけません。
 一般的なイメージとしても、愛は確かに温かさや熱として象徴されています。また、知恵のほうも、明るさや光として象徴されています。人間はどこかでニュアンスとして、神の愛は温かさとして、神の知恵は光や明るさとして、認識しているのです。
 人間は、神によって創造された神の子です。それゆえ、親であられる神によって、育て導かれつつあります。
 愛と知恵には、それぞれ無数の段階があります。レベルです。例えば、愛には愛着、愛欲、妬(ねた)み、怨(うら)み、囚われもあります。
 人間が輪廻転生しながら生かされ、育て導かれているのは、愛も知恵も成長し、本物化するためです。そのため、キリストやブッダは、愛にも知恵にも優れていました。
 
 霊的成長の段階とは、愛の段階と知恵の段階を表しています。愛がより本物化し、知恵も本物化する。それが成長ということ。そうなるよう人は人生を生き、輪廻転生もして、親であられる神によって人生体験を通して育て導かれています。
 人生で起きることは全て、愛の何たるかを知るため、愛を理解し、会得し、実践するため、起きてくることばかりです。
 また、本当の知恵がどんなものであるかを理解し、会得し、実践できるためにも、その時点のその人に必要で、ぴったりで、効果的なことが起きてきます。
 本人のカルマや課題を使って、神が人間を訓育し、育て導いてくださっています。それによって一人ひとりが、出来事と体験を通して、神さまによって育て導かれています。愛も知恵も、本人の中でより本物化するためです。
 
 その人その人によって、愛にも知恵にも得意な面と苦手な面があります。それを神さまはよくご存じで、本人に今必要で効果的なことを起こして、その人の愛や知恵の、まだ不足した面や濁った部分に気づかせ、清め、育て上げつつあります。
 それは訓練なので、不本意でつらいことも多いです。その分薬になり、成長の効果があるということ。これが、人生でいろいろつらいことや不本意なことが起きてくる説明になっているはずです。
 これをカルマの観点からも説明できますが、このように愛と知恵が成長し、本物化するために、その時点のその人に必要で、ぴったりなことが起きるということから、人生体験の説明ができます。
 
 人間は、頭と心と肉体からできています。
その頭と心と肉体の元に、魂があります。その魂が、人間生命の本質です。その魂の部分は神さまの分霊、分け御霊です。
 それゆえ、魂が命の本源であられる天の創造主と繋がらせていただくことで、魂が清められ、活性化します。それによって魂を通して、頭も心も肉体も活性化し、この世で元気に生きられます。
 「ヨハネによる福音書」の中に、主のお言葉として、「神さまは木の幹、人間の魂は木の枝」のたとえ話があります。枝は幹に繋がってこそ生き続けられ、発達でき、花を咲かせ、実を実らせることができます。
 それと同様に、人間の中では魂が最上位ではありますが、魂は木の枝です。それゆえ、魂がどんなに自分の中で上等でも、天の創造主と繋がってこそ生き続けられ、発達することができ、花を咲かせ、実を実らせることができ、次の種も宿すことができます。自分だけでは限界があり、他力が大切です。
 
 木の幹である天の創造主に、しっかり繋がらせていただきましょう。そのために天への礼拝をさせていただいたり、天の創造主の教えであるONEを学び、生きる指針とさせていただくのです。そして、人々のために生きるのです。
 自分を作り、自分を活かし、人のためになることで神さまと繋がらせていただけて、元気になります。
 人間は頭と心と肉体からできていて、それらの元に魂があるということです。取りあえずわかりやすく対応させると、「愛は心」「知恵は頭」に属する働きです。その元はもちろん、自分の中では魂にあるのですが、本体であられる神さまの愛と知恵の反映として、自分の中の魂に愛と知恵を授かっています。それが発達するためには、天の創造主と接続させていただくことです。
 そうすると、魂に神の愛と知恵が注入されてきます。そして、魂の中の神さまから授かった愛と知恵が、愛は心に、知恵は頭に、主に表れてくるのです。
 
 また、神の3番目の属性であられる「創造力」は、魂を通して肉体に現れていきます。必要な行動を取って、それで必要なものが作られていくからです。
 「愛は心」「知恵は頭」、ということですが、心は胸の辺りに位置しています。頭は文字通り頭に位置しています。それで、自分の中で表れている働きとして、心のある胸の辺りに愛が、知恵のある頭に知恵の働きが出てきているのです。
 チャクラで言えば、愛はアナハタチャクラ、知恵はアジナーとサハスラーラチャクラを司っています。
 人によって頭人間、心人間、体人間と、わかりやすく便宜上3分類できます。リーディングや「ONEの教え」で、時々説明されていることです。
 自分のタイプを知って、長所をさらに伸ばし、弱点を補っていきましょう。実際、そのようなことが神さま直々に人生で起きてきて、体験させられます。
 
 頭人間は、知恵を重んじます。心人間は、愛を重んじます。体人間は、実行力と神の創造力を重んじています。
 愛とは、生命力です。元気さと命の元、また喜びの元。それが愛です。愛があると元気になり、喜びがあり、生命が活発化します。一方知恵は、理解をもたらします。理解によって、気持ちに安らぎがもたらされます。
 大まかに見て、キリスト教は愛を大事にします。一方仏教は、知恵を大事にします。愛は生命力であり、元気さと喜びをもたらします。一方知恵は、理解をもたらし、安らぎや平安をもたらします。
 仏教で、「抜苦与楽」という表現があります。苦しみを抜いて、楽しみを与えることです。
 わかりやすく対応させるならば、「抜苦」すなわち苦しみを抜くのは、知恵です。知恵が理解をもたらし、それによって気持ちが吹っ切れて、苦しみが和らぐからです。知恵には、苦しみを和らげる薬の働きがあります。
 
 一方、積極的に「与楽」、すなわち楽しみを与えるのは、愛と自由です。愛によって生命力が与えられ、元気さと喜びが湧いてきます。楽しみです。
 まず「抜苦」という消極的な働きで、底上げをする。それが癒しです。それが仏教の使命です。仏教は知恵の宗教です。物の道理を教える。特にカルマの因果応報を教える。それによって、「なるほど」と思えて納得し、起きてくることを受け止め、安心して応じられるようになります。
 このように底上げすること。救済。それが「抜苦」です。知恵が理解をもたらします。心を平安にさせ、苦しみから解放します。
 知恵は真理を与え、心に安らぎをもたらすのです。仏教ではそれをニルヴァーナと表現します。救いです。地獄からの救済です。自分の生命状態が良好になることが救いです。
 一方、キリスト教のほうは底上げされた所から始め、愛によって「与楽」をもたらします。積極的に、今度は楽しみを与えます。愛は生命力であり、元気さと喜びをもたらすのです。このように愛は、生命力の元です。元気の元とも言えます。
 愛のある人は、温かく優しく、活力に満ち溢れて、エネルギッシュです。イエス様も活力に満ち溢れ、明るくて活き活きしておられました。そのため、多くの方の病を癒すことができたのです。
 愛は温度、熱、温かさです。また、冷えた人を温めることができます。氷も溶けます。さらに、水が温まり沸騰し、気化して天へと還っていくことができます。
 
 愛は炎のようです。キリストは復活した時、白い炎で燃え上がっていました。
 愛のある人は温かく、元気です。そのため、ほかの人のこともストーブのように温めることができます。冷えて凍りついた人を、ちょうど氷のようになっている人を温め、癒し、溶かすことができる。さらに元気にさせることができます。
 人は、愛によって生きていられます。何かを愛することで生きていられます。先ほど、「愛にも知恵にも無数の段階がある」と説明しました。
 誰でも愛があるのですが、ただその愛の種類とレベルが、人によって皆異なっているのです。低次の愛から高次の純粋な愛へと向かっていくのが、成長、進化です。
 愛だから全部良い、ということではありません。知恵にしてもレベルがあり、種類もあります。知恵だから全部いい、とばかりは限りません。悪知恵もあります。だまし討ちや策略、いじめ、詐欺など。
 悪魔というのは、愛も知恵もあるのですが、愛も知恵も好ましくないものになっている、ということなのです。
 スウェーデンボルグはわかりやすく、次のように説明しました。「地獄の存在たちは、自己愛と世俗愛が特徴である。一方、天国の存在たちは、神への愛と利他愛が特徴である」と。「天国と地獄」「天使と悪魔」は対極を成し、バランスを取り合っています。
 人間は誰でも自分の中に、天使的な面と悪魔的な面を合わせ持っています。それで天使と悪魔の間ということで、「人間」と言います。
 
 自分の中の悪魔的な部分に気づき、そこを癒し、良いほうに向けていきましょう。一方、自分の中の天使的な面に気づき、それをますます磨き、善用し、育成し、発揮していきましょう。自分がどうなるかは自分の生命エネルギーの向け方次第です。
 神さまは、命の元です。その生命力がチャクラを通して人間にも与えられます。それは「黙示録」の中で、「両刃(もろは)の剣(つるぎ)」として象徴されています。
 神さまから授かる生命力を、善用すれば善業(ごう)となり、悪用すれば悪業となります。良い働きである善業は自分を成長させ、天使にさせていきます。成長と救いの道です。
 一方同じく、神さまからチャクラを通して授かる生命力を悪用すると退化し、地獄へと向かう滅びの道です。
 同じ神さまから生命力を授かっても、当人が自由意思をどう使うか。良く使うか悪く使うかで、善業にもなり、悪業にもなる。進歩もすれば、堕落もする。その自由意思の使い方如何にかかっています。
 そこで「天への礼拝」と「ONEの教え」を授かることで、自分を良いほうに向けていくことができます。これが本当の意味で、「自分を大事にすること」です。
 先ほど、「自己愛は悪魔の特徴」と出てきました。エゴのことです。しかし本当の自分への愛は大切であり、悪魔的ではありません。その辺りのことが、伝統的なキリスト教や仏教では、よくわかっていません。また、世俗愛ということにしても、奉仕的なことや役立ちなどは大切です。
 本当に世俗的で俗物化するのは、好ましくないということです。欲望や感情が好ましくないほうに向かうことが、世俗愛です。
 
 特に、天の創造主とその表れである天界を無視したり、軽んじたり、天の創造主に逆らうようなことが、悪です。それが世俗愛です。
 世の中には常識人たちが増えてきています。それは良いようで、霊的に見ると好ましくありません。結果として、天の創造主と天界を軽んじ、逆らってしまっているからです。
 本当の基準と真理と権威は、天にあるのです。現代の特徴は、天に関して著しく無知で、結果として天をないがしろにしていることです。
 そこで、「ONEの教え」が求められてきます。真の基準と権威は、天にあるのです。この世の基準や権威は、その下で相対化されます。この世のことも否定してはなりません。常識にも逆らわないほうがよいです。
 ただ、天の基準を第一とするべきです。そして、この世の権威や基準は程々にし、あまり囚われないことです。それなりに受け入れ、従うくらいがよいのです。
 この世にはいろいろな権威があります。基準もあります。それらは天のみ光に照らされてこそ役立ち、基準となり得ます。これが健全な本来のあり方です。
 
 世の中は、本末転倒になってしまっています。天のほうが先であり、地上のことは後なのです。これが本末転倒しているのが、世俗愛です。欲望や感情が、俗世間のほうに取り込まれてしまっているのが、地獄的なあり方なのです。愛と知恵を、本来の基準に戻しましょう。
 愛と知恵は、重要な両極をなし、バランスを取り合っています。仏教の真言密教では、愛と慈悲は胎蔵界マンダラ、知恵と真理は金剛界マンダラで表されています。金胎不二の、両部マンダラがONEです。
 その上で見るならば、愛のほうがより本質的で重要です。知恵と真理は、それに続く重要な働きとなります。
 愛は本当の善と繋がっています。その善が、知恵である真理と一つになると、元気が出ます。天国にはそのような特徴があるので、天国は明るくて活き活きして、元気なのです。善と真理の結合です。
 そのことに気づき、この世に生きているうちから、このようなありようを心がけ、目指し続けましょう。その努力が尊いのです。その中で、ちょっとでもうまくいったら素直に喜び、感謝し、次に繋げていきましょう。
 たとえすぐに上手くいかなくても、自分にも人にも落胆せず、責めることもせず、また見直して取り組みましょう。こうして、自分のことも人のことも、根気よく育てましょう。
 愛も知恵も車の両輪として必要で、それによって前に進んでいくことができることでしょう。神のお力あって、そのことが叶います。他力の中で自力も発揮し続けるならば、魂は天へと還っていくことでしょう。一方、地上にも天国が訪れるでしょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17515

 
質問: 神秘的な体験は本当にあるのですか。あるとしたら、それはどのようなもので、そこにはどんな意味があるのですか。
ONEの観点からご教示ください。
 
ソース: 神秘的な体験は確かにあります。あるばかりでなく、それはとても重要です。
 神秘的な体験は、古来、世界中の至る所で起きてきています。『旧約聖書』や『新約聖書』にも、数多くの神秘体験が紹介されています。『新約聖書』の中では、「ヨハネ
の黙示録」に顕著に見られます。それは、聖書の時代以降も続いています。神は生きておられ、働かれ続けているからです。
 人間の側も、それ相応に成長し、神さまに取り扱われ、それが必要で条件が揃った所では、その状況とその人に見合う神秘体験が起きてきています。そしてこれからも、置き続けることでしょう。
 
 神秘体験は、宗教を中心に起きてきていますが、宗旨宗派に限定されないところに、特徴と良さがあります。真実自体は普遍的
であり、法則も満遍なく一貫して働いているため、教義や信条や宗旨宗派に限定されていません。さらには、信仰がない人にも条件が揃えば、起きます。
 ただ、思い込みや思い過ごし、あるいは主観的なイマジネーションなども混在し、本当のものと、空想や幻想などと、それぞれあります。使徒ヨハネも十字架のヨハネも、その時代の好ましくない神秘主義を戒めていました。
 ただ単純に、本当か、主観的なものか、はっきり二分できないものでもあり、人間が体験することである以上、本当のものでも主観や象徴的な部分が、ある程度入り交じっています。
 
 一方、空想や思い込みの場合でも、全く荒唐無稽で根拠も意味もないということも少なく、よく見ていくと、なにがしかの根拠や理由や意味や目的があったりするものです。それは、夜見る夢と同様です。単純に、本当のものか、そうでないものかを、二分できない事柄なのです。
 神秘体験の良さは、「宗旨宗派に限定されないところにある」と言いました。さらに神秘体験は、あらゆる宗教や霊的世界の核となるものであり、神秘主義はそのため、宗教の本質と生命になっています。
 ユダヤ教には「カバラ」があり、イスラム教には「スーフィー」があります。仏教には「密教」があり、キリスト教にも「キリスト教神秘主義」があります。
 このように、神秘主義の元となる神秘体験は、あらゆる宗教の奥深くにある本質を成す、大事なものとなっているのです。
 浅い宗教ほど神秘体験が少なく、奥深くて真実であるものほど、神秘体験が多くあるようになっています。神秘主義は、顕教以上に体験と実践と会得を重んじます。
 しかし、神秘体験は目的とするものではありません。自らを誇るためや好奇心で求めるものではありません。神秘体験は、願い求める目的というよりもむしろ、真実を探求していく中で自(おの)ずと与えられる結果であり、副産物にすぎません。
 また、神秘体験は、奇妙で特殊なものと思われがちですが、もっと普遍的で特別で大事なものです。
 「ONEの教え」でいつも説かれているように、いちばんの神秘は、「宇宙があり、生命が存在していること」です。自分が存在し、生かされていて、目が見える、手足が動く、歩ける。箸を使って食べることができ、食べると消化して、エネルギー源になる。これが最も神秘であり、奇跡であり、ありがたいことです。
 これが本当の神秘体験です。「奇妙で特殊で面白いことが神秘だ」ということではないのです。
 
 例えば、スプーンを曲げるとか、体が宙に浮くとか、念力で人を動かすとか、願望を実現させるとか、人を打ち負かすとか。そういったことは、低劣な神秘主義です。
 さらには人を貶(おとし)めたり、騙(だま)したり、自分に有利になるように神秘的な力を使うのは、黒魔術です。好ましくありません。
 神秘体験には、ピンからキリまであります。レベルとしてピンからキリまであるばかりでなく、種類や方面もさまざまなのです。玉石混交です。
 目に見えない世界を扱っているため、誤解や騙しや問題があることが横行しやすい領域です。そのため人々は、「オカルトだ」とか「占いだ」とか、「フリーメイソンだ」とか、好ましくないものと見なし、昔から物笑いの種にされたり、敬遠されたりしがちです。例えば、本物の神秘家のサン・ジェルマン伯爵も、そのように言われていました。主イエス様でさえも。
 確かにそのように、一般の人たちから見られてもおかしくないようなことを、神秘的な領域では行ってきています。
 しかし、だからといって全てがでたらめとか問題があるとか、神秘体験などはないとか、それは行きすぎです。玉石混交の領域であることは確かです。困ったものや嘘や騙しも危険な部分も孕(はら)みつつも、本当のものや価値のあるものも、含まれている領域なのです。
 ただ、「本当であり、価値がある程度ある」というどころではありません。あらゆる日常の事柄の、いちばんの元になる、どんなことよりも、本質的で重要で尊く大切なもの。それが、神秘的な領域には含まれているのです。
 それゆえ、一般の人が「よくわからない」とか「危険だ」とか、「嘘っぱちだ」とか、「関わらないほうがいい」とか「おかしい人たちがしていることだ」とか、そのように断定し、全部を避けていることは好ましくなく、本当でもなく、残念でもったいないことなのです。
 
 危険で危うく本当でないものが、確かに含まれがちな領域ではありますが、その一方で、地上のどんなことよりも価値があり、奥深い、尊く大切なものもまた、同じ神秘的な領域にはあるのです。
 一般の人はよくわからなかったり、見分けられなかったりで、つい避けがちですが、それは申し訳なくもったいないことなのです。ある意味で、地上のどんな分野のどんなことよりも、本当で尊く、やり甲斐のある領域なのです。
 それで昔から、どの地域においても本当に賢く、勘が働き、洞察力のある人や、奥深い真実を求めて止まない人たちは、最後は神秘主義に行き着くのです。そのぐらい最もやり甲斐があり、奥深い真実と価値が存在するのが、神秘的な領域です。
 科学者でも、本当に賢く鋭く勘が働く人たちは、神秘的な領域のあることに気づき、それを認め、大切にしてきています。
 一方、中途半端に頭の良い、科学かぶれの人たちが、唯物論的な視点で、神秘的なことを嘲笑し、避けてきているのです。
 火中、すなわち火の中から栗を探して拾い上げるようなリスクもありますが、それだけの価値があるものなのです。
 神さまがおられ、霊的世界もあって、人の本質も魂である以上、人類の歴史が始まってから今日(こんにち)に至るまで、そしてこれからも、神秘体験はあり続けます。
 神秘体験は、先ほど述べられたように、興味本位のものではなく、ひけらかすものでもなく、目的とするよりもむしろ、本当のものを探求していく中で自ずと授かり与えられる、副産物であり結果です。
 神秘体験は、求めるものではないのですが、しかし一方、神秘体験が伴わないような宗教やスピリチュアルでは、浅いものなのです。実際的にも、あまり役立ちません。道徳や教養程度です。
 求めるものではないし、ひけらかすものでもないのですが、それが伴わないようなものは浅いものと言わざるを得ません。
 
 真実であり、奥深い価値のあるものならば、それを表す徴として、神秘体験が伴うものなのです。神秘体験は、体内ではクンダリニーとチャクラの働きです。
 人類の歴史の中で、霊的な高みに到達した人物として、イエス・キリストとゴータマ・ブッダがよく知られています。
 それで見てみると、多少の誇張や象徴的な表現が含まれるようになったとは言え、キリストに関して、そしてブッダに関しても、奇跡や神秘体験が人一倍豊富で、奥深いものであったことが伝えられているのです。
 それだけ高みに到達し、本当の真実を会得し、創造主と一つになったことを、それらの奇跡や神秘体験は表しているのです。
 日本の仏教の中では、密教を創始した空海にも、さまざまな奇跡や神秘体験や伝説が伝えられているのも、そのためです。
 インドの仏教では、パドマサンヴァバが、そのような人物として知られています。
 『旧約聖書』や『新約聖書』の中に、数多くの神秘体験が紹介されていることは、先ほど述べられました。そして大事なことは、新約時代以降も、キリスト教の神秘主義の中で神秘体験が続き、ある程度それが記録にも、また言い伝えにも残されていることです。
 キリスト教神秘主義の中で、それをまとめて記録に残した人物として、ゾイゼが知られています。また、アッシジのフランチェスコにも、手のひらにキリストの釘痕の聖痕が残ったなどということも、伝えられています。奥深い真実に到達すると、その結果、神秘体験が与えられるのです。
 
 神秘体験が起きる場は、さまざまです。祈りの中で、瞑想の中で、あるいはリラックスしている時。あるいはご奉仕をしたり、ジョギングをしたり、山歩きをしている中で。また、もちろんリーディングの最中、それから夜の眠りの中で夢として。また、人との会話の中で。読書している時にも。また師匠との対話や指導の中で。宗教儀礼や祭の中で。日常、何かに夢中に没頭している時にも。仮死状態で。
 このように、神秘体験が起きる場は、いろいろあります。条件が揃ったところで起きます。何よりも、必要な時に与えられます。自分も本当の愛と真実を真摯に求めている、そして必要があれば、ふさわしい形で起きます。
 起きるような自分の状態や、方向づけやレベルに到達した時、その証として、それ相応に起きます。神の、育て導く一環として起きることです。
 「その時点のその人の内実を表すような、現実の状況と動きと体験と雰囲気になる」――これが法則です。
 神秘体験が与えられる時も、この法則に基づいて起きます。必要があり、本人が求めていて、神秘体験が起きるような状態や状況やレベルである時、起きます。
 その人の体質や傾向によって、ある人は瞑想の中で起きやすく、ある人は夜の夢の中で起きやすく、ある人は祈りの中で、またある人はリラックスして寛いで自然体の時に起きやすいなどと、人によって特徴が見られます。
 『聖書』の中にも、夢の中で神秘体験が与えられることが、多く出てきます。仏教の歴史の中でも、日本でも空海、親鸞、白隠など、それぞれ夢で神秘体験やお告げを授かっています。
 本当に必要で求めていて、状態ができてくると、その結果神秘体験が訪れるのです。神の導きの一環として。それが励みや確信になって、次に向かっていけます。
 
 本当に切迫している時、一方リラックスして自分の肉体が感じられないような時などに、起きやすいものです。命の危機に瀕した時などにも、また生死の境において、神秘体験がやってきたりします。臨死体験も、その一つです。
 エドガー・ケイシーをはじめとするリーディングの流れの中で、またスウェーデンボルグも仮死状態において、それが行われてきています。これらは良質の神秘体験です。
 それは、ギザの大ピラミッドの秘伝のルーツであり、その中でキリストの復活も生じました。神秘体験の最高のものは、キリストの死からの復活です。
 モーセも、数多くの奇跡を賜りました。預言者エリヤやエリシャにもありました。そのほか枚挙に暇がありません。
 神秘体験には、意味と目的があります。起きるだけの理由と根拠があり、起きる必要がある時、その人自身とその周りの人たちのため、授けられる神の賜物なのです。
 それゆえ授かった神秘体験は大切にし、その意味や理由や目的を探り、よくお祈りして神さまに献身してください。
 たまたま与えられるものではないし、興味を満たすためのお遊びでもありません。まして、それで人を貶めるとか、自分を高めるためのものであってはなりません。尊く清らかな神の賜物であり、必要があって授けられる尊いものです。
 神秘体験を目的としたというものではないにしても、真摯に取り組んでいって、必要があって条件を満たせば、それを表すような神秘体験が自ずと伴う、ということです。
 
 神秘体験を否定したり軽んじたり拒否するような宗教や精神世界は、浅い顕教です。一方そういったことを認め、重んじるのが、密教であり、神秘主義です。
 その中でも、レベルや種類があります。種類というのはルーツ、系統にも関連しています。一口に神秘体験や霊体験、霊能力と言っても、まちまちです。その全部が良いとも、その全部が悪いとも、言い切れません。
 自分を整え、より良い動機を持って、良い方向づけを取り、自分のご縁やルーツや目的も自覚して、自分の身の振りようで配慮してください。
 
 本当に探求して、真実を知り会得したい、そして人のためになりたい、充実した人生を送りたい。そのような思いを抱いて取り組むならば、必要な時、その時の自分にふさわしい神秘体験が与えられることでしょう。それによって神さまに、導き育てられていきます。
 本人と、本人に繋がりのある人たちの励みや確信、あるいは確認のため、神さまが育て導く一環として、授けてくださります。
 健全で本当の、神秘主義を目指しましょう。それがONEです。神秘体験は必ず理由と意味と目的があって、神さまからのご支援として与えられる、尊い贈り物です。
 そのことを知って、一旦神秘体験を授かったら、その理由と意味と目的を探り、その体験を正しく活かして、前に進んでいきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17494

 
質問:真言密教のマンダラをONEの観点からご解説してください。
 
ソース:マンダラは、霊的宇宙を図式化したものです。その図柄あるいは図絵、それを「マンダラ」と名づけています。
 真言密教には、そのマンダラが何種類かありますが、代表的なのは、「金剛界マンダラ」と「胎蔵界マンダラ」の2つです。
 しかも、その2つは別々ではなく、表裏一体を成し、セットになっています。「金胎不二の両部マンダラ」と、言われているとおりです。ONEの世界です。
 ではなぜ2つあるのか。それは、霊的な宇宙にしても、その物的現れである物的宇宙のほうにしても、陽と陰の両極で全体を成しているからです。
 金剛界マンダラと胎蔵界マンダラは、「陽と陰」「太陽と月」「男性原理と女性原理」「父性原理と母性原理」、これらをそれぞれ表しています。金剛界マンダラは金剛頂経、胎蔵界マンダラは大日経に基づいています。
 中国の「陰陽五行説」にしても、自然界を構成する5つの要素のそれぞれを陰と陽に分け、合計十種類で「十干」を表しています。
 人間世界も、男性と女性から構成されています。そして、男性と女性が認め合い、交わった時に、次の新しい生命が子どもとして誕生できます。こうして人類は、今日まで存続しています。男女が愛によって合一した徴として、両者の子が誕生するのです。
 世の中の営みや働きも、金剛界と胎蔵界の両面から構成されています。金剛界は会社や職場、広くは社会。胎蔵界は家族と家庭です。
 
 このように、家の外と内、両者相俟(ま)って全体が構成されています。どちらも不可欠です。そして両者は関連して、セットを成しています。
 社会のそれぞれの働きの分野にしても、金剛界の政治、経済、経営、ビジネス、科学技術。一方、胎蔵界の宗教、芸術、文学、福祉などがあります。
 両者の中間に位置するような分野もあります。医療、教育などです。どちらかというと医療は、科学技術として金剛界ですが、内容的には癒しですので胎蔵界です。教育は、家庭的な面の、育てるのは胎蔵界、社会に繋げる技術的な面は金剛界です。
 男性でも、自分の中に女性原理を持っています。その物的現れとして、女性的なホルモンも持っています。一方女性も、男性ホルモンを持っていて、男性的な働きも含まれています。男性エネルギーと女性エネルギー、能動と受容です。
 生命の本質である魂自体は、中性です。そのため、肉体面で男性に生まれてきたり、女性に生まれてきたり、が可能です。
 
 マンダラは、霊的な宇宙の全体を1枚の絵で表すことで、「全体は一つであること」を表しています。まさしくONEです。
 「外界は内界の現れ」ですので、霊的な宇宙を図式化したマンダラは、物的な宇宙をも表しています。
 特に霊的な宇宙の中でも、天の創造主とその顕れである天界を、マンダラは図式化しています。
 天の創造主に相当するのが、大日如来です。金剛界マンダラには金剛界の大日如来が、胎蔵界のマンダラには胎蔵界の大日如来が、中心に鎮座されておられます。
 それらを軸として霊的宇宙、取り分け天界の全体像が、1枚の絵に描かれているのです。それぞれの霊的存在方が、しかるべき所に配置され、描かれています。各自においても、自分の宇宙の中に占める位置、役割、ポジションがあります。
 こうして主立った霊的存在方が、それぞれの位置に就いておられて、天界全体が構成されています。多様性の中の一です。同時に一方、一の中の多様性です。
 
 ONEの教えのとおり、多神教の根底に真の一神教があります。真の一神教から全ての多神教が派生し、統括しています。マンダラにおいてONEの如く、一神教と多神教が矛盾なく一つになっているのです。これが本当です。真言密教のマンダラは、ONEの世界観を図式化してくれているのです。
 マンダラには、羯磨(かつま)マンダラなどのように、平面図の絵ではなく、立体的なマンダラもあります。空海は、高野山や京都の東寺の中に、立体マンダラを具現化されました。仏の活動を仏像で表現した立体マンダラです。
 例えば、高野山には根本大塔があります。そこに胎蔵界を、空海は込めました。一方、西塔(西の塔)には、金剛界マンダラを込めました。京都の東寺にも立体マンダラとして、一神教と多神教が一つになったONEの世界観が、立体的に具現化されています。
 
 このようにマンダラは、とりあえずわかりやすく、平面図に美しく描かれて表現されているのですが、本来は立体的になっています。宇宙自体が立体的だからです。
 天界はまさしく、立体的なマンダラになっています。もっと言えば、三次元というより四次元以上です。神の宇宙は霊的な世界だからです。それでもとりあえずわかりやすく、立体的に構造化しているのは、わかりやすいものです。
 マンダラには羯磨(かつま)マンダラのほかに、大マンダラ、三昧耶(さんまや)マンダラ、法マンダラがあります。大マンダラは、宇宙の全体像を仏の図像として表現したもの。三昧耶マンダラは、仏の持ち物で表現したもの。法マンダラは梵字で仏を表現したものです。
 こうして、本来の霊的宇宙を1枚の絵に示すことで、人間はそのような広大で豊かな一つの宇宙の中に置かれていることを、体感できます。
 そしてマンダラを通して、霊的宇宙の実相に誘われていきます。重要なのは、自分もそれとは別でなく、自分の男性面は金剛界マンダラに、自分の中の女性面は胎蔵界マンダラにしっかり結びついて、その一部になっていることです。
 
 こうして霊的世界と交流し、自分がその中に組み込まれ、一体化するのが「即身成仏」です。これも、ONEの瞑想や礼拝に通じるものです。
 「根源の神さまのただ中にあって、根源の神さまに礼拝し、そこに自分を捧げ、その中に融和・融合していきましょう」と。ONEの瞑想の中に、そのような表現が出てきます。
 大宇宙の中に自分が置かれ、その大宇宙に包み込まれ、その中に融合・融和し、自分が還帰していくのです。
 自分の中に宇宙が入ってきます。同時に一方、大宇宙の懐の中に、自分が入っていきます。「入我我入」です。「ヨハネによる福音書」にも、この相互の包摂の関係が、示されています。
 自分の中に神が、同時に、神の中に自分が入り込んで包み込まれ、一つに融和していきます。これが「即身成仏」です。
 自分が神の子であり、仏性が自分の中に宿っているから、このことが可能です。「仏性」とは、自分の中の「魂」のことです。
 このように、創造主と自分が一如であり、一つである。そうであるから神人合一できるし、それが人間の究極の理想であり、目標であることを、マンダラを通して実現させようとしています。
 ONEの礼拝でも、毎朝、天の創造主とその現れである天界に自分を向けて、深く頭を下げ、自分をお委ねします。こうして融合して、その日1日を過ごさせていただきます。
 
 その天の創造主と天界を、わかりやすく絵に表現したのがマンダラなのです。
 自分の中でも、「男性の側面と女性の側面」「男性のエネルギーと女性のエネルギー」「ポジティブとネガティブ」「能動性と受容性」が一体化してこそ完全になり、完成します。命の全体性の回復と実現です。
 金剛界マンダラの男性原理は智慧です。胎蔵界マンダラの女性原理は愛と慈悲です。創造主には、智慧と愛の両方があられます。その物的現れとしての太陽も、光と明るさが神の智慧を、温かさと熱が神の愛を表しています。
 確かに太陽を見ると、その明るさと温かさの両面があります。人間をはじめ全ての生き物には、「光と熱」「神の智慧と愛」、この両方が不可欠です。
 この両方を創造主はお持ちです。それをわかりやすく便宜上、太陽の光を金剛界として、太陽の熱を胎蔵界として、図式化したのです。
 自分が神人合一し、ONEとなるため、すなわち「即身成仏」するためには、自分の傾向を踏まえ、自分に足りない面を取り入れてこそ、完全な存在となります。
 
 金剛界マンダラに向き合い、男性の自分の側面を養っていただく。同時に一方、胎蔵界マンダラに向き合い、自分の中の女性原理を見ていく。そして養っていただく。
 ・自分には、金剛界の面はあるのか。
 ・自分には、胎蔵界の面はあるのか。
 ・自分の中の金剛界の面は、どういうようになっているのか。
 ・自分の中の胎蔵界の面は、どのようになっているのか。
 「能動性と受容性」「厳しさと優しさ」、それぞれが必要です。
 もともとの自分の個性や特徴はあってよいのですが、その上で、ブッダが言われた「中道」と「八正道」が自分の中にできてこそ、両性具有体の完全な生命体として、完成を見ます。
 ・仕事や職場で上手くいっているか。
 ・家庭や家族で上手くいっているか。
 ・自分にはいい意味での厳しさはあるか。
 ・自分には優しさはあるか。
 弓の弦にしても弦楽器の弦にしても、「寛厳よろしきを得て」用を足せます。正しく機能します。ブッダが言われた「中道」のとおりです。
 それぞれの状況や場や、相手に合わせて、ちょうど良いように自分が対応してこそ、上手くいきます。八正道です。
 そのためには、現状を見抜く知恵と、それを実際に適切に行う愛が必要です。神さまは、そのように完璧な智慧と愛の両方をお持ちです。
 自分の傾向に基づく癖(くせ)や課題を知ること。一方、自分の良さや可能性も知ること。こうして課題と可能性を自分の中で見ながら、金剛界マンダラと向き合い、胎蔵界マンダラとも向き合わせていただく。
 ・自分は家庭人間か、仕事人間か。
 ・仕事が好きで、上手くいっているか。
 ・家庭にいて居心地が良くて、家族と上手くいっていて、家庭で恵まれているか。
 
 自分のタイプや特徴を知る。それを踏まえ、自分の中で調整し、全体性を回復していくことを目指します。
 そのため、金剛界マンダラと胎蔵界マンダラが役立ちます。自分の中の、金剛界の面と胎蔵界の面をそれぞれ養っていただき、上手く統合します。
 真言密教も、ONEの教えも、「全体性の回復と実現」を特徴としています。
 後に出てきた鎌倉仏教は、坐禅だけにしたり、お念仏だけにしたり、お題目だけにしたりというように特化し、限定しました。
 それ以前の真言密教は、「総合」「全体」「統合」などを特徴としています。その意味でONEの教えは、真言密教と共通しています。ONEの教えにおいては、全体性の回復と実現を目指し、総合教育を行い、統合を目指しています。
 空海は、晩年に長年温めてきた理想の教育を、綜(しゆ)芸種智院として創設しました。その綜芸種智院では、「総合教育」をスローガンとしていました。
 
 現代の教育のさきがけとも言えますが、ただ、現代の教育は総合大学であっても、最初の教養課程でのみいろいろ扱うばかりで、その後それぞれを特化し、自分の専門を極めることを目指させます。
 現代の社会構造や職業構造も、縦割り形式になっています。横断する総合的で自在な智慧や応用力はありません。
 かつてのレオナルド・ダ・ビンチや空海やスウェーデンボルグ、あるいはサン・ジェルマン、ノヴァーリスのような、万能型の天才は、現代では登場しにくいあり方です。
 ARIのONEの教えは、「総合」に特徴があります。まさしく空海的です。ARIも「浅野総合研究所」と言って、「総合」が名称に入っています。
 
 その名の通り、ARIではあらゆる分野に関わり、あらゆる分野の真理を追究しつつあります。まさしく、総合研究所になっています。空海の綜芸種智院のように。
 しかも、「全ては一つ」ということで、整合性、一貫性があります。ただの万屋ではありません。それぞれが相関連し、一つになっています。これがONEです。
 空海はそのような人物としての、万能の天才でした。多様性でありながら一であり、一が多様性として展開し、豊かさを呈しています。
 そもそも、霊的宇宙がそのように構造化されています。それは宇宙創造神、大日如来がそのようであるからです。天界は豊かでバラエティーに富んでいます。それでいてバラバラではなく、一つの天界を構成しているのです。
 これからは人間も、空海のような「多様性の一」を持つ、本当の愛と智慧が求められてきます。
 全ては相関連し一つですので、元の智慧に目覚めれば、どんなことでも洞察でき、対応してやっていける人間ができます。まさしく、「全体性の回復と実現」です。
 自分の中の魂を軸とすることで、自分の中の頭も心も肉体も活性化され、頭と心と肉体が一つとなって協力し合い、全体として一つの人間が完成します。
 そうなるためには、自分の中の魂が、その元であられる、天の創造主と繋がらせていただくことです。
 「ヨハネによる福音書」にあるように、それぞれの枝は、木の幹に繋がっていなければなりません。木の幹に相当するのが、天の創造主と天界です。それぞれの枝は、自分の中の魂を表します。
 木の幹に枝を接ぎ木するのが、毎日の「天への礼拝」と「お任せ」です。こうしてその日1日も、天を敬い、天に従う心がけで過ごします。こうして人生も社会も成り立ち、上手く回っていきます。
 毎朝の天への礼拝で、「即身成仏」を体感しましょう。それを1日温めながら、その日を過ごしましょう。これが本来の人間のあり方、ONEです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17457

 
質問:2023年は、弘法大師空海の生誕1250年、真言宗開宗1200年の記念年です。この時に当たり、ONEの観点からメッセージをお伝えください。
 
ソース:ARIは、真言密教ともご縁があります。そのため、ONEの教えと真言密教にも、共通点が多く見受けられます。
 例えば、空海の「密教」に対応するのが、「ONE」です。「大日如来」に対応するのが、「天の創造主、宇宙創造神」です。「即身成仏」に対応するのが、ONEの教えの中では天の創造主に任せ切って「根源神と一つとなる」こと、融合することに相当します。
 真言密教の「儀式や儀礼」は、護摩行なども含め、ONEの教えの中では、「天への礼拝」に相当します。
 
 真言密教でも、ONEの教えでも、「総合」に特徴があります。多様性と一が一つに結ばれて、矛盾がなく、多様性の元に一があり、一によってさまざまなものが生かされ
る。このような捉え方になっています。全体を全て包み込む、包括的な捉え方になっています。「統合」でもあります。
 全体を無理なく一つに統合する。根源の一の下で全てが関連し、生かされているという、宇宙的な認識に立っています。
 異なったさまざまなものを糾(きゆう)合(ごう)し、止揚する。糾合というのは、縄を束ねること。止揚とは、アウフヘーベン。弁証法のジン・テーゼです。
 ONEの教えと同様、空海も極めて肯定的で柔軟で、優しく大らかで、楽天的でした。人に対しても、物事や出来事に対しても、宇宙空間や霊的存在方に対しても、全てに対して肯定的前向きで、それぞれを認めて、受け入れて、全てを浄化しながら生かし、昇華していく。エネルギーを純化して高め、全てを生かしてしまうという、前向きの方向性になっています。
 人間に対しても、社会の諸事象に対しても、他の宗教宗派にも、空海は肯定的で寬容でした。調和と総合をモットーにしていました。
 自分に対しても人に対しても、欲望や感情、煩悩なども理解し、認め、受け入れ、そこから始まって引き上げ、昇華していく。
 これは空海とONEの教えで共通した、素晴らしい特徴となっています。頭から否定したり、拒否したり、批判したり、戦ったりしないのです。
 
 和合によってONEの下、全てが生かされ、全体が一つとなります。空海の真言密教にも、このような認識があります。人の煩悩を否定せず、禁欲的ではないのです。
 もちろんだからといって、「ただ、欲望や感情のなすがままで、そのままでいい」ということではありません。
 現状がなぜそうであるのか、理解して受け入れて、現状を踏まえて、少しずつ良いほうに導き育てていくのです。これは実は、宇宙創造神さまの認識と対応となっています。
 真言密教は、根本仏である大日如来の教えです。ONEの教えも、宇宙創造神さまの教えです。宇宙創造神さまご自身がそのようなスタンスや特徴があられるので、真言密教も、ONEの教えも、それを表すようなものになっている、ということです。
 宇宙創造神さまや大日如来の教えなので、広い視野になっています。広大無辺で、多様性を理解して認めて受け入れ、それらを活かす方向で関わり、それぞれが関連のもとで一つになった、広大な世界があります。「全体が一つ」という認識に立っているのです。
 自分とは異質のものを理解し、認め、愛によって受け止める。こうして全体で一つとして成立し、やっていける。その中心軸に、密教と大日如来がある。ONEの教えでは、その全体の中心軸に、宇宙創造神さまとONEがある。
 
 空海の主著である『十住心論』では、心の成長の十段階が説かれています。その最後の十段階目がONE。真言密教の境地です。大日如来そのものである悟りの絶対的で完全な境地、秘密荘厳心です。
 ONEの教えでも最終段階は、宇宙創造神まと一体化した全体性の回復の、ONEの境地です。大日如来とONEが完成です。
 空海の『十住心論』でも、心の成長の十段階目の最終段階は、他の宗教宗派を超えた真言密教の境地を示しているのです。
 ARIの教えで「各自がキリストとなる」ということは、真言密教では「即身成仏」に相当します。
 真言密教でも、ONEの教えでも、「縦と横」「垂直と水平」、この両方軸でそれぞれを認め、活かしていくことがなされています。縦軸も横軸も理解し、考慮し、活かす方向です。
 「縦と横」「垂直と水平」は、「知恵と慈悲」に相当します。「上求菩提と下化衆生」に相当します。「金剛界と胎蔵界」に対応します。横である水平の実現した形が、「密厳国土」です。「理想社会の実現」のことです。
 
 ONEの教えでも「命の本源に還る」という縦軸、「理想社会を実現する」という横軸、この両者それぞれのために、人は輪廻転生しています。その両方向は矛盾ではなく、相互に助け合って、関連しながら、それぞれが実現していく方向です。
 真言密教でも、「金胎不二」の両部曼陀羅として認識していることです。
 ONEの教えの中では、まず朝起きたら、天に心を向けて、宇宙創造神さまとその表れである天界に深く頭を下げて敬意を表し、自分の全てを任せ切ります。
 後は、神さまを信じて安心し、落ち着いて、置かれた所で目の前のことに一つ一つ、順序立って適切に応じていく、という生き方をしていきます。
 天の創造主に自分を任せきるということは、「縦軸」。そこで授かった生命エネルギーを、その日1日、周りとの対応で活かして、周りの助けと喜びとなっていくのが、「横軸」。
 このように真言密教の捉え方とONEの教えの捉え方や実践は、対応しています。
 真言密教は、仏教の中の神秘主義ですが、ARIの教えも、キリストをはじめとする神秘主義になっています。いずれにおいても神秘主義と宇宙創造神が全ての軸であり、中心生命なのです。
 そこに基点を据えることで全てがわかり、全てを受け入れ活かし、全体が一つとして実現してくる、と見ています。
 空海は、若い修行の時期、求聞持法に取り組みました。虚空蔵菩薩のマントラを百万遍お唱えするという、過酷な修行です。それによって空海は、求聞持法を成就し、魂が覚醒しました。こうして記憶力が増強し、知恵が湧くようになりました。
 
 これが空海のベースにはあります。実はこの虚空蔵菩薩求聞持法は、リーディングだったのです。空海はリーダー(Reader)でした。
 虚空蔵菩薩は、サンスクリット語で、アーカーシャ・ガルバといいます。虚空の蔵です。虚空はアーカーシャであり、アカシック・リーディングのことです。
 このように、ARIの中心にあるリーディングが、空海の密教においても、求聞持法ということで、ベースに置かれていたのです。
 空海は、アカシック・レコードをリーディングすることから始まっているのです。それは後になっても空海を支え導き、活かしたことでしょう。
 空海は、当時の世界の最先端である外国の中国に渡り、中国で最新の秘法を伝授され、帰国し、それを日本に移植し、日本を次のレベルへと引き上げました。
 それと同様に、ヨハネはこの現代において、世界の精神世界の最先端であるアメリカに渡り、アメリカで最先端の秘法であるリーディングを伝授され、日本に帰国し、日本にそれを移植し、日本を啓蒙しています。空海当時の中国が、現代ではアメリカに相当するのです。
 空海は、中国から日本へ、ヨハネはアメリカから日本へ、その時代の最先端の秘法を伝授されて帰国し、それでもって日本を啓蒙しているのです。
 密教は、インド仏教の最後の段階として登場しました。インド仏教の歴史を見ると、明らかです。最後に密教が現れたのです。
 中国や日本の仏教史では、必ずしも密教が最後の段階にはなっていませんが、仏教の母国であるインドでは、ブッダの初期仏教、続いて部派仏教、それから法華経や勝鬘経や華厳経、維摩経、浄土三部経、般若経などのさまざまな大乗経典です。
 
 そういう中で、「空(くう)の摂理」を究明した中観(がん)派が現れました。それから、「全ては心の表れである」と、心を起点に据えた唯識思想が現れ、インド仏教の哲学を極めました。
 このように、「中観」と「唯識」によって、インドの仏教の理論的基盤ができました。
 それを踏まえ、最後に密教が登場したのです。この理論的なベースに立って、再び実践的な、人々に助けと悟りをもたらす、そういった強力な方法を、自国のヒンドゥ教から借りて、ヒンドゥ教の手法を仏教にも取り入れ、実際的な密教が作られました。
 インドの仏教は、最後に密教が出て、初期密教、中期密教、後期密教と進みました。中期密教で盛んとなり、後期密教では、少しずつ衰退していきました。
 それをチベットに渡った人たちが、インドの密教をさらに追求したのが、時輪タントラ。しかし、それは後期密教として、江戸の文化で言えば化政文化のような、やや退廃的なものになっています。
 密教の中では中期密教が、最も充実して健全で、良い内容となっています。その中期密教が中国に渡り、中国で結実しました。その最後の熟れた実を受け取ったのが、日本の空海です。それを伝授されて日本に帰国し、日本の国の中に合う形にして、日本の国で仏教は最終的に完成を見ました。それが空海が作り上げた真言密教です。
 ONEの教えも、現代の精神文化の最先端であるアメリカから始まっています。そのアメリカの精神的な潮流の中で最も良いものが「ONE」と呼ばれます。その最も良いものを、具体的にはポール・ソロモンを介在して伝授され、帰国したのがヨハネです。 
 欧米の最先端の精神潮流であるONEが、アメリカに渡ったヨハネが日本にもたらし日本の国でさらに仕上げ、完成させたものが、ARIのONEなのです。
 このように、ONEも宗教の最後の段階であり、仏教の中の真言密教とONEと、そのいずれも現実重視となっています。実際的な教えなのです。
 
 実際に起きたことが、神からのメッセージであり、真実である。神の働く場は、この世にある。
 確かに宇宙創造神さまは天におられる。神道で言う「天津神さま」ですけれども、「国津神」と言うよりも。しかしながら、その天の創造主の生きて働く場は、まさしくこの世である。およそ現実に起きることほど確かなものはない。
 それ以前の仏教では、インドでも日本でも、聖徳太子が捉え、また親鸞も捉えたように、「この世は虚(こ)仮(け)の世界であり、真実はない。不完全である。取るに足りない。ただ、仏と仏教だけが真実であり、信頼するに値する」。そのような現世否定的で厭世的なものでした。
 浄土の教えも、この世で本当のものが見出せないから、あの世に行って救われ、あの世に真実を求める、というものが多分にありました。
 浄土系の最後に出た親鸞は、そこに現世重視の「還相回向」を据え付けました。
 確かにこの世は、いろいろ不完全なことや問題が多く、苦しみや悲しみが多いカルマの世界ではあります。
 だからこそ神は、見捨てることなく、この世でこそ働かれ、この世でもちゃんとつじつまが合っていて、真実が働かれているのです。
 このように、仏教の中では密教が、母国のインドでは最後の段階として登場しました。ONEの教えも、宗教の最後の段階として登場しています。そしていずれも日本に、最終的に帰着して、日本で仕上げられつつあります。それが世界に向けて与えられる、日本の良きものとなっています。
 最後の段階に出た密教もONEも、いずれも現実重視となっている。極めて実際的で役立つ教えであるところに、特徴があります。
 根本仏の大日如来は、観念的・抽象的な存在ではなく、人に語り伝えてこられます。密教の前までは、根本仏というのは、あまり想定しませんでした。仮に想定したにしても、観念的・抽象的な存在に留まっていました。それが大日如来です。
 
 しかし密教の段階に入って、根本仏の大日如来は、ただの観念的・抽象的存在ではなくなり、人に語り伝えてこられる、生きた存在になられたのです。
 それと同様に、ONEの教えにおいても、他のほとんどの宗教は、派生された個別的・具体的な神仏に立脚していますが、ONEの教えは、宇宙創造神、天の創造主に向けられている根本信仰です。
 そして、ほとんどのこれまでの宗教が、天の創造主や宇宙創造神は、仮におられたにしても捉えきれないし、人間に直接関わって助けたり、語りかけたりはしてこられないと、ほとんどの宗教や精神世界は捉えています。
 しかし、ARIのONEの教えでは、宇宙創造神さまに軸を据えさせていただき、その宇宙創造神さま自ら人に語り伝えてこられ、人間を助け導いてくださっていると、見ています。
 このように、大日如来を中心とした空海の真言密教とARIのONEの教えは共通しています。途中段階で甘んぜず、妥協せず、根本信仰になっています。
 始まりであり終わりであられる根本の神仏に軸足を据えさせていただいている、根本信仰です。
 かと言って、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のような、排他的で排撃的な一神教には陥っていません。
 空海の真言密教も、ONEの教えも根本に据えながら、「根本から全てが発生しているのだから、全ては根本と関連している。そこで、根本に据えることで全てが生かされ、良くなっていき、全体が一つとして成立する」という壮大な宇宙観を持っています。
 
 これを図式化したのが曼陀羅的な宇宙観です。一人ひとりの占める位置と固有の役割がある。ONEの教えで説いていること、また、大切にしていることです。
 まさしく、この認識に立って、真言密教の曼陀羅が、図式化されています。
 宇宙のどこかに、その人の占めるポジションと、その人固有の役割が配属されている。その立体的な曼陀羅の中で、それぞれが関連し、協調し合って、全体を一つに営んでいる。
 根本仏の一部を引き受け、その一翼を担うように、各自が役目を果たしていく。全体の一助となっていく。このような曼陀羅的な認識は、真言密教とONEの教えとで共通しています。
 曼陀羅でよく知られているのが、胎蔵界曼陀羅と、金剛界曼陀羅です。いずれも世界や宇宙を表現した図柄です。マンダ(本質・円)・ラ(所有)の意味です。
 ONEの教えではそれを踏まえ、個人個人のかけがえのなさと悟りに向けて、個人曼陀羅としてのライフシールを、提示することがなされています。これがONEの教えのユニークさです。
 真言密教では、まだ全体を写し出す曼陀羅だけでした。「胎蔵界曼陀羅」「金剛界曼陀羅」のほかに、もう少し一部的な特殊曼陀羅もありますが、それらも社会的で、全体の一部としての、一般的な曼陀羅に変わりはありません。
 現代の潮流の中では、全体とともに個人が大切にされ、一人ひとりが活かされ、救われていくということが、なお一層求められている時代状況です。
 それに応えるかのように、ARIでは個人曼陀羅としてのライフシールが、提示されているのです。
 空海は胎蔵界の高野山と金剛界の東寺を場に、地上を密厳国土にするべく活動しました。ARIでは、一人ひとりが大切にされています。
 
 「一人ひとりに仏性が宿り、誰もが仏になれる」。真言密教では、このような肯定的・楽観的・前向きな捉え方がなされています。「即身成仏」です。
 ARIのONEの教えにおいても同様に、「一人ひとりに魂があり、一人ひとりがキリスト、ONEになれる」ことを説き、そのことを目指しています。
 真言密教も、ONEの教えも、神秘的で奥深い、命の本質を軸に据えている、深いものになっています。そのため、伝授や伝法が体験重視で行われています。
 ARIのONEの教えの中では、「エッセンスコース」「ULCコース」、それらに対する「フォローアップ・セッション」などとして、伝法や伝授が行われています。
 フォローアップ・セッションは、一対一の伝授です。カウンセリングの形ですが、それを超えた深いものになっています。
 また、ARIで行われている「洗礼」も、キリスト教の枠組みを超えたイニシエーションとなっています。洗礼も行われているのです。
 また、一部の地域では、「スピリチュアルスクール」が行われ、これもエッセンスやULCに準じた、内容と効果になっています。
 このように、真言密教もONEの教えも、伝授と伝法を行っているのが共通しています。また、真言密教でもONEの教えでも、現実重視でもあり、横の軸の慈悲の面、下化衆生を大切にしています。
 空海は「四恩」を四つの恩義として、「父母、衆生、国王、仏教の三宝」を掲げています。「両親をはじめ家族に対する恩」「一般衆生や生きとし生けるもの、社会に対する恩」「政治へのご恩」「仏教の仏法僧の三宝に対するご恩」。この「四恩」として横の軸を広げて、捉えていました。
 それに応えるかのような現世利益も、大切にされるようになりました。
 空海の真言密教でも、ARIのONEの教えでも、それぞれの方が今、悩み苦しみ、直面していることを軽んぜず、拒否せず、対応させていただいています。
 真言密教の現世利益の面が、ONEの教えにもあります。それがONEの教えでは、「代行ご祈願」「個人リーディング」などとして、行われています。「一言メッセージ」も、それに応ずる部分があります。
 
 高尚な縦軸の面とともに、下化衆生の慈悲の表れとしての利他行をなす。究極的な面は必ず、それを頂いたならば人々に還元し、人々を支え、助け、癒していく。そういった現(げん)世(ぜ)利(り)益(やく)の面は、軽んじたり拒否したりしてはなりません。
 究極的で高尚なものがあるなら、神秘的で奥深いものはなおのこと、それを得たならば、今困っている人に対して活用し、手を差し伸べるべきでしょう。
 親鸞のご生誕850年と空海の生誕1250年と、2023年は重なっています。これも偶然とは言えません。空海が誕生したちょうど400年後に、親鸞が誕生したのです。
 空海は時代状況に合わせて、真言密教を日本にもたらしました。続いて鎌倉時代初期に、平易な民間仏教が必要となり、やさしくて簡単な「南無阿弥陀仏」のお念仏の極みを、親鸞として出したのです。み言葉の系譜です。
 こうして根源の神さまは、時代状況や人々に合わせて、一人ひとりを育て導いてくださっています。
 現代は現代で、宇宙創造神さまの教えがONEということでこのように与えられつつあることを知り、それを学び役立てていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17432

 
質問:人は夜の眠りの中で、夢を見ます。この夢について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース: 人間は、肉体だけの存在ではありません。もっと奥深いものを宿している生命体です。そのため、人間の中で働く意識も、肉体に対応する意識ばかりではありません。
 肉体に対応する意識は「顕在意識」、心に対応する意識は「潜在意識」、魂に対応
する意識は「超意識」。このように、少なくとも三層にわたって、それぞれの意識が働いています。
 潜在意識と超意識を合わせて、「無意識」あるいは「深層意識」とも、表現することができます。
 
 普段は、起きていて活動する中で、肉体に対応する顕在意識が表立って動いています。この顕在意識の特徴は、「建て前」にあります。仮面を被って演じる、ペルソナです。
一方、潜在意識は「本音」です。心の奥にある本当の気持ち、願いや期待や恐れや不安などです。
 超意識の特徴は、「良心」。素直で無邪気な、幼子のありようです。それでイエス・キリストは、「魂本位の幼子のようなありようになることで、本来の自分を取り戻し、天国に迎え入れられる」と、人々に気づかせ、そこへと導かれました。
 普段起きている時は、社会的に人前で取り繕い、潜在意識の本音を抑えて、建て前で話をしたり、振る舞ったり、行動したりしています。しかしそれでは無理があり、次第につらくなり、そのうち不安定になってきます。
 「それではいけない」というので、この修復が行われます。夜眠りに入った時、肉体が停止するのに伴い、肉体の意識である顕在意識が働きを休止した時に。
 そこで、「待ってました!」とばかり、普段抑えられている潜在意識が前面に躍り出て、自分を表現し、解消しようとします。喩えて言えば、汚れた衣服を洗濯機に入れて回すような働きです。
 夜眠っている間に、潜在意識が十分動いて、抑え込まれたエネルギーを消化し、解消するのです。その動きが「夢」です。
 それゆえ十分に、夜、睡眠を取ることがまず必要です。また、そのことに気づいて、夜の夢を無視せず、拒否せず、軽んずることなく、「どういう夢を自分は見ているのか」を思い出し、考慮して、昼間生活することです。
 
 それによって自分の本当の気持ちや、願い、期待、恐れ、悲しみ、トラウマ、課題などに気づくことができます。夢から多くを学べるのです。それだけでも潜在意識は納得し、癒され、楽になります。そうすると、普段生活していても心が安定してきて、落ち着けるようになるのです。
 自分の潜在意識に蓋をしていては、無理があり、それが何かと、ちょっとした時に表れ出てきます。
 不安や焦り、魂の満たされない気持ち、ストレス、また、仕事や人との関わりでミスを犯したり、不手際があったりします。
 潜在意識には、否定的なものばかりでなく、直感が働いたり、過去の努力に基づく資質や知恵もあります。
 そこで、潜在意識が浄化され、整ってくることで、潜在意識の能力や直感的な働きが、表れ出てきやすくなります。
 夢は、潜在意識の抑えられている部分が表れ出てきて、表現され、解消するという働きばかりではありません。
 そのことを通して、顕在意識に大事なことに気づかせ、現実に対処したり行ったり、気をつけたりするように、メッセージを送ってきてくれます。
 
 そのことに気づいて夢を無視せず、朝起きた時に思い出し、その内容を心に留めておきましょう。
 ただ、世間において、「夢に注目し、夢を扱う」という場合、そのほとんどが夢解釈に終始しています。
 確かに夢には意味があり、象徴的に見る場合が多いので、夢解釈を学んで、朝起きたら夢を記録して、夢を解釈することは助けになります。
 しかし、世間で扱われる夢のほとんどが、夢解釈にばかり意識が向かっていることは、夢との関わりとして完全なものとは言えません。
 そこで「ONEの教え」においては、夢解釈以前に、まず夢に着目し、「どういう夢を自分が今見るか」に気づいて、それを受け止め、心に留めて、生活していくことです。
 まず何よりも、夢を大切に思い、十分睡眠をとって、昼間溜めているストレスを、夢を見ることで解消させてあげるようにすることです。
  それから、「どういう夢を見ているのか」に気づいて、どういう夢の場合でも、「必要性と、良くなるために見ていること」に気づいて、どういう夢でも理解し認めて、安心して受け入れ、どういう夢でも心配せず、十分味わい、消化することです。
 夢は解釈する以前に、十分夢を見させてあげて、奧に溜まっているものを解消し、消化することにあるのです。
 それから、「自分がどういう夢を見ているのか」に気づき、そのことを受け止めて、自分が見ている夢を心に留めて、生活していくことです。内省的に生きるのです。
 
 夢に振り回されすぎることなく、肯定的な夢も否定的な夢も、どちらも認めて、平らで広い心で受け止め、落ち着いて感じながら、そのエネルギーを解消し、消化させていくことが大事です。
 「あぁ、今の自分の潜在意識の内容は、こういうものであり、自分は今、こういう夢を見るんだ」と。
 平らな広い心で、そのように肯定的に夢を見て、どういう夢でも受け止め、その動きと内容を心に留めるのです。
 夢に入れ込みすぎることなく。自分を知り、自分を受け入れ、自分を感じ、自分を解消する機会です。
 このようにすることで、夢を通して自分の潜在意識を知り、自分の潜在意識を感じ、解消することができます。
 夢を通して自分の奥深い意識と対話し、和解し、コミュニケーションを図り、次第に意識が全体として一つに融和し、意識の全体性が回復し、実現する方向で、根気強く自分の奥深い意識を覗きながら、肯定的な気持ちでゆったりと、取り組み続けることです。
 自分の奥深い意識は、自分の子どものようです。抑えすぎず、無視せず、忍耐強く受け止めて、優しい肯定的な心で応じ続けることです。
 自分の奥深い意識と交流し、より良い関係を形成していくために、夢に気長に取り組むのです。
 昼間無理をしているため、夜夢を見ることで溜まっているストレスなどを、夢で表現することで解消し、消化しようとします。
 
 それがある程度なされていれば、朝起きた時に肉体ばかりでなく精神も回復して、爽やかに目が覚め、その日1日も元気に、働いたり学んだりして過ごせます。
 夜眠るのは、肉体を休めるだけでなく、精神も休める目的があるのです。しかし、このようなことがわからないと、睡眠不足だったり、夢を無視したり、夢に振り回されたりします。
 それだと、眠っている間に意識が十分回復できません。それが続くと、潜在意識がパンク状態になります。
 そうなると、どうなるかというと、肉体に逃げ場を見出そうとします。夜潜在意識が夢を見て解消しきれないと、肉体に及び、肉体が夢を見ざるを得なくなります。
 肉体次元で解放しようとし、肉体次元でメッセージを、顕在意識に送ろうとするしかありません。それが倦怠感だったり、体の違和感だったり、という症状です。
 それでも無視して生活し続けると、肉体に、その人のその時点を表すような、病状が発生するのです。
 肉体の病気とは、肉体次元で夢を見て、解消しようと躍起になっている、とてもつらいあり方です。
 潜在意識レベルでも、十分に解消しきれないと、心の病が発生します。それだけでは追っつかないと、本当に症状が重くなって、生きていくことに支障を来すようになるのです。
 潜在意識で、基本的に夢を見るわけですが、魂の意識である超意識がいちばんの元にあります。
 その部分が素直な心で、教えに基づいて生きていたり、魂が主体のお祈りや礼拝や瞑想や奉仕的な生き方で、魂の元であられる天の創造主と交流していると、魂が活性化して、働き出すようになります。
 そうなってくると、魂の働きが潜在意識にも伝わります。そうすると、意味のある夢を見たり、鮮明な夢を見たりするようになります。
 
 潜在意識の夢は、基本的に雑夢であり、象徴的にある程度意味のある内容とはなっています。
 それが、魂が入り込んで、潜在意識に影響を及ぼしてくると、夢がクリアになったり、意味のある夢を見たり、朝目が覚めた時に印象に残って覚えて起きれるようになります。
 さらに、魂主体の夢を見るようになります。そのためには、潜在意識がある程度以上整理され、清められ、整ってからですが。
 潜在意識がある程度以上清められ、整って落ち着いてくると、そして超意識も目覚め、発達してくると、霊的な夢を見るようになります。
 普段から、「自分の理想に基づく使命に生きる」「教えに基づいて生きる」、そのような心がけで生きていることも、助けになります。
 そういう自分のあり方になってくると、超意識の夢が増えてきます。そうなると、意味のある夢以上に、「神の啓示」や「お告げ」のような夢になります。
 すでに潜在意識の段階で、夢を見ている間霊界に行って、実際の霊体験をすることもあります。あるいは前世や未来のことを、霊的に体験することもあります。
 肉体の状態がどういうものかを、潜在意識は夢の中でキャッチし、顕在意識に知らせてきてくれるものです。
 また、亡くなって霊界にいる霊的存在たちと出会い、いろいろ伝えてきたり、コミュニケーションすることも、夢の中では起きます。
 そのようなあり方が進んでくると、超意識主体の夢になります。それは、リーディングの状態に、かなり近いものなのです。深いサマーディの瞑想状態です。
 
 そうすると心も体も癒され、浄化され、回復するような働きがあります。
 なぜなら、魂の意識である超意識には、命を蘇生し、回復させるような、自己治癒力があるからです。
 イエス・キリストも、墓場の中で魂主体の状態で、肉体を蘇生させ、立て直し、復活しました。これが大ピラミッドの、「死と復活の命の秘伝」です。
 瞑想の時のように夢の中で、霊界という以上に天界に赴き、天界の純粋な英気を授かって、地上に戻ってきます。自分の肉体に。そうすると蘇生し、進化段階が上がるのです。
 夜眠っている間に、このようなイニシエーションを授かり、通過することも起きることがあります。
 潜在意識の中で、超意識が働きかけてくる「意味のある夢」からさらに、「正夢」「霊夢」、それから日中の「白昼夢」、あるいは「白日夢」などのリアルな夢体験をするようになります。
 ここまで来ると瞑想やリーディングの状態に限りなく近づきます。自分で自分の肉体や心の状態がわかり、無理なく治められるようになって、自分がONEの全体性を回復した生命体のありようになってきます。
 そうなると、日頃生活していても、自分で自分の肉体や心を知って無理なく治め、自分の感情や欲望を無理なく治めて、生命エネルギーを昇華し、より良いほうに生命力を活かしていけるようになります。
 菩薩や天使は、そのような生命体のありようにまで進化した、生命体のありようです。
 夜の夢は誰でも見ますが、その夢をどう捉え、どう関わるかで違ってきます。せっかく誰でも見るのですから、放置せず、無視せず、それを良いきっかけとして、自分に取り組むようにしてください。
 
 古来、神秘主義の流れの中では、このようなことに気づかれ、取り組まれてきています。聖書の中にも、いろいろな夢のことが出てきます。日本の古典の中にも、出てきます。
 それが、唯物的な考え方が蔓(まん)延したことで、意味のない、馬鹿げたことのように、夜の夢が見なされるようになってしまいました。
 それにより人類は、大切なきっかけを失い、そのつけが回ってきています。焦りや不安、ストレス、イライラ、うつ、病気などです。
 普段から焦りや不安があり、過去のことも引きずって処理できていません。物的には進歩してきているけれども、内面的には生命体が退化してきているのです。
 そういう時代風潮だからこそ、太古の叡智に目を止め、これからの時代に合った形で復興させ、自分の生活に取り入れることが、助けになるのです。
 自分の生命体を回復させるきっかけとして、夜の夢を取り込み、夢と上手く付き合い、活用していってください。
 夢を無意味なものとせず、また悩ましいものともせず、どういう夢でも理由と意味と目的があって見るのですから。
 なぜなら、自分の中に起きていることである以上、必ず必要性があって、理由と意味と目的をもって、自分の中で動いている、生命に不可欠なメカニズムだからです。
 落ち着いて命の感覚を働かせ、自分を立て直すのです。そして、より良い人生とするため、夢を取り込んでいってください。
 夜、身を横たえて眠り、昼間起きて活動します。それは、霊界と顕界を行き来している輪廻転生の名残です。
 夜の間に人は、成長したり、発達したり、回復します。また、傷が癒されたり、修復されます。
 昼間、体を動かして学んで努力したものは、眠っている間に整理され、資質となります。
 
 「一晩眠ってよく考えなさい」と、昔から言い伝えられています。それは、眠っている間に疲れが取れるばかりでなく、頭が整理され、一つの結論に到達できるからです。
 リーディングも、「眠っている間によく考えなさい」ということを、一つのシステムにした、有用な方法です。
 眠っている間に天界に還り、朝起きたら英気を頂いて目が覚めるように。それが最良の眠り方です。瞑想と同様です。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.17407

 
質問:人はなぜ生まれてきたのでしょうか。どのように生きたらよいのでしょうか。教えてください。
 
ソース: 人は誰でも、明確な目的を持って生まれてきます。自分も生まれてくることを願うとともに、それ以前に天のお計らいで、理由と必要性と目的があって、生まれさせていただきます。
 生まれてくる目的には、個人差がありますが、共通の部分もあります。
 
 原則として、次のような2つ、3つの理由と目的により、人間となって生まれてきます。
 1つめは、前世で自分が作ったカルマを果たすため、です。
 2つめは、いろいろ経験を積んで成長し、その自分を活かすことで周りのお役に立ち、社会の一助となるためです。理想社会を実現する一部となる、とも表現できます。
 3つめは、天からの贈り物として、です。人生の恵みや、楽しみの側面です。
 当人としても時期が来ると、あの世で態勢が整えられ、時代状況に合わせ、ご縁のある魂たちとの関連で相前後して、この世に人間となって出て来ます。
 先ほど列挙された、3つの理由と目的が主ですが、その内容には個人差が見られます。それで、一人ひとり異なった人生を送ることになるのです。カルマも、果たすべき役割も、楽しみや恵みも、人によってさまざまだからです。また、自由意思の使い方にもよります。
 これは、運命ということと関連してきます。
 運命は確かにあります。しかし、宿命ではありませんので、「何もかも予(あらかじ)め決まっていて変えられない」というほど、固定的絶対的なものではありません。
 大まかには決まっていますが、細かく具体的な部分は決まっておらず、自由意志によって作れます。また大筋の所も、場合によってはある程度変えられます。
 
 また、変えられない部分も認識し、受け入れ、教えによる気づきによって、より良く捉え、良い印象で受け止めて、上手く折り合って、心穏やかにやっていけるようになります。
 人間の心には、創造力が与えられています。そのため、自由意思の使い方で、自分のことも周りの状況も、いろいろに作っていけます。
 全く自分の思い通りに自由に作れるほどではありませんが、周りとの兼ね合いで、また自分の力量に応じて、そして神さまのご許可の下で、ある程度作っていけます。変えることも、ある程度可能です。
 人間の魂に創造力があるのは、人間の魂の親であられる神さまに、創造力があられることによります。子は親に似ているものだから、です。
 特に、親であられる創造主との関わりで、心の中の自由意思を使うと、より大きく発揮されるのと、正しく発揮されるのとが、特徴として表れます。
 一般の人たちはこういうことがわからないので、心の創造力をあまり使えていないし、たとえ使っていても、自分の癖が出て、新たなカルマを作り、周りを困らせ、自ら苦しむ事態を招いています。
 神さまとの関わりでこそ、自由意思は遺憾なく発揮され、また正しく運用されもします。運命が開拓できます。そのためにも、自分を毎朝、天の創造主にお任せするのです。
 過去にカルマが作られたのは、自分の自由意思の使い方によるものでした。
 
 もちろんカルマには善業もあるので、自由意思を上手に正しく使って、良いカルマも作り、それで今やれていたり、恵まれていたり、良い人になったりしているのです。
 カルマは、過去のものばかりではありません。現在も作りつつあります。そして将来も作ります。生きることが、カルマの営みだからです。
 そのことに気づいて、いつでもどこでも自分の態勢を整えて現状に臨み、現状の中で、今の自分として最善を尽くすよう心がけるのです。
 過去はすでに過ぎ去り、変えられません。未来はまだ来ていないので、今どのようにもできません。今この瞬間だけが、自由にできて可能性があります。
 そのことに気づいて、いつでもどこでも「今ここ」に専念することです。これが質問にある「どのように生きたらよいのですか」という、問いに対する答えです。
 どの瞬間も、最善を尽くすよう心がけて生きること。現時点の自分としてのベストを尽くすこと。人生は瞬間瞬間の集まりです。であるならば、いつでもその時の自分としての、最も良い心がけで、目の前のことに適切に、最善を尽くすことが大事です。いつでもそのことを心がけて生きるのです。
 
 これは、「無理をする」ということとは異なります。「徹底するけれども、いきすぎない。極端に陥らない。無理をしない」――これが超作です。中道と八正道です。自(じ)然(ねん)法(ほう)爾(に)です。
 これによって、自分の為の何かを当てにするのではなく、ただ純粋に、今のことに集中して果たすのです。これが超作です。神さまに自分をお任せし、自然体で目の前のことに徹すること。
 いつでもこのように心がけると、充実し、それによって、最良の結果が待ち受けています。
 いつでもそのように心がけると、後になるほど、自分の状態も周りの状況や動きも、着実に良くなっていきます。
 それによってちょっとでも良くなったら素直に喜び、それを励みに、次につなげていきましょう。
 一方、このように心がけても、自分の状態も周りの状況や動きも、たとえすぐに良くならなくても、このことを疑わず、諦めて止めず、焦らず、落ち着いて見直し、調整して、また取り組んでください。このような取組に価値があります。
 
 また、出てくる結果だけに囚われず、プロセスに着目してください。いつでもその時を大切に、その時その時を活かして、味わって過ごしてください。
 味わうけれどもその時に囚われず、自由でいてください。そうすると心が晴れやかで、のびのびして、天国的に暮らせます。それが「空(くう)を生きる」ということです。
 心が自由ならば、自分は自由です。それによって自分のことも、状況も、ほかの人のことも、そのまま活かすことになります。これが「愛と慈悲の生き方」です。
 自分の心に正直に、悔いのないように生きてください。この人生を大切にして、丁寧に生きるのです。一生を終える時、「良い人生だった。ありがたかった。やるだけやった。悔いはない。本望だ」。そのような充足感と、やりきった感があり、晴れ晴れとして、感謝と安堵感と充足感に包まれて、肉体から魂が離れられれば大往生であり、本当の意味で「上手くいった人生」と言えます。
 「自分の価値を証明する」とか「人から評価されるため」とか「人に勝つため」とかで、生きるのではありません。自分で納得できるよう、生きるのです。
 人を見たら、相手の人に勝とうとするよりも、相手の人を助けようとしてください。自分のことをわかってもらおうとするよりも、相手のことをわかって、相手のためになろうとしてください。
 
 まだ、自分が癒されていなかったり、態勢が整っていなかったり、余裕がなかったりしているうちは、人からわかってもらい、人に助けてもらうということを願っても構いません。
 しかし、そのような段階を経て、次第に自分の態勢が整い、余裕が出てきたならば、人をわかってあげて人の助けになるように生きるのです。
 自分を整え、自分を磨き、置かれた状況で自分を発揮し、周りに助けと喜びと平安と理解を与えていくのです。
 何でも「活かそう」としてください。自分のことも人のことも、状況も、出来事も。物や道具も。過去の体験や教訓も。何でも活かそうとするのです。それが「愛の生き方」です。
 全てに理由と意味と目的があります。そのことに気づいて安心し、どんなものでも人でも状況でも大切にし、感謝し、「活かそう」とするのです。そうすると、それぞれの目的が最上の形で遂げられていきます。そのようにすれば、結果はついてきます。
 一日を、天への礼拝からスタートしましょう。現実のあらゆることのいちばんの元は、天の創造主にあります。
 そこで真っ先に、天の創造主に向き合い、敬意を表し、自分の全てを任せ切るのです。
 「神さま、いつもありがとうございます。
 これからも全てにおいて、何とぞよろしくお願い申し上げます。全てが、神さまのお心の通りになってまいりますように」
 素直で無邪気な幼子の心で、そのように天の創造主さまにお伝えして、天に向けて深く頭を下げ、敬意を表し、自分に関する全てを任せ切ります。
 こうして一日をスタートするのです。日頃も、「天を敬い、天に従う」心がけで生きていきます。
 
 何か自分に合う、良い目標を持って生きてください。身の回りのささやかなことを、大切にしてください。身の回りのささやかなことで、喜んでください。身の回りのささやかなことに感謝し、喜び、大切にし、それらを活かして生きていく。無邪気でかわいらしい、幼子のようなあり方です。
 健全で良い目標を持ち、やり甲斐(がい)があると、活き活きと健康でいられ、天寿を全うできます。
 人をうらやましがる必要はありません。それぞれの人の良さと、独自性、固有の目的があるのです。自分は自分として、今自分にできることに専心してください。
 いつでもどこでも、その時自分のするべきことと、自分だからこそできることに集中すればよいのです。
 人と競り合ったり、人と自分を比較したりする必要はありません。誰かになろうとするよりも、むしろ自分になろうとしてください。もともとの自分の良さに気づき、もともとの自分の良さが自然に表れ出るようにするのです。
 
 神さまを信じ、そのもとで自分のことを信じてください。それだけで楽になり、安心し、明るくうれしく元気になってきます。
 本来の自分が回復してきて、自然に表れ出るように仕向けてください。そうすると、魂本位のあり方が出来てきて、余裕も生じ、自分の良さが活かされて、周りに対する思いやりが生じ、周りにより良い感化を与えられるようになります。
 自分の傾向を知って、自分の傾向がまずく出る代わりに、良く出るように調整し、振り向けていってください。
 周りに好ましくない影響を及ぼすことを極力控え、周りに好ましい影響が及ぶように、努力してください。
 自分の日頃の思いと言葉と態度と実際の行いが、より良いものになるように、好ましくないものにならないように、心がけてください。
 全ては日頃の小さな積み重ねです。小さなことの積み重ねで、自分も現実も作られています。
 
 どんな小さなことも、そのまま終わることはありません。全ては、日頃のことの積み重ねで出来ています。良きも悪しきも、全ては正当に報われていきます。
 安心してください。生命は永遠で、宇宙は公正です。神さまがおられ、そのようにしてくださっているお蔭です。
 この世もあの世も神の世界です。人は神に愛され、神に良くしていただいて、生かされて生きています。安心して自分が置かれた所で、自分らしく生きていってください。この世を天国にする一助となることで成長し、いずれは天国に帰還するため、転生しています。
 生命は永遠です。全ては正当に報われていきます。無駄に終わることは、何一つありません。苦労も努力も、必ず報われていきます。その時点のその人の内実を表すような、現実の状況と動きと体験になります。神の法則は完璧です。
 そのことを知って安心し、自分が置かれた所で自分らしく生きていけばよいのです。このようなことがわかると、とても楽になり、心も現状も安定してきます。
 
 時々過去を振り返って、点検・確認してください。過去の体験から得られたことを肝に銘じ、体験から得られた教訓や資質を、今後に反映させ、活かしていってください。
 自分のことも人のことも理解し、適切に許し、これからを大事に生きていけばよいのです。何も恐れることはありません。
 時々過去を振り返って、自分のことを認め、理解し、褒めてあげてください。それだけでも、心が楽になり、明るくうれしく元気になってきます。
 このようなことがわかってくると、心が楽になり、安定し、明るく肯定的・楽観的な人になります。これが本当です。天国的で健全なあり方です。
 人間は、肉体と頭と心とから出来ています。そしてそれらの元に、生命の本質の魂があります。天の神さまの分霊です。
 肉体は、先祖からの賜物です。
 心と頭は、自分の前世からの賜物です。
 自分の魂は、天の創造主からの賜物です。
 肉体は物質なので、いずれ朽ち果てます。肉体に魂がおれなくなった時が寿命であり、肉体にいることが我慢しきれなくなって肉体から離脱した時が死です。
 
 こうして魂と心は、霊界へと向かっていきます。肉体は、土に返っていきます。
 肉体は今世一代だけですが、肉体の元は魂です。霊体です。魂と心の反映としての肉体が作られ、そこに魂が宿っているからです。肉体は物であり、自然の摂理に従って生かされています。
 自然の摂理の中心は太陽です。それゆえ、自然の摂理の中心の太陽に沿って生きると、肉体は健康であり、病気にはなりません。
 自然の摂理の中心は太陽ですので、太陽のリズムに合わせて生きれば、肉体は健康で元気でいられます。
 太陽のリズムに合わせて生活してください。自然の摂理に沿って生活すれば、肉体は健康で、肉体で困ることは起きません。明るく健康的に、健全に、無理なく生きてください。消化器官は24時間のうち、12時間は休ませてあげること。
 肉体を良いことのために使ってください。いけないことのために肉体を使わないようにしてください。肉体を必要なことや良いことのために使うと、肉体が納得し、喜び、その結果肉体が健康でいられます。
 自然の摂理の元に天の摂理があります。天の摂理に従って、魂と頭と心を働かせることで、魂も頭も心も元気で、有用なことのために活かされていきます。
 そうすると頭も心も健康で健全で、活躍できます。良いことのためや必要なことのために、頭や心を程良く使ってください。そうすると、頭や心が発達し、さらに冴えてきます。良い人柄の人になります。本来の自分の個性が活かされます。
 
 カルマを果たし、カルマを超えるために生まれてきています。カルマから自由に生きられるのが解脱です。生まれてくる時点で、神さまからお役を授かり、お役を果たすために生かされて生きていきます。
 人生がどういうものになるかは、前世のカルマの内容と、生まれてきた目的と役割。これらを表すような人生になります。それと、自由意思の使い方によります。
 人生こそが修行であり、自分磨きの機会です。同時に、良くなってきた自分を活かして周りのお役に立ち、世の中を良くするためにも生きていきます。そして、見落としてならないのは、人生は天からの贈り物だということです。
 人生は修行であり、カルマを果たすためということですが、本来は天からの贈り物として、生まれさせていただいています。恵みの面です。そのことを忘れないでください。天のふるさとに還っていくプロセスが転生です。
 人生をしみじみ味わい、「ありがたいなぁ」「うれしいなぁ」と思えたら、恵みの面を感じていることになります。
 そこで、神さまに対しても「ありがたいなぁ」という、素直な心や安堵感や充足感が得られます。すると神さまのほうを向いて、感謝し、お委ねするようになります。
 
 単に、罪を犯してまだ不足だから生まれてきた、ということではないのです。「かわいい子には旅させよ」ということで、親であられる神さまが、この素晴らしい地上に生まれさせてくださったのです。
 そのことに気づいて、幼子のように神の子として、恵みの人生を送ってください。
 一見すると、恵みにはとても思えないような中に、いっぱい恵みが潜んでいます。そのことを見落とさないでください。
 全ては理由と必要性があって、神から来ます。理由と意味と目的が、全てにあります。因果の法則に基づいて現実は起きているのです。
 起きる理由と必要性と目的のあることが、真の意味で良くなるため、時期が来るとふさわしい形で起きます。
 安心してください。この世もあの世も神の世界であり、良くなる方向で、公正に起きています。全てが正当に報われます。生命は永遠です。何の恐れも心配もいりません。この世もあの世も神の世界なのですから。
 
 このリーディングで述べられたことが、「ブッダの悟り」の完成形態です。それぞれは進化し続けます。
 「ブッダの悟り」もキリスト時代を経て、本人も生まれ変わりながら、このような内容にまで、当時の悟りが発展し完成を見たのです。
 この「ONEの真理」を悟ることで、苦しみから解放され、心が平安と喜びに満ち溢(あふ)れ、現状の中で生きていけるようになります。これが進化形のニルヴァーナ、涅槃です。
 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ。悟りよ、幸いあれ!

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉