メッセージリーディング

このコーナーでは、時事の問題や未来予測に関する、ARIのオリジナルリーディングを掲載しております。
 
メッセージリーディングとは、個人の問題ではなく、社会的事象や歴史上の不明点、また未来に関すること、その他、政治、経済、科学、技術、宗教、哲学、医学、医療、教育、芸術、等々の分野での調査目的で行うリーディングです。
 
どうぞONEの学びの一つとしてご活用ください。

リーディング No.16986

 
質問:2022年立春を迎えるに当たり、本年の日本と世界に関して、胎蔵界的、金剛界的両観点から予測し、展望してください。併(あわ)せて、留意点、対処法もお示しください。
 
ソース: 2022年になりました。
 今年は、日本国内においても、世界的に見ても、エネルギーが高まり、強まり、いろいろな潜在的な問題が顕在化して、動乱の年となりそうです。エネルギーが強まって不安定になり、落ち着かず、慌ただしい
年となることでしょう。
 そのような中で、コロナ後の人々の暮らしや社会のあり方が、少しずつ着手され、流れが出来てきそうです。
 エネルギーが強まって不安定ではあるものの、人々は少しずつ模索し、コロナ後の新しいあり方が見つかり、私生活においても仕事においても、社会のあり方としても、各分野で新しいあり方が見出され、着手され、少しずつですが軌道に乗り出して、コ
ロナ前のあり方から徐々に移行し、ほのかに希望が感じられるようになる年です。
 それには個人差があるでしょうし、国や地域別においても違いはあるし、分野別においても企業別においても差が見られます。それでも全体としては徐々に移行し、新しいあり方へと向かい始めます。
 コロナ自体は、年内に収束の見通しが立つことでしょう。現時点ではまだオミクロン株が勢いを増して、新規感染者数も激増の一途を辿(たど)ってはいます。非常に感染力の強い変異株です。
 ただ、ウイルス自体の力は弱体化してきてはいます。今後とも、新しい変異株などが出てくることでしょう。それでも少しずつウイルスの持つ力自体は弱まっていき、ちょうどインフルエンザのような、もっと弱まって一般化すれば、一種のカゼのような内容となってくることでしょう。
 
 こうしてコロナ自体は、感染者が増えていっても、症状のほうはウイルスが弱まることで、また、人間がコロナに適応できるようになることで、コロナと折り合いがついて共生でき、その結果収束してきます。
 一方、科学技術の力と研究者たちの努力と人々の祈りによって、コロナに対する飲み薬や治療法なども考案され、社会政策とも相まって、対応できるようになっていくことでしょう。
 これも国や地域別に、差はどうしても出るにせよ、全体として普及し、人類はコロナを克服解消していくことでしょう。
 今年のうちにそれらが全てなされるのではないにしても、今年の後半期頃には、その見通しが立つ感じです。日本国内では、ワクチン接種の3回目が早められて、行われていくことでしょう。
 このようにして、次第にコロナとの付き合い方を覚え、コロナと折り合いがついて、その結果、人類はコロナを克服解消します。
 いちばん大事なことは、人々が再び神さまを認め、敬い、天の摂理に従って生きていくことです。「天界の秩序」とその地上界での表れである「自然の摂理」に従い、調和して生きることです。
 あらゆる分野においてその方向で、取り組まれていくことで、コロナとの折り合いがついてきて、その結果、コロナを克服解消できるのです。
 コロナと戦って、やっつけて滅ぼすというよりも、コロナから学んで、コロナに導かれ、自分を内省しつつ、コロナと折り合いをつけて、天の摂理に合うような考え方や価値観や生き方にすることで、克服解消できます。
 一般にはコロナを恐れたり、コロナを憎い敵と見なして、科学技術の力をもってコロナと戦ってやっつけるという認識が多いようです。それは本当ではありません。そのため、うまくいきにくいです。無理があります。そういうことではないのです。
 その時代を象徴するようなことが起きます。現代を表すことが、新型コロナウイルスなのです。その変異株が出てきて、その変異株の内容や性質がどういうものであるか。そしてそれをどう捉え、どう応じていくか。そういうところに、時代性の特徴が出ています。
 
 このように、今年の後半辺りから、コロナは感染して新規感染者が増えてはいても、ウイルス自体の力は弱まり、人々の科学技術の力と相まって、コロナと折り合いがついて、人々は新しい暮らしを始めるようになっていきます。エネルギーが強まって不安定な動乱の中、このようになっていきます。
 人々は、コロナ後の考え方や価値観や働き方や楽しみ方や生き方になっていきますし、その必要性があります。
 これまでは物主体の、アナログ的なあり方でした。コロナを機に、ITが前面に出て、デジタル化が急速に進みつつあります。
 これは必ずしも、悪いことでも間違ったことでもありません。コロナによってデジタル化が促進されつつあります。
 では、全部がデジタル化されるのがよいかというと、そういうことではありません。アナログの良さがあるし、アナログでしか出せないものが、依然としてあります。
 むしろ、デジタル化が進む分、アナログの良さや、強みということに気づかれ、それが大切にされ、評価され、活用されるようになるし、そうなるべきです。
 それぞれのことにおいて、アナログとデジタルのそれぞれの性質と、役目に気づいて、それぞれのことにうまくアナログとデジタルを使い分ければ良いのです。
 確かにデジタル化によって効率化が図られ、人間の労働などの過重負担から、人類は解放されつつあります。
 これからは物中心のあり方から、もっと心や魂を大切にするような、いい意味での効率的なあり方へと移行していきます。
 
 また、それだけにアナログや物の良さ、実際に動く大切さなども知られ、評価されるようになります。
 今年はエネルギーが強まって、いろいろなことが顕在化し、不安定になります。そのため、自然災害も多くなります。地震も起きそうです。日本においても、世界的に見ても。
 中規模から大規模にかけての、ある程度以上大きな地震が起きる可能性が高いです。
 日本国内なら、茨城から千葉にかけての地域が不安定で、地震のエネルギーが強まりつつあります。あるいは箱根の辺り、それから日本の中部地域です。
 今年は、ある程度以上大きな地震があるかもしれません。世界においても起こり得ます。
 地震をはじめ、火山の噴火、巨大台風、竜巻、集中的なゲリラ豪雨、洪水の被害、また世界においては干ばつ。温暖化による高気温の熱射に見舞われることなども起こり得ます。山火事などもあります。
 このように、地震をはじめ自然災害が多く、あちこちに発生しそうです。よく対策するようにしてください。
 また、エネルギーが強まっていろいろな課題が顕在化するため、社会問題もさまざまな方面で表面化して、社会が不安定で、人間の心も不安になりそうです。
 ウツになる人や、自殺する人も、若い人を中心に増えそうです。
 社会問題も、いろいろな分野で発生する、大変で心配で気が滅入るような、またイライラさせたり怒りが爆発するようなことも、世界的には起こり得ます。
 そういう中にあって、天の神さまを信頼し、天の神さまにお任せして、信じて安心して落ち着いて、自分の置かれた所で人を思いやり、自然に感謝し、自分らしく現状の中で、誠意をもって適切に応じて、シンプルに生きていくことが大事です。
 天界の秩序とその地上界の表れである自然の摂理を敬い、それらに従って簡素に、小さなことを大切に、小さなことで喜びながら、慎ましく、朗らかに生かされて生きることです。
 そうすれば、社会問題が起きたり、自然災害があったりしても、乗り切れます。起きることには必ず原因と理由があって、真の意味で良くなるため起きる通過点なのですから、起きることで余計に不安に陥ることなく、元におられる神さまを信じて、起きてくることを信じて受け止め、落ち着いて適切に応じていくことで、一つひとつが解消します。それによって育て導かれ、問題が解決して、次のあり方が訪れるように、どんなことでもなっていきます。
 
 今年はいつになくエネルギーが強く動くため、人々も社会も落ち着かず、不安があり、多くの人が慌てたり、怒ったり、イライラしたりするでしょう。
 テロのようなこともあるかもしれません。あるいは社会的な事件や事故なども。
 そういう時こそ気を落ち着けて、元におられる神さまを信じてお任せし、神さまのお心に沿って、思いやりの心で現状を大切に、現状の中でしっかり生きていくことが大事です。そうすればどんなことでも、乗り越えられます。
 起きることでカルマが解消へと向かい、起きることで見直しと学びと改善と対処の機会が与えられていくのです。こうすれば来年(2023)は、わりと安心し、充実して、確立してくるような感じです。軌道が出来そうです。
 
 今年は動揺があって、激しくいろいろ動くけれども、産みの苦しみの中で、新しいことがいろいろと着手されることでしょう。いろいろ起きて、不安定で慌ただしい1年となりそうです。
 信じて気持ちを落ち着けて、それぞれ置かれた所で、周りを思いやって、謙虚に素直に生きてください。
 そうすれば、どんなことでも乗り越えられ、解決し、そこから新しいあり方が始まっていくことでしょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16973

 
質問:2021年に起きたさまざまな出来事と、その霊的意味、天の意図をお伝えください。2021年の日本と世界の総括をお願い致します。
 
ソース:2021年は、前年に続きコロナが蔓延し、ワクチンの摂取が始まった年です。コロナが猛威を振るう中、夏には予定どおり東京でオリンピックとパラリンピックの開催が決行されました。
 しかし不思議と、リスクの中でオリンピックとパラリンピックが開催された後、9月下旬から10月にかけて、少なくとも日本国内では、コロナが収束し始めました。
 オリンピックとパラリンピックが開催され、それらがほぼ終わる頃、菅さんが首相を続けないことを表明し、代わって岸田さんが首相に就任しました。
 このように2021年は、日本にとって重要な節目の年となりました。
 1月以降、どういうことが日本や世界で
起きたのか、見ていきます。
 
 1月20日には、アメリカ大統領にバイデンさんが就任しました。トランプ前大統領は、その就任式に欠席し、自分の思いを、そのような形で表しました。これは、アメリカにおいて異例のことでした。
 22日には、核兵器の開発や保有を禁じる核兵器禁止条約が発効されました。
 しかし、日本は被爆国で、このような時こそ積極的に協力するはずのところを、不参加という形で終えました。
 2月1日には、ミャンマーの国軍がクーデターで、アウンサンスーチーさんらの政権与党の幹部を拘束しました。
 17日には、日本国内で、新型コロナウイルスのワクチン接種が開始されました。まずは医療従事者の人たちから先行して、摂取が始まりました。
 3月には13日、日・米・豪・印の4か国首脳が、初の共同声明をしました。中国を念頭に置いて、海洋安全保障での協力を明記しました。
 それだけ中国の台頭とそのやり方に、不安を抱き、それを主な関連の国々が何とか抑制し、バランスを取ろうとする動きでした。
 このようなことは中国関連で、少しずつ少しずつ毎年、増えてきています。台湾に関する動きも、その顕著な表れです。
 3月30日には中国で、香港の選挙制度改変案を可決しました。
 香港の政治から民主派を排除する方向で、動き始めました。
 4月には13日、日本政府は東京電力福島第一原発の処理水を海へ放出する方針を、とうとう決めました。自然の環境問題からして、これは大いに疑問の余地があります。
 そうせざるを得ないところに、原発の根本的な問題が潜んでいます。
 24日には、ASEAN首脳会議で、ミャンマーに対し、暴力停止や代表団の受け入れを、要求しました。
 ミャンマーは、古くから初期仏教である南方上座部、テーラヴァーダの国として、平和を大切にしてきています。そのミャンマーが軍事政権となったことは、残念な動きです。
 まだ、そのような道のりを歩まざるを得ないものを孕んでいる、その動きだったのでしょう。
 25日には、東京、大阪、京都、兵庫、この4都府県に緊急事態宣言が出されました。コロナに関してです。この頃から、コロナが目立って増え始めました。
 
 昨年2020年は、コロナが蔓延した年でしたが、2021年はそれ以上に蔓延するようになりました。それは、日本においてばかりでなく、世界的にその傾向が著しくなったのです。
 26日には、新型コロナウイルスによる国内の死者が1万人を超えました。変異株の拡大で亡くなる方が増加していきました。
 5月には19日、プロレスラーの木村花さんへのSNS上の中傷を巡る裁判で、投稿者に賠償命令が下りました。これはやむを得ぬ、当然の帰結と言えます。
 理想は、わざわざ法的に罰したり規制したりせずとも、一人ひとりが思いやりに基づく倫理から、して良いこととしていけないことを自ら気づいて自制することにあります。たとえ自由であるといっても、言論や宗教や思想の自由を悪用することなく、相手の身になって行動することが望ましいのです。
 しかしながら現状では、日本でも世界全体としても、ネット上の否定的な書き込みや中傷などの好ましくない動きが止みません。これは人類の成長レベルと、目指す方向性が、どこか違うことを表している動きです。当分は法的に、規制せざるを得ないのでしょう。
 「人類は何に価値を置き、何を大切に進んでいくべきなのか」ということが、ここで改めて問われるべきです。
 26日には、日本全国の自治体に、昨年提出された妊娠届が、おおよそ87万件であることが明らかになりました。年々日本では、少子化が進みつつあります。これがなかなか収まりません。
 このことは日本の若い人たちの生命力や、前向きで肯定的な生き方が、弱まってきていることを表示しています。
 また、霊界と顕界とのバランスと調整が図られていることの表れでもあります。
 これからの30年、50年は、日本はその調整で、大変になることでしょう。福祉の分野で日本を健全に保っていくことが、困難になるかもしれません。しかしそれを乗り切れば、何とかこじんまりとした国として、新しいあり方が訪れることでしょう。
 27日には、香港の選挙制度を、民主派を排除して親中派にとって有利に改変するような条例案が、可決されました。
 中国は着実に共産党の専制主義を強め、香港、次には台湾と、自分の傘下に収めようと動き始めています。
 6月17日には、中国に批判的な香港紙リンゴ日報の幹部5人が、国家安全維持法違反の容疑で、逮捕されました。
 24日には、香港の民主派をこれまで支持してきたリンゴ日報が、最後の朝刊を発行しました。こうして26年の、これまでのその歴史に、幕が下ろされました。
 
 7月には3日、静岡県の熱海市の伊豆山地区が大雨に見舞われ、大量の土石流が発生しました。これにより多くの住宅が流され、複数の亡くなる方も出てしまいました。
 日本はどうしても、夏に豪雨に見舞われ、洪水の被害に遭いやすいのです。それが近年、人間による自然へのダメージにより、自然が均衡を崩し、ますます深刻化しつつあることを表しています。
 12日には東京都に、4度目の新型コロナ対応の緊急事態宣言が発出されました。7月から8月にかけて、東京を中心に、日本国内でのコロナの新規感染者がピークを迎えたのです。
 30日には、埼玉、千葉、神奈川、大阪に緊急事態宣言が発出されました。東京と沖縄の宣言は、期限を延長することになりました。
 8月の1日には、ミャンマーの国軍が、ミンアウンフライン最高司令官が首相に就任したことを発表しました。
 日本などの民主主義国からすると、「今になって軍による国の統治か」と、いぶかしがることでしょう。それはそうなのですが、それぞれの国の歴史と事情と経緯により、そういうプロセスも経ざるを得ないようなものがあることを表している。そのことを理解して事態を受け入れ、その上で適切に応じていくことが、求められます。
 8月2日には、東京オリンピックのベラルーシ陸上選手の1人が、亡命を希望しました。在日ポーランド大使館に入ったとのことです。
 ソビエト連邦が崩壊し、東欧諸国が独立し、自由化しました。ソビエト連邦自体も、ロシアに生まれ変わり、平和がしばらく訪れました。これはケイシーがリーディングで予告したとおりです。
 
 ただ、少しずつロシアは古いソビエト連邦時代の、まだ残存する課題が表面化してきました。それに伴い、欧米諸国とも難しい関係が始まりました。ベラルーシも、ソビエト連邦の崩壊に伴い自由主義国として始まった国ですが、まだまだ課題があることの一端が、これによって明らかになりました。
 4日には、総務省の人口調査で、日本人の人口が12年連続で減少したことが判明しました。それでもまだ、日本の人口は1億2千600万人ほどおられ、小さな島国の国土の面積からすると、また、山が多い立地条件からすると、「日本の人口は多い」と言えます。
 これが少しずつ調整され、日本の人口は、8千万人から9千万人ぐらいで安定するのかもしれません。
 その国の人口は、その時点のその国の国力を表しています。少子化が進む中、日本全体の人口も少しずつ減りつつあります。これがうまく調整されるよう、よくお祈りしましょう。
 「その時点のその人たちの内実を表すような状況と動きと体験になる」――これが法則です。日本の国としてこのような人口の推移となってきているのは、日本の国力や内面性、また神の意図や日本の目的を表しています。
 6日には、新型コロナウイルスの国内感染者が、累計で100万人を超えました。コロナが最も蔓延しつつある、しかも東京を中心に蔓延しつつあるそのピークで、オリンピックとパラリンピックが決行されたのです。
 8日には、17日間の東京オリンピックが閉幕しました。日本国内で行われたこともあって、日本の金メダルは27個、総メダルは58個と、オリンピック史上日本として最多となりました。
 
 海外からの選手や応援団の人たちの来日は困難なこともあってか、日本は母国の中での開催で、コロナはありましたが、活躍しました。
 13日には、九州で記録的な大雨となりました。前線がしばらく停滞し、北陸や中国地方でも大雨が続きました。
 14日には西日本を中心に、記録的な大雨となりました。広島、福岡などで、3年前の西日本豪雨を超えるほどの雨量となりました。
 15日には、アフガニスタンのイスラム主義勢力タリバンが、首都を掌握しました。これにより、ガニ政権が崩壊しました。
 18日には、新型コロナの新規感染者数が40都道府県でステージ4と発表されました。ステージ4は、かなりきつい危険なレベルです。
 このようにオリンピックとパラリンピックの最(さ)中(なか)で、日本は東京を中心に感染爆発があったのです。
 その意味で日本は、2021年7、8月は、良くも悪くもエネルギーが強く動いた、不安定で危険な状況にありました。
 喩えて言えば、船出して嵐に遭い、暴風雨の中で船が揺れに揺れて転覆しかかって、乗っている人たちの命が危険にさらされているような状況だったのです。
 そのような期間、同じ東京で聖徳太子1400年遠忌の年で、東京博物館において聖徳太子展が開催されていたのです。これは象徴的です。一般の人はほとんど目を止めていませんでしたが、このような、東京で激しくエネルギーが動いている嵐のような最(さ)中(なか)で、同じ東京において聖徳太子展が静かに厳かに開催され、下支えとなっていました。
 31日には、アメリカ軍がアフガニスタンから撤退しました。20年にも及ぶアメリカ史上最長の戦争でしたが、それに終止符が打たれました。アメリカにおいても今年の8月は、大きな転換点となったのです。
 
 アメリカの同時多発テロ以来、アフガニスタンにアメリカは介入し、今まで見てきましたが、それにピリオドが打たれたのです。
 9月1日には行政手続きのオンライン化や、マイナンバーカード普及を担う、デジタル庁が発足しました。
 デジタル化は、すでに20年以上前から少しずつ進みつつはありましたが、コロナも手伝いデジタル化が加速され、その表れとして日本の政府にもデジタル庁が形をとって現れたのです。
 これからの時代を占う、「一つの兆し」と言えます。そのデジタル化が、「アナログ的なものとどう共存していくか」ということが、今後見られていかねばなりません。
 3日には、菅首相が自民党総裁選に出馬しないことを突然表明し、衆院選を前に退陣する意向を示しました。
 オリンピックとパラリンピックを決行する、そしてコロナが収束するために尽力する。その見通しが立ったところでの退陣でした。菅さんに与えられた役割が果たされたことの表れでした。
 その2日後の5日、東京パラリンピックが閉幕しました。日本はオリンピック同様活躍し、過去2番目に多い51個のメダルを獲得できました。
 この9月5日には、パラリンピックの閉幕と共に、東京博物館での聖徳太子展の最終日でもありました。この一致は、重要な動きを表しています。
 その翌日6日には、天皇皇后両陛下と長女愛子さまが、赤坂御所から皇居に引っ越されました。
 このように日本では、9月5日から6日にかけて、大きな転換期を迎えていたことが、明らかです。
 19日は、香港の選挙委員会委員の選挙があり、民主派が排除され、親中派一色になりました。こうして中国は着々と、自分の地ならしをして地歩を固めつつあります。これは世界にとって、特に民主国にとって脅威です。
 
 日本は中国が地理的にも近く、古くから交流もあるので、日本は「他(ひ)人(と)事」とは言えないものがあります。こういう時こそ本当に霊的なものの根本に立った、世界平和ということが必要となってきます。
 29日には、自民党総裁選で、岸田文雄前政調会長が、決選投票の末に新総裁に選出されました。
 日本では9月が転換期であったことが、これによっても明らかです。ある意味で日本は、2021年9月に新しい時代を迎えたのです。それを象徴するかのように、9月下旬から10月にかけて、コロナが不思議と日本国内では、収束へと向かいました。
 30日には、コロナ対応で出ていた緊急事態宣言と蔓延防止等重点措置が解除されました。
 10月の4日には、自民党の岸田文雄さんが、第100代首相に選ばれ、岸田内閣を発足させました。
 首相が100代目という区切りの良い数ですので、日本はともかくも課題を抱えながらも新時代を迎えたことが、このことにも示されています。
 日本のコロナの新規感染者は、10月に入って特に収束へと向かいました。
 26日には、秋篠宮家の長女眞子さんが、小室圭さんと結婚されました。世間でも話題になりました。皇室のあり方も、いろいろと話題に出るようになりました。
 31日には、衆院選が投開票されました。自民党は261議席で、安定の大多数を確保しました。
 日本はもともと島国で、保守的なところがあります。自民党が根強く、多くの人たちが無難さを願っていることを、物語っています。
 一方、11月2日には、立憲民主党の枝野幸男代表が、衆院選敗北の責任を取って辞任する意向を表明しました。
 野党の中での第一党である立憲民主党が思うほどは振るわず、こういう結果になったところにも、日本人の思いと日本の体質が現れています。日本は自民党の一強独裁の傾向が強いのです。
 4日には、COP(コツプ)26関連のイベントで、脱石炭火力表明に、40か国以上が賛同しました。にもかかわらず、日本はそこに入りませんでした。日本は火力発電で力を入れて、その方面では技術が優れているからです。
 今は良いとしても、少しずつ自然の再生エネルギーに注力していく必要がありそうです。
 14日にはCOP26が閉幕しました。産業革命前からの気温上昇を1・5度に抑える努力の追求で、合意がなされました。
 これは当然必要で、こういうことは合意されるべきことです。ただ、表面的・物的レベルでの動きであり、本質のところの心や魂のところで本当にわかって、そして変わって、行動も自然に改善されていくということが、長期的には求められます。外からの規制とか取り決めだけでは、弱いのです。
 15日には、新型コロナウイルスの3回目のワクチン接種を始めることが、厚生労働省から正式に発表され、決定されたことが伝えられました。
 3回目のワクチン接種は必要ではあるのですが、ワクチンの接種とコロナが進化していく、このいたちごっこに陥ると、際限がありません。もっと本質レベルのところで見直し、改善し、対応することが2022年以降求められねばなりません。政策や外からの規制だけでは、不十分なのです。
 
 こういうやり方だと、ワクチンの4回目接種、5回目の接種となり、コロナ自体は次々に変容し、新たな変異株を作り出していきます。これは、天からの警告にもなっているのです。
 根本から気づいて改め、対応していかないといけません。「マスク着用」「3密の回避」「手洗いやうがい」「換気をよくする」そういうことだけでは、不十分なのです。
 19日には大リーグのエンゼルスの大谷翔平選手が、ア・リーグ最優秀選手(MVP)に満票一致で選出されました。
 日本人の活躍は、喜ばしいことです。日本の東北の魂と力と良さが、表れました。
 同じ19日には、日本政府が経済対策を決定しました。コロナ関連の給付金が柱です。財政支出は過去最大の、55兆円となりました。コロナ対応が経済的にも如何に大変で、考慮されているかが示されていました。
 それは必要なことなのですが、日本国の経済的負担は大変です。日本円が世界的には弱まりつつあります。日本の経済力が困窮し、弱体化し、将来に負債を残し、課題を先送りにするようになってしまっている、厳しい現状です。将来の日本の人たちが、大変です。
 12月5日、愛子さまが成年行事に臨み、ティアラ姿を初披露されました。愛子さまはARIにおいて、福山での初講話会の折、福山八幡宮で正式参拝中お誕生されました。その意味でARIとも、霊的に深く関連しています。その愛子さまが20歳を迎えたのです。
 12月7日、バイデン・アメリカ政権が、北京冬季五輪の外交ボイコットを表明しました。米中関係の厳しさを、表しています。
 14日にはトヨタ自動車が、EVの世界販売目標を引き上げました。2030年には350万台と。こういうことは、時代を読み取っていて、当然必要なことです。
 17日には、大阪市北区にある繁華街、北新地の一角の雑居ビルで火災が発生。25人の方が亡くなりました。日本の弱点となる潜在的な課題が、このような形で表れました。
 19日には香港立法会の議会の選挙の投票があり、親中派が圧倒的多数となることが確実になりました。
 中国の習近平さんの下で、中国は一強独裁の地歩を着々と固めつつあります。世界的には気になる動きです。
 22日、新型コロナウイルスの変異株・オミクロン株の市中感染が、日本国内でも初確認されました。これは、来年2022年以降に持ち越す課題となりそうです。
 24日には、日本政府が2022年度当初予算案を、閣議決定しました。歳出は107兆円で、10年連続で過去最大となりました。将来の日本に負債を持ち越して負担になる懸念があります。
 同じ24日には、岸田首相が、来年2月の北京冬季五輪に、閣僚や政府高官を派遣しない方針を表明しました。
 これは、アメリカに気遣い、アメリカと歩調を合わせた動きです。方向としては間違ってはいないのですが、残念な動きと言えそうです。
 米中の拮抗関係の厳しい状況で、日本がどのように意思決定し、方向づけていくか。これから日本のあり方が、注目されるところです。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16926

 
質問:真・善・美について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース: 「真・善・美」を理想としていたのは、古代のギリシャです。文化、芸術、宗教、スポーツなどにおいて、そのことが人間の目標であり、理想であると見なされていました。
 古代ギリシャ哲学において、この重要なことがすでに知られ、打ち出されていたのです。これは今でも正しく、尊い真理です。
プラトンの理想とした、「イデア」の内容とも言えます。
 この「真・善・美」を形に表すと、正三角形になります。正三角形の左の角に「真」が来ます。右の角に「善」があります。そして頂点に「美」があります。
 左は左脳の働き、右は右脳の働きです。左脳は男性エネルギーであり、金剛界です。論理、理性、言語などの理性の働き、頭の働きです。それと対照的に右側は、感情、情緒、イメージ、心などの女性エネルギー、
右脳、胎蔵界の働きです。
 
 左が父、右が母。金剛界と胎蔵界。現実世界と精神世界です。
 このように左の角に「真」、右の角に「善」が位置しています。「真」は真理であり、「正しさ、知性、知恵」を表します。一方、右の角の「善」は、「愛、慈悲」を表します。「許し」などの働きも、司ります。
 左は「信仰、理解、認識」、右は「意思、愛の行動、役立ち」です。
 左は、善悪を知る「知識の木」、右は「命
の木」です。
 左は「理性」、右は「感情」です。
 左は「頭」、右は「心」です。
 このように対照的な二方向の働きです。それが「真」と「善」のひと言で、それぞれ集約されているのです。
 知恵の働きが極まると「真」に至ります。
 愛の働きが極まると、「善」に至ります。「本当の愛」が善だからです。
 そして、真と善がそれぞれ極まってくるほどに上昇し、その両極が次第に近づいてきます。そして真が完成し、同時に善も完
成すると、両者は一致します。そこが正三角形の頂点です。左脳と右脳の統合、One Brain、一つの脳。全体性の回復です。
 このように対照的な二極がそれぞれ極まってくると、それぞれ上昇して、左と右が完成に近づくほどに、両者は近づき一致してきます。そして遂に、真と善が一つになってしまいます。完成した時に。
 それが「美」です。それが、正三角形の頂点に「美」があることの意味です。
 
 「美」は、「完成」を表します。そこには調和があります。自分を遺憾なく発揮して、他のお役に立てます。そこにはあらゆる美徳があります。「徳」は善業です。それによって美しくなっています。
 完成すると調和し、整い、美しくなっているのです。それが「本当の美」です。個性も遺憾なく発揮され、周りのお役に立てます。
 例えばイエス様もマリア様も、知恵にも慈悲にも優れ、清まり、完成したため、美しかったです。本当の美しさです。
 単なる見た目の美しさとか、作った美しさではありません。
 こうして、左の「真」と右の「善」が次第に進化を遂げ、両者が徐々に似たものとなり、それぞれが完成した時には、両者が一つになって「美」が実現するのです。
 「真理と善」「知恵と慈悲」、それぞれが成長し進化するほどに、知恵の中に愛が、愛の中に知恵が含まれてきます。こうして、一つの働きとなります。
 「知恵だけ」とか「愛だけ」とかではなくなってきます。内容的にも、知恵と愛が同様のものになってくるのです。知恵のようでいて、愛でもある。愛のようでありながら、しっかり知恵が含まれている。
 これが進化していくほどに見られる共通の特徴です。霊的な段階は、このようにして進んでいきます。
 霊界の階層においても、上に行くほど「真理と善」「知恵と愛」が一つに融合してきて、一番高い霊界では、真理と善が一つになっています。「真」だけとか「善」だけとかではなくなってきます。
 そこに住む存在たちにも、知恵と愛の両方があります。愛もしっかり行動に移され、他の助けになっています。
 「思っているだけ」とか「わかっているだけ」とかではないし、「自分だけで愛を抱いている」とかでもなくなってきて、愛がそのまま実践されて他の助けになっています。
 「愛」も高度に進化して完成された、「純粋な愛」になっています。アガペー・ラブです。「神の知恵」と「神の愛」が出来てきます。しかも、神の知恵と神の愛が一つになってきます。
 
 金剛界の大日如来と胎蔵界の大日如来が一つになってきます。金胎不二の両部曼陀羅、すなわち「ONEの曼陀羅」が形成されます。
 男性エネルギーと女性エネルギー、能動性と受容性が、それぞれありながらも損ね合うことなく、それぞれが助け合い一体となって生き生きと作用するようになります。そのあり方が「美」です。完成形態、根源神のありようです。
 それが、本当にいい感じで一つになって働く時、その分「美しさ」がそこにはあります。それが、正三角形の頂点が「美」であることです。
 真理と善が次第に高まり、完成に近づくほどに、真理と善、知恵と愛が次第に同じ一つの働きになり、一つの働きに両方が無理なく含まれているようになります。
 それが神の特徴です。それが高い霊界ほど見受けられます。
 例えば神々においても、より高い進化を遂げた神々ほど、そうなっています。正三角形の上方なので。
 人間でも、より成長した人ほど知恵と慈悲の両方があり、知恵と慈悲のバランスが取れていて、矛盾なく知恵と慈悲が溶け合って一つの働きとして自然に出ています。
 そして、宇宙創造神すなわちONEの神に至ると、もはや神の知恵と神の愛を分けられなくなります。一つの働きの中に「知恵と愛」「真理と善」が完全に含まれて、それが一つの働きとして動いているのです。
 天界の物理的な表れである自然界、その自然界の中心の太陽は、そのようになっています。
 
 天界の中心は霊的な太陽、その物的な反映である自然界の中心は、太陽です。物的な表れとしての太陽を見れば明らかなように、熱と明るさが一つの働きとしてあります。
 太陽の熱は「神の愛」を、太陽の光・明るさは「神の知恵」を表しています。神においては、愛と知恵の働きが別々ではなく、矛盾でもなく、損ね合ってもいません。自然に一つになって、一つの働きとしてあります。一つの働きとしてそれは愛の働きであり、同時に知恵の働きにもなっているのです。
 それを表すかのように物的な太陽も、「熱と明るさ」が一つの働きとして、地上に届いています。明るく、同時に温かいのです。太陽の明るさは「神の知恵」を、太陽の温かさは「神の愛」を表しています。
 その太陽から届く明るさと温かさが、一つの働きとして矛盾なく、互いに損ね合うこともなく、地上に届いている。だからありがたいのです。それで人間を始め、あらゆる生き物は、地上で生きられます。
 でも、人間の場合、人工的に太陽である神を真似ても、2つに機能的に分けるしかありません。
 「神の愛」の働きの熱は、ストーブなどの暖房器具として、代用されています。一方、太陽から届く明るさは、照明器具として、「神の知恵」が代用されているのです。
 暖房器具でも、多少は鈍い明るさを放ってはいますが、基本的には温めるだけです。一方照明器具は、手を近づけると多少熱を放ってはいるけれども、基本的には冷たい光だけです。神の知恵の側面しか、代用していません。
 このように、正三角形の一番下の底辺のところでは、最も左の角と右の角の距離があるのです。理性と感情、認識と気持ち、それぞれに隔たりがある。そこから出発します。
 成長段階の低い存在ほど、理性と感情の働きが矛盾して、自分の中に葛藤があります。認識の働きと意思の働きが矛盾して、拮抗し合っているのです。
 それが次第に成長し、人生経験やONEの学びを通して、認識も意思の働きも洗練されてくるほどに、自分の中での両者の矛盾や葛藤や対立がなくなってくるのです。愛の中に知恵を、知恵の中に愛を含んでくるのです。
 
 この世の人間の中には、頭は良くても、冷たくて冷酷な人がいます。能力はあるけれども、愛がないのです。あるいはわかっているけれども、行動が伴いません。頭が良くても、人を癒しません。逆に傷つけ、損ねます。言行が不一致です。
 一方、愛はあるけれども知恵がない人も大勢います。どちらかというと愛のほうが知恵よりも本質的で重要ですが、それにしても愛だけで知恵がないと、せっかくの愛も十分には活かされません。盲目的な愛のようになってしまいます。独り善がりに。
 状況や相手をよくわかる知恵があってこそ、愛も役立ち、正しく機能し、助けになれるのです。
 霊界でも上の層ほど、愛も知恵もあります。愛が高まり、強まるほどに、知恵も発達してくるのです。
 例えばイエス様にしても、ブッダにしても、愛と慈悲の存在でしたが、知恵もあったわけです。それでこそ多くの人をわかり、救済できたのです。
 一方、悪魔のような存在は、知恵や能力はかなり長けているのですが、肝心の愛がなく、冷酷非情です。悪知恵に長けているのです。
 能力はある程度あるけれども、愛が欠如している。それが悪魔の特徴です。
 この世では、悪魔的な存在が評価され、そのような存在に有利です。「それだけ世の中が地獄的になっている」とも言えます。如何にも地獄的には見えないけれども、その実質は地獄的なのです。
 この世で評価されて優遇されているからといって、あの世に行っても評価されて優遇されるとは限りません。あの世の基準は正しく、この世の基準は必ずしも正しくはないからです。
 それは、この世が物の世界で人間主体であり、人間が十分に成長しきっていないから、そうなっているのです。
 
 この世を進化させることが大事です。そうすると、あの世の本当の基準に、この世も近づいてきます。それが本当なのです。それが地上に神の国を実現させること。天界のあり方を地上にもたらすことで、地上に新秩序がもたらされる。それは段階を追って、時間をかけてなされていくことです。
 これから230年くらいはかかりそうですが、のんびりしていたら、もっと後になります。今から着手して努力して、230年後くらいです。現時点で78億人も生きているのですから、そのぐらいの年数はかかります。
 でもまずは、これに気づいた人から着手してください。一本釣りです。一人ひとりが大事です。一人ひとりがそのようになっていくことです。
 自分の特性やペースに合わせて自分を育てていって、育ってきた自分を活かして周りの助けになっていってください。
 「真・善・美」の正三角形の光輝くイメージを見据えながら、そのヴィジョンに自分を捧げましょう。その理想に自分を置いて、そこに目標を設定しましょう。そして、その方向で取り組んでいきましょう。頂点が人間完成、ONEです。
 すぐにうまくいかなくても、疑わず、諦めないこと。ちょっとでもうまくいったら、自分で素直に喜び、評価すること。そしてそのちょっとを励みに、次につなげていくことです。
 こうして少しずつ、左の角と右の角から始まって、それぞれの線を上昇しつつ、左と右が次第に近づいてきます。そして遂には、頂点で左右が一つになって完成します。
 
 そうすると美しく輝きます。それが完成です。そこには調和があります。あらゆる美徳が備わります。それがONEの神の特徴です。自分がONEになり、神人合一したあり方です。イエスはそうなって、キリストと呼ばれました。
 現状を踏まえ、現状の中で、取り組んでいってください。周りを思いやり、周りに優しく親切であってください。
 労りの気持ちを持ち、人をそれぞれ尊び優しく応じながら、互いに個性を愛し合い、尊び合ってください。愛には自由があることを知って、自分ができることを精一杯果たしていきましょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16900

 
質問:神秘主義とは何でしょうか。ONEの観点からお教えください。
 
ソース: 一般向きの宗教に対し、奥深い内容を扱うのが、神秘主義です。
 一般向きの宗教が「顕教」、神秘主義が「密教」と言われます。英語では、顕教をエキソテリック(exoteric)、密教をエソテリック(esoteric)と言います。公教と秘教。顕教はアマチュア向きの宗教、密教はプロの宗教です。
 神社でも寺院でも、その他の宗教でも、
表玄関的な、誰でも参拝する本殿や拝殿ばかりでなく、その奧に奥の院、奥宮があります。それはいろいろに呼ばれますが、神さまそのものが鎮座されておられたり、一部の許された者だけがそこで修行したり、お祈りを捧げたり、儀礼を執り行わせていただく所です。これは顕教と密教をわかりやすく配置した構造です。
 神秘主義である密教は、宗教の本質であり、宗教の生命です。奥義を学び、奥義に
触れ、秘儀に参入することが神秘主義では
行われています。大ピラミッドは、死と第二の誕生の秘儀を授ける神殿でした。
 
 一般向きの宗教は、世間的・社会的で、公開されています。誰でも触れることができ、説明を聞いたり見たりすることができます。一方、密教である神秘主義のほうは、ごく一部の者にだけ伝えられ、また体験されます。
 顕教では、教えと祈りが主になっています。一方、密教のほうは体験が重視され、瞑想や、特別な儀礼、奥深い教え、秘儀などが、主となっています。師匠からの直伝としての、秘伝があります。イニシエーションとしての得度、秘儀参入、伝授があります。
 一般向きの世間的・社会的な顕教には飽き足らない人たちが、さらに踏み込んで秘儀に参入し、宗教の生命、神そのものに触れるところにまで分け入ります。
 神秘主義という用語は、特殊で不可思議なイメージがつきまといがちです。そういう面も、神秘主義にないことはありませんが、それは結果として付いてくるだけであり、それが目的ではないし、それが中心に位置しているのでもありません。まして、奇妙で道から外れたことや、マジック的なこと、人の目を引くパフォーマンス的なことが神秘主義、ということではありません。
 一般世間では、「オカルト」という用語が使われます。それは主に、一般の宗教以外の特殊な精神世界やスピリチュアルに対する蔑称、すなわち軽蔑した言い方として、一般の人たちから使われているものです。
 そのように言われなければならないものが、精神世界やスピリチュアルの人たち、また一部の宗教の人たちにあることは確かです。ただそればかりでなく、一般の人たちが無理解で本当のところまでは窺(うかが)い知れないため、本当に重要で大事なことまで一緒くたにして、「オカルト」のひと言で片づけていることもあります。
 こういったことは、現代の日本に限ったことではありません。古今東西を問わず、いつでもどこでも、一般の人たちに見受けられることです。
 イエス様は、多くの人たちや求めてくる人たちに一般的な教えを説き、病を治してあげたりもしました。しかし、一部の弟子たちには密かに、奥義をそのまま伝えておられました。
 
 このことは福音書自体にも、イエス様がそのようにされていたことが、簡潔に記されています。しかしその内容そのものまでは、福音書には記されていません。福音書は一般向きの公開性の「主の言行録」だからです。
 そのため、秘儀を扱っていたイエス様に深く関係しているエッセネ派のことも、福音書にはひと言も記されなかったのです。奥深い真理と方法を隠し守るために、です。
 「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」に出てくる「主の祈り」にしても、その奥義的な解釈や、祈り方があります。7つのチャクラに対応させた、祈りです。しかしそれは、一般には伝えられませんでした。
 顕教の特徴は、外的・表面的・社会的・一般的であることです。一方、神秘主義の特徴は、内的・霊的・神的であることです。「シンテキ」というのは、神(かみ)的(てき)という意味です。
 神秘主義は、奥深い宗教の核をなす最重要な部分を扱い、それを会得するための修行です。神秘主義は、奇妙で特殊で不可思議なものという意味ではありません。
 生かされていることがいちばんの神秘です。特別意識を持ちすぎないこと。健全さ、道徳、良識に立脚して、神秘体験を大切に生きることが神秘主義の鉄則です。
 神秘主義や密教は、ほとんどあらゆる宗教にあります。
 仏教の場合は、主に真言宗が奥深い部分を扱っているため、日本の仏教では「密教」というと「真言宗だ」というように解釈されています。
 しかし実は、仏教の真言宗以外にも、それぞれ密教、すなわち神秘的な部分があるのです。
 日本では天台宗を「雑(ぞう)密」、真言宗を「純密」などと言います。真言宗が純粋な密教であるのに対して、天台宗のほうの密教は雑々として表面的で、本当のところまでは扱っていないという意味です。また、天台宗を「台密」とも言います。天台宗の密教のことです。
 キリスト教にも神秘主義はあります。それを「キリスト教神秘主義」と言います。
 イスラム教にもスーフィーがあります。ユダヤ教にはカバラがあります。
 仏教ではブッダ自身は、「握りこぶしがない」という表現で、「ブッダ自身は全ての重要な教えを公開して、隠し持つものは一切ない」と伝えられています。「握りこぶしの中に秘めたものはない」という意味です。
 このブッダの精神をそのまま継承したのが、日本の親鸞です。
 
 親鸞は、晩年に京の都に帰って住んでいましたが、関東からはるばる何人かの弟子たちが訪ねてきて、「何か自分たちが聞かされていなかった秘伝があったら教えてください」と、わざわざ遠くから何日もかけて歩いて、命がけで京の都の親鸞を訪ねてきた時がありました。
 それに対し親鸞は、「自分にはそのように隠し持つ秘伝や、特殊な教えや方法は一切ない。全部明かしてきた」と、ずばり答えました。これはブッダと同じ姿勢です。『歎異抄』にも同様のことが記されています。
 ただここで気づかねばならぬことは、ブッダや親鸞に、「奥深い教えがなかった」ということではなく、むしろ「奥深い教えまでも、求めてこられる人たちに惜しげもなく伝えた」ということです。
 一方、秘伝的な密教の世界において、如何にもすごいようにもったいぶってなかなか教えず、また、今で言えば一つの秘伝の伝授に50万円も100万円も付けて、弟子たちに教えるような、それが密教の世界では多く行われています。
 しかし、中身を見ると大したものでなかったり、まがいものであったり、が多いものです。表面を如何にもすごいように身構えているからといって、中身まですごいとは限らないのです。
 一方、ブッダや親鸞のように、「惜しげもなく全部を伝えた」。だからといって、「顕教しかなかった」ということではなく、むしろ自信があり、慈悲もあったので、「求めてくる方で、それが役立つ方には、惜しみなく伝えた」ということです。
 本物の師匠ほど、そのような特徴が見られます。
 イエス様の場合も、手の込んだ隠し技のような姑息な手段は一切用いず、求めてこられる方に対して、必要で役立つことはしてくださりました。初めての方に対しても病を治してあげたり、お金をたくさん取るとかはせず、惜しみなく教えたりしてくださったりしました。
 密教や神秘主義というと、秘伝の世界であるため、何か閉鎖的で暗く、重く、いくつもの段階を設け、複雑怪奇にしている、ちょっと怖くておかしげなイメージが付きまといます。それが密教や神秘主義などの秘伝の世界だ、と思われがちです。
 しかし本当でないもので、自信がない人ほど、そういう手の込んだ複雑なシステムを設け、なかなか教えず、また、内容自体も大したことがなかったり、時には害があったり、反社会的だったりします。
 
 しかし、そういうものに惹かれる人も、昔から多いのです。類は友を呼ぶのです。
 そこで、ブッダや親鸞のようなシンプルで出し惜しみせず、本当に相手の人を思って伝えるということが、貴重になってきます。イエス様も基本的にそのような姿勢であられました。
 ただ一方、こういうこともあるのです。それは、求めてこられたからといって、そのまま教えたり与えたりしてあげるのがいいとばかりは限らない、ということです。
 それは、神さまご自身のなさり方を見れば、わかります。現実の動きや状況のことです。
 神さまは軽いお方ではないのです。神さまは、無条件の愛のお方ではありますが、人にコントロールされるような、軽いお方ではありません。「教えてください」と頼んだからといって、そのまま教えるとは限りません。相手の身にならない場合も多いからです。
 それで、神さまのなさり方、すなわち、現実の動きは、人間が知りたくてもすぐに全部を知らせないのです。本人が必要で、受け入れ態勢ができた時点で明かされ、与えられます。これが法則であり、神さまのなさり方です。
 喩えて言えば、生まれてすぐの幼児に蜂蜜をあげたら害になります。どんなに体に良い物でも、まだ小さいうちは消化能力がないので、良いからといって与えていいとは限りません。また、相手の人が欲してきているから、それを与えることがいいとも限りません。保守的・伝統的秘伝だから授かるものがいいとも限りません。
 神さまはそのことをよくご存じです。人間がどんなに求めても、そのまま与えません。人間がどんなに知りたくても、すぐには教えません。
 それは出し惜しみということではなく、人間を見ておられるのです。人生自体がそのように動いています。
 純粋に求める気持ちも必要ですが、それだけで教えていただけるとか、与えられるとは限りません。必要で、それが役に立ち、扱えるところまで来た時点で、教えられたり与えられます。
 神さまはそのようになさって、現実は動いています。本物の師匠も、その神さまのなさり方と同じようにされているのです。
 
 優しくて親切で、求めてくる人たちの言いなりになる師匠が、良いとは限りません。
 もし学ぶ人たちが、知りたい、そして与えてほしい。それに無条件に応えるとしたら、一時的に本人は喜び、満足し、師匠に感謝するでしょうが、秘伝を大切にせず、使いこなせず、秘伝で躓(つまず)き、滅びます。
 秘伝の本当の価値や良さがわからず、大切にせず、扱いきれず、それで慢心に陥ったり、滅びたりもします。
 神さまや本物の師匠は、こういうことをよくご存じです。こういう者でなければ、秘伝を弟子たちに伝える資格はありません。そもそもそういう人でないと、本当の秘伝は知らされず、与えられません。秘伝の世界には、このようなことがあるのです。
 ARIにおいても、ヨハネは性格的には優しく親切で、相手に合わせる譲歩的な謙虚なタイプです。だからといって、求められるままに全部を明かしたり、与えたりしたら、それは一時的には喜ばれ、感謝されるけれども、本人の身にならず、慢心し、秘伝を損なったり、自らを損なったりしかねません。
 それで、秘伝を学ぶ世界においては、教える側も学ぶ側も、こういう厳しいルールや鉄則を、よく弁(わきま)えて厳かな気持ちで、聞いたり、受け取ったり、求めたりするべきです。それが、神秘主義の世界の掟です。
 それにより、師匠から与えられるし、それを弟子は使いこなせます。価値もわかります。それで成長し、周りのためにもなっていけます。
 知識や技術だけ増えていっても、頭でっかちで慢心だけが生じ、世間的には好まれない、特殊な人間が出来てしまうだけです。
 そういう秘伝の集団は、世間から浮いていて、世間の人をどこかで軽蔑し、自分たちは慢心に陥っています。そういうものは本当ではありません。
 成長し、奥深い秘伝を授かるほど、謙虚で素直になり、最後は幼子のようになって、天国に迎え入れられるのです。
 特殊で傲慢な人が作り上げられたり、社会的に通用しない人が作り上げられたりしたら危険であり、本当の神秘主義ではありません。
 幼子のようになって、他(ひ)人(と)様を心から敬い、どういう人のこともわかって、分け隔てなく良くしてあげる。人と共存し、和むことができる。人のために一生懸命尽くしてあげられる。どういう人からも喜ばれ、信頼される。そうなるための秘伝です。
 「幼子のようになることで、天国に行ける」と、そのように言われた主は本物です。それが神秘主義の本流です。
 こういうことをARIでは、世間に知らしめていくお手本になるべきです。そうすれば世間でも、オカルトとか、特殊な観念的な神秘主義だとか、スピリチュアルとかは見られず、世間の人も、「そういうことなら結構であり、素晴らしいし、ためになりますね」と納得し、見直すことでしょう。そのような神秘主義のお手本となっていってください。
 世間一般の人からも、本当の意味で「良い人」「立派な人」と見られる人になってください。それぞれの分野で喜ばれ、求められ、助けになる人になるのです。そのための秘伝です。
 キリスト教神秘主義では、神さまと一つになることが可能であり、神さまと一つになることを目指すのが、キリスト教の神秘主義です。
 一般のキリスト教では、そういうことは認めず、また取り組みません。
 それに対し、キリスト教の神秘主義では、「神さまと一つになれるし、またなることを目指しなさい」と勧めます。それだけ内的であり、奥深いのです。
 
 「ヨハネによる福音書」には、『神さまの中に自分が、そして自分の中に神が』。このように神と自分が相互に包摂し合う、奥深い、親密な関係が説かれています。イエス様がそれを実現されたわけですが、学ぶ側もそれを目指すこと。それがキリスト教の神秘主義です。
 仏教の密教である真言宗でも、「即身成仏」といって、神人合一が即座になされることを説き勧めます。空海自身が即身成仏したからですが、それを一人ひとりが目指します。
 謙虚で素直にそれを目指すのです。そしてどういう人のことも尊び、大切にし、思いやり、分け隔てなく良くしてあげることです。
 どうしても段階を上がっていくような秘伝の世界を目指すと、自分が偉くなったと思い、一般の人たちをどこかで軽蔑したり、軽く扱ったりしたり、社会から浮いたりしがちです。それこそ、魔の世界です。神秘主義にはそのような危険も孕(はら)んでいます。
 世間のいろいろな欲望とか誘惑などにも、かえって堕ちやすくなったりします。それで一般の人は怖かったり、自信がなかったりで、無難な、一般向きの顕教に留まるのです。顕教にはそのような危険性がないからです。しかしその分、浅い教えと低い境地で留まります。
 以上のことをよくよく心がけ、良い動機を持ち続け、原点を見失うことなく、道から外れないよう、これからも歩み続けてください。そうすれば、得られるものが大きいことでしょう。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16867

 
質問:今年は聖徳太子1400年遠(おん)忌(き)で、奈良と東京において特別展が開催されました。法隆寺でも大法要が営まれました。メッセージを賜りたく、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 
ソース:一人の人間として人生を長く生きていると、毎年、それなりのことがあるものです。
 それは一個人においてばかりでなく、グループや国、広くは人類と地球においても
同様に見られます。
 その際、毎年起きてくることは偶然でも非合理でもなく、法則に従って厳然と起きてきます。
 「外界は内界の表れである」「その時点の当人の内実を表す、現実の動きや状況や体験となる」――これが法則です。
 個人や家族においてばかりでなく、グループ、さらには国や人類規模のことまで全て、この法則に基づいて事は起きてきます。
 その時点のその人たちの内面性を全く表
すような現実と、雰囲気と、動きと、体験になっているのです。
 そこで、外ばかり見ずに落ち着いて自分の内面を見つめること。そうすると、確かに自分の中にあるものが、それ相応の形をとって周りに表れ出て、それ相応の現実の雰囲気や動きや状況や体験になることが見えてきます。
 これが内観であり、瞑想です。常に学びは、本人の中にあります。カルマも、自分が作ってきて、自分の内面にあるものです。
 このように、「外界は内界の表れである」ということで、その時点の当人の内実を表すような現実になる。これをはっきりと打ち出したのが仏教の「唯識思想」です。「全てが心の表れである」「ただ識のみ」ということです。
 現代人は内省が足りないので、この法則がわかりません。それで余計に不安を抱いたり、あるいは不満を抱いたりして、あたふたします。ストレスも多くなります。
 社会のせいにしたり、人のせいにしたり、不運を嘆いたり、将来を余計に心配したり、現実に起きることを受け止められなかったりします。そこで、このようなONEの学びが必要になってきます。
 現代におけるアプローチはほとんど全て、外に物的に向かうものです。こういう内面に対する気づきや内面を整えること、内側で学ぶことなどが、全く欠如しています。それを補い、バランスを図ることが、現代ほど必要な時代はありません。それがONEの学びです。
 この法則の観点で見てみると、今年、2021年は、昨年に続きコロナが蔓(まん)延して、人々が苦しみ、困っている年です。
 
 また、2021年は、そのようなコロナ禍の中にあって、日本の東京で、オリンピックとパラリンピックが開催された年です。
 また、その同時期に同じ東京で、7月13日から9月5日にかけて、聖徳太子展が開催された年でもあります。
 2021年に起きつつある出来事は、ほかにもいろいろあることでしょう。アメリカ同時多発テロから20年が経ち、アメリカ合衆国はアフガニスタンから引き揚げて、一区切りとさせたことも、2021年の出来事の一つです。
 日本のコロナの大変な中で、ほぼ1年間、菅首相の時代がありました。それが、オリンピックとパラリンピックが終わって、急遽、菅首相は続ける意志をなくし、総裁選が行われる運びとなりました。
 ほかにもいろいろ、2021年に起きつつあることは、日本においても世界においてもあるわけですが、今はARIとの関連で、先ほど述べられたことに絞って、このリーディングでは見ていくことになります。
 
 2021年は、昨年に続きコロナが蔓延して、大変な厳しい時代状況になっています。
 そのような中、1年遅れで、菅政権はあえて、東京でのオリンピックとパラリンピックを開催しました。
 賛否両論がありましたが、「行う意義は十分あった」と言えます。最初から「無観客での開催」ということが良かったのです。最終的にそのようになりました。
 どんな形でも必要最小限、今年の夏に、東京でのオリンピックとパラリンピックを開催する必要がありました。「菅政権はそのためにあった」と言っても、過言ではありません。
 その表れとして、オリンピックとパラリンピックが無事終えられた途端、菅首相は続ける意志が低下していき、首相を続ける気がなくなりました。誰にでも、天から与えられた役割があるのです。
 菅首相は、コロナの大変な事態の中で、1年間首相を務めるような役割だったのです。そして、何としてもそういう中にあって、オリンピックを開催する役目も与えられていました。それが無事終えられたので、首相が交代するような動きとなってきているのです。
 現実の動きや状況は、直接には人間たちがその思いと行いによって、カルマ的に招いているものですが、現実の動きや状況のいちばんの元は、神にあります。
 
 人間が作り出しつつある現実に、神が関与し、計らってくださっている。そういうことで、現実の動きや状況のいちばんの元は、神にあります。「出来事メッセージ」、あるいは「出来事言語」です。
 現実のいちばんの元は、根源の神さまにあるからこそ、根源の神さまに全てお任せし、根源の神さまとの関わりで現実に取り組むと、本当の意味で上手くいくのです。どんな現実的な些細なことでも、そのいちばんの元は神にあるのです。
 そうであるからこそ、より良い人生を生きるため、そしてより良い世の中の動きにするため、現実のあらゆることの元にあって、全てを司っておられる根源の神さまに任せきり、後は安心し、落ち着いて、置かれた所で各自、人を思いやり、より適切に現実に応じていけば良いのです。
 そうすれば、カルマが着々と果たされていき、役目も遂げられていきます。こうして現実は動き、前に進んでいけるようになっています。
 「外界は内界の表れ」ということで、今の時期、日本を含め世界的にコロナが蔓(まん)延して、コロナで苦しめられているということももちろん、この法則に基づいての動きです。
 ないものは表れてきません。その時点のその人の内面性を全く表すような現実となるのです。人類と、人類が影響を及ぼしている自然環境、その内面にコロナをもたらすようなものがある、ということなのです。
 しかも根は深いのです。単なる物的現象ではありません。コロナはもっと奥深い所にも起因しています。
 
 そのため、物的にだけ対応しても、なかなか収束しないのです。物的にも対応する必要はありますが、もともとコロナの原因や理由は、もっと深い所にあるので、物的にだけ機械的・形式的に対応しても、なかなか収束を見ないのです。内側で教訓を学び、根本から改善させることが求められています。
 こういうコロナの大変な事態の中で、よりによって日本の東京で、オリンピックとパラリンピックが開催されることになった。
 これも、単なる偶然でも不運でもなく、深い理由と意味と意図があるのです。こういう大変な事態の中でこそ、日本でオリンピックとパラリンピックが今の時期、開催される必要性があったのです。
 日本の中でも東京が、最もコロナが深刻な地域でした。まさしくその深刻な東京で、オリンピックとパラリンピックが開催されたのです。
 しかも、ほとんどの人は気づいていませんでしたが、まさしく東京でオリンピックとパラリンピックが開催されていた期間、同じ東京で聖徳太子展が開催されていたという事実です。これももちろん、偶然の一致ではありません。
 東京国立博物館での聖徳太子展は、7月13日から9月5日まででした。東京でのオリンピックとパラリンピックの開催時期と、完全に重なり合います。
 東京オリンピックの理念は、「多様性と調和」でした。これはまさしくONEの理念であり、聖徳太子の理想そのものでした。この一致ももちろん、偶然ではありません。
 コロナ禍の中、東京でオリンピックとパラリンピックが開催された。その同じ期間、同じ東京で、聖徳太子展も開催されていた。コロナ禍にあっても、聖徳太子の精神が支え、オリンピックとパラリンピックの趣旨に、聖徳太子の理想である「多様性と調和」が掲げられていた。しかもこれは、ONEの趣旨でもあった。
 
 オリンピックを開催した関係者は、聖徳太子のことは全く意識していなかったはずです。でも、ちゃんと一致しているのです。期間も、東京でのオリンピックとパラリンピックを意識して、同じ時期に東京で聖徳太子展を開催した、ということはなかったはずです。でも、神のご意志にそれがあるので、結局一致するのです。
 2021年は、聖徳太子遠(おん)忌(き)1400年の年回りです。法然や親鸞の遠忌は50年置きに開催されてきています。数年前には、法然上人800年遠忌、親鸞聖人700年遠忌が開催されました。
 一方、聖徳太子の遠忌は、100年に一度、開催されてきています。つまり、100年ぶりの開催だったのです。しかも、1400年という、7の倍数の、とても重要な年回りが今年です。
 ちなみに、100年前の聖徳太子1300年遠忌は、大盛況で、多くの人たちが注目する中、盛大に開催されました。その100年後の今年は、1400年という、とても縁起の良い数でありながら、コロナ禍もあって、それほど注目はされませんでした。
 コロナの影響だけではなさそうです。人々が心や魂や霊から遠のきつつある現状も、反映しています。
 ARIは聖徳太子と直結している所です。ARIは、この世的には小さくささやかな所ですが、霊的にはとても重要で、根幹とつながり、しかも聖徳太子と直結している所です。ヨハネも、東京在住です。
 
 コロナ禍の中、7月から9月上旬にかけて、東京でオリンピックとパラリンピックが開催され、それを支えるかのように、同じ東京で聖徳太子展が開催されていた。今年の東京の夏は、重要だったはずです。
 では、東京に住んでいたヨハネは、この夏、どのようなことがあったのでしょうか。
 40年近く取り組んできている「プロジェクトA1」が、完成しました。まさしくこの夏に。東京の地で。
 これももちろん偶然ではなく、オリンピックとパラリンピックが東京で開催され、同じ東京で聖徳太子展も開催されていた。ヨハネもその聖徳太子展に拝観に行った。オリンピックとパラリンピックも、テレビ観戦した。そのような過ごし方の中で、40年来の「プロジェクトA1」が完成を見た。
 「一見無関係のようなことが、深くつながって連動している」ということに、気づいてください。その意味で、今年の夏の東京は、決定的に重要なイニシエーションを通過しました。
 それをこなして、今日、9月15日に、「聖徳太子1400年遠忌」に関するリーディングが、こうして行われる運びとなったのです。
 そしてこのリーディングが、「月刊インターフェイス(interfaith)」の12月号に掲載されます。聖徳太子1400年遠忌の年を締めくくる、12月です。12月号が発行され、伊勢クリスマス会が予定されています。
 
 日本の中での霊的に重要なスポットは、伊勢神宮です。伊勢神宮は皇室ゆかりの神宮です。聖徳太子も聖武天皇も、ご縁のあった伊勢神宮です。
 聖徳太子1400年遠忌の年の締めくくりとして、伊勢にてクリスマス会が開催されることになるのです。これも自(おの)ずと、天のご意志で、このような運びとなるのです。
 聖徳太子や聖武天皇の前世に、イスラエルのソロモン王があります。ソロモン王はブッダに生まれ変わり、日本の聖徳太子、そして聖武天皇として現れました。
 ソロモン王は、エルサレムの神殿を造ったことで知られています。エルサレムの神殿と日本の伊勢神宮は、相通ずるものがあるのです。
 ソロモン王であり聖徳太子である者が、聖徳太子1400年遠(おん)忌(き)の年の締めくくりのクリスマス会を、伊勢神宮で迎えることになります。
 こうして夏の大きなイニシエーション、すなわちメジャー・イニシエーションを経て、この意義深い2021年の締めくくりは伊勢神宮にて迎えることになります。
 コロナという大変な最(さ)中(なか)、光と闇がコントラストをなし、さながら黙示録のようなドラマの展開の中で、オリンピックとパラリンピック、それから聖徳太子展が同時開催されて通過し、その年の締めくくりは、日本の霊的に最高のパワースポットである、伊勢神宮で開催されます。
 その12月号にこのリーディングが掲載される運びとなります。
 現実の動きや状況のいちばんの元は、神にあります。霊的なことにおいては、なおさらです。
 
 そしてこのことを、伊勢クリスマス会の直前に、主立った方々は知る必要があります。それで12月1日頃に、このリーディングがお手元に届き、主立った方たちは、このリーディングを目にすることになります。それで心構えができて、12月の伊勢クリスマス会に参加できることになっています。神さまは、このようなことをなさるお方なのです。
 現実に起きること自体、出来事メッセージです。霊的なことにおいては、なおさらです。
 こういう考え方や捉え方は、すでに旧約聖書の時代からありました。日本にも、古代からあったことでしょう。
 こういうことがわかると、神を畏れ敬い、神さまにまず全てを任せきった上で、現実に向き合って、現実に誠実に応ずるような態勢ができてくるのです。
 こういう霊的認識と姿勢が現代人には、足りなすぎるのです。神さまとずれているし、神さまと分離しているのです。人間中心、人間主体で、神さまとのつながりが薄いです。その表れとして、コロナが蔓(まん)延しています。
 「神さまと再接続させていただくこと」 「神さまに畏敬の念を抱き、神中心に生かさせていただくこと」
 「自然の摂理に従い、慎ましく生きること」
 これによって清められ、生命力が回復してきます。こうなって初めて、物的・科学的な対応も、功を奏します。今は物的科学が前面に出ている時代状況であり、消費過多です。
 
 夏のオリンピック・パラリンピックでピークを迎えたコロナも、峠を越え、少しずつ収束の兆しが見えつつある現状です。そのような中で、このリーディングが行われました。
 日本の精神の元に、聖徳太子がおられます。聖徳太子が全てではないにしても、古神道と合わせて、日本において聖徳太子の精神と理想は、殊の外重要です。日本の仏教の基(もとい)ともなっているのが、聖徳太子です。
 1400年遠忌ということで、春には奈良博物館で、夏には東京博物館で、聖徳太子展が開催されました。
 イベントというのは、儀式であり、イニシエーションなのです。いろいろな重要な品々が東京に運ばれ、公開された。これは「封印が解かれた」ということ。聖徳太子のパワーが全開し、オリンピックとパラリンピックの元にあって支え、無事大変な中で開催された。
 安穏とした中での「平和と調和」というよりも、光と闇のコントラストの中で、ひときわ光り輝き、切実に求められます。
 イエス・キリストも、ローマ帝国の大変な時代状況にこそ求められ、現れたのです。大変な中で神さまは、貴重なものを与えてくださります。
 「健康な人には医者はいらない。医者と薬がいるのは、病人である」「神さまは、大変な人から優先的に対応して、救いとってくださる」。これは、キリストが言われたことです。阿弥陀如来にも、このような精神があられます。
 
 コロナの大変な時代であるからこそ、オリンピックとパラリンピックが開催される必要があったのであり、それが無事なされるよう、同じ東京で、聖徳太子展が同時開催される必要があったのです。
 こういう大変な時代状況の中で、聖徳太子1400年遠忌の年を迎えました。日本はターニング・ポイントに差しかかっていることを表しています。
 「今年の夏を機に、日本の多様性と調和を願い求める魂が、目覚めますように。それによって、真にコロナを克服解消できますように」。これが神のご意志です。
 そのことを、このリーディングでは聞く耳のあるあなた方に向け、こうして伝えられました。そのようになりますように。

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16836

 
質問:祭りや儀礼について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース:宗教的・霊的アプローチは、大別して2つあります。1つは祭り、もう1つは、教えを学ぶことです。
 日々の個人個人の取り組みとしても、祈りと教え、この2つが柱となっています。ONEの教えにおいても、そうなっています。それは、この2つが重要で、不可欠だからです。
 古代エジプトにおいても、例えば、アラアラート王の治世下において、ラーは神官、ヘルメスは教師を務めていました。
 イスラエルにおいては、旧約聖書の時代、祭りや儀礼を執り行う祭司とともに、神のみ言葉を預かり、人々に伝え、教育指導を行う預言者、この両方がありました。
 古代インドにおいては、バラモン教は祭りが中心でした。祭りは大切なのですが、形式的になり、生きて機能しなくなることが出てきます。
 人は、祭りによって神さまと関わらせていただき、神さまにお浄めいただいたり、神さまにお近づきになり、お力を頂いたりすることが必要です。
 その意味で祭りは大事なのですが、人間は頭があるので、「わかりたい」「本当のことを知って、気持ちが納得したり吹っ切れたい」「真理を学んで向上し、生きる指針にしたい」、このような面もあります。
 そこで、宗教教育や霊的教育、あるいは神秘教育が必要になってきます。魂の教育です。
 それで、古代インドにおいては、祭り中心のバラモン教社会に、ブッダが登場しました。教主釈尊です。
 
 仏教は当初は、人間教育として始まりました。仏教は教えと修行が柱になっているのが特徴です。後に仏教においても、必要があって、儀礼や祭りも含めて行われるようになりましたが、仏教の特徴と役割は、「教え」にあります。「真理は人を自由にする」。これが仏教の特徴と使命となっています。
 日本においては、伝統的な民族宗教として神道があります。神道は祭りが主になっています。
 しかし、ちょうど時期が来た時に、人間の啓蒙のため、神さまが外来の宗教である仏教を日本にも伝えてくださりました。
 それによって日本人は、仏教を通して啓蒙され、意識が開かれ、目覚めてくるようになりました。仏教は、人間教育、魂の育成と向上に特徴と役割があるのです。修行です。
 このように宗教や霊的なことは本来、「教え」と「祈り」ということで、この2つが柱になっているのですが、それぞれの宗教や霊的な営みの特徴と役割が、それぞれあります。
 神道は祭りや儀礼に特徴があります。
 一方仏教は、人間教育に特徴と役割があるのです。
 仏教では教えを与え、各自が教えを学んで、本当のことを理解して納得し、気持ちが吹っ切れ、現状の意味を悟って、現状の中で現状を大切に、肯定的な気持ちや感謝の心でやっていけるように、導きます。
 その上で、それぞれの宗教の中で、もう一方の側も必要最小限取り込むことになりました。神道の中でもお祭りの後、宮司さんから、ちょっとしたお話が与えられたりします。
 仏教のほうでは、教えを与えることとともに、儀礼やお祭りも、必要に迫られて行うようになっていきました。
 日本の場合、家社会でありました。それは農耕社会であることと関連しています。土地に根差し、土地を大切にしてこそ生きていけました。
 そのため、家系や家ということが重んじられました。シャーマニズムの国です。祖霊崇拝です。そのため、仏教にも先祖供養が必要に応じて入ってきたのです。
 
 本当のことを、教えを学んで知って、納得し、気持ちが吹っ切れたり晴れ晴れして、心置きなく現状の中で適切に行って生きていきたい。そのような人は、教えを主とした仏教に惹かれます。
 一方、あまり理論的なことや真理を学ぶことには関心がなく、感覚的で、神さまや自然の命に心が向かう人は、神道が合っています。それで神道に熱心になります。
 もちろん霊的な系統ということがあるのですが、本人のタイプや、求めているものにもよる、ということです。
 キリスト教も、もともとは教えが主となった宗教でした。モーセ以来の律法を主とする、ファリサイ派やサドカイ派の宗教がありました。それが形式的で形骸化し、煩(はん)瑣(さ)になり、人々を縛っていました。そこにキリストが現れて、本当のことをシンプルに真っすぐに説き伝え、人々を呪縛から解放してあげました。
 このような経緯からして、キリスト教も当初は、教えを学ぶことが主でした。キリストは教えを説くことが主だったのです。病を治してあげたり、奇跡も行いましたが、基本的に教えを学ぶための、霊的な教師として登場しました。
 それでも必要なこととして、お浄めの洗礼を施したり、お祈りを捧げたりすることも、行われていました。それが次第に一つの宗教として組織化され、それを守って維持するような方向に向かうに連れ、特にカトリックでは、宗教儀礼が事細かく行われ、追求されるようになりました。
 それは、日本の浄土真宗においても同様です。親鸞は教えを説くことが主であり、あとは素朴にお祈りを捧げたり、お念仏をする程度でした。
 しかし次第に組織が巨大化し、それを維持するため、宗教儀礼が次第に事細かく定められ、行われるようになっていきました。
 
 キリスト教では、どちらかというとカトリックは宗教儀礼が主となっていて、プロテスタントのほうは聖書主義であり、教えを学ぶことが主になっています。
 どちらかというと、知性派の人は教えを学ぶことに惹かれます。
 明治時代以来の内村鑑三の無教会主義や、それとの関連で岩波書店が取り組んできたのは、典型的なその教え主体の、聖書主義でした。文書伝道です。
 一方、あまり教えを学んだり、理解納得したりということに関心がなく、生きるのに大変で余裕のない人や、感覚的感性的だったり、依存的だったり、神さまに関心があったり、どちらかというと人間教育よりも神さまに惹かれ、神さまのお陰を頂きたい人は、儀礼や祭りに関心があります。神道は、そのような宗教だと言えます。
 神さまやご先祖さんをご供養申し上げること。日本人の多くは、そのことに関心があります。それで神道か、あるいは仏教の中での先祖供養かに意識が向きます。
 一方で、学術的・学問的なことに関心がある人は、仏教学という学問と教えの体系や、真理の追究と解明に向かってきています。
 ARIはどちらかというと、教え主体の所です。それでも祈りや儀礼も、必要最小限行われています。
 ARIの行事としては、クリスマス会や復活祭、あるいは巡礼などは、祭りや儀礼のほうです。代行ご祈願や洗礼もそうです。
 教えを学ぶことは人間のほうに主軸が据えられています。祭りや儀礼は神と人との交流の機会です。神さまへのおとりなしです。
 神と人との関わり、それが祭りや儀礼の機会です。一方、各自が人間として本当のことを学んで、理解を深め、気持ちを吹っ切り、良い心がけを作ったり、意識を向上させることを心がける。教えを指針にして、より良く生きる。そのような努力向上の人間教育としての側面が、教えです。
 
 ONEの教えにおいて、教えを学ぶこととともに、祈りや礼拝や瞑想が大切にされているのは、儀礼や祭りも必要であることを示しています。
 神さまとの関わりで生かされて生きていく。「神さまとの関わり」というところで、必要なことやきちんと行わねばならないことがある。それが祭りや儀礼によって行われます。
 「祭り」は、「神と人との間(ま)を釣り合わせる」ということです。神さまに自分を合わせ、より良い関係にしていただく。
 神さまと人との間合いをうまく取り持ち、再調整を図るので、「祭り(ま・つり)」と言います。また、人と自然との間を釣り合わせることも「祭り」です。人間同士、人と人との間を釣り合わせる人間関係の調整と緩和と癒し、それも「祭り」です。自分と自分との関係の間を釣り合わせる再調整、それも「祭り」と言えます。
 自分をどう捉え、自分をどう扱い、自分とどう付き合っていくと良いのか。自分と自分との関わりの再調整、これも「祭り」です。
 人間にはそれぞれ癖があり、偏りやすいです。やり過ぎたり、やらな過ぎたり。ブッダが「中道」を説き勧めたことも、このことと関連しています。
 「八正道」の「正(しよう)」、すなわち「正しい」ということは、「ぴったりで適切である」という意味です。
 現実も人も変わり、動いていきます。それゆえ、ワンパターンに陥ると、「中道」から外れてきます。現実は生き物です。人間も生き物です。それゆえ変幻自在に囚われなく、その時その時の「中」を見出し、水の流れに乗るように自在に適切に生きていくこと。これが「空(くう)を生きる」という、囚われのない自由の境地です。
 これが「超作」です。これが「八正道」という、カルマを解消する、カルマを超えた超作のあり方です。親鸞はこれを「自(じ)然(ねん)法(ほう)爾(に)」と表現しました。これは中道であり、八正道です。
 現代のわかりやすい表現を使うならば、「ありのまま」「あるがまま」。また、「なるがまま」ということになります。「自分らしさ」とも言えます。
 囚われなく、いつでもぴったりで適切で、空気や水のようで、自然に溶け込んでいる。
 少し前から日本では、「空気を読む」ということが言われるようになりました。それにも、ある程度の真理は含まれています。
 「空気を読む」と一般に言われる場合、「周りを察知してそれに合わせなさい」ということで使われます。
 それは必要なのですが、もっと本質を読むこと。そして、自分の気持ちも大切にすること。何より神さまのお気持ちを読む。神さまの空気を読む。そうすると変幻自在で、本当の自由になります。それが「空を生きる」という解脱の境地、すなわち「超作」です。
 
 ARIのONEの教えでは、これを「アドリブ」と言います。本当の意味で、理想的に空気を読むことです。「中」を知るには、知恵が必要です。神さまへのお委ねも助けになります。
 アドリブ体操は、肉体の次元における
「空を生きる」という「超作」のことです。その時の自分の肉体の気持ちを読み、その時の肉体が本当に欲することを体にさせてあげることで、回復します。これが「八正道」であり、「中道」です。自分の信念やパターンに囚われず、世間の常識や形式にも陥らないこと。
 「八正道」の元には空(くう)があるのです。真の自由が。そうすると間合いが取れてきて、正され、矯正されます。これがアドリブ体操の極意です。真の自由です。
 ブッダが説かれた「八正道」と「中道」は、このような「空を生きる」という、変幻自在の、その時のその場と自分にぴったりの「中を生きる」ということ。これがアドリブです。
 ARIにおけるいろいろな実践は全て、アドリブなのです。体操に限られません。祈りにしても、夢を活用することや瞑想にしても、日頃の行いにしても、言葉や態度、対応にしても、形式にはめ込まれない。むしろ、その時にぴったりで最も効果があり、自然の摂理にかなった思いとか行いになる。これが水や風のように流れに乗っていく道です。ARIの所作は全て、このように行われることが勧められています。
 これは一見すると、形式的な儀礼や教えに反するように見えます。しかし本質のところでは、結果として形に従い、形を活かす元になっています。愛と真実にかなっていれば、自(おの)ずと形式にも従い、形式を導き、形式を活かすからです。こうすると、個性もその場も真に活かされ、機能します。全てを活かし、浄化していくONEのあり方です。
 
 天界でのあり方は、全てこのように動いています。「八正道」や「中道」は、ワンパターンで形式的にはめ込まれてはいません。変幻自在で、いつでもその時にぴったりのあり方で動いています。囚われがなく、自由です。これが本当の愛と知恵であり、自分も人も活かされる方向です。
 ARIのONEの教えで言われる、「その時にぴったりのことを」ということは、自由であり、全てを生かす愛と真実にかなった「空を生きる」ことにほかなりません。
 本当に完成してきたらそうなってきます。あり方として。生きていて楽です。そうすると行っても新たなカルマにならず、古いカルマを解(ほど)きつつ浄化され、生命エネルギーを活かして、その中で自分も関わる人も生かされるように振り向けられていきます。絶対他力です。宇宙を支える、神のお働きの一部になります。
 神さまご自身、このような空(くう)の働きをなさっておられます。だから目立たないし、人間を始め、全ての生き物がその中で生かされているのです。
 愛には、知恵と自由がなければいけません。知恵と自由のある愛が本当に、自分をも関わる人をも生かします。神のお働きが、そのような性質です。
 祭りによって神さまの息吹が、そのような空の自由なあり方で働きかけてきて、人間の間合いが取られ、再調整が図られ、浄化され、活性化されます。
 神と人との出会いと関わりによる再調整。本来のあり方を実現させる。それが祭りです。その機会が宗教儀礼です。
 日頃からそのように生きれば、いつでも形式的な形の宗教儀礼や祭りが、真の意味で機能している生き方となります。それが超作です。
 ヨーガで言えばカルマ・ヨーガが、このような所作を日々生きることを、説き勧めています。
 
 人間はすぐにはそのようになりにくいので、神と人とのおとりなしがなされる祭りや宗教儀礼が、いろいろとその都度、補助として行われてきています。
 日々の生活と起きる出来事、人生そのもの、広くは社会の動きが、そのような通過儀礼としてのイニシエーションの動きそのものとなっています。それを象徴化し、集約して行うのが、宗教上の祭りや儀礼です。
 以上のことをよく理解し、その心得で、お祈りや礼拝をさせていただいてください。そして、ご縁のある宗教上の祭りや儀礼も、活用させていただいてください。そうすれば有効に機能し、その恩恵をいっぱい頂けることでしょう。
 神さまが働きかけやすいように、神さまにご配慮ください。自分を捧げ、素直に従う時に、「空(くう)」という真の自由が働くことでしょう。
 その中で浄化され、カルマが解消し、自分も現状も良化することでしょう。
 

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉

リーディング No.16814

 
 質問:人間関係について、ONEの観点からご教示ください。
 
ソース: 自分が一人の人間として、人生を生きていく際、「自分はどのような存在なのか」「なぜ生きていくのか」「どのように生きていくと良いのか」。そのようなことについて、知る必要があります。それでこそ周りのためになり、より良く生きていけます。
 その一方で、自分と他との関係性につい
ても、知る必要があります。
 自分について知って気をつけるばかりでなく、自分と他との関係性を知って、関係性にも留意して生きていくことが必要です。
 自分と他との関係性には、次のようなものがあります。
 ・自分と神との関係性
 ・自分と霊との関係性
 ・自分と他の人との関係性
 ・自分と自分自身との関係性
・自分と自然や物との関係性
 「自分と他の人との関係性」には、集合体もあります。
 ・自分と社会との関係性
 ・自分とある団体や組織との関係性
 ・自分とあるグループとの関係性
などです。
 特に、自分が生きていく場は、「家庭」と「職場」にあります。
 ほかに、仕事以外で関わらせていただいているグループや場などを持っている人たちも多いです。ある学びや趣味やボランティア活動などです。それが永続的な場合もあれば、一時的な浅いものもあります。
 
 人によってどういう所にどの程度関わって生きていくかは、本人のご縁や人生目的、興味や価値観、などによります。
 このように「他の人との関係性」の中には、「他の人たち」という複数の特定の場があります。漠然となら世界、日本、社会。もう少し限定され、特定され、具体的な場合は、特定のグループや団体や組織、などです。
 そして特に、一人の人間として生きていく場合、家庭と職場、胎蔵界と金剛界、この場が、2つの柱です。
 そのほかに人によってそれぞれ、学びや趣味やボランティア、地域活動などの、特定の人々とのご縁や関わりがあります。
 自分自身に関することでも、自分と他との関係性に関わることでも、うまくいっていて良い面と、うまくいかず課題になっている部分とが、それぞれあるものです。
 それは偶然ではないし、相手のせいでもありません。基本的に自分自身によることです。
 その時の自分に応じた、状況や現実の動きや体験となるからです。
 その時の喜びや恵み、苦しみや問題。肯定的なことにせよ否定的なことにせよ、偶然ではなく、その時点の自分を良くも悪くも表しています。
 どういうことで喜び事があるか。
 どういうことで思いどおりにならず、つらいことがあるか。
 それは自分自身に関することなのか、それとも自分と他との関係性に関することなのか。
 全ては偶然ではなく、その時の自分を表しています。
 自分自身に関することでうまくいかず、悩みになっている人もおられます。「自分の病気」とか「自分が嫌いだ」とか、「お金が足りない」とか「仕事ができない」とか、などです。
 一方、人間が抱く悩みや問題には、自分と他との関係性に属する悩みや問題も多いのです。そのことに気づいてください。人間関係はその最たるものです。
 直接自分自身に関することを見直して、調整・改善する。それとともに、自分と他との関係性も見直して調整し、改善する。
 
 自分自身を癒すとともに、自分と他との関係性も癒す。直接自分に関するカルマを解消するばかりでなく、自分と他との関係性のカルマも解消して癒す。
 それぞれの人の傾向や特徴があります。自分に直接属することでの課題や学びが多い人と、自分と他との関係性で悩みや課題を抱えている人と、それぞれおられます。
 人生を生きていく上でも、仕事をしていく中でも、例えば仕事において、自分の適性や能力や興味、それ自体で仕事で行き詰まっている人もいれば、自分は仕事自体はできるけれども、上司や同僚や部下など、仕事での人間関係がうまくいかず、限界に直面している人もいます。
 自分が成長し、良くなっていくためには、自分そのものが改善されるとともに、他との関係性も学び、理解し、調整されたり、改善されたり、癒されていくことも必要です。
 自分自体は良くなってきているのに、人間関係でうまくいかず、限界に直面している人も多いのです。それは残念で、もったいないことです。
 人生での学びや成長において、関係性、特に人間関係は、おろそかにできない重要な側面です。
 
 勉強や仕事はできても、人間関係がうまくいかずに限界に直面する人は多いです。
 子どもの学校時代からすでに、クラスメイトとの関係、部活での人間関係、先生との関係などで、うまくいかない人がいます。また、家族とうまくいかない人もいます。
 大人になってからは、家族の人間関係とともに、仕事での人間関係、友だちや仲間との人間関係などでも、それぞれ自分の特徴が自(おの)ずと出ます。また、恋愛関係もあります。
 その時点の自分の内実を表す関係性や出来事や、状況になるものです。そこで自分を見直すこと。
 
 「自分を見直す」という場合、自分自体を見直すとともに、自分と他との関係性も見直すこと。
 ・相手をちゃんと理解して、認め、受け  入れているか。
 ・相手を評価しているか。
 ・嫌っていないかどうか。
 ・本当に愛をもって、適切に関わってい  るかどうか。
 ・相手の人をどう捉え、どう見て、何を期待し、何を疎(うと)んじているか。
 自分の人間観や価値観が問われます。
 まず、相手を理解することが必要です。また、感じられるようになることが必要です。
 ・相手がどういう人で、何を求め、何を  嫌っている人なのか。
 ・自分に対しては何を求めてこられ、何  は求めてこられていないのか。
 それを、できるだけ推し量ることが必要です。
 人は、自分のことさえ、その全部を知っているわけではありません。まして人のことは、もっとわかりません。
 それでも諦めることなく、できるだけ相手の人をわかろうとすることが、大事です。人をわかろうとすることを、諦めないことです。
 相手を理解するというばかりでなく、相手を尊び、思いやり、受け止めて感じてあげること。共感すること。
 自分と人とは異なっていることを理解し、「異なっていて良い」と見なすこと。
 個性や考え方や生き方の違いを理解して認め、愛し、尊び、受け入れること。
 まず、相手を尊び、認め、評価すること。互いに違っていても良いし、自分とはどう違い、なぜ違っているのかも理解しようとすること。極力、相手のためになろうとしてあげること。
 この人は自分に、どういうふうにしてくれるか、関わることのメリットだけを見ずに、こちらからできることを見ること。
 相手の人に自分は何をしてあげられ、どう助けになれるかを、大事にすることです。
 
 また、人間関係も学習の重要な一部です。人生を生きていく中での学びの中には、「人間関係を学び、習得する」という部分があります。それはとても重要です。
 生きていくためには、仕事のスキルを身につけ、仕事でやっていけるようになることが必要です。それとともに、人間関係も学んで理解し、人間関係も習得していくことが必要です。
 カルマや学びや課題の中には、関係性に関わることも多いのです。苦しみや悩みも、問題も。
 自分を理解する。人をも理解する。自分を受け入れてあげる。人をも受け入れてあげる。自分を育てる。人をも育ててあげる。整ってきた自分を発揮して活かす。ほかのそれぞれの人も活かされるように、計らってあげる。互いに認め合い、より良い関係性の中で共存し、互いに活かし合い助け合うように、関わっていく。生きていく上で、いろいろな関係性があります。
 自分の過去が参考になります。自分はどういう存在で、どういうことは習得し、どういうところは未(いま)だ習得していないか。
 自分の特徴が、これまでの人生の歩みに、そのまま現れています。学校のテストの採点に似ています。これまでの人生の経験は。そこに人生での、自分の学びの特徴が出ています。
 「人間関係」というところに焦点を当てて改めて見てみてください。具体的には、自分は誰との関係性でうまくいかず、相手を傷つけたり自分が傷ついたりしたのか。
 ・相手は友だちだったか。
 ・2つ年上の先輩だったか。
 ・3つ年下の後輩だったか。
 ・それとも家族だったか。
 ・家族だったら誰だったか。
 ・父親だったか、母親だったか。
 ・結婚している人なら配偶者だったか。
 ・息子や娘だったか。
 
 人によっては祖父母との関係、孫との関係などでも、いろいろとそれ相応にあります。自分の対人関係の特徴や学びを見ていくことは、大いに学びになります。人間関係の学びは重要です。その分人間関係を癒すことも、欠かせません。
 「癒す」ためには、相手を理解して受け入れ、許すことです。また、相手に対する自分の愛を大きくすることです。自分の中の本当の愛を。
 ・自分は同性との関係はどうだったか。
 ・異性との関係はどうだったか。
 ・年上の同性、同年齢の同性との関係。
 ・年下の同性との関係。
 ・年上の異性との関係。
 ・同い年の異性との関係。
 ・年下の異性との関係。
 自分の人間関係には、どういう特徴や良さや課題があるか。これまでの人生を振り返って、具体的に見ていってください。
 ・家族それぞれとの関係性。
 ・職場での人間関係。
 ・友だちや仲間との人間関係。
 自分はどういうことに惹かれ、どういうことを恐れ、どういうことを嫌うか。そこに自分の価値観やこだわりが出てます。前世からのトラウマなども。
 過去に悲しいつらい体験をすると、そのことがネックとなり、意識してしまい、似たような人との関係性がうまくいかなくなるケースが多いです。
 過去の体験という場合、今世の過去の体験に限られません。それ以前に前世での人間関係の体験があります。それは思い出せない分影響が大きく、やっかいだったりします。
 思い出せなければ影響を受けないのではなく、むしろ思い出せない分、漠然とした不安や恐れや嫌悪感があり、自力ではコントロールしにくいのです。
 今の状況での人間関係も見ていきます。自分の心の動きも見ていきます。恐れとか願いとか、悲しみとか不安とかを。現状の人間関係はどうなっているか。
 
 そして先ほども述べられたように、自分と自分自身との関係性が基本です。これは一般に、見過ごされがちです。
 ・自分は自分を好きかどうか。
 ・自分を受け入れているかどうか。
 ・自分を本当にわかっているかどうか。
 例えば、自分の中の母性との関係性が、具体的に母親との関係性となって現れています。全部、自分の中に起因しています。人のことではないのです。
 自分の中で学び取り、癒し、改善すること。自分の中のいろいろな部分との関係性が、具体的に反映したのが、それぞれの人との関係性です。
 自分はどういう人とはうまくいき、どういう相手のイメージだと、恐れたり構えたり、うまくいかなくなりやすいのか。そこに、過去の体験が見え隠れしています。さらにその元に、前世での人間関係のカルマがあったりします。
 そこで、神との関わりで祈りながら、神さまのお導きや働きかけを頂くことで癒され、気づきが得られ、囚われから脱し、次第に癒されて緩和され、楽になっていきます。
 そうするとそれを反映するかのように、その方面の人間関係を意識したり構えたりせずに済むようになり、自然体でうまくいき、自分の良さも表れ出るようになります。
 自分の価値観や人の見なし方が、相手との関係性に投影します。
 人はお互いに、察知し合う生き物です。人間関係を学ぶということは、仕事に関係することを学び習得するのと同じくらい、生きていく上で重要です。
 「自分が社会性を持つ」というふうにも言えます。人との共存と調和、協調。これはONEの教えでも、大事な部分です。
 それをさらっと簡単に言葉で言うことはたやすいことですが、いざ一人の生身の肉体と心を持った人間として生きていく上では、そうたやすいことではありません。
 
 癒され、学習して習得するまでは、同じ方面のことに遭遇し、躓(つまず)き続けます。人生は試行錯誤の学習のプロセスです。
 それでもめげず、諦めず、人を責めず、自分をも責めず、挑んでいくことが求められています。
 しかしあまりに構えたり、意識したりしすぎても、しんどいし、うまくいきにくいです。神さまを信頼し、自分をも信頼すること。そして自然体で相手のことを、肯定的に良く思うこと。
 そうすると、自分の良さが表れ出るようになります。あまり恐れたり、身構えたりしないことです。
 お互いに人間は感じ取り合い、反応し合います。まず相手を認めれば、相手もこちらを認めてくれるものです。相手を受け入れると、相手もこちらを受け入れてくれます。
 自分にも信頼と自信を持ってください。そして、たとえすぐに人とうまくいかなくても、動揺したり焦ったり諦めたりせず、気持ちを落ち着けて気を取り直し、自分の良さが自然に表れ出るようにこれからも取り組んでください。
 また、人間関係がわりとうまくいっている人を観察し、参考にさせてもらうことです。また、自分でも試しているうちにコツがつかめて、「あぁ、こういう人とはこういうふうに関わるといいんだ」と、次第に身についてきます。
 過去のことにこだわりすぎず、体験から教訓を学んで解消してください。そして過去のことはあまりに意識することなく、過去に関わった相手や自分を許し、教訓だけでも学んで、今後に反映させていけば良いのです。
 人間はお互い様です。最初からうまくいかなくても良いのです。何遍でも取り組んでみてください。その取り組みに、意義と価値と目的があります。
 その中でちょっとでもうまくいったら、自分を評価してあげてください。そして素直に喜び、それを励みに、次につなげてください。
 人間関係を喜び、楽しんでください。互いに活かし合えるようにしてください。
 たとえうまくいかないことがあっても、落胆しすぎないでください。動揺したり自分を責めすぎないでください。人のこともわかって、許してあげてください。そしてまた挑んでください。
 現代は、非寛容で容赦ない人が多いのです。お互い人間同士です。それぞれの事情や弱さや言い分もあります。お互いに理解し、感じ合い、良い方向づけをとって取り組んでいってください。
 魂のところに自分を置いて、感覚を働かせ、落ち着いて取り組めば、次第に良い兆しが出てくることでしょう。
 この世もあの世も、根本のところでは神の世界です。安心して神の下、人間関係にも取り組み、人間関係を癒しながら育て合い、学び合い、活かし合い、助け合って生きていきましょう。
 
 人間関係は、くだらないことではありません。とても貴重で尊く、大事なことです。そう思えれば取り組み甲斐(がい)があり、励みになります。そのような捉え方が本当で、健全です。自分に直接関わる事柄、対人関係、いずれも大事です。
 人によって得意なことと苦手なことが、それぞれあります。トータルに自分の学びの特徴や傾向を見ながら、落ち着いて神さまの下、人とも思いやり合いながら、これからも落胆せずに、安心して、神の世界で、一つひとつの小さなことを大切に、励み続けましょう。神さまは喜んで見守り、育て導いてくださることでしょう。
 お互いに労り合い、励まし合って、取り組みましょう。その中に神がおられます。 

リーディングを終了します。

(ありがとうございました)

〈了〉