メッセージリーディング

このコーナーでは、時事の問題や未来予測に関する、ARIのオリジナルリーディングを掲載しております。
 
メッセージリーディングとは、個人の問題ではなく、社会的事象や歴史上の不明点、また未来に関すること、その他、政治、経済、科学、技術、宗教、哲学、医学、医療、教育、芸術、等々の分野での調査目的で行うリーディングです。
 
どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。

リーディング No.16718

 
質問:苦悩はどのように捉え、対応したらよいのでしょうか。どうかお教えください。
 
ソース: 仏教では、「苦」「無常」「無我」、この3つが重要な真理として説かれています。
 まず「一切皆(かい)苦(く)」ということで、「全てのことは皆、苦しみである」。このことが説かれています。自分の思いどおりにならない。
 ではなぜ、全てのことが苦しみなのか。
それは、「諸行無常であるからだ」と、説
明づけられています。
 「あらゆる働きは、変わらずに続くものではなく、変わっていってしまう」ということです。これが諸行無常です。
 ではなぜ、全てのことは変化して止まず、変わらないということが叶わないのか。それは「諸法無我であるからだ」と、説明づけられています。法とは、存在するもののこと。
 あらゆる働きや営み、存在と理法は、実
体がない。「これこそは自分である、また自分のものである」。そのように、「永遠に続く自分の実体というものがなく、無我であるからだ」と、説明づけられています。
 このように仏教では、まず「一切皆苦――全てのことは苦しみである――という事実を直視することから始まり、全てが苦しみであるのは、永遠に続くものがなく、全てが変わってしまうからである」と。そして「全てが変わってしまい、永遠に変わらずに続くことがないのは、我(われ)という永遠に続く実体がなく、無我であるからである」と。
 このことに気づいて、無明と我執から解き放たれることで「涅槃寂静」、すなわち「心の平安に至る」と、説かれています。以上の4つを四法印と言います。
 「これは私である」
 「これは私のものである」
 「それらは永遠に変わらずに続くものである」
 そのように捉えたり期待したりする。しかし、現実はそうはならない。それは、自分というものがそもそもないからであり、縁起性のものであるからである。
 
 そのため、全ては変わってしまい、永遠に続くものは、何一つない。それなのに、永遠に続くと捉えたり、永遠に続くと期待するところから、苦しみが生じる。この、物の道理を悟ることで、心が囚われから脱し、平安に至る。これが仏教で説く、「苦」「無常」「無我」の教えです。
 また仏教では、「四(し)諦(たい)」を説きます。四諦とは、4つの真理のことです。「諦(たい)」という漢字は、一般には「諦める」と解釈されますが、そればかりでなく、真理や真実を指しています。「4つの聖なる真理」、それが「四聖諦」です。
 「苦」「集(じゆう)」「滅」「道(どう)」、この4つが聖なる真理です。これは、医療と共通しているところがあります。
 まず最初の真理は、「苦」ということです。現実は苦しみである。生まれてくることからして、苦しみである。
 仏教では「四苦八苦」と言い、主たる苦しみが、「生・老・病・死」です。「生まれてくること」「老いること」「病気になること」「いずれは死ぬこと」。この4つが、主たる苦しみです。
 副次的な4つの苦しみは、「愛する者と別れる苦しみ」「嫌な人と会わなければならない苦しみ」「求めるものを得られない苦しみ」、そして「自分の存在の全てそのものが、苦しみを盛り込んだような存在であるという苦しみ」。これが副次的な4つの苦しみ。
 このように、主たる4つの苦しみと、副次的な4つの苦しみを合わせて、「四苦八苦」と言います。
 「これが現実である」と、仏教では捉えています。これが最初の真理である「苦」です。
 2番目の真理である「集(じゆう)」とは、「集める」という字を書きます。
 なぜ苦しみであるのか。それは苦しみの元を集めているからである。苦しみの元となる悪業を自ら作り、その集積が自分だから。
 前世から、カルマを作ってきたからである。そのカルマを自分が集めてきたからである。いろいろな苦しみを招くカルマを、自分が作ってしまったのは、物の道理に昏(くら)い無明による。また、欲望に基づいて、飽き足らない、求めて止まない欲求があるからである。これを「渇愛」と言います。
 このような「無明」や「渇愛」によってカルマを作り、カルマが蓄積されているから、苦しむようになっている。これが「集」という真理です。
 医療に当てはめるなら、1番目の「苦」という真理は、病気で苦しんでいるという状態を指しています。
 2番目の真理の「集」とは、診断です。なぜ病気で苦しんでいるのかを診断して、明らかにする。それが「集」です。
 自らカルマを作って、カルマを自分の中に集積している。そのことが診断で、明らかになります。
 3番目の真理は、「滅」です。
 ではどうすればよいか。苦しみの元であるカルマを解消したり果たせばよい。さらには、カルマの元の無明を智慧によって破ること。こうして苦の元を滅すること。これが処方箋です。
 
 現実は苦しい。ではなぜ苦しいのか。カルマを作ってきたからである。そのカルマを作ってきたのは、元はといえば、物の道理に昏(くら)い無明と、飽き足らない欲求や欲望や感情のせいである。
 そこで、苦しみの元であるカルマや、カルマの元にある無明や渇愛を滅すればよい。これが処方箋です。
 最後の4つめの真理は「道(どう)」です。滅するには、具体的にはどうしたらよいのか。それが「道(みち)」です。仏教では「八正道」、また「中道」と呼ばれます。
 「苦行や自虐的なほうに向かわないこと」 一方、「快楽的なほうにも向かわないこと」
 「適切で健全な考え方や過ごし方をすること」
 これが苦楽の中道と言われます。それを8つの方面で展開したのが、「八正道」です。8つの適切な道、すなわち生き方。
 例えば、正しい考え方や正しい認識、正しい瞑想や価値観。正しい対処法、正しい食事の仕方。
 「正しい」というのは中道であり、極端に走らないこと。「適切でぴったりである」というのが、正しいということ。
 「どんなことにおいても正しく捉え、適切に応じたり行動したりすること」
 「祈りも、正しく適切にお祈りする」
 「人との関わりや物事の見なし方も、正しく適切に処する」
 これが「八正道」ということ。
 なぜ苦しいのか。苦しみの元であるカルマを集めてきているからである。そこで、苦しみの元であるカルマを解消したり果たしたりすればよい。これが「滅」。そのための方法や手立てとして、「八正道」や「中道」が勧められたのです。
 これが医療で言えば「治療法」。処置とか手術とか、薬を摂るとかです。あるいは養生して、ゆっくり休むとか、です。
 この場合、カルマが原因で苦しみを招いているということですが、カルマを作った元に「物の道理の昏さ」があります。
 そこで、教えを学ぶわけです。これはONEの教えにおいても、そのまま当てはまります。
 ONEの教えを学ぶことで、物の道理がわかります。そうすると、「なーんだ、そういうことなのか! それならわかる。それなら認め、受け入れよう」。このように納得し、気持ちが吹っ切れて解放され、現状を認め許し、それから適切に応じられるようになります。真理が薬のように効くのです。
 以上が仏教で説く「四(し)聖(しよう)諦(たい)」、4つの聖なる真理です。
 さらに仏教では「三学」を説きます。3つの学ぶこと、です。「戒」「定(じよう)」「慧(え)」、この3つです。
 
 「戒律を守ること」
 「正しい禅定、すなわち瞑想を行うこと」
 「それによって慧(え)――智慧――が生じる」
 これが仏教における、「苦」への対処法としての「三学」です。「学ぶ」といっても、頭だけで学ぶ知識や理解を超えています。もっと生き方や、修行そのもののことです。
 まず「戒律を守る」ということで、「悪を慎み、善を進んでなすこと」です。これで、自分が健全になり、整います。
 キリスト教のほうにも仏教のほうにも、守るべき規律や掟(おきて)があります。モーセ以来の律法があり、それが事細かに規定され、形式主義に陥ったり偽善に陥ったりしていました。あまり意味のない細かいことまで規定され、煩(はん)瑣(さ)になっていました。手段であるはずの律法が目的になり、人や自分を縛るものとなっていました。
 そこにイエス・キリストが現れ、律法を整理しました。そして本当に重要なことにまとめ、そのことを、有効に機能させるようにしました。モーセ以来のあらゆる律法は、次の一点に集約される。
 「全身全霊をもって神を愛しなさい。そして自分を愛するように、汝の隣(となり)人(びと)たちを愛しなさい」と。
 また、『ヨハネによる福音書』の後半部分には、イエス様が最後の晩餐の席で、弟子たちに伝えました。
 「あなた方に新しい掟を与えよう。それは難しいことではない。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。これが新しい律法であり、戒めである。これを守りなさい」と。
 もともと規律や律法や戒律は、愛のためなのです。本当の愛が善です。本当の愛から外れ、本当の愛を損ねることが悪です。
 モーセ以来の律法にしても、仏教の戒律にしても、縛ることが目的ではなく、救うことが目的です。ユダヤ教の中でキリストがしたことを、仏教の中では親鸞が行いました。
 では、救われるにはどうしたらよいのか。
 悪を控えること。そして善を進んで行うこと。
 要するに、律法にしても戒律にしても、縛るためや苦しめるためではなく、道から外れないようにすることにあります。こうして、自分も周りも、社会も整います。
 「道から外れない」とは、「悪に向かわない」ということ。「悪い思い」「悪い考え」「悪い言葉」「悪い行いや対処法」、こういったことが悪です。そしてその悪が、苦しみを招くのです。カルマの因果応報の法則に基づきます。
 「悪」が苦しみを招くということ。それが「悪業」です。そうであるからこそ、律法や戒律が定められてきているのです。
 悪を控えるだけでは不十分です。「駄目だ」と言って押さえるだけではなく、「なぜいけないのか」、物の道理を教えを通して学んで知ること。
 
 また、いけないことを考えたりしてしまう元に、無明や渇愛があることを知って、自分を整えていくこと。現代的に言えば、癒しも必要です。
 このように、ただ「駄目だからしてはいけない」というのではなく、そのようにせざるを得ない事情や理由や無理解ということに思い至って、そこから処置していくことが必要です。さらに、良いことをどんどん積極的に明るい気持ちで行っていくこと。
 そのために、仏教でいう「三学」の智慧が必要なのです。そしてその智慧を得るために、禅定すなわち瞑想が助けになるということです。瞑想によって智慧が得られ、智慧によって正しい認識が生じて、物の道理がわかり、そうなると殊更「してはならない」と言われなくても、しなくなります。
 また、「どういうことが良く、どういうことがいけないのか」、智慧が生じてこそわかります。無明が明に変わります。明らかな智慧に。
 それで仏教では、智慧を重んじます。明るい智慧が無明を消し去り、物の道理に明るくなって、「どういうことがいけないのか」わかり、わかるだけでなくて、自ら控えるようになります。
 まず戒律を守ることで、自分が整い、落ち着きます。それにより、瞑想に入れます。その瞑想によって、智慧が生じ、無明が明に変わります。
 現代に必要なのは、本当の智慧なのです。物の道理に明るくなること。そのために教えを学んだり、魂を目覚めさせるチャクラの開発に取り組みます。
 「悪」を控えるだけでは不十分です。「善」を進んでなすことが必要です。それで悪業も相殺されます。
 自分を活かすこと。生命エネルギーを清めて発揮し、他者の助けになること。それが「善」です。「善業」です。それが苦しみをなくし、喜びや平安や恵みをもたらします。戒律はそのための規定です。
 苦しみは、自分を苦しめている前に、人や周りや自然を苦しめてます。それが因果応報で自分に返ってきて、自ら苦しむこととなります。他者に対しても自分に対しても、「悪業は、よろしくない」ということです。
 周りに及ぼした影響が自分に返ってきて、それを体験させられているのです。
 
 一方「善」というのは、周りに対しても自分に対しても良いものです。苦しみを解消します。喜びや恵みや平安をもたらすのが、「善」です。
 実は、健康法や病気の治療法も、これなのです。悪を控え、善をなすことです。それがまた、「浄化する」ということでもあるのです。
 良いことを思い、良いことを考え、良い言葉を語り、良い行いをする。これがお清めの基本です。
 汚れや穢(けが)れとは、悪業によります。
 「清める」というのは、「善業」によります。「良い思い」「良い食事」「良い言葉」「良い働き」、それが自らを清めます。
 「良い」というのは「愛」です。周りのためにも自分のためにもなる、それが「善」です。それが自らを清めます。これがお清め法です。これで病気も治り、チャクラも清まり、癒されます。これが戒律ということの目的です。戒律を守ると自分が整います。自分の肉体も心も整う。人間関係も環境も整う。これが戒律の目的。
 そうすると落ち着いて瞑想に入れます。こうして瞑想によって魂が目覚め、チャクラが開発され、智慧が生じます。智慧によって正しい認識が生じます。「苦の由来」や「どうしたらよいのか」がわかり、自分の気持ちが吹っ切れて解放されます。それから適切に対処して、現実の問題も解決できます。これが「戒・定・慧」の三学。
 以上は一般的なことです。ほかに「自分を知る」ということも必要です。自分のご縁と使命を知ること。
 自分を知るために、前世も役に立ちます。自分がどういう存在なのかを知ることで、なぜこういう苦しみが生じているのかが個別的具体的にわかってきます。
 自分を知ることは、自分のカルマを自覚することと関連しています。それによって自分の傾向がわかり、対処法も個別的にわかり、実践できます。
 これによって苦しみの由来がわかり、解決できます。自分の人生目的や使命を知ることも役に立ちます。
 
 一般的な真理からずれるだけでなく、個別的な真理からもずれないようにするべきです。
 そのためには、自分の縁を知るべきです。自分はどこでどういうことをする必要があるのか。そのことからずれていたら、余計な苦しみを招きます。
 このように、「己を知る」ということも大事です。苦しみを解消するために。
 「苦悩の解決法」ということで見てきました。一般的なところから見ていくこととともに、「己(おのれ)を知る」ということで、個別的具体的に自分を見ていってこそ、苦悩の原因や理由がわかり、適切に対処して解決を図れます。そして、さらに自分を活かして周りから喜ばれ、生活も成り立たせていただけて、神さまのお心に沿った充実した人生を送れます。真の自己実現が大事です。
 神さまの思い、しかも自分に引き当てられた個別的な神さまの思いを知ることも、大事です。「神さまはこの自分に、どうすることを願われているのか」。そのことがわかってこそ、苦悩が解決し、自分が活かされて、充実した人生を送れるようになります。
 神さまを知ることも、苦悩の真の理由と解決のために必要です。それによって、苦脳は否定的消極的なことや、ただの問題だということだけでなく、修行でありトレーニングであることがわかります。
 こうして、神の愛から苦悩が出てきている。苦悩の直接の理由は自分にあるにしても、根本のところでは神から苦悩が与えられている。こうして苦悩の肯定的な意味がわかり、それを進んで引き受け、それを糧(かて)としていくことさえできるようになります。
 
 これでこそ本当です。ただ「自分に問題があるから」とか、まして「人に問題があるから」とか「社会が不完全だからだ」とか、そういう見方は当たっていません。
 良いほうに自分を向けること。苦悩には理由、原因、意味、目的があり、事は神の下、前向きに起きます。そこで大事なことに気づいて、出来事から学んで改善し、体験とそこから得られた教訓を糧(かて)として、前向き肯定的に生きるのです。単に苦の解決、解消だけを目的とするというよりも。
 神の愛から来ているのが、苦しみです。これが究極的な、苦しみの解釈法です。それでこそ、自分を否定的に捉えることから脱し、自分の課題を通してさえ、全てが活かされ、感謝と信頼の中で、喜びを抱いて生きていけるようになることでしょう。
 これが新しい真理、すなわちONEです。これからの時代のための教えです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16672

 
質問:ご縁についてお教えください。
 
ソース: ARIのONEの教えでは、実際的なことが重んぜられています。それは、現実の動きにはそれだけの理由と根拠、意味と必要性、目的があるからです。
 神さまが宇宙に秩序を与え、公正に人を導く手立てとして、カルマの「因果の法則」を設けられました。
 そして、その「因果の法則」に基づいて、
人々を、本人のカルマを通して育て、導い
てくださっています。それが現実の動きと状況です。
 この法則の作用の仕方に、すなわち現実の動きと状況に、神さまのお心と神さまのなさり方が顕れ出ています。
 そうであるからこそ、ONEの教えでは、実際的なことを重んじ、いつでも現状の中で現状を受け入れ、現状を大切にやっていくことが勧められているのです。
 その「因果の法則」と「ご縁」ということが、深く関連しています。縁起、因縁で
す。人はご縁で成り立ち、やっていけます。
 
 ご縁を通して、前世からのカルマを果たし、成長を遂げ、今世生まれてきた目的と役割を果たしていけます。
 ご縁を抜きにして、前世からのカルマも、今世の目的と役割も遂げられません。ご縁ということは、実際的なことの中に表れています。
 「こうであるべきだ」とか、「現実から浮いた自分の願いとか理想」、そういったものは観念的で、現実とつながりがないため、真実でないことが多く、実現しにくいし、そのことを努力する必要もありません。
 もちろん、自分の心の中にある理想は大切にしたほうがよいし、心の中の理想やイメージや願いには、意味と根拠があることも多いです。
 現状の中では、まだ実現していないことでも、将来を予見するかのように、自分の心の中に、将来実現するであろうことや実現すると良いことが、すでに焼きつけられているからです。ただ、その場合でも、現状をまず受け入れ、大切にし、果たすこと。現状からスタートです。
 それでこそ、現状の責任とカルマと役割を果たし、その中でやっていけて成長を遂げ、着々と準備が整って、必要なプロセスを経て、心の中の青写真が、自分にふさわしい内容と規模で、実現していくのです。
 現状を嫌がったり、否定したり、拒否したままで、自分の心の願いを実現させようとだけしても、現状からして無理があるし、法則からしても難しいし、そのようにするべきものでもありません。
 前世で作ったカルマにしても、今世で果たすべき目的や役割にしても、自分個人だけのものはほとんどありません。過去から現在にかけて、現在から未来にかけて、カルマも役目も、過去のものを解消しつつ、新たに作りつつもあります。
 
 カルマは、周りとの関わりで作られた場合が多く、カルマをご縁のある人たちと共有し合っています。それゆえ、ご縁の中で取り組むことで、前世のカルマを果たせます。実際、人間関係や状況の中で、カルマが顕れ出ることが多いものです。
 同時に一方、今世の生まれてきた目的や、果たすべき役割や願いのほうも、単独で実現することは少ないし、理想や願いのほうも、ご縁のある人たちと関連している場合が多く、そのため、ご縁のある人たちとの関わりで自分の夢も叶えられます。
 「ご縁」というのは、「つながり」のことです。人は、ご縁の中で成り立ち、やっていける。ご縁を通して前世のカルマを果たし、今世の生まれてきた目的と役割を遂げられ、あの世に帰っていける。
 ここで「ご縁」というと、一般には当然のように「人とのご縁」ということが思い浮かびます。もちろん「ご縁」の中で、「人とのご縁」は大切であり、基本軸を成します。
 ただ、ご縁の中には「人とのご縁」以外にも、いろいろとご縁があるのです。そのことに気づいてください。
 「仏縁」などと言われるように、「仏さまとのご縁」。そしてもちろん、「神さまとのご縁」があります。
 
 「霊的存在方とのご縁」。ある人は、観音様とのご縁が深いです。不動明王とのご縁が深い人もおられるし、イエス様や聖母マリア様とのご縁が深い方もおられます。ここで霊的系統である「霊統」が浮かんできます。
 家系の宗教や宗旨にも、ある程度意味や目的が潜んでいます。これまで自分がご縁を頂いてきた宗教や霊的関係のことにも、自分の霊統のご縁が顕れ出ているものです。またその霊統は、前世の自分のルーツや経緯とも関連しています。
 宗教や霊的なことと関わらせていただく場合、ただ単に「こうであるべきである」とか「どこが本物で高いところか」とか、そういうことばかりでなく、「ご縁」ということで見ていく必要があります。ここでも「実際性」ということが大切にされます。
 宗教や霊的なことに関わらせていただく場合、本当のところで「良いところである」ということが、条件の1つです。
 もう1つの条件は、「自分とご縁があるかどうか」です。これは相性ということとも関連しています。ご縁のあるところには、ご縁のある人たちがおられるものです。それでこそ、前世からのカルマを果たし、今世必要な学びを頂けて、関わりの中で使命を遂行し、共に成し遂げることができて、あの世に帰っていけます。
 
 このように「ご縁」という場合、「人とのご縁」のほかに「霊的存在方とのご縁」というものが考慮されるべきです。家系的な先祖霊たちとのご縁もあります。「霊界の霊たちとのご縁」が、広くはあります。
 人は生きていく場合、関わりの中で共存し、協調していくことが求められます。「人や社会との共存と調和」「自然界との共存と調和」「霊界との共存と調和」。このいずれも大切です。
 多くの人は、今挙(あ)げた3つのどれかに偏っている場合が多いです。いずれも本当で、大切にするべきです。
 「霊界との共存と調和」の元に、「神さまとの共存と調和」というものがあります。また、「自然界との共存と調和」ということの中には、「土地とのご縁」「自然のいろいろな命たちとのご縁」もあります。
 また、「太陽とのご縁」「月とのご縁」、水星や火星などの「惑星とのご縁」もあります。ある人は天王星とのご縁が強いので、天王星を特に大切にすると良いです。
 このように自分の傾向を知って、「特に何を大切にすると成り立ち、生きていけて、使命を遂げられるか」ということが考慮されるべきです。
 このようにご縁の中には、「自然とのご縁」というのがあるのです。自然とのご縁の中では、まず「土地とのご縁」が重要です。
 人は、特定の家系と土地に、そのご縁によって生まれてこれるのです。ご縁がないと、この世に出てきたくても、出てこれません。そこで、出てくる場合、「ご縁」というつながりがあってこそ、出てこれます。
 「時代とのご縁」というのもあります。シュタイナーは「時代霊」という、時代を司る霊を重んじました。
 
 三次元領域に出てくる場合、「いつ、どこで」ということになります。その「いつ」ということを、時代霊が司ります。「どこに」ということは場所ですので、土地とのご縁です。人は土地との関わりで転生し、カルマも使命も果たしていけます。
 日本では特に、農耕生活が長かったため、土地とのご縁と家系とのご縁が結びついています。次第に工業化が進み、現代では情報化が進んでいるため、家系と土地とが必ずしも結びついていなくなってきてはいます。それでもある程度は、家系の流れと土地が関連しているものです。
 土地とのご縁を始め、自然のさまざまなつながりのご縁の支えで、人は生きていけます。
 「水が合わない」という表現が、昔から使われます。それは象徴的比喩的な意味も含めて、「人間には自然との相性やつながりということが大事である」ことを表す表現です。
 また、「どの地域の出身か」ということが問われます。これにも意味があり、人は生まれ育った所と別の所に移り住んでいても、未(いま)だに出身地の土地とのつながりがあり、出身地の土地の動きの影響を受け続けることが、感じられていたことによります。
 土地や家系とのつながりの強い人ほど、結局は、その土地や家系に帰って住むようになります。それで成り立ち、住みやすく、カルマも使命も遂げられるからです。
 一般に、家系や土地のつながりが強い魂は、長男や長女に産まれてきて、家や土地を継ぎます。名字(苗字)が変わらない人も、家系や土地とのつながりが強いことを表しています。
 
 人がこの世に生まれてくる場合、カルマは何も自分個人のカルマだけではないので、家系のカルマ、自分の前世のカルマ、土地のカルマ、地域社会とのつながりなどの、どれが優先的に作用するかによって、生まれてくる所や辿(たど)る運命が、自(おの)ずとそれ相応のものになります。その上で、自由意思が使われ、新たなカルマを作って生きていくということになります。
 自分個人のカルマや目的よりも、家系や土地のカルマのほうが強い人の場合は、自(おの)ずと「自分個人がどうの」というよりも、家や土地を守るような願いを持っていて、それが遂げられるような人生を送ります。
 また、地域社会とのつながりが強く、その目的のために生まれてきた人は、地方公務員になったり、地域社会に貢献するような働きをしたり、その願いを持って、それ相応の人生を送ります。
 日本の国のカルマとのつながりが前世から強い魂は、あまり地域とか家とか自分とかには関心がなく、日本の国に関心があり、国家公務員になったり、日本の政府の仕事に就き、手腕を発揮します。それで前世からのカルマも、今世の使命も遂げられるからです。
 首相になるような人は、器があるだけでなく、日本の国のカルマや日本の国土とのつながりがあるのです。また、首相になれるような家系に生まれてくるものです。
 「外界は内界の顕れ」です。その時点のその人の内面性を表す、状況と動きと体験になります。「たまたま総理大臣になる」ということはありません。天皇になるということも、もちろんその顕れです。
 その上で、「自由意思をより良く使う」ということが、求められてきます。
 「自由意思」が遺憾なく発揮されるためには、自分のご縁のある霊的な系統に就くと共に、どのような霊統かの元にあるONEの神さまにまで遡(さかのぼ)ること。それでこそそれぞれの霊統も活かされます。
 神との関わりで、自由意思が遺憾なく発揮されます。こうして運命が開拓され、定まったところは肯定的に捉えて、活かす方向で関わっていけます。
 変えられるところは積極的能動的に変えていき、変えられない部分は「そういうものだ」と理解して受け入れ、より良く捉えて適切に関わっていくということです。
 
 「人とのご縁」という場合、自分との関係からして、さまざまな人とのご縁があります。「自分自身とのご縁」ということも、見落としてはなりません。
 さらに細分化するなら、「自分の肉体とのご縁」「自分の心とのご縁」「自分の魂とのご縁」、それぞれあります。
 基本的に、自分の肉体は、「家系の賜物」です。自分の心は、「自分の前世からの賜物」です。自分の魂は、「神さまからの賜物」です。その全体が1つに構成されているのが、「自分」です。 
 「人とのご縁」の中には、「家族とのご縁」があります。それは前世からもご縁が深い人たちの場合がほとんどです。「父親とのご縁」「母親とのご縁」「祖父母とのご縁」。
 結婚している人の場合、「夫や妻とのご縁」。子どもを授かっている人の場合は、「息子とのご縁」「娘とのご縁」。また、長男・次男、長女・次女などと、複数子どもを授かっている方もおられます。さらに、「孫とのご縁」。このように家族のご縁があります。さらに、親族や親戚まで含まれます。おじやおば、甥、姪などです。
 人は必ずしも家系の中で、その子孫に生まれ変わるとは限らないし、自分の前世が家系のご先祖さんであることも少ないです。
 ただ、家系とのつながりが強い魂の場合は、家系の中での生まれ変わりもあります。また、家系の直系の生まれ変わりでなくても、関連の家系や、友人知人の家系に生まれ変わったりすることも多いです。
 人は、生まれ変わる場合、国や民族、人種、さらに宗教の別を超えて生まれ変われます。性別も超えて生まれ変われます。
 
 ただ、それでもある程度、自分の特徴や傾向は出ており、その方向で生まれ変わる場合が多いです。それでこそ、カルマも使命も果たせるからです。
 ただ時々、別の側に生まれ変わってバランスを取り、カルマを果たすこともあります。敵方に生まれるとか、です。
 前世で平家だった者が、源氏の家系に生まれ変わる。前世でギリシャは自分の敵だったけれども、今度は自分がギリシャ人に生まれ変わるといったようなことも起きます。
 いつもいつも同じ国の人として、あるいは同じ宗教の系統の人として、生まれ変わるとは限りません。
 これまで生まれ変わりを見る場合、同じ国や同じ宗教の系統の中で生まれ変わると限定して、捉えられすぎてきています。実際は、もっと広い範囲で生まれ変われます。それでもある程度、傾向はあります。
 また、古い時代には、ある程度制約の中で生まれ変わることが多かったのですが、次第に範囲が広くなり、制約から自由に生まれ変わるように、成長を遂げてきているということは見られます。
 ご縁を大切にしなければならない理由として、「人はある一定範囲で生まれ変わりやすい」ことがあるからです。
 万人平等で、人類は一つである。その前提の上で、特徴や傾向ということを見てこそ、実際的であり、成り立ち、カルマも使命も遂げられていくということです。
 ただの国際性や、一般的な真理だけ見ても始まりません。そうでないと、それぞれの国の実情の人のことがわからず、広い普遍的なONEだけスローガンで掲げても、現実は成り立ちにくいし、伝わりにくいです。
 
 個別性を理解し、尊びつつも、個別性だけに終わらず、広い普遍性にまでそれぞれが向かっていってこそ、ONEが実現するのです。
 人とのご縁という場合、社会性の部分も大切です。金剛界的な職業です。「仕事とのご縁」が大事です。それは社会性とも関連します。
 家族との、胎蔵界の人とのご縁と共に、金剛界方面の社会的な職業を通してのご縁。これは使命ということになってきます。
 多くの人は、前世と関連した職業にまた就きます。全く同じ仕事で、ということではないにしても、ある程度前世の時に近い仕事に就きやすいのが実情です。
 自分の使命を遂行し始めると、前世の時の仕事で関連した人たちと出会い直すことが多いです。
 ただ人は、発展的に進んでいくので、前世で関わらなかった人たちとも出会い、関わっていくということがあります。進展していくのです。その場合も、前世との関わりが基盤になります。前世という基盤を無視したり、軽んじたりしては、現実は成り立ちにくいのです。
 このように、仕事や働きの方面での人とのご縁があります。また、地域社会の人たちとのご縁ということもあります。
 仕事とのご縁と似たものとして、趣味や文化活動とのご縁というものもあります。前世で仕事だったことが、今世で趣味になる人は多いです。前世で趣味だったことが、今世で本業になることも多いです。
 そういうことで、趣味や文化活動や何かの学びで、つまり仕事以外でも、人との出会いとご縁は大事です。その中で、カルマも使命も果たされていくからです。
 カルマや役目や目的があれば、自(おの)ずとそれ相応の人と出会い、その中でカルマが出て果たされ、学びが与えられ、今世でより良い関わりに進展します。そうなるために、前世やカルマが知らされます。前世やカルマが具体的に知らされない場合でも、法則を学ぶことで、現状を間違いなく捉え、対応して切り抜けられます。
 またお祈りをして、神仏のお力添えやお力を頂くことで乗り越えられ、前世より前進できます。
 宗教の行や教えや祈りの内容にしても、前世でご縁のあった霊統だと、相性が良く、わかりやすく、学びや修行やご奉仕も進展しやすいです。
 ご縁のあるところには、ご縁のある人たちがいるものです。学校でも会社でも、霊的グループでも、地域社会でも。
 
 以上、ご縁についていろいろ見てきました。それら全てのご縁を自覚し、大切にし、活かしてこそ、今世がより良いものとして遂げられます。
 「自分のカルマを自覚すること」「自分のご縁を自覚すること」「自分の今世の目的と役割を自覚すること」。それが「本当に自分を知る」ということ。それで生きる基盤ができます。
 そうすると、今世の願いの意味がわかり、今世の生まれてきた目的を、ご縁の中でより良く遂げていけます。人は互いに相手に対して、責任とカルマと役目があるのです。
 以上のことをここで確認し、改めて自分を見直して、自分を本当にご縁の中で見出し、ご縁というつながりを大切に発揮して、今のこの人生を生きていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16647

 
質問:お役に立つことの大切さがONEの教えでは強調されています。このことについてご教示ください。
 
ソース: ONEの神であられる宇宙の創造主は、愛と知恵のお方です。その神に創造された神の子としての人間にも、愛と知恵が宿っています。
 愛と知恵は魂にあります。ただ、神の子としての人間は、まだ親としての神さまのような完全な存在にはなっていません。そうなれるよう、ONEの教えやリーディングが与えられています。
 生まれ変わりながら、親であられる神さまの働きかけで、自分が作ったカルマを通して、親であられる神が、育て導いてくださっています。それが、現実の動きや状況の説明です。体験学習です。
 
 試行錯誤を重ねながら、自分の作ったカルマによって、神さまから訓育を受けている。それが人生を生きるということ。広くは、輪廻転生するということです。
 生まれ変わりには、教育の面とともに恵みの面もあります。
 「かわいい子には旅させよ」と言われます。それと同様に、親であられる神は、子である人間に対して、地上に生まれ変わらせるということで、「旅のように楽しんでこいよ」と、プレゼントとしての機会を与えてくださっている。それが「生まれてきて人生を生きる」という、恵みの面です。
 「修行し、カルマを果たし、霊的成長を遂げること」。成長すればカルマも解けていきます。そして、「地上を天国にするため、人々のお役に立つため、自分を発揮していくこと」。この二つが生まれてきた目的です。
 霊的に成長し、カルマを果たすとともに、成長して良くなってきた自分を発揮して、世のお役に立っていくこと。それによって、地上にも天国が訪れる一助となること。これが生まれてきた目的です。
 そして3点目の生まれてきた目的が、「恵みとしての楽しみ」です。
 
 1点目の霊的成長と、カルマ解消により、完成し、自分の役目も果たし終えると、最早生まれ変わってこなくなります。こうして神の子として、天国で輝くようになるのです。
 愛と知恵が、それぞれ自分の中で完成するのです。ただ、自分が完成しても、他の人々のために地上に人間となって生まれてき続ける魂もいます。仏教で言う「菩薩」です。観音菩薩に象徴されるあり方です。聖徳太子も親鸞も、そのような存在と見なされていました。
 霊的に成長し、神の子としてふさわしいあり方になる。それは親であられる神の愛と知恵、それぞれが発達していくことを表します。
 「お役に立つ」ということが愛であり、慈悲なのです。だからお役に立つことが、ONEの教えで大切にされています。
 愛と知恵は並列関係ではなく、愛が元であり優先するべきものです。
 知恵は、愛が正しくより良く行われるために必要な手段です。知恵があることで愛が正しく働きます。知恵がないと、間違った愛になり、盲目的な愛に陥りやすいのが人間です。
 地上的な知恵は、愛とは別であり、時に愛と対立します。一方天的な知恵は、愛と一つであり、愛が正しく働くための手段としてあります。そこが「天の知恵」と「地上の知恵」との違いです。
 
 「地上の知恵」は、愛とつながっていないばかりでなく、愛に反することも多いのです。悪知恵や人を陥れる策略や偽ることなどは、その典型です。
 振り込め詐欺であったり、ハッカーであったり、戦争やいじめなど、世の中には知恵や力が悪用されることが多いです。それは愛とつながっていないばかりでなく、愛に反しているからです。
 一方、「神の愛と知恵」と言う場合の知恵は、「愛と一つ」なのです。天国とは、互いに役立ち、助け合うことで成り立っている役立ちの王国です。
 お役に立つ場合も、愛に基づく知恵が必要です。いろいろ行っているうちに、知恵もついて、愛が正しく行われるようになって、他の助けになれます。霊的に成長すると、愛も知恵も発達し善になってくるのです。
 天界は、上・中・下の3段階に分かれています。上位の天界に行くほど、愛も知恵も高まります。なぜなら、親であられる神さまが、愛と知恵の完成したあり方だからです。愛は熱、知恵は明るさで表れます。
 この世においても、本当にお役に立つためには、愛も知恵も必要です。愛も知恵も発達してきて、しかも愛と知恵が一つで神と一致するならば、本当に他の助けになれます。神のみ業を地上においてもなし始めます。
 
 イエス・キリストも、ゴータマ・ブッダも、愛と知恵の両方において優れていました。
 霊的に成長してくると、親であられる神と近い存在になるので、そのように自(おの)ずとなってくるのです。あとはその人のもともとの特性、タイプや役目や理想によって、そのあり方がバラエティに富んできます。
 知恵がないと、愛があっても有効に作用しないことがあります。ありがた迷惑とかお節介になって、本当に相手のために必要なことができなかったりで、残念です。
 愛は尊く、良いものなのですが、「本当にお役に立つ」ということが大事です。相手を思うということが、根本ではあるのですが、せっかく相手を思っていても、対応がぴったりしていなければ、お役に立てません。
 ARIのONEの教えでは、「愛が最も大切である」と教えられています。その愛というのは、観念的なものではないし、センチメンタルなものでも、自己本位なものでもありません。実際に働く助けが愛です。
 もちろん、純粋に相手を思っているだけで尊いし、思ってあげているだけで、すでに助けになっています。
 
 相手が良くなることを願い、悪くなることを願わない、悲しむ。これだけでもすでに、相手の支えや助けになっています。
 その上で、さらに適切な行動にも出れば、確かな助けになります。それが「お役に立つ」ということです。
 愛を最も大切にしているONEの教えにおいて、自ら動いてお役に立つことが大切にされるのは、そのためです。お役に立つことをONEの教えで大切にするのは、愛を大切にしているからです。
 「愛」というだけではよくわかりません。「その愛が実際の働きをなしていること」が、「お役に立つ」ということなのです。
 自分の身になって考えれば、すぐわかることです。自分が困っている時に、ぴったりの形でしていただくと、大いに助かり、本当に救われた思いになります。
 自分の人生を振り返ってみて、本当に自分が困っている時とか、何かをしてほしい時とかに、誰かがそれを察知してくれて、ぴったりの形でしてくださった時に、どう感じたでしょう。
 
 相手が救世主のように感じたはずです。相手の人が自分にとって神さまのようであり、恩人であると思えます。これこそが神のみ業です。
 仏教では「抜苦与楽」と言います。苦しみを抜いて、楽しみを与えること。自分が苦しい時に苦しみを取り除いてくださる母の悲(あわれ)み、自分が必要でためになることをしてくださって、楽しみを与えていただける父の慈しみ。
 「苦しみを取り除く」というのは、消極的なほうです。「楽しみを与える」というのは、積極的なほうです。いずれも助かり、ありがたいです。それで安心し、苦悩が取り除かれ、やっていけます。
 神の愛と知恵のみ業が、「抜苦与楽」です。これが「他者のお役に立つ」という利他愛です。
 善業であり、徳です。徳積みです。自分や家系の罪障消滅にもなります。自分や家族のカルマや罪が果たされ、浮かばれます。救われます。
 
 ほかの方の苦しみを取り除いてあげる悲(あわれ)み。ほかの方に楽しみを与えてあげる慈しみ。この慈悲は救済のみ業です。これがお役に立つということです。愛のみ業です。神の働きの一部です。
 これによってほかの人が助かり、成り立ち、心が安心し、喜べます。心も楽になります。慈悲喜捨の四無量心です。捨とは、心が平静となることです。
 相手との関係性、相手の人の状態や必要性、自分の立場や役目や能力、そういったことから、「今、自分が相手の人に何ができるのか」が、推し量れます。
 いつでも自分にできることをすれば良いのです。自分にできないことを悲しむのではなく、自分がその時できることを見つけて、それをすれば良いのです。
 
 「その時自分にできること」というのは、偶然ではないのです。それが「自分がすると良いこと」であり、神さまがそのようにセッティングしてくださっていることを表しています。それゆえいつでも、その時自分ができることをしましょう。
 それで、ほかの人が助かります。また、役立ちということは、人間に対してばかりではありません。自然の命に対して、そして物に対して、それから親であられる神さまに対して、お役に立たせていただくこと。
 それから、自分自身に対してもあります。本当の意味で自分のためになることを、自分にしてあげる、あるいは自分がするということ。ブッダは自分への愛を基本に慈悲を説き勧めていました。
 例えば、将来に備えて下調べをしたり、勉強したり、自分を磨いたりすることは、これはとても良いことです。休むこともあっていいのです。
 役立ちや助けは、ほかの人に対してばかりではありません。自分の自由になる時間や体力やお金を、自己投資ということで、自分に充(あ)ててあげる。そうすると自分が良くなります。
 
 こうして、良くなってきた自分が、今度は他者の助けに尚一層なれます。自分の態勢を整えて臨めば、尚一層、他の助けになれます。
 自分が何かを行う場合、「これを自分が行うことで、より多く相手の方たちが助かり、喜び、心が楽になり、元気にやっていけるように」と意図して、その時自分が行うべきことを行いましょう。
 その時点の自分として「これ以上できない」というぐらい、より良い思いとより良いやり方で行わせていただくのです。「お役に立つ」ということが愛なのですから、実際的に生きるのです。
 「これを自分が今することで、関わる人が助かり、心が楽になり、安心し、元気にやっていけるように」、そのように意図して、今自分がするべきことを行うのです。
 スウェーデンボルグも、「役立ちの大切さ」を強調していました。役立ちこそが愛だからです。身近なところで実際的に生きることを重んずるのが、本当の教えです。
 
 自分だけで満足したり自己陶酔するような高尚な教えや頭だけの考えは役立たず、あまり意味がありません。愛というのは実際的なのです。
 置かれた状況で、今自分ができることやするべきこと、役立ちそうなことを、たとえ小さくても軽んぜず、諦めず、きちんと真心からさせていただきましょう。
 本当のことがわかっている人は、小さなことをなおざりにしません。良いことでも悪いことでも、小さなことをなおざりにしません。小さな悪を控え、小さな善を行います。
 何でも日頃の小さなことの積み重ねです。善も悪も正当に報われていきます。やればやっただけのことがあるのです。宇宙は公平です。神の法則は完璧です。
 
 だから安心し、置かれた所でより良く思い、より良く行っていってください。
 「お役に立つ」ということが善業であり、徳です。それで自分も生かされ、救われていきます。罪障も消滅して頂けます。
 これまでの悪業や罪業を恐れないことです。神を信じ、自分を神に委ね、自分の可能性に賭けてください。自分の態勢を整え、自分を発揮して、より多くお役に立ち、他の助けとなっていくのです。
 そうすると、これまでの悪や欠点も相殺され、許されます。許されたければ、許すことです。他にしたことが自分に返ってくるからです。
 本当の信仰があれば、恐れたり悔やんだりしません。人のことも自分のことも、責めないこと。命が永遠であることが救いです。いくらでもいつからでも取り返しがつく、ということだからです。
 本当のことがわかって愛が大きい人は、自分を活かして、他の助けになるように生きているものです。
 本当の人は恩義を知って、恩義に報いていきます。自分だけを思わず、自分を活かして、他の助けになる働きをします。
 布施があります。施しです。施しには、「身施」「財施」「法施」があります。
 
 「身施」は、わが身を施すこと。自分の体を使って、他を助けていくことです。自分の体力の提供です。
 「財施」は、自分の持っているお金を施すことで、他を助けることです。お金の有効活用です。
 「法施」は、教えを他に施して、他の助けになることです。
 「法」というのは、「ONEの教え」のことです。本当のことをほかの人にも知らせ、教えてあげて、ほかの人が本当の理解に達し、気持ちが吹っ切れて楽になったり、本当の知恵がついたりすることです。
 ONEの教えやARIのことをほかの人に教えるのが良いと思える人は、ほかの人にも教えてあげましょう。自分が何をするかは自分に聞いて、自分で決めて行動しましょう。必ず自分にできることでお役に立てることがあります。
 仏教でもキリスト教でも、このように自分が教えで救われたら、今度は他の方々も教えで救われていくように、教えを伝えていくことが勧められました。それが「慈悲」です。役に立つことを教えてあげることが。
 いろいろ、愛と慈悲の行い方はあります。自分の置かれた状況で、自分ができることやすると良いと思えること、自分が納得することをさせていただきましょう。とっておきの情報をほかの人に教えるのが、「法施」です。
 
 ほかの人のお役に立って、ほかの人が楽になったり喜んだりすることが、自分の喜びや励みになります。それで相手の人が助かり、自分もその善業の行いを通して、救われていきます。浄化され、カルマが解消していきます。生きているうちから恵まれ、死後は天界に迎え入れられます。
 ほかの人が喜ぶことが、いちばん自分が喜べることです。「生きている甲斐(かい)があった」と思えます。
 人間はそのような時初めて、空しさを覚えず、命を体感できるように最初から創られています。それが「神の子」です。
 仕事と本務を通してお役に立つこと。そして、自分が価値を感じること、喜べること、できること、ご縁と恩義のあること、活かされること、求められていることなどを行って、お役に立つことです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16617

 
質問:2021年立春を迎えるに当たり、本年の日本と世界に関して、胎蔵界的、金剛界的両観点で予測し、展望してください。併(あわ)せて、留意点、対処法もお示しください。
 
ソース: 本年2021年は、日本においても世界においても、コロナに関しての正念場を迎えることになります。
 ワクチンの接種が日本においても始められ、それに関して慌ただしくなりそうです。
 どのように接種されていくかということ
とともに、その効果や副作用に関しても取り沙汰され、論議されていくことでしょう。ワクチンそのものの是非に関しても、問われることになりそうです。
 今年のうちにコロナを克服し、収束できるかどうかが、今年の重要な課題となりそうです。
 人類がコロナの真の意味を悟り、コロナから教訓を学んで成長し、改善し、コロナの真の目的が遂げられるならば、その証として東京オリンピックは簡素な形で、その
象徴として開催されることでしょう。
 
 しかしもし人類が、コロナの真の意味を悟れず、コロナから教訓を学んで成長し、改善するということがなされなければ、コロナはなかなか収束せず、東京オリンピックは中止となることでしょう。
 今後、コロナに関してどのような経過を辿っていくにしても、ある程度はコロナの影響が、今後とも影響を及ぼしていくことになりそうです。
 それによって、世界は変革を迫られることになります。経済的なダメージは大きく、世界は改変を余儀なくされることでしょう。
 人類や社会にとって、それほど必要ではないと見なされる業種や営みは、縮小されたり改変を求められることでしょう。最後の審判に近い厳しい整理や淘汰のようなことが起きそうです。
 コロナを機に見直しが図られ、人の生き方も価値観も、社会のあり方も改まりそうです。
 経済的に厳しい過酷な1年となるかもしれません。それでもその一方で、人々は産みの苦しみを通って、試行錯誤を重ねながら、新しい社会体制を作り出していくことでしょう。
 その意味で今年は、産みの苦しみを伴う、新しい価値観と、生き方と、社会の仕組み作りの、模索の1年となりそうです。
 IT関連はますます求められ、行われるようになり、さまざまなつながりやネットワークが、実際にもネット上においても模索され、構築されていきそうです。ネット社会がさらに加速しそうです。
 国同士の実際の交流や貿易も控えられ、それぞれの国が自分の国で、こじんまりと営まれていくような体制になりそうです。
 海外旅行や海外の交流は減少し、それが定着するようになるかもしれません。
 
 アメリカ合衆国では、トランプ政権に代わり、バイデン新政権が発足しました。これは新しい体制の象徴ともなりそうです。
 できるだけ穏便に平和に、それぞれの国が理解し、忍耐して、調整を図りながら、それぞれの国が自国として営まれていく体制になりそうです。互いに認め合いながら、それぞれの国がやっていくような体制です。そのような国際協調社会が求められるようになることでしょう。
 貿易や金融に関しては経済的なダメージも影響し、争いや軋(あつ)轢(れき)が生じそうです。そのため、調整が必要となります。
 金融方面の打撃は大きく、経済的な方面での争いや問題が、生じやすくなりそうです。国の覇権争いも気になりそうです。
 忙しい業種と職を失う人との開きが著しくなります。それらにより、自殺者やうつの人が増えそうです。また一部には、過労死も問題になりそうです。
 交通事故は減る傾向にありますが、今年は世の中が慌ただしく、人々の気持ちが定まらぬ影響も出て、交通事故が少し増えるかもしれません。
 地球温暖化の傾向は続きます。しかし、局部的には厳寒になって、大雪をもたらしたり、雹が降ったりの、異常気象が起きそうです。集中的なゲリラ豪雨があったり、一方では日照りがあったりなどの、アンバランスが目立ちます。
 人々はいこじになったり、焦りがちになったりして何かと争いが多く、自分を主張する人が増えそうです。強引に事を急いで運ぶ人も、また強圧的な人も目立つ年になることでしょう。
 そのような時代だからこそ、周りの動きに振り回されることなく、自分を落ち着かせ、自分を見つめ、自分を育成して、目の前のことに落ち着いて、謙虚に感謝の心で対応していくことが心がけの基本となります。
 全般的に見て今年は、それぞれの分野で試行錯誤を重ねながら、産みの苦しみを通って、新しい社会体制を作り出して、人々の生き方も価値観も、働き方や楽しみ方も、社会のあり方も、刷新される年となることでしょう。
 
 それはすんなりはいかず、軋轢や争いを招いたり、経済的なダメージや失業者を生じさせることでしょう。
 倒産する企業も増加の一途を辿り、国の経済も厳しくなりそうです。
 コロナは偶然ではありません。「外界は内界の顕れ」です。その時点のその人たちの内面性を表すような、状況と体験となります。
 人々が自然を労らず、欲望を満たすため、また肉体の感覚を喜ばすため、エネルギーを多く消費し、自然にも自分や人にもダメージを与えてきた結果です。
 人口も増え続けています。世界人口は、78億人に達しようとしています。人々は飛行機を飛ばしたり、電車や車を数多く走らせたり、また贅沢をし、過食気味になっていたりしていました。
 自然への感謝が足りず、自然を敬ったり自然と調和する、簡素な生き方が足りませんでした。
 エネルギーを数多く消費して、地球の自然を損ね、自分たちも弱体化してきました。また、欲望や肉体の感覚の喜びを追い求めた結果、生命体として、汚れが数多くチャクラに蓄積されました。そのため、浄化が必要となってきているのです。
 
 その象徴的な動きとして「手洗い」や「マスク着用」が、義務づけされているのです。行動の自粛や規制も、人々の行きすぎに対する自制を求める、象徴的な動きです。ただ、世間のコロナ対応は、形式的表面的物的機械的受身的すぎます。必要なことは、コロナから教訓を学んで成長、改善し、清まることです。
 外部から形式的機械的物的に強要され、義務づけられて従うというレベルを超えて、「なにゆえそのようになってしまったのか」に気づき、自発的に自分を自制し、コントロールできるように、感謝をもって調和しながら、少しで喜び、満足できるように、そして、感覚器官や生命エネルギーを清めるように、努め励まねばなりません。
 こうして自然と調和し、自然を大切にしながら、ある程度で満足し、喜び、感謝し、調和しながら、生きていけるあり方ができてきます。
 このように人がなるためには、自然の理法に気づき、魂が目覚め、根源の神さまの存在と働きに気づいて敬い、謙虚に素直に素朴に生きるということが必要です。
 
 そうなるためには、「魂の目覚め」と「霊的成長」と「お清め」が、最も効果的です。
 人々がこのことに気づいて根本から改まり、内面的に成長して充実・充足し、清まれば、免疫力が高まり、チャクラが浄化され、コロナを真に克服したことになります。
 消化器系が特に清まって活性化すると、免疫力がアップします。心が安定・充実すると、自律神経が良い状態になります。このようにしてチャクラが活性化し、コロナを克服し、コロナが収束します。
 胃腸を始めとする消化器系が清まり、元気になる食事を摂りましょう。
 ヨーグルトや納豆は効果的です。また、適度の日光浴をするのも良いことです。明るく健康的、健全に生きましょう。身心を清め、価値ある良いことを行っていくことが、コロナを克服するためにもなります。
 
 「何をどう思い、実際に何を行うか」に留意していくのです。「心の平安」と「感謝」と「充足感」、それがチャクラに最も効果的な思いです。その良き思いがチャクラを浄化したり、活性化します。「チャクラに良いのは食べ物ばかりではない」ということです。
 ARIにおいても、2021年の総合智シリーズは、2月に『チャクラ』の上巻、10月頃に『チャクラ』の下巻が発行予定です。これは象徴的です。2021年が霊的な学びにおいて、チャクラがキーワードであることを示していることだからです。
 これまでもチャクラに関して、ARIでは扱い、取り組んできています。それが改めて2021年には、重要になってきます。
 コロナを真に克服し、収束させる最大の鍵は、一人ひとりのチャクラの開発と浄化にあるのです。心身のお清めと活性化です。
 自律神経とホルモンが免疫力を高める。それがコロナを克服するために最も効果的である。このことは、世間でもある程度知られ始めています。その最大の鍵を握っているのがチャクラなのです。
 
 世間では、免疫力をアップするために、「日光浴」や「良い食事」や「腸内環境を整えること」は、言われ始めています。
 しかしそれ以上にもっと本質的で必要なのは、「心の良い状態」なのです。そしてその心の良い状態を作り上げるのが、「ONEの教え」と「祈り」や「礼拝」なのです。そうでなくて心の良い状態を作り上げるのは、難しいものです。
 ONEの教えを学ぶことで、本当のことで大切なことがわかります。そして、宇宙創造主であられる根源の神さまを敬い、感謝し、大切にします。そうすると心が安定し、充足します。こうして、心の良い状態が作られます。そうなると、心も行いも清まってきます。
 それによってチャクラが清まり、活性化します。その結果、免疫力がアップして、コロナを克服できるのです。これが霊的成長や、魂の目覚めということ。
 
 チャクラは魂の7つの働きなのです。チャクラの肉体レベルだけ見ても、表面的です。チャクラは本来、魂の生命器官だからです。
 ここで、霊的な学びが本質を成していることが見えてきます。世間では唯物的な物質科学を基としているため、捉え方も対応も表面的機械的形式的すぎます。それでは対症療法にすぎず、限界があります。ONEの学びは、命の本質に関わることです。それによって根治療法となるのです。唯物的な物質科学の元に霊的世界とその法則がある。このことに気づかねばなりません。
 あなた方から始まり、少しずつでもこのように、深いレベルでの気づきと対応ができれば、世の中が深まり、根本から良くなってくることでしょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16599

 
質問: 2020年に起きたさまざまな出来事と、その霊的意味、天の意図をお伝えください。
 2020年の日本と世界の総括をお願い致します。
 
ソース: 西暦2020年は、何と言ってもコロナで人類が神さまから試され、訓育を受けた年となりました。
 一般にもコロナに関しては、数多く報道され扱われていますが、本質を捉えた解説
と実践的な対応は、未(いま)だほとんど見られません。そのような中にあって、ARIにおけるONEの視点と対応法は、コロナに関しても今後ますます必要となってきます。
 一般に認識され、行われていることも正しく、必要なことではありますが、それらは表面的物質的形式的機械的なものに終始しており、それだけではとてもコロナから教訓を学んで改善し、その結果収束を見るという所には、到達しがたいのです。
 人間が根本から見直され、問い直され、
根本から改まらなければなりません。カルマの解消、浄化、霊的成長が大切です。それで初めて、コロナの目的が遂げられ、その結果収束を見ます。
 人間は、肉体の感覚を喜ばせ、欲望を過度に追い求め、満足させようと、この数十年生きてきています。エネルギーの消費は莫大で、増加の一途をたどっています。その結果、自然の命にダメージを与え、自然からの反作用を引き起こしました。それがコロナの発生と蔓延です。
 
 そのような人間のあり方と生き方は、自然の命に対してダメージを与えているばかりでなく、自分自身の生命をも穢(けが)し、弱体化させています。そのため、コロナの感染に弱く、いろいろ科学技術をもって対応しても、収束に至っていません。
 大事なことは、コロナから貴重な教訓を学んで、改善し、成長を遂げることです。考え方、価値観、働き方、楽しみ方、生き方をここで見直し、調整改善すべきです。それが本当に必要なことです。
 カルマを清算させ、均衡を取り戻し、是正し、次のあり方をもたらすこと。これがコロナを通しての神の狙いです。
 2020年1月7日には、新型コロナウイルスが検出されました。
 中国の専門家のグループが検出し、9日に中国の政府が公表しました。23日から武漢市は都市封鎖になりました。
 
 新型のコロナは、昨年、2019年の12月初めの頃から発生したようですが、それが検出され明らかになったのは、2020年1月7日でした。
 16日には、日本国内初の新型コロナの患者さんが確認され、厚生労働省が発表しました。神奈川県内の30代の男性で、中国の武漢から帰国後に肺炎の症状が出ました。
 31日には、イギリスが欧州連合(EU)を離脱しました。52年にEUの前身である欧州石炭鉄鋼共同体が発足して以来、加盟国の離脱は初めてでした。
 2月5日には、クルーズ船で新型コロナ集団感染が確認されました。横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号で10人の感染が確認されたと、厚生労働相が発表しました。
 13日には新型コロナで、日本国内初の死者が出ました。神奈川県の80代の日本人女性で、渡航歴はなく、死亡後に感染が確認されました。
 3月には、24日、東京でのオリンピックとパラリンピックの1年程度の延期が決まりました。安倍首相とIOC会長が合意しました。
 26日に福島県からスタート予定だった聖火リレーも、見送られることになりました。
 25日には、全ての海外渡航の自粛を要請することが決まりました。新型コロナの感染拡大によります。全世界を対象に、政府が初めての呼びかけをしました。
 
 4月1日には、全世帯に布マスクが配布されることが決まりました。安倍首相が「2枚ずつ配る」と表明し、これが「アベノマスク」と呼ばれるようになりました。
 7日には、コロナの拡大で「緊急事態宣言」が出ました。安倍首相が東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡を対象に、宣言しました。
 16日には、緊急事態宣言が日本全国に拡大されました。国民に一律10万円を給付する考えも示されました。
 24日には、日本全国で新型コロナの感染拡大に伴い、幼稚園や小・中・高校などの、およそ94%が休校を決定しました。
 5月には、25日、日本全国での緊急事態宣言を解除しました。
 北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川でも解除され、47都道府県の全てで解除になりました。
 6月30日には、香港国家安全維持法が施行されました。反体制的な言動を取り締まる法律です。これにより民主活動家の人たちの逮捕が相次ぎました。
 7月1日には、プラスチック製のレジ袋が原則として有料化になりました。プラスチックゴミの削減のため、全ての小売店で義務づけられました。
 4日には、九州の各地で記録的な豪雨となりました。特に熊本県では球磨川が氾濫し、特別養護老人ホームが水没するなど、多くの死者が出てしまいました。
 17日には、2021年夏に延期された東京五輪の競技日程が発表されました。延期前と曜日を合わせ、五輪史上最多の33競技、339種目に変更なしと決められました。
 22日には、「Go To トラベル」が開始されました。日本政府の観光支援策の主たる試みです。東京都内への旅行や都民は対象外でのことです。
 
 8月17日には、4月から6月期の国内総生産(GDP)一次速報がありました。年率換算27・8%減で、事実上戦後最悪の落ち込みとなりました。
 17日には、静岡県浜松市で41・1度を記録。これにより2018年7月に埼玉県熊谷市で観測された国内最高気温に並ぶ暑さとなりました。
 24日には安倍首相が、連続在職日数が最長に達しました。憲政史上最長の2799日となり、これで大叔父にあたる佐藤栄作氏を抜く在位日数となりました。
 これで意が遂げられたのか、28日には安倍首相は潰瘍性大腸炎が再発したことを理由に、辞任を表明しました。これにより史上最長政権は、7年8か月余りで終了となりました。
 安倍氏は最初に首相に就任した時と同様、今回もまた潰瘍性大腸炎という自分の病気で、自らの政治生命の限界となりました。それでも、最初の時とは異なり、今回は「やり遂げた」と言えます。
 9月には14日、自民党新総裁に菅義偉官房長官が岸田文雄政調会長や石破茂元幹事長を破り、第26代総裁に選任されました。こうして16日、菅内閣が発足しました。菅氏が臨時国会で第99代首相に選出され、8人の閣僚を再任する体制で、新内閣を発足しました。
 10月の9日には、ノーベル平和賞に世界食糧計画(WFP)が授賞しました。飢餓の現場に食糧を実際に届ける努力が評価されたことによります。長期的に見て、今後世界の人口爆発と異常気象に伴う食糧危機に向け、食糧問題と農業問題は重要となってくることでしょう。
 それまでに人類が魂に目覚め、成長することが、求められるはずです。そうでないと、食糧問題で核戦争が引き起こされないとは限りません。
 
 また一方、人類が自分の感情や欲望を自制でき、少ないところで満足し、簡素に生きることを身につけることが必要です。それによって自然へのダメージが減らされ、異常気象や温暖化も軽減され、農業も異常気象のダメージを受けずに済むようになります。
 人類が自分を自制できないため、自然にダメージを与え、自分の免疫力も低下し、自然へのダメージからコロナが発生し、人間は今、自らのカルマに遭遇して苦しめられています。
 コロナによってカルマが顕れ出て果たされ、カルマを通して神に訓練され、正しいほうへと導き育てられつつあるのが現状です。
 
 ヨハネの黙示録においては、人間の欲望の文明が限界に直面することを「バビロンの崩壊」に象徴化して警告を発しています。
 10月の12日には、平等院鳳凰堂の創建時の扉に、菩薩の絵があることがわかりました。平安時代の扉から確認されました。国宝級とも言われます。
 平等院鳳凰堂は、親鸞の故(ふる)郷(さと)の京都府の宇治市にあり、親鸞も幼い頃平等院鳳凰堂を何度か訪れ、それが印象に残って、後に、阿弥陀仏に帰依して、新しい仏教の地平線を切り開いたのです。
 2020年はARIにとって、これまでの聖徳太子、聖武天皇関連を経て、親鸞へと至る仏教がテーマとなった年でもあります。
 スウェーデンボルグに続き親鸞の極楽浄土がARIの中で追究され、仏教の原点であるインドのブッダとのつながりが遂に明らかになった。こうして12月、親鸞ゆかりの東本願寺を訪れ、京都クリスマス会がコロナの渦中行われた。これは、コロナの苦境の中でのARIの重要な役割を象徴的に示した動きでした。
 10月24日には、核兵器禁止条約が発効されました。核兵器の使用などを禁じる条約です。これに批准する国や地域が50にも達し、2021年1月に発効されることになりました。これも人類の希望を表す象徴的な動きでした。
 
 10月24日は、ヨハネにゆかりのある日であり、風の天使ラファエルの記念日にもあたります。
 10月26日には、菅首相が所信表明をしました。臨時国会が召集され、首相として初の所信表明演説でした。脱炭素化の目標などを打ち出しました。これはむしろ遅きに失する感がありましたが、それでもこれは望ましい動きの一つと言えます。
 11月の6日には、新型コロナの影響で職を失った方が7万人を超えました。解雇や雇い止めが70242人。特に、飲食業や製造業で多いとのこと。
 7日には、アメリカ大統領選でバイデン氏が当選確実となりました。ただ、バイデン氏は勝利演説をしましたが、トランプ氏は自分の敗北を認めませんでした。
 9日には、新型コロナの世界での感染者数が5千万人を超えました。死者は125万人を超え、増加のペースが速まってきました。
 11月頃から再び、世界的にも日本でも、コロナが猛威を振るい始めています。第3波です。
 12月6日には、日本での小惑星探査機「はやぶさ2」が、見事にカプセルを帰還させることに成功しました。オーストラリア南部で、その回収が無事滞りなく行われました。その中には、リュウグウの砂が入っていることも確認されました。
 8日には、イギリスで新型コロナのワクチンの接種が開始されました。アメリカの製薬大手ファイザー製です。日本に供給予定のワクチンとしては、初めてのことです。
 
 14日には、「Go To トラベル」が日本全国で停止されることが表明されました。コロナの感染拡大を受け、菅首相が12月28日から1月11日を期限として、その停止を表明しました。
 25日には新型コロナウイルスの変異型が、日本国内で初確認されました。イギリスから到着した、10歳未満から60代の男女5人です。空港の検疫で確認されました。
 28日には、劇場版「鬼滅の刃(無限列車編)」が興行収入新記録であったと、発表されました。それまでの「千と千尋の神隠し」を抜いて、324億円に達したとのことです。
 コロナに対しての物的な科学技術による捉え方と対応の仕方が、2020年目立った動きでした。医療の現場は相当大変だったようです。
 本質から見て大事なことは、一人ひとりが自分の考え方と価値観と生き方を見直し、自分の感情や欲望を自分で自制でき、ある程度で満足できるよう霊的成長を遂げることにあります。
 体質改善も図り、免疫力をアップさせること。特に消化器系が健康で丈夫ならば、自律神経が良好になり、コロナに感染しにくくなります。
 食事としては食物繊維を始めとして、体に優しい食事によって消化器系をきれいにし、活発化させられます。それによって免疫力がアップし、コロナがあってもコロナに感染しにくくなります。万一感染しても、コロナを克服解消し、治ることができるようになります。ヨーグルト、納豆などは特にお薦めです。チャクラの浄化と開発が決め手となります。
 根源の神さまを信じて自分を委ね、心からの安堵感を体感して、感謝と喜びの中で安定して落ち着いて現状を大切に、人を思いやり、自分らしく、自分のするべきことに一生懸命に取り組むこと。それによって世のお役に立っていく生き方をすること。
 
 自分の心と肉体をお清めして、より良い心と肉体を作っていくことで、コロナを克服することができます。
 手洗いやマスクの着用、3密の回避。それは必要なことですが、それ以前に、一人ひとりが自分のあり方を見直して、心や肉体を清め、整え、元気にし、活性化させること。そして自分のするべきことや価値あることに取り組み、健全な生き方を心がけること。自然の摂理に従い、自然を大切にして、自然と調和した生命体としてのあり方や生き方になること。これが成長です。
 それがひいてはコロナを乗り越え、前に進んでいく今後求められる生き方となります。
 
 世間では物的な科学技術が重んじられています。かと思うと急に、アマビエのような妖怪に頼ったりすがったりというふうな、非常にアンバランスなあり方が現代人の特徴です。
 物的な科学以外では、急にアマビエのような幼稚で呪術的迷信的なものに頼ってしまう。これが現代人の弱さであり、愚かしさです。その間に、もっと重要な本質である霊的精神的な事柄が秘められていることに気づかねばなりません。それによって物的な科学技術一辺倒ではない、本当に大切なものに気づいて、それを確信をもって実行していくことができます。
 その時初めて、物的な科学技術も功を奏するようになる。これが真相です。物的な科学技術の元に、霊的な真理と法則があるのです。
 2021年が、2020年の試練を踏まえ、より良い年となりますように。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16529

 
質問: 神さまのお気持ちを知って、それにちゃんと応じて生きていくことの大切さをONEの教えで学ばせていただいています。
 このことに関して、わかりやすくご解説ください。
 
ソース: これまで、「身体の声を聞く」「心の声を聞く」「魂の声を聞く」、この3回を行ってきました。これらはいずれも、自分の中のそれぞれの層の声に傾聴し、感じ取り、理解し、それに適切に応じて生きていくことの内容でした。いずれも自分の内部の声です。
 今回はこのシリーズの締めくくりとして、自分以外の声、自分の外部からの声に傾聴し、感じ取り、理解し、それに適切に応じて生きていくことの内容となります。
 「自分の内部か外部か」。「自分自身の声か」、それとも「自分以外の別の存在からの声か」。このような分け方です。何かの声、あるいはニュアンス、イメージ、理解、
言葉などが、聞こえたり、感じ取れたりした場合、それは一体何の声なのか。判別が付かない人が多いのです。
 
 「聞こえたか、聞こえなかったか」ということだけを見る人がいます。あるいは「聞こえた内容が正しかったか、正しくなかったか」ということで見る人も多いです。
 しかし、一般に見落とされていることは、「どこからの声か」ということ。
 まず、「自分の内部からのものか」「自分の外部からの、自分以外のソースからのものか」、これを見分ける必要があります。
 一見すると、外からの何かの声のように思えるけれども、実際は潜在意識の声、つまり自分の恐れや期待に基づく主観的な声の場合が多いのです。
 また、「内部の声」ということでこれまで見てきたことは、「潜在意識だけでなく、超意識の声もある」ということ。それが「魂からの声」です。
 また、「心の声」だけでなく、「肉体からの声」「肉体の言い分」「肉体から伝えたいこと」。それもあり、それを正しく理解して、適切に肉体に応じてあげるということも、とても大事なのです。
 また、「声が聞こえればいい」というものでもありません。実際は心配や恐れからの、自分の中の思いが伝わってくることが多いです。
 また、「外部からの声」だからといって、その全部がすごくて正しくて、「そのとおりにしなければならない」というものでもありません。悪霊や邪霊などからの声もあるからです。しかも表面だけではわからず、装ってきて、わかりにくい場合も多いです。それは人間界と同様です。
 
 表面である程度わかりはしますが、表面をうまく取り繕っていると、人間対人間の場合でも、容易に欺されます。
 それと同様に、霊の世界においても、声が聞こえたからといって、それだけで「すごい」とか「喜ぶ」とか、「真に受ける」とか「どんな声でも大切にする」とかだと本当ではなく、危険です。
 気をしっかり持ってバランス良く対応しましょう。それは人間界で生きるのと同じです。人間界において全ての人を最初から疑って用心して、身構えて生きていくことが理想的ではないのと同様に、霊の世界との関わりにおいても、最初から全てを疑って身構えて関わるのも、理想的とは言えません。
 確実に言えることがあります。それは、「その時点のその人の内面に釣り合う関係性になる」ということ。これは人間界においても、霊の世界との関わりにおいても、当てはまる法則です。
 「霊媒体質」と言われる人たちがいます。確かにそのような人たちはおられるのですが、「憑(ひよう)依(い)されて困る」と言うけれども、それは霊の被害者になっているのではありません。その時点のその人に見合う関わりになっているのです。いつでも本人次第です。これも、この世の人間関係と同じです。相手を非難するのは自分を非難していることです。
 その時点のその人にふさわしい人間関係になるし、体験にもなります。全部その時点の本人が引き寄せて、体験することばかりです。人生は自分次第なのです。
 霊の世界の霊体験も同様です。どういう霊を引き寄せて憑依されるか。それは偶然でも非合理でもなく、その時点のその人を表すものとなります。
 
 本人の中に、好ましくないものや隙(すき)があったり、不足があったり、不安があったりする。また、自信がなかったりする。どこかで他に頼りたい、自分を誇らしく思いたい。そういったいろいろな本人の中の心の動きが、それに応ずる霊を引き寄せて、その影響を受けるのです。
 霊からの影響は因ではなく縁です。縁とはきっかけです。因とは本当の原因です。本当の原因は、本人の中にあります。
 そうすると、その内なる原因を引き出すような縁を招きます。そして縁をきっかけに、本人の中にもともとある原因が引き出され、それ相応の結果が出てくるということです。
 それゆえ、他の霊を必要以上に恐れることはありません。また、被害者意識を抱くことも、本当ではありません。
 自分の中を見ていって、整えましょう。それによって隙がなくなり、安定します。そうなれば、「好ましくない霊に取り憑(つ)かれて困る」ということは起きません。
 また、霊媒体質の人たちは、「憑依されて困る」という課題を抱えておられる場合が多いのですが、もっと発展的肯定的前向きに生きるべきです。
 
 せっかく霊媒体質なのです。それを有利に働くように仕向けるべきでしょう。神さま、しかも根源の神さまに自分を向けて委ねること。そして明るく健全に生き、自分の中のバランスと安定を図ること。明るく健全に生き、現状を大切に、人を思いやり、実際的に生きていくこと。そうすると、霊媒体質が困る結果を招かず、むしろ活かされてきます。
 繊細であることは可能性です。いろいろな細かいことに気づき、ほかの人ができないような細やかなことができる人になれるからです。人に寛大で優しくしてあげられます。
 あれやこれやの霊に取り憑かれて困ることを恐れるよりも、いっそのこと神さまに取り憑かれるようにしましょう。できたら根源の神さまに乗り移っていただくように、霊媒体質を振り向けるのです。それがONEのあり方です。神の流入です。
 自我がなく不安定だったり、自信がなかったり、何かに頼ろうとしたりしている人は、憑依されやすいものです。自分が安定して充実して、この世としっかりつながって生きていれば、憑依されにくいです。
 それでも憑依されやすい霊媒体質の人は、あれやこれやの霊に取り憑かれる代わりに、根源の神さまに取り憑かれるように、すればよいのです。そうすれば霊媒体質で困ることなく、最高に発揮されます。むしろ、うらやましいくらいです。
 
 実際、高い境地に到達した神秘家や霊的指導者は、そのような繊細で霊的な人たちでした。こうなれば、霊媒体質や繊細さが、活きてくるわけです。
 霊媒体質を、「困るもの」と見なさないこと。また、いろいろな人からの気を受けやすい人も同様です。力がついてくれば、憑いている霊を救済できるようになります。
 自分が安定して、そして神さまとつながらせていただいていれば、人を助ける態勢ができています。そうなれば、「ほかの人の気を受ける」というよりも、ほかの人の気持ちが感じられ、それに適切に応じて助けられる人になるのです。霊に対しても同様です。
 
 自分が安定して、明るく健全で、しかも根源の神さまとつながってさえいれば、「人の気を受けやすい」ということは、ほとんど支障を来さなくなり、むしろ人の気持ちが感じられて、適切に応じて助けられる人になれるのです。
 自分がどういうことに関心を寄せ、何に価値を置き、どこに目標を据えているか。それに応じた霊を引き寄せて、その影響を受けます。「類は友を呼ぶ」ということで、この世の人間世界と同様、本人のその時点の人間関係も、霊たちとの関係も、その時点のその人に釣り合ってふさわしいものとなっています。自分が変われば、また境涯が高まれば、人間関係も、霊との関係も良くなります。
 そうなれば、問題を抱えている人や好ましくない霊たちのことも、影響を受けるというより力を与え、助けるような関わりが持てます。それが本当でしょう。
 たとえすぐにそうなれなくても、このことを疑って諦めず、自分を見直して調整し、現状を大切に、できるところから取り組んでいけば良いのです。
 そして、ちょっとでもうまくいった時は素直に喜び、それを励みに、また次に取り組むのです。
 
 ほかの人を見て差し上げる場合も、同様にします。すぐにほかの人がうまくいかなくても、疑ったり、イライラしたりせず、また見放したりせず、信じて温かく、忍耐強く、柔軟に応じて、助け導いてあげましょう。それが愛の関わり方です。
 結局、神さまは一人一人に対し、そのように関わってくださっている。そのお陰で、一人一人は問題があっても成り立ち、少しずつは良くなりつつあるのです。
 「その時点のその人を表すような状況と体験になる」――これが人生の法則です。霊的世界にも、そのまま当てはまる法則です。その時点のその人を表すような霊的な状況や霊的な体験になるのです。その時点の自分に釣り合う声が聞こえたり、その時点の自分と釣り合うような霊が関わってきて、その影響を受けます。
 自分が整って健全で、他を尊び、思いやる気持ちがあれば、自分が良い状態なので、良い霊の声が聞こえて、良い霊からの助けの影響が及びます。
 ただ、人間は単純ではありません。どの時点でも、自分の中に肯定的な部分と否定的な部分と、その両方が含まれています。それゆえ、同じ時期に自分の良い部分が出たり、悪い部分が出たりします。
 
 それでも自分を自覚し、受け入れ、神さまの下、調整し、清まり、整って良い状態になればなるほど、問題の霊の声が聞こえて悩ましくなるとか、霊障を受けるとかは減ってきます。
 霊的な声が聞こえると、それだけで喜んだり、「すごい」と捉える人が多いのですが、人間界にいろいろな人がいるように、霊的世界には尚一層、いろいろな霊がいます。声が聞こえただけで単純に喜べません。
 ただ、その時点の自分を表す声であり、影響です。また、何らかの意味や理由や必要性があって、聞こえてくるということです。あまりに惹かれすぎないこと。また、あまりに恐れすぎないこと。あまりに信じ込みすぎないこと。あまりに疑いすぎないこと。
 バランスを取って、気をしっかり持って、素直で健全な心でいて、人を思いやり、根源の神さまに自分をすっかりお任せしておいてください。そうすれば一時、邪霊や悪霊の声が聞こえたり、その影響を受けたりしても、支障なく対応して乗り切れます。自分が霊的な力をつけてくれば、そういった霊たちのことも癒したり浄化させたり救ったり、助け導いたりさえ、できるようになります。
 
 霊の影響を恐れたり、霊の影響で困るという段階から、霊を理解し、霊を労り、憑いてきた霊を、救ったり諭したりできるところまで、レベルアップします。生きた人を助け導くことと同じなのです。
 「自分が影響を受けて困る」ということに焦点を当てるのでなく、憑いてきた霊は頼ってきているということも多いので、自分を思う代わりに相手の霊のことを思ってあげて、困っている霊の事情を汲み取り、対応して、力を与え、助け導けると、大したものです。
 自分の境涯が高まってくれば、そのように霊と関われます。ちょうど助けを求めてこられた人間に対して理解し、適切に応じて助けてあげるように、困って頼ってきた霊の事情や気持ちを察知して、霊に関わって助けたり、癒したりできるようになります。
 生きているある人が寄ってきて、いろいろ言ってくる、それをじっと感じ取ると、生きた人間のその人の気持ちや、やってこられた事情や目的が汲み取れて、適切に応じて助けられます。
 それと同様に、寄ってきた霊に対しても、じっと落ち着いて感じてみると、いろいろ言ってくる。それが本当の内容なのか、お試しなのか、あるいは自分の潜在意識の声なのかがわかってきます。
 
 そうすると正しく理解して、適切に応じて、有益になります。困る結果を招きません。
 そのように、自分の態勢が整ってくると、より良い所の霊が寄ってこられます。そして、有益で役に立つお声や情報が伝わってきます。あるいは、純粋なエネルギーやイメージや考えを与えてくださります。
 いつでも体験することは自分次第なのです。それゆえ自分を見つめ、整えましょう。
 自分が全体を思い、本当に良いありようになってくれば、根源の神さまの感化を受けられます。根源の神さまの、静かで落ち着いた温かくて偏りのない広い心や命が伝わってきます。
 こうして、世界中の人を思えて、地球を覆うほどの広い意識になります。それがONEの意識状態です。そうすると根源の神さまと通ずるような、自分の態勢になります。それがONE人のあり方です。キリストはまさしく、そのようなあり方になっていました。
 
 そうすると例えば、キリストが自分のことを人々が虐待して、十字架に掛けてきている。それに対してキリストは、「彼らをどうぞお許しになってください。彼らは自分が何をしているのか、わからないからです」。そのように言えるようになるのです。
 また、「右の頬をぶたれたら、ぶち返すのでなく、左の頬をも向けなさい」。「下着を1枚取られた時には、もう1枚付けて差し上げてしまいなさい」。そういう発想が浮かぶようになるし、実際にそれができるようになるのです。霊的成長の極みです。
 根源の神さまのお声は、優しくて荘厳で、偏りがなく、全ての人を思う無条件の愛に満ち溢(あふ)れています。純粋に完成された愛と知恵そのものです。このお導きにより、ONEのスタンスで考え、行動し、対処し、生きる人になります。
 そういう人は地球にいるだけで、地球全体が支えられ、成り立ち、人々が助かり、生きていけます。
 
 その人が地上に生きているだけで周りが成り立ち、助かる。その人がいなくなると、周りが大いに困り、混乱が生じ、成り立ちにくくなり、あまり良い雰囲気ではなくなる。
 一人の人がこの世に肉体を持っているだけで、周りが助かり、成り立ち、整う。そういう存在に自分がなることが、人間の目標です。
 あなた方は、そのような存在でしょうか。それがONEの人です。これがONEを学ぶ目標であり、理想です。
 たとえ、すぐに自分がそのような存在やあり方にならなくても、諦めず、自分にも人にも失望せず、ちょっとずつでもそれを目指して、生きてください。それが尊い、神に喜ばれる生き方です。
 潜在的には誰の中にも、そうなれるものが授かっています。また、そうなりたいという願いも、植え込まれています。そのことに気づき、そのことを目標とし、そこに自分を設定しましょう。それがONEの学びです。ONEは究極の理想なのです。そこに人生目標を設定した人には、まだ自分が至らないうちからも、根源の神さまからの支援やエネルギーが授かることでしょう。
 
 本当は誰でもONEの神さまからの関与が行き届いて、それで生かされているのですが、その自覚がないし、及ぶお力がまだ弱いのです。それは根源の神さまが弱いからではなく、本人の受け入れ態勢がまだできていないことによります。
 自分が整って、根源の神さまにお委ねし、願い求めれば、それだけのものが授かります。自分が耐えられないうちは、また願い求めないうちは、頂くことすらできません。自分の器の容量だけが授かります。神さまはそれをよくご存じで、関わって、導いてくださっています。
 以上のことを参考と指針にし、それぞれ自分の置かれた所で、自分の特性とレベルを知って、明るく朗らかに、他を思いながら、自分らしく励み続けましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16486

 
質問: 自分の内なる魂の気持ちを知って、それにちゃんと応じて生きていくことの大切さをONEの教えで学ばせていただいています。
 このことに関して、わかりやすくご解説ください。
 
ソース: 前々回は「身体の声を聞く」、前回は「心の声を聞く」、今回は「魂の声を聞く」。このように3回シリーズで自分を見つめ、掘り下げてきています。
 ひと口に「自分」と言っても、自分の中にいろいろな自分がいます。自分の構成要素として、「肉体」「心」「頭」があります。そして、肉体と心と頭のそれぞれの元に「魂」があります。その全体で自分が構成されて、成り立って生きていけます。
 4つの構成要素があるということですが、4つは並列状態ではありません。肉体と心と頭は、ほぼ並列状態ですが、魂は別格です。魂は4つのうちの1つというよりも、3つの構成要素の上位に位置し、頭の元、
心の元、肉体の元になっています。
 そのため、魂に立脚して生きることで、頭を治め、頭を活かすことができます。魂に軸を据えることで、心を治め、心を活かすことができます。魂に軸を据えることで、肉体を治め、肉体を真に活かすことができるのです。
 でも世間では、このようなことに未(いま)だ気づいていません。「ONE」というのは「魂本位に生きること」で、頭も心も肉体も治め、活かす道です。魂に主軸を据えると、頭も心も肉体も治められて、一つの生命状態が実現します。全体性が回復、実現します。ONEになれるのです。
 
 世間では、「頭や脳が司令塔だ」と見られ、頭や脳を重んじます。能力偏重です。
 しかし、頭や脳に主軸を据えても、心や肉体を治められません。頭自体も治められません。頭は真の司令塔ではないことによります。世間では、頭脳が重んぜられているのです。
 一方ONEの教えでは、魂が重んぜられています。
 心も大切ですが、心の元にも魂があるため、心を大切にしつつ、さらに心の元の魂を最優先させます。さらには、魂は命の本源であられる創造神にしっかり根づくことで、魂は活かされ、発揮されると見ます。
 そのため、自分の中では魂が最上位ではあるけれども、魂の発生源である根源神さまに軸を据える、ということを実践します。生命の樹の「幹」が「根源神」、「枝」が「それぞれの人の魂」に相当するからです。
 魂がどんなに優れていても、魂だけでは生き続けられません。生け花がどんなに美しくても、生け花はずっとは生き続けられないのと同様です。魂だけでは限界があります。各自の魂が、根源神さまに接続することで初めて生き続けられ、育つことができ、発揮されます。
 「声を聞く」というテーマで3回にわたって見てきています。
 「声を聞く」と言っても、文字どおりの声が聞こえるとは限りません。文字どおりの声が聞こえる場合もありますが、多くの場合、声そのものというよりニュアンスや感じなど、漠然とながらも、ある種のイメージや感じが伝わってくることに気づき、そのように伝わってくるものを受け止め、大切にし、それを考慮して生きていくこと。それが「声を聞く」ということで、表現されています。
 
 それで、「声を聞く」ということは、「その気持ちを感じ取って理解し、その気持ちを考慮して、ちゃんとそれに対応して生きていくことが大切だ」という意味です。
 「身体の声を聞く」ということの場合なら、身体の感じ、例えばかゆみとか痛さとか、だるさとか、重さとか、爽快感とか。それぞれの体の感覚が、声のように実感されます。それを無視せず、それと戦わず、優しく受け止め、体感してあげる。必ず理由や事情や目的があってそのような体の感じが自覚されるのだから、その肉体からのメッセージに傾聴し、それを思いやって適切に応じてあげること。
 それによって体は納得し、癒され、その症状や感じが収まっていく。それが「身体の声を聞く」ということです。
 今回のテーマの「魂の声を聞く」ということは、とても重要です。魂が自分の中の最高の部分だからです。
 それゆえ、「魂の声を聞く」というのは、「本当の自分の気持ちを感じ取って、理解してあげる」ということになります。自分の生命存在の本質である魂。その本当の自分の気持ちを感じ取って知って、受け止め、考慮し、ちゃんとそれに応じて生きていく。そのことが大切なのです。
 「本当は本当は、自分はどう思っているのだろう? 何を願っているのだろう?」「純粋な自分の願い、理想に基づく自分の心からの願い」。内なる声、しかも感情などの心の声よりもっと本質的な純粋な自分の声。純粋な願いや気づき。
 
 「この状況で自分は、こういうふうにすることが必要だと思えてならない」
 「自分はここでこういうふうに動くことが必要だろうと思える。それをしたほうがいいんじゃないかと思う。あるいは、しないままのほうがよいと思えてならない」
 これが内なる声、魂の要請、魂の願うところです。そのことを自覚し、受け入れ、考慮し、その方向で現実に対応するのです。
 魂の声は、ハイアー・セルフ、創造的なソース、イナー・セルフ・ヘルパー、生ける愛、キリスト意識、イナー・ティーチャー、イナー・チャイルド、スーパー・コンシャスネス――すなわち超意識、などとも言われます。超自我、真我。「シンガ」と言う場合、真実の我、神の我。また大我――大きな我。内なる神、仏性、如来蔵。このように魂は、いろいろに表現されます。
 仏教では「無我」が奨励されますが、それを肯定的に表現すると真我(神我)、大我となります。
 内なる神が自分の中でこだまします。内なる声は、細くて小さく、静かな声の場合が多いです。
 外の喧噪とした声や音、また自分の中でも肉体や感情の、あるいは欲望の、あるいは恐れによる雑々とした騒音。下手をするとそのような騒音に真我の声がかき消されます。そこで静まらなければなりません。魂の声は細くて小さく、静かな声なのです。素直になり、本当に静まった時、初めて聞こえます。
 
 内なる神の声は、細くて、穏やかな小さな声です。しかし、それが世界を変えます。それ以前に自分を変えます。本当の声は細くて小さく、穏やかな声の場合がほとんどなのです。
 「本当の気持ちが、また純粋な願いが、魂の声だ」と言いました。また、魂は良心、良き心です。
 顕在意識は建前、潜在意識は本音、超意識は良心。顕在意識は肉の意識、潜在意識は心の意識、超意識は魂の意識。
 このように「意識」とひと口で言っても、三層に分かれています。成長し、ONEの状態になり、神と一致してくるほどに顕在意識と潜在意識と超意識が矛盾なく一つに溶け合い、一つの全体意識が復元されます。それがONE人です。
 キリストやブッダは、それを体現した存在です。それゆえ、魂の声は良心です。内なる良心。
 「この状況でこのことをしてはならないと感ずる」「こういうことはするべきではないと感じる」。これが良心の声です。それに気づいて、それに従う。それで自分は罪から免れ、救われていく。悪に染まらずに済む。新たな悪業を作らずに済む。人のことも自分のことも守り、救済できる。これが「内なる良心の声に聞き従う」ことです。
 「自分を偽らない」「自分を誤魔化さない」「真実や愛から目をそらさない」「理想に献身して生かされて生きる」。そうすると心が晴れ晴れとして安心して生きていけます。これが本当に自分を大切にする生き方です。
 
 自分の声を無視し実行しないと、次第につらくなり、また人間的に暗くなります。病気を作り出したりもします。事故やミスが多くなります。表情も、暗く重くなります。それでは幼子のありようから遠のいてしまい、残念です。
 素直になって物事も人のことも、良いほうに捉える。命を尊び敬う。自分は謙虚で純朴になる。そうすると、内なる声が響き渡ります。
 古代のイスラエルの預言者たちは「立ち返れ! 立ち返れ! 立ち返れ!」と、伝えました。
 「本来のあり方に立ち返る」
 「本来の自分に、自分を戻す」
 「本当の自分を取り戻す」
 「本来の自分の良さを取り戻す」
 「神の愛と真実に基づいて決断し、実行する」
 「理想に基づいて生きる」
 「理想に基づいて判断し、対処し、行動し、生きていく」
 魂の心の声に従うと、自分が納得し、安心し、喜ばしく思えます。神さまも喜んでくださり、結果は良好です。周りの人々も安心し、喜んでくださります。
 
 すぐに良好でない場合でも、最終的には良好になります。常日頃から神に献身し、素朴に自分らしく生きていくこと。ほかの人を敬い、愛し、尊び、思いやり、良くしてあげる。そういう中で、魂の声が聞こえる感度が高まります。
 自分の態勢を整えて人生に臨みましょう。リラックスしましょう。そうすると聞こえやすくなります。汲み上げやすくなるのです。また、問題意識、目的意識をもって生きていると、必要で良いことなら、与えられ、聞こえてきます。
 後はそれを実行に移すことが求められます。聞くこと、そして実行に移すこと。そうすると、さらに声が響き渡るようになります。声に従い、応用し、実践することが大事です。
 人間には思い違いや捉え違いもあります。それゆえ内側で響いた声がいつも正しいとは限りません。それでもまずは、響いた声を参考に、様子を見ながら行動に移していくことです。
 行動に移すことで、自分の中の声が正しいかどうかが明らかになってきます。違っていることに気づいた場合は、その時点で学びが得られたということですので、軌道修正をして取り組んでいけばよいのです。
 実行に移したことで、声の一部が違っていたことに気づけたのですから、「行った意義はあった」と言えます。
 行わないままだと、聞こえた声が正しかったかどうかさえ明らかにならず、前に進めません。次の声も頂けません。
 違っていることに気づいたら、その時点で認め、修正すればよいのです。そしてまた、実行していけばよいのです。行ったことで一つ学べて賢くなれたのですから、良かったのです。失敗を恐れすぎてはいけません。
 
 また、自分の中の声が正しいかどうか、周りの人たちに聞いてみるのも参考になります。愛、真実、調和、温かさ、尊重。これが本当の徴です。
 自分の中で少し温めておいて、検討したり、確認をとったりすることも役に立ちます。
 声を行動に移すと、お役に立つことができ、さらに声が聞こえるようになってきます。神さまとも魂とも緊密になってきて、川の流れが強まって勢いが出てきます。静かで平和で清らかな、川の流れです。これがチャクラの生命機能です。
 聖なる人は、魂の声を聞いてそれに従って生きている人たちです。天界の存在に共通している特徴です。
 また、霊的な人ばかりでなく、各分野で良い働きをし、お役に立っている人たちも、内なる声を聞いて、それを導きとして従っている人たちです。イナー・ガイダンス、内なる導きを持っている人は幸いです。
 導きは常に自分の中にやって来ます。外からも来ますが、本質は内なる導きです。内なる導きが聞こえやすいように、自分の態勢を整えて人生に臨みましょう。
 導きが来るのは目的というより、手助けです。手立てとして、です。それを実行に移すことで初めて助けになり、前進できます。
 そういう人はどんどん、導きがやってくるようになります。さらに自分のためだけでなく、周りのための導きがやってきます。そしたら、その人の周りに人の輪が出来てきます。
 
 その人の器が大きくなるほどに、多くの人とつながり、大勢の人の助けになる導きが来るようになります。その時のその人の器の規模と内容に応じた、声の内容がやって来ます。ソース(情報源)は質問に答える能力と特性があるのです。
 自分ばかりでなく周りをも活かし、成り立つような声が聞こえる人は、尚幸いです。
 その時の自分の器と願いに応じてお役が授かり、その助けのための声が授かることでしょう。それを励みとして、現実の一つひとつをこなし、小さな成果を喜び、周りと分かち合い、共に歩んでいきましょう。
 こうして地上にも神の国が到来することでしょう。その助け手の一人となれれば幸いです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16461

 
質問:心の気持ちを知って、ちゃんと応じてあげることの大切さをONEの教えで学ばせていただいています。
 このことに関して、わかりやすくご解説ください。
 
ソース:前回は、「身体の声を聞く」をテーマとして、自分の肉体の気持ちを知って、ちゃんと応じてあげることの大切さについて、説明がありました。
 今回はそれを踏まえ、「心の声を聞く」と
いうテーマで、見ていくことになります。
 自分の心の気持ちを知って、その自分の心の気持ちに適切に応じてあげることの大切さについてです。
 一般には、「気持ちを知る」とか「気持ちを感じる」、そして「気持ちにちゃんと応じてあげる」などという場合、人の気持ちを知って、適切に応じて助けになることの大切さについて、言います。
 もちろんそれは、大切なことに変わりはないのですが、見落とされがちなのは、自分の気持ちを知って、ちゃんとそれに応じてあげることです。
 
「自分の気持ちを知ってちゃんと応じてあげる」という場合、「自分の肉体の気持ちを知って応じてあげる」「自分の心の気持ちを知って応じてあげる」「自分の魂の気持ちを知って応じてあげる」。このように、「自分の気持ちを知って応じてあげる」という中に、3方面が含まれています。
 自分の構成要素として、肉体、心、魂があるからです。それで「自分の気持ちを知ってちゃんと応じてあげる」という場合、肉体、心、そして魂、それぞれに関して気持ちを知って応じてあげるということが、必要になってくるのです。
 「自分の魂の気持ちを知って応じてあげる」ことについては、次回に見ていくことになります。
 自分のそれぞれの部分の気持ちを知って応じてあげる。ここで「気持ちを知る」ということが、「それぞれの声を聞く」ということでなされるので、テーマが「身体の声を聞く」「心の声を聞く」「魂の声を聞く」というように、タイトルが付けられているのです。
 
相手さんの気持ちを知って、適切に応じてあげることが大事です。人それぞれの気持ちを知って、適切に応じてあげてこそ、助けになれるからです。
 それぞれの人の気持ちを酌んであげて、適切に応じて助けになる。そればかりでなく、自分の肉体や心や魂の声も聞いて、適切に応じて、自分で自分を良くしてあげる。自分を整えていく。
 それでこそ安定し、余裕が出てきて、ほかの人を感じ、ほかの人の声を聞き、適切に応じて助けとなれます。自分を治め、活用し、他の助けになっていくのです。
 さらに、根本のところでは「神のみ声を聞く」。神さまのお気持ちを知って、適切に応じさせていただく。これによって、神さまとのより良い関係が形成されていきます。「神さまとの関係」と一口に言っても、いろいろあるからです。
 
また、「自然の命の声を聞く」「物の声を聞く」。このように「自然万物の声も聞く」。自然のそれぞれの気持ちを知って適切に応じ、自然とのより良い関係を形成して生きていく。自然との調和です。
 それぞれの関係性が、より良くなるように関わる。自分の苦手なところやうまくいっているところを知って、自分の関係性の傾向を把握して、弱点を補強し、正していく。関係性の調整、改善、育成、進展、活用。
 相手さんの気持ちを知るためには、相手さんに集中し、自分が無心になって相手さんに意識を置き続け、相手さんをより良く思ってあげる。相手さんを受け止めて、ひたすら感じてみる。瞑想です。
 このようにして自分を無にして、相手さんに集中して、相手さんを思って感じ続けると、相手さんを知ることができる。そして、一つになり、支えや助けになれる。
 
 相手さんを知るためには、相手さんに集中して、相手さんを感じてあげること。受け止めてあげること。それは、相手さんの声を聞くということ。文字どおりの声でなくても、相手さんの感じが自分のほうに伝わってくるということです。
 それで、自分の心の気持ちを知って、自分の心に適切に応じてあげる場合でも、自分の「心の声を聞く」というタイトルになっているのです。
 文字どおりの声として聞こえなくても、声のような感じが、自分の心から伝わってくる。自分の心からのメッセージが、自分自身に届いてくる。
 実は、いつでも届いているのですが、それに無頓着なだけです。そうすると、鬱(うつ)になったり、不安定になったり、生きていくのが困難になったりしてしまいます。
 心が不安定だったり満たされないと、それが生活に支障を来したり、肉体に病気を発症させたりします。その前兆として、肉体の不調が表れ出始めます。そうならないように、自分の心の気持ちを感じてみる。
 
 「自分の心は、どういう気持ちでいるのだろうか」。自分の心を窺(うかが)ってみる。そういう瞑想をする。
 瞑想の対象はさまざまです。自分自身を題材とすることも、必要です。最も本質的な瞑想は、神さま、取り分け「根源の神さま」を思わせていただくことです。
 そのほかいろいろ、瞑想の題材はありえます。太陽をイメージしたり、花をイメージしたり、美しい光景や天国をイメージしたりすることです。仏像、観音像、不動明王像などをイメージすることも可能です。イエス・キリスト、聖母マリアなどを思い浮かべて集中するのも、瞑想です。
 何かに意識を置き、心のエネルギーを注ぎ思い続けると、思っている対象に次第に同化し、一つになっていきます。そして思っている対象の影響を、自分が受けます。
 
 それゆえ、自分を高め、清め、本来の自分が取り戻されるのに助けとなる題材を、瞑想の対象に選ぶことです。
 心のエネルギーを注いでいることから自分が影響を受け、自分がそれと似たようなものとなってきます。また、心のエネルギーを注いでいることと自分につながりが出来てきます。
 人は自分が日々思うところの存在となっていくのです。それが、その人のありようと運命を形成していくこととなります。
 特に瞑想している気はなくても、いつも関心を寄せ、念じたり思い続けたり、心のエネルギーを注いだりしていることとつながりが出来、それと似たような自分に形成されていきます。
 それゆえ、あまり好ましくないことを思ったり願ったりはしないことです。誰かを快く思っていないと、相手の人にマイナスの影響が及んでいます。そして自分自身にも及び、好ましくないことを思うことで、自分も低下し、好ましくない状態に形成されつつあります。
 心の思いは「行い」です。それで仏教でも「意業」というように、カルマの一つに加えています。しかも、実際の身体を使って行うカルマ以上に本質的で、影響が大きいと見ています。「心で思うカルマ」「言葉で話すカルマ」「身体で実際に行うカルマ」。これが三業です。三密はそれらを昇華し、翻(ひるがえ)すことです。
 
 自分の心は、日々思って、心のエネルギーを注いでいることで、心の質が決まってきています。それを踏まえ、今思っていること、そしてこれから思い続けることで、さらに自分の心の質が変わっていくのです。
 このことであまり細かくなったり、神経質になったり、恐れたりする必要まではありませんが、日々何となく思ったり念じたり、心のエネルギーを注いだりしていることとの間に、目に見えないつながりが出来てきて、その影響を受けつつあり、自分の質と生き方、運命を決めつつある。そのことに気づきましょう。
 全ては正当に報われます。やればやっただけのことがあるのです。全てが日頃の積み重ねです。法則は完璧です。
 イエス・キリストの「山上の垂訓」が、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』に記されています。
 例えば、「心の清い人は幸いである。その人は神を見るであろう」「平和をつくり出す人は幸いである。その人は地を受け継ぐであろう」などといったように、です。
 これは単なる美しい表現や比喩ではなく、カルマの因果の法則の根本を、人々に説き伝えている内容なのです。行えば行ったとおりの結果が出る。それがカルマの因果の法則です。
 そのようにして形成されてきた自分の心、それが運命の元です。そのようにして無意識にも意図的にも作り上げてきた自分の心のありようになっている。
 なぜ、そのように作られてきたのか。
 自分の心はどういうことを願っていたり、恐れたり、悲しんだりしているのか。
 このことを改めて意識して、自分の心の気持ちを探りましょう。
 例えば「悲しい」という気持ちが湧いてきているとしたら、それは心の声です。ちょうど身体の感覚が身体の声であり、身体からのメッセージであるように、悲しみにしても怒りにしても、憂鬱やイライラにしても、喜ばしい思いにしても、偶然でなく、「そういう思いが湧いてくる元が、心の中にある」ということを表しています。
 
 その辺りの心の事情や背景、湧いてくる思いの目的や意図。そういった心の気持ちの声を聞く。こうして、自分を深く理解してあげてこそ、適切に自分に応じられ、自分が癒されたり、心が収まったり、より良い心の表れになってくるのです。
 自分の心の声を聞く。まず、自分の心の気持ちがどういうものなのかを知る。そのためには、自分の心の気持ちに注目し、意識する。それ自体、瞑想です。
 現代人は内省が足りないのが特徴です。内省、自制心、感謝の心、感激の心、信頼の心、畏敬の念、そういったものが現代人は足りないです。人や自然を大切にせず、欲望が行きすぎています。その結果、コロナや異常気象も招いています。
 もっと神さまを認め、神さまを愛し、神さまを尊ぶこと。これが、現代では足りないのです。
 
 神さまや命を認め、愛し、大切にする。そういう畏敬の念を沸き立たせると、魂と魂の感覚が目覚め、動き出します。それがチャクラです。
 そうすると、奥深いものが感じられるようになり、本当の知恵と愛が湧いてきます。その中で、必要なことがわかったり、神さまがおられ、自分が愛されてきていて、神さまに導かれていることが、直観的にわかるようになり、物事を肯定的に見て、深い安堵感や充実感に包まれるようになるのです。それが根本からの癒しです。「根本からの癒し」を「救い」と言います。
 現代では、表面的肉体的一時的な癒しが多く行われています。それらは対症療法であり、根治療法には至っていません。根本からの癒しが、根源の神との関わりで実現していきます。「根本からの癒し」が、「救い」です。
 心からの安堵感、平安、充足感、安定、そういったものがそこで与えられます。それに向けて、自分の心の気持ちがどういうふうに動いているのか、自分に向き合って見ていってください。
 単に理性で傍観者的に、他人事のように、自分の心の気持ちを観察するというのではありません。しかし、単に感情的になるというのでもありません。気持ちを落ち着けて信じて、神さまに見守られている中で、自分の心を静かに見つめていくのです。
 そうすると、自分の心の気持ちがどんな感じなのか、次第にわかってきます。この場合の「わかる」というのは、頭でわかるという以上に、本当に理解できる、感じることで言葉を超えて理解できるということです。
 また、自分の気持ちを温かく優しく見守って受け止めてあげていると、ただの理解だけでなく、それ自体が心の調整と癒しになっていきます。
 自分の心に対しても信じて優しく受け止めて、感じてあげてください。そうすると、理解だけでなくて、調整と癒しも、また浄化も、なされていきます。
 
 神さまに自分をお任せした上で、自分の心の気持ちを探っていくのです。このような心の作業に取り組むことで自分のことが深く理解され、修復がなされていきます。
 心の感じは、自分の心の声です。何かを訴えかけてきている声です。「こうしてほしいよ」というように。
 例えば、「もっと自分を知って、労ってほしいよ」とか、「もっと自分のことを自覚して、適切に応じてほしい」とか、「自分のこういう感情がなぜこうなるのか、わかってほしい。そしてきちんとそこに対応してほしい」など。
 そういう心からのアピールが感情であったり、意思であったり、心のさまざまな症状であったりです。こういうことが本当に心の病を治すことにもなります。
 機械的肉体的な心の治療法は、あまり役には立たず、かえって苦しめるだけです。また薬物療法なども、一時的に症状を抑えたり麻痺させているだけで、副作用もあります。
 もっと神さまのもとで自分のことも信じて、自分に優しくあり、本当に自分をわかって、受け止めてあげることが大事です。
 「なぜ、こういう気持ちなんだろう」と、自分を追い詰めたり責めたりしないこと。必ず理由や事情があって、ある気持ちが湧いてきています。その気持ちを理解し、その気持ちの奥にある背景や理由も理解してこそ、適切に応じられます。
 適切に応じれば効果があり、心が楽になったり安定したり、本来の自分の性格の良さが表れ出てくるようになるのです。
 自分の気持ちがわかってきたところで、自分に落胆したり焦ったり、不安がったりしないでください。自分の本質は魂であり、良きものなのです。自分を信じ、認め、受け止めてあげてください。
 神さまにお任せした上で、神さまのもと、自分の心に取り組んで、心のためになってあげてください。
 
 生きていく上で、自分が資産です。自分を見つめ、整え、より良い態勢を作って、目の前のことに応じていく、そうすると、余裕があり、安定し、自分の良さが無理なくコンスタントに発揮されます。楽に気持ち良く生きていけます。それでこそ周りにも応じて、助けとなっていけるのです。
 これなら不安や焦りがありません。落ち着いて見て行うので知恵も働き、現状により良く対応して生きていけます。
 そのような自分の態勢を作る一環として、自分の心の声も聞いてあげましょう。そしてそれを無視せず、追及せず、理解して受け止め、適切に応じて、自分の心に手当を施してあげましょう。それによって、より良い自分が現れ出てくるようになることでしょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16431


質問:肉体の気持ちを知って、ちゃんと応じてあげることの大切さをONEの教えで学ばせていただいています。このことに関して、わかりやすくご解説ください。
 
ソース:一般に、「人間は肉体の存在である」と見なされています。もちろん肉体があるのですが、肉体ばかりでなく、心があります。さらには魂もあるのが、人間です。
 この魂と心と肉体で、一つの存在を構成
しています。これがONEです。人という生命存在は、キリスト教で言う「三位一体」のようなあり方をとっているのです。
 ここで留意するべきことは、ただ単に「魂と心と肉体があって、それらが一つになっている」というばかりではなく、その3つの順序や優先順位があることです。
 まず、「肉体ばかりでなく、心、さらには魂もある」こと。しかも「それらが一つになっている」こと。そして、「その3つには順序がある」こと、です。
 肉体が第一で、次に心、最後は魂。そのように捉えられるべきではありません。実際は「魂がまずあり、そこから心、そして肉体が派生している」という順序になっているのです。
 
 それゆえ、「肉体のほかに心や魂を認める」ばかりではなく、「魂を主体として、それから心、そして肉体も認め、労り、大切にする」のです。実際、そのような構造を成しているからです。
 魂と心と肉体の調和とバランス。そして3つの統合を目指す。さらに順序として、肉体本位に生きるのではなく、また、心主体に生きるのでもなく、魂本位に生きること。そうすると心も肉体も浄化し、活性化します。魂主体に生きることで、心も肉体も癒され、治められる。その際、自力ではなく、魂が根源神につながらせていただくと、そのことが確実になる。
 もともと魂主体に出来ているのですから、そのことに気づいて魂本位に生きることで、心も肉体も治めることができ、活用できるようになるのです。これがONEです。
 そうではなく、肉体主体にして、心、そして魂を認めるといった程度では、心や魂が活かされず、自分の全体を治められません。もともと魂主体に出来ているためです。魂に軸を据えることで、心も肉体も治められ、活用もできます。カルマも解消します。
 「その上で肉体をも思いやり、肉体にも配慮する」ということになります。そこが一般の「肉体を大事にする」という常識的な現代のあり方との違いです。
 ONEにおいても肉体を認め、大切にし、ケアするのですが、まず前提として「魂本位にした上でのこと」です。そうすると本当に肉体が癒されたり、治められたり、活用できるようになるのです。チャクラはこの方向での取り組みです。
 
 一般の人たちがしているように肉体だけで見ていくと、肉体さえ扱いきれず、治められず、活用できないのです。
 それはもともと事実として、人間はもともと魂の存在であり、魂から心、それから肉体が派生しているからです。これが真のスピリチュアルです。
 魂や霊だけを重んじ、心や肉体を軽んじたり、蔑視したり、否定するのは、本当のスピリチュアルではありません。
 キリスト教や仏教では、そのようなスピリチュアルになりがちです。肉体を蔑視したり、拒否したり、否定的に見ているのです。それは好ましくありません。
 かと言って一般常識のように、魂を考慮せず、ただ肉体の健康や美容だけを追い求めているあり方では、肉体さえ思うようにならず、十分に真の健康と美容は得られません。
 ONEというのは、トータルに扱うことなのです。生命を全体として総合化する。一体化する。その場合、順序もあるということ。
 「肉体から心、そして魂」という順序ではない。また、3つが並列状態でもない。「魂がまずあって、それから心、そして肉体がある」という順序です。
 以上の前提を踏まえ、肉体を扱うということが、ONEの特徴です。そうすると肉体も本当にわかったり、癒されたり、満たされたり、治められたり、活用できるようになるのです。命の全体性も回復する。これがONEです。
 その中で肉体の病気も治ります。肉体がなぜ病気であるかがわかり、わかるだけでなく、自分で治せるようになります。病気こそ、身体の声です。コロナも、その一部です。
 
 医療も、もちろんあって良いのですが、医療以前に、自分で肉体を知り、肉体を扱うということが、現代においては欠如しています。その部分を埋めるのが、ONEの役割です。その上で、医療は医療で役目を果たせます。
 現代人は、自分で自分の肉体や心の状態とその気持ちを知らず、また扱わないで、具合が悪くなると不安になり、すぐに医療に頼ります。それでは早すぎるのです。
 自分で作った病気なのだから、「なぜ病気になったか」を自分で調べ、病気になったことから教訓を学んで、成長改善すること。そのことに自ら取り組むことが、ぜひとも必要です。その上で、どうしても追いつかない場合は、医療の力を借りれば良いのです。コロナに関しても、このことがそのまま当てはまります。
 
 「相手さんの気持ちを感じ、相手さんの気持ちを知ること。そして、適切に対応していくこと」。これがONEにおいて重んぜられています。ここで「相手さん」はいろいろあります。
・神さまの気持ちを感じ、神さまのお気持ちを理解すること。そして神さまに適切に応じさせていただくこと。
・ご先祖さんの気持ちを感じ、ご先祖さんの気持ちを理解すること。そしてご先祖さんに適切に応じさせていただくこと。先祖供養です。
・自分の前世の気持ちを感じ、自分の前世を理解すること。そして自分の前世に適切に応じさせていただくこと。前世供養です。
・ほかの人たちの気持ちを感じ、理解すること。そしてほかの人たちそれぞれに、適切に応じさせていただくこと。思いやりと配慮です。
・自然の命たちの気持ちを感じ、理解すること。そして自然の命たちに感謝し、適切に応じさせていただくこと。
・自分自身の「心の気持ち」を感じ、理解すること。そして自分の心に、適切に応じてあげること。
・自分の「肉体の気持ち」を感じ、理解すること。そして自分の肉体に、適切に応じてあげること。
 今回のテーマはこれです。こうして全体像を明らかにした上で、今回のテーマが正しく位置づけられることで、きちんと行えるようになっていきます。ほかにもあります。
・物や道具などの気持ちを感じ、理解してあげること。そして物や道具にも感謝し、大切にし、活用させていただくこと。物や道具に適切に応じていくこと。
・食物や料理の気持ちを感じ、理解すること。そして食物や料理に感謝し、大切にし、適切に応じさせていただくこと。
 以上のいずれの場合でも、「相手さん」が何であれ、相手さんに思いを凝らして、じっと感じ、共感する。受け止めて感じさせていただく。その「感じる」ということで共感が湧き、つながりができたり、カルマが解消していきます。ONEが実現します。
 
 相手さんと自分は違うけれども、そこで交流がなされ、一体感が得られます。それがONEです。そうすると、相手さんを感じながら癒し、支え、活かし、修復することができます。「感じる力」です。
 「感じてどうする?」。そのように捉える現代人が多いことでしょう。しかし、「感じる」ということは大切です。頭で理解する以前に、まずは命の感覚を使って感じることが求められます。感じることで真に理解され、理解されるだけでなく、癒されたり修復されたりしていくのです。
 そして実際的にも応じていくならば、適切に応じられます。適切に相手さんに応じれば、結果は良好です。相手さんと良い関係が生じ、癒されたり、活用されたり、調和がもたらされます。これは相手さんが何の場合も、同じ原理です。
 神さまのお気持ちを感じ、神さまのお気持ちを理解する。そして神さまに感謝し、神さまに適切に応じさせていただく。
 宗教においてはこれが重んぜられていることでしょう。もっともこれさえわからず、おろそかな宗教も、世の中には多いようですが。
 さらに忘れてならないことは、神さまを感じ、神さまのお気持ちを理解して適切に応じさせていただくことを第一として、ほかのそれぞれの人の気持ちも感じてあげる、わかろうとしてあげる。そして尊び、配慮する。そしてわかった上で、適切に応じてあげる。実際にも良くしてあげる。これが大事です。
 そうすると相手の人は、「この人にわかってもらえた。この人には自分が受け入れてもらえた。そして適切に応じて助けてくれた。ありがたい、うれしい。何と素晴らしい人だろう」。そのようにこちらを捉えてくれます。もちろんそのように思ってもらうために相手の人にするのではありませんが、結果としてそのように思われます。これが理想的な相手とのコミュニケーションです。
 
 どんな命ともたとえこれが、このように関わることがONEです。たとえこれがすぐにうまくいかなくても諦めないこと。一方、ちょっとでもうまくいったら素直に喜び、それを励みに次につなげていくことです。その取り組みが尊いのです。
 そうすると大きく成長を遂げ、いつしか命が感じられるようになり、どんな命とも共感が湧いて、より良い関係を持ち、助け合えるようになるのです。これが霊的成長と進化です。
 相手さんの気持ちを感じてあげ、共感する。そして本当に相手さんを理解して、適切に応じて、支え、助け、活かせる。これがどのぐらいできるのかが、霊的成長の目安です。その方向で努力することが、ONEの学びと修行です。
 自分はどんな相手の場合はわりとでき、どんな相手の場合は苦手で、これができていないか。自分のこの方面の特徴や課題に気づくようにしてください。
 例えば、神さまのことは重んじるけれども、ほかの人のことは軽んじていた。そういう人もおられることでしょう。
 逆に、人のことは重んじて、わりと感じて助けてきたけども、神さまのお気持ちを感じて理解し、適切に応じさせていただくことは、あまりやってこなかった。そういう人もいるでしょう。
 あるいは、神さまのお気持ちを感じ、適切に応じたり、神さまに感謝することは重点的に行ってきたけれども、自分の肉体の気持ちを感じてあげて、肉体の気持ちを理解し、肉体に適切に応じることはおろそかだった。そういう特徴の人も、おられることでしょう。
 
 この、他の命との関わり方の「命のマナー」。この自分の傾向と課題を知ることが、ONEの学びの第一歩です。
 それから、うまくできているところを励みにしてさらに発展させ、自分が軽んじたり、うまくいっていないところは補強していくように、重点的に取り組んでいくことです。
 ONEというのは「総合」と「一体化」なので、肉体も大事にするのです。キリスト教や仏教のように、軽んじたり、おろそかにしたりしないのです。
 自分の肉体に関して無知であってはいけません。自分で自分の肉体の状態を知って把握している。そして日頃からきちんと管理し、対処し、「肉体が活き活きして、肉体が喜んで活発である」ということが大事です。
 ここで肉体を喜ばせるという場合、2つの方向に大別できます。
 一つめの「肉体を喜ばす」というのは、本当の「喜ばせる」というものではない部類です。そのような、肉体を喜ばせる方向で生きている人が多いのです。俗世的な生き方です。
 「食べたい時に食べたいだけ食べる」「食欲の虜になっている」。あるいはセックスのようなことで、「快楽的に生きて肉体を喜ばせている」。そこまで行かなくても、肉体本位に肉体次元においてのみ、その場の肉体の感覚の快楽を求めて肉体を喜ばせるあり方。これが、一つめです。これは、本当には肉体は喜んでいません。地獄的なあり方の方向です。コロナは、その一つの結果です。
 そうではなく、ONEの学びで勧めている肉体を喜ばせるというのが、もう一つあるのです。それは「本当に肉体が喜ぶようにしてあげる」ということです。こちらは天国的なあり方の方向です。
 
 例えば、支配欲とか食欲とか性欲とかに囚われ、自堕落的な自制のない生き方をしていると、一時的には肉体が喜んでいるように見えているけれども、本当は肉体は悲しんでます。肉体が損なわれ、傷つきつつあります。チャクラが汚れ、悲しみ、コロナを発生させます。
 一方、自制したり、素朴に生きることは、ちょっと我慢しているようで、肉体が喜んでいないようですが、真の意味で肉体のためになる、本当の自分への愛です。チャクラが喜び、活性化し、免疫力が高まり、コロナを癒します。
 ちょっと肉体は節制してつらいように感じるけれども、真の意味で肉体のためになっているので、本当に肉体が喜んでいます。
 これが、自分を大切にする生き方であり、天国的です。このように肉体を喜ばせた結果、健康が得られるのです。また真の美容も得られます。チャクラが喜んで、心も肉体も癒されます。カルマも解消します。
 一方自堕落で、節制のない生き方は、病気を招きます。コロナはその典型です。病気の前に黄色い信号としてだるさとか、重さとか、痛みとかが出てきます。これが「身体の声」です。その身体の声を無視せず、傾聴し、適切に応じてあげるのです。
 「病気か健康か」以前に、まず身体の声として、清々しさ、快適さ、軽やかさか、それともだるさ、かゆみ、苦痛、不快感、悪寒、めまい、頭痛、吐き気などが、身体の声として出てくるか、です。
 
 人間は口でしゃべるばかりではありません。口で日本語をしゃべるばかりでなく、身体には身体の言語があります。その身体の言語を聞くこと。そして身体の声のメッセージの意味を理解して、適切に応じてあげること。コロナの症状も身体の声の一つです。
 肉体本位に感覚的に生きるというよりも、魂本位に生きた上で、肉体をも適正に位置づけ、真の意味で肉体が喜ぶようにしてあげるのです。そうすると健康と美容が与えられます。
 適切にしたことからは、喜びの結果が得られます。不適切に扱ったことからは、苦しみや悲しみの結果が与えられます。これがカルマの因果の法則です。
 例えば、水を大切にしなかった人は、いずれ水で困ることになります。
 自分の才能を軽んじて活かさなかった人は、才能が乏しくなることで困る事態を招きます。カルマの因果の法則です。
 お金を大切にし、活用して生きた人は、お金で恵まれるようになります。
 対人関係で人の気持ちを感じ、人を大切にして活かしてあげると、人から助けられ、人間関係で恵まれる結果が得られます。
 全て、カルマの因果の法則です。それ相応の結果が待ち受けているのです。
 現代人は、身体に関して疎(うと)い人が増えてきています。ONEの学びの中に身体も適切に位置づけ、自分の身体に詳しくなりましょう。これがONEの天的知恵です。
 そのことに各自取り組んでください。すぐにわからなくても、また、すぐにうまくいかなくても、諦めて取り組みを止めないでください。ちょっとでもうまくいったら素直に喜び、感謝し、それを糧(かて)に、また取り組んでください。
 
 そうこうするうちに次第にわかり、身につき、うまくできるようになります。それによって身体の調子が良くなり、健康と美容が得られ、十分にするべき良いことをしてから、霊界に還っていけるようになります。
 暴飲暴食、偏食などは肉体にダメージを与え、肉体を悲しませます。コロナも、食物や自然の恵みに感謝せず、大切にせず、肉体を労らず、自然の摂理に従っていなかったあり方に対する結果です。明るく健全に、健康的に生きること。これが本来のあり方です。これこそ「新しい生活様式」です。それによってコロナを克服解消させられます。
 ONEの学びと実践の中に、「身体」も取り込みましょう。それで、ONEの学びにおいては、誘導瞑想の中でも、「自分の肉体の気持ちを感じてあげましょう。そして肉体の気持ちをわかってあげて受け止め、労り、適切に応じてあげましょう」。そういう瞑想の内容が組み込まれているのです。感じるだけで調整されたり、癒されたり、和らぎます。「感じる効力」です。これが、「身体の声を聞く」ということ。
 感じることで、本当に身体の気持ちがわかり、調整されます。その上で、いろいろと実際的にも適切に応じてあげましょう。これが、自分の身体を通してのONEの学びの取り組みです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16389


質問:愛についてONEの観点からご教示ください。
 
ソース:ONEの教えにおいては、「神への愛」「自分への愛」「人々への愛」「自然万物への愛」、この4つを大切にしています。
 また、愛は必ず対象との相互関係にありますので、この4方面の愛を2倍して、8方面の愛が基本としてある、このように見ています。
 「神から自分への愛」「自分から神への
愛」、「自分から自分への愛」「自分から自分への愛」、「自分から人々への愛」「人々から自分への愛」、「自分から自然万物への愛」「自然万物から自分への愛」。この8つが愛の基本です。
 社会との調和と共存、自然との調和と共存、霊界との調和と共存。これを満たすことが愛です。
 「愛」は、一般的には良いものではあるのですが、それは成長の度合いによります。
 「愛」にはいくつもの種類とレベルがあ
ります。その愛の種類とレベルに応じた霊界に行きます。
 なぜなら「霊界」での居場所とは、「その人の愛の種類とレベルを表す生命状態に見合う所」だからです。
 誰でも愛を持っていて、愛に突き動かされて生きています。愛を求めて生きているのです。
 その愛の内容と種類、レベルが問題です。「人が成長していく」とは、愛が成長化し、愛が本物化していくことです。
 
 愛は生命エネルギーの原動力です。それは欲望や欲求、願いなどと深く結びついています。それが感情にも投影し、さらに行動にも及びます。
 つまり、愛がカルマの元にあるのです。「カルマ」と言っても悪業ばかりでなく、善業もあります。愛にもいろいろあるように、です。誰でも愛があり、愛を欲して、愛を求めて生きています。
 そこで、「自分はどんな愛に突き動かされ、何に惹かれ、何を嫌悪して、また何を恐れて回避して生きているのか」を見ていくことが学びです。カルマも使命も根本に「愛の課題と学び」があるのです。
 
 スウェーデンボルグは、「地獄は、自己愛と世俗愛を元として生きていた人が行く所だ」と、捉えました。
 一方、「天国は、神への愛と利他愛を元として生きていた人が行く所である」と、捉えました。
 これによると、「自己愛」と「世俗愛」は悪業、「神への愛」と「利他愛」」は善業、ということになります。これは霊的成長のレベルをも表します。
 霊的成長のレベルと愛は、7つのチャクラに表示されています。
 
 一般には第4のアナハタ・チャクラが愛のチャクラです。それはそうなのですが、根本から捉えると、7つのチャクラは全て元に愛があり、愛の種類とレベルの違いによって、それらが7つのチャクラに反映してきていると言えます。
 それゆえ、チャクラは梯子段であり、生命進化の階梯を表します。先ほど述べられたように、愛が本物化していくことが、霊的成長であり、神に還る道です。その愛の種類とレベルを表すのが、死後の世界である霊界です。
 「外界は内界の顕れ」です。「その時点のその人の内面を表すような状況と体験と行動になる」。これが法則です。
 それゆえ、生きているうちから、その人の内面の愛の種類と程度に応じた生命状態と、周りの状況、動き、体験にすでになっているのです。
 
 ただこの世は、物の世界であるため、「外界は内界の顕れである」「その時点のその人の実質を表す状況と体験になる」。この法則が完全には作用していない場合があります。人は取り繕うからです。本音と建前です。
 しかし、「霊界」は「心の世界」です。そのため、霊界に行くと取り繕うことや誤魔化すことが通用せず、良くも悪くも本性が顕わになる世界です。
 その意味で霊界でこそ、先ほどの法則が完璧に貫かれています。「外界は内界の顕れ」です。「その時点のその人の実質を表す状況と体験になる」。このとおりになっています。あの世は良くも悪くも結果が出る、報われる世界なのです。
 ONEの教えで目指すのは、「根源神への愛」「自分への愛」「人々への愛」「自然万物への愛」です。
 
 イエス・キリストは言われました。「全身全霊をもって神を愛せよ。そして自分を愛するように、汝の隣(となり)人(びと)を愛せよ」と。
 ONEの教えで「神への愛」と言う場合、「根源神への愛」のことです。ONEは宗教宗派に枝分かれする以前の根本信仰だからです。
 また、仏教やキリスト教では、「自分を愛する」ということが、よろしくないものとして、「回避するべきである」と、教えられています。
 スウェーデンボルグの教えの中でも、「自己愛、あるいは利己愛は地獄的であり、好ましくないもの」と見なされています。
 エドガー・ケイシーの教えでも、本山先生の教えでも、「自己愛」は戒められています。
 
 しかし、ニューエイジや精神世界、スピリチュアルなどでは、「自分への愛」が逆に勧められています。一般の社会でも、少しずつ癒しの観点で、「自分を愛する」ことの大切さと真実さが知られ始め、勧められ出しています。「自己肯定感」などが最近は大切にされるようになりつつあります。
 このように、スピリチュアルや一般の癒しの分野では、「自分を愛する」ことの正当性と必要性が言われ始めています。
 ポール先生の教えも、そのような新しい部類の教えであり、「自分を愛する」ということが肯定され、勧められています。
 ONEの教えにおいても、「自分を愛する」ということが認められ、勧められています。「神への愛」「利他愛」と一体化した内容と方向で。
 ONEの教えにおける「自分を愛する」ということは、キリスト教、仏教、スウェーデンボルグ、エドガー・ケイシー、本山先生などが戒めておられる、「自己愛」あるいは「利己愛」とは異なります。
 本当の意味で自分を愛することを、ONEの教えでは説き勧めているからです。
 
 最初は、自分を愛するということがよくわからなかったり、うまくできなかったりするかもしれません。それでも諦めず、工夫して取り組んでいるうちに、キリスト教や仏教で戒められてきている、あるいは道徳や常識で戒められてきている「エゴ」や「自己中心」ということと、「本当の意味で自分を大切にし愛する」こととが、識別できるようになります。
 理解の面で識別できるだけでなく、実際に本当の愛を会得し、行動できるようになってきます。それこそが「愛の成長」です。
 たとえすぐにそうならなくても、疑わず、諦めず、自分への愛が本物化するように目指し続けるのが、ONEの学びです。
 「利己愛」「自分本位」「自分勝手」は、全く自分のためになっていません。自分を愛していません。
 「本当の意味で自分を愛する」ことなら、人のためにも自分のためにもなります。良い愛です。
 「人にしたことは自分にしたことであり、神にしたことである」――これがONEです。神さまと人と自分は関連し、連動して一体化しているからです。
 
 人々のためになることが、ひいては真の意味で自分のためにもなるのです。しかもそれを当てにせず、純粋に相手を思ってしてあげるのが、愛が成長してきた特徴です。
 イエス・キリストご自身は、先ほども述べられましたように、「自分を愛するように隣人を愛せよ」と言われたのです。「自分を愛することが基本になって、人のことも理解し、大切にし、思いやれる」ということです。
 単なる自虐的な自己否定は、自分を損ねるだけであり、好ましくありません。尊い純粋な自己犠牲の愛なら良いのですが、ただ自分を否定して自虐的になることは、残念で望ましくありません。
 中には、人の同情を買おうとして自虐的になっていたり、人から評価されたくて自己否定的になっている人も、おられるかもしれません。
 それよりももっと自然に素直に、自分を認め、大切にし、そしてほかの人のことも思いやることです。これが健全で、本当です。
 
 ONEの教えでは、「自分らしさ」を大切にしています。当然、それぞれの人の「その人らしさ」をも認め、大切にします。
 世間では、これまでの自己犠牲的な風潮の反動として、「ジコチュー」が流行り始めています。そのジコチューを通って愛が本物化していけば良いのです。ジコチューだけに留まると、好ましくありませんが、今までの自己否定的な悲しいあり方から、まずは自分というものを復権していく。そのようなジコチューを経て、本当の自分への愛に進んでいけば、それはそれでジコチューにも意味があります。
 スウェーデンボルグが述べていた「地獄」は、自己愛と世俗愛を特徴としている。この場合の自己愛は、ONEの教えの「本当の自分への愛」とは異なり、自分勝手で自分本位なあり方のことです。それは全く自分を愛していません。自己愛ほど自分を愛していない形はないのです。
 本当に癒され、賢くなり、余裕が出て調整されてくれば、魂本位になるので、健全な「自分への愛」ができてきます。それは必ず「他者を愛する」という利他愛と一致します。それがONEの教えです。
 たとえすぐにそうならなくても、落胆したり焦ったり諦めたりせず、このテーマに取り組み続けましょう。
 
 素直になって自分を魂に戻せば、魂自体は完全な愛を知っているので、それほど無理なく、本当の自分への愛ができてきます。それは必ず神への愛や利他愛と一致します。
 ONEの教えには、「自然万物への愛」も入っています。これはキリスト教にはない側面です。仏教などの東洋の教えにはある程度入っています。
 イエス様ご自身は、『ルカによる福音書』などに見られるように、自然を慈しむ心があられました。それは後のアッシジのフランチェスコやゾイゼ、ノヴァーリスらの教えにも出てきます。これからは「自然万物への愛」も大切です。
 それでONEの教えでは、「創造神への愛」「本当の自分への愛」「利他愛」、それに「自然万物への愛」が加わっているのです。これが健全で、これからの時代に求められる完全な教えです。
 
 新型コロナにしても、今起きている熊本を中心とする水害も、人間が自然を労らず、自然に感謝せず、自然の摂理に調和して生きることが足りないことによります。人類が自然に対して作ってきたカルマが顕れ出て、果たされつつあるプロセスです。
 カルマは、自然との関わりでも作用しているのです。何も人にすることだけがカルマではありません。例えば、食べ物を大切にせず、食べ物に感謝しなければ、食べ物で困ることになります。
 物質的なものも、「自然万物への愛」ということで、大切にさせていただきます。
 人間の中、あるいは自分の中の物質というと、肉体です。ONEの教えでは、「自分の肉体の気持ちを知り、労る」ということが勧められています。
 一方、スウェーデンボルグやキリスト教、そして仏教でも、肉体に対して否定的です。魂と肉体との相克関係が、修行で取り沙汰されているほどです。
 スウェーデンボルグの教えでも、「肉欲に走った人は地獄に行く」と説かれています。
 
 肉体や物質自体に罪はないのですが、人間は物質や肉体に囚われすぎると、外見的表面的なものに目を奪われ、虜になります。そうすると健全ではなくなり、内面の心や魂や愛、命、神などがなおざりになります。
 肉体の五感を喜ばせることや肉欲に走ることは、思いやりから離れ、堕落への道に向かいやすいことは確かです。
 そこで、肉体や物、あるいは食物、そういったものと健全な関わりをとって、本当の愛を与えたり受け取ることが求められます。
 ONEの教えの、「肉体の気持ちを感じる」ということもそのことです。本当の意味で肉体が喜ぶようにしてあげるのが、ONEの教える自分の肉体への労りのことです。
 一方、性欲や食欲に過度に走っている人たちの場合は、また別です。本当には肉体は喜んでおらず、肉体が悲しみ、肉体が納得していないからです。病の元です。
 
 現代人は肉体の五感を喜ばせたり、肉欲を満たす快楽に走りがちです。そうするとどうしても刹那的で空しくなり、心、愛、命、魂、神などがおろそかになりがちです。
 そこで魂に起点を据え、それによって自然の命たち、自分の肉体、食物などが健全になり、生きてくるのです。これがONEの健全な本当の愛であり、あり方です。
 人間はまだよくわからなかったり、癒されないものがあったり、良い習慣が身についていなかったりで、すぐには愛が本物化しません。
 そこでいろいろな経験を通して、次第に理解し、癒され、調整がつき、育成され、浄められ、生命状態が良くなっていくのです。
 愛と生命エネルギーが昇華されて、浄められ、発展的に活用されていくようになるのです。その完成したあり方が、神そのものです。
 人間もそのように人生経験を通して浄められ、練り上げられ、育成されていきます。それが7つのチャクラの状態に反映してきているのです。
 
 「世俗愛」というのは、名誉や地位など、世間的な評判や評価を求めることです。これには支配欲も関わっています。自分本位ということにもつながっています。
 そういったあり方は地獄的だと、スウェーデンボルグは捉えたのです。それがお金に絡んだりしてきます。社会的なさまざまな不正、世間で問題になるようなことも多く、世俗欲に関わっています。
 しかし、世俗欲が好ましくないというのは、この世の全面否定ではありません。物や自分が、神や人にとって代わることがいけないのです。神さまと魂に起点を据えることで、全てが浄化され、正しく活かされるようになるのです。
 スウェーデンボルグの教えでも、一般世間に背を向ける出家は、勧められていません。むしろ、仕事を大切にし、仕事を通して自分を磨き、自分を発揮して世のお役に立つことを、最も天国的なあり方として勧めているほどです。
 
 仏教では、「愛」というのは否定的に捉えられています。「渇愛」という仏教用語があります。愛欲を渇望するという意味です。仏教は欲を、また感情を鎮静化させ、物事の真実を見抜いて、心が愛欲や感情から解放された悟りの状態が目標です。その悟りが自分を自由にし、平安をもたらします。
 自分の欲望や感情や無知からの自由です。社会や人々からの自由ではありません。自分を治められるようになれば、自分を活かして周りのためになれます。マスターです。
 輪廻転生は、人生経験を通してさまざまな教訓を学んで自分が改善され、成長を遂げていく道です。全ての学びやレッスンは、愛に集約されています。「自分が何に惹かれ、何を嫌悪しているのか」「自分は何を求め、何を避けようとしているのか」。このような自分の愛の傾向とレベルを知ること。「自分は何を元に生きているか」「自分は何を求めて生きているのか」。それが自分の生命状態を表しており、それに見合う霊界に行くからです。
 
 こうして愛が本物化すると、神さまに帰還できます。神は愛そのものだからです。愛から生命エネルギーが生じています。愛が本物化していくことが、最も望まれているのです。それこそが善であり、愛です。それが神の働き、聖霊です。
 焦らず、疑わず、諦めず、自分を見直して育て、人をも見て育ててあげましょう。そして自分を活かし、人も活かされるようにしてあげましょう。神さまにお任せし、神さまとの関わりで導かれるように、これからも愛の学びと実践に取り組んでいきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16357


質問:コロナ以後の考え方、生き方、社会のあり方についてご教示ください。
 
ソース:コロナの蔓(まん)延の中で、日本政府は新しい日常、新しい生活様式を打ち出し、国民に勧め始めています。それはそれで科学的根拠があり、守ったほうが良いことではあります。
 ただ、その内容は「新しい生活様式」と呼べるほどの内容とは言えず、後ろ向き、形式的、物的で、中身はほとんど伴ってい
ません。
 
 また、「コロナ以後の新しい生活様式」というよりも、真の新しい生活様式へ向けての過渡期、移行期のとりあえずの外的物的あり方という位置づけと見るべきです。
 なぜなら、その新しい生活様式がそのまま定着して、新時代のあり方になるわけではないし、それが本当に望まれていることでもないからです。
 現代は日本を含め、世界的に物のほうに傾いている時代状況です。
 世界の歴史を見ると、物と肉体に重点を置いた時代状況と、神仏や精神や霊に傾いていた時代状況とが、それぞれあります。
 根源の神と人間の中の魂を基本に据え、心や肉体、物質などを上手に活用するあり方、それが本来のあり方です。
 
 このように、神と魂を基本に据えて全体を治めるのが、ONEです。天使的天国的なあり方です。これが本来の理想のあり方です。一人間としても社会としても、そのようなあり方が望まれています。それに基づいて、新しい生活様式が出てきます。今はあくまで、その移行期の形態と内容にすぎません。
 「3密」で代表される、日本政府が打ち出している新しい生活様式は、「新時代のあり方」というより、「過渡的なあり方」にすぎないし、またあまりにも形式的、消極的、表面的です。
 ただ、コロナの渦中において、何とかコロナを収束させる上では、少なくとも物的肉体的次元において、必要最小限の枠組みとはなっています。
 現代は、物や肉体に著しく傾いているあり方です。それは科学や学問において、物質や肉体がわかりやすく、扱いやすく、効果もすぐに出るからです。
 その分、証明しにくく扱いづらい、心、魂、霊、神、愛などは、後回しにされがちです。文化や芸術や宗教などの領域です。
 実業に対してそれらは、副次的であると見なされています。実業はもちろん、生きていく上での基本となりますが、人間には心や魂があり、愛が大事なので、心や魂などの、いわばソフトウェアの領域が不可欠です。
 物や肉体の次元はわかりやすく扱いやすく、すぐに効果が出るので、どうしてもそちらに向かいがちです。しかし、長い目で、また広い視野で見ていくと、魂や霊や心を取り込むこと、しかもそれが主軸になるべきこと。なぜなら、神、魂、心が真の原因で、根源的本質的で、可能性を秘めているからです。
 そのような認識に立って取り組んだほうが正道であり、結局は功を奏するのです。なぜなら、そのような仕組みや成り立ちになっているからです。
 
 一方、物や肉体だけを扱うと、わかりやすく即効性はありますが、行き詰まります。本当の解決にはなりません。
 これからは、心や魂や霊、また広い範囲では神さまや霊界、そういった目に見えない領域も考慮し、大切にし、扱っていくべきです。そうでないと本当ではなく、行き詰まります。
 「コロナをどう捉え、どう対応するか」に、現代のあり方が良くも悪くもそのまま出ています。わかりやすく一言で言うと、目に見えない世界がカットされているのです。本質的な真の原因や理由や力が。
 ONEというのは、スピリチュアルだけではありません。スピリチュアルは中間領域です。根源の神さまと人間の中の本質である魂に基軸を据えつつ、霊や心、さらに肉体や物質まで考慮して活性化させていく。これがONEです。
 コロナを機に、現代のあり方の欠陥や弊害が表れ出ています。そのことに気づいて、物的レベルだけの捉え方と対応に留まることなく、もっと奥の理由や可能性に気づいてそれを取り込んでいけば、コロナに導かれ、新時代が理想の形で実現してきます。天界に倣う新秩序が。それこそ、コロナを通しての神の狙いです。
 
 ある程度宗教やスピリチュアルでは、これに近いようなことに気づいて、言い始めている方も出てきていることでしょう。それはそれで結構なことなのですが、どうしても一宗教や一スピリチュアルに留まりがちで、主観的で限界があります。
 そこで、一般的な科学技術のように、目に見えない領域も、新しい科学によって解明され、考慮され、取り込まれて応用されていくことが必要です。物的な科学技術や学問と霊的真理をつなぐこと。
 このように目に見えない世界を基に、目に見えない世界も取り込んで、これまでの物的な科学技術や学問と統合するあり方がONEです。それが理想です。それがARIの役割です。
 「新しい生活様式」というのも、そのような中で本当に、実のあるものとなります。
 現在のような「3密を避ける」というだけでは、全く理想的ではありません。
 
 確かに今は、コロナが広がらないように控えることは、とりあえず必要にはなっています。しかしこのまま、「3密を避ける」ということだけでは、人と人との生きたコミュニケーションや触れ合いがなされぬままです。真の原因に対処していないので、解決も覚束ないです。
 それは「新しい生活様式」とは、全く言えません。むしろそれに相反することです。
 社会でデジタル化が進んでいく。例えば、オンライン授業。そういったことは、コロナのもたらした、いわばコロナ効果ではあります。だからといって、これからは全てデジタル化だけで行き、生きた人と人との関わりがないあり方が、「新しい生活様式」とは言えません。
 人と人とが実際の触れ合いをしないような、しかも恐れて不信感や満たされない心で、人と人とが分断しているあり方は、全く理想的とは言えず、「新しい生活様式」とは言えません。
 「3密を避ける」ということが、言われるようになりました。「密室はいけない」「人と近距離ではいけない」「換気をよくしなさい」「濃密な接触は厳禁である」。こういった「3密を回避する」ということで、この新しい表現が、皮肉にも真言密教の伝統的な「三密」と同じ表現になっています。
 
 そこで、「3密」から「三密」に向かうことを、このリーディングにおいてお勧めします。世間の「3密を回避しなさい」ということをもっと発展解消させ、「本来の真言密教における三密に昇華させなさい」と。
 古くから真言宗の中で勧められている「三密」とは、「意密」「口(く)密、あるいは語密」、それから「身密」。この3つの「密」です。
 人間の煩悩に根差す、不完全な3種のカルマ、すなわち「意業(ごう)」「語業」「身業」、この3方面のカルマを翻し、完全な生命の営みが、「意業」に代わる「意密」、「語業」に代わる「語密」、「身業」に代わる「身密」です。三業から三密へ。
 生命の働きをただ単に「カルマ」とさせるのではなく、生命の神秘に分け入り、神仏との関わりでなされる「超作」とさせる。そのような奥深い秘密に与(あずか)る。それが「密」です。神人合一に基づく生命の完全な営み。
 人間は生命体である以上、生きている限り必ず新たなカルマを作ります。できるだけ悪業よりも善業にすることが求められています。
 
 でも、「善業」と言えど人間のカルマの範囲の中で、解脱には至りません。「より良くなる」というだけです。
 「解脱」は、悪業はもちろん善業からも解放され、乗り越えていく道です。そのためには自力だけでは限界があります。
 根源の神さまとの関わりで、献身しながら神さまと一体化させて頂いて、生命の営みがなされる時に、超作となります。これは奥深い生命の神秘に関わるために、「密」と言われるのです。深秘の領域です。
 そうすると、普通の人間的な「意業」という心のカルマに代わって、心の超作がなされます。それが「意密」です。
 言葉も普通のカルマの「語業」から、「語密」あるいは「口密」になります。神さまと自分が一体化してなされる、愛と真実の言葉が「口密」です。真言宗ではマントラをお唱えします。真実のお言葉、すなわち「真言」です。
 「身業」ということで、体を使って実際に行う人間のカルマの代わりに、自分を通しても神さまが働かれる。これが「身密」です。超作です。
 つまり、「三密」は「完全な行い」のこと、「超作」です。これが理想であり、究極目標です。「新しい生活様式」は、真言密教で昔から唱えてきている「三密」にあるのです。これで浄化され、コロナが解消します。
 いきなり人がそのように、完全な行いを心においても、言葉においても、行いにおいてもできるようになるのは困難です。それでもそこに理想の目標があります。そこに自分を設定するのです。そして、すぐにうまくいかなくても、諦めて止めず、見直してまた取り組みます。
 
 一方、ちょっとでもうまくいった時は素直に喜び、それを励みに、次につなげていきます。欲望の文明を昇華させる「三密」は、天国的天使的なあり方なのです。
 今の過渡期のように、コロナの蔓延を防止するべく「3密を避ける」というだけでは、とても理想とは言えません。とりあえず今は3つの密を避けて、コロナのパンデミックを押さえる。それは物的次元で必要ではありますが、あまりに消極的後ろ向き受身的な対策です。
 人間には心や魂があり、それに対応するように、神さまや天界があります。そこが基点です。肉体や物はその反映にすぎません。人間はもっと可能性を秘めた霊的存在なのです。
 霊障で病気になるケースも多いのです。霊が退くと、病から解放される。
 そこで単に物的レベルで3密を回避するだけでなく、もっと生命力を昇華させながら発展的前向き建設的に発揮していくことで、心も肉体も浄化し、活性化されます。
 そしたら肉体のレベルでも感染しません。仮に感染しても治ります。寿命があるうちは。それが人間として健全で、本来の理想的なあり方です。コロナ以後のあり方です。
 
 そもそも人間が自分に囚われ、肉体の感覚や肉体の欲望の虜になって他を思いやれない、そのような鬱(うつ)屈した自閉的なあり方に陥っていた。それがコロナを蔓(まん)延させたのです。
 そのような温床が、世界中に広がっていた。心の次元において。心の体質として。そこで、物的肉体的次元でもコロナが発生し、蔓延したのです。
 そういう不潔で汚れた心の温床が、世界中に及んでいたのです。それがコロナが発生し、蔓延するという形で表れ出たのです。「外界は内界の表れ」です。その時点のその人たちの内面を表すような、状況と体験になります。それで、3密の回避が求められている。
 本当に一人ひとりが浄められ、他を思いやれれば、内側から浄められ、活性化します。そしたら物的次元でもコロナは消散していき、解決します。それが本当に、「コロナを人類が克服した」ということです。そのようになれば、人々と交流ができるようになります。その時は相手を思い、健全で明るい交流となることでしょう。コロナは生じません。
 
 生命の営みとしてのカルマは、体内のチャクラに蓄積されます。チャクラの汚れがコロナをもたらしました。チャクラのお浄めこそが求められているのです。
 チャクラのお浄めは、三密行によってなされます。「意密」「口密」「身密」、この清らかな完全な行いが、チャクラを浄め、活性化させます。それによってコロナは真の解決を見ます。
 特に、コロナを含めた疫病は、ムラダーラ・チャクラの汚れが原因です。人類はそのようなカルマを作ってきたということです。それが真のコロナの原因であり、また真の解決法にもなります。性的生命力の善用、昇華です。
 現在のような、恐る恐る外部からの規制によって、しぶしぶ3密を避けているだけの、中身のない過ごし方が「新しい生活様式」などと表現されているのです。呆れるばかりです。それでは生きた心地がせず、人は生かされません。心は満たされず、魂は納得せず、経済的にも立ちゆきません。
 生命が活性化され、明るく活き活きと生かされてこそ、心から喜べて生かされ、他の命たちとも健全に交流できるようになります。それこそが「新しい生活様式」と呼ばれるべき内容です。
 
 心に関することや魂に関すること、神さまや天界に関することは、タブー視されています。個人的には信仰の自由は認められていても、広い範囲では扱われません。そのため、中途半端な政策になっています。それでは本当ではなく、真の解決にはつながらず、生きた心地がせず、人々は元気が出ません。
 それではコロナの収束には限界があるし、経済的にも行き詰まり、人の気持ちも萎えてしまいます。物的な新しい生活様式などを形式的機械的に進めるだけでは、全く足しになりません。
 もっと人の生きた気持ちや願いを汲んで、前向きに正しく導いていくことが、これから必要です。それがコロナ以後の考え方と生き方を生み出します。もともと、人類と人類が生み出した環境を浄化し、見直しと学びと改善の機会として、世界変容のきっかけとしてコロナは神から与えられたのです。
 コロナにより人類が魂に目覚め、変革が起き、それが社会にまで自然に及んでいくと、新しい理想の社会のあり方が訪れます。
 
 天国的なあり方、それがコロナ以後の考え方と生き方、そして社会のあり方です。天国的天使的なあり方とは、ONEのあり方です。
 これまでの人類のあり方は、どこか地獄的悪魔的なあり方を含んでいたのです。波乱含みでした。例えば、地球の自然が人間の犠牲になる、などです。食べ物も大切にせず、食べ物に感謝しません。自制心が足りませんでした。それで行動が規制され、自粛させられているのです。
 肉体の欲望や肉体の五感を喜ばせることに、人々は走り、科学技術もその片棒を担いできていました。仕事もその多くがその方向で、それに対応する仕事の内容でした。肉欲と物欲とエゴの文明システム、黙示録でいうバビロン。
 
 それが行き詰まり、見直しと整理と、改革が求められ出しているのです。神の裁きによる整理です。行き過ぎに対する歯止めと、見直し、軌道修正が求められている時です。生まれ変わるべき時です。ニューエルサレム、新天新地が求められているのです。
 そのことに気づき、それがより良くなされるよう、このリーディングが行われる必要がありました。
 
 以上の内容を各自、自分自身と自分の考え方、生き方、働き方、楽しみ方、また人間関係などに当てはめ、見直して再調整して、改革してください。
 その中で、コロナをきっかけに一人ひとりが生まれ変わり、より良いあり方に変容されていくことでしょう。
 根源の神さまによく祈り、お委ねして、素直な心で人を思いやって、取り組んでいってください。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16331


質問:前回に続き、コロナウイルスに関して、今、お伝えできることがあれば、どうぞお伝えください。
 
ソース:コロナの原因は、「神への愛」「人々への愛」「自然万物への愛」などが足りないことによります。「本当の自分への愛」が基本として足りないとも言えます。
 現代人は全般的に見て、何に対しても「感謝」と「感激」が足りません。「当たり前」と見なしすぎています。新鮮な気持ちが少ないのです。
 自制が足りず、自然や人を大切にしない。欲望が暴走している。肉体の五感を喜ばせることを目的に生きている。自然の摂理にかなった生き方ではない。自分の肉体の快楽に走りすぎている。畏敬の念も足りない。結果として、自然を痛めつけています。こういう生き方では、地球の自然が持ちません。聖地巡礼も興味本位です。
 
この必然的な結果として、コロナウイルスが発生し、蔓延し、それで苦しんだり困ったりして、見直しと改善を求められているという動きです。
 起きることは、単なる物的現象ではなく、出来事メッセージです。起きることには意味と意図がある。「神からの戒め」「神のお手入れ」「カルマの清算と整理」として起きてくる。「行えば行ったとおりの結果が出る」。これが「カルマの法則」です。
 自分の思いや考えや行いに責任をとらせられるという形の体験学習、それが地球学校です。地球学校の校長は神さまです。起きることは象徴的に起きます。
 
 例えば今、コロナによって「自粛」「行動規制」「手洗い」「消毒」などが義務づけられています。仕事や遊びが抑制されています。これは「あまりにも目に余るので、神さまに止められ、お清めを求められている」ということ。
 そこで必要なことは、「自制」です。「今まで自制が足りなすぎた」ということ。だから自粛させられているのです。そして「本当のお浄めが必要」です。それで象徴的に手洗いとか消毒をさせられているのです。
 これは体の表面的なお清めだけでなく、身心の本当のお浄めが必要だということを表しています。そして生活改善です。これが神さまから、コロナを通して求められていることです。
 
マイナス想念がパソコンやスマホで伝達され、ウイルス感染している。これが象徴的に実際のコロナウイルスを世界に蔓延させる形として表れたこともあります。
 自分が行ったカルマは、生命エネルギー中枢のチャクラに蓄積され、それがチャクラの状態を規制する。そしてチャクラの状態が心や体の状態を決める。さらに、物的状況にも現れる。
 カルマはチャクラに蓄積されていきます。行ったこと、また思ったことで。
 チャクラの生命エネルギーを善用し、正用――正しく用いる――これが善業、すなわち良いカルマです。
 こうすると、良い種がチャクラに蓄積され、チャクラが喜び浄まり、チャクラを通して心も肉体も健康で美しくなります。雰囲気も良い人になります。品格が上がります。
 
 一方、チャクラの生命エネルギーを悪用、誤用する。これが悪業、すなわち悪いカルマとなり、罪・穢れが生じます。こうすると、チャクラを通してさまざまな問題と苦難が生じてきます。カルマの因果関係として。
 特にムラダーラ・チャクラの生命エネルギーの誤用から、病気を招きます。コロナウイルスもその一つです。
 そこで、チャクラの浄化とお浄めに取り組む。これこそ黙示録のテーマです。
 起きることは作ってきたカルマが顕れ出て、果たされていく浄化作用です。その元に神がおられます。そのことに気づいて、現状を受け止め、見直し、調整、改善する。浄める。成長を心がける。生命進化を目指す。出来事や体験から教訓を学び、成長改善する。そして新しい次のあり方を探し、形成し、生きていく。また、身の回りのことを大切にし、感謝し、活用する。
 
 これまでの価値観、考え方、生き方、ライフスタイル、働き方、楽しみ方などを、コロナを機に変えていく。人間関係や社会のあり方も変えていく。態勢の立て直しを図る。次の準備に取り組む。
 今は人類共通の試練によってメジャー・イニシエーションを通過し、次の喜ばしいあり方の「産みの苦しみ」に挑ませられている状況です。次の準備がなされつつある。
 『ヨハネの黙示録』に記されていることは、「最後の審判」と「人を新生させる経過と方法」。広くは、「世界を新生させる経過と方法」についてです。
 「物質主義」「肉体の欲望と快楽の社会」「無神論」「利己主義」「我欲」「自我」、こういったことが「バビロン」と「竜・獣の帝国」として、象徴的に描かれています。
 悪知恵と無知による、チャクラの生命エネルギーの誤用。これに対して、天から裁きを受けて清算されることが起きてくる。
 悪は、また不正は、いつまでも野放しにはされない。神がご覧になられて、目に余るところまで達すると、神のお手入れにより、それらが一掃され崩壊していく。神による世直しです。
 
 物質本位、肉体本位から、魂本位のあり方へ。すなわちONEのあり方へ、人類は導かれ出しています。魂本位でこそ、心も肉体も浄化し、真に活かされ、平和な社会を築き上げられます。
 神の強い介入を感じます。いつでも神は介在して、肉体本位から魂本位のあり方へ導かれてはいるのですが、今回のコロナの動きは、人類の行き過ぎに対して、特に、神の強い介入が伝わってきます。
 その時です。神さまに気づいて、神さまに向けるチャンスとも言えます。人間は何かあると真剣になって、魂が目覚め、神さまに自分を向けるということが起きやすいのです。
 自分本位、肉体本位、物本位のあり方から脱して、神の理想の型に自分を合わせる。そして神人合一を目指す。その中で、自分の自我が浄められ、育成され、次第に魂と一つになってくる。
 自我が魂と一つになっていくプロセスでの葛藤や軋(あつ)轢(れき)や摩擦が、『黙示録』にはドラマチックに描かれています。誰でもこのような成長と浄化のプロセスを辿(たど)っていくということ。
 
 今回の「魂と自我」、あるいは「魂と肉体」の摩擦は激しく、それがコロナを生み出しているのです。膿出しのように。
 『創世記』は「人の誕生と堕落、その人類の歴史」が描かれています。それを踏まえ、『黙示録』では「人の新生と回復、純化、聖化」が描かれています。
 「新生の力を発動する方法」、これが『黙示録』で与えられています。キリストが愛する弟子ヨハネに与えた「愛の秘伝」です。
 『創世記』は「人の誕生」を、『黙示録』は「人の新生」をテーマとしているのです。
 『ヨハネによる福音書』にも、「人は新たに生まれなければ、本当のものには出会えない」、そのようなことが記されています。
 心と気持ちを変化させることが、体を変化させ、治癒させます。治します。これに最初に感応する器官が「チャクラ」「内分泌腺」「ホルモンの働き」です。
 チャクラは霊体に備わる、霊的内的器官、生命力の中枢です。「安堵感」「感謝」「喜び」「信頼感」「充足感」「調和」。これらがチャクラを癒し、浄め、体を回復させる薬です。
 
 また、「自分の体を使って、人様のお役に立つ」。このことも必要で、自分の体を良いことのために使うことで、チャクラが喜び納得し、癒され、浄まっていくのです。行うカルマによってチャクラに良いカルマが蓄積され、その良い種がチャクラを浄める善玉菌になるからです。チャクラに溜まった悪業の悪玉菌を溶かしていきます。
 このように瞑想や良い思いとともに、実際的にも体を良いことのために使っていくという善業が、チャクラのためになります。それがコロナなどの病をも癒します。免疫力も上げます。チャクラの活性化が免疫力を上げる最強のコロナ対策です。
 「本当の自分になる」「本来の自分を取り戻す」「パラダイスを回復する」。これが『黙示録』のテーマです。
 
 人も人類社会も、7段階の浄化を経て回復され、完成する。7つのチャクラのお掃除です。チャクラは心と魂の働きです。
 魂に回復力、自己治癒力が備わっています。特に魂を神に捧げ、神さまと魂がつながると、魂の回復力が遺憾なく発揮されるようになります。
 神に自分を合わせることで、自我が浄まり、神さまと次第に融合してきます。それには日々の瞑想と、絶えざる人生経験が必要です。
 座って瞑想しているだけでチャクラが浄まったり、人間完成したりすることはできません。必要なことを行って、現状に対応して、学んだONEの真理を応用し、人様のお役に立っていくことが「新生の道」です。
 今回のコロナを機に、人が変わり、社会のあり方も変わっていく。そこに神の意図がある。
 
 「神は、愛をもって育て導きたまう」。これはいつでも起きていることですが、今回のコロナで、地球規模にそのことがまざまざと示されている。
 しかし、ほとんどの人はこのことに気づかず、認めようとしていません。いちばん肝心なことなのに。
 それで、このことをリーディングでお伝えするのです。「聞く耳のある者は聞くがよい」と。
 『黙示録』の最後には、生命体が清まり完成した命の美しさが、ヨハネの実体験によって見事に描写されています。「外界は内界の顕れ」なので、このように人間完成した人が増えてくると、地上も天国のあり方になってきます。コロナはその第一歩です。
 今回のコロナを機に、人も社会もこれまでの地獄的あり方から天国的あり方へと、神によって導かれ始めています。
 この世が天国の反映となった時が、「神の国の実現」「新天新地の実現」「黙示録の成就」です。「最後の審判」は黙示録のテーマですが、メジャー・イニシエーション、大きなイニシエーションです。大きなカルマが顕れ出て果たされ、一度死んで清算され、復活を遂げてレベルアップする「産みの苦しみ」の試練です。
 
 この「黙示録の成就」には、まだ後230年くらいかかりそうですが、西暦2037年にその基盤ができるかもしれません。これが、ヨハネとそのグループソウルの、今世の目的と使命です。
 まずは一人一人が『黙示録』を手引きに、自分のお浄めに本気で取り組むことです。心も肉体も本当に浄める。形式的な手洗いとか、消毒とかで留まらず。
 手洗いや消毒をするように今コロナで求められているのは、象徴的な儀式である事に気づいてください。
 形式だけでの消毒や手洗いでなく、これを機に本当に禊(みそぎ)を行って浄めれば、コロナにかからないし、かかっても回復します。これがコロナを通しての、神の意図です。
 「なぜコロナで人々が手洗いや消毒や行動の自粛をさせられているのか」ということの、真の意図に気づくべきです。そうすれば、「どうしたらよいか」もわかり、神のお心に沿うことができるので、コロナのテストに合格して、次の時代に移っていけます。
 
 これがコロナの霊的な意味と意図です。コロナへの霊的な対処法です。
 一人一人がこうして『ヨハネの黙示録』をテキストに、自分のお浄めに取り組む。霊体が浄まれば、死後、天界に迎え入れられ、救われます。
 心も体も浄め、美しくする。表面的な飾った美しさということではなく。それは、チャクラのお浄めによってなされます。霊体が清まれば、天国に入れるわけです。
 このような天国的なあり方の人が、14万4千人で象徴される数に達すれば、これが優勢となり、他の人々にも波及し、影響を及ぼし、地上天国が訪れます。
 最終的にそこまで行くのに後230年くらいかかるでしょうが、その基盤ができるのは、2037年が目安となりそうです。
 一人一人が浄まり、魂に目覚め、霊的に成長すること。社会的な成長という表面的形式的な成長だけでなく、生物学的に見た生命の進化です。
 自分の感情と肉体の欲望を自分で治められる。これが生命の進化の、ひとつの徴です。こうして本当に進化し、自分を活かして社会の一助となっていくのです。
 今回のコロナが、そのきっかけになりますように。そこに、神のご意志があります。
 コロナも含め、いろいろ起きてくる悩ましいことは、浄化のプロセスで、意識の表面に上ってくる汚れのようなものです。洗い出し現象、クレンジングです。
 
 人も世界も、浄化させようとしている神の働きかけであることに気づいて、神に絶対の信を置き、お委ねし、人も世界も神に導かれるように、現状に応じて誠実に生かされて生きていくこと。
 天界の反映である自然の摂理に素直に従い、自然の摂理を尊び、自然の一部として、慎ましやかに素朴に生きていくこと。
 天界の秩序は、神のお心の反映です。従って、自然の摂理に従うことは、神さまのお心に沿う思いと生き方になり、その中でこそ人間も自然の一部として、地球の中で今後とも生かされていきます。
 『黙示録』を手引きに新生の道を歩めば、『黙示録』の最後に描写されているような、浄められた美しい生命のありようが実現してきます。そこにARIの学びの真骨頂があります。
 コロナを物的、肉体的にだけ見ずに、コロナをきっかけに奥深い所へと目を向け、前に進んでいきましょう。そうすれば乗り越えられ、カルマも解消し、次のあり方が個人としても、家族や仕事としても、広くは人類や世界としても、次のあり方が実現してくることでしょう。これがコロナを通しての、天からのテストです。
 
 コロナの予防法や治療法として、最も強力なのが、「チャクラ開発」なのです。免疫力をアップさせるのは、自律神経を安定させ、ホルモンを分泌させることにあり、それこそチャクラの機能だからです。
 「瞑想」「幸せ感」「感謝」「信頼」「神さまへの全託」、これらが免疫力を上げ、チャクラを浄め、活発化させます。
 それでホルモンが分泌され、コロナにも効くのです。魂が神さまとつながらせていただくことで、魂がその威力を発揮し、各チャクラを浄め、新生させる。そして、そのチャクラが心と肉体を浄め、治め、健康で美しくさせるのです。
 魂の元で心と肉体を治め、生命が一つになるONEを目指しましょう。自分で自分の主人になる。マスターの誕生です。
 本当の自分を知って自分になり、自分を発揮して世のお役に立つ喜び。それが天国的なあり方なのです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16298


質問:日本を含めて世界中で新型コロナウイルスが蔓延しています。この理由と心がけ、対応法などについてお教えください。
 
ソース: 「手洗いを入念に行うこと」「マスクを着用すること」「密閉した部屋に多くの人たちと近い距離でいることは、極力避けること」。また、「集団感染が起きた所には、極力赴かないこと」。
 一般には、これらのことがくり返し伝え
られています。もちろんそれは心がけ、行うべきことです。ただ、世間一般では、今述べられたようなことだけに終始しています。
 それも行わねばなりませんが、それだけでは本当の解決にはなりません。あまりに受身的消極的すぎます。何より、物的レベルに終始しています。それでは根本の解決につながりません。ほかに今、するべき大事なことがあります。
 起きることは、これまでの自分のあり方
の見直しと、改善と学びの機会です。必ず原因があって、それに応じた結果として起きてくることです。
 
 今回の新型コロナウイルスが蔓延して抗体ができ免疫力がつけば、ある程度沈静化するということも言われています。
 もう少し前向きに見れば、この新型コロナウイルスのためのワクチンが作られることで、この新型コロナウイルスを人類は克服できるという見通しもある、と言われています。
 確かにこれは正論ですし、ぜひとも専門家の方たちに取り組んでいただきたいことです。そしてそれは、可能なことでしょう。
 それは役目と能力と熱意のある専門家にお任せするとして、一般の人たちに何ができるのか。また、何をするべきなのか。冒頭で列挙したようなことだけなのか。そもそもなぜ今の時期、新型コロナウイルスが発生し、地球全体に蔓延してしまったのか。これを物的レベルだけで見ていくべきではありません。
 特にリーディングには、もっと深いレベルで見ていき、世間一般の認識や対応を補う役目があります。その観点で述べられていく内容です。
 一般の人たちにできることとして、以下のようなことをあげることができます。
 
 まず、心配しすぎず、神さまに自分をお委ねし、気持ちを落ち着けて、肯定的な心になること。心を安定充実させることです。
 実際以上の心配をせず、気持ちを落ち着かせ、気をしっかり持って、物事や事態を悪く捉えすぎず、目の前のことで必要なことを行って、静かに過ごすことです。
 規則正しい健康的な生活を送り、栄養を十分に摂り、体を温め、睡眠を十分確保することです。こうして体も心も安定し、良い状態になります。
 これが基本です。それだけでも、免疫力が高まり、たとえ菌があっても感染しにくくなります。さらに、感染した場合でも重症化せずに済み、治癒に至ります。
 「今のところ感染に対する治療法や対策はない。コロナと付き合っていくしかない」と、専門家でさえ述べています。そのようにも言えるかもしれませんが、「全く何もできない」ということではありません。この機会に「自分のあり方を見直し、調整したり改善したりする、良い機会だ」と肯定的前向きに捉えるのです。
 事態を悪く捉えて悲観したり焦ったりすることなく、落ち着いて体を見直し整え、心も見直し整えること。状況や仕事も見直し整え再調整し、人間関係も見直し、調整したり改善することに取り組むべき時です。
 本当に体も心も状況も落ち着いて整い、浄化され、安定して充実しているならば、コロナに負けません。そのような万全の態勢を作り上げることが基本となります。
 その上で冒頭にお伝えしたような、一般に勧められている「マスクの着用」「手洗いと消毒」「密閉した部屋に人と近づいて過ごしたりしないこと」「集団感染が起きた所には赴かないこと」などが、初めて功を奏します。
 
 自分に余裕がなく、否定的な想念に満ちていて、体力も気力も低下していれば、感染しやすくなります。日々、何を行ってどういう思いで過ごしているか。そのことが見直されるべき点です。
 まずは基本として、自分が心も体も健康で健全であることが大事です。そして、自分にご縁のある仕事や周りのためになる有意義で価値のあることを行い、人々や社会の助けになる生き方をすることです。
 この機会に自分の仕事をはじめ、現在の仕事の、社会におけるあり方を見直すべき時です。また、この機会に自分の人生を振り返り、今後の展望をし、身辺の整理をし、必要な知識や技術を習得する機会としましょう。
 起きるだけの原因と必要性のあることは、必ず起きます。「外界は内界の表れ」です。その時点のその人たちを表すような状況と体験になります。各自が自分に向き合い、再調整する良い機会です。
 起きるだけの理由と必要性のあることが、時期が来て真の意味で良くなるために起きます。この世もあの世も根本のところでは、神の世界だからです。今の時期、人類にとっての年度末決算のように、これまで蓄積されてきたカルマが清算されようとしている動きです。行き過ぎに対する歯止め、軌道修正として。
 起きることは直接には、当事者の思いと行いを原因とした、それ相応の結果として起きます。カルマの因果の法則です。
 
 しかし、そこに神が関与してくださっているお陰で、人間が至らなさから好ましくない原因を作ったとしても、それさえ見直しと学びと調整と改善と対処の機会に振り替えさせてくださっているのが、ありがたい神です。そのお陰で、自分たちが作り出した結果を受けねばならないにしても、それでカルマが果たされ、見直しと調整と学びと改善の機会、そして対処の機会にしてくださっています。
 こうして自分たちが作ったカルマを通して、神が育て導いてくださっている。それが現実の動きです。
 まだ向き合えない時は、保留にされます。たとえ起きるだけの原因と理由があっても、受け止めて対応できないうちは起きません。本人がそのことに向き合い、受け止めて対応できるところまで来た時点で、結果が生じます。
 現象として起きることで作ったカルマが解消へと向かい、それが見直しと調整と学びと改善の機会ともなります。
 現代の風潮として、物的感覚的なところと自分のことに多くの人が向かいすぎている、ということがあります。
 そのため、目に見えない世界に属することと、他の人や自然の命がなおざりにされています。これは本来の健全なあり方ではありません。心、愛、命、魂、神、思いやり、満足、感謝、尊重、信頼、許し、成長。こういった、目に見えない世界にある大切で尊いことが軽んじられているのが、現代の特徴です。神さまや霊的なこと、愛と命と心に関することが軽んじられているのです。
 これには個人差はあるし、一般の人々でもある程度は目に見えない世界のことを考慮してはいます。しかし全般的に見ると、実際に必要なレベルよりはるかに低い程度に留まっています。
 その代わりに、肉体に属すること、物やお金に関すること、時には欲望や快楽、世間的な出世や名誉、人に勝つこと、などが優先しています。健全で、明るく健康的とは言えません。
 
 ある程度は周りを配慮しているにしても、完全ではありません。また、世間的に不都合にならないように、表面的に配慮しているということがあります。
 心から実質上、周りを尊んで配慮したり、周りを助けたりということが、まだまだ足りないのです。
 現代の風潮は情報が蔓延し、目先のことを追い求め、物や肉体主体に生きています。もちろん有益な本当の情報も誠意ある情報もあります。ただ全般的に見ると、否定的だったり、物や肉体のレベルのことが多いです。そういった内面性が、象徴的にコロナウイルスの形をとって、世界中に広がりつつあるのです。外界は内実の顕れで、それによって神が気づかせ、見直しと正す機会を与えてこられているからです。
 内面の実質があるレベルに達すると、象徴的形で表れ出るのです。それで気づいて、見直しと調整と癒しと改善の機会とさせるよう、神が計らわれます。特にコロナウイルスは、マイナス想念の象徴的表れです。
 しかしこういった捉え方や認識は、今ではほとんどありません。このような認識やこの方向での対応を軽んじ、締め出すような物的表面的な科学技術と学問と常識になっているからです。
 もちろん現代の科学技術や学問の優れたところや良さ、その与える恩恵は、十分評価に値します。ただ、画面を通しての情報と物的肉体的レベルで突き進んでいます。目に見えない世界が考慮に入れられていません。それらは軽んじられています。とてもアンバランスで異常です。このままは行けません。
 一般に広がりつつある情報のうち、3、4割は良いものですが、残りの大半は間違った情報だったり、興味本位であまり価値のない情報だったり、否定的だったりです。多くの人が情報の波に翻弄されています。そういう内面の実質のありようです。それがあるレベルに達した時、コロナウイルスの蔓延という象徴的現象で現実世界に表れたのです。
 
 この機会に情報化社会のあり方を見直し、調整したり癒したり、正しい方向づけをとるべき時です。人々の良心と誠意が求められます。
 ノアの大洪水の時も、似たような状況でした。「ノアの大洪水」は、水が溢れたというよりも、実際は多くの人が他の人々と自身の否定的な想念の毒気によって息が詰まり、窒息していったことがその時起きていたのです。
 「否定的な想念を肯定的な想念に変えること」「否定的な言葉を肯定的な言葉に変えること」「否定的な行いや態度を、肯定的な行いや態度に変えていくこと」「人を思いやり、助け合うこと」。これこそ、根本の解決になります。
 また、自然との関わりにも現代人は問題があります。自然に感謝し、自然と調和して、自然を労って、足ることを知って、人間も自然の一部として暮らさなければなりません。
 未だに自然を壊すような、またダメージを与えるような生き方や文明になっています。そのため、温暖化も止みません。
 もっと人間は謙虚で素直になり、ある程度で満足し、自然と共生して素朴にシンプルに感謝の心で生きるべきです。
 
 自然を痛めつけた結果として、新型のコロナウイルスが発生してしまいました。また、未だに核兵器を保有し、国同士が牽制し合っている実態です。核兵器ばかりでなく、原発も未だに数多くあり、エネルギー源を原発に頼っています。それは地球に優しくありません。本来の人間の生き方ではありません。神はこのことを悲しんでおられます。
 東日本大震災からも、教訓を学んで改善したとは言えません。東日本大震災からちょうど9年が経ちます。2011年3月11日からちょうど9年。2020年2、3月から、新型コロナウイルスが蔓延し始めているのです。
 物的実際的なことは9年周期で巡ってきやすい法則があります。霊的なことは7年周期で巡ってきやすいのです。
 東京オリンピックの間際に起きたことにも、意味と理由があります。東京オリンピックの内的準備が不十分でした。
 東日本大震災では、福島をはじめとする東北地域が被災に遭われました。それは東北地域の罪というより、むしろ都心部の人たちが自分たちのエネルギーを供給するため、福島に原発を造ったのです。
 今回のコロナウイルスでは、その東京が日本国内では最も多くコロナウイルスが蔓延して困っています。人々はこのことから「カルマの法則」に気づき、もっと謙虚に素直になるべきでしょう。そしてあり方を見直して、調整したり改善するべきです。
 
 1940年の東京オリンピックは、第二次世界大戦のため中止となりました。その40年後の1980年のモスクワオリンピックでは、日本は不参加となりました。さらにその40年後の2020年の東京オリンピックは、コロナウイルスのため延期となりました。40年周期です。
 『聖書』では、「40」また「400」は、試練を表す数です。2020年も40を表す数の年です。
 ここで人々が教訓を学んで改善し、成長を遂げれば、本当により良い形で東京オリンピックを迎えることができることでしょう。
 大事なことは、物的表面的形式的な対応ばかりでなく、真の理由を知って心で学び、生き方やあり方を改善することにあります。出来事と体験から教訓を学んで成長し、改善すること。
 そのことがなされぬまま対応しているばかりでは、対症療法にすぎず、根治療法にはなっていません。
 そうでなければ、現代の医療の力で今回のコロナウイルスを克服できたとしても、また別の形で人類は困る目に遭うことでしょう。
 今こそ現代文明のあり方を見直し、調整したり改善したりするべきところを、調整したり改善したりするべき時です。
 
 もちろん人々の良さや現代文明や科学後術の優れたところはあります。ただ、完璧ではありません。神と利他愛を忘れ、物的肉体的であり、情報に翻弄されています。
 そのため、現代特有のことが起きています。起きるだけの理由と必要性があって、真の意味で良くなるために起きてきています。
 消費増税も好ましくありませんでした。各国同士が鎖国せざるをえないのは、自国第一主義の象徴的表れです。東京オリンピックが1年延期となったのは、東京オリンピックで始まる、輝かしい新時代を迎える前の試練、産みの苦しみです。
 一人ひとりが今回のことで自分を見直し、日頃の生き方や働き方や社会のあり方を見直して、できることを各自行っていくべき時です。それぞれの人が、自分の国や地域に合った信仰や愛の実践を行っていきましょう。良心に目覚め、価値ある生き方をし、自然と調和して素朴に生きましょう。
 何事も当たり前はありません。ささやかなことを喜び、少ないところで満足し、ささやかなことに感謝し、ちょっとしたことを大切に、純朴に人を思いやって、自然と調和して生きていくようにしましょう。
 
 今回のことで一人ひとりが心から悔い改めて、自分や人を癒して優しくあれば、そして物やお金に頼りすぎず、心や命を大切に生きるならば本来の健全状態となり、コロナウイルスを結果として、人類は克服することでしょう。人類愛に目覚め、助け合い、分かち合い、協調し合うのです。
 こうしてコロナウイルスが登場した目的を遂げさせ、その結果、人類はコロナウイルスから解放され、卒業できることでしょう。
 コロナウイルスを通して人々はカルマを果たし、成長し、再生し、次のレベルに到達できることでしょう。そうなりますように。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16283

質問:神さまを信じ、お祈りすることの大切さをしばしば耳にします。ONEの観点から改めてご教示ください。
 
ソース神と人との関係は、人と人との関係のように対等ではありません。
 神は人間をはるかに超えて、偉大な存在です。また人は、神さまから莫大な恩恵を頂いており、自分にとっての最大の命の恩人です。
 それゆえ、神と人とが関わる場合でも、
人と人とが関わるような関係のようにはいきません。また、人と人との関係のようになってもいけません。
 命と命との関わりということでは、神と人との関わりにも共通する部分はありますが、一般の命と命との関わりとは、根本から異なっています。
 そこで神と人との関係性に応じた、関わり方やコミュニケーションが求められるようになります。
 他の命に対してはある程度はわかり、そ
れで関わることができますが、関わらせていただく相手様が神さま、しかも根源の神さまとなると、人知を超え、神さまを完全に理解して関わらせていただくというわけにはいきません。
 相手様を完全には理解できないまま関わらせていただく場合、何が必要になるのか。そこで、「信じる」ということが必要になってきます。
 なぜなら「信じる」というのは、人知を超えて自分の理解が到達できない場合、必要な働きだからです。
 自分が理解でき、相手さんを受け入れ、応じられる場合、「信じる」ということはさほど必要ではありません。
 
 しかし、相手さんが自分をはるかに超えた偉大な存在や、自分と異質な存在の場合、相手さんを理解したくても、完全には理解できません。その「理解する」ということを補う働きが、「信じる」ということです。
 一般に「信じる」ということは、自分より目上の存在に対して必要です。自分より優れた存在、また自分に恩義のあるお方に対して、相手さんを信じて、相手さんの指示に従い、相手さんに付いていく。これが「信じる」ということです。当然、関係性としても対等ではなく、上下の関係です。
 一方、「愛する」という関わりは、対等の場合が多いです。夫婦や恋人同士が愛し合う、また、友だちや仲間同士で友情ということ、あるいは友愛、同胞愛ということで愛し合います。
 愛し合う場合、対等であるか、あるいは目上が目下に対して、年上の人が年下の人に対して「愛する」ということが、一般には多く行われています。相手さんを愛して見てあげる。生かしてあげる。
 愛するというのは、積極的能動的であり、世話をしたり助けてあげるということが含まれてきます。もっとも、「愛してほしい」という要求の場合もあります。
 「自分が癒されたい」「相手さんからよくしてもらって甘えたい」。依存的な愛ということ。「愛するより愛されたい」「見てあげるより見てほしい」「相手さんを癒すより自分が癒されたい」。このような愛もあります。
 しかし多くの場合は対等であるか、後輩や目下の人、また弱者に対して、「愛してよくしてあげる、助けてあげる、世話してあげる」ということが愛です。愛は相手さんにエネルギーを与え、相手さんを支え、助け、育て導く働きです。命を尊び、助け育む働きが愛であり、善です。
 もっとも人間が抱く愛には、愛着とか、愛欲などもあります。先ほど述べられたような、「自分が相手から愛されたい」「癒されたい」「よくしてほしい」。
 
 また、相手に対しても自分が自分本位に愛して、自分が思うように相手をコントロールしたい。そのような、支配的でわがままな愛というものもあります。
 愛の全てが良いわけではなく、誰でも愛で生きています。大事なことは、愛そのものというより、愛の種類と方向とレベルです。誰にでも愛があり、愛を求めて生きているのですが、愛の中身が問われます。
 人は何かに対して惹かれ、それが動機づけとなって生きていて、それが満たされると喜ぶ性質があるのです。愛の中味がその人を形成し、どんな人生を送るかを決めます。そして、死後の入っていく霊界まで決めます。
 本来の「完成された愛」は、神が人を愛するという場合に、実現しています。「神の愛」です。そのお陰で人は、誰でも生きておられます。これが愛の完成形態です。
 愛が正しく働き相手のためになるには、愛の成長が必要です。そのために人は生まれてきていろいろ経験して、愛が浄化され、進化していきます。
 愛は生命エネルギーです。生命エネルギーが昇華され、より良い方向と内容で発揮されることが願われています。「生命の進化」とは、「愛の進化」です。
 神は人を愛してくださっています。そのお陰で人は生きていられます。それに応えるかのように人は、神を信じ、神さまに従い、神さまに付いていくということになります。
 神の人への愛に近いのは、親の子に対する愛です。無条件の愛に近いからです。その中で神が人を愛してくださっていることを、人間も子どもを授かって学習します。
 人と人との関わりでも、相手さんが目上だったり、相手さんを立てる場合、また相手さんのことがよくわからない場合、そして相手さんに力があり、相手さんに惹かれる場合、相手さんを信じて従い、付いていくということが言われます。
 
 ただ人間の場合、愛にしても信じることにしても、不完全な場合が多いです。癒されないものがあったり、理解が不十分だったり、期待や注文があったりです。
 そのため、自分が信じていたとおりにならないと、相手に対して「信じていたのに」「裏切られた」というように、相手さんに対して不信感を抱き、快く思わなくなってしまいます。
 それは相手さんに問題がある場合ばかりでなく、信じた側にも課題があります。「相手さんに期待をかけていたこと」、そして「自分が正しくは相手さんを理解していなかったこと」によります。
 そこで、「相手さんを信じて付いていく」というだけでなく、「相手さんを愛する」ということが必要になってくるのです。
 一般には、神と人との関わりは、神は人を愛し、人は神を信じ、神さまに自らを委ね、神さまに付き従うという関係です。力ある神さま、また良きお方である神さまに、お祈りしてお願いしたりお任せし、神さまに付いていくという関わりが多いです。
 この場合、何がどうあっても神さまを信じ続けて、自分の思いどおりにならなくても不信感を抱いたり、恨みがましく思わないことです。
 神さまに非はなく、自分の側に、自分の思いや行いや理解に非がある。そのため
に、思うようにならなかった場合がほとんどです。信じ方や、信じる元にある理解や期待などに課題があります。
 そこで必要になってくるのが、「神さまを信じる」だけでなく、「神さまを愛する」ということです。神さまが自分を愛して良くして下さっている。そこで自分のほうからも神さまを愛させていただく。
 
 人間は進化するほどに、「神さまを信じる」というところから「神さまを愛する」というレベルに向かいます。また、神さまを愛することの表れとして、「人々を愛する」ということも行われます。
 神さまが人間に求めることは、人間同士お互いに認め合い、仲良く調和してやっていくことだからです。
 神さまを信じて委ね、神さまに付き従うことは尊いことです。ただ、そこで留まらず、神さまが自分を愛して下さっているなら、自分も神さまを信じるだけでなく、また神に祈るだけでなく、神さまに期待したり願ったりするだけでなく、自分のほうからも神さまを愛することです。
 そして神さまにお祈りでお願いするだけでなく、神さまのみ業の一翼を担わせていただき、神さまのお働きの一部をさせていただくこと。それによって、わずかなりとも神さまへの恩返しができます。
 『ヨハネによる福音書』の最後に、イエス様とペトロの問答が記されています。
 イエス様はペトロに対して、「私を愛しているか」と問いかけました。それに対してペトロは3回、「愛しています」と応えねばなりませんでした。
 これはペトロが、イエス様を3度「知らない」と言ってしまったことに対して、生きているうちにペトロに、罪を贖う機会を与えて下さったことです。
 それだけでなく、この問答のポイントは、イエス様がペトロに対し、「私を愛しているか」と。ペトロは、「はい。あなたを愛しています」と答えさせた。それに対してイエス様が、「私を愛しているなら、私の羊を養いなさい」と、求めてこられている点です。
 「神さまを愛するというなら、神の子たちである人々に良くしてあげなさい」ということなのです。
 神さまを信じている人は、神さまに求める気持ちが強いです。一方、神さまを愛するという場合は、もっと積極的で一人前です。
 人は成長してくると、神さまを信じて付き従うだけでなく、自分のほうでも神さまを積極的に愛するようになります。愛するからには神さまの期待に応えることです。それが「神の子たちを養う」ということです。「神の子」というのは、人間たちのことです。
 他の多くの人たちのお世話をし、良くしてあげる。隣人愛、同胞愛に生きること。「神のみ業の一翼を担わせていただく」ということは、「他の多くの人たちを良く思い、良くしてあげる」という使命に生きることです。
 いわゆる仕事だけでなく、一般的な普段の場でも、どんな人のことも理解し、良く思い、良くしてあげる。
 
 神を愛する人は、人々をも愛します。愛するということは、心だけのことでなく、誰のこともよくわかって受け止め、良く思い、実際に良くして助けてあげる、ということ。それが善です。本当の愛は善なのです。
 こうすると神さまが、「お前がいることで助かっているよ。ありがとうね」。このような神と人との関係になります。
 信仰はまず、「人知を超えた神さまを信じ、神さまに従う、そして委ねる」ということから始まります。その場合、何がどうあっても信仰を揺らがさず、文句を言わず、神から離れないことです。
 「神さまを信じる」ということは、「注文をつけない」ということ。「神さまを信じる」とは、「神さまのなさっているみ業を信じ受け入れる」ということ。神さまのみ業とは、現実に起きていることや状況にほかなりません。
 神さまを信じる人は、現実をも信じます。神さまを受け入れる人は、どんな現実をも受け入れます。神さまを大切にしている人は、たとえどんな現実の場合でも、大切にするものです。
 なぜなら現実とは、いちばんの元では神のご意志の顕れだからです。
 このようにONEの教えでは、神さまを信じることはそのまま、現実の動きや状況を信じ、認め、大切にすることです。
 ONEの教えに基づくと、現実を100%認め受け入れ、実際的に生きる人になります。明るく健康的で、元気になります。ONEを学ぶと心が楽になり、肯定的楽観的になります。
 これが「神への揺るぎなき信頼」です。「信じる」ということが、極まってくるのです。そうすると「信じる」こととともに、「神さまを愛する」ということが出てきます。
 
 どちらかというと「信じる」ということは、理解のレベルであり、受身的です。一方「愛する」ということは、感情に関わり、より根源的能動的な心の働きです。
 知性は、つまり信仰は、二次的派生的な心の働きです。「愛する」ということは積極的であり、行動的です。そして、心の働きとしては根源的です。
 そこで神さまとの奥深い関わりは、「信じる」ということばかりでなく、「神を愛する」ということで完成へと向かっていきます。神は人を愛し、良くして下さっている。そこで人は神の愛に応え、神を信じ付いていく。
 そして、その「信じる」ということが完成へと向かった時に、「神への揺るぎなき信頼」が出来てきて、神さまとの関係が安定し、しっかりしてきます。全幅の信頼を、神さまに置けるようになるのです。何がどうあっても揺らぎません。関係にひびが入りません。さらに、「神さまを積極的に愛する」というほうに向かっていきます。
 「神さまを愛する」とは、神の戒めを守ることです。それがモーセの十戒です。その上で、「全身全霊をもって神を愛しなさい。そして自分を愛するように人々を愛しなさい」です。
 「神さまを愛する」というのは、神さまのお役に立ち、神さまのみ業のお手伝いをさせていただくことです。それは「使命に生きる」ということです。「神のみ業の一助とならせていただくこと」。神さまにただ期待するだけでなく、神さまのお手伝いをさせていただくことで、神さまから「お前がいてくれることで助かるよ。ありがとうね」。このように一人前の生命存在に、力強く成長を遂げていけます。
 
 ペトロはイエス様から、そのような存在になることを求められたのです。それが「私を愛するなら、私の羊を養いなさい」という言葉の意味です。
 自分や家族の成り立ちだけを神さまに願い求める祈り、そこから信仰は入ってよいのですが、いつまでも神さまに期待しておんぶに抱っこの段階から、もっと成長し、神さまから頼もしく思われ、神さまの働きの助けとなれるようにたくましく成長を遂げること。それが、神さまに対して人間のできるせめてものことです。
 神さまを信じるだけでなく、神さまを愛すること。そして、神さまのみ業の一翼を担わせていただき、神さまの働きの一助となること。
 こうして神さまを愛することで、より多くの人たちの助けになっていく人になっていきます。
 神と人との協同創造がなされるようになっていきます。神さまに一方的に願い求めるという関わり方から一段と成長し、人は神さまのみ業の担い手となり、多くの人たちの助けになる生き方を積極的にしていきます。
 神さまとの関わりにも宗教にも、成長段階があるということです。
 「自分は根源の神さまと、どのような関係性なのだろうか。自分は神さまを、本当に信じているのだろうか」
 さらに、「自分は神さまを愛しているのだろうか。「神さまを信じる」という場合の自分の信じ方は、どのような内容や方向なのだろうか」。
 このようなことを自分に問いかけましょう。
 神さまと自分の関係が、どういう関係性なのか。関係性の内容と方向、関係性の太さ、緊密度合い、それを自らに問いかけましょう。そしてこれからより良い神さまとの関係、より太い、確かな神さまとの関係を形成させていただきましょう。
 ちょうど人と人との関係性がいろいろあるように、神さまと自分との関係性もいろいろあるということです。
 
 「神さまと自分の関係があるかどうか」ということよりも、むしろ「どういった関係なのか」ということが、問われねばならないことです。
 神さまはおられるか、おられないか。
 神さまを信じているか、信じていないか。
 そういった初歩的な問いかけからもっと進んで、「神さまと自分の関係性はどういうもので、自分は神さまをどう捉え、どう関わりつつあるのか」が、問われるべきことです。
 人と人との関わりでも、少しずつ変わっていきます。例えば、自分の親と自分の関係も変わっていきます。
 子どもは成長するに連れ、親に心配をかけたり、親の手を焼く段階から、次第に親を安心させ、親の手を煩わせないように成長していきます。
 もっと先にいくと、親の気持ちがわかり、親を助けたり、親に良くしてあげるようになります。
 人間の親と子の関係と、神と人との関係は、全く同じではないにしても、どこか相通ずるものがあります。
 信仰や祈りや宗教にしても、神と自分の関係性は、自分が成長するに連れて変わっていくものだし、また変わっていかねばなりません。
 無理をする必要まではありませんが、このことに気づいて、少しずつ神さまへの甘えから脱し、神さまに一方的に期待したり、自分のことだけを求める関係から、神さまを思い、神さまの助けになるように人々のために動き、たくましく成長を遂げていってください。
 そうすれば神さまは安心納得し、喜んでくださります。神さまを助けるぐらいのつもりで、率先して神の働きの一助となって、喜ばしく、力強く、自分らしく生きていってください。
 その時自分も心から満たされ、魂が納得し、心からの喜びがあることでしょう。天国はそのような者たちの所です。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16250

質問:天国は本当にあるのでしょうか。あるとしたら、どのような所なのでしょうか。死後、天国に入れていただくには、どうしたらよいのでしょうか。どうかお教えください。

ソース天国は、実際にあります。夢物語でも、単に人々の悪を抑制し善を奨励するための方便だけでもありません。
 天国は、天使たちの住む所です。天国に
行くには、天国に迎え入れられるのにふさわしい者となることです。
 それは、生前の思い方と生き方によって決まります。幼子のように素直になり、良いことを思い、実際にも良いことを行うことです。
 「心の状態」と、「何をどのように行ったか」のカルマの内容によって、「死後、どんな霊界に行くか」が決まります。自分で自分を作り、自分でどの霊界に行くかを決めているのが人間です。
 それゆえ法則を知り、本当の意味で自分を大切に生きていきましょう。そうすれば死後、天国に迎え入れられます。
 それは、死後を待つまでもありません。生きているうちからそのように心がけて生きていれば、その効果がすぐに現れ出て、生きているうちから困らず、恵まれ、人々から愛され、喜ばれ、自分でも幸せになれます。
 
 イエス・キリストは、次のように言われました。「幼子のようになれば天国に行けます」と。「天国は、幼子のような者たちの所である」と。
 「幼子のようになれば天国に行けます」。これは、真実のお言葉です。無邪気で、純粋無垢の心、素直であどけない、ありのままの、大らかで感謝と喜びにあふれている、心のあり方が幼子です。
 また、キリストは次のように言われました。「全身全霊をもって神を愛しなさい。そして自分を愛するように、隣り人たちを愛しなさい」と。
 これも真実のお言葉です。
 天国に迎え入れられるためには、心から創造主であられる根源の神さまを愛することです。そうすれば神さまからも愛されます。神さまから愛されれば、生きているうちから恵まれ、死後は天界へ迎え入れられます。
 まず、創造主であられる根源の神さまを、心から愛すること。そして、本当の意味で自分を愛し、大切にすること。
 「本当の意味で」と付けたのは、「エゴに基づく自分本位の自己愛ではない」という意味です。
 自己愛は、全く自分のためにも人のためにもなっていません。愚かで残念なことです。
 本当の意味で自分のためになることは、人のためにもなることです。自分と人は関連しているからです。ONEの法則です。
 それゆえ、ほかの人たちを本当に愛し、良くしてあげることが、本当の意味で自分のためになること。つまり、自分を大切にし、愛すること、です。
 人々のために尽くし、良くしてあげること。このような隣人愛が大切です。
 自分を磨き、自分を発揮して、ほかの人たちの助けになっていくこと。このような役立ちが、天国の世界の特徴です。それを生前から心がけ、「役立ち」に今から生きることです。
 日本では、空(くう)也(や)、源信、法然、親鸞、一遍らによって、極楽浄土に死後迎え入れられる「浄土教」が普及しました。仏教の聖典の中に、「浄土三部経」があります。
 源信は『往生要集』を著しました。
 法然は、わかりやすく多くの人が浄土へと迎え入れられるよう、教えの内容を平易にし、やり方も簡略化させました。
 弟子の親鸞はそれを引き継ぎ、思想的に深め、追究しました。
 親鸞の八代目の子孫・蓮如は、その教えとやり方を一般民衆に普及させることに成功しました。
 平等院鳳凰堂は、極楽浄土の世界を表現しています。
 それ以前には、聖武天皇が奈良の大仏として、蓮華蔵の世界を現出させています。毘(び)盧(る)遮(しや)那(な)仏に基づく「華厳経」の理想世界です。
 
 天国は、真・善・美の世界です。真実と良いことと美しさが特徴となっています。
 神さまの属性は、「愛」と「知恵」に代表されています。神さまは「太陽」として捉えられます。霊界の太陽です。その物質界の表れが、物質の太陽です。白い球体の輝く存在が神さまの現れです。
 まず、霊界に太陽があるから、物質界にも太陽が存在しているのです。太陽の特徴は、その熱と光です。温かさと明るさです。「太陽の温度」が「神の愛」を、「太陽の明るさ」が「神の知恵」を表しています。
 神の愛は、生命力の元です。天国は神さまの現れです。そのため、神さまのありようを、天国はそのまま映し出している所です。
 そのため天国は、とても温かく温和で、生命力に満ちあふれています。それは「神の愛」の現れです。愛が生命力をもたらすからです。また、「太陽の明るさ」は「神の知恵」を表します。「真理」を表します。
 「神の愛」が「善」を表すように、「神の知恵」は「真理」を表します。明るさとして捉えられます。
 そのため天国は、生命力に満ちあふれているとともに、明るく光り輝いています。物質界の、どんなに晴天の熱い日よりも、まぶしく明るく光り輝いています。そして、驚くほど美しい世界です。天国の住人たちも、美男、美女ばかりです。
 『ヨハネの黙示録』の最後の2章にも、天国のありようが美しく見事に描写されています。「浄土三部経」やスウェーデンボルグも表現しています。
 
 天国は物質界のどんな所よりも美しく、光り輝いて明るいです。そして生命力に満ちあふれていて豊かです。明るく、至福に満たされた、役立ちの世界です。
 天国は調和の世界です。分裂とか混乱とか争いとかが一切ありません。孤立とか恐怖とか悲しみもありません。不安もありません。もちろん、憎しみとかねたみとか恨みとかもありません。
 天国は清らかで美しいです。そして明るく光り輝いている調和の世界です。隣人愛、利他愛が実現している世界です。
 そのため、秩序と調和があります。整然と美しく整っていて、互いに相手を思い、助け合い、分かち合い、成り立っています。
 自分の良きものを他に与え、他の良きものを頂き、分かち合い助け合い、分担し協力し合って、一つの調和ある世界が現出しているのが天国です。相互扶助の世界です。
 天国は調和、地獄は分裂と孤立と争い。これらが特徴となっています。
 お互いに良いものを相手に与え合い、分かち合い、助け合って、一つの調和ある世界が営まれています。それによって一つの調和のある世界が現出しています。
 生きているうちからそのことを心がけて生活し、それを周りに実現させ、自分でもそれを身につけていれば、天界に迎え入れられます。
 「どのように生きたか」が、「どのような霊界に行くか」を決めます。身につけたことや生きているうち行っていたことのとおりの霊界に行きます。
 天国に迎え入れられるには、それにふさわしい者となることです。それは生きているうちに身につけ、行ったことによります。
 「より高い霊界に行くこと」が、「救われる」ということです。
 例えば、地獄から普通の霊界に上昇するのが、「救われた」ということ。「未成仏霊が成仏した」ということです。
 さらに普通の霊界にいる者が、天国に迎え入れられたことは、さらなる救いがもたらされたことです。
 これは、霊界に行ってからばかりではありません。
 生きているうちのあり方が、地獄のような自分の状態と生き方と状況が、普通の人の状態と生き方と状況に上昇したのが、「救われた」ということ。
 
 さらに、普通の状態と生き方と状況の人が、天使のような、また菩薩のようなあり方と生き方と状況になったことが、「生きているうちから救われた」ということ。そうすれば、死を待つまでもなく、生きているうちから恵まれ、困らず、幸せで健康になります。
・本音と建て前を分けないこと。使い分けない
・相手の人によって、自分を使い分けない
・人を差別しない、区別しない
・えこひいきしない
・自分を作ったり飾ったりしない
・相手によって自分の対応や態度を変えない
・人を軽んじない、陥れない
・どこのどんな人のことも良く思い、良くしてあげること
・分け隔てしないこと
・人をよくわかってあげて、許してあげること
 それ以上に、どんな人のことも心から愛するようになって、愛から許せるようになること、です。そうすれば、救われていきます。
 自分の心の状態が、どの霊界に行くかを決めます。また、「どんなことをしたか」というカルマの内容が、どこの霊界に行くかを決めます。
 愛の内容と種類と方向、愛のレベルが、どの霊界に行くかを決めます。成長の段階のことです。
 誰でも愛に基づいて生きています。ただその愛の種類とレベルと内容と方向が、人によって異なっています。その愛に見合う霊界に入ります。
 根源の神さまと天界に自分の愛を向けましょう。また隣人愛に自分を向け、奉仕的に役立ちの精神で生きましょう。
 仕事を通しても、ご奉仕を通しても、一般社会との接触や関わりにおいても。
 
 物質的肉体的な部分は昇華しながら、より内面的で清らかで役立つ、本当の愛の方向に向けていきましょう。
 肉体の快楽や欲求に捕らえられないようにしましょう。適切に健全に楽しみ、あとはもっと内面的で高潔なほうに、自分の関心と愛を向けていき、生命エネルギーを昇華するのです。そうすると愛が成長し、自分の生命が清まり、自分の魂が納得し、喜びます。神さまも喜び、周りのためにもなります。
 清らかで美しい霊体になります。チャクラも活性化します。霊体をどんな状態に作って、また、使っているかに応じた、霊界に行きます。
 本当の知恵、天に由来する知恵が備わっているのが天国です。天国は本当の理性と知性、すなわち天の知恵と悟りの所です。
 天国自体も、3つのレベルに分けられています。上・中・下というように。
 最高の天国は無邪気で無垢な、幼子のような者たちの所です。愛も悟りも最高度です。最も美しく光り輝いて生命力に富みます。無垢の知恵、天の知恵が備わっています。そのような天の知恵の下でこそ、地上の物質的な知恵も正しく活かされます。
 善なる意志を持って生きることが大事です。素直さが天国への切符です。
 人を思いやり、実際に人に良くしてあげること。そのような善行が、天国行きの条件です。
 自分を磨き、仕事を通してもご奉仕を通しても、自分を役立て、人々の助けになる生き方が、天国への条件です。
 
 エゴの自己愛に堕ちず、本当の意味で自分を大切にし、自分のためにも人のためにもなる生き方をする。本当の意味で自分を大切にする生き方が条件です。
 霊格が高まることが必要です。霊的な品格です。作っているようなこの世の体裁ではありません。
 世間一般の人たちは、名誉、評判、社会的な地位、利得などが、奥に潜む目的となっています。そのために作ったり、誠意を示します。しかしそれは、本当に神を愛し、人々を思ってのことではありません。
 そういうものはあまり、霊界に行ったら通用しません。神さまを大切にし、天界の秩序に素直に従うこと。そして周りと調和し、全体が成り立つ一翼を担わせていただくことです。
 天国は、生命と調和と悟りの世界です。まぶしいほど明るく、光り輝いていて美しい、心から満たされる内面の世界です。
 善人は天国へ、悪人は地獄へ自ら行きます。善とは命を育み、助ける働き、悪は命を傷つけ、損ねる働きです。天国は、善、真理、美、生命、調和、分かち合い、助け合いの世界です。自らを清め、癒し、洗練させ、整えることで、また、利他愛の実践、お役に立つことで、入れます。
 一方、地獄は、悪、虚偽、争い、分裂、孤立、死、醜、憎しみ、奪い合いの世界です。自分のことしか考えない人が行く世界です。俗世的な利得、地位、名誉を求め、肉体の快楽や欲望に耽(たん)溺(でき)した生涯を送った人が行きます。
 
 生きているうちから外面的物質的肉体的な生き方より、内面的精神的霊的天国的な生き方を求めること。肉体の五感より霊の心を喜ばせる生き方。
 外面的肉体的物質的な快楽よりも、内面的な心の充実や喜びを求めましょう。そのような自分が作られ、心の状態が良くなり、清まり、思いとしても生き方としてもより良く愛に満ちあふれるように、心がけましょう。
 それが本当の意味で自分を大切にする生き方です。自己愛が昇華された、喜ばしい本来のありようです。それが「幼子」という表現で伝えられたことです。
 素直で自分らしく生きることで、周りを思いやり、助けとなって生きていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16226

質問2020年立春を迎えるに当たり、本年の日本と世界に関して、胎蔵界的、金剛界的両観点で予測し、展望してください。併せて、留意点、対処法もお示しください。

ソース2019年は、天皇陛下が交代され、新天皇が即位された年でした。平成天皇が生前退位されるという、異例のケースとなりました。
 それによって新時代を、国民は喜びをもって迎えることができました。それにより、
空前の皇室ブームが到来しました。
 これを機に天皇や皇室、また日本の歴史に興味を持つ人たちが増えました。
 新元号の「令和」が、初めて日本の文書を出典とすることも手伝い、愛国心が盛んになりました。令和の出典となる「万葉集」は、特に注目を集めました。
 これが表面的一時的なもので終わらないように、その動きから始まって、さらに日本の原点に当たる「古事記」、そして「日本神話」に行き着くことが大事です。そこにこそ、日本の魂の原点やルーツがあるからです。
 それによって日本人は、自分を奥深い所で自覚し、自覚するだけでなく目覚め、明るさと元気さと自分らしさを取り戻すことができます。
 その上で国際性にも目覚め、愛国心から人類愛にまで進んでいくことが、根源神のみ心です。
 現時点の人類は、民族主義と国家主義が盛んになっているのが特徴です。これは人類が今そのような成長段階にあることを現しています。
 アメリカ合衆国の大統領が協調性に欠けるトランプ氏であることも、その表れです。アメリカ合衆国ばかりではありません。中国、ロシア、北朝鮮、韓国、日本、イギリスを始めとするヨーロッパ諸国、それから中近東諸国、東南アジア諸国など、それぞれの国が自国に目覚め、民族主義やナショナリズムが盛んになっているのが現状です。
 それは成長のプロセスとして必要なことです。ただそこに留まらず、愛国心から始まって人類愛にまで進んでいくことが、求められています。そこを上手くつなげていくことが大事です。人類は一つという大きなONEの愛にまで進んでいくこと。
 日本はこれまで明治維新以来、また太平洋戦争以来、欧米贔(びい)屓(き)であり、コンプレックスがありました。
 外国から学べるものはあります。外国から学ぶこと自体は、悪いことではなく良いことです。ただ特に、太平洋戦争に敗戦してからは、日本は自信を喪失し、またアメリカからの働きかけも強かったため、自分を見失いました。欧米志向が高まりました。
 教育もそのことに加担してきました。英語に重点を置いた教育や企業の働きも、その表れです。
 ここでバランスを取るために、日本が日本固有のものやその良さに目覚めることが求められています。
 折しも世界は同様に国家主義が盛んになりつつあります。日本もちょうどその流れに乗って、日本古来の良さや優れたところ、それによって果たせる固有の役目に気づき始めているところです。
 日本のように神話があり、神話があるばかりでなく、天皇制が万世一系として続いていて、それが今でも健在である所は、世界的にも希(まれ)です。
 太平洋戦争で広島と長崎に原爆が投下され、それによって核兵器を保有しない唯一の先進国としてあることも、偶然とは言えません。
 また一方、東日本大震災によって、原発が損傷し、放射能汚染に見舞われたのも、類例がありません。
 ロシアのチェルノブイリ原発事故はかつてありましたが、日本のように最近、天災と人災が重なって、結果として放射能汚染に見舞われたことは、偶然とは言えません。課題と共に役目も感じさせます。
 日本は科学技術の方面で優れています。しかし忘れてならないのは、魂に基づく「和の心」です。それによる「伝統文化」です。その原点に「日本神話」があるのです。天皇制の元にも「日本神話」があります。そこに気づけば、科学技術も正しい方向で発展していくことができます。
 東日本大震災による放射能汚染は、そのことをメッセージとして伝えてきています。「日本の科学技術は自然を破壊しない、自然と調和した科学技術になる方向を目指すように」ということです。
 その元に、調和と平和をもたらす日本の魂があります。それなら、愛国心に留まらず、世界にも平和と調和をもたらせます。単なる国家主義では終わりません。国家主義が他の国々とぶつかり合いません。
 世界の人々も、よくはまだわからないけれども、そのような日本の特質と固有の優れたところ、それでもって世界に果たせる役割に、気づき始めているのです。
 それで、2019年は、令和の新時代が到来する際の、さまざまな国家的イベントに、世界の主立った人たちが訪れたのです。
 その意味で令和の新時代の幕開けは、日本の国ばかりのためのものではなく、世界平和への、大きな一歩でした。
 以上のことがよく理解され、知られねばなりません。このことがしっかり抑えられてこそ、初めて2020年以降が正しく歩まれ、日本国内ばかりでなく世界的にも実りあるものとなります。
 天皇陛下が住まわれているのは皇居です。皇居は東京にあります。その東京で2020年にオリンピックが開催されるのは偶然ではなく、天のご意志です。
 2019年に令和の新時代を迎え、世界中の人たちが日本に注目を集め、日本の国に招かれました。これが準備となり、2020年に東京オリンピックが開催されるのです。奇しくもARIの復活祭も東京での開催になっています。
 2019年は令和ブーム、あるいは皇室ブームでした。2020年は東京オリンピック・パラリンピックブームとなることでしょう。そしてこれは偶然ではなく、天のご意志なのです。
 令和の新時代を迎え、皇室ブームがあって、それが準備となって世界的なスポーツ祭典のオリンピックが、日本の東京で開催されるということに、意味と目的があるのです。
 そしてこの皇室ブームを、単なる表面的一時的なもので終わらせないことが肝要です。これをむしろきっかけにして、さらに日本を掘り下げ、追求し、日本の原点にある魂、そしてその古里である日本神話にまで行き着くこと。それで日本も真に活性化します。東京オリンピックだけで終わらなくなります。むしろそこが始まりとなります。
 日本神話や神道、それに関わる神社、その儀礼。また、神道と双璧を成す仏教にも注目し、掘り下げ、活性化させることが真に求められていることです。
 それによって、日本が何であるかを知り、また世界の人たちも日本を本当に知ることができます。
 東京オリンピックで終わらせず、むしろそれが始まりとなること。東京オリンピックがきっかけになって、日本の本当の良さが深いレベルで知られ、多くの人たちが日本を訪れ、その日本の原点の生きた命に触れ合うことで、世界の人たちに良いものをもたらしていけます。
 日本が令和の新時代を迎えて、東京オリンピックに備えられた。そして多くの人たちが東京オリンピック・パラリンピックで日本を訪れる。また直接日本に訪れない人たちも、日本のことを知って日本の良き息吹に触れること。そのことが願われていることです。それによって世界に良いものを与えていくことができます。
 日本のほうとしてもこのことに気づいて、自分たちを見直して、良いものを掘り起こし、活性化させることが準備として必要になってきます。
 2020年は、東京オリンピックを中心として1年間が展開していくことでしょう。多くの出会いがあり、感動と喜びの1年間となることでしょう。
 2020年は、「賑わい」の年です。ただそれが、表面的一時的感覚的になる懸念はあります。浮き足立った感じで、表面的感覚的な、一時的な喜びになることもあります。そのような表面的一時的なもので終わらせないことが、本年の留意点であり、心がけです。
 また、パッと明るい一時的な、また表面的な花火のような活性化に流れやすいことがありますので、よく落ち着いて体感して掘り下げて、また研究して、東京オリンピックで終わらせず、むしろ東京オリンピックを礎石にして、ここから始まるように、掘り下げ本格化させること。そのことが必要です。
 本年は表面的に明るく活発で賑(にぎ)わいますので、喧噪としたものも含まれ、ちょっとした争いとか混乱も起きそうです。
 2020年は何かと慌ただしく、落ち着かず、明るく喜びに満ちていることはあるのですが、そして表面的な動きとしては活発になるのですが、何か落ち着かず不安定で、いろいろと変化も目立ちそうです。各方面において。
 ただ始まりの年にはなりそうです。新規のことがいろいろと起きそうです。
 また、表面的には活発で元気になりますので、お金の動きも目立ちます。
 ただそれも表面的感覚的感情的なものだと、お金に関して日本国内でも、また世界的にも、問題や混乱が起きることもありそうです。貿易にしても銀行の動きにしても、株式市場においても、さらにIT関連においても。
 このように2020年は、スポーツを始め音楽や文化全般においての動きとともに、金融経済の動きが活発で不安定で、混乱も招きやすい感じです。政治もやや慌ただしく不安定で、変化がありそうです。
 地球温暖化に伴う異常気象と自然災害は、多いことでしょう。地震も中小規模のものは起きそうです。ただ2020年は地震というよりも、水の災害のほうが激しい感じです。
 水の災害は近年高まりつつありますが、2020年も要注意です。水害です。それにより、水害に限らず、異常気象が農作物への被害をもたらすことが起きるかもしれません。
 世の中が喧噪として浮き足立ってくるため、人心の乱れから、さまざまな混乱や騒動が起きてきそうです。
 世界的に日本がオリンピックにより注目され、活発になりますが落ち着かなくなります。その隙に乗じて、犯罪などの問題も多発しそうです。
 それでも2020年は明るくて忙しくて慌ただしく、多くの人が落ち着かず、しかし賑わって、人々の出会いと変化が多い、駆け抜けていくような1年となりそうです。気づいたら1年が終わっているというように、慌ただしく、落ち着かず、その時その時に対処して、1年が過ごされることでしょう。若い女性の活躍が目立つかもしれません。
 このことに気づいて明るさを本当のものとして定着させ、こういう時だからこそ落ち着いて、よく事態を見抜き、また自分を見直して整えることが必要です。
 それによって、明るく活発なことが確かなものとなります。そして一時的な感覚やブームで終わらず、ここから良いものが知られ、意義深いこととして始められるようになります。
 多くの外国の人たちが令和の新時代を迎えた日本に注目し、天皇の住まわれる皇居のある東京でのオリンピックで、日本の息吹に触れることが神さまのお心です。それによって日本の良さが世界の人に知られ、世界の人々に良きものを与えることができます。それが世界平和の実現の始まりとなることが、神さまのお心です。
 この動きを一時的なものとせず、ここから確かなものが始まるよう、各自心して自分を備え、本当のものを日本人に気づかせ、目覚めさせるように働きかけてください。
 そして愛国心から始まって人類同胞愛にまで向かい、自然の命をも愛し、自然と調和する日本人の良き魂が、世界のさまざまな戦争やテロをも鎮静化させる効能を発揮することが願われています。
 対立二元論を一元化させる和合、「本当の愛」「和の心」を、日本人が取り戻し、世界の人たちに触れさせてあげるように備え、対応してください。そうすれば、実り多い良き年となることでしょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉